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歩兵第65連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
歩兵第65連隊
創設 1907年
廃止 1925年
再編成 1937年
廃止 1945年
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 会津若松
通称号/略称 鏡6805
上級単位 第2師団 / 第13師団
最終位置 湖南省 衡陽市
戦歴 日中 - 第二次世界大戦
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歩兵第65連隊(ほへいだい65れんたい、歩兵第六十五聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

65連隊軍旗 (大正6年)

日露戦争後の1907年明治40年)と、日中戦争勃発後の1937年昭和12年)に編成された。

第一次編成

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10月22日 - 歩兵第29連隊および第4連隊において編成業務を開始。
11月1日 - 歩兵第29連隊内に設置[1]
5月9日 - 宮城野練兵場にて軍旗拝受

第二次編成

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12月 - 第一大隊長田畑清久大尉(少尉候補者第15期、歩兵第3連隊附少尉で相沢三郎中佐処刑時の銃手)が戦死[3]
8月15日 - 湖南省衡陽で終戦
8月26日 - 軍旗奉焼

著名な所属者

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  • 石原莞爾 - 1909年末から1915年まで所属。連隊教官として訓練を施した。後に自著『戦争史大観』で「明治の末から大正の初めにかけての会津若松歩兵第六十五聯隊は、日本の軍隊中に於ても最も緊張した活気に満ちた聯隊であった。この聯隊は幹部を東北の各聯隊の嫌われ者を集めて新設されたのであったが、それが一致団結して訓練第一主義に徹底したのである。明治四十二年末、少尉任官とともに山形の歩兵第三十二聯隊から若松に転任した私は、私の一生中で最も愉快な年月を、大正四年の陸軍大学入学まで、この隊で過ごしたのであると述懐している[4]
  • 服部卓四郎 - 最後の連隊長、大本営陸軍部作戦課長として大陸打通作戦を企画立案し敢行し、1945年(昭和20年)2月12日宜山に在った第13師団歩兵第65連隊の連隊長に就いた。4月1日に連合国軍が沖縄に上陸し日本軍が撤退を開始した際、6月18日から6月28日まで柳州の北西約25kmの柳城を警備し、その間に第11軍は湖南省方面に向けて撤退を開始した。

歴代連隊長

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歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
第一次
1 飯島亀 1907.10.22 - 1910.7.14 中佐、大佐昇進
2 大島新 1910.7.14 - 1913.8.22
3 山内正生 1913.8.22 - 中佐
4 平田豊三郎 1918.7.24 -
5 井上璞 1922.8.15 - 1925.5.1
第二次
1 両角業作 1937.9.10 -
2 吉田弘 1938.12.10 -
3 立花芳夫 1939.10.2 -
4 桜井徳太郎 1942.8.1 -
5 伊藤義彦 1943.8.2 -
服部卓四郎 1945.2.12 -

脚注

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  1. ^ 『官報』第7310号、明治40年11月8日。
  2. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第七』東京書籍、2016年3月30日、415頁。ISBN 978-4-487-74407-7 
  3. ^ http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/06onketsu/O_06_298_1.pdf
  4. ^ 石原莞爾『戦争史大観』

参考文献

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  • 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。

関連項目

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外部リンク

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