月亭方正

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月亭 方正つきてい ほうせい
本名 山崎 邦正(やまさき ほうせい)
生年月日 1968年2月15日(48歳)
出身地 日本の旗 日本兵庫県西宮市
師匠 月亭八方
活動期間 2008年 - (落語家として)
活動内容 上方落語
所属 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
主な作品
ダウンタウンのガキの使いやあらへんで
備考
上方落語協会会員(2009年 - )
月亭 方正
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第33回彦八まつりにて(2013年8月31日)
本名 山崎 邦正(旧芸名)
生年月日 1968年2月15日(48歳)
出身地 日本の旗 日本 兵庫県西宮市
身長 166cm
方言 関西弁
最終学歴 立正大学心理学部卒業
師匠 月亭八方
出身 NSC大阪校6期
コンビ名 TEAM-0(1988年 - 1993年)
相方 軌保博光(コンビ時代)
芸風 ボケ、顔芸、一発ギャグ上方落語
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期 1988年 -
同期 爆笑問題
さまぁ〜ず
島田珠代
山田花子
現在の代表番組 ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!
マルコポロリ!
ドラGO!
よしもと黄金列伝!
など
過去の代表番組 天才てれびくん
シブヤ系うらりんご
お台場CHA・CHA!!
かざあなダウンタウン
など
他の活動 落語、俳優
配偶者  既婚
受賞歴
第12回ABCお笑い新人グランプリ 最優秀新人賞(TEAM-0として)
第15回お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル 優勝

月亭 方正(つきてい ほうせい、1968年2月15日 - )は、日本落語家お笑いタレントよしもとクリエイティブ・エージェンシー大阪本部所属。[1]NSC6期生。身長166cm[2]。本名および旧芸名は山崎 邦正(やまさき ほうせい)。

兵庫県西宮市出身で大阪府箕面市在住[1]。既婚であり、息子が1人と娘が2人いる。兵庫県立西宮南高等学校立正大学心理学部卒業。

2013年1月より芸名を本名・山崎邦正から、高座名「月亭方正」に改名。上方落語協会会員。出囃子は「ヤマザキ一番」。

略歴[編集]

デビュー[編集]

1988年 軌保博光と「GSX(ガスペケ)」を結成し、デビューする。

1989年 東京進出を機にコンビ名を「TEAM-0」に改名。

1990年 後に初のレギュラー出演番組となる『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に出演。

1991年 第12回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を受賞。

ピン芸人へ[編集]

1993年TEAM-0」解散。ピン芸人として活動を開始する。

1998年天才てれびくん』にて、リサ・ステッグマイヤーと共に3代目の司会を務める。テレビ東京系で放送されていたアニメーション『学級王ヤマザキ』の主題歌『ヤマザキ一番!』を歌い、CD化される。

2001年 11歳年下の一般女性とのできちゃった結婚を発表。結婚式の模様は『ガキの使い』内で放送される。

2002年 ヨシモトファンダンゴTVで放送された番組『邦正音楽工房』から女性アイドルデュオ「AiAi」をデビューさせる。

2005年 TOKYO FMで芸能生活17周年を記念して、3時間の生放送特別番組が放送される。『M-1グランプリ2005』にカンニング竹山と漫才コンビ「竹山崎」を結成して参戦、予選三回戦にて敗退。中村うさぎとの共著『うさぎ・邦正の人生バラ色相談所―苦悩の泥沼にハマッてしまった人へ』を出版。

2006年M-1グランプリ2006』にカンニング竹山との「竹山崎」にたむらけんじをメンバーに加えた「たむらけんじと竹山崎」を結成して参戦、予選三回戦にて敗退。生殖器の海綿体が硬質化するペイロニー病を患う。

2007年 村田あゆみのセカンドアルバム「Happy Candy」の中の「Birthday」と「伝説の狼」の作詞作曲を行う。大腸憩室炎を患い約三週間の入院後、復帰。

2008年 正月特番として初の冠番組『祝 山崎邦正20周年 ホンマは正月よりもめでたいでぇ!』が関西テレビにて放送される。自身初の写真集&エッセー「奇跡」を出版。

「月亭方正」へ[編集]

2008年5月、月亭八方から「月亭方正」を名乗ることを許可され、5月11日の八方の勉強会で「阿弥陀池」落語を演じる。同年12月8日京橋花月で落語家として高座に上がる。

スコップ三味線第2回世界大会(2008年12月21日)で、初出場ながら個人の部第3位[3]になる。

2009年12月、上方落語協会加入。

2011年1月15日から全国ツアー「全国行脚、月亭二人旅」をよしもと浅草花月でスタート。

2012年9月、落語活動に専念するために拠点を大阪に移す[1]。2012年12月17日、翌2013年元旦より、全ての活動を「月亭方正」として活動することを発表[4]。(詳細は後述する 3.月亭方正としてを参照)

2013年、芸名を山崎邦正から、高座名「月亭方正」に改名。改名後も「山崎」や「山ちゃん」、「ザキさん」と呼ばれることもある。

人物[編集]

趣味はパソコン、ピアノ、英会話、卓球等。「第一種情報処理技術者試験」(現・応用情報技術者試験)に合格しているという情報がネット上で広まっているが、インタビューにて否定している[5]。子煩悩で、仕事で滑っても子供の顔を見ると忘れられるとのこと[6]

芸風[編集]

初期はアイドル的な芸風であり、バレンタインデーにダンボール16箱のチョコレートを貰うほどの人気があったが、ほどなくスベリ芸いじられ芸に落ち着く[6]

そのためか「滑ってばかりで面白くない[7]」「自分では笑いを作れない[8]」等と低く見做されがちだが、松本人志はこれを著書『プレイ坊主』にて「本人は面白いと言っているが面白くない、そこが面白い」、「山崎を面白いと言ってしまうと営業妨害になる」と評している。

月亭方正として[編集]

結三柏は、桂米朝一門の定紋だが、月亭一門は変え紋として月紋を併用。

40歳を迎えた直後、今後の芸能活動や路線について悩んでいたことやテレビの仕事以外にも舞台にも挑戦したいという思いが強くなったことを東野幸治に相談したところ、東野の勧めで桂枝雀の「高津の富」を、一度はそれまでまったく聞いたことがないことを理由に「古典芸能は…」として渋ったが、その後聴いてみて、その面白さに目覚めたという[9][4]。その後、「聞くだけでなくやってみたい」と考えるようになった方正は、本格的に落語の勉強を始め、月亭一門に入門した[9]。月亭一門に弟子入りしたのは飲み仲間に月亭八光がいたため、八光を通じて八方に入門を志願したためである[10][9]。2008年に月亭八方の落語会に客演として落語家デビューし、打ち上げの席で八方から正式に「月亭方正」の名を貰った[10][9]。大師匠の月亭可朝は、枝雀の兄弟子なので、芸の世界では、枝雀は方正の“大叔父”に当たる。

積極的に月亭一門会や師匠・八方との親子会、「月亭方正・十番勝負」と称した勉強会、花形寄席、東西若手の会「やみ鍋の会」、八方および月亭一門の稽古場の「八聖亭」、天満天神繁昌亭の朝席・昼席・夜席などに出演。2011年1月1日は『笑点』スペシャルの東西大喜利に初出演。大師匠・可朝とも共演している。2013年1月1日よりタレント活動時も含めて芸名を「月亭方正」に一本化することになった[11]

テレビ[編集]

現在[編集]

過去[編集]

ドラマ[編集]

CM[編集]

ラジオ[編集]

現在の出演番組[編集]

過去の出演番組[編集]

映画[編集]

オリジナルビデオ[編集]

シングル[編集]

出版物[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 山崎邦正、落語に本腰で大阪へ引っ越しサンケイスポーツ 2012年8月21日11:22配信 2013年1月1日閲覧)
  2. ^ 吉本興業株式会社 芸人プロフィール 月亭方正
  3. ^ 東奥日報・2008年12月22日朝刊、スコップ三味線"世界大会"開催(Web東奥) (2008.12.21)
  4. ^ a b <私の恩人>月亭方正 落語家転身は東野幸治さんの助言がきっかけTHE PAGE、2014年1月26日
  5. ^ 本人 vol.9 吉田豪 「本人列伝」第10回
  6. ^ a b 松本人志の放送室 第94回
  7. ^ 松本人志の放送室 第219回
  8. ^ 倉科遼ナカタニD. 「んなアホな!」第6話 『コミックヨシモト』Vol.6 ヨシモトブックス
  9. ^ a b c d 「月亭方正」で一本化 「山崎邦正」年内で卒業大阪日日新聞 2012年12月29日配信 2013年1月9日閲覧)
  10. ^ a b 「40歳でみつけた男の夢」 - ヘタレ芸人・山崎邦正、落語家人生を語る
  11. ^ 山崎邦正「月亭方正」に改名、ガキ使は…日刊スポーツ 2012年12月17日配信 2013年1月9日閲覧)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]