「村田顕弘」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
4行目: 4行目:
[[1998年]]小学6年で富山県出身の中田章道を師匠として、関西奨励会試験を受けたが不合格。しかし、翌[[1999年]]中学校1年で6級として奨励会入り。[[2001年]]に初段に昇段し、[[2004年]]前期から三段リーグで戦う。
[[1998年]]小学6年で富山県出身の中田章道を師匠として、関西奨励会試験を受けたが不合格。しかし、翌[[1999年]]中学校1年で6級として奨励会入り。[[2001年]]に初段に昇段し、[[2004年]]前期から三段リーグで戦う。


[[2007年]]、中田の妻が四段入りを期待しながら6月に没したことに発奮し、同年秋にその弔いとなる四段昇段を果たした<ref>産経新聞 2007年10月22日</ref>。21歳でのプロ入りである。
[[2007年]]、中田の妻が四段入りを期待しながら6月に没したことに発奮し、同年秋にその弔いとなる四段昇段を果たした<ref>産経新聞 2007年10月22日</ref><ref>日本将棋連盟ホームページ・お知らせ「[http://www.shogi.or.jp/topics/2007/09/post-126.html 村田顕弘・及川拓馬 新四段誕生のお知らせ]」</ref>。第41回三段リーグ(2007年度前期)での成績は15勝3敗(1位)。21歳でのプロ入りである。


初参加の第34期(2008年度)[[棋王戦]]の予選を勝ち上がり、本戦出場。同じく初参加の第67期(2008年度)C級2組[[順位戦]]では8勝2敗の好成績を挙げ、新四段4名の中で唯一の勝ち越し。また、[[2009年]][[10月16日]]の[[竜王戦]]6組3位決定戦において、[[新人王戦 (将棋)|新人王戦]]優勝で波に乗る強敵・[[広瀬章人]]を破り、7連勝で5組へ昇級。デビューから6割台の年度勝率を連発し、[[糸谷哲郎]]、[[豊島将之]]、[[稲葉陽]]とともに「関西若手四天王」<ref>2010年2月13日放送の「[[囲碁・将棋ジャーナル]]」</ref><ref>[http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/2011060800010.html?iref=webronza 「羽生世代がもたらした、速さと若さの時代」(倉沢鉄也)WEBRONZA+社会・メディア - WEBマガジン - 朝日新聞社(Astand)]</ref>と呼ばれるようになる。
初参加の第34期(2008年度)[[棋王戦]]の予選を勝ち上がり、本戦出場。同じく初参加の第67期(2008年度)C級2組[[順位戦]]では8勝2敗の好成績を挙げ、新四段4名の中で唯一の勝ち越し。また、[[2009年]][[10月16日]]の[[竜王戦]]6組3位決定戦において、[[新人王戦 (将棋)|新人王戦]]優勝で波に乗る強敵・[[広瀬章人]]を破り、7連勝で5組へ昇級。デビューから6割台の年度勝率を連発し、[[糸谷哲郎]]、[[豊島将之]]、[[稲葉陽]]とともに「関西若手四天王」<ref>2010年2月13日放送の「[[囲碁・将棋ジャーナル]]」</ref><ref>[http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/2011060800010.html?iref=webronza 「羽生世代がもたらした、速さと若さの時代」(倉沢鉄也)WEBRONZA+社会・メディア - WEBマガジン - 朝日新聞社(Astand)]</ref>と呼ばれるようになる。

2012年10月15日 (月) 20:39時点における版

村田 顕弘(むらた あきひろ、1986年7月14日 - )は、将棋棋士中田章道門下。棋士番号は267。兵庫県尼崎市生まれ、富山県魚津市育ち。

棋歴

1998年小学6年で富山県出身の中田章道を師匠として、関西奨励会試験を受けたが不合格。しかし、翌1999年中学校1年で6級として奨励会入り。2001年に初段に昇段し、2004年前期から三段リーグで戦う。

2007年、中田の妻が四段入りを期待しながら6月に没したことに発奮し、同年秋にその弔いとなる四段昇段を果たした[1][2]。第41回三段リーグ(2007年度前期)での成績は15勝3敗(1位)。21歳でのプロ入りである。

初参加の第34期(2008年度)棋王戦の予選を勝ち上がり、本戦出場。同じく初参加の第67期(2008年度)C級2組順位戦では8勝2敗の好成績を挙げ、新四段4名の中で唯一の勝ち越し。また、2009年10月16日竜王戦6組3位決定戦において、新人王戦優勝で波に乗る強敵・広瀬章人を破り、7連勝で5組へ昇級。デビューから6割台の年度勝率を連発し、糸谷哲郎豊島将之稲葉陽とともに「関西若手四天王」[3][4]と呼ばれるようになる。

第4回朝日杯将棋オープン戦(2010年 - 2011年)で予選突破。本戦1回戦で久保利明を破る。また、第59期(2011年度)王座戦で本戦進出(ベスト16)。

五段昇段は2012年3月6日付け。第70期C級2組順位戦10回戦(最終局)の阪口悟五段との対局に勝利して四段昇段後公式戦で通算100勝に到達したことに伴うもの。

人物

  • 同じく将棋棋士の村田智弘と名前が似ているが、血縁関係はない。
  • 生まれは尼崎市で、幼少時に魚津市に転居。奨励会入会当初は、魚津市から関西将棋会館まで通っていたが、高校1年時に再度尼崎市に転居。
  • 師匠の中田同様、詰将棋作りを特技とし、専門誌「詰将棋パラダイス」への入選歴もある。また、詰将棋を解く方の「詰将棋解答選手権」にも何度か出場している。

棋風

居飛車振り飛車両方の戦型を指しこなすオールラウンダータイプの棋士。

昇段履歴

  • 1999年9月 6級 = 奨励会入会
  • 2003年10月 三段 … 2004年度前期から三段リーグ参加
  • 2007年10月1日 四段 = プロ入り(2007年度前期奨励会三段リーグで1位 = 15勝3敗)
  • 2012年3月6日 五段 = 勝数規定(四段昇段後公式戦通算100勝)

主な成績

在籍クラス

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

脚注

関連項目

外部リンク