トヨタ・センチュリー

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GZG50型 2代目モデル(内閣総理大臣専用車

センチュリーCENTURY)は、トヨタ自動車1967年から製造・販売している最高級乗用車である[注釈 1]

生産はトヨタ自動車傘下のトヨタ自動車東日本2012年6月までは関東自動車工業、同年7月1日にセントラル自動車トヨタ自動車東北と合併)が担当し、工程の多くを手作業に頼る形態で限定生産されている。日本国内における販売店はトヨタ店東京のみ東京トヨペットと併売)。

概要

センチュリー世紀)」の名称は、初代モデルが発表された1967年が明治100年(同時に、創業者・豊田佐吉の生誕100年)であったことに因む。

日本国内の官公庁・企業などでの公用車・社用車(役員車)として企画された国内専用車であり[注釈 2]、後部座席の快適性に重きを置いた作りになっている。法人需要が大部分だが、富裕層の自家用車にも少なからず用いられている。特装改造のベース車として霊柩車化されての需要も多い。主として自国内の特定クラスのみを対象とする車種としては、日本車では他に日産・プレジデントがあった(2010年8月生産終了)。日本国外で類似の性格を備えた高級車にはイギリスオースチンA1351952年 - 1968年)、デイムラー・DS4201968年 - 1992年)、 旧ソビエト連邦ロシアZISおよびZIL1936年 - )や中華人民共和国紅旗1958年 - )などが挙げられるが、センチュリーもそれらの例と同様に、国際市場での販売を考慮しない独特の性格を持った自動車になっている。

2代目現行モデルの内外装には、トヨタのCIマークやロゴタイプは使用されていない(以前は「TOYOTA」の文字ロゴがトランクリッドに入っていた)。代わりに、「鳳凰」およびセンチュリーのイニシャルを象ったオーナメントがフロントグリルホイールセンターキャップステアリングホイールキーエンジンフード・Cピラー等に使用され、リアのトランクリッドには「CENTURY」と表示されている。

2005年、トヨタは従来日本国外で展開していた高級車ブランド・レクサスを日本にも投入。翌2006年9月にはフラグシップであるLS460(同年5月まで旧型モデルをセルシオとしてトヨタブランドで販売)を、さらに2007年5月にはLSの最上級グレードLS600hLを展開した。そのLS600hLは価格(1595万円)こそセンチュリー(1253万円)を上回る(2016年3月時点)が、センチュリーはその独自の位置づけにおいて、トヨタだけでなく日本の乗用車市場における最高級乗用車としての地位を築いている。

歴史

初代 VG2#/3#/4#型 (1967年 - 1997年)

トヨタ・センチュリー(初代)
VG2#/VG3#/VG4#型
前期型(VG20型)
後期型(VG40型)
概要
販売期間 1967年 - 1997年
ボディ
乗車定員 5名
ボディタイプ 4ドアセダン
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン 5V-EU型
V型8気筒OHV 3,994cc
変速機 4#前期:3速コラムAT
4#後期:4速AT/4速コラムAT
前・ストラット
後・4リンク
前・ストラット
後・4リンク
車両寸法
ホイールベース 2,860mm
3,010mm(Lタイプ)
3,510mm(リムジン)
全長 5,120mm
5,270mm(Lタイプ)
5,770mm(リムジン)
全幅 1,890mm
全高 1,450mm
系譜
先代 トヨタ・クラウンエイト
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世界の豪華車に匹敵するプレステージサルーンを目標にして開発(トヨタ博物館による解説)され、1967年11月に発売された。以後細部の改良を受けながらも、1997年まで30年間に渡ってフルモデルチェンジなしで生産される希有な記録を作った。

センチュリーの投入に先立つ1964年には、当時のトヨタの最上級車であったクラウンの車体を拡大し、日本初のV型8気筒エンジンを搭載した「クラウンエイト」が発売されていたが、クラウンの構造拡大型に留まったクラウンエイトと異なり、センチュリーは全面的な新設計により開発された。4ドアセダン一種のみのボディは、「伝統的な日本」を感じさせるテイストを持ち、重厚で保守的だがある意味極めて個性的なデザインである。長矩形の異形ヘッドライトなどは、1960年代の日本車としては珍しかった。エンジンはクラウンエイト用を拡大した3V型OHV・3,000ccエンジンから始まり、その後排出ガス対策等で3,400cc(4V-U型、4V-EU型)、4,000cc(5V-EU型)まで排気量拡大がなされた。

初期モデルは当時のトヨタ車としては異例の複雑なメカニズムを採用しており、それらは通常のコイルスプリングに換えてエアチャンバーを用いたフロントサスペンション(アーム配置はトレーリングアーム)や、ギアボックスをスカットル上部に置き、リンケージの大半をエンジン上部に配置したステアリング系(ナックルアームはストラットタワーの頂部に配置)に代表される。これらは、当時の日本車はもとより欧米車でもあまり例がなく、登場から45年以上経た現在の眼で見ても極めてユニークで、興味深いものである。しかし、複雑なメカニズムが実際の走行性能の向上にどれほどの役割を果たしたかはやや疑問と評すべき面もあり、メーカーとしても机上のスペックよりも現実の実用性能を重視するという考え方のもと、1982年の大規模なマイナーチェンジの際に、フロントサスペンションやステアリング系が一般的な方式に改められた。

初投入時のモデルであるVG20型には、オートマチックトランスミッションの装備が常識化していたアメリカ製高級車に対抗するため、当初からATが標準装備であったが、富裕層のオーナードライバー向けに、マニュアルトランスミッションの4速フロアシフト車も設定されていた。このMT車はVG21型へのマイナーチェンジ時に廃止されている。また、防弾装備が施されたセンチュリーは、当時の内閣総理大臣であった佐藤栄作の公用車として納入され、以後内閣総理大臣専用車として使用されている。

  • 1973年4月 - マイナーチェンジで型式をVG21型へ変更。昭和48年排出ガス規制適合と同時に総排気量が3,400ccの4V型へ変更。外観はかなり変更され、テールランプのデザイン変更と同時にウインカーをアンバー色に変更。フロントディスクブレーキ追加。電磁式ドアロックの廃止。ワイパーの変更。
  • 1975年6月 - 昭和50年排出ガス規制適合。MT車廃止。
  • 1977年1月 - 昭和52年排出ガス規制適合で型式をC-VG30型へ変更。
  • 1978年11月 - 昭和53年排出ガス規制適合で型式をE-VG35型へ変更。ホイールキャップのデザイン変更。
  • 1982年 - 大規模マイナーチェンジで型式をVG40型へ変更。エンジンが4,000ccの5V-EU型となり、発売以来大幅な変更がなかった内外装が変更される。外装ではヘッドライト、フロントグリル、テールライト、バンパーなどが、内装ではオートエアコンの採用、ラジオの電子チューナー化、各種スイッチの日本語表記化などを実施。
  • 1985年8月 - EタイプにTEMSが採用。
  • 1987年 - 一部改良。デジタルメーターの採用と内外装の変更。ATを3速から4速型の電子制御式に変更。フロアシフト車復活。
  • 1990年9月 - 一部改良。ホイールベースを150mm延長したロングボディのLタイプを追加(型式はVG45型)。
  • 1992年12月 - 一部改良。フロントグリル、ホイールのデザイン変更。後席VIPシート、サイドドアビーム、LEDハイマウントストップランプ、運転席エアバッグを全車標準装備。
  • 1994年12月 - 一部改良。エアコンカットシステムの採用。車載電話用アンテナをバックウインドウ内蔵タイプに変更。

2代目 GZG5#型 (1997年 - )

トヨタ・センチュリー(2代目)
GZG5#型
リア
車内
概要
販売期間 1997年-
ボディ
乗車定員 5名
ボディタイプ 4ドアセダン
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン 1GZ-FE型
V型12気筒DOHC 4,996cc
変速機 4速AT/4速コラムAT(-05年1月)
6速AT/6速コラムAT(05年1月- )
前・ダブルウィッシュボーン
後・ダブルウイッシュボーン
前・ダブルウィッシュボーン
後・ダブルウイッシュボーン
車両寸法
ホイールベース 3,025mm
全長 5,270mm
全幅 1,890mm
全高 1,470mm
車両重量 2,050kg
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1997年、異例の長期生産が続いた初代から30年ぶりにフルモデルチェンジが行われ、2代目のGZG50型に移行した。当時最新の技術で製造された自動車でありながら、デザインは1967年以来の初代モデルをほとんど踏襲し、遠目には初代モデルの後期型(VG40型)と区別を付けにくい外観となった。

日本製市販乗用車としては史上初にして唯一のV型12気筒エンジンを搭載、4カムOHC(片バンクあたりDOHC機構)の5,000cc・280PSで、基本構造はトヨタで長い実績のある既存の直列6気筒エンジン(JZ型)をベースにしている。エンジンの形式名は1GZ-FE型であり、片バンクの6気筒にトラブルが生じても、残りの6気筒が機能して走行できるようになっている。その他の走行機器の多くにバックアップのための2重系統化が施されている。エンジン特性は特異であり、軸出力は4400rpmあたりで最高出力の206kW(280PS)に達するとそのまま5600rpmあたりまで出力を保持する。このためトルクは4000rpmをピークに急激に低下している。通常の特性とするなら250kw/5600rpm程度を示すものと推測される。

内装の本木目パネルや本革シートは職人が手作業で制作したものが使われるなど、高度な素材・技術が使われている。また、ボディーカラー名には「神威」(かむい、エターナルブラック)、「摩周」(ましゅう、シリーンブルーマイカ)、「瑞雲」(ずいうん、デミュアーブルーマイカメタリックモリブデン)、「鸞鳳」(らんぽう、グロリアスグレーメタリックモリブデン)、「精華」(せいか、レイディエントシルバーメタリック)と、標準装備のウールファブリックシートには「瑞響」(ずいきょう)とおおよそ他の車種では使用されないような名称が使用されている[注釈 3]

車の性格からオーナードライバーが自ら運転するケースは多くないものの、ショーファードリブン時とオーナードリブン時とで走行性能を切り替える機能もある。フロアシフト仕様が一般的であるがコラムシフト仕様も選択可能であり、また初代モデルは末期まで全車フェンダーミラーが装備でドアミラーを選択することはできなかったが、この代よりフロアシフト車に限りドアミラーがオプション装備となっている。先代にあったフロントベンチシートやリムジンは廃止された。

2006年、日産・プリンスロイヤルに代わる天皇皇后用の御料車として、トヨタはセンチュリーをベースとして開発されたセンチュリーロイヤル宮内庁に納入した。なお、通常のセンチュリーも皇族間においてはかねてから使用されている。

  • 1997年4月 - フルモデルチェンジ。
  • 2000年4月 - 一部改良。
  • 2001年5月 - 一部改良。
  • 2003年1月 - 官公庁での使用を見込んで圧縮天然ガス(CNG)仕様車を追加。しかし、四国のように都市ガスの天然ガス化が遅れている地域が少なくない上、ベースモデルよりも約300万円高いため導入拡大にまでは至らず、2005年の一部改良時には消滅した。CNG仕様車のエンジンは1GZ-FNEで、出力は258PSとやや下がっている。また、識別のためフロントドア横に「CNG」の文字が入っている。
  • 2005年1月 - 一部改良。ATが6速化され(フロアシフトはシーケンシャルシフトマチックとなる)、平成17年排出ガス75%低減でSU-LEVの認定と平成22年燃費基準を達成。デュアルエレクトロマルチビジョンを標準装備。後席VHSデッキに代わりDVDプレーヤーを装備。
  • 2006年1月 - 一部改良。尾灯(テール/ブレーキランプ)にLEDを採用。
  • 2007年10月 - 第40回東京モーターショーにセンチュリーの製造元である関東自動車工業が専用フロントグリル、内装にウールを使用するなど、より高級化を図った「プレミアムセンチュリー」を出品。
  • 2008年1月 - 一部改良。ディスチャージ付(ロービームのみ)マルチリフレクターヘッドランプを装備。それに伴いフォグランプがバンパーに移動し、コーナリングランプが廃止。また、地上デジタルテレビチューナーも装備。
  • 2010年8月 - 一部改良。新たにバックガイドモニター(音声ガイダンス機能付)とETCを標準装備。また、鳳凰のエンブレムの背景色を黒に変更し、より際立たせた。リアセンターアームレストの一部に本木目を採用し、左後席にフットレストを新設定。また、ウィンドシールドガラスはUVカット機能に加え、高遮音機能、赤外線カット機能を追加した合わせガラスとなり、車内の温度上昇を抑えることでエアコンの負荷を軽減するなど静粛性・快適性を向上。
  • 2013年5月 - 一部改良。地上デジタルテレビチューナーを4チューナーに増強して受信性能を向上したほか、リモコン受光部を前席にも設定したことで操作性を向上。また、ドアガラス(クォーターガラスを除く)にスーパーUVカットガラスを採用したほか、フェンダーミラーの鏡面屈折を変更したことで視認性を向上。

センチュリーの特殊性

センチュリーはトヨタの象徴である徹底的にムダが排除されたトヨタ生産方式とは相容れない工程が採用されている。カローラの3倍という溶接箇所を熟練工員が溶接し、さらに別の工員が溶接箇所をやすりで仕上げるボディ、専属の作業員4人がグループを組んで担当する組み立て工程、5層コートを5回焼き付けた後に専門の検査員が「鮮映性」という独自基準でチェックするボディ塗装、各職人が担当する本木目パネルや本革シートが採用された内装など手作業が工程の多くを占め、コーチビルダーカロッツェリアが製造する特装車のような車であるが、かつては1,000万円を切る廉価で販売されていた。しかし2005年に値上げが図られ、現行車(2016年3月現在)の価格設定は8%消費税込で1,253万8,286円からとなっている。またこれらの手作業には少量生産に向いているというコスト的な理由以外にも、各種技術の継承という側面もある。

多くの高級車がフロントのエンブレムやグリルなどの端的に理解されやすいマークで認識されるのに対し、センチュリーのイメージはフロントマスクやテールランプ回りの独特なデザインをはじめとするボディデザイン全体によって構築されている。故に2代目の開発にあたっても、そのデザインは初代の古典的デザインモチーフが全体に継承されることになった。

輸出を意識した車ではないが、アジアヨーロッパ市場に少数の輸出実績がある。香港では、董建華初代特別行政区行政長官が公用車にセンチュリーを常用していた(曽蔭権が就任した2005年にメルセデス・ベンツ・Sクラス、2007年5月には省エネの観点からレクサスLS600hLに代替された)。1998年には主に日本政府の在外公館(在仏・在中国日本大使館など)向けとして、右側通行に対応する左ハンドル仕様が100台ほど生産・販売された。

その他

  • 政治家の公用車にも広く用いられるが、近年は「高価な大排気量車」による公費浪費の批判を避ける政治的判断[1]、あるいは純粋な維持費用節約の見地[2]から、都道府県知事や市町村長用のセンチュリーを売却し、ハイブリッドカー等の低公害車、あるいは輸送力で勝る大型ミニバンアルファード エルグランド等各社車種)で代替する事例が増えている[注釈 4]。内閣総理大臣専用車においても、従来のセンチュリーと併用する形で2006年よりLS600hLが導入されている。

出典

  1. ^ 『知事公用の高級車をネット売却 経費削減でハイブリッド車に 奈良』 MSNニュース 2008年4月25日。この記事によると、実際の経費削減効果よりも象徴的な意味合いの方が大きいと知事が発言している。
  2. ^ 『黒塗り高級車やめました 知事公用車で東国原知事』 千葉日報ウェブ 2007年2月7日。

注釈

  1. ^ 販売価格については、厳密には同じトヨタ製のレクサスLS600hLより低価格であるが、本文にて記述されている独自の性格から、日本においては別格の最高級乗用車として位置づけられている。
  2. ^ 極少数が一時期国外へ公式輸出された。
  3. ^ 初代はフジ・ノーブルホワイト、カムイ・エターナルブラック、ホーライ・ルーシッドグリーン、ウンゼン・ミスティグレー、マシュウ・カームブルー、ヘイアン・グレーシャスマルーン。[1]参照。なお、2013年現在、ボディーカラー名に漢字が入っているのはセンチュリーのみである。
  4. ^ 広島県では以上のメリットに加え、県内に本社を置くマツダへの支援と道路環境の悪い安芸灘諸島自治体での運用を考慮して、2009年より同社が生産するミニバンMPVを公用車に指定している。

関連項目

外部リンク