「声優」の版間の差分
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
41行目: | 41行目: | ||
=== ラジオドラマ時代 === |
=== ラジオドラマ時代 === |
||
[[1925年]](大正14年)3月、NHKの前身である社団法人東京放送局がラジオ放送を開始<ref>{{Cite web|url=https://ci.nii.ac.jp/naid/500000186018|title=創始期ラジオドラマとラジオドラマの「ことば」研究|accessdate=2021年2月14日|publisher=CiNii Articles - 国立情報学研究所}}</ref>。 |
|||
⚫ | |||
⚫ | そのわずか1か月後に『映画劇せりふ』の番組内で[[サイレント映画]]『大地は微笑む』のセリフ劇が放送された。このときの声の出演は[[新派劇]]俳優の[[井上正夫]]、女優の[[栗島すみ子]]などであった。専門職としてではないが、実質的に彼らが「日本で最初の声優」である<ref>[http://www12.ocn.ne.jp/~kanedoko/syh.htm “声優”の歴史をひもとく頁]「いにしへの声優列伝」内。</ref><ref group="注">ただし、これは無声映画作品に声をつけたものとして放送されており、本格的なラジオドラマとは質が異なる。</ref>。同年7月には舞台中継をスタジオで再現した『桐一葉』(出演:[[中村歌右衛門 (5代目)]]など)、さらに日本初の本格的な[[ラジオドラマ]]として『大尉の娘』(出演:井上正夫、[[水谷八重子 (初代)|水谷八重子]])が放送される。8月に小山内薫の演出、[[和田精]]の[[音響効果]]で放送された『炭鉱の中』とする説もある<ref>{{Cite web|title=炭坑の中|url=https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009060004_00000|website=テレビ60年 特選コレクション {{!}} NHKアーカイブス|accessdate=2021-02-11|language=ja|last=NHK}}</ref>。出演者の一人であった[[山本安英]]は後に東京放送劇団の指導者を務めている。 |
||
⚫ | 同年9月、東京放送局は声だけで演技を行う専門の俳優としてラジオドラマ研究生を公募。100名あまりの応募者のうち12名の女性が選ばれ、11月にラジオドラマ『太っちょう』に声をあてる。声優の歴史に関する多くの資料では彼女たちが「日本の声優第1号」とみなされている。この当時は新聞では「ラヂオ役者」と呼称していた{{Refnest|group="注"|後述するように『読売新聞』では1926年の時点で「声優」という言葉が使われていた。}}。初期のラジオドラマには[[汐見洋]]や[[東山千栄子]] |
||
同年8月、東京放送局にラジオドラマ研究会が設立される。[[長田幹彦]]、小山内薫、[[久保田万太郎]]、[[久米正雄]]、[[長田秀雄]]、[[吉井勇]]の6人を主要メンバーとした<ref>{{Cite web|title=春陽堂とラジオドラマ 第二回 春陽堂とラジオドラマ研究会 {{!}} 春陽堂書店|url=https://www.shunyodo.co.jp/blog/2018/10/radio-drama_2/|website=www.shunyodo.co.jp|date=2018-10-12|accessdate=2021-02-14|language=ja|last=春陽堂書店編集部|publisher=}}</ref>。更に聴取者の獲得の為に著名な文士に一編五百円で脚本を委嘱する。当時の五百円は一軒家が建つほどの金額であり<ref>{{Cite web|title=港区ゆかりの人物データベースサイト 文士とラジオドラマ?放送局に集った若き才能|url=https://www.lib.city.minato.tokyo.jp/yukari/j/trivia-detail.cgi?id=14|website=www.lib.city.minato.tokyo.jp|accessdate=2021-02-14}}</ref>、2年間で「五百円ドラマ」に脚本を寄せた文士の顔ぶれは[[里見弴]]、[[松居松翁]]、小山内薫、長田秀雄、吉井勇、久保田万太郎、岸田國士、[[菊池寛]]、[[山本有三]]、[[中村吉蔵]]、[[岡本綺堂]]の11人であった<ref>{{Cite web|title=平成22年度 日本脚本アーカイブズ特別委員会 調査・研究報告書|url=http://www.hosakkyo2012.jp/協会のこれまでの活動/日本脚本アーカイブズ/過去の活動報告/|website=一般社団法人 日本放送作家協会|accessdate=2021-02-14|language=ja-JP|publisher=}}</ref>。 |
|||
⚫ | [[1941年]]、NHKはラジオドラマ専門の俳優を養成する東京中央放送局専属劇団俳優養成所の研究生を公募。[[1943年]]に養成を終えた東京放送劇団の第1期生がデビューを果たした<ref>「“声優”誕生」『放送夜話-座談会による放送史』日本放送協会、1968年、p.113。</ref>。これが声優第2号とみなされ<ref>西澤實『ラジオドラマの黄金時代』河出書房新社、2002年、18-19頁。</ref>{{Refnest|group="注"|第1期生の[[加藤道子]]が死去した際、読売新聞は「声優の草分け」と紹介<ref>読売新聞 2004年2月1日。</ref>。}}、「声優」という言葉はこのころから使われたとする資料もある<ref>浦崎浩實「映画人、逝く 七尾伶子」『[[キネマ旬報]]』2006年10月上旬号、[[キネマ旬報社]]。</ref>が、実際はより古く、『[[読売新聞]]』では[[1926年]]から使用されている<ref>『読売新聞』1926年4月4日朝刊、p.10。</ref>。{{要検証範囲|声優という呼称は、読売新聞の芸能記者だった小林徳三郎によるものという説と、NHKの演芸番組担当[[プロデューサー]]大岡龍男が命名したという説がある<ref>[[勝田久]]「声優の歴史」『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』ジ・アニメ特別編集、近代映画社、1985年、174頁。</ref>|date=2018年1月}}。声優は当初、ラジオドラマを専門に行う東京放送劇団員やその他の放送局の劇団員を指し、テレビ時代になって吹き替えとアニメを行う役者を指す用語として定着していった。 |
||
⚫ | 同年9月、東京放送局は声だけで演技を行う専門の俳優としてラジオドラマ研究生を公募。100名あまりの応募者のうち12名の女性が選ばれ、11月にラジオドラマ『太っちょう』に声をあてる。声優の歴史に関する多くの資料では彼女たちが「日本の声優第1号」とみなされている。この当時は新聞では「ラヂオ役者」と呼称していた{{Refnest|group="注"|後述するように『読売新聞』では1926年の時点で「声優」という言葉が使われていた。}}。初期のラジオドラマには[[汐見洋]]や[[東山千栄子]]などこの前年に開場した[[築地小劇場]]の俳優が多く出演していた<ref>森川友義・辻谷耕史 「声優の誕生とその発展」『メディア史研究』第13号、ゆまに書房、2002年、p.62。</ref>。 |
||
[[1926年]](大正15年)8月、東京・大阪・名古屋放送局の3法人が解散し、後継組織として日本放送協会が発足する。 |
|||
[[1928年]](昭和3年)からは新人育成を目的とした懸賞募集が開催されて行き、[[真船豊]]、[[森本薫]]、[[三好十郎]]、[[八木隆一郎]]、[[北条秀司]]、[[伊馬春部]]などが執筆した<ref>{{Cite book|和書|title=NHK放送劇選集 第1巻,第2巻,第3巻|url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I000683685-00|publisher=ラジオサービスセンター|date=1955|last=日本放送協会|year=|pages=}}</ref>。 |
|||
[[1931年]](昭和6年)8月から[[1938年]](昭和13年)8月まで日本放送協会の文芸課長に久保田万太郎が就任する。久保田は文芸路線を掲げて、[[夏目漱石]]や[[泉鏡花]]、[[ジュール・ルナール|ルナール]]や[[ヴィクトル・ユーゴー|ユーゴー]]などの国内外の[[文学]]のラジオドラマ化を推進した。また、久保田の演劇界での人脈を活用して井上正夫、[[喜多村緑郎 (初代)|喜多村緑郎]]、[[村瀬幸子]]、[[田村秋子]]、[[友田恭助]]などの新派や新劇で第一線の俳優を起用している<ref>{{Cite web|title=春陽堂とラジオドラマ 第一回 娯楽としてのドラマ {{!}} 春陽堂書店|url=https://www.shunyodo.co.jp/blog/2018/09/radio-drama_1/|website=www.shunyodo.co.jp|date=2018-09-28|accessdate=2021-02-14|language=ja|last=春陽堂書店編集部|publisher=}}</ref>。文芸課職員であった小林徳二郎は後に「これは新劇の俳優が商業劇場に出演できなかった当時では、ラジオ放送だけにしか行い得ないことで、久保田の手腕によるものであった。いまでいえば久保田課長は芸術面ばかりでなく、政治力を兼ねた名プロデューサーであった」とその意義を述べている<ref>{{Cite web|url=https://doi.org/10.24756/jshuppan.48.0_85|title=近代メディアミックスの形成過程―春陽堂書店とラヂオドラマ研究会との連携を中心に|accessdate=2021年2月14日|publisher=J-STAGE}}</ref>。この頃(おもに[[1930年代]])活躍していた者として舞台女優の[[飯島綾子]]が挙げられる{{Refnest|group="注"|村田美弥子(当時は村田美禰子)、村田竹子(いずれも女優・[[村田嘉久子]]の妹)とともに「スター」として取り上げられていた<ref>読売新聞 1930年(昭和5年)1月6日付朝刊。</ref>。}}。彼女はラジオドラマのほかに[[日本舞踊家]]や[[歌手]](流行歌・歌謡曲・童謡オペレッタ)としても多彩な活動をしていた。1925年~1938年にかけてラジオドラマの総放送回数は750回を数えるまでに成長した。 |
|||
⚫ | [[1941年]](昭和16年)、NHKはラジオドラマ専門の俳優を養成する東京中央放送局専属劇団俳優養成所の研究生を公募。[[1943年]](昭和18年)に養成を終えた東京放送劇団の第1期生がデビューを果たした<ref>「“声優”誕生」『放送夜話-座談会による放送史』日本放送協会、1968年、p.113。</ref>。これが声優第2号とみなされ<ref>西澤實『ラジオドラマの黄金時代』河出書房新社、2002年、18-19頁。</ref>{{Refnest|group="注"|第1期生の[[加藤道子]]が死去した際、読売新聞は「声優の草分け」と紹介<ref>読売新聞 2004年2月1日。</ref>。}}、「声優」という言葉はこのころから使われたとする資料もある<ref>浦崎浩實「映画人、逝く 七尾伶子」『[[キネマ旬報]]』2006年10月上旬号、[[キネマ旬報社]]。</ref>が、実際はより古く、『[[読売新聞]]』では[[1926年]]から使用されている<ref>『読売新聞』1926年4月4日朝刊、p.10。</ref>。{{要検証範囲|声優という呼称は、読売新聞の芸能記者だった小林徳三郎によるものという説と、NHKの演芸番組担当[[プロデューサー]]大岡龍男が命名したという説がある<ref>[[勝田久]]「声優の歴史」『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』ジ・アニメ特別編集、近代映画社、1985年、174頁。</ref>|date=2018年1月}}。声優は当初、ラジオドラマを専門に行う東京放送劇団員やその他の放送局の劇団員を指し、テレビ時代になって吹き替えとアニメを行う役者を指す用語として定着していった。 |
||
[[1951年]]に民間ラジオ局のラジオ東京(現・[[TBSラジオ]])が開局、専属の放送劇団(ラジオ東京放送劇団、のちのTBS放送劇団)を設立して[[1957年]]に放送した連続ラジオドラマ『[[赤胴鈴之助]]』は当時の子供たちから絶大な支持を得た。テレビ放送がなく、ラジオがマスメディアで主要な地位を占めていたラジオドラマ時代の声優は決して日陰の存在ではなく、二枚目の主役の声を多く演じた[[名古屋章]]には月に何十通ものファンレターが届いたという<ref>[[能村庸一]]『実録テレビ時代劇史 ちゃんばらクロニクル1953-1998』[[東京新聞]]出版局、1999年、20-21頁。</ref>。ラジオドラマは全盛期を迎え、声優の紹介記事が新聞のラジオ欄に掲載されるようになると、声優へのファンレターと同時に声優に憧れ、声優志願者も急増した。[[1953年]]のNHK東京放送劇団の第5期生募集には合格者が10名程度のところへ6,000名の応募が殺到したという。この時代を声優の[[勝田久]]は第1期声優黄金時代としている<ref>勝田久「声優の歴史」『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』ジ・アニメ特別編集、近代映画社、1985年、175頁。</ref>。 |
[[1951年]]に民間ラジオ局のラジオ東京(現・[[TBSラジオ]])が開局、専属の放送劇団(ラジオ東京放送劇団、のちのTBS放送劇団)を設立して[[1957年]]に放送した連続ラジオドラマ『[[赤胴鈴之助]]』は当時の子供たちから絶大な支持を得た。テレビ放送がなく、ラジオがマスメディアで主要な地位を占めていたラジオドラマ時代の声優は決して日陰の存在ではなく、二枚目の主役の声を多く演じた[[名古屋章]]には月に何十通ものファンレターが届いたという<ref>[[能村庸一]]『実録テレビ時代劇史 ちゃんばらクロニクル1953-1998』[[東京新聞]]出版局、1999年、20-21頁。</ref>。ラジオドラマは全盛期を迎え、声優の紹介記事が新聞のラジオ欄に掲載されるようになると、声優へのファンレターと同時に声優に憧れ、声優志願者も急増した。[[1953年]]のNHK東京放送劇団の第5期生募集には合格者が10名程度のところへ6,000名の応募が殺到したという。この時代を声優の[[勝田久]]は第1期声優黄金時代としている<ref>勝田久「声優の歴史」『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』ジ・アニメ特別編集、近代映画社、1985年、175頁。</ref>。 |
2021年2月14日 (日) 12:54時点における版
声優(せいゆう)とは、映像作品や音声作品に、自身の姿を見せずに声だけで出演する俳優[1]。広義にはナレーターも含まれる。職業を示す意味で使われる場合と映像作品の役割という意味がある。
英語では一般的に男性を voice actor、女性を voice actress といい、日本語でもボイスアクターという場合がある。
概要
声のみで演技する実演家であり、日本の声優の多くは日本俳優連合に加盟しているが、俳優とは異なり声に特化した役者と見なされている[2]。またニュースで原稿を読み上げるキャスターやアナウンサーなど放送・報道分野の業務に携わる者とも区別される。
アニメーション作品ではしばしばキャラクターボイス (character voice)、略してCVという和製英語が使われる。これは1980年代後半にアニメ雑誌『アニメック』で副編集長だった井上伸一郎が提唱した用語で、その後、井上が角川書店で創刊した『月刊ニュータイプ』でも用いられている[3]。また、昭和時代の作品では、おもにエンディングのクレジットでは「声の出演」と表記されることが多かったが、平成から令和にかけての現在では「キャスト」ないし「CAST」「CV」(キャラクターボイス)と表記されることが多い。
後述のフィックス制度により性格俳優として側面もある。
日本では歴史的な経緯から声優を専業とする例が多い。海外では、俳優の仕事の一部という側面が大きいが、アメリカでも声優専業の役者が増え、演技学校で声優コースを設けているところもある[4]。
2000年代からは歌手としての活動、写真集を出すなどタレント的な活動も増えている。
歴史
日本で声優の専業化が進んだ理由は、
- ラジオドラマ全盛期に、NHKと民放が自前の放送劇団(NHK東京放送劇団など)を組織して専門職・ラジオ俳優を育成したこと
- テレビの黎明期は、番組コンテンツ不足のため、アメリカ合衆国からテレビドラマやアニメーション(日本での「アニメ」とは異なる)が大量に輸入され、声優による日本語吹き替えの需要が増大したこと
- アニメやゲームの人気の高まりにより、最初から声優専門の演技者を志望する者が増えたこと
などが考えられる。
音声メディアの可能性を早くに指摘した人物には、日本の近代批評文学の先駆者である小林秀雄の存在が認められる。戦後、『年齢』を発表して「話し言葉」を重視する言語観を表明[5][6]。民間放送開始の1951年、雲の会の雑誌『演劇』の企画で福田恆存と対談し、岸田國士が提唱した「語られる言葉の美」[7]を拡張している。
小林 純粋な観念としては音楽だから。……一般に人間の耳っていうのは、よくないと思うんですよ。みんな悪いんです、耳っていうものは。
福田 ほかの感覚に比べて?
小林 ええ。眼に比べてね。 特に耳を訓練している少数の人々をのぞけば。だからまだラジオ・ドラマをちゃんと聴ける耳を持っている人はいないと思うんですよ。人の声っていうものは、非常に表情に富んだものでしょう。見ないで、声で人間がわかる、そこまで耳の訓練が出来ている人はいないんだよ。ラジオ・ドラマが非常に発達すると、そういう訓練ができるかも知れない。そうすると、見なくても、声のほうがよっぽど表情的でね、ラジオ・ドラマ専門の名優というものが出てくる。……ぼくら、眼を開けて暮しているから、耳はおろそかになっている。芝居っていうやつは、眼と耳と両方で鑑賞しているしね。まあ、はなし家や講釈師になるとどうかな。例えば落語だって、話術の生命はやっぱり物語を追ってるんだけども、同じ物語を何度聴いてもいいでしょ? 何度聴いてもいいというのは、つまり音なんだよ。そいつの声の音楽なんだよ。そいつを聴いて楽しんでるわけだな。 — 『芝居問答』 音・耳・放送劇[8]
レコード時代
1877年(明治10年)7月、アメリカでトーマス・エジソンが録音再生式の蓄音機を発明する。日本では明治維新後、内閣制度が創設される頃になると、文明開化の影響が言文一致運動に象徴されるソフト面に見られ始める。1885年(明治18年)9月、坪内逍遥が『小説神髄』を著し、日本の近現代文学史の本格的な始まりを告げた。1886年(明治19年)8月には、歌舞伎の近代化を志向した演劇改良会が結成された。逍遥はシェイクスピア戯曲の翻訳や歌舞伎演目『桐一葉』の創作、森鴎外との没理想論争など明治期の文芸演劇界で幅広く活躍した[9]。これらの影響もあり高まった芸術熱を受けて、島村抱月が留学から帰国した翌年、1906年(明治39年)2月には、文芸協会を設立している[9]。また、1909年(明治42年)11月には、小山内薫と市川左團次が自由劇場を発足させている。
明治の末になるとハード面での近代化が進み、1910年(明治43年)10月、日本で最初のレコード会社が設立される。1911年(明治44年)3月には、帝国劇場が開場する。同年5月、文芸協会によりシェイクスピア戯曲『ハムレット』[注 1]、11月にイプセン戯曲『人形の家』が上演される[10]。好評を博した新劇女優の松井須磨子は、文芸協会付属演劇研究所の1期生であり[11]、女優養成は画期的な成果であった。また、2期生からは新国劇の創設者となる澤田正二郎が輩出されている。
1913年(大正2年)7月、抱月と須磨子は芸術座を結成し[12]、1914年(大正3年)3月の第3回公演では、抱月の再脚色においてトルストイの小説『復活』を上演した [13]。須磨子が歌唱した劇中歌『カチューシャの唄』はレコード販売もされ、近代日本初の流行歌となった[14]。同盤には歌唱だけでなく第三幕の科白の一節も収録された。同年10月、シェイクスピア戯曲『アントニーとクレオパトラ』が抱月の改作により上演され[15][16]、公演後には出演者が録音スタジオに集まり舞台の粋を収録している。これは科白のみのオーディオドラマであり、12月には「沙翁劇『クレオパトラ』」として発売された[17]。
大正時代には曾我廼家一座、宝塚少女歌劇、浅草オペラなども音源を残している[18]。
ラジオドラマ時代
1925年(大正14年)3月、NHKの前身である社団法人東京放送局がラジオ放送を開始[19]。
そのわずか1か月後に『映画劇せりふ』の番組内でサイレント映画『大地は微笑む』のセリフ劇が放送された。このときの声の出演は新派劇俳優の井上正夫、女優の栗島すみ子などであった。専門職としてではないが、実質的に彼らが「日本で最初の声優」である[20][注 2]。同年7月には舞台中継をスタジオで再現した『桐一葉』(出演:中村歌右衛門 (5代目)など)、さらに日本初の本格的なラジオドラマとして『大尉の娘』(出演:井上正夫、水谷八重子)が放送される。8月に小山内薫の演出、和田精の音響効果で放送された『炭鉱の中』とする説もある[21]。出演者の一人であった山本安英は後に東京放送劇団の指導者を務めている。
同年8月、東京放送局にラジオドラマ研究会が設立される。長田幹彦、小山内薫、久保田万太郎、久米正雄、長田秀雄、吉井勇の6人を主要メンバーとした[22]。更に聴取者の獲得の為に著名な文士に一編五百円で脚本を委嘱する。当時の五百円は一軒家が建つほどの金額であり[23]、2年間で「五百円ドラマ」に脚本を寄せた文士の顔ぶれは里見弴、松居松翁、小山内薫、長田秀雄、吉井勇、久保田万太郎、岸田國士、菊池寛、山本有三、中村吉蔵、岡本綺堂の11人であった[24]。
同年9月、東京放送局は声だけで演技を行う専門の俳優としてラジオドラマ研究生を公募。100名あまりの応募者のうち12名の女性が選ばれ、11月にラジオドラマ『太っちょう』に声をあてる。声優の歴史に関する多くの資料では彼女たちが「日本の声優第1号」とみなされている。この当時は新聞では「ラヂオ役者」と呼称していた[注 3]。初期のラジオドラマには汐見洋や東山千栄子などこの前年に開場した築地小劇場の俳優が多く出演していた[25]。
1926年(大正15年)8月、東京・大阪・名古屋放送局の3法人が解散し、後継組織として日本放送協会が発足する。
1928年(昭和3年)からは新人育成を目的とした懸賞募集が開催されて行き、真船豊、森本薫、三好十郎、八木隆一郎、北条秀司、伊馬春部などが執筆した[26]。
1931年(昭和6年)8月から1938年(昭和13年)8月まで日本放送協会の文芸課長に久保田万太郎が就任する。久保田は文芸路線を掲げて、夏目漱石や泉鏡花、ルナールやユーゴーなどの国内外の文学のラジオドラマ化を推進した。また、久保田の演劇界での人脈を活用して井上正夫、喜多村緑郎、村瀬幸子、田村秋子、友田恭助などの新派や新劇で第一線の俳優を起用している[27]。文芸課職員であった小林徳二郎は後に「これは新劇の俳優が商業劇場に出演できなかった当時では、ラジオ放送だけにしか行い得ないことで、久保田の手腕によるものであった。いまでいえば久保田課長は芸術面ばかりでなく、政治力を兼ねた名プロデューサーであった」とその意義を述べている[28]。この頃(おもに1930年代)活躍していた者として舞台女優の飯島綾子が挙げられる[注 4]。彼女はラジオドラマのほかに日本舞踊家や歌手(流行歌・歌謡曲・童謡オペレッタ)としても多彩な活動をしていた。1925年~1938年にかけてラジオドラマの総放送回数は750回を数えるまでに成長した。
1941年(昭和16年)、NHKはラジオドラマ専門の俳優を養成する東京中央放送局専属劇団俳優養成所の研究生を公募。1943年(昭和18年)に養成を終えた東京放送劇団の第1期生がデビューを果たした[30]。これが声優第2号とみなされ[31][注 5]、「声優」という言葉はこのころから使われたとする資料もある[33]が、実際はより古く、『読売新聞』では1926年から使用されている[34]。声優という呼称は、読売新聞の芸能記者だった小林徳三郎によるものという説と、NHKの演芸番組担当プロデューサー大岡龍男が命名したという説がある[35][要検証 ]。声優は当初、ラジオドラマを専門に行う東京放送劇団員やその他の放送局の劇団員を指し、テレビ時代になって吹き替えとアニメを行う役者を指す用語として定着していった。
1951年に民間ラジオ局のラジオ東京(現・TBSラジオ)が開局、専属の放送劇団(ラジオ東京放送劇団、のちのTBS放送劇団)を設立して1957年に放送した連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』は当時の子供たちから絶大な支持を得た。テレビ放送がなく、ラジオがマスメディアで主要な地位を占めていたラジオドラマ時代の声優は決して日陰の存在ではなく、二枚目の主役の声を多く演じた名古屋章には月に何十通ものファンレターが届いたという[36]。ラジオドラマは全盛期を迎え、声優の紹介記事が新聞のラジオ欄に掲載されるようになると、声優へのファンレターと同時に声優に憧れ、声優志願者も急増した。1953年のNHK東京放送劇団の第5期生募集には合格者が10名程度のところへ6,000名の応募が殺到したという。この時代を声優の勝田久は第1期声優黄金時代としている[37]。
アニメでは、1933年には日本初のトーキーの短編アニメーション映画『力と女の世の中』が公開。アニメキャラクターに声をあてたのは、喜劇役者の古川ロッパをはじめとする映画俳優達だった。1942年には中国の長編アニメーション映画『西遊記・鉄扇姫の巻(鉄扇公主)』が日本で公開され、活動弁士出身の徳川夢声、山野一郎などが声をあてた。第二次世界大戦後に発足した東映動画により日本でもコンスタントにアニメ映画が製作されるようになると、映画俳優、コメディアン、放送劇団員が使われた。また、洋画の吹き替えはテレビ時代になってから本格的に行われるようになった[注 6]。
第1次声優ブーム
民放テレビの草創期には、1961年の五社協定でテレビ局への日本映画の供給停止が決まったことなどによるソフト不足から、海外ドラマや洋画などのいわゆる外画の日本語吹き替え版が数多く放送された[39][40][41]。当初、NHKは基本的に字幕スーパーで日本国外の作品を放送していたため、日本語吹き替え版は民放が中心となっていた。以後、日本国外の作品は1960年代前半をピークとして放送された。これらを背景として声優人気が高まっていったという。ブームの中心人物はアラン・ドロンを持ち役とした野沢那智で[42]、追っかけまでいたという[43]。
テレビや映画の俳優は五社協定とギャラの問題で吹き替えをしなかったため、テレビでの吹き替えは、ラジオ時代からの放送劇団出身者や新劇の舞台役者が多く行った[44]。放送劇団出身の若山弦蔵は当時の吹き替えに参入してきた新劇俳優について、「大部分の連中にとっては片手間の仕事でしかなかった」「日本語として不自然な台詞でも疑問も持たず、台本どおりにしか喋らない連中が多くて、僕はそれがすごく腹立たしかった」と語っている[45]。また、この時期には役者論、演技論としてのアテレコ論争が展開されている。海外アニメにおいては、落語家や浅草出身のコメディアンなどもキャラクターの声をあてたという例がある。
労働環境や待遇は恵まれていなかったことから権利向上のために結束しようという動きがあり、久松保夫は清水昭の太平洋テレビジョンに参加するが同社で労働争議が発生。これを受けて東京俳優生活協同組合(俳協)が誕生したが、前述の若山弦蔵のように所属せず独立した者もいた[46]。のちに俳協から分かれて多くの声優プロダクションが結成された。この時代にはまだ声優という言葉は一般には認知されておらず[47]、別称として、吹き替えを主にしたことから吹き替えタレント、声をあてることからアテ師[48][49]というものがあった。
テレビの日本語吹き替え作品第1号はTBSの前身であるKRTテレビが1955年10月9日より放送開始したアメリカのアニメ『スーパーマン』であると言われる。実写では1956年にTBSの前身であるKRTテレビで放送された『カウボーイGメン』と記録されている。これらKRTテレビでの放送はいずれも生放送による吹き替えで、あらかじめ録音したアフレコによる作品第1号は、アニメでは1956年4月8日に日本テレビが、番町スタジオの安井治兵衛に依頼して放送した海外アニメ『テレビ坊やの冒険』である。
1966年に『土曜洋画劇場』(現・『日曜洋画劇場』)の放送が始まり、この番組によってスターの声を特定の声優に固定する持ち役制(フィックス制度)が始まった[50]。
第2次声優ブーム
1970年代後半の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』のヒットによるアニメブームと並行して起こったブーム。そのブームに押される形で声優業と並行した音楽活動も盛んになり、神谷明、古谷徹、古川登志夫などのアニメの美男子キャラクターを持ち役とする人気声優によるバンド「スラップスティック」を結成してライブ活動を行ったほか[51]、多くの声優がレコードを出すなどした。当時万単位のレコードを売り上げる声優として、潘恵子、戸田恵子、神谷明、水島裕、スラップスティックの名が挙げられている[52]。また自身のアルバムを4枚出した潘恵子は元祖アイドルと呼ばれた[53]。1979年に放送開始した『アニメトピア』などアニメ声優がパーソナリティを務めるラジオ番組なども誕生。ラジオドラマでは声優人気を背景にした『夜のドラマハウス』があり、アマチュア声優コンテストも開催されていた[54]。
この時代はアニメ雑誌が創刊され始めた時代であり、『アニメージュ』の創刊編集長である尾形英夫は、声優のアイドル化を編集方針のひとつとして打ち出した[55]。『アニメージュ』以外のアニメ誌も同様に誌面に声優コーナーを設けて、定期的に声優の情報を発信した。人材の供給・育成面では、声優専門プロダクションが分裂することによって次第に数が増え始め、各プロダクションにより声優養成所が設けられた。これらにより、放送劇団出身者や舞台役者などの俳優活動の一環や余技としての声優業ではなく、最初からアニメ声優を目指した声優が登場し始めた。このブームはおおむね1980年代前半ごろまでとされている。
1990年前後
1980年代末のテレビアニメ『鎧伝サムライトルーパー』に出演した5人の男性声優で1989年に結成したユニット「NG5」が人気を集め、ニュース番組で取り上げられるほどであった。声優がマルチ活動をするようになった先駆け的グループであるとも言われている[56]。一方で、林原めぐみなどの女性声優がレコード会社と契約を行って歌手活動をする例が増えてくる[57]。
一方、1990年代になって、吹き替え作品が、地上波放送のほかにも、DVDなどのパッケージやCS放送などさまざまな形態で発信されるようになると、同じ作品でも複数の吹き替えが作られる例が増加した。このため、従来の持ち役制度はほぼなくなったとする指摘もある[58]が、森川智之のトム・クルーズのように同一の声優が同じ役者を吹き替え続ける慣習は残っている[59]。
第3次声優ブーム
用語として、おおむね1990年代半ばから後半にかけて、頻繁に用いられていたが、明確な定義は存在していない。第1次、第2次という使い方も、この用語から逆算的に使用されたもので、こちらも明確な定義は存在していない。この時期の特徴として、「声優のマルチ活動化や歌手活動への進出によるアイドル化」「声優の音声入りのテレビゲームやパソコンゲームの登場による仕事の増加」「声優がパーソナリティを務めるラジオ番組の普及」などが挙げられる。このことから、声の演技力のほかにも、特にアニメ・ゲームで活躍するには容姿のよさや歌唱力などといったようなことも声優に求められるようになったとされる。
1994年に初めて声優専門誌『声優グランプリ』『ボイスアニメージュ』が相次いで創刊された[60]。1995年に初の声優専門のテレビ番組『声・遊倶楽部』が放送された。
清水香里や坂本真綾など、当時中学生でテレビアニメの主人公に抜擢される例もあり、アイドル的な注目を受けた[61][62]。1997年には椎名へきるが声優として初めて日本武道館で単独コンサートを開催した。
2000年ごろから
2000年代後半ごろから、一部のマスコミで「第4次声優ブーム」という表現が用いられるようになった(ただし、明確な定義はない)[63][64]。このころから、子どもの「なりたい職業ランキング」の上位に「声優」がランクインするようになった[63]。
2000年代後半以後、深夜アニメの本数が急速に増加[注 7]。これにより、いわゆる「アニメバブル」という状況が生まれた。新人声優デビューは増加傾向になり、平野綾、水瀬いのり[65]、林鼓子[66]、楠木ともり[67][68]など当時10代でテレビアニメの主演を務める例も、以前よりみられるようになった[注 8]。
1990年代より活動していた水樹奈々、田村ゆかりや、舞台俳優から転向した宮野真守などの「声優アーティスト」としての成功や、2005年から開催されているAnimelo Summer Liveなどのアニメソング系の合同フェス的なライブ[注 9]の普及などにより、声優と歌手活動を両立させる声優がますます増加するようになった。特に水樹は、ドームツアーやNHK紅白歌合戦への出場など、声優として初の音楽活動を行っていることが多い。また、2010年代半ば以後はこの傾向が年々顕著になり、歌手としての日本武道館での単独公演を実現させる声優がほぼ毎年のように現れるようになっている(一例として、内田彩[69]、東山奈央[70]、内田真礼[71]など。特に東山は、自身初めての単独公演が日本武道館での開催であった)。
『ラブライブ!』や『アイドルマスター』『けいおん!』『BanG Dream!』『あんさんぶるスターズ!』など、ゲームやアニメ番組から派生した企画による声優ユニットが男女を問わず人気を博すことも多くなっており、特に『ラブライブ!』のμ'sは、東京ドーム公演やNHK紅白歌合戦への出場するなど人気を獲得した。このため、現在の声優は、演技だけではなく、ルックスや歌唱力にダンススキルも求められるようになってきている。その一方で、仲谷明香(元AKB48)や前島亜美(元SUPER☆GiRLS)など、アイドルから声優に転身する例も増えているとされている[72]。
仕事
アニメ、オリジナルビデオアニメ(OVA)、ラジオドラマ、ドラマCD、ゲーム、テレビ、映画、洋画や海外ドラマの日本語吹き替え、ボイスドラマ、ナレーション、アナウンス、番組内の語り手、朗読などがある。
声による演技以外にも、出演作の関連イベントや宣伝など付随して顔出し出演があるが、事前契約はせずその都度の協議で決定することが多いなど、俳優とは出演料のシステムが異なる[73]。
仕事の取り方はオーディションによる選考か指名、出資によるキャスティング権の確保であるが、仕事の種類ごとに異なる。
アニメ
画面を見ながら台詞を吹き込むアフレコと、事前に台詞を収録し、それに合わせて後から動画を制作するプレスコの2種類の方法がある。日本ではアフレコが主流である。近年のアニメ制作のデジタル化により、アフレコ後に絵を修正する例も多い。なお、声をあてることからアテレコとも言う。収録はスタジオに声優を集めて一度に行うのが主流だが、芸人や歌手などの非声優を起用する場合は、個別に別録りすることが多い。
出演料はランク制の適用を受ける。
役は原作者や制作サイドからイメージに適合した声(声質)や演技力を持つ人物が指名されることもあるが、選考オーディションを受けて得るというシステムが主流である[74]。
通常は制作会社などから声優の事務所庶務にオーディションのお知らせが通達され、事務所は役柄に合うと判断した所属声優を数人選び、その選ばれた者だけがオーディションを受けられるというのが通例である。そのため大人数の声優を抱える大手事務所では、まず事務所内での競争を勝ち抜かないとオーディションを受ける機会すらない[75]。そして、たとえオーディションを受けられたとしても、60本に1本受かればいいというほどの競争率と言われる[76]。
古川登志夫は『ポプテピピック』に出演した際、「大御所なんだから仕事選べ」という一部視聴者の声が出たことに対して「冗談ではない。アニメのキャラ声は本職だ。第一仕事を選べるほど偉い立場にない」「一本の仕事を取るのにマネージャーさんが何度頭を下げるかご存知か!」と反論している[77][78]。
公募形式とする例もあり、2005年のSPEED GRAPHERではヒロイン役を公募オーディションとしたが、第1次・第2次審査で絞り込んでからウェブの一般投票も加味される形式で行われた(新人の真堂圭が選ばれた)。2013年、テレビアニメ『ふたりはミルキィホームズ』の主人公役を公募オーディションが行われた(新人の伊藤彩沙が選ばれた)。2018年放送のからくりサーカスでは主役の1人をプロアマ不問の公募オーディションにより決定すると発表したが、応募総数は2,500人超だったという[79](新人の植田千尋が選ばれた)。
昨今はアニメに対する出資会社によって出演枠を確保する方法がとられることもあり、オーディションによる出演ではない者も混在している。
日本語吹き替え
海外ドラマ・外国映画などの登場人物の声を俳優に代わって演じる。アニメ同様、ランク制の対象となる。
フィックス制度により役が固定されていることもあるが、放送版とセル版では異なる声優となる例もある。
ニュースやドキュメンタリーなどのボイスオーバーもランク制の対象である。
アニメとは異なりオーディションはほとんど行われず、プロデューサーやディレクターなどが声優を指名して決めることがほとんどとされる[74][80]。ただし、ディズニー作品、スティーヴン・スピルバーグ作品、ジョージ・ルーカス作品などでは指名ではなく、アニメ同様オーディションが行われるという[81]。
ゲーム
基本的に、かけ合いではなく一人ずつ個別に収録する。
CD-ROMの普及し始めた1980年代末から増えた仕事である[82]。1990年代に、PlayStationなどの高性能なゲーム機が登場し、声優が起用されることが一般的になった。出演料については、当初は明確な基準がなかったが、1998年に日本俳優連合(日俳連)と社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)の間で協議が持たれてからは、一般向けのゲームでは、アニメと同様にランク制が適用されるようになった。
アニメと同じく、オーディションや指名によって選出される。
ボイスドラマ
ラジオドラマ・ドラマCDなど音声のみのドラマ作品でキャラクターの声を演じる。
ドラマCDの場合、売上を考慮して、すでに知名度のある声優を起用することが多い[83]。逆に新人やアマチュアをオーディションによって選ぶ例もある。
メディアミックス
アニメ・ゲーム・ドラマCD・玩具などメディアミックスが行われる作品では、同一の声優が同じ役に固定されるが、さまざまな理由により変わることもある。
ナレーション・アナウンス
テレビ番組・テレビやラジオのCM・PRビデオなどの朗読、イベントのアナウンスやリングアナウンサー、番号案内の録音されたメッセージ、デパートやスーパーマーケットなどでの録音案内、駅や路線バスなどの公共交通機関のアナウンス(自動放送)など。
ランク制の対象外の仕事[注 10]で、ギャラはアニメ・日本語吹き替え・ゲームよりもはるかに高額とされ、特にテレビCMが高額とされている[84]。ただし基本的に単発かつ不定期の仕事であり、安定した収入にはなりにくい。
日本語吹き替え同様、オーディションはほとんど行われず、指名で決まることがほとんどとされる[85][86]。
俳優・タレント活動
前述のように、舞台俳優が声優を兼ねる例は創成期から多い。劇団に所属しながら並行して活動するほか、関智一などのように劇団を主宰する者もいる。
山田康雄、戸田恵子、山寺宏一など、映画やテレビドラマ、バラエティ番組などに出演している声優もいる。また、関俊彦、花江夏樹、豊口めぐみなど、子ども向け番組(教育番組を含む)に顔出し出演をしていたり、水樹奈々、内田真礼、竹達彩奈などのように、CMで顔出し出演をする声優もいる。
特撮番組では、顔出し出演のほかにもスーツアクターが演じる怪人などの声を担当するという仕事もある。
2010年代後半には、梶裕貴のようにニュース番組のコメンテーターとして出演する声優もいる。
歌手活動
音楽CDを発売したり、コンサートを開催したりするなど、歌手として活動をおこなう。逆に、アイドル歌手が声優に転身することもある。
アニメ・ゲームにおいては、出演声優が、個人またはユニットとして、その作品の主題歌を歌うことがある。また、キャラクターが歌っているという設定にして、声優本人の名義ではなく、キャラクター名義でキャラクターソングをリリースすることがある。
林原めぐみが声優として初めてキングレコードスターチャイルドレーベルと専属契約を結んだ1991年3月以後、声優がレコード会社との専属契約を結び、本格的に歌手活動をする例が一般化している。
数名の声優が音楽ユニットを結成して、歌手(音楽)活動をすることもあり、これは声優ユニットと称されることが多い。『アイドルマスター』や『ラブライブ!』などのように、ドーム球場でライブを行う人気作品もある[注 11]。
オリコンなどのヒットチャートにおいては、かつてアニメソングは児童向けの曲として別に集計されていた。また、アニメ専門店や家電量販店は集計の対象外だった。これらが修正された1990年代半ばごろから、声優の歌のCDがランキング上位になることが増えた[87]。
1997年2月に椎名へきるが声優初となる日本武道館単独コンサートを開催したのを皮切りに、声優が武道館のような大きな会場で単独コンサートを開催するようになっていった。2011年12月には水樹奈々が声優初となる東京ドーム単独コンサートを開催した[注 12]。
アニメソングが一般層にも浸透するにつれ、声優が音楽テレビ番組に出演して歌を歌うことも増えている。1997年には椎名へきるが「ミュージックステーション」に、2009年には、水樹奈々がNHK紅白歌合戦(第60回NHK紅白歌合戦)に、それぞれ声優として初めて出演している[注 13][注 14]。
水樹奈々や茅原実里、蒼井翔太のように、元来歌手を志望していた人物が声優となり、のちに歌手としてもデビューするということもある。
ラジオパーソナリティ
声優によるラジオ番組のパーソナリティは、古くから存在するが、1990年代以降は文化放送やラジオ大阪、ラジオ関西がアニラジ専門の放送枠を設けるなど、番組数が急増した。2000年代以降は、地上波放送だけでなくインターネットラジオ番組も増えている。
アダルト作品への出演
アダルトゲーム(エロゲー)・アダルトアニメなどの年齢制限のある作品に声をあてる。この場合、声優名を非公表とするか、別の芸名を使うことがほとんどである[88][注 15]。石田彰や一条和矢、大野まりな、こおろぎさとみなど、一般作と同じ名義で出演する声優もいる。ダイナマイト亜美や静木亜美、長崎みなみなど、アダルト作品を専門としている声優もおり、ゲームのアニメ化に合わせて一般作での活動を行なう例も多い。
ComicFestaアニメでは成人向けの描写をカットした一般向けと、すべての描写を入れた完全版の2種類を用意しており、それぞれ声優も異なっている。
人形劇・着ぐるみショー
人形劇はキャラクターの演技とタイミングを合わせながらセリフを言うか、事前に収録した映像を見ながらアフレコする。NHKの人形劇はプレスコ形式が多い。また1人で複数役を兼任するスタイルが多く、連続人形活劇 新・三銃士では30人近い役を7名で演じており、人形劇 三国志ではメインキャラクターを演じる役者は5名以上の役を兼任している。
着ぐるみショーでは生で声を合わせることもあるが、基本的には事前に声を収録してそれに合わせて着ぐるみの演者(スーツアクター)が演技を行う。
担当声優の交代
長期シリーズを中心に、担当声優の引退や逝去、降板以外に、諸般の事情による交代も時折起こる。また同じく病気や産休、事故などによる療養や、海外留学などによる休業により「一時的に」別の声優が代役を担当する例も多く見られる。
- 一例
- (引退によるもの)『BanG Dream!』今井リサ役:遠藤ゆりか[89]→中島由貴[90]
- (逝去によるもの)『それいけ!アンパンマン』ドキンちゃん役:鶴ひろみ[91]→佐久間レイ(特番の代役)[91]→冨永みーな(正式な後任担当)[91]
- (担当役降板によるもの)『クレヨンしんちゃん』野原しんのすけ役:矢島晶子[92]→小林由美子[93]
異性の役
男性と女性とでは声質が違うということもあり、アニメのアフレコや洋画の吹き替えなどで、女性声優が男性(特に変声前の少年・幼い男の子)の声を演じるという例はよくあるが、蒼井翔太や村瀬歩のように男性声優が女性(特に少女・幼い女の子)の声を演じるという例は少ない。
子供の役に子役を起用するのは演技指導などで難しい面があり、台詞の多い主要キャラクターとしての例はばらかもんなど少数である。ハリウッド映画で子供が主人公の映画が流行した1980年代には、日本で吹き替え版でも少年役を子役に演じさせようとする時期が重なり、浪川大輔のように児童劇団に所属していた子役が抜擢された。
日本以外では子供の役は子供に担当させることが主流である。脚本家のブレイク・スナイダーは8歳のころにTVプロデューサーだった父親の手伝いとしてスターリング・ホロウェイらとともに子供の役を演じていたが、変声により解雇されている[94]。
日本以外の声優
諸外国では日本のように専業の声優が確立している国は少ないとも言われる。アメリカでは代表的な人物だけでも200人以上おり[95]、近年では日本アニメの吹き替えや音声入りゲームの増加により、声優業がメインの役者も増えている。
劉セイラ、ジェーニャ、天城サリーのように、海外の出身で日本語が母語ではないが、日本語を習得して日本国内で声優として活動している例もある。
経歴
声優の経歴としては、以下のような例がある。
放送劇団
NHKと民放が組織した劇団で、局のアナウンサーとは別個に、芸能を担当するために放送局で養成され、おもにラジオドラマを担当した放送タレントである。彼らを指す言葉として「声優」が生まれた。芸能事務所などの台頭で現在ではすべて解散している[96]。
NHKの東京放送劇団からは、巖金四郎、加藤道子、中村紀子子、大木民夫など、NHK札幌放送劇団出身の若山弦蔵、NHK九州放送劇団出身の内海賢二など多数。民放ではのちのTBSにあたるラジオ東京放送劇団からは大平透、中村正、滝口順平、田中信夫、朝戸鉄也、向井真理子など。地方局では、CBC中部日本放送劇団出身の中江真司、RKB毎日放送劇団出身の八奈見乗児など。地方局で活動していたのはラジオドラマ時代までで、テレビ時代になると海外作品の日本語吹き替えなどの声優の仕事は東京に集中していった。
声優養成所・声優学校
声優プロダクション付属の声優養成所(養成所)、声優になるためのレッスン指導を主とする養成所、声優関連の学校(声優養成学科がある専門学校)などの出身。
養成所・専門学校
声優になることを目指すには、声優の養成所や専門学校に通うのがもっとも一般的である。養成期間はおおむね1年から3年で、養成期間修了後に行われる所属オーディションに合格するとプロダクション所属となる。この時点では「新人」「ジュニア」「仮所属」などと称される見習い期間となる。見習い期間が終了し、内部審査を経て、認められた者だけが正所属(正規に所属する)となる。学生時代のうちから養成所に通う人間もいれば、社会人になってから養成所に通う人間もいる(多くは前者の例だが、たとえば茅野愛衣や金田朋子は社会人経験を経て養成所に通うようになり、その後に声優デビューを叶えた)。
大塚明夫[注 16]は、自著『声優魂』の中で、養成所や専門学校は生徒の将来や給与の保証をする必要がなく、「声優学校や養成所というのは非常に儲かる商売です」「売れなければ『お前のせいだ』でおしまい。うまいことスターが出れば『ありゃあ俺んとこで育てたんだ』と言えばいい。それを広告塔に次の声優志望者たちがやってくる。はっきり言って、ローリスク・ハイリターンです」と述べている[97]。また「『安全策』として学校という道を選ぶ人は、その時点である種のステレオタイプを選んでいるということ、そしてこと芸能の世界においてステレオタイプほどすぐさま使い捨てられる存在はない」と指摘している[97]。
俳優・舞台役者
おもに舞台演劇やミュージカルなどをやる舞台役者が声優として長く活動するようになる例は、声優という職業が成立する時期から多く存在しており、納谷悟朗などがこれに該当する。また吹き替えを中心に、俳優として活動してきた役者が声優としても長く活動するようになる例もあり、津嘉山正種、磯部勉などがこれに該当する。
タカラジェンヌ出身の声優としては太田淑子、葛城七穂、水城レナ、涼風真世、七海ひろきなどがいる。
子役
児童劇団などに所属する子役が、声優の仕事をするようになったことがきっかけで、そのまま声優業を中心に活躍する例は、声優という職業が成立する時期から多く存在しており、古谷徹、古川登志夫などがこれに該当する。近年では、宮野真守、内山昂輝、木村良平、入野自由、飯田里穂、悠木碧、花澤香菜、小倉唯、諸星すみれ、黒沢ともよなどがこれに該当する。
その他
アイドル、グラビアアイドル、歌手、モデル、特撮番組系俳優、お笑いタレント、レポーター、コスプレイヤーなどといった経歴のタレントが、声優の仕事をするようになったことがきっかけで、そのまま声優業を中心に活躍する例。また、声優になるための足がかりとしてアイドルをしていた例や、歌手になるための足がかりとして声優を目指す例、あるいは、各種コンテストで入選したことがきっかけで声優として活動するようになった例もこれに該当する。一例として、仲谷明香(元AKB48)、前島亜美(元SUPER☆GiRLS)などが挙げられる。特に2010年代になって以後は、アイドルから声優への転身者や、現役アイドルのまま声優としても活動する人間が登場、増加するようになっている[98]。
ナレーションやアナウンスも声優の仕事の一部であり、アナウンサー出身という肩書きで活動する者はいない。黎明期には局のアナウンサーが声をあてた事例もあるが、現代では演技を行わないアナウンサーと声優は別な職業としてとらえられている。
他分野の芸能人・著名人などの声優活動
俳優・歌手・音楽家・アイドル・グラビアアイドル・モデル・お笑いタレント・スポーツ選手・著名人が、声優活動をすることがある。
もともと、専業の声優が確立されていなかった時代、東映動画の長編作品のころから、長編アニメーション映画において、ほかの芸能人・著名人などを声優に起用することは珍しくない。1990年代以降のスタジオジブリ制作作品、2000年代以降のスタジオ地図制作作品に至るまで、こうした傾向は現在でも続いている。
批判
作品の質よりも話題性を狙って芸能人・著名人などを声優に起用するということも多いため[99]、芸能人・著名人などの声優起用に批判が出ることもある。
2007年公開のアニメ映画『ザ・シンプソンズ MOVIE』や2012年公開の映画『アベンジャーズ』などで、これまでのシリーズで日本語吹き替えを担当していた声優を、新作映画で俳優・タレントに交代する事態が発生しており、企業への批判が殺到した。『ザ・シンプソンズ MOVIE』『TAXi4』『エクリプス/トワイライト・サーガ』ではソフト化に伴い、劇場公開版に加え、もともと担当していた声優陣による新たな吹き替え版が同時収録された。しかし、ソフト化の際に劇場公開版のみが収録される作品が大半である。特に『アベンジャーズ』ではキャスティングの変更などに対する批判のコメントがAmazon.co.jpの本作品のレビュー欄に殺到する事態となった[100]。2012年公開の映画『プロメテウス』の主人公エリザベス・ショウ役の吹き替えにタレントの剛力彩芽が起用された際、ソフト化に際して変更もなかったため『エイリアン』シリーズのファンなどから酷評され、Amazon.co.jpのレビューが炎上した[101]。
『ターミネーター3』や『サイレントヒル: リベレーション3D』のように、劇場公開版では芸能人が吹き替えを担当したが、ソフト版では声優に差し替えて収録する場合もある。また、『X-MEN フューチャー&パスト』のように、新規バージョンをソフト化する際に収録し直す例もある。
2004年公開のアニメ映画『イノセンス』では、プロデューサーの鈴木敏夫が大物俳優の起用を立案し、草薙素子役を田中敦子から山口智子に変更しようとしていたが、スケジュールの都合に加えて「できあがっているイメージを変えるべきではない」と出演を固辞した山口と、監督や声優陣の反対により田中が続投したということがあった。
オリコンスタイルで「タレント(芸能人や著名人など)を声優に起用するべきか、それともしないべきか」というアンケート調査を2014年に行ったところ、ほぼ半々に意見が分かれた[102]。
一方で2020年に大ヒットを記録した『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』では、新登場したキャラクターも含め全員を声優で固めており、話題性のためにタレントを起用する流れが変わるという予測もある[103]。
役者以外を声優に起用すること
第1次声優ブームに行われたアテレコ論争では、声優の地位問題が提議されている。アテレコの演技性を巡っては、俳優の起用は暫定的なものに過ぎず、「落語家でもアナウンサーでも、観光案内係でも、声を使う職業の人の中から選ばれてもよいことだ」という意見も示されている。
アニメ監督の高畑勲は、プレスコを採用した『平成狸合戦ぽんぽこ』で落語家の柳家小さん、アナウンサーの福澤朗などを起用している。
アニメ監督の宮崎駿は、「映画は実際時間のないところで作りますから、声優さんの器用さに頼ってるんです。でもやっぱり、どっかで欲求不満になるときがある。存在感のなさみたいなところにね。」という見解を示した事があり、『となりのトトロ』ではコピーライターの糸井重里を起用している[104]。直近の長編作品である『風立ちぬ』においてもアニメ監督の庵野秀明を起用し、「逆に庵野(秀明)もスティーブン・アルパートも存在感だけです。かなり乱暴だったと思うんですけど、その方が僕は映画にぴったりだったと思いました。」とその意図を説明している[105]。
劇中でテレビニュースが映る場合は、リアリティを重視して放送局に所属する本業のアナウンサーを起用する例があり、フリーアナウンサーの松澤千晶はアナウンサーやレポーター役としてのみ出演している。
俳優を声優に起用すること
テレビ人形劇では声優の仕事が確立される以前から放送されたこともあり、俳優や劇団員が起用された。その後も俳優が選ばれることが多く、2014年に放送されたシャーロック ホームズでは俳優と声優が混在して起用された。
アニメ監督の原恵一は、他の芸能人や劇団の子役・俳優を声優に起用している[106]。同じくアニメ監督の富野由悠季は、声優の演技は型にはまっていると批判したことがあり[107]、主役に劇団出身者や新人声優を多く起用している。同じくアニメ監督の押井守は、存在感と新鮮さが声優に勝ることがあるとして[108]、複数の作品に俳優の竹中直人を起用しており、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』ではメインキャラクターに俳優を起用した。
『ノブナガ・ザ・フール』では原作・シリーズ構成の河森正治が宝塚歌劇団を取材した際、現役タカラジェンヌである七海ひろきの舞台を見て抜擢した。七海は宝塚退団後も俳優兼声優として活動している。
『富豪刑事 Balance:UNLIMITED』では監督の伊藤智彦が有名声優を使うことよりも作品のオリジナリティを重視したことや、大富豪である主人公の存在感を際立たせるため、イメージに合う声としてダンサー兼俳優の大貫勇輔を抜擢した[109]。
上述の俳優が声優に起用されることに関して、アニメを多く手がける脚本家の首藤剛志は「マイクの前で声を出しているだけの声優よりも、声優としての技量が劣っても、実際に観客の前で芝居をする俳優が買われているのではないか」と述べている[110]。
俳優の納谷悟朗は舞台も声優も同じであるとし、その上でアテレコの難しさとは声を当てる対象が行う芝居の把握にあると説いている。声優を目指す者に対しては「基本でしょう。さっき言った、いわゆる舞台という演技の基本をきちんとしないとだめだっていうことですね」と述べている[111]。
俳優の矢島正明は声だけで入ると己で役を肉体化する基本が抜け落ちるとし、声の仕事を目指す者に対しては「『声だけだから簡単だわい』、と思わないでほしいなということがまず第一です。声優を志すならば、やはり芝居から入ってほしいと思います」と説いている。また、後進達に対しては「このごろの吹き替えの世界で、芝居の人たちが席巻してきているということは、声優として純粋に育ってきた人たちは何か危機感を感じなければならないと思うんですよね」とも述べている[112]。
俳優の野沢那智はハリウッド映画の俳優・女優が百戦錬磨の役者である事を強調し、「だから、役者として必死に修行しないと、アテレコなんてやっちゃいけないんだと思うんだよね」と述べ、アテレコの心構えを彼らと同じだけの芝居ができるようになる事に求めている[113]。
女優の戸田恵子は自身の声優観を「役者として怠っていることがなければ、それは声優としてもOKということ。私は『声優であるために』と思ってしていることは、一つもありません」とし、役者の仕事と何ら隔たりはないと述べている[114]。
声優の難波圭一は「いいですよね。ぼくは声優という小さな世界がなくなることを望んでいます」と肯定的な考えを持っている[115]。
俳優などを多く起用するゲームシリーズ『龍が如く』では、ある有名俳優を起用したが事前準備もされずに収録に臨まれ、演技がなかなか上達せず横山昌義の指示で何度もリテイクが行われ、時間をかけてその場面の距離感や感情を説明して及第点といえるところまで収録できたが「同じ苦労をした別の役者に申し訳ない、妥協はしたくない」として仕方なく降板してもらったという事例もある[116]。
女優の吉岡里帆は声優は完全に別職業であるとして、「今後、もし万が一『吉岡里帆の声でなくては成立しない』というような話があれば、それはとてもうれしいですし、ちゃんと勉強して挑みたいです」と述べている[117]。
女優の夏木マリは声の仕事を音のテンポや高低や強弱など、いろいろなものを体をつけてやる全身運動だとする見解を示している。俳優として巡りあったことは非常にラッキーであり、「俳優さん、全員がやられたほうがいいと思うくらい、勉強になるいい仕事だと思います」と述べ、前述の吉岡里帆にも勧めている[118][117]。
特撮番組系の俳優の声優活動
東映の特撮変身ヒーロー作品、とりわけ「仮面ライダーシリーズ」の「昭和ライダー」最終作にあたる『仮面ライダーBLACK RX』および「スーパー戦隊シリーズ」では、『炎神戦隊ゴーオンジャー』に至るまで長きにわたりオールアフレコで制作されてきた。
いわゆる「平成ライダー」第1作にあたる『仮面ライダークウガ』[119]および『侍戦隊シンケンジャー』[120]から、俳優が顔出しで演じるシーンは基本的に一般的なドラマと同様の撮影同時録音方式に切り替えられたものの、現在でもスーツアクターが演じる変身後のシーンなど番組制作の各所でアフレコが多用されているため、特撮番組に出演経験のある俳優は、声優としての演技経験を事実上しているとも言える。そのためか、特撮番組で出演経験のある俳優がアニメなどの声あてをすることもあり、中には声優を本業として転向した者もいる。(市道真央など)
声優による他分野での芸能活動
2000年代以後、声優が歌手や俳優(特に舞台)など、ほかの分野での芸能活動をすることが特に顕著になった。
声優がほかの分野での芸能活動をする例のひとつとして、俳優活動が挙げられる。理由として「声優さんには『ああ、あの声の人だ』という知名度ならぬ『知声度』があるので、仮に顔がいまいちわからなくても、『声』がわかったときの感動や話題性があるから」が挙げられる[121]。特に俳優活動の中でも、舞台での活動と両立する声優が少なくないが、理由として「舞台はやり直しができず、実際にその芝居や息づかいが観客に見られていることで、それが声の芝居に生きるから」などが挙げられている[122]。
また、声優が歌手などの活動と両立させる例が、特に2000年代以後に顕著になっているが、これについては下記の節にて述べる。
2014年にはオスカープロモーションと青二プロダクションが共同で開催した容姿と声の2つの要素に「美しさ」を兼ね備えた女優・声優を発掘する「第1回全日本美声女コンテスト」が開催された。おもな出身者に漫画家、アイドルとして活動する辻美優、花房里枝にピアニスト、ファッションモデルなどの活動をする入江麻衣子が挙げられる。
「アイドル声優」と「声優アーティスト」
歌手などの活動と両立させる声優について、「アイドル声優」あるいは「声優アーティスト」と表現する例が多い。
アイドル声優とは、第3次声優ブームと称されていた1990年代半ばごろから出てきた俗称。このころにはボイスアイドルとも呼ばれた[123]。本業にとどまらず、歌を通してそのCDを発売、ライブを開催するなど歌手活動をする、声優専門誌や漫画雑誌などのグラビアに登場する、写真集やイメージビデオを発売する、CMに出演する(これはいわゆる「Web CM」を含む)などといったアイドル的活動を行う声優を指すことが多い。本業を蔑ろにしているという批判的なニュアンスも含んでおり、実際にベテラン声優を中心に否定的、悲観的にとらえることが少なくない(一例として桑島法子は「アイドル声優は旬を過ぎたら使ってもらえなくなる」と述べている)[124]。
2010年代半ば以後、内田真礼[125][126]、竹達彩奈[127]、戸松遥[128][129]、三森すずこ[130][131]、佐倉綾音[132]、逢田梨香子[133][134]、斉藤朱夏[135]などのように、顔出しでCMに出演する例や、バラエティ番組やクイズ番組のゲストとして出演する例、マニア向けでない一般の漫画雑誌などでのグラビアに登場する例が増加するようになっている。
声優アーティストとは、上記のアイドル声優に代わって2000年代半ばごろから出てきた俗称であり、おもに声優業と歌手業を両立させている声優を指すことが多い[63]。「アイドル声優」「声優アーティスト」のいずれの場合も、日本の女性声優に特に多いといわれる。
近年では歌手としての独立した活動までには至らずとも、アニメに出演する場合、主題歌などを担当したり[注 17]、各種関連番組(アニラジ、ニコニコ生放送など)やイベントへの出演など、タレント活動を求められる例が一般的になっている[136]。さらには、アイドル主体のアニメ・ゲーム作品における担当アイドル(キャラクター)を、そのまま実際のライブで再現する声優ユニットも登場し、専業のアイドルと比べても遜色のない例も存在する[注 18]。実際、i☆Ris、Wake Up, Girls!、22/7などのように、「声優とアイドルの両立を謳うグループ」が増加するようになっている[98]。
「アイドル声優」「声優アーティスト」のいずれであれ、声優の顔出しでの活動が増えた理由として、声優の社会的地位の向上のほかに、声優の役割やイメージの変化(「裏方的な仕事」とされてきたのが「ルックスや若さが重視される」ように変化した)が背景としてあると指摘されている[63][124]。
声優プロダクション
声優プロダクションは、声優から手数料を徴収し、音響制作会社や放送局などに対して、アニメ・日本語吹替・ナレーションなど得意分野ごとに配置されたマネージャーが営業活動や声優の売り込みなどを行う。専門の養成所を持ったり専門学校と提携して新人の育成も行う。
もともと制作会社の関連会社に位置していて連携の強いプロダクションが存在し、特に2000年代は特に新たに創業される例が見られた[注 19]が、2010年代以降は制作会社の一部門として直営され、より連携が強固なプロダクションも存在する[注 20]。特定の制作会社との連携が強くとも、ほかの制作会社が手がける仕事も請ける。また、もともと音楽系のプロダクションでも声優のマネージメントを行う例が近年あり[注 21]、この場合は本業を生かして歌手活動も積極的に行われることが多い[注 22][注 23]。他分野中心の芸能プロダクションが声優部門に力を入れるようになる例も見られる[注 24]。
経済環境
声優は所属事務所からの基本給というものは存在せず[注 25]、各人の仕事実績によるギャランティ(報酬金)が収入となる個人事業者である。所属事務所とは通常1年更新のマネジメント契約を締結し、売込みやマネジメントの対価として業界平均で出演料の約20%から30%を事務手数料として事務所へ支払い、源泉徴収も10%[注 26]引かれ[注 27]、この残りが声優の手取りの報酬となる[137]。歌手や俳優など、ほかの芸能の世界と何ら変わりない厳しい競争社会であり、経済的に自立できずに脱落していく者も多い。
日本語吹き替えが始まった1960年代には、声の仕事は顔出し出演の7割の出演料「顔出しの七掛け」とされ[138]、低い位置にある仕事とみなされ、舞台俳優がアルバイトのような形でやっていた。ただし、実写の仕事と比較して、吹き替えの仕事は拘束時間が少なくかけ持ち出演が可能だったため、低収入とは言えなかった。
声優の賃金待遇改善については、声優の多くが日本俳優連合(日俳連)に所属しており、日俳連は音響制作会社の集合体である日本音楽制作者連盟(音声連)、声優のマネージメントを行う事業者で組織する日本芸能マネージメント事業者協会(マネ協)と「三団体実務小委員会」を設けて、出演ルールの改定や待遇の改善を申し入れて来た。ときにはストライキ(1973年8月8日)や街頭デモ活動を行うなどして、1973年には報酬が約3倍アップ、1980年には再放送での利用料の認定、1991年には報酬が約1.7倍上昇するなどの成果を勝ち取ってきた。
業界に対してのみならず、1973年と2001年にはデモ行進、1988年には永井一郎が『オール讀物』(文藝春秋)において『磯野波平ただいま年収164万円』と題して、アニメ出演料の安さを訴える記事を寄せて、世間一般への理解を求める行動を起こしている[139]。
日俳連・マネ協・音声連による協議の結果、外画動画出演規定・新人登録制度・CS番組に関する特別規定・ゲーム出演規定などを締結した。アニメでは、放送局と、アニメ制作会社で組織される日本動画製作者連盟も加わって、団体協約が締結されている。これにより、仕事1作品あたりの報酬は作品のジャンル・放送時間帯・放送回数・ソフト化などによる2次利用、そして経験実績などの条件によって受け取る額が算出される方法を取られており、音響制作会社の一方的な言い値で手取りを決定されるということはない[注 28]。
以上の協定は、声優・マネジメント事業者・音声製作事業者がそれぞれの団体に所属しなければ縛られることはない。たとえば、石原裕次郎は映画『わが青春のアルカディア』の出演料が1,000万円だったと言われている[140]。そのため組織率を高めるために、音声連が製作する作品に出演する人数について「日俳連に属さない出演者の数は全体の20%以内」とし、日俳連に属さない出演者については加盟を推奨することが音声連には課せられている。逆にマネ協・日俳連側は、音声連に入っていない製作会社へ音声連への加盟を奨めることとなっている。
これらの協定を嫌う日本アドシステムズなどの製作者側もあり、日俳連に所属しない声優を起用する例が1990年代半ばより増加したが、東映アカデミーやラムズのように事業を停止した例もある。音声連に属していない事業者としては神南スタジオや脱退した音響映像システム(現・サンオンキョー)などがあり、マネ協に属していない事業者としてはネルケプランニングなどがある[注 29]。
ランク制
日俳連に所属する声優が、アニメと日本語吹き替え作品に声をあてる際の出演料についての規定で、この制度では報酬は、ランクと拘束時間によって算出され、演じる役のセリフ量にかかわらない。また、社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)に加盟するゲーム会社との間にも同様のランク制が設けられている。ランクの設定は毎年4月に更新され、人気が上がったりキャリアを重ねると、マネ協や音声連との協議のうえ、ランクが上がっていく。ランクが1つ上がるごとに出演料が1,000円ずつアップする。例外として、60歳以上の者はランクを上げることはできても下げることはできない。1991年に出演料が約1.7倍アップしたこともあり、予算の限られたアニメや吹き替えにはランクの高い(出演料が高い)ベテラン声優が起用されなくなる弊害が生じるようになった。それにより、2001年から2年の期間限定でランク下げを認める特例期間が設けられた。
30分枠作品の最低ランクの出演料が1万5,000円で、最高ランクが4万5,000円、その上に上限なしのノーランクが設定されており、これが基本出演料となる。またその基本出演料に「目的使用料」として、アニメは1.8倍が加算され、吹き替えは1.7倍が加算される。予告編のセリフをやった場合、基本出演料のランクをもとにしたギャラが加算される。放送時間枠が60分や120分の場合は「時間割増」となり、その分のギャラが支払われる。出演作品がソフト化されたり再放送された場合、規定に基づいて「転用料(2次使用料)」が支払われる。これらの合計が声優の総出演料となるのだが、そこから事務手数料や税金などで約30%から40%引かれる。
新人
声優学校や声優養成所を卒業して、日本芸能マネージメント事業者協会(マネ協)加盟の声優事務所のオーディションに合格した新人声優は、まず「預かり」という身分から声優業をスタートする。この時点ではまだ声優個人としての日本俳優連合(日俳連)への加盟はできない。預かりは声優業の最初のステップとして、ランク制の事実上の番外とでもいうべき存在である。預かり期間修了後はジュニアランクとなり、ジュニアランクでいられる期間は3年間ないし所定の起用率に到達するまでで、それを終了したあとは日俳連へ加盟し通常のランクの声優になる[141]。
出演料が安すぎるという理由で1990年に一度新人(ジュニア)ランクを撤廃したことがあったが、1994年から新たな形で再び導入された。
預かりとジュニアランクの声優の出演料は1万5,000円で、ランクがついた声優とは違い、上述の「目的使用料」「予告編のセリフ代」「時間割増料」「転用料」は支払われない。
ベテラン
声優としてベテランになり日俳連のランクが高くなると、予算の関係からアニメ・ゲーム・吹き替えの仕事は自然とできなくなっていく。そういったことを補うのが、CMやテレビ番組などでのナレーションの仕事である。ナレーションは日俳連の協定によるランクの縛りがなく[注 30]、また、ギャラはアニメ・ゲーム・吹き替えよりもはるかに高額とされる。そのためか、新人・若手声優だったころはアニメに多く出演していたが、のちに中堅・ベテラン格になるにつれてアニメの仕事が徐々に減っていき、ナレーションが中心になるという傾向にある。なおベテラン声優を1回のみ登場、台詞が少ないなど収録時間が短い役に起用する例もあり、アニメやゲームの出演が無くなる訳ではない。
ベテラン声優の中には収入の少なさを補うために本業の傍ら、声優事務所の経営、声優の養成所や専門学校の講師、カルチャースクールの喋り方教室の講師、音響監督などといった副業をしている者もいる。また、ベテランになると、経済的にはむしろそのような副業のほうが本業という声優も珍しくないといわれている。
現状
声優を目指す人々は増加傾向にあるが、職業としての声優として第一線で活躍できる者は少ない。オーディションでほかの声優との競争に勝てず、仕事がもらえずに無名のまま脱落し、経済的に自立できずにわずかな期間でやめる、またはプロダクションから「今後、第一線級の声優として売れる見込みがない」と判断されて契約を解除されるという新人・若手声優が多いという[142][143]。実際、一例として内田彩は、2015年9月のインタビューにて「声優の仕事一本で食べていけるようになる2、3年くらい前まで、声優の仕事が空いているときは派遣のアルバイトをやっていました」と打ち明けている[144][注 31]。内山夕実のように(家の都合で)一度引退後に復帰する例[145]もある。
1996年発売のキネマ旬報刊『声優名鑑』には約2,400人の声優が掲載されていたが、このうち声優としての地位が確立されている者は約300人だけで、しかもそのうち声優業だけで食べていける者は約半数であるという[146][注 32]。
ある程度の知名度、出演本数、活動年数があったにもかかわらず、声優業で生計を立てていくことが難しいという理由で引退した者も少なくなく、継続して仕事を維持するのも厳しい世界である[143]。
脚注
注釈
- ^ 作家の夏目漱石は招待客の一人で、公演後の1911年6月5日、6日、東京朝日新聞の自身が主宰する文芸欄に『坪内博士とハムレツト』と題した評論を掲載している。
- ^ ただし、これは無声映画作品に声をつけたものとして放送されており、本格的なラジオドラマとは質が異なる。
- ^ 後述するように『読売新聞』では1926年の時点で「声優」という言葉が使われていた。
- ^ 村田美弥子(当時は村田美禰子)、村田竹子(いずれも女優・村田嘉久子の妹)とともに「スター」として取り上げられていた[29]。
- ^ 第1期生の加藤道子が死去した際、読売新聞は「声優の草分け」と紹介[32]。
- ^ 初の日本語吹き替え作品は1931年の米映画『再生の港』だが、起用された在米邦人の広島訛りが不評で後が続かなかったという[38]。
- ^ 2007年に、BS11による『アニメ+』が創設されて以後、この傾向が年々顕著になってきている。
- ^ 但し、古くは昭和では古谷徹や鶴ひろみ、冨永みーな、笠原弘子など、平成でも沢城みゆきや平野綾、神木隆之介など、過去に10代で主役を演じたベテラン声優は多数存在する。
- ^ 他には、ANIMAX MUSIX(2009年開始)、リスアニ! LIVE(2010年開始)など。
- ^ ただし、アニメ・日本語吹き替え・ゲームのナレーションはランク制の対象となる。
- ^ 特に「ラブライブ!」から生まれたμ'sは、2016年3月31日・4月1日に声優ユニットとしては初めて東京ドームでの単独コンサートを開催し、両日とも満席であった。
- ^ 2016年にも東京ドームでの単独コンサートを開催したほか、同じ年には声優だけでなくソロ歌手としても初となる阪神甲子園球場でのコンサートを実現している。水樹は阪神タイガースのファンとして知られており、甲子園球場でのコンサートは自身の念願の一つでもあった。
- ^ 水樹はその後も毎年出場を続け、2009年から2014年の計6回にわたり連続出場した。
- ^ 声優ユニットのμ'sが2015年に、水樹に次いで声優2組目となる紅白出場を果たした。
- ^ まれに普段使用している声優名のままでクレジットされていることもある。
- ^ 文学座やこまつ座などで俳優としての活動はしていた。
- ^ 作品限定の声優ユニット活動を行うこともある。
- ^ アイドルマスターシリーズ(THE IDOLM@STER・アイドルマスター シンデレラガールズ・アイドルマスター ミリオンライブ!・アイドルマスター SideM)、ラブライブ!シリーズのμ's・Aqours、Wake Up, Girls!、プリパラのi☆Risなどの例がある。特に「ラブライブ!」シリーズのキャストは歌唱力やダンス力を重視したオーディションにより、 それまで声優経験が皆無であった(女優などの他業種出身のメンバーに加えて、芸能界での活動経験自体がなかったメンバーもいる。楠田亜衣奈、降幡愛などがこれに該当)出自を持つ起用者も多くいる。
- ^ エイベックス・プランニング&デベロップメント(旧アクシヴ。声優プロダクションとしては縮小化したのち、グループ再編でエイベックス・ピクチャーズの1部門となった)、KADOKAWA系プロダクション・エース、アニプレックス系ボイスアンドハート(廃業の後、アニプレックスから独立)、ドワンゴアーティストプロダクション(ドワンゴ プランニング アンド ディベロップメント。現在のMAGES.となるAG-ONEへ会社統合の後、廃業)など。
- ^ MAGES.-アミュレート(ドワンゴアーティストプロダクションの事実上承継先)、学研プラス-office EN-JIN(2019年に所属者が居なくなり事実上の事業終了)、エイベックス・ピクチャーズ(エイベックス・プランニング&デベロップメントから一部受け入れ)、ポニーキャニオン-スワロウ、ブシロード系の制作子会社による響。
- ^ ミュージックレイン、株式会社S、ポニーキャニオンアーティスツ(現在は取扱なし。声優・アニメ関連を社内別組織マネージメント組織「スワロウ」へ分割した後、2019年7月より親会社のレコード会社ポニーキャニオンに統合)。
- ^ 『声優兼アーティスト』枠で所属オーディションを開催するなどしている。
- ^ 歌手志望者を声優として(も)デビューさせる例があり、株式会社S(現在はディファレンスに移籍)の新田恵海のように、歌手志望として所属オーディションに合格するも事務所の方針で最初は声優としてデビューし、合格から5年半を経て歌手デビューを果たすという例もあり、また、ポニーキャニオンアーティスツ(現スワロウ)の遠藤ゆりか(2018年6月、芸能活動引退)のように、歌手デビュー後に声優としてもデビューするという例もある。
- ^ 一例として、ホリプロ(現在は関連会社のホリプロインターナショナルに移管)、ソニー・ミュージックアーティスツ、スペースクラフトなど。
- ^ 例外的に、ホリプロのような月給制を基本としている事務所もある。
- ^ 平成25年度以降の25年間は復興特別所得税が加算されるため、10.21%となる[1]。
- ^ ただし、年収が少ないため結果的に源泉徴収税を納めすぎとなっているという者は、翌年の確定申告で還付を受けることができる。
- ^ 一概には言えないが、日俳連は基本的に土日祝日のゴールデンタイムに放送される番組に最も高いクラスの報酬を設定している。
- ^ ただし、現在ではスタッフの移籍がより増えたため実質的に加盟している状況の会社もある。
- ^ アニメ・ゲームのナレーションはランクの縛りがある。
- ^ 声優として2008年にデビューして以後、『キディ・ガーランド』(2009年。アスクール役)で主演を務めるなど、出演本数を積み重ねてはいたが、メインキャラクターとしての出演が増えたのは2012年以後のことであった。
- ^ なお、『声優グランプリ』2018年3月号の別冊付録である「声優名鑑2018女性編」で収録されている女性声優は800人、同雑誌の2018年4月号の別冊付録である「声優名鑑2018男性編」で収録されている男性声優は560人(つまり合計で1360人)であった。
出典
- ^ 広辞苑第六版
- ^ 加入案内のご請求 - 日本俳優連合の加盟申請ページ。「俳優・声優・その他実演家」と表記している。
- ^ 小牧雅伸『アニメックの頃…―編集長(ま)奮闘記』NTT出版、2009年、210頁。ISBN 4757142161。
- ^ “アメリカの有名声優に日本アニメの人気や声優事情を聞いた”. フォーブスJAPAN. 2020年8月6日閲覧。
- ^ 株式会社新潮社. “五十二 志ん生そっくり | 随筆 小林秀雄 | 池田雅延 | 連載 | 考える人 | 新潮社”. 考える人. 2021年1月7日閲覧。
- ^ “小林秀雄と人生を読む夕べ【その5】歴史と文学(第5回/全6回)「年齢」 | News Headlines”. 新潮社. 2021年1月7日閲覧。
- ^ 岸田國士. “「語られる言葉」の美”. www.aozora.gr.jp. 2021年1月7日閲覧。
- ^ 『演劇』11月 1951年、直観を磨くもの 小林秀雄対話集、新潮社、新潮文庫、2014年、pp.287-291。
- ^ a b 坪内逍遥 文人の世界、植田重雄、垣文社、1998年、pp.113-128。
- ^ “東宝(株)帝国劇場『帝劇の五十年』(1966.09) | 渋沢社史データベース”. shashi.shibusawa.or.jp. 2021年2月11日閲覧。
- ^ “松井須磨子 | 近代日本人の肖像”. www.ndl.go.jp. 2021年2月11日閲覧。
- ^ 逍遥、抱月、須磨子の悲劇 新劇秘録、河竹繁俊、毎日新聞社、1966年、pp.139-156。
- ^ “復活 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年2月11日閲覧。
- ^ Company, The Asahi Shimbun. “「カチューシャの唄」100年 - ことばマガジン:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2021年2月11日閲覧。
- ^ “クレオパトラ : シヱイクスピア作 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年2月11日閲覧。
- ^ Historical English Studies in Japan (4): 91–103. (1972). doi:10.5024/jeigakushi.1972.91. ISSN 0386-9490. https://doi.org/10.5024/jeigakushi.1972.91.
- ^ “元祖「歌う女優」 松井須磨子、幻の音源 研究家発見 107年前収録:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2021年2月11日閲覧。
- ^ “東洋蓄音器(オリエントレコード) の社史調査とディスコグラフィの作成”. 京都市立芸術大学リポジトリ. 2021年2月11日閲覧。
- ^ “創始期ラジオドラマとラジオドラマの「ことば」研究”. CiNii Articles - 国立情報学研究所. 2021年2月14日閲覧。
- ^ “声優”の歴史をひもとく頁「いにしへの声優列伝」内。
- ^ NHK. “炭坑の中”. テレビ60年 特選コレクション | NHKアーカイブス. 2021年2月11日閲覧。
- ^ 春陽堂書店編集部 (2018年10月12日). “春陽堂とラジオドラマ 第二回 春陽堂とラジオドラマ研究会 | 春陽堂書店”. www.shunyodo.co.jp. 2021年2月14日閲覧。
- ^ “港区ゆかりの人物データベースサイト 文士とラジオドラマ?放送局に集った若き才能”. www.lib.city.minato.tokyo.jp. 2021年2月14日閲覧。
- ^ “平成22年度 日本脚本アーカイブズ特別委員会 調査・研究報告書”. 一般社団法人 日本放送作家協会. 2021年2月14日閲覧。
- ^ 森川友義・辻谷耕史 「声優の誕生とその発展」『メディア史研究』第13号、ゆまに書房、2002年、p.62。
- ^ 日本放送協会『NHK放送劇選集 第1巻,第2巻,第3巻』ラジオサービスセンター、1955年 。
- ^ 春陽堂書店編集部 (2018年9月28日). “春陽堂とラジオドラマ 第一回 娯楽としてのドラマ | 春陽堂書店”. www.shunyodo.co.jp. 2021年2月14日閲覧。
- ^ “近代メディアミックスの形成過程―春陽堂書店とラヂオドラマ研究会との連携を中心に”. J-STAGE. 2021年2月14日閲覧。
- ^ 読売新聞 1930年(昭和5年)1月6日付朝刊。
- ^ 「“声優”誕生」『放送夜話-座談会による放送史』日本放送協会、1968年、p.113。
- ^ 西澤實『ラジオドラマの黄金時代』河出書房新社、2002年、18-19頁。
- ^ 読売新聞 2004年2月1日。
- ^ 浦崎浩實「映画人、逝く 七尾伶子」『キネマ旬報』2006年10月上旬号、キネマ旬報社。
- ^ 『読売新聞』1926年4月4日朝刊、p.10。
- ^ 勝田久「声優の歴史」『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』ジ・アニメ特別編集、近代映画社、1985年、174頁。
- ^ 能村庸一『実録テレビ時代劇史 ちゃんばらクロニクル1953-1998』東京新聞出版局、1999年、20-21頁。
- ^ 勝田久「声優の歴史」『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』ジ・アニメ特別編集、近代映画社、1985年、175頁。
- ^ 清水俊二 『映画字幕五十年』早川書房、1987年、p.76。
- ^ 乾直明『外国テレビフィルム盛衰史』晶文社、1990年、60頁、118頁、557頁。
- ^ 串間努『少年ブーム 昭和レトロの流行もの』晶文社、2003年、41頁。
- ^ 引田惣彌『全記録テレビ視聴率50年戦争 そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、38頁。
- ^ ハイパーボイス監修『すごい!アニメの音づくりの現場』雷鳥社、2007年、79頁。音響スタッフだった田中英行の証言。
- ^ 松田咲實 2000, p. 15.
- ^ 野村道子 2009, p. 24.
- ^ とり・みき 『別冊映画秘宝Vol.3 とり・みきの映画吹替王』 洋泉社、2004年、275頁。
- ^ 「太平洋テレビジョンの労働争議」について若山は実名を避けながらも証言をした数少ない一人である。
- ^ 高田城、千葉節子『声優になるには』ぺりかん社、1983年初版、1994年改定版、47頁。
- ^ 松田咲實 2000, p. 43.
- ^ 『テレビ黄金時代の立役者12人の告白 あの日、夢の箱を開けた!』小学館、2003年、190頁。
- ^ 酒井広「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・六本木」『映画はブラウン管の指定席で』淀川長治監修、テレビ朝日編著、全国朝日放送株式会社、1986年、p.38
- ^ ドン上野『ミスター・ラジオが通る』実業之日本社、1986年、152頁。
- ^ 『ジ・アニメ』1982年3月号、108頁。
- ^ HUNTER×HUNTER特集『“リアル親子”共演の2人に直撃』-ORICON STYLE エンタメ
- ^ 藤井青銅『ラジオな日々 80's RADIO DAYS』小学館、2007年、24頁。
- ^ 尾形英夫『あの旗を撃て! 「アニメージュ」血風録』オークラ出版、2004年、60頁、120頁。
- ^ アニメージュ編集部・編『声優になりたいあなたへ』徳間書店、1994年、p.46
- ^ “林原めぐみオフィシャルブログ/私らしく(超長文)”. ameblo. 2020年8月6日閲覧。
- ^ 松田咲實 2000, p. 16.
- ^ “トム・クルーズ公認の声優・森川智之「トム本人からの吹き替えチェックに驚きました!」”. ホムニス. 2020年8月6日閲覧。
- ^ “【声グラヒストリー第1回】高まる声優人気を受け、待望の声優専門誌がついに創刊! 1994年Vol.1(創刊号)”. 声グラ. 2020年8月6日閲覧。
- ^ “lain|清水香里オフィシャルブログ”. ameblo. 2020年8月6日閲覧。
- ^ “TVアニメ『天空のエスカフローネ』坂本真綾「約束はいらない」【毎日1曲おすすめのアニソンをあなたに 塚越淳一のアニソントラベラーvol.47】”. アニメイトタイムズ. 2020年8月6日閲覧。
- ^ a b c d “声優ブームが生んだ功罪 今の声優に求められるものとは?”. ORICON STYLE. オリコン株式会社 (2015年2月8日). 2015年8月9日閲覧。
- ^ 『週刊プレイボーイ』集英社、2013年7月1日号、70頁。
- ^ “こんなに楽しいことがあるのに、二番目はいらないんじゃないかなとー水瀬いのりインタビュー③”. Nizista (2016年11月21日). 2019年6月21日閲覧。
- ^ “Run Girls, Run!・林鼓子、水樹奈々に憧れた幼少期からデビューまでを振り返る【インタビュー】”. アニメ!アニメ! (2019年6月5日). 2019年6月21日閲覧。
- ^ “17歳が歩むシンデレラ・ストーリー! 注目新人声優・楠木ともりインタビュー「まだ現実に追いつけていません(苦笑)」”. 週プレNEWS (2017年11月17日). 2019年6月21日閲覧。
- ^ “初オーディションで主演に大抜擢! 17歳の注目声優・楠木ともりが意外な学生生活を告白”. 週プレNEWS (2017年11月18日). 2019年6月21日閲覧。
- ^ “内田彩、熱狂のツアーファイナル! 9000人の歓声につつまれ日本武道館を激震させた3時間をレポート”. SPICE (2016年8月27日). 2019年6月21日閲覧。
- ^ “武道館が七色にきらめく!「東山奈央 1st LIVE“Rainbow”at 日本武道館」ライブレポート”. リスアニ!WEB (2018年2月12日). 2019年6月21日閲覧。
- ^ “2019年も内田真礼が優勝!さまざまな演出で魅せた武道館ライブ“UCHIDA MAAYA New Year LIVE 2019 「take you take me BUDOKAN!!」”レポート!”. リスアニ!WEB (2019年2月24日). 2019年6月21日閲覧。
- ^ “声優に転身するアイドルが増加 芸能界でも兼業ブームか”. NESポストセブン. 2020年8月6日閲覧。
- ^ “炭治郎役・花江夏樹「天狗」記事に、緒方恵美が「彼のせいではありません」 業界の事情を解説...なお、本人はテングジャーキー写真で反応”. J-CAST ニュース (2020年11月13日). 2021年1月7日閲覧。
- ^ a b 市原光敏『声優になれる本』世界文化社、1996年、p.120。当時江崎プロダクションの社長だった江崎加子男の証言
- ^ 野村道子 2009, p. 130.
- ^ 橋本崇宏、柳谷杞一郎・著『声優になる!』雷鳥社、2008年、p.157。こおろぎさとみインタビュー
- ^ 「大御所なんだから、仕事選べよ」に反論 声優・古川登志夫、ポプテピ出演への批判に言及 ねとらぼ
- ^ @TOSHIO_FURUKAWA (2018年3月1日). "「大御所なんだから、仕事選べよ、なんでこんなクソアニメに!」とのリプがいまだにたっくさん。①「お気遣いありがとうございます」②「アニメのキャラ声は本職です」③そもそも大御所と思っていない」". X(旧Twitter)より2018年6月22日閲覧。
- ^ “アニメ「からくりサーカス」10月放送開始!キャスト5人やアニメ映像のPV解禁”. コミックナタリー (ナターシャ). (2018年8月1日) 2018年8月1日閲覧。
- ^ 山本健翔『声優になるには』ぺりかん社、2007年、p.136
- ^ 高田城、中川奈美『声優になるには』ぺりかん社、1997年、p.135。加藤敏音響監督インタビュー
- ^ NECホームエレクトロニクスの発売した家庭用ゲーム機PCエンジンのCD-ROMドライブの発売は1988年12月。
- ^ 【カズゾウの絶対音監】ドラマCDの魅力ってナニ!?
- ^ 大栄出版編集部・編『なりたい!!声優』大栄出版、1998年、p.152
- ^ 松田咲實 2000, pp. 121–122.
- ^ 大栄出版編集部・編『なりたい!!声優』大栄出版、1998年
- ^ 椎名へきる、林原めぐみ、國府田マリ子 ヒットチャートは声優だらけ!!、『日経エンタテインメント!』1997年6月号より(インターネットアーカイブのキャッシュ)。
- ^ 上崎よーいち「開封!18禁アニメの世界」『ビデオボーイ』英知出版、1998年4月号、p.105-106
- ^ 声優・遠藤ゆりかが引退を発表 「BanG Dream!」「温泉むすめ」もキャスト変更についてコメント アニメ!アニメ! 2017年12月18日、2018年6月22日閲覧。
- ^ 永遠の一瞬に交錯した“2人の今井リサ”!「BanG Dream! 5th☆LIVE Day2:Roselia -Ewigkeit-」ライブレポート アキバ総研 2018年6月20日、同22日閲覧。
- ^ a b c 『アンパンマン』代役ドキンちゃんに絶賛の声「違和感がない!」 オリコン 2017年12月22日、2018年6月22日閲覧。
- ^ 『クレヨンしんちゃん』しんのすけ役・矢島晶子が降板発表 「声を保ち続ける事が難しく」 オリコン 2018年6月1日、同22日閲覧。
- ^ 「クレしん」"シロ"がシロの飼い主に!? しんのすけ新声優・小林由美子さんにTwitterの反応は? アニメ!アニメ! 2018年6月14日、同21日閲覧。
- ^ p.13 SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術 2010年 フィルムアート社 ISBN 978-4845910564
- ^ “Common American voice actors who can be cast anywhere”. IMDB. 2020年8月6日閲覧。
- ^ 「ラジオ名作数々残し 来春NHK放送劇団が"終幕"」『中日新聞』1989年11月5日付け夕刊
- ^ a b 大塚明夫『声優魂』星海社、2015年3月、140-149頁。
- ^ a b “アイドルの声優活動なぜ増加? 2つのシーンに起こった変化を読む”. Real Sound. 2018年4月28日閲覧。
- ^ 原恵一、浜野保樹・編著『アニメーション監督 原恵一』晶文社、2005年、p.48。「劇場版『クレヨンしんちゃん』の有名人のキャスティングは宣伝の一環だ」と原恵一の証言
- ^ 批判殺到でコメント欄の炎上も!タレントの日本語吹き替え版起用に映画ファンの怒り爆発!(シネマトゥデイ)
- ^ 映画『プロメテウス』声優にタレント剛力彩芽を起用して強い批判の声 / ファン「メーカーは正気なのでしょうか?」 ロケットニュース24、2015年3月17日閲覧。
- ^ タレントの声優起用、ほぼ半々に意見が割れる ORICON STYLE 2014年8月1日閲覧。
- ^ 『鬼滅の刃』ヒット契機に“声優起用”の原点回帰が加速、花江夏樹がハブ的役割に - ORICON NEWS
- ^ “宮崎駿は、声優のスキルについてどう考えているのか”. ニコニコニュース. 2021年2月7日閲覧。
- ^ “宮崎駿監督引退会見 一問一答|シネマトゥデイ”. シネマトゥデイ. 2021年2月7日閲覧。
- ^ 「原恵一監督が語る新作映画のキャスティング!」『サイゾー』インフォバーン、2007年8月号。
- ^ 富野由悠季『富野由悠季インタビュー集 富野語録』ラポート、1999年1月、195頁。ISBN 978-4-89-799296-9。
- ^ 押井守『すべての映画はアニメになる』徳間書店、2004年3月27日、307-309頁。ISBN 978-4-19-861828-5。
- ^ 「富豪刑事 Balance:UNLIMITED」プロデューサーが仕掛ける話題づくりの“妙”【インタビュー】 - アニメ!アニメ!
- ^ “首藤剛志「シナリオえーだば創作術 第39回 『戦国魔神ゴーショーグン』予告のわけ……」”. WEBアニメスタイル (2006年3月1日). 2013年4月18日閲覧。
- ^ “スーパー!ドラマTV 海外ドラマ:納谷悟朗インタビュー”. www.superdramatv.com. 2021年2月5日閲覧。
- ^ “スーパー!ドラマTV 海外ドラマ:矢島正明インタビュー”. www.superdramatv.com. 2021年2月8日閲覧。
- ^ “第2回 野沢那智【ふきカエルインタビュー】ふきカエル大作戦!!”. www.fukikaeru.com. 2021年2月5日閲覧。
- ^ 声優グランプリ『声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント』主婦の友社、2019年2月、37頁。ISBN 9784074352296。
- ^ 山本健翔『声優になるには』ぺりかん社、2007年、p.55
- ^ 週刊ファミ通『龍が如くシリーズ10周年記念本 龍大全』KADOKAWA、2015年、p.81-82
- ^ a b “吉岡里帆:「私のうぬぼれだった…」 声優挑戦で数々の“気づき””. MANTANWEB(まんたんウェブ). 2021年2月8日閲覧。
- ^ “スーパー!ドラマTV 海外ドラマ:夏木マリインタビュー”. www.superdramatv.com. 2021年2月8日閲覧。
- ^ BIGLOBEポータル内旧コンテンツ「お仕事DB」第33回・鈴村展弘インタビュー記事より。2014年2月8日確認(2014年2月22日時点のアーカイブ)
- ^ 侍戦隊シンケンジャー 第二幕 極付粋合体 東映公式サイト 2014年1月9日閲覧。
- ^ “声優出身者が俳優業で活躍 そもそも声優のポジションとは?”. オリコン. 2018年4月30日閲覧。
- ^ 一例として、『声優バイブル2016』22頁-29頁(入野自由のインタビューページ)、『声優バイブル2017』18頁-25頁(関智一のインタビューページ)など。
- ^ 「声優業界の明日はどこにあるのか?」『流行批評SPECIAL EDITION オタクになれないアニメ好きの本』キルタイムコミュニケーション、1997年、114頁。
- ^ a b “浅川悠がアイドル化の進む声優界に苦言 業界が「人気のあるカワイコちゃん」を求めた結果、新人声優は……”. おたぽる. 2018年4月30日閲覧。
- ^ “声優・内田真礼がイケメンとイチャつく三菱地所レジデンスの新CMに反響 「なんだこの神CM」「めちゃめちゃ可愛い」”. ねとらぼ. 2018年4月30日閲覧。
- ^ “内田真礼:ヤングジャンプの巻頭グラビアに”. まんたんウェブ. 2018年4月30日閲覧。
- ^ “人気声優・竹達彩奈が吉野家とのコラボで“大食いキャラ”をいかんなく発揮!!”. ORICON STYLE. 2018年4月30日閲覧。
- ^ “声優の戸松遥が実写CMデビュー、9月5日オンエアのフルタ製菓CMで。”. エキサイトニュース. 2019年6月21日閲覧。
- ^ “戸松遥:人気声優が「ヤンジャン」グラビア登場 ビキニや大胆な姿も”. まんたんウェブ. 2019年6月21日閲覧。
- ^ “パイロンPL顆粒サイト”. シオノギヘルスケア. 2018年9月16日閲覧。
- ^ “FLASH増刊|雑誌|光文社”. 光文社. 2018年9月16日閲覧。
- ^ “佐倉綾音:人気声優が「マガジン」初表紙 京都で“和”グラビア”. まんたんウェブ. 2018年4月30日閲覧。
- ^ “逢田梨香子:人気声優が「柿の種」CMに出演 部屋着で生足披露「止まらん~!」”. まんたんウェブ. 2019年6月21日閲覧。
- ^ “逢田梨香子:“声優界最高の美女”が再び「ヤンジャン」表紙に はじける素肌!”. まんたんウェブ. 2018年4月30日閲覧。
- ^ “斉藤朱夏:「ラブライブ!サンシャイン!!」声優が「ヤンジャン」グラビアに”. まんたんウェブ. 2018年4月30日閲覧。
- ^ 「新人で歌やイベントがNGなら仕事が難しい」変わりゆく声優の現状をプロが真剣討論 エキサイトレビュー 2015年5月11日、同9月22日閲覧。
- ^ 野村道子 2009, p. 148-149.
- ^ とり・みき『映画秘宝Vol.3 とり・みきの映画吹替王』洋泉社、2004年、p.141。野沢那智インタビュー
- ^ 「日本俳優連合30年史 本編 1986年〜1990年 ショッキングな実態公表」 日本俳優連合公式サイト
- ^ アニメージュ編集部・編『劇場アニメ70年史』徳間書店、1989年、93頁。
- ^ 野村道子『しずかちゃんになる方法 めざすは声優一番星』リブレ出版、2009年、pp.148-149
- ^ 第044話 彼女の決断 : それが声優!WEB 浅野真澄・畑健二郎 2013年12月21日閲覧。
- ^ a b “実録 生き残れるのは一握りと言われる「声優」の収入と生活の現実”. ファイナンシャルフィールド. 2018年4月28日閲覧。
- ^ “【魅力発見・動画付き】 アニメ「ラブライブ!」で大ブレークの内田彩 声優やりながら肉体労働も”. 産経新聞. 2018年4月28日閲覧。
- ^ “声優未来予想図 第9回 内山夕実さん”. 声優グランプリweb (2012年2月6日). 2018年10月1日閲覧。
- ^ 市原光敏『声優になれる本 - あの声優がすべてを明かす!』世界文化社、1996年、101頁。ISBN 4418965084。
参考文献
- 松田咲實『声優白書』オークラ出版、2000年。ISBN 978-4872785647。
- 野村道子『しずかちゃんになる方法 めざすは声優一番星』リブレ出版、2009年。ISBN 978-4862636515。
- 大塚明夫『声優魂』星海社新書、2015年。ISBN 978-4061385672。
関連項目
外部リンク
- 協同組合日本俳優連合 - 声優の多くが加盟。
- 一般社団法人日本芸能マネージメント事業者協会 - 声優のマネージメントを行うプロダクションなど事業者が加盟する。
- 日本声優事業社協議会 - 声優事業社で組織。
- 一般社団法人日本音声製作者連盟 - アニメの音響製作、外国作品の日本語版製作を行う音響製作会社で組織。
- 日本アニメーション・音響映像システム二次使用料未払い訴訟関係資料 - 原告の日本俳優連合側がまとめた資料。