ココ・B・ウェア
ココ・B・ウェア | |
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プロフィール | |
リングネーム |
"バードマン" ココ・B・ウェア ココ・ウェア スタッガー・リー スウィート・ブラウン・シュガー ブラック・ブルー・ブレイザー |
本名 | ジェームズ・ウェア |
ニックネーム | 黒い鳥人 |
身長 | 173cm |
体重 | 104kg(全盛時) |
誕生日 | 1957年6月20日(66歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 テネシー州 オビオン郡ユニオンシティ |
デビュー | 1978年 |
ココ・B・ウェア("Birdman" Koko B. Ware、本名:James Ware、1957年6月20日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テネシー州ユニオンシティ出身のアフリカ系アメリカ人。
全盛時は地元のテネシー地区やWWFを主戦場に活躍[1]。跳躍力を活かした空中殺法と陽気なキャラクターで子供ファンの支持を集めた[2]。
来歴
1978年、ジェリー・ジャレット(後のTNA創設者)とジェリー・ローラーが主宰するテネシー州メンフィスのCWAでデビュー[1]。以降も1980年代半ばまでCWAを主戦場に、ベビーフェイスとヒールの両方のポジションで活動。ミッドアメリカ・ヘビー級王座を通算6回獲得し[3]、ソニー・キング、ボビー・イートン、トミー・リッチ、オースチン・アイドル、ジミー・バリアント、ビル・ダンディーらと激闘を繰り広げた。覆面を被り、黒人マスクマンのスタッガー・リー(Stagger Lee)またはスウィート・ブラウン・シュガー(Sweet Brown Sugar)に変身したこともある。タッグではノーベル・オースチンとの黒人コンビ、プリティ・ヤング・シングス(Pretty Young Things、別名PYTエクスプレス)で活躍、NWA圏のダラスやフロリダにも遠征し、1985年2月にはジェイとマークのヤングブラッド兄弟からフロリダ地区のUSタッグ王座を奪取した[4]。
1986年にWWFと契約。バードマン(Birdman)のニックネームを与えられ、オウムのフランキー(Frankie)を帯同して入場するショーマン派のベビーフェイスとして売り出される[2]。1987年からはブッチ・リードとの黒人同士の抗争を展開し、3月29日のレッスルマニアIIIで決着戦が行われるも敗退[5]。以降もヒール勢相手のジョバーなど、主にミッドカード専門の前座要員となり、タイトルには縁がなかったものの1994年まで8年間にわたってWWFに在籍した[1]。
その間、1991年1月に当時WWFの日本での提携先だったSWSに初来日[6]。1992年からは、同じく空中戦を得意としていた "ザ・ロケット" オーエン・ハートをパートナーに、ハイ・エナジー(High Energy)を結成してタッグ戦線に進出[7]。ビバリー・ブラザーズ(ボウ・ビバリー&ブレイク・ビバリー)、マネー・インク(テッド・デビアス&IRS)、ヘッドシュリンカーズ(サムー&ファトゥ)などのチームと抗争した[8]。また、同時期にWWFとの提携を開始したメンフィスのUSWA(CWAの後継団体)にも参戦、ジェリー・ローラーやカマラとタイトルを争った[9]。
WWF退団後はインディー団体を転戦し、1995年6月にはニューイングランド地区のIWCCWでグレッグ・バレンタインを破り同団体認定のヘビー級王座を獲得。その後はセミリタイアしていたが、2000年代よりプロレスリング・ビジネスへのスポット参戦を再開。メンフィス周辺のインディー団体にレジェンドとして登場し、時折試合も行っている[1]。2005年10月には久々にWWEのリングに上がり、『Heat』の枠内にてロブ・コンウェイと対戦した[10]。2008年6月にはジェイク・ロバーツらWWF時代の仲間と共にTNAにも登場[11]。2009年4月、WWE殿堂に迎えられている[2]。
エピソード
- 1980年代後半にWWFを共にサーキットしたダイナマイト・キッドは、小柄な黒人選手であるココを「バックウィート」と呼んでいた。これは1930年代に製作されたアメリカのTVシリーズ『リトル・ラスカルズ』(日本では1960年代初頭に『ちびっこギャング』の邦題で放送)に登場する黒人の子供の名前である。バックウィート(Buckwheat)とは「そばの実」の意味で、黒人を指す隠語でもある。キッドには差別的な意思はまったくなく、ココもそのことを理解して、彼らの間でのみ通じるジョークとして受け入れていた。ある晩、ホテルのバーで酒に酔ったポール・ローマがココに向かってこの呼び名を叫び、叩きのめされたことがあるという[12]。
- 1993年1月11日にスタートしたWWEの看板番組『RAW』において、ココは初回放送のオープニング・マッチに出場している(結果は対戦相手のヨコズナに敗退)[13]。
- 1999年、ハイ・エナジーのパートナーだったオーエン・ハートがブルー・ブレイザーのギミックをヒール・バージョンで復活させていた際、覆面レスラーの"ブラック" ブルー・ブレイザー("Black" Blue Blazer)となってオーエンと対峙するというアングルが組まれた。オーエンの事故死により、このアングルは自然消滅している。
- リングネームの「B」はジム・ロスが付けたものであり、現在でもお互い友人であると語っている。
得意技
獲得タイトル
- NWAミッドアメリカ・ヘビー級王座:6回[3]
- NWAミッドアメリカ TV王座:1回[14]
- AWA南部タッグ王座:7回(w / ノーベル・オースチン×3、ボビー・イートン×2、スタン・レーン×1、ダッチ・マンテル×1)[15]
- WWE殿堂:2009年度(インダクターはホンキー・トンク・マン)[17]
- その他
- IWCCWヘビー級王座:1回
- RWFヘビー級王座:1回
脚注
- ^ a b c d “Koko B. Ware: Places”. Wrestlingdata.com. 2016年5月26日閲覧。
- ^ a b c “Koko B. Ware: Bio”. WWE.com. 2010年11月27日閲覧。
- ^ a b “NWA Mid-America Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月10日閲覧。
- ^ a b “NWA United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月10日閲覧。
- ^ “WWF WrestleMania III "Bigger! Better! Badder!"”. Cagematch.net. 2016年5月26日閲覧。
- ^ “The SWS matches fought by Koko B. Ware in 1991”. Wrestlingdata.com. 2016年5月26日閲覧。
- ^ “High Energy”. Online World of Wrestling. 2016年5月26日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Koko B. Ware in 1992”. Wrestlingdata.com. 2016年5月26日閲覧。
- ^ a b “USWA Unified World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月10日閲覧。
- ^ “WWE Heat #373”. Cagematch.net. 2016年5月26日閲覧。
- ^ “TNA Slammiversary 2008”. Online World of Wrestling. 2016年5月26日閲覧。
- ^ 『ピュア・ダイナマイト - ダイナマイト・キッド自伝』P206(2001年、エンターブレイン、ISBN 4-7577-0639-1)
- ^ “WWE Yearly Results 1993”. The History of WWE. 2013年1月15日閲覧。
- ^ “NWA Mid-America Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年5月26日閲覧。
- ^ “AWA Southern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年5月26日閲覧。
- ^ “USWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年5月26日閲覧。
- ^ “WWE Hall of Fame”. Online World of Wrestling. 2016年5月26日閲覧。