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2011年3月20日 (日) 13:32時点における版

中田 宏樹(なかた ひろき、1964年10月20日 - )は、将棋棋士桜井昇門下。棋士番号は173。東京都武蔵野市出身。

棋歴

世代的には、いわゆる「55年組」と「羽生世代」の中間に当たる[1]。両世代にはさまれ、なかなか目立つ活躍ができないものの、プロ入りから20年経っても6割を優に超える勝率(2006年度までの通算勝率0.631)は、タイトルホルダーに匹敵する。

1985年の秋にプロデビュー。実質の初年度となる1986年度に、羽生善治と並んで全棋士中1位タイの勝率(0.741)をマークする。

1989年度、オールスター勝ち抜き戦(5連勝以上は優勝扱い)で8連勝する。

1991年、王位戦谷川浩司王位への挑戦者となる。直前まで、他棋戦も含め破竹の17連勝[2]をして迎えた七番勝負であったが、2連勝の後4連敗で敗退。この4敗のうちの2敗は、中田の後手番で、谷川得意の角換わり腰掛銀を堂々と受けて立ったものである。この年度は、将棋大賞の新人賞・連勝賞を同時受賞。

1993年度の全日本プロ将棋トーナメントでは、阿部隆と決勝五番勝負を戦うも、2-3で惜敗。

第7期(1994年度)竜王戦で4組優勝。第8期(1995年度)竜王戦では3組3位となり、連続2回昇級で2組へ上がる。

第9期(2001年度)銀河戦で決勝トーナメント進出。藤井猛竜王(当時)を破りベスト4。

第15期(2002年度)竜王戦で3組2位として本戦出場。森下卓森内俊之(当時名人)を破り、挑戦者決定三番勝負に進出。阿部隆との9年ぶりの雪辱戦となったが1勝2敗で敗れ、竜王挑戦権獲得はならなかった。

第22期(2009年度)竜王戦では4組決勝まで進み、3組復帰を決めて久々の本戦出場の可能性もあったが、決勝で田中寅彦に敗れる。

順位戦でなかなか昇級できず、C級2組を抜けるのに10年、C級1組を抜けるのに9年かかった。そのこともあり、プロ入り後の昇段は全て勝数規定による昇段である(なお、勝数規定だけで四段から八段まで昇段したのは、2010年時点では中田と、阿部隆と、中川大輔と、日浦市郎の4人だけである)。したがって、八段昇段(2006年1月27日)は通算560勝(100+120+150+190)のときであった。これは、プロ入り後の約20年間、年28勝のペースで勝ち星を積み上げたことになる。28勝という数字は、年度ランキング10位前後に相当する勝数である。そして、2008年8月8日、公式戦通算600勝(将棋栄誉賞)を達成。順位戦でA級もB級1組も経験していない棋士の600勝は史上初である。

2010年3月5日、第68期B級2組順位戦の最終局で勝ち、8勝2敗(2位)の成績で初のB級1組昇級を決める。順位戦初参加から苦節24年で、年齢は45歳となっていた。この時点での通算勝敗は1009対局632勝377敗(勝率0.6264)、順位戦での通算勝敗は240対局155勝85敗(勝率0.6458)である。

棋風

生粋の居飛車党で、矢倉を指すことが多い。後手番では、相手の出方によって、角換わり相掛かり横歩取り8五飛なども指す。

人物

日本将棋連盟軟式野球チーム「キングス」の監督を務めたことがある[2]

昇段履歴

昇段規定は、将棋の段級を参照。

主な成績

タイトル挑戦

一般棋戦優勝

合計 2回

在籍クラス

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

将棋大賞

  • 第14回(1986年度) 勝率一位賞(0.741)
  • 第18回(1990年度) 連勝賞(16連勝)
  • 第19回(1991年度) 連勝賞(18連勝)、新人賞

脚注

  1. ^ ただし、55年組で最年少の塚田泰明とは同い年である。
  2. ^ a b 将棋世界」2000年1月号付録

関連項目

外部リンク