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== 棋歴 ==
== 棋歴 ==
*四段昇段の折に、将棋を始めたきっかけは、5歳のときに父に教わったと答えた。
* 四段昇段の折に、将棋を始めたきっかけは、5歳のときに父に教わったと答えた。
* [[升田幸三]]の将棋に憧れ、升田の孫弟子に当たる大平の門下となったが<ref>[http://www.hochi.co.jp/entertainment/20180304-OHT1T50184.html 将棋の長谷部新四段、黒田投手から学んだ男気と地元・栃木へのこだわり] スポーツ報知、2018年3月4日(2018年5月16日閲覧)。</ref>、師匠の大平は長谷部の四段昇段で報道されるまで、理由を知らなかったという<ref>[http://oohira243.blogspot.jp/2018/03/blog-post_4.html 感謝] 大平武洋の自由な日々、2018年3月4日(2018年5月16日閲覧)。</ref>。
*順位戦には第77期(2018年度)から参加。
* 順位戦には[[第77期順位戦|第77期]](2018年度)から参加。


== 棋風 ==
== 棋風 ==

2018年5月16日 (水) 09:48時点における版

 長谷部浩平 四段
名前 長谷部浩平
生年月日 (1994-04-15) 1994年4月15日(30歳)
プロ入り年月日 2018年4月1日(23歳)
棋士番号 313
出身地 栃木県小山市[1]
師匠 大平武洋六段
段位 四段
棋士DB 長谷部浩平
2018年4月7日現在
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長谷部 浩平(はせべ こうへい、1994年4月15日[1] - )は、栃木県出身の将棋棋士大平武洋門下[1]。棋士番号は313[1]。2018年3月現在、宇都宮大学教育学部在学中[2][3]

栃木県出身の棋士は、永沢勝雄八段(1937年四段・1974年引退)に次いで2人目[2]。長谷部が四段昇段を決めた2018年3月4日、地元紙の下野新聞は、81年ぶりとなる自県出身棋士の誕生を報じる電子号外を出した[4]

棋歴

  • 四段昇段の折に、将棋を始めたきっかけは、5歳のときに父に教わったと答えた。
  • 升田幸三の将棋に憧れ、升田の孫弟子に当たる大平の門下となったが[5]、師匠の大平は長谷部の四段昇段で報道されるまで、理由を知らなかったという[6]
  • 順位戦には第77期(2018年度)から参加。

棋風

人物・発言

  • 「栃木県出身の棋士は自分だけなので、栃木の支部の方々や師匠(大平)、応援してくださった将棋ファンに感謝と恩返しをしたい。」旨の抱負を四段昇段の折にコメントした[4]

昇段履歴

昇段規定は、将棋の段級 を参照。

  • 2007年3月 - 奨励会入会[1]
  • 三段リーグには第59回(2016年度前期)から参加。[1]
  • 2018年4月1日 - 四段

脚注

  1. ^ a b c d e f g 新四段誕生のお知らせ *長谷部浩平・池永天志”. 日本将棋連盟 (2018年3月4日). 2018年4月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月4日閲覧。
  2. ^ a b 長谷部さん(宇大4年、小山)がプロ棋士に 栃木県出身者で戦後初”. 下野新聞 (2018年3月4日). 2018年4月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月3日閲覧。
  3. ^ 日本学術振興会育志賞受賞者熊谷幸汰さん(工学研究科博士後期課程2年)、 4月から日本将棋連盟4段のプロ棋士となる長谷部浩平さん(教育学部総合人間形成課程4年) の2名が学長を表敬訪問しました”. 宇都宮大学. 2018年4月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月3日閲覧。
  4. ^ a b 「四段昇段の記 - 長谷部浩平池永天志」、『将棋世界』(2018年5月号)、日本将棋連盟 pp. 220-221
  5. ^ 将棋の長谷部新四段、黒田投手から学んだ男気と地元・栃木へのこだわり スポーツ報知、2018年3月4日(2018年5月16日閲覧)。
  6. ^ 感謝 大平武洋の自由な日々、2018年3月4日(2018年5月16日閲覧)。

外部リンク