安倍晴明

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安倍晴明
Abe Seimei.jpg
安倍晴明(菊池容斎・画、明治時代)
宗教 陰陽道
個人情報
生誕 921年
死没 1005年(83–84歳)
地位
本拠地 京都
肩書き 陰陽師、天文博士、播磨守
経歴
地位 従四位下
安倍晴明の像(京都市・晴明神社)

安倍 晴明(あべ の せいめい/ はるあき/ はるあきら、延喜21年1月11日[1]921年2月21日〉 - 寛弘2年9月26日1005年10月31日〉)は、平安時代陰陽師。「晴明」を「せいめい」と読むのは有職読みであり、本来の読み方は確定していない。鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏土御門家)の祖。官位は従四位下播磨守

史実上の人物像[編集]

出自[編集]

晴明の系譜は明らかでないが、大膳大夫・安倍益材(あべのますき)[2]あるいは淡路・安倍春材[3]の子とされる。

各種史書では『竹取物語』にもその名が登場する右大臣阿倍御主人の子孫とする[2][3]。ほかに、阿倍仲麻呂の子孫とする説話[4]、あるいは、一部の古文書では安倍朝臣晴明ではなく安倍宿禰晴明と記載されるものが散見されること、また当時は「朝臣」を「宿禰」の上位に厳格に位置づけており、朝臣姓の子孫が宿禰姓となることは考えにくいことから、阿倍御主人の子孫である安倍朝臣姓の家系ではなく、同じく阿倍氏の一族である難波氏(難波吉士、のち忌寸、宿禰)の末裔ではないかとする説もある。

経歴[編集]

921年(延喜21年)に摂津国阿倍野(現・大阪市阿倍野区)に生まれたとされる。また、生地については、奈良県桜井市安倍とする伝承もある。幼少の頃については確かな記録がないが、陰陽師賀茂忠行保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授されたという。加茂氏の門下生であり、のちに両家は二大陰陽家となる[5]

948年(天暦2年)大舎人。960年(天徳4年)40歳で天文得業生(陰陽寮に所属し天文博士から天文道を学ぶ学生の職)であった晴明は村上天皇に占いを命ぜられており、出世は遅れていたが占いの才能は既に貴族社会で認められていたことが伺える。50歳頃、天文博士に任ぜられる。貞元2年(977年)、保憲が没した頃から陰陽道内で頭角を現す。陰陽寮を束ねる陰陽頭に就任することは無かったが、位階はその頭よりも上位にあった[6]

979年(天元2年)、59歳の晴明は当時の皇太子師貞親王(後の花山天皇)の命で那智山天狗を封ずる儀式を行う。

このころから花山天皇の信頼を受けるようになったらしく、記録にしばしば晴明が占いや陰陽道の儀式を行った様子が見られるようになる。花山天皇の退位後は、一条天皇藤原道長の信頼を集めるようになったことが、道長の日記『御堂関白記』などの当時の貴族の日記から覗える。そのほか、『小右記』によると、正暦4年(993年)2月、一条天皇が急な病に伏せった折、晴明が禊(みそぎ)を奉仕したところ、たちまち病は回復したため正五位上に叙された。また、『御堂関白記』によると、寛弘元年(1004年)7月には深刻な干魃が続いたため晴明に雨乞いの五龍祭を行わせたところ雨が降り、一条天皇は晴明の力によるものと認め被物(かずけもの)を与えたことなどが記されている[7]

陰陽師として名声を極めた晴明は、天文道で培った計算能力をかわれて主計寮に異動し主計権助を務めた[8]。その後、左京権大夫穀倉院別当、播磨守などの官職を歴任し、位階従四位下に昇った。さらに晴明の2人の息子安倍吉昌安倍吉平が天文博士や陰陽助に任ぜられるなど、安倍氏は晴明一代の間に師である忠行の賀茂氏と並ぶ陰陽道の家としての地位を確立した。

伝承の人物像[編集]

疫病神退治をする安倍晴明(泣不動縁起より)

現代では『蘆屋道満大内鑑』による人物像が定着しているが、平安時代では最先端の学問(呪術科学)であった「天文道」や占いなどを、体系としてまとめた思想としての陰陽道に関して、卓越した知識を持った陰陽師ともいわれ、当時の朝廷や貴族たちの信頼を受け、その事跡は神秘化されて数多くの伝説的逸話を生んでいった。蘆屋道満に代表される道摩法師とはライバル関係にあった。

晴明が死んだ11世紀の内に、早くも晴明は神秘化されていった。歴史物語の『大鏡』『十訓抄』や説話集の『今昔物語集』『宇治拾遺物語』はいくつかの晴明に関する神秘的な逸話を載せる。

後世に陰陽道の経典となる秘伝書『簠簋内伝』(別名『金烏玉兎集』)の著者に仮託されている。実際の晴明の著作としては土御門家に伝わった占事略决がある。

他にも『源平盛衰記』『北条九代記』『古事談』などがある[9]

奉祀[編集]

晴明神社(京都市上京区)
安倍晴明神社(大阪市阿倍野区)
名古屋晴明神社(名古屋市千種区)
安倍文殊院(奈良県桜井市)
安倍晴明が陰陽道の修行をした場と伝えられる。
安倍晴明像(安倍晴明神社・大阪市)

墓所は京都嵯峨にあり、渡月橋の近くにひっそりと眠っている。

安倍晴明を祀る神社は、屋敷跡に建てられたという一条戻橋近くの晴明神社や、生誕地とされる大阪市阿倍野区に建てられた安倍晴明神社、東国では数少ない晴明ゆかりの社立石熊野神社、尾張で毒蛇退治をした際に居住していた屋敷跡の名古屋晴明神社など全国各地に存在する。

後世の陰陽師が、晴明にあやかろうと信仰したため、日本各地に晴明塚といわれるを建立し、祀った。

詳しくは「安倍晴明の所縁」の項目を参照

安倍晴明が登場する作品,古典[編集]

平安・中世文学[編集]

『大鏡』[編集]

帝紀『花山天皇』
花山天皇が帝位を捨てて出家しようとした時、晴明は天文を見てそれを察知し、式神(十二天将)を使って朝廷に急報しようとしたが、ちょうどその時天皇は寺に向かっているところだった。

『今昔物語集』[編集]

『安部晴明随忠行習道語』
  1. 晴明が幼少の頃、賀茂忠行の夜行に供をしている時、夜道に鬼の姿を見て忠行に知らせた。忠行は晴明が優れた才能を持つことを悟り、陰陽道のすべてを教え込んだ。
  2. 陰陽道の大家となった晴明は、ある時播磨国から来た陰陽師(後述)に術比べを挑まれたが、いともたやすく懲らしめた。
  3. 仁和寺寛朝僧正のところで、同席した公卿達に陰陽道の技でカエルを殺してみせるようにせがまれ、術を用いて手を触れずにカエルを真平らに潰した。
  4. 晴明の家では式神を家事に使っており、人もいないのに勝手に門が開閉していた。
『播磨国陰陽師智徳法師語』
播磨国の陰陽師、智徳法師が方術で海賊を捕らえた物語だが、末尾に「智徳はこれほど優れた陰陽師でありながら晴明にはかなわなかった」と記されているので、前の物語に登場した播磨の陰陽師は彼のことだとわかる。

『宇治拾遺物語』[編集]

『晴明蔵人少将封ずる事』
晴明がある時、カラスに糞をかけられた蔵人少将を見て、カラスの正体が式神であることを見破り、少将の呪いを解いてやった。
『御堂関白の御犬晴明等奇特の事』
藤原道長が可愛がっていた犬が、ある時主人の外出を止めようとした。驚いた道長が晴明に占わせると、晴明は式神の呪いがかけられそうになっていたのを犬が察知したのだと告げ、式神を使って呪いをかけた陰陽師を見つけ出して捕らえた。十訓抄にも同様の記述あり。

『平家物語』[編集]

『剣巻』
貴船神社に祈願し鬼となった橋姫の腕を渡辺綱が切り落とし、晴明が封印した。
剣巻を元に制作されたの演目『鉄輪』にもワキとして登場する。

近世[編集]

人形浄瑠璃歌舞伎蘆屋道満大内鑑』 (通称「葛の葉」)
『蘆屋道満大内鑑』を始めとして、葛の葉伝承を題材とする作品には、多くの場合安倍晴明が登場する。
これらの作品では父を安倍保名という人物、母を葛の葉という狐としている。
葛の葉を題材とする作品を参照。

現代[編集]

小説[編集]

漫画[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

演劇[編集]

ゲーム[編集]

アニメ[編集]

晴明を演じる羽生結弦(2015年GPファイナル

『SEIMEI』[編集]

夢枕獏原作の劇場版『陰陽師』のサウンドトラックを用いた羽生結弦フリースケーティング用プログラム。「外国人が見ても通じる和の世界観」に挑んだもので、振り付けはカナダ人のシェイ=リーン・ボーンによる。
2015年11月開催の「NHK杯国際フィギュアスケート競技大会」において、ISUジャッジングシステムのもとに開催された国際大会で史上初の200点超えとなる、216.07点の世界最高得点を記録した[10][11]。さらに2週間後にバルセロナで開催された「ISUグランプリファイナル」において219.48点をマーク。2度にわたり世界記録を更新し、フィギュアスケートの歴史を塗り替えたプログラムとなった[12]

安倍晴明の所縁[編集]

陰陽道[編集]

  • 天社土御門神道 - 現在に残る安倍家陰陽道。
  • セーマンドーマン - 現在に残る陰陽道の名残ともいわれる咒であるが、五芒星と九字が描かれていることから、安倍晴明の吉祥紋であり、蘆屋道満安倍家陰陽道の名残ではないかと言われている。

寺社[編集]

  • 晴明神社(京都府京都市上京区晴明町806番地)- 一条戻橋のたもと(北西)にあった晴明の屋敷跡に鎮座する、安倍晴明を祭神として祀る神社。境内には、晴明公が念力により湧出させた井戸「晴明井」があります。[13]
  • 稲住神社(京都府京都市下京区梅小路石橋町97-1)- 土御門家の祖といわれる安倍晴明を祭神とする神社です。境内には奥に本社、手前に魔王尊社があります。
  • 神泉苑(京都府京都市中京区門前町166)- 平安時代、「神泉苑」は日照りが続いた時、雨が降る祈りの儀式が行われる場所でした。
  • 遍照寺(京都府京都市右京区嵯峨広沢西裏町14)- 「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」の中に、安倍晴明による「遍照寺」での出来事が記されています。
  • 真如堂(京都府京都市左京区浄土寺真如町82)- 真如堂で晴明が死んだとき、不動明王像が現れ「この者はまだ死ぬべき定めにない」と訴えたために、閻魔大王から「生き返った後、人々を救うために使いなさい」と五芒星の印判「決定往生の秘印」を受け取り、この世に蘇ったと伝えています。
  • 清浄華院(京都府京都市上京区寺町通広小路上る北之辺町395)- 泰山府君の法を使う安倍晴明の説話「泣き不動縁起」の舞台となった寺院。
  • 安倍文殊院 (奈良県桜井市阿部645) - 境内にある「安倍晴明堂」は、かつて晴明が天文観測をしていたと伝えられることから建立されました。同じく境内にある金閣浮御堂は、安倍一族を奉る御堂で、中には安倍仲麻呂公像や安倍晴明公像が秘像として奉られています。
  • 吉水神社 (奈良県吉野郡吉野町吉野山) - 吉水神社境内にある北闕門には、安倍晴明と芦屋道満に由来するセーマン(五芒星)とドーマン(九字切印)の踏み石があり、「九字真法」の作法で邪気払いができる。
  • 安倍晴明社 (和歌山県田辺市龍神村殿原1025)- 恩行司の川底で神秘の光を放つ玉石を村人が拾い上げ、これを晴明のご神体であると考え、谷口の里に祠を建て「安倍晴明大明神」と祀り、親しんでいるのだそうです。
  • 熊野速玉大社(和歌山県新宮市新宮1番地) - 
  • 熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1)- 花山法皇が那智に籠ったとき、天狗が様々な妨害をしたので、呼び寄せた安倍晴明により、二柱の式神をもって魔物たちを岩屋に狩り籠めたと『源平盛衰記』(巻第三)に記述されています。
  • 阿倍王子神社 (大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町9-4) - 境内末社「葛の葉稲荷神社」に「葛之葉稲荷大神」として安倍晴明が祀られています。
  • 安倍晴明神社 (大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町5-16) - 安倍晴明神社は「阿倍王子神社」の境外末社。社務所内に「占い相談コーナー」も設けている。[14]
  • 泰名稲荷神社 (大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町5-16) - 泰名稲荷神社は「安倍晴明神社」の境内末社。安倍晴明の父親の名前を冠した神社。
  • 聖神社 (大阪府和泉市王子町919) - 安倍晴明の母親であるとされた九尾の狐・葛の葉がいたという「信太の森」は、この神社の杜を指す。
  • 信太森葛葉稲荷神社 (大阪府和泉市葛の葉町1丁目11-47) - 「葛の葉物語」の舞台となった場所で、清明の母・白狐が住んでいたと伝えられる。
  • 安倍神社(岡山県浅口市鴨方町小坂東字阿部山)- 安倍晴明がかつて居住したとされる阿部山の山頂付近に鎮座している。
  • 清明大権現の祠(岡山県浅口市鴨方町小坂東字阿部山)- 安倍晴明がかつて居住したとされる阿部山の「安倍清明屋敷跡」近くにある。
  • 冠纓神社 (香川県高松市香南町由佐) - 安倍晴明が神主をしていたという伝承がある神社。この地が出生地との伝承がある。
  • 石神神社 (三重県鳥羽市相差1237) - 石神神社は、神明神社の摂社。女性の願いを一つだけかなえてくれる、セーマン・ドーマンで有名。
  • 名古屋晴明神社 (名古屋市千種区清明山1丁目6番地) - 987年(寛和3年)安倍晴明がこの地(尾張国狩津荘上野邑)に在住していたと伝わる。
  • 上野天満宮 (名古屋市千種区赤坂町4-89) - 京都を追われた花山天皇に仕えていた安倍晴明一族の一部が、この地に移り住み、自らの境遇と照らして菅原道真公の心情を儚く思い「上野天満宮」を建立したとあります。
  • 日吉神社 (愛知県海部郡蟹江町学戸2丁目) -
  • 晴明神社 (愛知県岡崎市本町通3丁目5番地) - 平安朝の頃、安倍晴明公が諸国遊歴の折、この地にこられ居を構え、陰陽術を伝えられました。[15]
  • 晴明神社 (愛知県岡崎市唐沢町7番地) - 安倍晴明公が諸国巡礼中に当地唐沢に居住との伝承があり、晴明屋敷と呼ばれていました。
  • 福王寺(静岡県磐田市城之崎)- 境内の「晴明堂」に安倍晴明権現として祀られ毎年3月8日に風祭りの行事がある。[16]
  • 水神宮 (静岡県掛川市横須賀) - 安倍晴明が勧請したといういい伝えがある神社。
  • 晴明神社(福井県敦賀市相生町8)- 安倍晴明が陰陽道の研究に使った御神体の「祈念石」が拝殿内にがあり拝観できる。その祈念石には「六芒星」が描かれている。
  • 賀茂神社(福井県福井市賀茂町7-1)- 遠祖賀茂氏(陰陽師安倍晴明の師匠)より伝えられし守札の秘伝書により「自己祓用の陰陽串」や慎重に謹製した「300種以上の特別調整守札」を授与している。
  • 五方山熊野神社(東京都葛飾区立石8丁目44-31)- 東国では数少ない晴明の所縁の神社。安倍晴明がこの地に立ちよった際、神社の中川によって作られたこの土地を清浄なる聖地として選び、境内を正五角形に造設、熊野三社を勧請した。[17]
  • 晴明稲荷(千葉県銚子市飯沼町2)- お社は道路の中央分離帯に建立されている。明和元年(1764年)旧飯沼村の森田家により建立されたものである。
  • 明王山真福寺(千葉県銚子市親田町767)- 境内にある「晴明堂」は、安倍晴明に恋をした「延命姫」が、身投げした「通蓮坊」に元々あったものを移設した。
  • 賀茂大明神(千葉県銚子市親田町669)- 
  • 鹿島神宮(茨城県鹿嶋市宮中2306-1)- 安倍晴明が鹿島神宮にいるとき、カラスが天皇の病気の事を噂話しているのを耳にして、天皇の病気の原因が御所の寝殿を造営する時に、鬼門(東北)の方角の柱の下に蛙と蛇が閉じこめられていまだに争いつづけていると知り京に急ぎ戻り、天皇に進言し天皇の病気を治した。
  • 葛葉稲荷(茨城県筑西市猫島)- 茨城新聞社編集/昭和書院発行の『茨城の伝説』という本に記述されていますが、存在が確認できません。
  • 福島稲荷神社(福島県福島市宮町1番29号)- 安倍晴明が詔を奉じて奥羽下向の際、吹島の里(後に福島と改む)に社を建て、豊受比売大神を勧請し、総鎮守としました。
  • 羽黒山真浄院(福島県福島市清明町6-17)- 朝廷は安倍晴明と蘆屋道満の二人を東奥(福島)に遣わして、悪さをする杉の精を封じ祀りました。その功を称え、境内に晴明塚が建てられました。

由緒地[編集]

  • 一条戻橋 (京都府京都市上京区堀川下之町)- 「戻橋」の下に、晴明は大きな石櫃を隠していました。中には晴明が操る式神十二神将がいて、晴明の命令に従っていたと言われています。
  • 笠塔山 (和歌山県田辺市龍神村殿)- 笠塔山の妖怪を、安倍晴明が退治する伝承があります。
  • 猫又滝 (奈良県吉野郡十津川村折立)- 笠塔山で里人や通行人に悪さをする妖怪に、安倍晴明が「妖怪降伏の護摩を焚き」祈祷により猫又滝に妖怪を封じました。
  • 阿部山 (岡山県浅口市) - かつて安倍の屋敷があり、天文観測を行ったとされる場所。
  • 安倍清明屋敷跡(岡山県浅口市鴨方町小坂東字阿部山)- 安倍晴明がかつて居住した阿部山にある。
  • 清明の井(福岡県太宰府市朱雀4丁目18-55)- 陰陽師の安倍晴明が開いたと伝えられる井戸
  • 晴明塚(愛知県あま市新居屋清明19番地)- 安倍晴明がこの地を通った時、田の雑草に百姓が困っていることを知りその害を除く祈祷を行ったという伝承地。
  • 晴明塚(愛知県海部郡蟹江町蟹江新町上之割27)- 安倍晴明が火伏せの祈祷を行った場所とされ、その時に用いた刀や法螺貝を埋めた場所と伝えられる。教育委員会の説明板が立っている。
  • 晴明井戸(愛知県名古屋市西区城町84)- 安倍晴明が十文字と鯉の形をした木を沈めて祈祷をして、湧出させたという井戸の伝説がある。平田城址の説明板の横にある。
  • 阿寺の七滝(愛知県新城市下吉田沢谷下25-3)- 陰陽師の安倍晴明が若年期に滝で修行したという伝説が残る地です。
  • 晴明塚 (静岡県掛川市大渕) - 安倍晴明が津波被害の話しを聞き、あずき色の小石を積み上げて祈祷し、以後この村だけ津波の被害がなくなった。
  • 硯水の井戸(静岡県掛川市大渕)- 
  • 喜八河戸(岐阜県揖斐郡藤橋村東横山地内)- 安部晴明が諸国巡遊の途中、当村の住人喜八の家に宿した折、湧き出る清水の効力を褒めた現存する井戸。
  • セーメーバン(山梨県大月市)- 安倍晴明に由来するという伝承のある山。
  • 高松家(茨城県筑西市猫島)- 高松家の私有地内に氏神として「晴明神社」が祀られる。敷地内には「晴明井戸」もあるが、神社、井戸とも非公開

生誕地[編集]

  • 晴明公産湯井の跡(大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町5-16)- 安倍晴明が生まれたとき産湯に使った井戸が「安倍晴明神社」の境内にある。
  • 大和国十市郡桜井の安部(奈良県桜井市阿部)- 安部一族発祥の地とされ、安倍晴明もこの地に誕生したと伝わる。
  • 晴明橋公園(茨城県筑西市猫島762)- 「簠簋抄(ほきしょう)」に書かれた「簠簋内伝」の由来に、ここ猫島に安倍晴明誕生の伝承が記されています。公園内に「安倍晴明生誕の地」の石碑があります。
  • 讃岐国香川郡由佐(香川県高松市香南町)- 丸亀藩の公選地誌「西讃府志」によれば、安倍晴明が讃岐国香川郡由佐に生まれたとされています。

墓所[編集]

  • 安倍晴明墓所(京都府京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町12)- 安倍晴明は寛弘2年(1005年)9月26日に85歳で亡くなり、嵯峨野の「塔頭・寿寧院」に葬られたと伝わっています。荒廃していたため、1972年に晴明神社、天社土御門神道の協力の下、晴明神社奉賛会により神道式に改修・建立されて、現在晴明神社の飛び地境内として管理されている。
  • 法城寺大黒堂(京都府京都市東山区)- 五条大橋の北にある中州に建てられたが度重なる鴨川の氾濫により滅失する。その後「法城山晴明堂心光寺」(三条大橋東)に「晴明塚」として移設再興されたが遺失。
  • 東山区松原通宮川筋入ル(京都府京都市東山区宮川筋)- 「法城寺大黒堂」にあった遺骨を、鬼門封じのためこの地に埋葬したとの伝承がある。
  • 遣迎院の南にある竹藪(京都府京都市東山区本町19丁目)- 安倍晴明は東福寺門前の本町通に屋敷を構え、かつてその近くの遣迎院の南にある竹藪に墓所が存在していたと伝わるが現存しない。
  • 晴明霊墳(岡山県浅口市金光町占見宮東)- 「晴明霊墳」の石碑は、明治22年建立とある。この「晴明霊墳」碑から500mほど東の荒神社の隣に「道満」碑も鎮座する。
  • 安倍晴明墓所(長野県木曽郡木曽町新開)- 長野県木曽町にある安倍晴明のお墓には、晴明の像と安倍家の家紋である「晴明桔梗印」(五芒星)が記されています。

天体[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年、369頁。また卒年85歳(「安倍氏系図」(『続群書類従』巻第170 所収)による)とも一致する。
  2. ^ a b 「安倍氏系図」(『続群書類従』巻第170 所収)、『尊卑分脈』、『諸家知譜拙記』
  3. ^ a b 鈴木真年『百家系図稿』巻5,安倍(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年 による)
  4. ^ 江戸時代に成立した説話「安倍仲丸転生記」(著者不詳)および講談本「神道講釈安倍晴明」(旭堂南陵の口演を速記したもの)。
  5. ^ 山下克明「安倍晴明」/ 小野一之・鈴木彰・谷口榮・樋口州男編 『人物伝小辞典 古代・中世編』 東京堂出版 2004年 11ページ
  6. ^ 山下克明「安倍晴明」 / 小野一之・鈴木彰・谷口榮・樋口州男編 『人物伝小辞典 古代・中世編』 東京堂出版 2004年 11ページ
  7. ^ 山下克明「安倍晴明」 / 小野一之・鈴木彰・谷口榮・樋口州男編 『人物伝小辞典 古代・中世編』 東京堂出版 2004年 12ページ
  8. ^ これは当時の陰陽師の最高位が七位であったことから、晴明を六位以上に昇進させるための措置であったとも考えられる
  9. ^ 蛇蔵海野凪子『日本人なら知っておきたい日本文学』(幻冬舎2014年)p.057。
  10. ^ 羽生結弦、新採点方式で究極の点数へ。男子フィギュアの劇的進化を振り返る。
  11. ^ 羽生なりきった陰陽師 世界に「和」認めさせた
  12. ^ 「得点だけではない」。羽生結弦が世界最高のその先に目指すもの
  13. ^ “晴明神社(京都)のオフィシャルホームページ”. 晴明神社. http://www.seimeijinja.jp// 2017年9月1日閲覧。 
  14. ^ “安倍晴明神社(大阪)のオフィシャルホームページ”. 安倍晴明神社. http://abeouji.tonosama.jp/abeseimeijinja/ 2017年9月1日閲覧。 
  15. ^ “晴明神社(岡崎市本町)のオフィシャルホームページ”. 晴明神社. http://seimeijinja.com/ 2017年9月1日閲覧。 
  16. ^ “十八番札所 曹洞宗 風祭山 福王寺”. 遠州三十三観音霊場. http://enshu33.com/all-guide/福王寺/ 2012年4月18日閲覧。 
  17. ^ “五方山熊野神社(東京)のオフィシャルホームページ”. 五方山熊野神社. http://jinjya.kumano-kids.com// 2017年9月1日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]