宿屋の富

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宿屋の富(やどやのとみ)は古典落語の演目の一つ。上方落語では『高津の富(こうづのとみ)』と呼ぶ。

上方発祥の演目で、3代目柳家小さんが東京に持ち込んだ。

そのナンセンスさ故か演者は多く、ざっと挙げるだけでも東京の4代目柳家小さん5代目古今亭志ん生、上方の6代目笑福亭松鶴5代目桂文枝など堂々たる大看板が手がけている。

また松竹新喜劇でも「大当たり 高津の富くじ」として劇化された。

あらすじ[編集]

神田馬喰町[1]〔上方版『高津の富』では北船場大川町[2]。以下〔 〕内は『高津の富』での表現〕の、とあるはやらない宿屋にやってきた男。

入ってくるなり「千両箱の使い道に困って漬物石に使っている」などと物凄い事を物凄い勢いで吹きまくる。ここの主人も人のいいもので、男の話をすっかり信用して、宿屋の副業として取り扱っている富くじの売れ残った最後の一枚を買ってくれるよう頼み込んだ。

値は一枚一分で、二番富でも五百両。一番富なら何と千両。「金が邪魔でしょうがない」と言うのを無理に拝み倒し、何とか札を買ってもらう。

その上、『当たったら半分もらう』という約束まで取り付けてしまった。

男は一人になると、「なけなしの一分を取られた」とブツブツ。挙句に「贅沢をするだけして逃げちゃおう」と開き直る。

翌日、男は散歩〔二万両ほどの金の取引〕に出ると言って宿屋を飛び出した。

やってきたのは湯島天神高津神社〕。たった今、富の抽選が終わったばかりだ。

「俺の札は…【子の千三百六十五番】[3]か。三番富は駄目。二番は《辰の二千三百四十一番》…これも違う。一番は《子の千三百六十五》、少し…ん? 子の、三百六十五番…三百六十五…。アハー! タータッタタッタッタッ!!」

「『立った』? 座ってるじゃないか」

あまりの事態に寒気がした『似非金持ち』。そのまま宿へ帰ると、二階で蒲団をかぶって震えだす。

入れ違えに旅籠の親父がやってきて、やはり《子の千三百六十五》を見てひっくり返った。

飛ぶように家に帰ると、かみさんの襟首をつかんで「当たった! 当たった! アタッタ!!」

事情を聞いたかみさんも、びっくりして「当たったら貰える…これは…こ…コーッコッコッコッ!」とみたいに騒ぎ出す。

親父、二階へすっとんで行き「当たりました!!」

「うるさい奴だなぁ、君は。千両ばかりで騒ぐな。客の座敷に、下駄のままで上がったりして。だから貧乏人は嫌いなんだ。え、宴の支度? 結構です!」

「そんなこと言わずに」

パッと蒲団をめくると、客は草履をはいたままだったりする。

湯島天神(高津神社)の境内[編集]

掲載したあらすじは、5代目小さんの型を基盤とした『似非金持ち』のほら話に重点を置いたバージョン。このほかにも、『湯島(高津)の境内でのドタバタ』に重点を置き、宿屋を飛び出した男が境内にたどり着く間に以下の件が入るバージョンが存在する。

境内での喧騒[編集]

ちょうどその日は富の当日で、境内は大勢の人でごった返していた。

「千両当たったら質屋を始める。自分でやるなら置きに行く手間が省けるから…」

なんて頓珍漢なことをいっている奴がいるかと思うと、「私には一番は当たらない。その代わり二番が絶対当たる」と怪気炎を上げている奴もいたりする。

「夕べ枕元に神様が立って、『お前に一番富を当てることが出来ない』と言うんですよ。それを無理やり拝み倒したら、『二番を絶対当てる』と約束してくれたんです」

「へー。で、当てたら如何するの?」

「まず、全部細かにして、紺色の反物で作った、一反(約36cm2)もある特注の財布を作ります」

吉原新町〕へ行って馴染みの女郎を口説き落とし、身請けするまでを一人二役の大熱演。

「で、当たらなかったら?」

「うどん食って寝ちゃおうかな…」

大騒ぎをしていると、寺社奉行〔世話方〕が出てきていよいよ富の抽選開始。

「一番富は《子の千三百六十五》か。次は…あ、『神様』の人!」

「ハイハイ、私です。私の札は《辰の二千三百四十一番》、最初は《辰》!」

子供のかん高い声で〔世話方が当たり札を読み上げ〕「おん富にばーん〔第二番のォ、おんとォーみィー〕、たつのォ…」

「ガハハハハ、これぞ神のお告げ! 次は《二千》!」

二千…」「《三百》!!」「三百…」「《四十》!!」「四十…」

「すごい人だよ、おい…。気合で数を呼び寄せてる…」

「ここですよ、女を身請けするか、うどん食って寝るかの別れ目は。《一番》!!」

しち(七)番…」

「ウーン…」

バタン、キュー! 物凄いことになっている境内に、さっきの『似非金持ち』がやってくる。

富くじ[編集]

神社仏閣が修理・改築費用を捻出するため、寺社奉行の許可を得て興行していたのがこの「富くじ」。

単に「富」ともいい、江戸では舞台となった『湯島天神』の他にも、「椙森稲荷」・「谷中天王寺」・「目黒不動境内」などで行われていたそうだ。

木箱の中央に穴が開いており、そこから錐を突き刺して番号の書かれた札を選び出す事で抽選を行っていた。

妙な小細工を出来ないようにするため、抽選には邪気のない子供を使うことが多かったそうだ。

桂米朝によれば、一番富は江戸では最後に突くが、大阪では最初に突いたという[4]

最高額はあらすじにもあるとおり千両。反対に、最低額は一朱(1/16両)だった。

千両富に当たると世話役に『当たりは千両だが、すぐ受け取ると二割(二百両)差し引かれる[5]』と説明されることが多い。

高津神社と落語[編集]

高津神社は上方落語に縁の深い場所である。本演目の他にも「崇徳院」「高倉狐」「いもりの黒焼き」「千両の富くじ」などが高津神社を舞台としている。

現在、高津神社には「高津の富」を描いた絵馬が奉納される他、境内にはこの演目を得意とした5代目桂文枝の碑が立ち、参集殿では文枝一門による「くろもん寄席」などの落語会も催されている。

脚注[編集]

  1. ^ 現在の中央区日本橋馬喰町
  2. ^ 現在の中央区北浜4丁目。
  3. ^ 6代目松鶴は、正月にこれを演じる際、その年の干支西暦を当り札としていた。
  4. ^ 「大川町」『米朝ばなし 上方落語地図』(講談社文庫 1984年初版 ISBN 4-06-183365-0
  5. ^ 実際は三割程度は引かれ、二月まで待っても、寄付金名目で一割は差し引かれたようだ。

外部リンク[編集]