「国鉄キハ45系気動車」の版間の差分

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|画像= Kiha45 27 takamatsueki.jpg
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|画像説明=キハ45 27(1988年頃、高松駅)
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|定員= 84(席)+40(立)=124名(キハ45形0・500番台)<br />76(席)+48(立)=124名(キハ45形600番台)<br />85(席)+25(立)=110名(キハ46形)<br />76(席)+40(立)=116名(キハ23形)<br />77(席)+25(立)=102名(キハ24形)<br />73(席)+41(立)=114名(キハ53形)
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'''キハ45系気動車'''(キハ45けいきどうしゃ)とは、[[日本国有鉄道]](国鉄)が[[1966年]]([[昭和]]41年)から製造した[[気動車]]。'''キハ23系'''と呼ばれることもある。
'''キハ45系気動車'''(キハ45けいきどうしゃ)とは、[[日本国有鉄道]](国鉄)が[[1966年]]([[昭和]]41年)から製造し、[[JR]]各社に引き継がれたのち[[2009年]]([[平成]]21年)まで在籍した[[気動車]]である。'''キハ23系'''と呼ばれることもある。


両開き扉を持つセミクロスシート車として製造され(北海道向けを除く)、都市近郊の通勤輸送と中長距離輸送を併せ持つ気動車として登場し<ref name="JNRCAR"/>{{疑問点範囲|date=2016年5月|その目的から'''[[近郊形車両|近郊形]]気動車'''と表現した資料もある<ref>『世界の鉄道'77』、朝日新聞社、1976年10月、p.60</ref><ref name=100JNR>交友社 日本国有鉄道工作局・車両設計事務所『100年の国鉄車両(3)』p.460</ref><ref>JTBパブリッシング 石井幸孝『キハ47物語』 p.97</ref><ref>ネコパブリッシング『キハ58と仲間たち 』p.213 岡田誠一が近郊形気動車と記載。</ref><ref name=RP>電気車研究会『[[鉄道ピクトリアル]]』No.742 特集「キハ35・45系」p.6では「一般形なら通勤形の特徴を併せ持つ初の近郊形気動車」と記載。</ref>、特急形や急行形、通勤形以外の気動車は慣例的に一般形に分類しているため<ref>[http://news.mynavi.jp/series/trivia/268/ 鉄道トリビア(268) 「近郊形電車」と「一般形電車」、何が違う?] - マイナビニュース</ref>、当形式は[[一般形車両 (鉄道)|一般形]][[気動車]]に分類される<ref name="JNRCAR">日本交通公社『国鉄車両一覧』p.176</ref><ref name=RP/>。しかし、気動車については近郊形の範疇から外れることもあるため、否定的見解もあるが、現状では否定的見解を明文化した資料に乏しく、車種の分類に見解が分かれることもあり、議論の余地がある車両である。}}
[[北海道]](酷寒地)向けを除き、両開き扉を片側2か所に備えるセミクロスシート車となり[[近郊|都市近郊]][[通勤]]輸送と中長距離輸送の機能を併せ持つ気動車として構想された<ref name="JTBp177"/>{{Refnest|group="注"|製造目的から'''[[近郊形車両|近郊形]]気動車'''と表現した資料もある<ref name="JNR100-3p460"/><ref name="Sekai77p60"/><ref name="RF235p26"/><ref name="JTBp176"/><ref name="Natori1995p213"/><ref name="Kiha47p97"/><ref name="RP742p6"/>が、特急形や急行形、通勤形以外の気動車は慣例的に一般形に分類しているため<ref name=mynavi20140823/>、当形式は[[一般形車両 (鉄道)|一般形]][[気動車]]に分類される<ref name="JTBp177"/><ref name="RP742p6"/>。しかし、気動車については近郊形の範疇から外れることもあるため、否定的見解もあるが、否定的見解を明文化した資料に乏しく、車種の分類に見解が分かれることもあり、議論の余地がある車両である。}}


の呼称は、[[国鉄気動車の車両形式|車両形式称号規程]]に則った国鉄正式の系列呼称ではなく、同一の設計思想によって製造された'''キハ23形'''・'''キハ24形'''・'''キハ45形'''・'''キハ46形'''・'''キハ53形'''の各形式を趣味的・便宜的に総称したものである。現在は形式消滅しており、保存車両もない
キハ45系の呼称は、[[国鉄気動車の車両形式|車両形式称号規程]]に則った国鉄正式の系列呼称ではなく、同一の設計思想によって製造された'''キハ23形'''・'''キハ24形'''・'''キハ45形'''・'''キハ46形'''・'''キハ53形'''の各形式を便宜的に総称したものである。


== 概要 ==
== 概要 ==
[[1960年代]]中期、国鉄の一般形気動車は、地方線区向けの[[国鉄キハ20系気動車|キハ20系]]と、大都市近郊線向けの[[国鉄キハ35系気動車|キハ35系]]が大量に増備されていた。しかし、キハ20系は扉幅が850mmと狭く[[ラッシュ時]]の客扱いに難があり、キハ35系は3扉オールロングシートという通勤輸送に特化した構造であ設備面という難があった。キハ45系気動車は、これらの問題を解決するため両系列の中間的存在として開発され<ref name="JNRCAR"/>[[1966年]]([[昭和]]41年)から[[1969年]](昭和44年)までに5形式、179両が製造された<ref name="JNRCAR"/>。
[[1960年代]]中期、国鉄の一般形気動車は、地方線区向けの[[国鉄キハ20系気動車|キハ20系]]と、大都市近郊線向けの[[国鉄キハ35系気動車|キハ35系]]の製造行われていた<ref name="JTBp176"/>。キハ20系は扉幅が850 [[ミリメートル|mm]]と狭く[[ラッシュ時]]の客扱いに難があり、キハ35系は通勤輸送に主眼を置いてお、すべての線区に適応構造ではなかった<ref name="JTBp176"/>。キハ45系気動車は、これらの問題を解決するため両系列の中間的存在として開発され<ref name="JTBp176"/>[[1966年]]([[昭和]]41年)から[[1969年]](昭和44年)までに5形式、179両が製造された<ref name="RP742p6"/><ref name="JTBp176"/>。
なお、本系列の落成に先立ち、客車改造気動車のキハ40形(初代)・キハ45形(初代)がそれぞれ[[国鉄キハ08系気動車|キハ08形・キハ09形(2代)]]に改称されている。


キハ45系の製造に先立ち、客車改造気動車のキハ40形(初代)・キハ45形(初代)がそれぞれ[[国鉄キハ08系気動車|キハ08形・キハ09形(2代)]]に改称されている<ref name="RP702p46"/><ref name="RF235p26"/><ref name="RF235p27"/>。
== 運用 ==
当形式は他の一般形気動車と区別することなく使用され、普通列車だけでなく、[[急行列車]]にも使用されたこともあった([[遜色急行]]も参照)<ref>日本交通公社『国鉄車両一覧』p.177</ref>。


== 運用 ==
[[国鉄分割民営化]]時には、[[東海旅客鉄道]](JR東海)を除く旅客鉄道各社に176両が承継された。老朽化の進行に伴い、運用上制約が多い片運転台車から[[廃車 (鉄道)|廃車]]が進んだ。両運転台車についても、更新工事やワンマン化を受けた車両もあったが新系列気動車の増備につれて廃車が進んだ。営業運転での使用は[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)の1両(キハ23 520)による[[2003年]]([[平成]]15年)の運用が最後となった。また、保留車として[[下関総合車両所#本所|下関総合車両所本所]]にて保管されていた1両(キハ23 1)も、[[2009年]](平成21年)6月10日付で廃車、その後解体され
1966年(昭和42年)10月・11月に房総各線、[[陸羽東線]]、[[城端線]]、[[氷見線]]、[[山口線]]用としてキハ23形1両、キハ45形31両が、北海道各線用としてキハ46形6両が製造され、以降1969年(昭和44年)までに179両が投入された<ref name="RP742p6"/>。需要に応じ、両数が比較的少ない割に全国各地に配置され、初期は[[国鉄キハ10系気動車|キハ10系]]・キハ20系・キハ35系と、末期はキハ35系・[[国鉄キハ40系気動車 (2代)|キハ47系]]と混用され、普通列車だけでなく、一部[[急行列車]]にも使用された<ref name="JTBp177"/><ref name="RP742p6"/><ref name="RP742p7"/>。[[1983年]](昭和58年)3月2日に[[木次線]]で発生した脱線事故でキハ53 6が同年3月22日付で[[廃車 (鉄道)|廃車]]されたのが本系列初の廃車である<ref name="RP742p8"/><ref name="RP742p23"/><ref name="RP742p72"/>。キハ45 20とキハ46 4は[[国鉄分割民営化]]直前の[[1987年]](昭和62年)2月と1月に廃車されており、この3両のみがJRに承継されなかった<ref name="RP742p71"/><ref name="RP742p72"/>。
<ref>[http://railf.jp/news/2009/06/18/161500.html キハ23 1が解体される] - [[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]鉄道ニュース2009年6月18日付。同誌9月号にも同じ記事が掲載されている。</ref>、在籍車は消滅している。


国鉄分割民営化に際しては、[[東海旅客鉄道]](JR東海)を除く旅客鉄道各社前記3両を除く176両が継承された<ref name="RP742p23"/><ref name="RP742p69"/><ref name="RP742p70"/><ref name="RP742p71"/><ref name="RP742p72"/>。JR東日本のキハ23形500番台には[[1989年]](平成元年)から[[1991年]](平成3年)にかけて気動車車両更新工事が施工され、機関がDMF11HZに換装されたほか、隙間風対策などが行われた<ref name="RP742p23"/>。[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)の一部車両についてはワンマン化工事が施工された<ref name="RP742p23"/>。[[1990年代]]から[[廃車 (鉄道)|廃車]]が進行し、[[北海道旅客鉄道]](JR北海道)からは[[1995年]](平成7年)、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)からは[[2000年]](平成12年)、[[四国旅客鉄道]](JR四国)からは[[1991年]]、[[九州旅客鉄道]](JR九州)からは[[1993年]](平成5年)にそれぞれ形式消滅し<ref name="RP742p69"/><ref name="RP742p70"/><ref name="RP742p71"/><ref name="RP742p72"/>、営業運転での使用はJR西日本の1両(キハ23 520)による[[2003年]]([[平成]]15年)10月ダイヤ改正前の運用が最後となった<ref name="RP742p8"/>。また、保留車として[[下関総合車両所#本所|下関総合車両所本所]]にて保管されていた1両(キハ23 1)も、[[2009年]](平成21年)6月10日付で廃車<ref name="年鑑2010p60"/>、解体処分され<ref name=railf20090618/>、キハ45系は消滅した<ref name="年鑑2010p205"/>。
== 形式一覧 ==
== 形式一覧 ==
{| class="wikitable" style="text-align: center;"
{| class="wikitable" style="text-align: center;"
|colspan="11" style="background-color: #fbb;" |キハ45系 新造時形式・番台別特徴一覧
|colspan="11" style="background-color: #fbb;" |キハ45系 新造時形式・番台別特徴一覧
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!運転台!!客扉!!形式!!番台区分!!仕向け地!!デッキ!!機関!!両数!!製造年!!備考
!運転台<ref name="JTBp176"/>!!客扉<ref name="JTBp177"/>!!形式!!番台区分<ref name="JTBp177"/>!!仕向け地<ref name="JTBp177"/>!!デッキ<ref name="JTBp177"/>!!機関<ref name="JTBp177"/>!!両数<ref name="JTBp176"/>!!製造年!!備考
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| rowspan="3"|両
| rowspan="3"|両
60行目: 59行目:
| rowspan="7"|1台
| rowspan="7"|1台
|33
|33
|1966年 - 1969年<ref name="RP742p69"/><ref name="RP742p70"/>
|41年 - 44年
|
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|-
|-
66行目: 65行目:
|寒地
|寒地
|21
|21
|42年 - 44
|1967年 - 1969<ref name="RP742p70"/>
|
|
|-
|-
76行目: 75行目:
| rowspan="1"|有
| rowspan="1"|有
|10
|10
|1967年<ref name="RP742p70"/>
|42年
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|
|-
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87行目: 86行目:
| rowspan="3"|無
| rowspan="3"|無
|74
|74
|1966年 - 1968年<ref name="RP742p70"/><ref name="RP742p71"/>
|41年 - 43年
|
|
|-
|-
93行目: 92行目:
|寒地
|寒地
|22
|22
|1967年 - 1969年<ref name="RP742p71"/><ref name="RP742p72"/>
|42年 - 44年
|
|
|-
|-
99行目: 98行目:
|暖地
|暖地
|2
|2
|1969年<ref name="RP742p72"/>
|44年
|簡易[[郵便車|郵便]][[荷物車]]
|簡易[[郵便車|郵便]][[荷物車]] <ref name="RP742p40"/>
|-
|-
|-
|-
109行目: 108行目:
| rowspan="1"|有
| rowspan="1"|有
|6
|6
|1966年<ref name="RP742p72"/>
|41年
|
|
|-
|-
121行目: 120行目:
| rowspan="2"|2台
| rowspan="2"|2台
|9
|9
|42年・44
|1967年・1969<ref name="RP742p72"/>
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|-
!100
!100
|2
|2
|1968年<ref name="RP742p72"/>
|43年
|長大編成対応
|長大編成対応<ref name="RP742p41"/>
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|-
|}
|}
* 酷寒地:北海道、寒地:東北・中部区および中国山間部
* 酷寒地:北海道向け、寒地:本州の寒冷向け、暖:それ以外地域向け<ref name="JTBp176"/>


== 構造 ==
== 構造 ==
=== 車体 ===
=== 車体 ===
従来多くの気動車同じく片側2扉車体であるが、客扱い利便性図るため、本州以南向けは幅1300mmの両開き扉を車体中央部寄せたレイアウトとなった。このようなレイアウトは私鉄では[[小田急2320形電車]]や[[阪急2800系電車]]{{refnest|group="注"|後に3扉ロングシートに改造している。}}、[[近鉄820系電車]]などで採用例があったが、国鉄気動車では初採用となった。酷寒地向けは防寒のため従来どおり車端部に片開き扉を配置し[[デッキ]]を設けているが、扉幅を1000mmへ拡大している。
都市近郊通勤輸送中距離輸送機能併せ持つ構造<ref name="RP742p6"/>として、本州向けについて1,300 [[ミリメートル|mm]]幅の両開き扉を片側2か所備える。北海道向けは防寒のため[[国鉄キハ20系気動車#キハ22形|キハ22]]と車端部に片開き扉を配置し[[デッキ]]を設けているが、扉幅を1,000 mmへ拡大している<ref name="JTBp176"/>。いずれの場合も扉にはステップが設けられた<ref name="JTBp176"/>


車体幅は従来形式と同じく2800mm級で、[[急行形車両|急行形]]気動車のような幅広車体は採用されなかった。車体長は、1エンジン車と2エンジン車で統一する方針からすべて2エンジン車に要求される最大長21.3m(車体長20.8m)となった。このため、1エンジン車(在来形は最大長20m・車体長19.5m)については収容力の向上が図られた
車体幅は従来の一般型気動車と同じく約2,800 mmで、[[急行形車両|急行形]]気動車のような幅広車体は採用されなかった<ref name="RP742p19"/>。1エンジン搭載車と2エンジン搭載車で全長が統一され急行型気動同様に最大長21,300 mm(車体長20,800 mm)となった<ref name="JTBp176"/><ref name="RP742p19"/>


運転台は、衝突事故対策及び運転士の視認性の向上のため、床面が300mmかさ上げされた高床式となった。前面窓にはパノラミックウィンドウが採用されたが、これは[[特急形車両|特急形]]を除いては国鉄気動車として初採用である。ま前面下部には大型の[[排障器]](スカート)が設置されている。[[国鉄キハ58系気動車|キハ58系]]と同様前照灯シールドビーム2灯化さて左右の前面窓上に配置されるとともに、貫通扉上部には[[方向幕|行先表示器]]が設置された。
運転台は、衝突事故対策及び運転士の視認性の向上のため、床面が300 mmかさ上げされた高床式となり、前面窓には角R 200 mmのパノラミックウィンドウが一般型気動車として初めて採用され<ref name="JTBp176"/><ref name="RP742p39"/>。前面下部には大型の[[排障器]](スカート)が設置され、排障器の下取り外し式の雪かき器取り付けらた<ref name="RP742p19"/>。貫通扉上部には[[方向幕|行先表示器]]が設置された<ref name="RP742p19"/>


側窓は、一般形気動車として初めて外はめ式のユニット窓(下段上昇上段下降)が採用されたが、酷寒地向け車については、防寒のため従来同様の一段上昇式の二重窓で木張りの床とされ、内窓の枠は[[繊維強化プラスチック|FRP]]製となった。
側窓は、一般形気動車として初めて外はめ式のユニット窓(下段上昇上段下降)が採用されたが、酷寒地向け車については、防寒のため従来同様の一段上昇式の二重窓とされ、内窓の枠は[[繊維強化プラスチック|FRP]]製となった<ref name="JTBp176"/><ref name="RP742p19"/>。全車に便所が設けられている<ref name="JTBp176"/>


製造当初は、[[朱色4号|朱色]]と[[クリーム4号|クリーム色]]の一般形気動車の標準塗装であった。後に一般形気動車の標準塗装が朱一色のいわゆる[[朱色5号|首都圏色]]に変更されたことから、本系列も[[1980年]]([[昭和]]55年)ごろまでに首都圏色に塗り替えられた。国鉄分割民営化前後からは、各地域独自の塗装に塗り替えられるものが多くなった。
製造当初は、[[朱色4号|朱色]]と[[クリーム4号|クリーム色]]の一般形気動車の標準塗装であった<ref name="JTBp176"/>[[1977年]](昭和52年)以降一般形気動車の標準塗装が朱一色のいわゆる[[朱色5号|首都圏色]]に変更されたことから、本系列も[[1980年]]([[昭和]]55年)ごろまでに首都圏色に塗り替えられた<ref name="JTBp176"/><ref name="RP742p84"/>。国鉄分割民営化前後からは、各地域独自の塗装に塗り替えられるものが多くなった<ref name="RP742p84"/><ref name="RP742p85"/>

キハ45系は、昭和41年度から43年度まで7回に分けて発注されているが、その間の設計変更点は細部の改良・材質変更などに留まっており、外観における変化は極めて少ない。目立ったところでは、昭和42年度本予算以降の暖地型に対し、タイフォンカバーがシャッター式からスリット入りの板に変更されている点である。
*キハ23 23~33  キハ45 70~74 601・602  キハ53 8・9・101・102


キハ45系は、昭和41年度から43年度まで7回に分けて発注されているが、その間の設計変更点は細部の改良・材質変更などに留まっており、外観に影響するような変化は、昭和41年度第2次債務車以降{{Refnest|group="注"|キハ23 13以降、キハ45 62 以降と601・602、キハ53 6以降と101・102が該当<ref name="RP742p22"/>}}で[[車側灯]]形状が変更されたこと、昭和42年度本予算以降の暖地向け{{Refnest|group="注"|キハ23 23以降、キハ45 70 以降と601・602、キハ53 8・9・101・102が該当<ref name="RP742p22"/>}}で、タイフォンシャッターが廃止された程度である<ref name="RP742p21"/><ref name="RP742p22"/>。
*
=== 車内設備 ===
=== 車内設備 ===
車内設備は多くの点で[[国鉄113系電車|113系]]をはじめとする当時の近郊形電車に倣った構造となっている。例えば、[[鉄道車両の座席|座席]]配置は扉間と車端部ボックスシート、扉付近にロングシートを配したキハ20系と同様の[[セミクロスシート]]であるが、座席間隔を当時の近郊形電車と同様の1400mmに短縮し(キハ20系は1470mm)通路を広くとるため座席幅も狭くされ
[[鉄道車両の座席|座席]]配置は扉間と車端部ボックスシート、扉付近にロングシートの[[セミクロスシート]]で、[[鉄道車両の座席|座席]]の構造は当時の近郊形電車と同一となり、ピッチ1,400 mm、幅930 mmも近郊型電車と同一である<ref name="JTBp176"/><ref name="RP742p20"/><ref name="RP742p21"/>。キハ20系の幅987.5 mmピッチ1,470 mmよりも、ピッチと縮小されている<ref name="RP823p24"/>
酷寒地向けでは防寒のため[[国鉄キハ20系気動車#キハ22形|キハ22]]と同様にデッキが設けられ、デッキとの仕切り付近はロングシート、それ以外の部分はボックスシートとなった<ref name="JTBp176"/>。便所の扉は本州向けの引き戸に対し酷寒地向けでは開き戸となり、出入台に設けられた<ref name="RP742p19"/>。本州向け車両の床は耐水性防腐鋼板の上に塩化ビニールの床材を張ったもの、酷寒地向けでは厚さ25 mmの板張りとされた<ref name="RP742p19"/>。[[暖房]]については急行形気動車同等の温水式が標準となった<ref name="RP742p20"/>。


簡易[[郵便車|郵便]][[荷物車]]であるキハ45 601・602は、半室をロングシートとし、2か所に設けられたアコーディオンカーテンで車内を仕切ってロングシート部を郵便室・荷物室として使うことができた<ref name="RP742p21"/><ref name="RP742p41"/>。キハ20形・キハ22形・キハ52形にも簡易郵便荷物車があり、同様に600番台に区分されていたが、これらはすべて改造車である<ref name="RP823p20"/><ref name="RP823p21"/>一方、キハ45形600番台は新製車となっている<ref name="RP742p72"/>。郵便・荷物輸送の廃止後はアコーディオンカーテンが撤去されたが、半室ロングシートはそのままとされ<ref name="RP742p41"/>、終始大分地区で運用された<ref name="RP742p72"/>。
[[暖房]]については急行形気動車同等の温水式が標準となった。

キハ45 601・602は簡易[[郵便車|郵便]][[荷物車]]であり、半室をロングシートとし、間仕切り用のアコーディオンカーテンを設けたうえでロングシート部を郵便室・荷物室として使う機能を持たせたている。郵便・荷物輸送量が少ないローカル線向けに製造されたいわゆる600番台気動車の一つであり(ほかにキハ20形・キハ22形・キハ52形などに存在)、他形式の600番台はすべて改造車であるが、キハ45形のみ新製車となっている。


=== 主要機器 ===
=== 主要機器 ===
{{Sound|JR west kiha45 522 taisha line local izumoshi.ogg|キハ45 522の走行音(162D 大社線普通列車)|(大社線大社-出雲市間、1990年3月26日)}}
{{Sound|JR west kiha45 522 taisha line local izumoshi.ogg|キハ45 522の走行音(162D [[大社線]]普通列車)|(大社線[[大社駅]][[出雲市駅]]間、1990年3月26日)}}
当時標準である[[DMH17系エンジン|DMH17H]](180PS/1,500rpm)形[[ディーゼルエンジン|ディーゼル機関]]に、TC2A形又はDF115A形液体変速機を組み合わせて1軸を駆動する。[[鉄道車両の台車|台車]]も金属バネ標準品である[[国鉄DT21形台車#派生形式|DT22C(動台車)・TR51B(付随台車)]]である。[[国鉄キハ58系気動車|キハ58系]]や[[国鉄キハ20系気動車#キハ52形|キハ52形]]で確立された手法がそのまま踏襲されている。エンジンは通常1基を搭載し勾配線区向けのキハ53形のみ2基搭載している。
横形 [[DMH17系エンジン|DMH17H]](180 [[馬力|PS]] /1,500 [[rpm (単位)|rpm]])形[[ディーゼルエンジン|ディーゼル機関]]に、[[神鋼造機]]製TC2A形又は[[日立ニコトランスミッション|新潟コンバーター]]製DF115A形[[トルクコンバータ|液体変速機]]を組み合わせて1軸を駆動する<ref name="RP742p12"/><ref name="RP742p20"/>。エンジンとトルクコンバータは勾配線区向けのキハ53のみ2組を搭載し、それ以外は1組を搭載した<ref name="RP742p22"/>。[[鉄道車両の台車|台車]]は、キハ20系後期型や、[[国鉄キハ58系気動車|キハ58系]]と同様ウイングばね式[[国鉄DT21形台車#派生形式|DT22C(動台車)・TR51B(付随台車)]]を採用、1エンジン車で前位側が同台車後位側が従台車となっている<ref name="RP742p10"/><ref name="RP742p13"/><ref name="RP742p20"/>

床下回りの装備は、暖地装備車の0番台を標準として、機関にカバーをつけ床下機器類の耐雪・保温対策を強化した寒冷地対策仕様の500番台が製造された。


== 形式各説 ==
== 形式各説 ==
形式ごとの相違点、歴史をまとめる。
=== キハ45形 ===
=== キハ23 ===
[[ファイル:JNR DC Kiha45-43.jpg|thumb|200px|キハ45 43]]
1機関搭載の片運転台車で、[[1966年]](昭和41年)から[[1969年]](昭和44年)にかけて暖地形の0番台74両、寒地形の500番台22両、暖地形簡易郵便荷物車の600番台2両の計98両が製造された本系列の基幹形式で、全国各地で使用された。

[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)に0番台11両・500番台14両の25両、[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)に0番台30両・500番台8両の38両、[[四国旅客鉄道]](JR四国)に0番台24両、[[九州旅客鉄道]](JR九州)に0番台8両・600番台2両の10両、計97両が承継されたが、片運転台車で運用上小回りが利かないこともあって、民営化直後から急速に淘汰が進み、[[1995年]]([[平成]]7年)に全廃となった。

※本形式のうち[[1967年]](昭和42年)4月から5月にかけて製造された32 - 36・42 - 61の25両は、製造直後、一時的に北海道に配置された。これは夏季の[[観光]]客輸送など[[波動輸送]]に充当するためで、函館・苗穂・旭川・池田・釧路に配置され、シーズン終了後の1967年(昭和42年)秋に新潟や高松など、道外の本来の配置予定区に転属している。

=== キハ46形 ===
[[ファイル:Kiha 46 6 ruuninng near Chitose station 1988-07.JPG|thumb|200px|キハ46 6]]
酷寒地向け1台機関搭載の片運転台車で、1966年(昭和41年)12月に6両のみが[[富士重工業]]で製造された。1 - 4と6が[[苗穂運転所|苗穂機関区]](札ナホ)、5のみが[[旭川運転所|旭川機関区]](旭アサ)に配置され、新製配置から廃車まで北海道内で使用された。

[[北海道旅客鉄道]](JR北海道)に5両が承継されたが、[[国鉄キハ20系気動車#キハ22形|キハ22形]]と比べて[[定員#自動車・鉄道車両等ある区画の中に入れる人数|収容力]]以外に勝る点が少なく、また、少数形式で保守部品の確保が困難であることから早期に淘汰の対象となり、[[1992年]]([[平成]]4年)に全廃となった。

=== キハ23形 ===
[[ファイル:JNR DC Kiha23-5.jpg|thumb|200px|キハ23 5]]
[[ファイル:JNR DC Kiha23-5.jpg|thumb|200px|キハ23 5]]
1台機関搭載の両運転台車で、1966年(昭和41年から1969年(昭和44年にかけて暖地形の0番台33両、寒地形の500番台21両の計54両が製造された。
1台機関搭載の両運転台車で、1966年(昭和41年)11月から1969年(昭和44年)2月にかけて暖地形の0番台33両、1967年(昭和42年)11月から1969年(昭和44年)1月にかけて寒地形の500番台21両の計54両が製造された<ref name="RP742p21"/>


国鉄時代は最後まで1両も廃車ることなく、JR東日本に500番台11両、JR西日本に0番台30両・500番台10両の40両、JR九州に0番台3両が承継された。両運転台であることから、一部はワンマン改造や車両更新工事を施工され比較的長く使用された。[[2003年]](平成15年)までJR西日本に残っていた520が本グループ最後の稼働車となった。同じくJR西日本には1が保留車となっていたが、前述の通り[[2009年]](平成21年)[[6月10日]]付で廃車され、全廃された<ref>交通新聞社『JR気動車客車編成表 2009』</ref><ref>交通新聞社『JR電車編成表 2010冬』</ref>。
国鉄時代廃車った車両はなく、JR東日本に500番台11両、JR西日本に0番台30両・500番台10両の40両、JR九州に0番台3両が承継された<ref name="RP742p69"/><ref name="RP742p70"/>JR西日本の29に対し、[[1990年]](平成2年)から1992年(平成4年)にかけてワンマン化工事が施工されるとともに、キハ23 520には冷房化改造工事も施工された<ref name="RP742p23"/><ref name="RP742p74"/>。JR東日本では全11に対して、[[1990年]](平成2年)から1992年(平成4年)にかけて車体・機関更新工事を施工<ref name="RP742p23"/><ref name="RP742p74"/>。[[2003年]](平成15年)までJR西日本に残っていたキハ23 520がキハ45系最後の稼働車となった<ref name="RP742p8"/><ref name="年鑑2004p48"/><ref name="年鑑2004p206"/>キハ23 1が運用離脱後も保留車となっていたが、 [[2009年]](平成21年)[[6月10日]]付で廃車され、全廃された<ref name="年鑑2010p205"/>。


=== キハ24 ===
=== キハ24 ===
[[ファイル:JRH-Kiha24.jpg|thumb|200px|キハ24形]]
[[ファイル:JRH-Kiha24.jpg|thumb|200px|キハ24形]]
酷寒地向け1機関搭載の両運転台車で、[[1967年]](昭和42年)4月に10両のみが[[日本車輌製造]]で製造された。
酷寒地向け1機関搭載の両運転台車で、[[1967年]](昭和42年)4月に10両が[[日本車輌製造]]で製造された<ref name="RP742p21"/><ref name="RP742p72"/>


新製当初は1 - 4、9、10が[[函館運転所|函館機関区]](函ハコ)、5 - 8が[[郡山総合車両センター|郡山機関区]](仙コリ)に配置され、[[会津若松運輸区|会津若松機関区]]常駐で使われたが、全が2年以内に北海道へ移動し、5、6が[[旭川運転所|旭川機関区]](旭アサ)、7、8が[[釧路運輸車両所|釧路機関区]](釧クシ)に転属した。
新製当初は1 - 4、9、10が[[函館運転所|函館機関区]]、5 - 8が[[郡山総合車両センター|郡山機関区]]に配置された<ref name="RP742p70"/>。郡山に配属された車両ものちに北海道へ移動した。


函館では「[[松前 (列車)|松前]]」、「[[せたな (列車)|せたな]]」、「[[えさし (列車)|えさし]]」、釧路では「[[ノサップ (列車)|ノサップ]]」などの[[急行列車]]にも、キハ22形に伍して使用された。
{{要出典範囲|函館では「[[松前 (列車)|松前]]」、「[[せたな (列車)|せたな]]」、「[[えさし (列車)|えさし]]」、釧路では「[[ノサップ (列車)|ノサップ]]」などの[[急行列車]]にも、キハ22形と共に使用された。|date=2016年6月}}
全車がJR北海道に承継され、1 - 4、9、10は函館を一度も離れず、[[1992年]] ([[平成]]4年)から[[1995年]]([[平成]]7年)にかけて全車廃車された<ref name="RP742p70"/>。

全車がJR北海道に承継され、1 - 4、9、10は函館を一度も離れず、10が[[1992年]] ([[平成]]4年)、その他は[[1995年]]([[平成]]7年)に、5 - 8は民営化後に[[苫小牧運転所]](札トマ)へ転属となり、[[1999年]]([[平成]]11年)に廃車となった。
{{-}}
{{-}}
=== キハ53形 ===
=== キハ45 ===
[[ファイル:JNR DC Kiha45-43.jpg|thumb|200px|キハ45 43]]
本州向け、1機関搭載の片運転台車で、各番台合わせて98両が製造された<ref name="RP742p21"/>。暖地向けの0番台74両は1966年(昭和41年)10月から[[1968年]](昭和43年)2月に、床下機器の保温対策を強化した寒地向けの500番台22両は[[1967年]](昭和42年)10月から[[1969年]](昭和44年)3月に、暖地向け簡易郵便荷物車の600番台2両は1969年(昭和44年)3月にそれぞれ製造され、全国各地で使用された<ref name="RP742p21"/>。[[1967年]](昭和42年)4月から5月にかけて製造されたキハ45 32 - 36・42 - 61の25両は、夏季の[[観光]]客輸送のため函館・苗穂・旭川・池田・釧路に新製配置され、夏季輸送終了後、本州の本来の配置予定区に転属している<ref name="JTBp177"/><ref name="RP742p71"/>。キハ45 20は1987年(昭和62年)2月に[[筑豊篠栗鉄道事業部|直方気動車区]]で廃車され、JRには承継されなかった<ref name="RP742p71"/>。

JR東日本に0番台11両・500番台14両の計25両、JR西日本に0番台30両、500番台8両の38両、JR四国に0番台24両、JR九州に0番台8両・600番台2両の10両、計97両が承継された<ref name="RP742p70"/><ref name="RP742p71"/><ref name="RP742p72"/>。民営化直後の[[1989年]](平成元年)から各社で急速に廃車され、[[1991年]](平成3年)にJR四国から、[[1992年]](平成4年)にJR東日本から、[[1994年]](平成6年)にJR西日本からそれぞれ消滅した<ref name="RP742p70"/><ref name="RP742p71"/><ref name="RP742p72"/>。1994年(平成6年)10月以降はJR九州にキハ45 22が残るのみとなったが、これも翌1995年(平成7年)8月に廃車され、形式消滅した<ref name="RP742p71"/>。

=== キハ46 ===
[[ファイル:Kiha 46 6 ruuninng near Chitose station 1988-07.JPG|thumb|200px|キハ46 6]]
酷寒地向け1台機関搭載の片運転台車で、1966年(昭和41年)12月に6両が[[富士重工業]]で製造された<ref name="RP742p72"/>。1 - 4と6が[[苗穂運転所|苗穂機関区]]、5が[[旭川運転所|旭川機関区]]に配置され<ref name="RP742p72"/>、新製配置から廃車まで北海道内で使用された<ref name="RP742p40"/>。

1987年(昭和62年)1月に苗穂機関区で廃車されたキハ46 5を除いた5両がJR北海道に承継されたが、[[1991年]](平成3年)にキハ46 6が、残り4両が [[1992年]]([[平成]]4年)に廃車され、形式消滅した<ref name="RP742p72"/>。
=== キハ53 ===
[[File:KIha53 1 at Tsuyama Station.JPG|thumb|200px|キハ53 1]]
[[File:KIha53 1 at Tsuyama Station.JPG|thumb|200px|キハ53 1]]
2機関搭載の両運転台車で、1967年から1969年にかけて暖地の0番台9両、長大編成対応形の100番台2両計11両が製造された。外観はキハ23形とほとんど同一だが、床下スペースが不足することから床上客室内に水タンクスペースが設けられており、その部分の窓い。100番台は10両以上の長大編成に対応する番台でにブレーキ関係を強化するなど、キハ58系急行形気動車長大編成仕様車両同等対策が施されて
2機関搭載の両運転台車で、1967年(昭和42年)3月から1969年(昭和44年)3月にかけて暖地向けの0番台9両、1968年(昭和43年)12月に暖地向け長大編成対応形の100番台2両計11両が製造された<ref name="RP742p21"/><ref name="RP742p72"/>。床下に水タンクを搭載するスペースがないことから、便所向かい側の3位側客室内に水タンクが設けられ、その部位に窓が設けられず、定員もキハ23に対して2名減少してる<ref name="RP742p21"/><ref name="RP742p40"/>。100番台は長大編成に対応するためキハ58 401以降と同様にブレーキ制御継電器などを追設したもで、0番台外観差はな<ref name="RP742p21"/><ref name="RP742p41"/>


6は国鉄時代の[[1983年]](昭和58年)、[[木次線]]で築堤崩壊により脱線大破し廃車となった。残の車両は国鉄民営化に際し、0番台6両がJR西日本に、0番台及び100番台各2両がJR九州にそれぞれ承継された。JR九州では大分及び鹿児島に配置されたが、[[1993年]]([[平成]]5年)に全廃JR西日本では[[木次線]]、[[津山線]]、[[小浜線]]などで使用されたが、ドア位置がワンマン運転に不向きであったことからキハ52形よりも先に廃車され、2003年(平成15年の小浜線[[鉄道の電化|電化]]により全廃となった。
キハ53 6は国鉄時代の[[1983年]](昭和58年)、[[木次線]]で築堤崩壊により脱線大破し廃車となり<ref name="RP742p23"/>それ以外の0番台6両がJR西日本に、0番台及び100番台各2両がJR九州にそれぞれ承継された<ref name="RP742p72"/>。JR西日本の全6両に対して1990年(平成2年)から1991年(平成3年)にかけてワンマン化工事が施工された<ref name="RP742p74"/>。JR九州では大分及び鹿児島に配置されたが、[[1993年]]([[平成]]5年)3月24日付で車同時に車<ref name="RP742p72"/>、JR西日本では[[木次線]]、[[津山線]]、[[小浜線]]などで使用された<ref name="RP742p8"/><ref name="RP742p85"/>が、[[1995年]](平成7年)に津山配車3両が廃車され、残り3両も2003年(平成15年)3月の小浜線[[鉄道の電化|電化]]により廃車され、全廃となった<ref name="RP742p8"/><ref name="RP742p72"/>


[[1986年]]([[昭和]]61年)の国鉄末期から分割民営化後の[[1988年]](昭和63年)にかけて、急行形気動車に両運転台化改造が施工され、[[国鉄キハ56系気動車|キハ56形]]改造[[国鉄キハ56系気動車#キハ53形500番台(501 - 510)|500番台]]、[[国鉄キハ58系気動車|キハ58形]][[国鉄キハ58系気動車#キハ53形(両運転台化改造)|改造]][[国鉄キハ58系気動車#200番台|200番台]]・[[国鉄キハ58系気動車#1000番台|1000番台]]が登場し本形式に編入されているが、全く統を異にする存在であるため本項では記載しない。詳細はそれぞれの項目を参照のこと
国鉄末期の[[1986年]]([[昭和]]61年)から分割民営化後の[[1988年]](昭和63年)にかけて、急行形気動車に両運転台化改造が施工され、[[国鉄キハ56系気動車|キハ56形]]からの改造車が[[国鉄キハ56系気動車#キハ53形500番台(501 - 510)|キハ53 500番台]]、[[国鉄キハ58系気動車|キハ58形]]からの[[国鉄キハ58系気動車#キハ53形(両運転台化改造)|改造]][[国鉄キハ58系気動車#200番台|キハ53 200番台]]・[[国鉄キハ58系気動車#1000番台|キハ53 1000番台]]に編入されているが、形態、経歴ともキハ58の一部であるため本項では記載しない。


=== 製造年・製造会社別一覧 ===
=== 製造年・製造会社別一覧 ===
230行目: 222行目:
|}
|}
{{-}}
{{-}}
=== JR承継先一覧 ===

{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align: center; float: left; margin: 0 0 1em 0;"
|-
!形式
!JR北海道
!JR東日本
!JR西日本
!JR四国
!JR九州
|-
|キハ</br>23||&nbsp;||503-505・510-515・517・518|| 1-23・26・27・29-33<br/>501・502・506-509・516・519-521|| &nbsp;||24・25・28
|-
|キハ</br>24||1-10|| &nbsp;|| &nbsp;|| &nbsp;|| &nbsp;
|-
|キハ</br>45||&nbsp;||1-6・9-11・61・62</br>501-510・514-516・520||8・12・14-16・18・19・28-41・55-60・72-74</br>511-513・517-519・520・521||7・13・17・26・27・42-53・63-69||21-25・54・70・71<br/>601・602
|-
|キハ</br>46||1-3・5・6||&nbsp;|| &nbsp;|| &nbsp;|| &nbsp;
|-
|キハ</br>53||&nbsp;|| &nbsp;||1・2-5・7 ||&nbsp;||8・9<br/>101・102
|}
{{-}}
== 改造 ==
== 改造 ==
本グループは製造期間が短く、両数も多くないため製造ロットによる形態の差異がほとんどなく、形式号の変更を伴う改造は行われなかった。番を伴わない改造として、次がある。
キハ45系で製造期間が短く、両数も多くないため製造による形態の差異がほとんどない<ref name="RP742p21"/>。改番を伴う改造は行われなかった<ref name="RP742p22"/><ref name="RP742p23"/>。番号の変更を伴わない主な改造工事に以下のようなものがある。


=== 簡易荷物車化 ===
=== 簡易荷物車化 ===
[[1984年]](昭和59年)に、木次線のキハ52形600番台置換え用にキハ53 1・2を簡易荷物車に改造したものである。前位側のロングシートを撤去し、クロスシート部との境にアコーディオンカーテンを設けた。[[1985年]](昭和60年)[[3月]]に木次線の荷物輸送が廃止されたのち、同月に原型に復し
[[1984年]](昭和59年)に、木次線のキハ52形600番台置換え用にキハ53 1(10月)2(3月)を簡易荷物車に改造した<ref name="RP742p73"/>。前位側のロングシートを撤去し、クロスシート部との境にアコーディオンカーテンを設けた<ref name="RP742p23"/>。[[1985年]](昭和60年)[[3月]]に木次線の荷物輸送が廃止されたため、同月に原型に復ている<ref name="RP742p23"/><ref name="RP742p73"/>


=== 冷房改造 ===
=== 冷房改造 ===
JR西日本[[越美北線]]で使用されていたキハ23 520に対して、サブエンジン式の[[AU34]]形冷房装置を搭載したもの、本グループ唯一の冷房車である。越美北線のキハ120形置換え後は、高岡を経て山口地区に移り、[[2003年]](平成15年)[[10月]]まで使用された。本グループ最後の稼働車となった車である
JR西日本[[越美北線]]で使用されていたキハ23 520に対して、[[独立機関式冷房装置|サブエンジン式AU34形冷房装置]]を搭載した<ref name="RP742p23"/>。キハ45系で唯一の冷房車である<ref name="RP742p23"/>。高岡を経て山口地区に移り、[[2003年]](平成15年)[[10月]]まで使用され、キハ45系で最後の稼働車となった<ref name="RP742p8"/><ref name="RP742p23"/>


=== 車両更新・機関換装 ===
=== 車両更新・機関換装 ===
JR東日本に承継され、東北地方で使用されていたキハ23形500番台11両に対し、[[1990年]](平成2年)から[[1991年]](平成3年)にかけて車更新工事を実もので、外観上は扉の窓ガラス支持がすべて金属押さえ方式に変更されたのが目立つ。同時に火災対策工事として機関が[[コマツ]]製の[[DMF11系エンジン|DMF11HZ]](SA6D125H-1)に交換されたが、液体式変速機を流用したため出力は330psから250psに落として使用していた
JR東日本に承継され、東北地方で使用されていたキハ23形500番台11両全車に対し、[[1990年]](平成2年)から[[1991年]](平成3年)にかけて気動車両更新工事工され<ref name="RP742p23"/><ref name="RP742p74"/>。隙間風対策として扉の窓ガラス支持が金属押さえ方式に変更され火災対策工事として機関が[[コマツ]]製の[[DMF11系エンジン|DMF11HZ]](SA6D125H-1)に交換された<ref name="RP742p23"/>


=== ワンマン改造 ===
=== ワンマン改造 ===
JR西日本保有のキハ23形30両に対し、1990年(平成2年)から1991年(平成3年)にかけて施行され、主に中国地方で使用された。運転台と扉が離れているため[[ワンマン運転]]用機器の配置苦心跡が見れる
JR西日本のキハ23形29(1-7・14・16-22・26・29-33・501・502・506-509)、キハ53形6両全車に対し、1990年(平成2年)から1992年(平成4年)にかけてワンマン化工事が施行され、主に中国地方で使用された<ref name="RP742p23"/><ref name="RP742p74"/>。運転台と扉が離れていること高運転台であることなどからワンマン運転には不向きで、JR他社ではワンマン化工事対象とはななかった<ref name="RP742p23"/>


=== ビール列車用への改造 ===
=== ビール列車用への改造 ===
長崎運転所に配置されていたキハ45 54に対してビール列車用として前位側半分を厨房に改造した
長崎運転所に配置されていたキハ45 54ビール列車用として1993年(平成5年)ごろ、前位側半分を厨房に改造されている<ref name="RP742p41"/>

=== タイフォンシャッター撤去 ===
細かい点では1980年代前半に四国地区配属車の一部に対して、タイフォンのシャッター撤去が行われている。


== 保存車 ==
== 保存車 ==
キハ24 2が、廃車後札幌市内のCarクラブ ノルテにて利用されていたが、2015年に撤去された。これにより当系列の残存車が消滅した<ref name=Response>[http://response.jp/article/2015/02/23/244977.html 近郊型気動車キハ45系の生き残りがついに消滅] - [[Response.]](2015年02月23日(月) 23時41分版)2015年3月2日閲覧</ref>。
キハ24 2が、廃車後札幌市内の店舗にて利用されていた<ref name="RP742p20"/>が、2015年に撤去された<ref name=Response/>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
260行目: 269行目:
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
{{Reflist|2|refs=
<ref name="JNR100-3p460">[[#JNR100-3|『100年の国鉄車両(3)』p460]]</ref>

<ref name="Sekai77p60">[[#Sekai77|『世界の鉄道 ‘77』p60]]</ref>

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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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2016年6月5日 (日) 08:42時点における版

国鉄キハ45系気動車
キハ45 27(1988年頃、高松駅)
主要諸元
最高速度 95 km/h[1][2][3]
車両定員 84(席)+40(立)=124名(キハ45形0・500番台)
76(席)+48(立)=124名(キハ45形600番台)
85(席)+25(立)=110名(キハ46形)
76(席)+40(立)=116名(キハ23形)
77(席)+25(立)=102名(キハ24形)
73(席)+41(立)=114名(キハ53形)[1][2][3]
自重 33.0t(キハ45形)
33.2t(キハ46形)
34.2t(キハ23形)
34.5t(キハ24形)
39.7t(キハ53形)[1]
最大寸法
(長・幅・高)
21,300×2,928×3,925 (mm) [1][2][3]
台車 コイルばね台車
DT22C(動力)/TR51B(付随)[1][2][3]
機関出力 180ps/1,500rpm(DMH17H)×1 [1][2][3]
駆動方式 液体式(TC2A/DF115A)[1][2][3]
制動装置 自動空気ブレーキ
キハ45形・キハ46形:DA1
キハ23形・キハ24形・キハ53形:DA1A[1][2][3]
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キハ45系気動車(キハ45けいきどうしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が1966年昭和41年)から製造し、JR各社に引き継がれたのち2009年平成21年)まで在籍した気動車である。キハ23系と呼ばれることもある。

北海道(酷寒地)向けを除き、両開き扉を片側2か所に備えるセミクロスシート車となり、都市近郊通勤輸送と中長距離輸送の機能を併せ持つ気動車として構想された[4][注 1]

キハ45系の呼称は、車両形式称号規程に則った国鉄正式の系列呼称ではなく、同一の設計思想によって製造されたキハ23形キハ24形キハ45形キハ46形キハ53形の各形式を便宜的に総称したものである。

概要

1960年代中期、国鉄の一般形気動車では、地方線区向けのキハ20系と、大都市近郊線向けのキハ35系の製造が行われていた[8]。キハ20系は扉幅が850 mmと狭くラッシュ時の客扱いに難があり、キハ35系は通勤輸送に主眼を置いており、すべての線区に適応できる構造ではなかった[8]。キハ45系気動車は、これらの問題を解決するため両系列の中間的存在として開発され[8]1966年昭和41年)から1969年(昭和44年)までに5形式、179両が製造された[11][8]

キハ45系の製造に先立ち、客車改造気動車のキハ40形(初代)・キハ45形(初代)がそれぞれキハ08形・キハ09形(2代)に改称されている[13][7][14]

運用

1966年(昭和42年)10月・11月に房総各線、陸羽東線城端線氷見線山口線用としてキハ23形1両、キハ45形31両が、北海道各線用としてキハ46形6両が製造され、以降1969年(昭和44年)までに179両が投入された[11]。需要に応じ、両数が比較的少ない割に全国各地に配置され、初期はキハ10系・キハ20系・キハ35系と、末期はキハ35系・キハ47系と混用され、普通列車だけでなく、一部急行列車にも使用された[4][11][15]1983年(昭和58年)3月2日に木次線で発生した脱線事故でキハ53 6が同年3月22日付で廃車されたのが本系列初の廃車である[16][17][18]。キハ45 20とキハ46 4は国鉄分割民営化直前の1987年(昭和62年)2月と1月に廃車されており、この3両のみがJRに承継されなかった[19][18]

国鉄分割民営化に際しては、東海旅客鉄道(JR東海)を除く旅客鉄道各社前記3両を除く176両が継承された[17][20][21][19][18]。JR東日本のキハ23形500番台には1989年(平成元年)から1991年(平成3年)にかけて気動車車両更新工事が施工され、機関がDMF11HZに換装されたほか、隙間風対策などが行われた[17]西日本旅客鉄道(JR西日本)の一部車両についてはワンマン化工事が施工された[17]1990年代から廃車が進行し、北海道旅客鉄道(JR北海道)からは1995年(平成7年)、東日本旅客鉄道(JR東日本)からは2000年(平成12年)、四国旅客鉄道(JR四国)からは1991年九州旅客鉄道(JR九州)からは1993年(平成5年)にそれぞれ形式消滅し[20][21][19][18]、営業運転での使用はJR西日本の1両(キハ23 520)による2003年平成15年)10月ダイヤ改正前の運用が最後となった[16]。また、保留車として下関総合車両所本所にて保管されていた1両(キハ23 1)も、2009年(平成21年)6月10日付で廃車[22]、解体処分され[23]、キハ45系は消滅した[24]

形式一覧

キハ45系 新造時形式・番台別特徴一覧
運転台[8] 客扉[4] 形式 番台区分[4] 仕向け地[4] デッキ[4] 機関[4] 両数[8] 製造年 備考
両開き キハ23 0 暖地 1台 33 1966年 - 1969年[20][21]
500 寒地 21 1967年 - 1969年[21]
片開き キハ24 酷寒地 10 1967年[21]
両開き キハ45形 0 暖地 74 1966年 - 1968年[21][19]
500 寒地 22 1967年 - 1969年[19][18]
600 暖地 2 1969年[18] 簡易郵便荷物車 [25]
片開き キハ46 酷寒地 6 1966年[18]
両開き キハ53 0 暖地 2台 9 1967年・1969年[18]
100 2 1968年[18] 長大編成対応[26]
  • 酷寒地:北海道向け、寒地:本州の寒冷地向け、暖地:それ以外の地域向け[8]

構造

車体

都市近郊の通勤輸送と中距離輸送の機能を併せ持つ構造[11]として、本州向けについては1,300 mm幅の両開き扉を片側2か所に備える。北海道向けは防寒のためキハ22と車端部に片開き扉を配置しデッキを設けているが、扉幅を1,000 mmへ拡大している[8]。いずれの場合も扉にはステップが設けられた[8]

車体幅は従来の一般型気動車と同じく約2,800 mmで、急行形気動車のような幅広車体は採用されなかった[27]。1エンジン搭載車と2エンジン搭載車で全長が統一され、急行型気動車同様に最大長21,300 mm(車体長約20,800 mm)となった[8][27]

運転台は、衝突事故対策及び運転士の視認性の向上のため、床面が300 mmかさ上げされた高床式となり、前面窓には角R 200 mmのパノラミックウィンドウが一般型気動車として初めて採用された[8][28]。前面下部には大型の排障器(スカート)が設置され、排障器の下に取り外し式の雪かき器が取り付けられた[27]。貫通扉上部には行先表示器が設置された[27]

側窓は、一般形気動車として初めて外はめ式のユニット窓(下段上昇上段下降)が採用されたが、酷寒地向け車については、防寒のため従来同様の一段上昇式の二重窓とされ、内窓の枠はFRP製となった[8][27]。全車に便所が設けられている[8]

製造当初は、朱色クリーム色の一般形気動車の標準塗装であった[8]1977年(昭和52年)以降一般形気動車の標準塗装が朱一色のいわゆる首都圏色に変更されたことから、本系列も1980年昭和55年)ごろまでに首都圏色に塗り替えられた[8][29]。国鉄分割民営化前後からは、各地域独自の塗装に塗り替えられるものが多くなった[29][30]

キハ45系は、昭和41年度から43年度まで7回に分けて発注されているが、その間の設計変更点は細部の改良・材質変更などに留まっており、外観に影響するような変化は、昭和41年度第2次債務車以降[注 2]車側灯形状が変更されたこと、昭和42年度本予算以降の暖地向け[注 3]で、タイフォンシャッターが廃止された程度である[31][1]

車内設備

座席配置は扉間と車端部がボックスシート、扉付近にロングシートのセミクロスシートで、座席の構造は当時の近郊形電車と同一となり、ピッチ1,400 mm、幅930 mmも近郊型電車と同一である[8][32][31]。キハ20系の幅987.5 mm、ピッチ1,470 mmよりも幅、ピッチとも縮小されている[33]。 酷寒地向けでは防寒のためキハ22と同様にデッキが設けられ、デッキとの仕切り付近はロングシート、それ以外の部分はボックスシートとなった[8]。便所の扉は本州向けの引き戸に対し酷寒地向けでは開き戸となり、出入台に設けられた[27]。本州向け車両の床は耐水性防腐鋼板の上に塩化ビニールの床材を張ったもの、酷寒地向けでは厚さ25 mmの板張りとされた[27]暖房については急行形気動車同等の温水式が標準となった[32]

簡易郵便荷物車であるキハ45 601・602は、半室をロングシートとし、2か所に設けられたアコーディオンカーテンで車内を仕切ってロングシート部を郵便室・荷物室として使うことができた[31][26]。キハ20形・キハ22形・キハ52形にも簡易郵便荷物車があり、同様に600番台に区分されていたが、これらはすべて改造車である[34][35]一方、キハ45形600番台は新製車となっている[18]。郵便・荷物輸送の廃止後はアコーディオンカーテンが撤去されたが、半室ロングシートはそのままとされ[26]、終始大分地区で運用された[18]

主要機器

横形の DMH17H(180 PS /1,500 rpm)形ディーゼル機関に、神鋼造機製TC2A形又は新潟コンバーター製DF115A形液体変速機を組み合わせて1軸を駆動する[36][32]。エンジンとトルクコンバータは勾配線区向けのキハ53のみ2組を搭載し、それ以外は1組を搭載した[1]台車は、キハ20系後期型や、キハ58系と同様のウイングばね式DT22C(動台車)・TR51B(付随台車)を採用、1エンジン車では前位側が同台車、後位側が従台車となっている[37][38][32]

形式各説

形式ごとの相違点、歴史をまとめる。

キハ23

キハ23 5

1台機関搭載の両運転台車で、1966年(昭和41年)11月から1969年(昭和44年)2月にかけて暖地形の0番台33両、1967年(昭和42年)11月から1969年(昭和44年)1月にかけて寒地形の500番台21両の計54両が製造された[31]

国鉄時代に廃車になった車両はなく、JR東日本に500番台11両、JR西日本に0番台30両・500番台10両の40両、JR九州に0番台3両が承継された[20][21]。JR西日本の29両に対し、1990年(平成2年)から1992年(平成4年)にかけてワンマン化工事が施工されるとともに、キハ23 520には冷房化改造工事も施工された[17][39]。JR東日本では全11両に対して、1990年(平成2年)から1992年(平成4年)にかけて車体・機関更新工事を施工した[17][39]2003年(平成15年)までJR西日本に残っていたキハ23 520がキハ45系最後の稼働車となった[16][40][41]。キハ23 1が運用離脱後も保留車となっていたが、 2009年(平成21年)6月10日付で廃車され、全廃された[24]

キハ24

キハ24形

酷寒地向け1機関搭載の両運転台車で、1967年(昭和42年)4月に10両が日本車輌製造で製造された[31][18]

新製当初は1 - 4、9、10が函館機関区、5 - 8が郡山機関区に配置された[21]。郡山に配属された車両ものちに北海道へ移動した。

函館では「松前」、「せたな」、「えさし」、釧路では「ノサップ」などの急行列車にも、キハ22形と共に使用された。[要出典] 全車がJR北海道に承継され、1 - 4、9、10は函館を一度も離れず、1992年平成4年)から1995年平成7年)にかけて全車廃車された[21]

キハ45

キハ45 43

本州向け、1機関搭載の片運転台車で、各番台合わせて98両が製造された[31]。暖地向けの0番台74両は1966年(昭和41年)10月から1968年(昭和43年)2月に、床下機器の保温対策を強化した寒地向けの500番台22両は1967年(昭和42年)10月から1969年(昭和44年)3月に、暖地向け簡易郵便荷物車の600番台2両は1969年(昭和44年)3月にそれぞれ製造され、全国各地で使用された[31]1967年(昭和42年)4月から5月にかけて製造されたキハ45 32 - 36・42 - 61の25両は、夏季の観光客輸送のため函館・苗穂・旭川・池田・釧路に新製配置され、夏季輸送終了後、本州の本来の配置予定区に転属している[4][19]。キハ45 20は1987年(昭和62年)2月に直方気動車区で廃車され、JRには承継されなかった[19]

JR東日本に0番台11両・500番台14両の計25両、JR西日本に0番台30両、500番台8両の38両、JR四国に0番台24両、JR九州に0番台8両・600番台2両の10両、計97両が承継された[21][19][18]。民営化直後の1989年(平成元年)から各社で急速に廃車され、1991年(平成3年)にJR四国から、1992年(平成4年)にJR東日本から、1994年(平成6年)にJR西日本からそれぞれ消滅した[21][19][18]。1994年(平成6年)10月以降はJR九州にキハ45 22が残るのみとなったが、これも翌1995年(平成7年)8月に廃車され、形式消滅した[19]

キハ46

キハ46 6

酷寒地向け1台機関搭載の片運転台車で、1966年(昭和41年)12月に6両が富士重工業で製造された[18]。1 - 4と6が苗穂機関区、5が旭川機関区に配置され[18]、新製配置から廃車まで北海道内で使用された[25]

1987年(昭和62年)1月に苗穂機関区で廃車されたキハ46 5を除いた5両がJR北海道に承継されたが、1991年(平成3年)にキハ46 6が、残り4両が 1992年平成4年)に廃車され、形式消滅した[18]

キハ53

キハ53 1

2機関搭載の両運転台車で、1967年(昭和42年)3月から1969年(昭和44年)3月にかけて暖地向けの0番台9両、1968年(昭和43年)12月に暖地向け長大編成対応形の100番台2両、計11両が製造された[31][18]。床下に水タンクを搭載するスペースがないことから、便所向かい側の3位側客室内に水タンクが設けられ、その部位には窓が設けられず、定員もキハ23に対して2名減少している[31][25]。100番台は長大編成に対応するため、キハ58 401以降と同様にブレーキ制御継電器などを追設したもので、0番台と外観の差はない[31][26]

キハ53 6は国鉄時代の1983年(昭和58年)、木次線で築堤崩壊により脱線大破し廃車となり[17]、それ以外の0番台6両がJR西日本に、0番台及び100番台各2両がJR九州にそれぞれ承継された[18]。JR西日本の全6両に対して1990年(平成2年)から1991年(平成3年)にかけてワンマン化工事が施工された[39]。JR九州では大分及び鹿児島に配置されたが、1993年平成5年)3月24日付で全車同時に廃車[18]、JR西日本では木次線津山線小浜線などで使用された[16][30]が、1995年(平成7年)に津山配置車3両が廃車され、残り3両も2003年(平成15年)3月の小浜線電化により廃車され、全廃となった[16][18]

国鉄末期の1986年昭和61年)から分割民営化後の1988年(昭和63年)にかけて、急行形気動車に両運転台化改造が施工され、キハ56形からの改造車がキハ53 500番台キハ58形からの改造車キハ53 200番台キハ53 1000番台に編入されているが、形態、経歴ともキハ58系の一部であるため、本項では記載しない。

製造年・製造会社別一覧

製造
年度
形式 日本車輌製造 新潟鐵工所 富士重工業 帝國車輛工業
1966 キハ
23
1 - 22  
キハ
24
1 - 10  
キハ
45
1 - 19
55 - 61
20 - 25
32 - 36
26 - 28
37 - 54
62 - 69
29 - 31
キハ
46
  1 - 6  
キハ
53
  1 - 7  
1967 キハ
23
506 - 509 23 - 28 501 - 505
510 - 516
 
キハ
45
  70 - 74
501 - 507
 
1968 キハ
23
  517 - 521 29 - 33  
キハ
45
514 - 517 508 - 513
518 - 520
521・522
601・602
 
キハ
53
  8・9
101・102
 

JR承継先一覧

形式 JR北海道 JR東日本 JR西日本 JR四国 JR九州
キハ
23
  503-505・510-515・517・518 1-23・26・27・29-33
501・502・506-509・516・519-521
  24・25・28
キハ
24
1-10        
キハ
45
  1-6・9-11・61・62
501-510・514-516・520
8・12・14-16・18・19・28-41・55-60・72-74
511-513・517-519・520・521
7・13・17・26・27・42-53・63-69 21-25・54・70・71
601・602
キハ
46
1-3・5・6        
キハ
53
    1・2-5・7   8・9
101・102

改造

キハ45系では、製造期間が短く、両数も多くないため製造時による形態の差異がほとんどない[31]。改番を伴う改造は行われなかった[1][17]。番号の変更を伴わない主な改造工事には以下のようなものがある。

簡易荷物車化

1984年(昭和59年)に、木次線のキハ52形600番台置換え用にキハ53 1(10月)2(3月)を簡易荷物車に改造した[42]。前位側のロングシートを撤去し、クロスシート部との境にアコーディオンカーテンを設けた[17]1985年(昭和60年)3月に木次線の荷物輸送が廃止されたため、同月に原型に復旧している[17][42]

冷房改造

JR西日本越美北線で使用されていたキハ23 520に対して、サブエンジン式AU34形冷房装置を搭載した[17]。キハ45系で唯一の冷房車である[17]。高岡を経て山口地区に移り、2003年(平成15年)10月まで使用され、キハ45系で最後の稼働車となった[16][17]

車両更新・機関換装

JR東日本に承継され、東北地方で使用されていたキハ23形500番台11両全車に対し、1990年(平成2年)から1991年(平成3年)にかけて気動車車両更新工事が施工された[17][39]。隙間風対策として扉の窓ガラス支持が金属押さえ方式に変更され、火災対策工事として機関がコマツ製のDMF11HZ(SA6D125H-1)に交換された[17]

ワンマン改造

JR西日本のキハ23形29両(1-7・14・16-22・26・29-33・501・502・506-509)、キハ53形6両全車に対し、1990年(平成2年)から1992年(平成4年)にかけてワンマン化工事が施行され、主に中国地方で使用された[17][39]。運転台と扉が離れていること、高運転台であることなどからワンマン運転には不向きで、JR他社ではワンマン化工事の対象とはならなかった[17]

ビール列車用への改造

長崎運転所に配置されていたキハ45 54はビール列車用として1993年(平成5年)ごろ、前位側半分を厨房に改造されている[26]

保存車

キハ24 2が、廃車後札幌市内の店舗にて利用されていた[32]が、2015年に撤去された[43]

脚注

注釈

  1. ^ 製造目的から近郊形気動車と表現した資料もある[5][6][7][8][9][10][11]が、特急形や急行形、通勤形以外の気動車は慣例的に一般形に分類しているため[12]、当形式は一般形気動車に分類される[4][11]。しかし、気動車については近郊形の範疇から外れることもあるため、否定的見解もあるが、否定的見解を明文化した資料に乏しく、車種の分類に見解が分かれることもあり、議論の余地がある車両である。
  2. ^ キハ23 13以降、キハ45 62 以降と601・602、キハ53 6以降と101・102が該当[1]
  3. ^ キハ23 23以降、キハ45 70 以降と601・602、キハ53 8・9・101・102が該当[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p22
  2. ^ a b c d e f g 『国鉄車両一覧』p444
  3. ^ a b c d e f g 『国鉄車両一覧』p445
  4. ^ a b c d e f g h i 『国鉄車両一覧』p177
  5. ^ 『100年の国鉄車両(3)』p460
  6. ^ 『世界の鉄道 ‘77』p60
  7. ^ a b 『鉄道ファン』通巻235号p26
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『国鉄車両一覧』p176
  9. ^ 『キハ58と仲間たち』p213
  10. ^ 『キハ47物語』p97
  11. ^ a b c d e f 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p6
  12. ^ 鉄道トリビア(268) 「近郊形電車」と「一般形電車」、何が違う?”. マイナビニュース (2014年8月23日). 2016年5月29日閲覧。
  13. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻702号p46
  14. ^ 『鉄道ファン』通巻235号p27
  15. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p7
  16. ^ a b c d e f 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p8
  17. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p23
  18. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p72
  19. ^ a b c d e f g h i j 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p71
  20. ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p69
  21. ^ a b c d e f g h i j k 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p70
  22. ^ 『鉄道車両年鑑2010年版』p60
  23. ^ キハ23 1が解体される”. railf.jp (2009年6月18日). 2016年5月29日閲覧。
  24. ^ a b 『鉄道車両年鑑2010年版』p205
  25. ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p40
  26. ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p41
  27. ^ a b c d e f g 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p19
  28. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p39
  29. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p84
  30. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p85
  31. ^ a b c d e f g h i j k 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p21
  32. ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p20
  33. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻823号p24
  34. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻823号p20
  35. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻823号p21
  36. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p12
  37. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p10
  38. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p13
  39. ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p74
  40. ^ 『鉄道車両年鑑2004年版』p48
  41. ^ 『鉄道車両年鑑2004年版』p206
  42. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p73
  43. ^ 近郊型気動車キハ45系の生き残りがついに消滅”. Response. (2015年2月23日). 2015年3月2日閲覧。

参考文献

書籍

  • 日本国有鉄道工作局・車両設計事務所『100年の国鉄車両(3)』交友社、1975年。 
  • 『世界の鉄道 ’77』朝日新聞社、1977年。 
  • 『国鉄車両一覧』ジェイティービー、1986年。ISBN 4533055568{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
    • 「キハ23・45系」 pp. 176-177
    • 「国鉄車両諸元表」 pp. 328-510
  • 名取紀之『キハ58と仲間たち』ネコ・パブリッシング、1995年。 
  • 石井幸孝『キハ47物語』JTBパブリッシング、2009年。ISBN 9784533074271 

雑誌記事

  • 『鉄道ファン』通巻235号「特集 国鉄の気動車」(1980年10月・交友社)
    • 「国鉄気動車ショートヒストリー」 pp. 14-30
  • 鉄道ピクトリアル』通巻702号「特集 60系鋼体化客車(II)」(2001年6月・電気車研究会
    • 「60系鋼体化客車【郵便荷物・事業用車編】」 pp. 33-49
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻742号「特集 キハ35・45系」(2004年2月・電気車研究会)
    • 「キハ45系」 pp. 6-8
    • 「国鉄通勤型・近郊型 ディーゼル動車のあゆみ」 pp. 10-32
    • 「キハ35・45系 登場のころ」 pp. 33-35
    • 「キハ35・45系気動車 形式集」 pp. 36-45
    • 「キハ35・45系 車歴表」 pp. 64-74
    • 「キハ45系カラーバリエーション」 pp. 84-85
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻753号「鉄道車両年鑑2004年版」(2004年10月・電気車研究会)
    • 「2003年度 JR車両動向」 pp. 36-53
    • 「各社別新造・改造・廃車一覧」 pp. 192-208
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻823号「特集 キハ20系」(2009年9月・電気車研究会)
    • 岡田誠一「国鉄キハ20系気動車のあゆみ」 pp. 10-23
    • 「キハ20系形式図」 pp. 24
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻840号「鉄道車両年鑑2010年版」(2010年10月・電気車研究会)
    • 「2009年度JR車両動向」 pp. 44-66
    • 「各社別新造・改造・廃車一覧」 pp. 190-206

関連項目