トヨタ・スターレット
スターレット(STARLET )は、トヨタ自動車で生産されていた乗用車である。
概要
パブリカのスポーティーな上級派生車として登場した初代はファストバックボディの2ドアと4ドアであり、1978年(昭和53年)まではスポーティーグレードを廃止した2代目パプリカも併売されていた。2代目以降は3ドアと5ドアのハッチバックボディを持つ。2代目と3代目には商用車登録のバンも存在したが、ピックアップトラックは作られず、パブリカピックアップが1988年(昭和63年)まで継続生産されていた。
前輪駆動化した3代目からターボチャージャー付きエンジン搭載車も登場し、「韋駄天」「かっ跳び」など走りのコンパクトとしての異名を持つ。
2代目以降の設計と組み立てには、トヨタ自動車のルーツでもある豊田自動織機も参加している。
歴史
初代 P4#/5#型(1973年 - 1978年)
トヨタ・パブリカスターレット トヨタ・スターレット(初代) P4#/5#型 | |
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クーペ SR (フロントグリルのトヨタCIはノンオリジナル) | |
概要 | |
販売期間 | 1973年4月 - 1978年 |
デザイン | イタルデザイン・ジウジアーロ |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
2ドアクーペ 4ドアセダン |
駆動方式 | FR |
パワートレイン | |
エンジン |
2K型 1L 3K型 1.2L |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,265mm |
全長 | 3,790mm |
全幅 | 1,530mm |
全高 | 1,310mm |
車両重量 | 755kg |
系譜 | |
先代 | パブリカ(2代目) |
1973年(昭和48年)4月に2代目パブリカのスポーティーな上級シリーズとして、パブリカ・スターレットの名でデビュー(1,000cc:KP45 / 1,200cc:KP47)。初代セリカで好評であった「フルチョイスシステム」[1]にならい、やや簡略化した「フリーチョイスシステム」を採用[2]していた。
ボディスタイルは2ドアのファストバッククーペで、直線的なエクステリアデザインは曲面主体の当時の日本車にあっては新鮮なものだった。同年10月、4ドアモデル(ファストバックセダン、1,000cc:KP40 / 1,200cc:KP42)が追加され、トヨタ・スターレットとしてパブリカシリーズから独立する。
搭載エンジンは、パブリカと共通の2K型1,000ccと3K型1,200ccの2種で、1,200ccにはさらにシングルキャブ(68馬力)とツインキャブ(74馬力)の2種が用意されていた。
モータースポーツでは、レースをはじめ、ラリー、ジムカーナ、ダートトライアルなどに広く用いられた。中でも、富士スピードウェイでのマイナーツーリングレースでは日産・サニー(B110型)、ホンダ・シビック(SB1型)との熾烈なバトルが繰り広げられた。TRDからは各種の競技用部品も市販された。その他、一部のチームにスペシャルエンジンが供給された[3]また日本初のワンメイクレースは1981年(昭和56年)から開始された「スターレットカップ」シリーズであり、2000年(平成12年)に「ネッツカップ ヴィッツレース」シリーズに引き継がれたが、ビギナーにもベテランにも楽しめるレースとして人気がある。
- 1976年(昭和51年)2月 - マイナーチェンジと同時に昭和51年排出ガス規制を乗り切るため、改善の困難な1,000cc[4]とツインキャブ仕様を廃止、1,200cc・64馬力のシングルキャブ仕様のみに整理、型式もB-KP51系となった。同年9月にはATが追加(パブリカ共)された。
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クーペ リア
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セダン リア
2代目 P6#型(1978年 - 1984年)
トヨタ・スターレット(2代目) P6#型 | |
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前期型(欧州仕様) | |
中期型 XL | |
後期型 | |
概要 | |
販売期間 | 1978年2月 - 1984年 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
3/5ドアハッチバック 5ドアバン |
駆動方式 | FR |
パワートレイン | |
エンジン | 3K型 / 4K-U型 / 4K-EU型 |
変速機 |
3速 / 2速AT 5速 / 4速MT |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,300mm |
全長 | 3,745mm |
全幅 | 1,535mm |
全高 | 1,380mm |
車両重量 | 730kg |
通称:「1300スターレット」。ハッチバックボディに転換。エンジンは先代モデルに用いられていた3K型の排気量をアップした4K型、72馬力へ変更された。
同時期のライバルはFFのものが多く、大衆車のFF化が進んでいた中でFRのままデビューした。駆動方式は変わらないがシャーシは新開発されている。また、同クラスで初めて全グレードにフロントディスクブレーキを標準装備したモデルである。他にも、衝撃吸収ステアリングやヘッドランプクリーナーといった装備も存在した。
リアアクスルは固定車軸ながら、先代のリーフリジッドから4リンク+コイルスプリングに変更されている。またロック トゥー ロック3回転のラックアンドピニオン式ステアリングギアボックスを採用。
発売時のグレード構成は、木目調インテリアやヘッドランプクリーナーなど最高級の装備を奢った「SE」、スポーツサスペンションなど走りを意識した装備の「S」、標準的な装備の量販グレード「XL」、ベースグレードの「DX」、廉価版の「スタンダード」となっており、スタンダード以外は3ドアと5ドアが選択できた。 前期型と後期型では同じP60系でも内外観の印象は大きく異なる。また、後期型では電子燃料噴射方式(EFI)仕様の「Si」「SE-EFI」「XL-EFI」が追加された。ただしその特性は、レスポンスや吹け上がりの面でキャブレター仕様に譲る。一方、競技用のベース車には廉価グレードであったDXやDX-A、スタンダードが好まれた。これらは安価な上、余計な装備がなく、軽量であり、改造に向いていたからである。カモシカ風のエンブレムを冠した最後のモデルである。
後輪駆動車のわりに中古車価格の値下がりが早く、アフターパーツが豊富に存在したことから、1980年代から1990年代にかけて競技用として普及し、サーキットレースやラリーで盛んに使用された。同時にチューニングカー愛好者にも普及し、当時は峠族や環状族に人気があった。また、彼らの間ではエンジンのボアアップや、1,600ccの4A-GE型に換装する改造が流行した。かつてはTS仕様のワンメイクレース「スターレットグランドカップ」が存在した他、少数ながら全日本ツーリングカー選手権に参戦した実績がある。近年では、2005年(平成17年)から岩井照宜がD1グランプリで使用している。
また、1981年(昭和56年)にはTeam ACPによりパリ=ダカールラリーに参戦、時間外ながらも完走を果たしている[5]。
- 1978年(昭和53年)2月 - 2代目発表。時流に乗り、背の高い2ボックスボディー+ハッチバックスタイルとなる。その後モータースポーツでのTRDのサポートなどが奏功し、人気車となる。
- 1979年(昭和54年)3月 - 一部変更。4K-Uエンジンの改良および排ガスシステム改良により、燃費、ドライバビリティー、サービス性向上(4K-U搭載のカローラモデルチェンジに伴う同時改良)。
- 1980年(昭和55年)5月 - マイナーチェンジ。俗に中期型と呼ばれるこの時期のモデルは、ヘッドランプが前期型の丸型2灯から角型2灯になり、同時に女性仕様の「リセ」が追加されている。バンのヘッドランプのみは角型のライトベゼルに丸型のランプが入っている。フロントサスペンションのオフセットコイルスプリングの採用で、乗り心地改良。
- 1981年(昭和56年)8月 - マイナーチェンジ。吸気系統の変更で、運輸省届出型式は4K-Uのまま、カタログ表記がLASRE 4K-II に変更され、AT車も従来の2速から3速に変更された。廉価グレードのDX-Aに、自動アイドリングストップ機能の「エコランシステム」[7]が設定されていた。一部意匠変更。
- 1982年(昭和57年)1月 - バンのエンジンを 3K-HJ 型から 4K-J 型へ変更。
- 8月 - マイナーチェンジ。俗に後期型と呼ばれているが、車幅灯がヘッドランプの横に移動(コーナーマーカー化)し、ハッチバックの開口面積が拡大され、インパネのデザインが大幅に変更されている。EFI仕様の4K-EU搭載車も設定され、全グレード駆動系を強化、デフサイズが142㎜から6インチに拡大。
- 1983年(昭和58年)4月 - ドアミラー仕様車が追加、併売される。
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(日本仕様)
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前期型(欧州仕様)
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バン
3代目 P7#型(1984年 - 1989年)
トヨタ・スターレット(3代目) P7#型 | |
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Si(前期型) 1984年 - 1987年 | |
リア(欧州仕様) | |
概要 | |
販売期間 | 1984年10月 - 1989年 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
3/5ドアハッチバック 3ドアバン |
駆動方式 | FF |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,300mm |
全長 | 3,700mm |
全幅 | 1,590mm |
全高 | 1,380mm |
車両重量 | 740kg |
ターセル / コルサの実績を踏まえ、80系カローラ同様、駆動方式を横置きFFに転換。フロントサスペンションは一般的なストラットであるが、リアサスペンションは簡潔なトレーリングツイストビーム(アクスルビーム)として、可動箇所と部品点数を極力減らす構成とした(低コスト化)。
ガソリンエンジンの排気量は1,300ccで、クロスフロー・バスタブ形燃焼室を採用した直列4気筒 SOHC 12バルブの2E型を搭載。デラックスには受注生産でリーンバーンエンジンの低燃費スペシャル「パーシャルリーンシステム仕様」[8]が設定されていた。3速フルオートマチックも時流に合わせ多くのグレードに設定されたがRi~Siリミテッド、乗用最廉価グレードのSTD、バンのCD-Lには当初は設定されなかった。4速マニュアルは2Eの新開発の「新V型キャブレター」車に設定。また、1987年(昭和62年)にはパブリカ、スターレットを通して初となる、1,500cc ディーゼルエンジンの1N型を追加、型式名はNP70となる。
前輪駆動となってからも、Ri(自然吸気)・ターボRというモータースポーツ向けグレードが用意されていた。元々のスポーツグレードであるSi・ターボSに比べると、無塗装バンパー、商用グレード並みの内装など、快適装備類が削られ、より競技車両への改造が容易になっていた。KP各型の後を継ぎ、サーキットレースをはじめ、ジムカーナやダートトライアルまで幅広い競技にエントリーした人気車種であった。
最量販グレードは充実装備のリーズナブルな実用グレードの「ソレイユ」であった。女性仕様にはリセがあった。ターボモデルには5ドアもあったが、販売台数は少ない。 現在では車両価格の低さ、軽さ、4Eエンジンへの換装の手軽さなどから、耐久レースなどのベース車として活用されている。
- 1984年(昭和59年)10月 - フルモデルチェンジ。前輪駆動方式に転換、型式もP70系となる。バンモデル(EP76V)も存在したが、先代とは異なり、乗用モデルの3ドアハッチバックと同じ車体であった。
- 1985年(昭和60年)1月 - お買い得価格の特別仕様車のソレイユが登場。1986年(昭和61年)1月にはカタログモデルに昇格。1987年(昭和62年)1月のマイナーチェンジ後はエアコンとカラーバンパーを装備した特別仕様車の「ソレイユL」が度々限定販売された。
- 1986年(昭和61年)1月 - ネット105馬力にパワーアップをしたターボモデル[9]を追加。
- 1987年(昭和62年)1月 - マイナーチェンジ。ディーゼル車追加。ターボ以外のモデルはバンパーがやや大型化され、フロントグリルの変更を受ける。同時にEFI仕様車に4速ATを追加。
- 1988年(昭和63年)1月 - ターボモデル - マイナーチェンジ [10]制御機能[11]追加等で最大出力を110馬力に向上した。
- 8月 - モデルライフ末期ながら、Siとソレイユにキャンバストップ仕様を追加。
4代目 P8#型(1989年 - 1995年)
トヨタ・スターレット(4代目) P8#型 | |
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概要 | |
販売期間 | 1989年12月 - 1995年 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 3ドア/5ドアハッチバック |
駆動方式 | FF / 4WD |
パワートレイン | |
エンジン | 4E-F型 / 4E-FE型 / 4E-FTE型 / 1N型 |
変速機 |
4速 / 3速油圧式AT 5速 / 4速MT |
前 | ストラット式(フロント) / トレーリング車軸式(リヤ) |
後 | ストラット式(フロント) / トレーリング車軸式(リヤ) |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,300mm |
全長 | 3,770mm |
全幅 | 1,600mm |
全高 | 1,380mm |
車両重量 | 790kg |
衝突安全ボディー「CIAS(サイアス)」を採用。1,300ccエンジンはSOHC12バルブから、ハイメカツインカムII(DOHC16バルブ)となる(最高出力はキャブレター仕様(4E-F)が82PS、EFI(4E-FE)が100PS、GTのターボ仕様(4E-FTE)が135PS)。1,500ccディーゼルエンジン(1N)は55PSである。スターレット初の4輪ディスクブレーキをGTに搭載し、オプションのABSはクラス初の設定である。先代まで続いた4ナンバー登録の商用モデルは廃止された。上級グレードのガソリン車には車体側面に「16VALVE EFI」又は「16VALVE」の文字が添えられた。なお、前期型にのみ見られる特徴として、リヤコンビランプの上にトヨタのCIマークと TOYOTA のエンブレムが併設されている。
型式名は、前輪駆動モデルはEP82、四輪駆動モデルはEP85、ディーゼルエンジンモデルはNP80。
このモデルから全てのエンジンがDOHC化(1N型ディーゼルエンジンはOHC)、1気筒あたり4バルブになったが、初期のGTはシャーシに対し出力がオーバースペック気味で、ハンドリングが過激な車だった。後のマイナーチェンジで足回りが見直され、ハンドリングマナーもやや落ち着いたものとなる。最終型では丸型ヘッドランプとなり、ホットハッチらしい風貌となった。 GTもさることながら、NAエンジンモデルも歴代最高の出力を誇ったことや価格の低さを買われてレースに多用されている。特に、富士スピードウェイで行われているアマチュアレース「富士チャンピオンレース」のN1400クラス(排気量1,400cc以下の市販車をベースとしたN1レース)は、2010年(平成22年)現在このEP82型NAモデルのワンメイクレースとなっている。
前期型では、SiはEFI仕様100PSで5MT/4AT、S・キャンパストップ・X-Limitedが電子制御キャブレター仕様で5MT&3AT、ソレイユ系は電子制御キャブレター仕様で4MT/3ATという組み合わせだったが、中期型からは全グレードでガソリンエンジンがEFI化したのに伴い、SiはSに改称のうえ(iはinjectionのiのため)統合された。4WD車とディーゼル車は、ソレイユ系でも5MT/4ATが組み合わされる。
特別仕様車は、中期型にGTリミテッド、ソレイユL "Memorial"、ソレイユL "Can"、ソレイユL "Jeans Package" 等があった。ソレイユ系の特別仕様車ではいずれも、手動調整/格納式(当時の表現では「可倒式」)カラードドアミラー、運転席ワンタッチ式パワーウィンドウ&電磁式パワードアロック、大型ドアトリム、ラジオレス+2スピーカー、X-Limitedと同意匠のフルホイールキャップ、リヤドアのアームレストが特別装備として用意されていた。Canには電動系の装備は付かないがエアコン、ストライプ、防眩インナーミラーが標準装備された。なお、カタログモデルのソレイユL(3/5ドア)はセミキャップ付スチールホイールとストライプテープ式の車名・グレード名ロゴ、2本スポークのウレタンステアリングホイール、ヘッドレストなしリヤシートが特徴である。廉価グレードでありながら、中期型から運転席ワンタッチ式パワーウィンドウ&電磁式パワードアロックがメーカーオプション設定されていた。最廉価グレードのソレイユは、当時のカローラバン/スプリンターバンよりも小さく取り回しの良いビジネスカー(いわゆる営業車)を求める法人需要に応えるグレードとしてのポジショニングもあり、センターキャップ付スチールホイール+155-SR13タイヤ、AM電子チューナーラジオ+1スピーカー、手動開閉式ドアガラス、可倒式ドアミラー(他グレードのものとは意匠が異なる)などの必要最低限の装備に絞られ、フロントワイパーにはミスト機能も間欠作動も付いていなかった(OFF/LO/Hiのみ)。マニュアルエアコンはディーラーオプション設定であった。なおリヤワイパー、リヤウィンドゥデフォッガー、4-ABS、運転席SRSエアバッグ、フォグランプ、パワーステアリング、デジタル時計、トノカバーなどの設定はなかった。
なお一部特別仕様車を除いて、GTはパワーウィンドウ&パワードアロック、エアコン、フルホイールキャップはすべてオプション設定。
4WDモデル改FRドリ車仕様が雑誌「ドリフト天国」によって制作された。モチーフは前述のKP61型でフェンダーミラーがついている。
- 1989年(平成元年)12月 - フルモデルチェンジ。
- 1990年(平成2年)8月 - ソレイユLとXリミテッドに4WDモデルを追加、またリアシート3点式シートベルトを全車にオプション設定、キャンバストップ系とソレイユ系にも4輪ABSを設定するなど一部装備を向上させた。
- 1992年(平成4年)1月 - マイナーチェンジ。フロントバンパー、グリルの意匠変更とGT、Gi、S、Xリミテッドにはバックドアにリアコンビランプを横長に見せるガーニッシュが追加された。ガソリンエンジン全てがインジェクション仕様となり出力が向上、このため一部グレードの見直しが図られた。また全車に運転席SRSエアバッグとABSがメーカーオプションで設定され安全性の向上が図られた。ガソリン車の車体側面のサイドドアプロテクションモール(ソレイユ系ではストライプテープ)上には「16VALVE EFI」のロゴタイプが添えられた。
- 1994年(平成6年)5月 - マイナーチェンジ。6年間続いたキャンバストップの生産が終了。
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1.3 GT
(1990年 - 1994年) -
1.3 S リア
(1992年 - 1994年) -
1.3 ソレイユL リア
(1994年 - 1995年) -
GTターボ。EP82、欧州仕様
5代目 P9#型(1996年 - 1999年)
トヨタ・スターレット(5代目) P9#型 | |
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欧州仕様 | |
概要 | |
販売期間 |
1996年1月 - 1999年8月 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 3/5ドアハッチバック |
駆動方式 | FF / 4WD |
パワートレイン | |
エンジン | 4E-FE / 4E-FTE / 1N |
変速機 |
4速 / 3速AT 5速 / 4速MT |
前 |
マクファーソンストラット式コイルスプリング(フロント) トレーリングツイストビーム(リア2WD) トレーリング車軸式(リア4WD) |
後 |
マクファーソンストラット式コイルスプリング(フロント) トレーリングツイストビーム(リア2WD) トレーリング車軸式(リア4WD) |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,300mm |
全長 | 3,740 - 3,790mm |
全幅 | 1,625mm |
全高 | 1,400mm |
車両重量 | 810kg - 1,020kg |
系譜 | |
後継 | トヨタ・ヴィッツ |
衝突安全ボディ、“GOA”となる。型式名は前輪駆動モデルはEP91、四輪駆動モデルはEP95、ディーゼルエンジンモデルはNP90。
スポーティーな外観を持つモデルは、それぞれ、4E-FE型エンジン(1,331cc)を搭載した自然吸気モデルグランツァS (Glanza S) 、4E-FTE型エンジン(1,331cc)を搭載したターボモデルグランツァV (Glanza V) という名称になり、3ドアのみラインナップされた。
このモデルよりエアバッグやABSを標準装備とし、当時のコンパクトカーにはあり得ないほどの安全への配慮も行われた。特にシートベルトプリテンショナー/フォースリミッターは当時かなりのコストが掛かるため、高級セダン以外では装備が進んでいるとは言えなかったが、ターセル兄弟ともども1997年にクラス初として標準装備された。
ターボモデルには本格的なスポーツ走行を目的とし、快適装備を省いたモータースポーツパッケージ (MSP) も用意された。EP91型のターボモデルでは、安全性に配慮(駆動系の保護と過度のホイールスピンを防ぐ)し、1速(発進時)では過給圧を抑える機構が追加されている。また、任意でブースト圧を低く設定できる「ローモード・スイッチ」は先代から引き継がれている。
4E-FE型エンジンを搭載した自然吸気の通常モデルはルフレ(Reflet / Reflet f / Reflet x) という名称になり、3ドアと5ドアがラインナップされた。EP82型搭載のEFIエンジンと同型式ではあるが、環境性能・運転性などを重視したチューンにより、最大出力が下がっている。
EP91系ターボモデルは、グランツーリスモシリーズや首都高バトル01といったレースゲームに登場している。
- 1996年(平成8年)1月 - フルモデルチェンジ。
- 1997年(平成9年) - 各社のレトロ調モデルの追加に合わせ、クラシック風のドレスアップモデルとしてカラット(Carat )が登場。自然吸気エンジン全車に TDI (Toyota Direct Ignition System) を採用。なお上位モデルのルフレxは、内・外装デザイン以外の性能は自然吸気スポーツモデルのグランツァSと同等であった。
- 1998年(平成10年)1月 - マイナーチェンジ。フロントバンパーとテールレンズの意匠変更とウインカーレンズのクリアレンズ化、およびルフレf、ルフレxのヘッドランプがマルチリフレクター化された。なお、ルフレとカラットはカットレンズのままであった。(グランツァ系はマイナーチェンジ前からマルチリフレクターが採用されている)。同年10月には特別仕様車としてカジュアルRV(RV風)のリミックス (Remix) (ラシーンに対抗したモデル。5ドアのみ)もラインナップされ、バリエーションを拡充。
- 1999年(平成11年)6月 - オーダーストップに伴い生産終了。以後は在庫のみの対応となる。
- 1999年8月 - 実質的な後継車種である ヴィッツに1,300cc車が追加されたのに伴い販売終了。パプリカスターレット名義から通算して5代26年[12]の歴史に幕を下ろす事となった。
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グランツァV(前期型)
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ルフレfリミテッド(後期型)
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カラット(後期型)
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リミックス
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リミックス リア
車両型式と姉妹車
型式(かたしき)表記はトヨタの通例どおりで、"KP##"、"EP##"などである。最初のアルファベットはエンジン型式、後のアルファベットの"P"は車種「スターレット」を意味する。"P"は初代モデルであるパブリカスターレット、およびその先代のパブリカから引き継いだもの。
また、トヨタ自動車には、スターレットとサスペンションやパワートレイン(エンジン、トランスアクスル)を共用する、ターセル、コルサ、カローラII(ともに型式は"L"。これらのハッチバックが類似車)が存在するが、スターレットは単独の型式"P"を持つため、姉妹車の扱いとはなっていない。両系列ともに第2開発センターの車種であるが、開発チームも分かれている。
注
- ^ エンジン、外装の他、内装にも材質、装備の品目等によるグレードが設定されており、内外装色、トランスミッションなども含め、ある程度自由な組み合わせが可能で、ユーザーが自分の好みに合わせられるという販売システム。
- ^ 1976年(昭和51年)2月以降は設定がなくなる。
- ^ 別冊ビデオベストモータリング 「TSマシン列伝参照」
- ^ 1,000ccエンジンのリアトランク付(3ボックス)4ドアセダンは1999年(平成11年)9月発表のプラッツまで空位となる。
- ^ TBS「おはよう720」・「おはよう700」内の、トヨタ車で世界を走破する企画、「キャラバンII」の延長で、横田紀一郎を中心とするメンバーもほぼ同じ。これ以降、トヨタはパリ=ダカの市販車無改造クラスを中心にラリーレイドにも参戦する。
- ^ これらはトヨタF1チームの元監督、オベ・アンダーソンの運転によるものであった。
- ^ DX-Aの5速MT車で販売期間は1981年(昭和56年)8月 - 1984年(昭和59年)10月
- ^ 寒冷地仕様車には設定なし
- ^ ターボモデルはバンパー組み込みフォグランプ内蔵大型エアロ風バンパーとボンネット上のエアースクープ。
- ^ フロントグリル形状変更に伴い、バンパー下部のフォグランプをグリル内へ移動
- ^ 雪道や降雨時等、滑りやすい路面を走行することを考慮し、スイッチ1つでブースト圧を抑える機能を追加。スイッチON-110馬力⇒90馬力
- ^ ただしパプリカスターレットの元となった無印パプリカを含めた場合は通算して7代38年となる。
車名の由来
- 小さくても輝いて欲しいと言う願いから 英語で「小さな星」の意味の名詞 「starlet」となった
関連項目
- トヨタ自動車
- ネッツ店
- トヨタ・パブリカ - 先代車
- トヨタ・ヴィッツ - 後継車
- トヨタ・ターセル
- トヨタ・コルサ
- トヨタ・カローラII
- ダイハツ・コンソルテ
外部リンク
- トヨタ自動車
- 豊田自動織機
- スターレットの一覧 (isize.com)
- トヨタ・スターレット世代別モデル一覧 GAZOO.com