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2007年11月4日 (日) 11:14時点における版
衆議院議員 大島 理森 | |
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生年月日 | 1946年9月6日 |
出身地 | 青森県八戸市 |
出身校 | 慶應義塾大学 |
学位・資格 | 法学士 |
前職 |
青森県議会議員 新聞社社員 |
世襲 |
2世 叔父・夏堀源三郎 |
選出選挙区 | 青森3区 |
当選回数 | 8回 |
所属党派 | 自由民主党(高村派) |
党役職 | 国会対策委員長 青森県支部連合会会長 |
会館部屋番号 | 衆・第2議員会館502号室 |
ウェブサイト | 大島 理森(おおしま ただもり)WEBサイト |
大島 理森(おおしま ただもり、1946年9月6日 ‐ )は、日本の政治家。衆議院議員(8期)。
概要
元衆議院議員の夏堀源三郎は叔父にあたる。青森県立八戸高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、毎日新聞社勤務、青森県議会議員を経て1983年から衆議院議員に連続8回当選。
河本敏夫の側近として知られ、海部内閣成立前夜には、河本首班の可能性が永久に潰れることに号泣したとされる。また、病床の河本を最後まで見舞い続けたことも知られている。一方で、現参議院議員の田名部匡省・衆議院議員の田名部匡代親子との八戸戦争で地元政界を二分している。
国対関係を長く務め、党内外に広い人脈を持つ。野中広務、古賀誠との交流で知られたが、清和政策研究会にもパイプを持ち、国対委員長としての働きも評価されて小泉内閣では再入閣を果たした。高村派誕生時には、河本系の議員を率いて大島グループ独立も噂されたが、高村正彦への派閥移譲に尽力し、名実ともに派のナンバー2となる。
2002年10月、農林水産大臣就任後、様々な疑惑が取りざたされたため野党からは「疑惑のデパート」と揶揄され、2003年3月に大臣を辞任した。具体的には、以下の疑惑が問題とされた。
- 政策秘書が、公共工事などに絡み、口利き料を得ていたとされる疑惑。
- 医療技術専門学校設立をめぐる口利き疑惑。
- 国会答弁に際し衆院法制局に想定問答集の作成を依頼したとされる疑惑。
田中真紀子によると、彼女が外相を更迭される際に大島が嫌がらせを行ったとのことである。
安倍改造内閣に絡み、麻生太郎幹事長との人脈から、自民党国対委員長に就任。安倍総理退任後の総裁選では、明確な意思表示を避けながらも麻生への支持を匂わせた。
福田康夫内閣組閣、党人事刷新に当たり、国対委員長としての力量を買われ、留任。
語録
- 「議員には秘書の監督責任がある」(鈴木宗男議員の秘書逮捕の際)
略歴
- 1975年4月:青森県県議会議員選挙で当選。
- 1983年12月:衆議院選挙に立候補、初当選。
- 1990年2月28日:内閣官房副長官に就任。(-1991年11月5日)
- 1995年8月8日:環境庁長官に就任。(-1996年1月11日)
- 1999年10月:衆議院議院運営委員長に就任。(-2000年6月)
- 2000年7月4日:文部大臣・科学技術庁長官に就任。(-12月5日)
- 2000年12月:自民党国会対策委員長に就任。(-2002年9月)
- 2002年9月30日:農林水産大臣に就任。(-2003年4月1日)
- 2005年11月1日:衆議院予算委員長に就任。
- 2007年8月27日:自民党国会対策委員長に就任。
主な所属議員連盟
- 水産政策議員協議会会長
- 北海道・東北地方海溝型地震対策措置法の議員立法を推進する自民党議員連盟会長
- ミャンマーの民主化を支援する議員連盟会長
- ソーシャル・キャピタル研究会会長
- 国家基幹技術としての海洋地球科学技術を推進する議員連盟会長
- 養蜂議員連盟副会長
- サマータイム制度推進議連副会長
- 自由民主党LPG対策議員連盟副会長
- 自由民主党自動車整備議員連盟副会長
- 核融合エネルギー推進議員連盟副会長
- 専修学校等振興議員連盟副会長
- 武道議員連盟副会長
- アジア・アフリカ問題研究会会長代理
- 社会保険庁を解体し新しいシステムを創る会会長代行
- 整備新幹線建設促進議員連盟幹事長
- 北京オリンピックを支援する議員の会幹事長代理
- 日韓議員連盟幹事
関連項目
外部リンク
- 「大島 理森(おおしま ただもり)WEBサイト」(公式サイト)
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