観艦式
観艦式(かんかんしき)とは、軍事パレードのひとつで、軍艦を並べて壮行する式のことである。国家の祝典の際や、海軍の記念行事の一環として行なわれるのが一般的である。現代では水上艦や潜水艦だけでなく海軍航空隊の航空機も参加することが多い。
目的
[編集]かつては、味方の艦隊を観閲することにより、軍の士気を高め、国民や友好勢力には、精強さをアピールすると共に、敵勢力に対する示威行為とすることであった。しかし現在では、他国からの艦艇を招き、国際親善や防衛交流を促進することや、自国民の海軍に対する理解を深めることが主要な目的である。
方法
[編集]主に、受閲艦艇が停泊し、その間を観閲艦艇が航行する方法が世界的には多い方式である。この他に、受閲艦艇と観閲艦艇の双方が航行しながら観閲する方法や陸上から観閲する方法がある。海上自衛隊の場合には、双方が航行しながら観閲する方法を採用しているが、さらに展示訓練を加えている。
起源
[編集]観艦式の起源は、1341年、英仏の百年戦争の最中に、イングランドの王、エドワード3世が出撃の際、自軍艦隊の威容を観閲したことに始まる。また、現在各国で行なわれている観艦式の様式は、1897年(明治30年)、イギリスのビクトリア女王即位60年祝賀の際に挙行されたものが基となっている。
大日本帝国海軍
[編集]日本における観艦式の起源は、明治元年3月26日(1868年)に大阪の天保山の沖において行われたものである[1]。この時は、明治天皇が陸上から観閲し[1]、受閲艦艇は日本の6隻及びフランス海軍の1隻で、受閲艦艇の総指揮官は旗艦電流丸(佐賀藩)に座乗した石井忠亮海軍中佐であった。
ただし、これ以前の江戸時代初期には、徳川家光等の将軍天覧による幕府水軍の「船行列」と称する、観艦式に類似した行事が行われている。
その後、1878年(明治11年)に当時の海軍卿川村純義が、海軍の本隊である艦隊そのものを天覧に供することで海軍の進歩を図るべきと、太政大臣三条実美に上申し、その結果、1890年(明治23年)に神戸沖で実施された「海軍観兵式」が近代海軍としての観艦式の始まりである。その次の1900年(明治33年)の式からは名称も「観艦式」となった。1900年から1908年(明治41年)まで御召艦(おめしかん)に選ばれた装甲巡洋艦「浅間」は、日本海軍の観艦式で最も多数回、御召艦に選ばれた軍艦である。
戦前には、観艦式は明治元年に天保山沖で行なわれたものから数えて全部で18回[2]行なわれた。特に、1905年(明治38年)の東京湾凱旋観艦式(日露戦争凱旋観艦式)と、1928年(昭和3年)の昭和天皇の即位の大礼に伴う観艦式は、連合艦隊に加え、外国の軍艦も参加する盛大なものであった。
観艦式一覧
[編集]ここでは便宜上、正式名称の前に年号を付加してそれぞれの観艦式を区別する(1940年(昭和15年)の紀元二千六百年特別観艦式を除く)。名称の後に続くのは実施日と実施場所(と備考)[3]。
- 大演習観艦式
- 1900年(明治33年)4月30日、神戸沖。
- 御召艦:『浅間』
- 参加:軍艦23隻、水雷駆逐艇(駆逐艦)8隻、水雷艇18隻、計49隻(12万9,601トン)
- 御召艦
- 『浅間』
- 供奉艦
- 第一列
- 第二列
- 第三列
- 第四列
- 御召艦
- 大演習観艦式
- 1903年(明治36年)4月10日、神戸沖。
- 参加:軍艦32隻、駆逐艦13隻、水雷艇23隻、その他1隻、計69隻(21万7,176トン)[5]
- 御召艦
- 『浅間』
- 供奉艦
- 参加軍艦
- 第一列
- 第二列
- 『千歳』、『笠置』、『高砂』、『吉野』、『浪速』、『高千穂』、『秋津洲』、『明石』、『須磨』、『扶桑』、『和泉』、『千代田』、『鎮遠』
- 第三列
- 第四列
- 御召艦
また、イギリス海軍より戦艦グローリー及び防護巡洋艦ブレニム、ドイツ帝国海軍(en:Imperial German Navy)より防護巡洋艦ハンザ、ロシア帝国海軍より防護巡洋艦アスコリド、イタリア王国海軍(en:Regia Marina)より防護巡洋艦カラブリア、フランス海軍より防護巡洋艦パスカル(デカルト級防護巡洋艦2番艦)が参列した。
- 勅語[6]
朕親シク艦隊ヲ閲シ又演習ノ成績ニ考へ深ク進歩ノ著明ナルヲ嘉ス今ヤ宇內ノ大勢海軍日進ノ運ニ會セリ汝等其レ益〻奮勵以テ朕ガ望ニ副ハンコトヲ努メヨ
- 東京湾凱旋観艦式(日露戦争凱旋観艦式)
- 1905年(明治38年)10月23日、横浜沖。日露戦争終結
- 参加:軍艦38隻、仮装巡洋艦12隻、駆逐艦28隻、水雷艇77隻、潜水艇5隻、計165隻(32万4,159トン)
- 御召艦
- 『浅間』
- 供奉艦
- 『龍田』、『千早』、『八重山』、『満州丸』
- 参加軍艦
- 仮装巡洋艦
- 駆逐艦
- 水雷艇
- 『小鷹』以下七七隻
- 潜水艇
- 御召艦
- 大演習観艦式
- 1908年(明治41年)11月18日、神戸沖。
- 参加:軍艦50隻、駆逐艦53隻、水雷艇12隻、潜水艇7隻、その他1隻、計124隻(40万4,460トン)
- 御召艦
- 『浅間』
- 供奉艦
- 第一列
- 第二列
- 第三列
- 第四列
- 駆逐艦・水雷艇14隻
- 第五列
- 駆逐艦・水雷艇・その他22隻
- 第六列
- 駆逐艦・水雷艇20隻、潜水艇7隻
- 列外
- 外国陪観艦船
- 御召艦
- 大演習観艦式
- 1912年(大正元年)11月12日、横浜沖。
- 参加:軍艦45隻、駆逐艦53隻、水雷艇11隻、潜水艇3隻、その他3隻、計115隻(46万0,825トン)、水上機2機
- 御大礼特別観艦式
- 1915年(大正4年)12月4日、横浜沖。
- 参加:軍艦53隻、駆逐艦52隻、潜水艇6隻、水雷艇3隻、その他10隻、計124隻(59万8,848トン)、水上機9機
- 御召艦
- 『筑波』
- 供奉艦
- 『常磐』、『矢矧』、『満州』
- 指揮官乗艦
- 『扶桑』
- 第一艦隊
- 第二艦隊
- 第三艦隊
- 列外
- 御召艦
- 恒例観艦式
- 1916年(大正5年)10月25日、横浜沖。
- 参加:軍艦26隻、駆逐艦43隻、潜水艇6隻、その他9隻、計84隻(47万2,254トン)、水上機4機
- 御召艦
- 『筑波』
- 供奉艦
- 『伊吹』
- 御召艦
- 大演習観艦式
- 1919年(大正8年)10月28日、横浜沖。
- 参加:計111隻(62万4,180トン)、飛行機12機
- 御召艦
- 『摂津』
- 供奉艦
- 『平戸』、『香取』、『筑摩』、『満州』
- 御召艦
- 大演習観艦式
- 1927年(昭和2年)10月30日、横浜沖。
- 参加:計158隻(66万4,292トン)、飛行機82機、飛行船3隻
- 御大礼特別観艦式
- 1928年(昭和3年)12月4日、横浜沖。
- 参加:計186隻(77万8,891トン)、飛行機130機、飛行船2隻
- 御召艦
- 『榛名』
- 先導艦
- 『金剛』
- 供奉艦
- 『比叡』、『磐手』
- 第一列
- 『長門』、『陸奥』、『扶桑』、『日向』、『山城』、『八雲』、『出雲』、『浅間』、『常磐』、『川内』、『那珂』、『神通』、『阿武隈』、『五十鈴』、『名取』、『多摩』、『木曾』、『北上』、『球磨』、『平戸』
- 第二列
- 『春日』、『藤』、『萩』、『蔦』、『薄』、『栂』、『柿(初代)』、『楡』、『栗』、『蓼』、『蓬』、『蓮』、『梨』、『榧』、『樅』、『竹』、『桐』、『樺』、『櫻』、『橘』、『沖風』、『澤風』、『峯風』、『矢風』、『菊月』、『三日月』、『夕月』、『望月』、『朝凪』、『夕凪』、『疾風』、『追風』
- 第三列
- 第四列
- 第五列
- 『長鯨』、『伊2』、『伊3』、『伊1』、『伊58』、『伊22』、『伊23』、『伊21』、『呂18』、『呂17』、『呂19』、『迅鯨』、『呂68』、『呂64』、『呂63』、『呂57』、『呂58』、『呂59』、『呂62』、『呂60』、『呂61』、『吹雪』、『灘風』、『汐風』、『島風』、『夕風』、『第十号掃海艇』、『第七号掃海艇』、『第十一号掃海艇』、『第一号掃海艇』、『第二号掃海艇』、『朝日』、『大泊』
- 第六列
- 第一番列外
- 第二番列外
- 『大成丸』、『櫻丸』、『橘丸』、『忍路丸』、『蒼鷹丸』、『金鵄丸』、『芝罘丸』、『羅州丸』、『進徳丸』、『南洋丸』、『鎌倉丸』、『敦賀丸』、『せれべす丸』
- 御召艦
- 特別大演習観艦式
- 1930年(昭和5年)10月26日、神戸沖。
- 参加:計165隻(70万3,295トン)、飛行機72機
- 大演習観艦式
- 1933年(昭和8年)8月25日、横浜沖。
- 参加:計161隻(84万7,766トン)、飛行機200機
- 御召艦
- 『比叡』
- 先導艦
- 『鳥海』
- 供奉艦
- 第一列
- 『春日』、掃海艇6隻、駆逐艦8隻、特務艦艇9隻
- 第二列
- 『加賀』、『鳳翔』、『青葉』、『衣笠』、『加古』、『神通』、駆逐艦12隻、特務艦2隻
- 第三列
- 『陸奥』、『日向』、『榛名』、『金剛』、『阿武隈』、『名取』、『由良』、『夕張』、駆逐艦12隻、『白鷹』
- 第四列
- 『迅鯨』、『球磨』、『多摩』、潜水艦21隻、『厳島』
- 第五列
- 『長門』、『扶桑』、『霧島』、『伊勢』、『足柄』、『那智』、『羽黒』、『妙高』、『古鷹』、『大井』、『那珂』、『川内』、『木曾』、『北上』、駆逐艦3隻
- 第六列
- 『赤城』、『龍驤』、『鬼怒』、駆逐艦16隻、潜水艦3隻
- 第七列
- 『龍田』、駆逐艦12隻、『長鯨』、潜水艦11隻
- 列外
- 『野島』以下15隻
- 御召艦
- 特別大演習観艦式
- 1936年(昭和11年)10月29日、神戸沖。
- 参加:計100隻(58万0,133トン)、飛行機100機[7][8]。
- 特別大演習観艦式指揮官:連合艦隊司令長官高橋三吉海軍大将、空中分列指揮官:第一航空戦隊司令官佐藤三郎海軍少将
- 御召艦
- 『比叡』
- 先導艦
- 『鳥海』
- 供奉艦
- 『愛宕』、『足柄』
- 東第一列
- 『長門』、『扶桑』、『榛名』、『霧島』、『龍驤』、『鳳翔』、『春日』
- 東第二列
- 『妙高』、『那智』、『羽黒』、『青葉』、『衣笠』、『古鷹』、『鳴戸』
- 東第三列
- 東第四列
- 『那珂』、『響』、『雷』、『電』、『天霧』、『朝霧』、『綾波』、『浦波』、『敷波』、『東雲』、『磯波』、『吹雪』
- 東第五列
- 『迅鯨』、『伊六十三』、『伊六十』、『伊五十九』、『伊五十七』、『伊五十八』、『伊五十六』、『伊五十四』、『伊五十三』
- 東第六列
- 『鬼怒』、『伊六十八』、『伊六十九』、『伊七十』、『伊六十六』、『伊六十五』、『伊六十七』
- 西第一列
- 西第二列
- 西第三列
- 西第四列
- 『五十鈴』、『朧』、『曙』、『潮』、『初雪』、『白雪』、『白雲』、『叢雲』、『薄雲』
- 西第五列
- 『長鯨』、『伊五』、『伊六』、『伊六十六』、『伊六十一』、『伊六十二』、『伊三』、『伊一』、『伊二』
- 御召艦
- 供奉高等官
- 宮内大臣 - 松平恒雄
- 内大臣 - 湯浅倉平
- 侍従長 - 鈴木貫太郎海軍大将
- 侍従武官長 - 宇佐美興屋陸軍中将
- 侍従武官 - 平田昇海軍少将、遠藤喜一海軍大佐、山澄貞次郎海軍中佐、中島鉄蔵陸軍大佐
- 侍従 - 子爵牧野貞亮、子爵黒田長敬、永積寅彦、久松定孝
- 侍医 - 筧繁、高橋信
- 内大臣秘書官 - 工藤壮平
- 侍従職御用掛 - 柴伝吉
- 宮内事務職 - 子爵本田猶一郎
- 宮内書記官・行宰事務官 - 久保覚次郎
- 主膳監 - 野村利吉
- 主事宮内 - 木戸来助
- 紀元二千六百年特別観艦式
海上自衛隊
[編集]太平洋戦争後は海軍解体に伴い途絶えていたが、1957年(昭和32年)10月2日、海上自衛隊により東京湾において再開された。その後、1973年(昭和48年)まではほぼ毎年実施されていたが、オイルショックのためこの年を最後に中止された。1981年(昭和56年)に復活し、それ以後はほぼ3年おきに行なわれている。
水上艦艇部隊、潜水艦部隊、航空部隊が参加する。当初は停泊方式であったが、1961年(昭和36年)の第3回から観閲部隊、受閲部隊ともに航走しながら実施する移動方式となった[9]。非常に難易度が高く、世界的にも珍しい方式である。
1996年(平成8年)以降は、自衛隊記念日の行事の一環として陸上自衛隊の「中央観閲式」、航空自衛隊の「航空観閲式」と持ち回りで行われる。観艦式の付帯行事として、平日に二度の予行が実施されるほか、青少年体験航海、艦艇の一般公開や音楽隊の演奏なども行われる。また、第3回から一般市民も公募で乗艦できるようになった。
内閣総理大臣を観閲官とし、執行者は自衛艦隊司令官又は防衛大臣の命ずる海将である自衛官が務める[10]。
自衛隊観艦式一覧
[編集]回次 | 年 月 日 | 場所 | 形式 | 観閲官 | 観閲艦 | 艦艇 | 航空機 | 記 事 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1957年(昭和32年)10月2日 | 東京湾 | 停泊式 | 内閣総理大臣 岸信介 | ゆきかぜ | 32隻 | 49機 | |
2 | 1960年(昭和35年)11月2日 | 防衛庁長官 江崎真澄 | あきづき | 43隻 | - | 天候不良により49機の参加が予定されていた航空機はキャンセル | ||
3 | 1961年(昭和36年)11月2日 | 防衛庁長官 藤枝泉介 | 32隻 | 29機 | 初の移動観艦式 | |||
4 | 1962年(昭和37年)11月3日 | 大阪湾 | 停泊及び 移動 |
防衛政務次官 生田宏一 | 48隻 | - | 天候不良により航空機31機の参加はキャンセル 政務次官が観閲したのはこの回のみ | |
5 | 1964年(昭和39年)11月2日 | 東京湾 | 防衛庁長官 小泉純也 | てるづき | 52隻 | - | 天候不良により航空機31機の参加はキャンセル 潜水艦がドルフィン運動を初披露 | |
6 | 1965年(昭和40年)11月3日 | 大阪湾 | 移動式 | 防衛庁長官 松野頼三 | あまつかぜ | 49隻 | 51機 | |
7 | 1966年(昭和41年)11月3日 | 博多湾 | 停泊及び 移動 |
防衛庁長官 上林山栄吉 | 37隻 | 56機 | 航空自衛隊機が14機飛来 | |
8 | 1967年(昭和42年)11月5日 | 伊勢湾 | 移動式 | 防衛庁長官 増田甲子七 | たかつき | 43隻 | 数機 | 天候不良により航空機75機のうちほとんどがキャンセル |
9 | 1968年(昭和43年)11月3日 | 東京湾 | 停泊式 | 内閣総理大臣 佐藤栄作 | 44隻 | 47機 | ||
10 | 1969年(昭和44年)11月3日 | 大阪湾 | 移動式 | 防衛庁長官 有田喜一 | きくづき | 50隻 | 51機 | |
11 | 1970年(昭和45年)11月3日 | 相模湾 | 防衛庁長官 中曽根康弘 | もちづき | 45隻 | 48機 | ||
12 | 1971年(昭和46年)11月3日 | 佐世保沖 | 防衛庁長官 西村直己 | きくづき | 50隻 | 65機 | ||
13 | 1972年(昭和47年)11月5日 | 相模湾 | 防衛庁長官 増原惠吉 | ながつき | 51隻 | 61機 | 参加艦艇がすべて国産艦となる | |
14 | 1973年(昭和48年)9月16日 | 若狭湾 | 防衛庁長官 山中貞則 | たかつき | 39隻 | 48機 | 航空自衛隊機が39機参加 | |
15 | 1981年(昭和56年)11月3日 | 相模湾 | 内閣総理大臣 鈴木善幸 | しらね | 45隻 | 55機 | ヘリコプター搭載護衛艦が初参加 この回から観閲官はヘリで来艦・退艦し、観閲・訓練展示のみ座乗[11] | |
16 | 1984年(昭和59年)11月4日 | 防衛庁長官 加藤紘一 | 53隻 | 51機 | 自衛隊創設30周年記念観艦式 | |||
17 | 1987年(昭和62年)11月3日 | 内閣総理大臣 中曽根康弘 | 54隻 | 49機 | ||||
18 | 1989年(平成元年)11月5日 | 内閣総理大臣 海部俊樹 | 55隻 | 51機 | ||||
19 | 1992年(平成 4年)10月11日 | 内閣総理大臣 宮澤喜一 | 52隻 | 54機 | 海上自衛隊創設40周年記念観艦式 | |||
20 | 1994年(平成 6年)10月16日 | 内閣総理大臣 村山富市 | 45隻 | 52機 | 防衛庁創設40周年記念観艦式 | |||
21 | 1997年(平成 9年)10月26日 | 内閣総理大臣 橋本龍太郎 | 46隻 | 48機 | ||||
22 | 2000年(平成12年)10月29日 | 内閣総理大臣 森喜朗 | 63隻 | 38機 | 天候不良により航空機61機のうち半数がキャンセル | |||
23 | 2002年(平成14年)10月13日 | 東京湾 | 停泊式 | 内閣総理大臣 小泉純一郎 | 65隻 | 11機 | 海上自衛隊創設50周年記念国際観艦式 米・露・仏・豪・印・泰・韓・星・馬・新・智の11ヶ国から計17隻の艦艇が参加 | |
24 | 2003年(平成15年)10月26日 | 相模湾 | 移動式 | 内閣総理大臣 小泉純一郎 | 52隻 | 53機 | ||
25 | 2006年(平成18年)10月29日 | 内閣総理大臣 安倍晋三 | くらま | 48隻 | 50機 | |||
26 | 2009年(平成21年)10月25日 | 首相代理副総理 菅直人 | 40隻 | 31機 | ||||
27 | 2012年(平成24年)10月14日 | 内閣総理大臣 野田佳彦 | 48隻 | 32機 | 海上自衛隊創設60周年記念観艦式 | |||
28 | 2015年(平成27年)10月18日 | 内閣総理大臣 安倍晋三 | 42隻 | 37機 | ||||
29 | 2019年(令和元年)10月14日 | いずも | 46隻 | 40機 | 4年ぶりの実施[12]予定であったが、令和元年東日本台風(台風19号)に伴う災害派遣に万全を期すため、中止となった[13][14][15]。 中国からの初参加が予定されていた[16]。韓国は不招致[17]。 | |||
30 | 2022年(令和 4年)11月6日[18] | 内閣総理大臣 岸田文雄 | 39隻 | 33機 | 海上自衛隊創設70周年記念国際観艦式 陸上自衛隊機5機、航空自衛隊機16機(ブルーインパルス参加)、海上保安庁巡視船1隻が参加[19] 豪・ブ・加・印・稲・馬・新・韓・基・星・泰・米の12か国18隻、米海軍機・海兵隊機5機、フランス海軍機が参加[19] |
イギリス
[編集]2005年(平成17年)には、トラファルガー海戦200周年を記念する国際観艦式がイギリス・ポーツマスで行われた。
韓国
[編集]大韓民国では、1998年、2008年、2018年に国際観艦式を開催した。
中国
[編集]中国人民解放軍海軍創設70年の記念行事として2019年4月23日に山東省青島沖で行われる国際観艦式には、中国海軍からは1隻目の空母「遼寧」や新型の駆逐艦など32隻が参加する。中国メディアは、海外から艦艇を派遣する国として、日本やオーストラリア、ロシア、ベトナムなど13か国を挙げている。
指揮官 - 沈金龍(ちん きんりゅう、1956年10月 - )中国人民解放軍の軍人、海軍中将(2016年7月昇格)、中国人民解放軍海軍司令員(2017年1月就任)。駆逐艦支隊支隊長、旅順保障基地司令員、大連艦艇学院院長、南海艦隊司令員を歴任した。
観閲艦 - 052D型駆逐艦『西寧』(117)。中国共産党中央軍事委員会主席習近平は本艦に乗りこみ、国際観艦式を観閲した。
- 001型空母 - 遼寧(16)
- 055型駆逐艦 - 南昌(101)アメリカ国防総省年次報告書ではその規模から本艦級を巡洋艦と位置付けている。
- 052D型駆逐艦 - 太原(131)、貴陽(119)
- 052C型駆逐艦 - 長春(150)、海口(171)
- 052B型駆逐艦 - 武漢(169)
- 051C型駆逐艦 - 石家荘(116)
- 054A型フリゲート - 臨沂(547)、浜州(515)、黄山(570)、三亜(574)
- 056A型フリゲート - 秦皇島(505)、烏海(540)、張掖(541)、宜春(556)
- 094型原子力潜水艦 - 長征10(412)、長征11(413)
- 093型原子力潜水艦 - 長征15(418) 、長征16(419)
- 039B型潜水艦 - 長城231(341)、長城236(346)
- 039G型潜水艦 - 長城197(314)、長城205(323)
- 072A型揚陸艦 - 徂徕山(915)、五台山(917)
- 071型揚陸艦 - 五指山(987)、沂蒙山(998)
- 901型補給艦 - 呼倫湖(965)
- 903A型補給艦 - 太湖(889)
- 926型潜水艦支援艦 - 海洋島(864)
- 920型病院船 - 岱山島(920)
- 外国海軍艦艇
- あきづき型護衛艦 - すずつき(117)
- コルカタ型駆逐艦 - コルカタ(D63)
- ディーパク型補給艦 - シャクティ(A57)
- フォーミダブル型フリゲート - ストルワート(72)
- ダルサラーム型哨戒艦 - ダルタクワ(09)
- 仁川型フリゲート - 京畿(812)
- チャンシッター型フリゲート - シンビューシン(F14)
- C13B型フリゲート - プロットーイ(F112)
- アデレード型フリゲート - メルボルン(05)
- チャオプラヤー型フリゲート - バーンパコン(456)
- ナレースワン型フリゲート - ナレースワン(421)
- ゲパルト型フリゲート - ディン・ティエン・ホアン(011)
- ゲパルト型フリゲート - チャン・フン・ダオ(015)
- マカッサル型揚陸艦 - タルラック(601)
- レキウ型フリゲート - レキウ(30)
- 22350型フリゲート - ゴルシコフ(454)
- 23120型保障船 - エルブルス
- ドゥブナ級補給艦 - カマ
- ニコラエ・ジーク型曳船 - ニコラエ・ジーク
脚注
[編集]- ^ a b 澤鑑之丞 (1942年). 海軍七十年史談. 文政同志社. p. 21
- ^ 明治2年の凱旋整列式を含めると全部で19回。
- ^ この一覧は海軍歴史保存会『日本海軍史 第11巻』(第一法規出版、1995年)p32-33による。
- ^ 当時艤装中であったが拝観及び搭乗用として参加。
- ^ #明治37.8年海戦史
- ^ 「「極秘 明治37.8年海戦史 第11部 戦局日誌 巻1」/第1編 開戦前誌(明治36年4月8日より37年2月5日に至る)」 アジア歴史資料センター Ref.C05110200200 画像3(p.5)
- ^ 神戸市 (1937年). 昭和十一年海軍特別大演習観艦式神戸市記念誌. 神戸市 編. p. 30
- ^ 昭和11年の参加艦艇一覧は神戸市編『昭和十一年海軍特別大演習観艦式神戸市記念誌』(昭和12年)p31、p99による。
- ^ 永福誠也 (2019). “観艦式―日本海軍・海上自衛隊・諸外国海軍の特徴等”. NIDSコメンタリー 106: 2 .
- ^ 自衛隊の礼式に関する訓令(防衛庁訓令第14号)第3章 第5節 (PDF)
- ^ 14回までは全航程乗艦
- ^ 東京五輪開催に伴い、朝霞訓練場で2019年度中央観閲式が実施できないため、2018年度予定だった自衛隊観艦式と順序を入れ替える措置を行い、2018年度に中央観閲式を行ったため。
- ^ 令和元年度自衛隊観艦式の中止について (PDF)
- ^ 中止となるのは1958年(昭和33年)11月2日(台風接近のため)と1959年(昭和34年)11月1日(伊勢湾台風による災害派遣のため)に続き3回目(『自衛隊年表』防衛庁長官官房広報課、1962年。)
- ^ 事前公開についても同台風による安全確保の問題から中止となった(令和元年度自衛隊観艦式事前公開(体験航海)の中止について)。 (PDF)
- ^ “中国海軍艦艇 自衛隊観艦式初参加で10年ぶり日本に寄港”. NHK NEWS WEB. (2019年10月9日) 2019年10月13日閲覧。
- ^ “韓日の軍事摩擦収束せず…日本「観艦式に韓国海軍招待しない」”. 朝鮮日報 (2019年6月25日). 2022年8月22日閲覧。
- ^ 「令和4年度国際観艦式」実施の形態について 令和4年8月5日 防衛省海上幕僚監部
- ^ a b 令和4年度国際観艦式について 令和4年11月5日 防衛省海上幕僚監部 (PDF)
参考文献
[編集]- 「観艦式一覧」-『世界の艦船』2002年5月増刊号 海上自衛隊の50年(海人社)180-181頁
- アジア歴史資料センター(公式)
- 『極秘 明治37.8年海戦史 第11部 戦局日誌 巻1/第1編 開戦前誌(明治36年4月8日より37年2月5日に至る)』。C05110200200。
- 国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館)
- 神戸市役所『昭和十一年海軍特別大演習観艦式神戸市記念誌』神戸市役所、1935年5月。
- 海軍有終会編『幕末以降帝国軍艦写真と史実』吉田弘文館、89-93頁
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- MILITARY REPORT 観艦式
- とんぺいの機械博物館 平成18年度 海上自衛隊観艦式 - ウェイバックマシン(2009年1月25日アーカイブ分)
- 2009 第1護衛隊群ホームページ