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[[2007年]]、中田の妻が四段入りを期待しながら6月に没したことに発奮し、同年秋にその弔いとなる四段昇段を果たした<ref>産経新聞 2007年10月22日</ref>。21歳でのプロ入りである。 |
[[2007年]]、中田の妻が四段入りを期待しながら6月に没したことに発奮し、同年秋にその弔いとなる四段昇段を果たした<ref>産経新聞 2007年10月22日</ref>。21歳でのプロ入りである。 |
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初参加の第34期(2008年度)[[棋王戦]]の予選を勝ち上がり、本戦出場。同じく初参加の第67期(2008年度)C級2組[[順位戦]]では8勝2敗の好成績を挙げ、新四段4名の中で唯一の勝ち越し。また、[[2009年]][[10月16日]]の[[竜王戦]]6組3位決定戦において、[[新人王戦 (将棋)|新人王戦]]優勝で波に乗る強敵・[[広瀬章人]]を破り、7連勝で5組へ昇級。デビューから6割台の年度勝率を連発し、[[糸谷哲郎]]、[[豊島将之]]、[[稲葉陽]]とともに「関西若手四天王」<ref>2010年2月13日放送の「[[囲碁・将棋ジャーナル]]」</ref>呼ばれる |
初参加の第34期(2008年度)[[棋王戦]]の予選を勝ち上がり、本戦出場。同じく初参加の第67期(2008年度)C級2組[[順位戦]]では8勝2敗の好成績を挙げ、新四段4名の中で唯一の勝ち越し。また、[[2009年]][[10月16日]]の[[竜王戦]]6組3位決定戦において、[[新人王戦 (将棋)|新人王戦]]優勝で波に乗る強敵・[[広瀬章人]]を破り、7連勝で5組へ昇級。デビューから6割台の年度勝率を連発し、[[糸谷哲郎]]、[[豊島将之]]、[[稲葉陽]]とともに「関西若手四天王」<ref>2010年2月13日放送の「[[囲碁・将棋ジャーナル]]」</ref><ref>[http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/2011060800010.html?iref=webronza 「羽生世代がもたらした、速さと若さの時代」(倉沢鉄也)WEBRONZA+社会・メディア - WEBマガジン - 朝日新聞社(Astand)]</ref>と呼ばれるようになる。 |
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2011年6月11日 (土) 08:28時点における版
村田 顕弘(むらた あきひろ、1986年7月14日 - )は、将棋棋士。中田章道門下。棋士番号は267。兵庫県尼崎市生まれ、富山県魚津市育ち。
棋歴
1998年小学6年で富山県出身の中田章道を師匠として、関西奨励会試験を受けたが不合格。しかし、翌1999年中学校1年で6級として奨励会入り。2001年に初段に昇段し、2004年前期から三段リーグで戦う。
2007年、中田の妻が四段入りを期待しながら6月に没したことに発奮し、同年秋にその弔いとなる四段昇段を果たした[1]。21歳でのプロ入りである。
初参加の第34期(2008年度)棋王戦の予選を勝ち上がり、本戦出場。同じく初参加の第67期(2008年度)C級2組順位戦では8勝2敗の好成績を挙げ、新四段4名の中で唯一の勝ち越し。また、2009年10月16日の竜王戦6組3位決定戦において、新人王戦優勝で波に乗る強敵・広瀬章人を破り、7連勝で5組へ昇級。デビューから6割台の年度勝率を連発し、糸谷哲郎、豊島将之、稲葉陽とともに「関西若手四天王」[2][3]と呼ばれるようになる。
人物
- 同じく将棋棋士の村田智弘と名前が似ているが、血縁関係はない。
- 生まれは尼崎市で、幼少時に魚津市に転居。奨励会入会当初は、魚津市から関西将棋会館まで通っていたが、高校1年時に再度尼崎市に転居。
- 師匠の中田同様、詰将棋作りを特技とし、専門誌「詰将棋パラダイス」への入選歴もある。また、詰将棋を解く方の「詰将棋解答選手権」にも何度か出場している。
棋風
居飛車・振り飛車両方の戦型を指しこなすオールラウンダータイプの棋士。
昇段履歴
- 1999年9月 6級 = 奨励会入会
- 2003年10月 三段 … 2004年度前期から三段リーグ参加
- 2007年10月1日 四段 = プロ入り(2007年度前期奨励会三段リーグで1位 = 15勝3敗)
主な成績
在籍クラス
竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。
脚注
- ^ 産経新聞 2007年10月22日
- ^ 2010年2月13日放送の「囲碁・将棋ジャーナル」
- ^ 「羽生世代がもたらした、速さと若さの時代」(倉沢鉄也)WEBRONZA+社会・メディア - WEBマガジン - 朝日新聞社(Astand)