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敦賀市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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敦賀市
敦賀市旗 敦賀市章
敦賀市旗 敦賀市章
1952年3月28日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 福井県
市町村コード 18202-8
法人番号 6000020182028 ウィキデータを編集
面積 251.47km2
総人口 61,589[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 245人/km2
隣接自治体 南条郡南越前町三方郡美浜町
滋賀県高島市長浜市
市の木 マツ
市の花 ハギ
市の鳥 ユリカモメ
敦賀市役所
市長 米澤光治
所在地 914-8501
福井県敦賀市中央町二丁目1番1号
北緯35度38分43秒 東経136度03分20秒 / 北緯35.64519度 東経136.0555度 / 35.64519; 136.0555座標: 北緯35度38分43秒 東経136度03分20秒 / 北緯35.64519度 東経136.0555度 / 35.64519; 136.0555
地図
市庁舎位置

敦賀市本庁舎(2006年撮影)
外部リンク 公式ウェブサイト

敦賀市位置図

― 市 / ― 町・村

特記事項 府省によっては、近畿地方
ウィキプロジェクト

敦賀市(つるがし)は、福井県南西部の嶺南地方にある日本海敦賀湾に面している。原子力発電所の所在地や昆布の加工地として知られている。気候は季節風の強まる冬でも、日本海沿岸地域では比較的穏やかとされている。嶺南では最多の人口を有する。1937年(昭和12年)市制施行。

概要

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古代より畿内北陸道を結ぶ北国街道脇街道である西近江路(あるいは鯖街道、若狭街道、敦賀街道、七里半越とも(現国道161号国道367号等))、深坂越新道野越(現国道8号等)や木の芽街道(現国道476号等)、山陰道への丹後街道(現国道27号等)が通り、また畿内や瀬戸内海に繋がる水運を利用できる琵琶湖からは峠(県境) を下った日本海側に位置するため交通の要衝とされ、街道沿いには飛鳥時代に越前一宮として氣比神宮が建立された。古来より鳥居前町が形成されて、敦賀港とともに発展した。敦賀駅も、名古屋駅より5年、福井駅より14年早い明治15年に開業している。国道も、8号線、27号線(始点)、161号線(始点)、162号線(終点)、476号線(終点)と、かなり若い番号から張り巡らされ、北陸自動車道とともに陸運を担ってきた。

近代には、欧亜国際連絡列車の日本側の入口として、外国製の地球儀には、3都市から4都市のわずかの街しか記載されない日本の都市の1つとして、敦賀が含まれていた(1970年代までこの形態の地球儀が国内でも販売されていた)。現在も鉄道や道路の結節点であり、3本の直轄国道(8号、27号、161号)が走り、重要港湾敦賀港には、北海道行きのフェリー定期航路や、大韓民国行きのコンテナ航路が開設されているなど、日本海側の交通の要衝である。街の歴史は古いが、越前国司配下、鎌倉時代の歴代守護配下、斯波氏配下、朝倉氏配下、酒井氏配下と移り変わる中、政庁が置かれた期間は少なく(桃山時代の短い大谷吉継時代が、敦賀全域を独立統括した唯一の地方政府であったといえる)、軍勢をもつほどの巨大寺社も無かったため、民間主導の商都の性格が強い。

明治期に短期間(現在の福井県の領域を統轄した時期は3年半)県庁所在地だったこと、第2次世界大戦前に市制を敷いた点や、市街地の規模から、福井県嶺南地方の代表都市とされている。2007年に市制施行70周年を迎えた。1960年代以降、原子力発電所や関連施設を誘致し、歴代の敦賀市長は1968年発足の全国原子力発電所所在市町村協議会会長を務めている。

敦賀ジャンクション付近から望む敦賀市中心部

地理

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敦賀市中心部周辺の空中写真。2013年9月17日撮影の12枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

市域は、全域が令制国での越前国南部の敦賀郡に含まれ、観光などでは「越前・敦賀」のほかに「若狭(湾)・敦賀」の地域表現が用いられることもある。これは陸路においては北東側に交通の難所である木ノ芽峠(標高627m)があり、南側は海浜の敦賀と内陸盆地の近江国の間に深坂古道深坂峠(364m、 美濃 岐阜、尾張 愛知方面)、国境峠(389m、山城 京都方面)がありこれらが交通の難所であったことや、対して西側の北陸7国の南西端の若狭国とはゆるやかな関峠(96m)で容易に交通が可能であり江戸時代半期は若狭国小浜藩の越境領であったことから風習などが敦賀以北の越前よりも若狭に近いことなどが理由とされている[1][2][3][4]

福井県の地方区分においては嶺南に含まれる。間投イントネーションがある嶺南方言が話されるとされる。

明治維新に伴う20余年の廃藩置県移行中においては敦賀県が置かれた時期(短期間だがこの名が現在の福井県全域だった時期もある)もあるが、ほどなく分割され、現行の福井県だけではなく4年半だけ滋賀県に属したこともあった[5]。かつて一時期は道州制が実施され仮に福井県が「北陸州」に含まれる場合、嶺南に属する敦賀市と小浜市では「嶺北地方とは縁を切る」旨の発言が問題視された市長市議も存在した。[6][7]

位置

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敦賀市は、木ノ芽峠の西側および南側で若狭湾の南東部に位置する。更に、日本海側と太平洋側が最も接近する地域が敦賀湾南東部(福井県敦賀市)と伊勢湾北部(三重県桑名市)を結ぶ線である。近世(平安時代とする伝承もある)から現在にかけて幾度か日本海と太平洋を結ぶ水路(琵琶湖運河琵琶湖敦賀湾大阪湾または伊勢湾)の話が繰り返し持ち上がっているが85mにも及ぶ水位差(スエズ運河0m、パナマ運河26m)、運河総長は日本海-琵琶湖20km、琵琶湖-太平洋50kmになり、10km以上のトンネル水路数本と多数の閘門や水面調整関など費用対効果から熟考されたことは無い。[8][9]

地形

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東方の鉢伏山から望む敦賀半島(左の南側から三内山-馬背峠-西方ヶ岳-蠑螺が岳-立石岬)、手前に敦賀湾
水島

典型的な扇状地地形であり周囲三方を山に囲まれている。またリアス式海岸である若狭湾の東端に位置する。湾は海に入ると急激に水深が下がる天然の良港である。上記の理由により平地が少なく、市の大部分は山林で占められている。この平野(敦賀平野)は南東縁の敦賀断層と南西縁の野坂断層の活動に伴う沈降部に形成された冲積平野である。

山岳

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主な山

河川

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主な川

湖沼

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主な湿地

海岸

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湾岸
半島
島嶼

気候

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日本海側気候である。また、豪雪地帯対策特別措置法において豪雪地帯に指定されている。

  • 気温 - 最高37.6℃(1918年8月13日、1917年7月31日)、最低-10.9℃(1904年1月27日)
  • 最大日降水量 - 211.2mm(1965年9月17日)
  • 最大瞬間風速 - 47.9m(2018年9月4日)
  • 最深積雪 - 196cm(1981年1月15日)→五六豪雪
  • 夏日最多日数 - 133日(2021年)
  • 真夏日最多日数 - 76日(1916年、2023年)
  • 猛暑日最多日数 - 19日(2023年)
  • 熱帯夜最多日数 - 52日(2023年)
  • 冬日最多日数 - 65日(1936年)
  • 真冬日最多日数 - 4日(1936年)
国土交通省気象庁東京管区気象台福井地方気象台敦賀特別地域気象観測所(松栄町、標高2m)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 18.9
(66)
20.5
(68.9)
24.8
(76.6)
30.0
(86)
33.2
(91.8)
36.8
(98.2)
37.6
(99.7)
37.6
(99.7)
36.7
(98.1)
31.0
(87.8)
26.1
(79)
21.4
(70.5)
37.6
(99.7)
平均最高気温 °C°F 7.8
(46)
8.5
(47.3)
12.3
(54.1)
17.8
(64)
22.5
(72.5)
25.8
(78.4)
30.0
(86)
31.9
(89.4)
27.7
(81.9)
22.2
(72)
16.5
(61.7)
10.7
(51.3)
19.5
(67.1)
日平均気温 °C°F 4.7
(40.5)
5.1
(41.2)
8.3
(46.9)
13.4
(56.1)
18.2
(64.8)
22.1
(71.8)
26.3
(79.3)
27.7
(81.9)
23.7
(74.7)
18.1
(64.6)
12.7
(54.9)
7.4
(45.3)
15.6
(60.1)
平均最低気温 °C°F 1.9
(35.4)
1.8
(35.2)
4.3
(39.7)
9.1
(48.4)
14.1
(57.4)
18.8
(65.8)
23.2
(73.8)
24.5
(76.1)
20.4
(68.7)
14.4
(57.9)
8.9
(48)
4.2
(39.6)
12.1
(53.8)
最低気温記録 °C°F −10.9
(12.4)
−10.5
(13.1)
−9.6
(14.7)
−1.7
(28.9)
2.0
(35.6)
7.9
(46.2)
13.1
(55.6)
14.1
(57.4)
8.6
(47.5)
2.7
(36.9)
−1.0
(30.2)
−6.2
(20.8)
−10.9
(12.4)
降水量 mm (inch) 269.5
(10.61)
164.7
(6.484)
144.6
(5.693)
120.4
(4.74)
141.4
(5.567)
144.1
(5.673)
204.0
(8.031)
146.9
(5.783)
204.9
(8.067)
152.6
(6.008)
176.0
(6.929)
316.7
(12.469)
2,199.5
(86.594)
降雪量 cm (inch) 54
(21.3)
43
(16.9)
7
(2.8)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
19
(7.5)
126
(49.6)
平均降水日数 (≥0.5 mm) 23.1 19.1 16.2 13.3 12.0 12.3 13.5 10.5 12.3 13.1 15.9 22.3 183.5
湿度 73 71 67 66 68 74 75 72 74 72 71 73 71
平均月間日照時間 62.6 81.2 131.7 166.3 184.4 139.8 153.1 202.2 147.6 145.1 111.5 72.6 1,598.1
出典:国土交通省気象庁(平均値:1991年-2020年、極値:1897年-現在)[10][11]

地域

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敦賀駅前通り

市街地

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市街地(アーケード商店街を中心とした笙の川以東)と、新市街地(通称新木崎通り若葉交差点から昭和町交差点までの通りを中心とした笙の川以西)の二つに分けられる。敦賀空襲の後、区画整理されたため市街地でも戦前の面影がある町並みは一部にとどまる。

港町として栄えてきた市街地には各所に史跡・旧跡が立地し、農地はほとんどなく、大部分が住宅地か商業地である。敦賀駅から神楽町一丁目付近にかけての歩・車道に分かれたアーケード街は全長2km以上という、都市規模から考えると大規模なものである[注釈 1]。このアーケードは、道路を挟む形で設置されており、商店等は片側にしか所在しない。向かい側へは、アーケードのない車道を横断する必要がある。敦賀駅からアル・プラザ付近にかけてはまだしも、全体として活気に乏しく、半ばシャッター通りと化しているが、更にその加速化を危惧する声もある。

国道8号に指定されているアーケード街の一部は、かつて北陸地方への幹線としてトラック等が行き交ったことから夜間にラーメンの屋台が出店するようになり、現在でも、市内外から屋台の「敦賀ラーメン」を目当てに客が訪れる。毎年9月初めの敦賀まつり期間中は、アーケード街に数多くの露天商が出店し大変混雑する。 敦賀都市計画マスタープランによると、北陸新幹線敦賀駅駅舎整備事業と平行して東口を新設、東口より国道8号敦賀バイパスに接続(福井県道271号敦賀駅東線、2024年3月完成)、その周囲に「中高年齢層の利用も考慮した」商業施設や住宅施設を整備する計画となっている。国道8号現道(敦賀バイパス)の全通により、中心部の混雑緩和には貢献しているものの、観光客や運送業者等が素通りする空洞化の加速が危惧されている。そこで、バイパス全通による交通量の減少を見越して、国道8号旧道の車道幅縮小(4車線→2車線)・歩道拡幅等の整備が行われた。

新市街地は、ほとんどが水田、畑であったが、2本の通りを中心として、商業地や住宅地(分譲マンション・賃貸アパート・戸建住宅)が広がっており、市の人口が横ばいのなか、微増傾向にある。特に片道2車線の福井県道142号松島若葉線(通称新木崎通り)周囲には、広い敷地を生かしたロードサイドショップが多く立地するようになった。高等学校や大学が近くに立地しているため、若者が集まりやすい。敦賀市本庁舎や敦賀警察署も、もとは旧市街地に立地していたが、この付近に移転した。新木崎通りの南端に「日本海さかな街」ができてからは、休日になると観光客が訪れるようになった。ただ、新市街地は駅から遠く、二次交通が未熟であることが難点である。

新市街地を中心に工業も盛んで、工場や企業の立地する町名には企業に結びつく町名が付けられている特徴がある。例えば東洋町(東洋紡)、呉羽町(呉羽紡績→東洋紡)、永大町(永大産業)などである。鉄輪町についても敦賀駅があることから命名された町名である。

人口

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敦賀市と全国の年齢別人口分布(2005年) 敦賀市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 敦賀市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
敦賀市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 56,445人
1975年(昭和50年) 60,205人
1980年(昭和55年) 61,844人
1985年(昭和60年) 65,670人
1990年(平成2年) 68,041人
1995年(平成7年) 67,204人
2000年(平成12年) 68,145人
2005年(平成17年) 68,402人
2010年(平成22年) 67,760人
2015年(平成27年) 66,165人
2020年(令和2年) 64,264人
総務省統計局 国勢調査より

隣接自治体

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福井県の旗福井県
滋賀県の旗滋賀県

歴史

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六十余州名所図会越前敦賀 気比ノ松原

日本海側から大坂へ至る北前船の寄港地として、江戸時代を通して栄えた。

1945年頃の敦賀市地図

政治

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行政

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市長

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歴代市長
歴代 氏名 在任期間
1 森本一雄 1937年4月 - 1938年11月
2 若林義孝 1938年12月 - 1940年12月
3 末原貫一郎 1941年4月 - 1945年4月
4 田保仁左衛門 1945年4月 - 1946年9月
5 川原与作(2期) 1947年4月 - 1955年4月
6 畑守三四治(3期) 1955年4月 - 1967年4月
7 矢部知恵夫(3期) 1967年4月 - 1979年4月
8 高木孝一(4期) 1979年4月 - 1995年4月
9 河瀬一治(5期)[33] 1995年4月 - 2015年4月
10 渕上隆信 (2期) 2015年4月 - 2023年4月
11 米澤光治 (1期) 2023年4月 - 現職

役所

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高浜町大飯町(現・おおい町)と共に、地方交付税(普通交付税)の不交付団体であったが、税収の落ち込みなどのため2010年度より22年ぶりに地方交付税の交付を受ける見通しとなった[34]

  • 本庁(中央町二丁目1番1号)

議会

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市議会

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敦賀市議会
  • 敦賀市議会議員:22人[35]

官公庁

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国家機関

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うち多くの機関が、敦賀地方合同庁舎、敦賀駅前合同庁舎、敦賀港湾合同庁舎の3庁舎に入居している。

法務省
財務省
文部科学省
  • 敦賀原子力事務所
厚生労働省
  • 大阪検疫所敦賀出張所
  • 福井労働局敦賀労働基準監督署、敦賀公共職業安定所
農林水産省
経済産業省
環境省
国土交通省
防衛省
裁判所

福井県

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敦賀警察署
敦賀美方消防組合

消防

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医療

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主な病院

郵便

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日本郵便

対外関係

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姉妹都市・提携都市

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国外

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国内

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姉妹都市
提携都市

経済

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産業人口(2005年国勢調査)

第一次産業

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農業

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農業組合

漁業

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漁業組合
主な漁港
  • 浦底漁港
  • 立石漁港
  • 白木漁港

第二次産業

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工業

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東洋紡敦賀事業所・敦賀工場

建設業

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第三次産業

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商業

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主な商店街
主な商業施設

物流

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情報・通信

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マスメディア

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新聞社

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放送局

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中継局

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生活基盤

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日本原子力発電敦賀発電所
敦賀港フェリーターミナルと右奥の北陸電力敦賀火力発電所

ライフライン

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電力

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発電所

都市ガス

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通信

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市外局番

敦賀市の市外局番は、料金単位区域(敦賀MA)と同一の範囲を持つ0770(市内局番は20 - 49)で統一されており、以下の区域への通話は市外局番不要かつ市内通話料金が適用される。なお、小浜MAも同じ市外局番(市内局番は50 - 79)であるが、MAが異なるため、市外局番が必要。

なお、西日本電信電話による級局区分は、2級局である。

教育

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大学

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高等学校

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中学校

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括弧内は所在地と2018年度の生徒数

  • 敦賀市立粟野中学校(金山:652人)
  • 敦賀市立気比中学校(清水町一丁目:406人)
  • 敦賀市立松陵中学校(松葉町:531人)
  • 敦賀市立角鹿中学校(角鹿町:148人)
  • 敦賀市立東浦中学校(杉津:13人)
  • 学校法人嶺南学園

小学校

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括弧内は所在地と2018年度の児童数。

幼稚園

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  • 敦賀市立敦賀北幼稚園(曙町)
  • 敦賀市立松陵幼稚園(平和町)
  • 学校法人早翠学園
    • 早翠幼稚園(本町一丁目)
    • 第二早翠幼稚園(市野々)
  • 学校法人栄光学園
    • 敦賀教会幼稚園(本町二丁目)

交通

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敦賀駅
敦賀港
金ヶ崎緑地

陸上交通では、京都米原舞鶴福井の四方との結節点となっている。また、海上交通では北海道への貨客フェリーが就航するほか、国際貨物航路も就航するなど物流の結節点となっている。

鉄道路線

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西日本旅客鉄道(JR西日本)
ハピラインふくい

バス

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一般路線バス

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高速路線バス

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道路

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高速道路

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中日本高速道路
  • E8北陸自動車道
  • E27舞鶴若狭自動車道

国道

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福井県道

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主要地方道
一般県道

港湾

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  • 敦賀港
  • 浦底漁港
  • 立石漁港
  • 白木漁港

国内航路

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  • 新日本海フェリー
    • 敦賀港 - 苫小牧東港(直行便)
    • 敦賀港 - 新潟港 - 秋田港 - 苫小牧東港(寄航便)
  • 近江トラベル(オーミマリン
    • 水島への渡し船(夏季のみ)[36]
      • 色ヶ浜 - 浦底 - 水島 - 色ヶ浜
      • 色ヶ浜 - 浦底 - 水島 - 浦底 - 色ヶ浜
      • 色ヶ浜 - 水島 - 色ヶ浜

観光

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氣比神宮
気比松原
金ヶ崎緑地敦賀港
旧敦賀港駅舎
敦賀赤レンガ倉庫

景勝地

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名所・旧跡

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主な城郭・館
主な神社
主な寺院
主な遺跡
主な史跡等

観光スポット

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敦賀港周辺・博物館
その他
原子力発電広報施設
  • 日本原子力研究開発機構 - アクアトム(神楽町二丁目、運営停止中)、アトムプラザ(木崎)、エムシースクエア(白木一丁目、運営停止中)
  • 日本原子力発電 - 敦賀原子力館(明神町)、げんでんふれあいギャラリー(本町二丁目)
  • 福井県 - 福井原子力センターあっとほうむ(吉河)

文化・名物

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祭事・催事

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名産・特産

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特産品
  • コンブ加工 - 古代より蝦夷から運ばれて来た板昆布は、敦賀湊で陸揚げされ、琵琶湖を通じて京、大坂へ送られた。また出汁昆布、おぼろ昆布、とろろ昆布などに加工され、現在でも、全国の80%以上を生産している。
    • 昆布巻 - 同じく蝦夷から運ばれて来たニシンを芯に、昆布で巻き炊く。
    • 求肥昆布
  • ニシン寿司(麹漬け) - 蝦夷から運ばれて来たニシンを使用した熟れ寿司。
  • かまぼこ
  • ちくわ
  • へしこ- サバやイワシの糠漬け(熟れ寿司)。
  • 小鯛(レンコダイ)の笹漬け - かつて、ヒカワ食品(公文名)が、を製造していた。現在は、オオハシ(市野々町一丁目)[39]が製造。
  • 水仙まんじゅう(くずまんじゅう)
  • 豆落雁
  • 堅パン
名物

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  • 水前寺清子敦賀とてもすきすき」(1969年6月1日)- 水前寺清子の27枚目のシングルとして発売された。敦賀港開港70周年を記念して作られた。現在でも敦賀まつりの民謡の夕べにて踊られている。令和4年7月1日には福井県立敦賀高等学校生徒の森野巧巳[40][41][42][43]によって、福井県初の高校生によるNPO法人、「特定非営利活動法人とても敦賀すきすき[44]」という民謡保存・継承団体も設立された。
  • 水前寺清子「敦賀ばやし」(1969年6月1日)- 敦賀とてもすきすきのB面に収録された。阿波踊りのような踊りが振り付けられている。
  • 伊藤久男大敦賀行進曲」(1936年1月)- 敦賀の名士・宇野泰三が自費でマスダ(レコード屋)に敦賀の新民謡を作ることを依頼し、マスダからコロムビアレコードへ委託された。当時敦賀にあった「敦賀座」には実際に伊藤久男が来ている。また、B面には音丸「滿洲想へば」が配され、ヒットした。
  • 塩原秩峰 南地おせん「敦賀みなと音頭」(1934年4月) - B面には結城浩 南地おせん「敦賀みなと音頭(B)」が配されている。
  • 春日八郎 下谷二三子気比音頭」(1960年6月)- 北陸トンネル開通記念に発売された。
  • 三橋美智也トンネル節」(1960年6月)- 気比音頭のB面に収録された。三橋美智也「懐しの高原」のB面にも収録されている。
  • 北島三郎あゝ水戸浪士」(1966年7月10日) - 北島三郎の46枚目のシングルとして発売された。敦賀市・水戸市姉妹都市提携1周年記念歌として作られた。
  • 北島三郎 葵ひろ子「松原音頭」(1966年7月10日) - あゝ水戸浪士のB面に収録された。「オモシェーナ」という敦賀弁も見られる。
  • 黒木曜子「敦賀ブルース」(1954年6月) - 青木光一 神楽坂玉枝「福井ばやし」と共に描かれている団扇が存在する。
  • 五木ひろし「敦賀・恋歌・港歌」(1999年1月21日) - 五木ひろしの89枚目のシングルとして発売された。敦賀港開港100周年イメージソングとして作られた。
  • 香西かおり「居酒屋「敦賀」」(2005年4月27日) - 香西かおりの25枚目のシングルとして発売された。
  • 森野巧巳復興敦賀音頭」(1947年5月3日選定) ‐戦災から復興する際の意氣を高めようと敦賀市公民館によって選定された曲である。レコード化はされておらず、幻の曲となっていたが、市民有志による団体「復興敦賀音頭を育む会」によって、北陸新幹線開業記念事業の一貫として復活させられ、同会からの依頼を受け、特定非営利活動法人とても敦賀すきすき 理事長 森野巧巳氏が吹き込んだ。

文学

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出身関連著名人

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出身著名人

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ゆかりのある人物

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脚注

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注釈

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  1. ^ 日本最長といわれる大阪の天神橋筋商店街アーケードが2.6km

出典

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  1. ^ a b c 滋賀県のはじまり (PDF) - 滋賀県
  2. ^ 敦賀県廃止、越前国敦賀郡並びに若狭国を滋賀県へ編入の件 (PDF) - 滋賀県歴史的文書【明い81(3)】
  3. ^ a b c 若狭・越前四郡離脱に関する建議書 (PDF) - 滋賀県歴史的文書【明お76合本5(31)】
  4. ^ 高浜虚子の句 - 越前敦賀和菓子処 紅屋
  5. ^ 日本海に面していた滋賀県(1880年当時の滋賀県全図)
  6. ^ 福井新聞 2006年3月2日付記事[リンク切れ]
  7. ^ 福井新聞 2006年3月6日付記事[リンク切れ]
  8. ^ 辻川, 哲朗「運河計画① — 平清盛以来?の夢」『産経新聞産業経済新聞社、2008年11月2日、滋賀、20面。
  9. ^ “敦賀湾と琵琶湖つなぐ運河を検討 自民党福井県連が会を設立へ”. 福井新聞. (2016年9月4日). http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/society/103768.html 
  10. ^ 平年値ダウンロード”. 国土交通省気象庁. 2021年6月閲覧。
  11. ^ 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 国土交通省気象庁. 2021年6月閲覧。
  12. ^ 敦賀の由来となった角鹿(つぬが)のこと - 敦賀市立角鹿中学校
  13. ^ 門井直哉「近江・越前間の古代北陸道の変遷について」『福井大学地域環境研究教育センター研究紀要 「日本海地域の自然と環境」』第11号、福井大学地域環境研究教育センター、2004年、35-44頁、ISSN 1343-084X2020年4月22日閲覧 
  14. ^ 『読売新聞』2002年3月6日朝刊朝W1面18頁「[情報ランド]古戦場」(読売新聞東京本社)
  15. ^ 『読売新聞』2015年4月26日朝刊福井面33頁「天狗党の無念 冊子に 150年記念 敦賀入りの経緯解説=福井」(読売新聞大阪本社)
  16. ^ 県政史料室へようこそ(歴史的文書) - 滋賀県(日本海に面した滋賀県の地図)
  17. ^ 『読売新聞』1882年3月10日朝刊行政面1頁「敦賀-柳ヶ瀬山間及び長浜-柳ヶ瀬間で汽車運転を開始/工部省」
  18. ^ 『東京朝日新聞』1896年7月14日朝刊1頁「敦賀福井間鉄道落成」(朝日新聞東京本社)
  19. ^ 『東京朝日新聞』1896年10月4日朝刊1頁「開港外貿易港」(朝日新聞東京本社)
  20. ^ 『読売新聞』2016年10月22日朝刊福井面27頁「旧大和田銀行 国重文に 文化審答申 本店本館 西欧の古典意匠=福井」(読売新聞大阪本社)
  21. ^ 「敦賀地方に十余年ぶりの豪雨」『大阪毎日新聞』1930年(昭和5年)7月10日福井版(昭和ニュース事典編纂委員会『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p.557 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  22. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、74頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  23. ^ 『読売新聞』2007年12月11日朝刊福井麺35頁「「命のビザ」で敦賀上陸 ユダヤ難民の足跡、冊子に 市民28人聞き取り=福井」(読売新聞大阪本社)
  24. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』p.98
  25. ^ a b 都市交流 - 水戸市
  26. ^ 『読売新聞』2008年10月18日朝刊福井面25頁「韓国・東海の使節団、敦賀市長を表敬訪問 「観光物産フェア」出展=福井」(読売新聞大阪本社)
  27. ^ 『読売新聞』2001年5月10日朝刊福井2面26頁「韓国・東海市へ敦賀市民の船を運航 市が参加者を募集=福井」(読売新聞大阪本社)
  28. ^ 『読売新聞』2001年9月14日朝刊福井面31頁「敦賀市と中国・台州市 姉妹都市提携へ 11月に調印式=福井」(読売新聞大阪本社)
  29. ^ 『読売新聞』2005年9月11日朝刊福井面33頁「敦賀市が男女共同参画宣言 県内3番目 公的機関に女性積極登用=福井」(読売新聞大阪本社)
  30. ^ 『読売新聞』2006年9月25日朝刊福井面26頁「JR西日本、直流切り替え完了 敦賀=福井」(読売新聞大阪本社)
  31. ^ 『読売新聞』2006年10月21日朝刊夕一面1頁「大阪―敦賀間に新快速 1時間58分で結ぶ JR西日本が直通運転」(読売新聞大阪本社)
  32. ^ 『読売新聞』2008年11月16日朝刊福井面29頁「国道8号「敦賀バイパス」全線開通 渋滞、騒音緩和へ=福井」(読売新聞大阪本社)
  33. ^ 2011年敦賀市長選挙では原発事故が争点となった。
  34. ^ MSN産経ニュース、2009年12月5日付
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  36. ^ a b 透明な海水と白砂が魅力の海水浴場敦賀『水島』のご案内 - オーミマリン
  37. ^ 夷子大黒綱引き、歴史感じて 敦賀市立博物館で古衣装など9点展示 産経ニュース2018年1月19日付
  38. ^ 花換まつり - 金崎宮
  39. ^ オオハシ
  40. ^ 先人の想いを胸に、民謡の輪を未来へ紡ぐ。NPO法人「とても敦賀すきすき」の森野巧巳さん(敦賀市)【こたかな福井びと】”. ふーぽ (2024年3月20日). 2024年5月9日閲覧。
  41. ^ 森野巧巳 - 2024年5月2日閲覧。
  42. ^ 福井県初の高校生NPO、敦賀市の民謡踊りを継承 講習会や祭り参加「残しにくいものを残したい」 | 催し・文化 | 福井のニュース”. 福井新聞ONLINE. 2024年5月9日閲覧。
  43. ^ 昭和歌謡大好き高校生 廃れる「新民謡」守りたくて打った手”. 毎日新聞. 2024年5月9日閲覧。
  44. ^ 特定非営利活動法人とても敦賀すきすき | NPO法人ポータルサイト - 内閣府”. www.npo-homepage.go.jp. 2024年5月10日閲覧。
  45. ^ 外岡慎一郎『大谷吉継』戎光祥出版、2016年、79頁。ISBN 978-4864032186 
  46. ^ 『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。ISBN 9784642014588 
  47. ^ 野老朝雄さんデザインが敦賀に 東京五輪公式エンブレム作家 福井新聞ONLINE 2016年4月27日
  48. ^ 敦賀のタクシー会社:脱原発議員の配車拒否し謝罪 毎日新聞 2014年1月15日

外部リンク

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