悪魔が来りて笛を吹く

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悪魔が来りて笛を吹く
著者 横溝正史
発行日 1973年2月20日
ジャンル 小説
日本の旗 日本
言語 日本語
ページ数 472
コード ISBN 4041304040
ISBN 978-4041304044(文庫本)
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悪魔が来りて笛を吹く』(あくまがきたりてふえをふく)は、横溝正史の長編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一つ。

本作を原作とした映画2本、テレビドラマ4本、ラジオドラマ1本、舞台が1作品、現在(2014年3月)までに制作されている。また、女性漫画家JETにより漫画化されている。

概要[編集]

探偵小説雑誌『宝石』において、1951年(昭和26年)11月から1953年(昭和28年)11月まで連載された。

大戦後の混乱の時期、『黒猫亭事件』と『夜歩く』の事件の間頃に起きた事件を扱った、貴族没落、インモラルな性描写を濃厚に示す作品である。帝銀事件太宰治の『斜陽』などの要素を取り込み、横溝が得意とした田舎の因習とはまた異なった陰惨さや、本格推理小説の定番「密室殺人」を扱い、他作品とは異なった雰囲気をかもし出し、作者の人気作品のひとつとなっている。

本作は、1954年に「第7回探偵作家クラブ賞」候補にノミネートされる[注 1]。作者は本作を「金田一もの自選ベスト10」の6位に推している[注 2]

天銀堂事件[編集]

これは、宝石店「天銀堂」で「保健所から伝染病予防のために来た」と称する男が、店員全員に毒薬を飲ませて殺し、宝石を奪った事件で、実在の事件である帝銀事件をそのままに借用している。また、帝銀事件は日本で初めてモンタージュ写真を捜査のために用いたことでも知られ、この点もこの作品に取り入れられている。

横溝正史による解説[編集]

横溝正史が雑誌『宝石』の求めに応じて本作の第1稿を起したのは昭和26年9月のことで、完結篇を書きあげたのは2年後の昭和28年の同じ9月のことだった。「時日も20日前後のことで、稿を起した日も、書き上げた日も、ともに、秋雨のしとど降る日であったと憶えている」と振り返っている。

この小説が完結するまでまる2年と1か月を要したのは、『宝石』に合併号が出たり横溝が病気休載したことからで、このため連載回数は計21回とかなり長いものとなった。連載終了と同時に城昌幸編集長からは単行本化の慫慂をうけたというが、連載の長さと雑誌の都合で1回の枚数が違ってきたりしたため、テンポに狂いがありそうな気がした横溝はひとまず保留していた。

しかし、一度書きあげたものに手を加えるのは容易でないことと、読みなおしてテンポにそれほど狂いがなかったので、ごく僅少の手を加えるのみで1954年(昭和29年)3月に単行本化することにした。横溝は「こんなことならもっと早く出版してもよかったのにと、いまさらながら苦笑ものである」と述懐している。

横溝によると、本作のテーマの胚種が頭に芽生え始めたのは、1948年(昭和23年)8月に岡山の疎開地から成城に帰って間もないころのことだという。そのころ、横溝邸を訪れた葛山二郎から、葛山が帝銀事件(同年1月26日発生)の犯人のモンタージュ写真に似ている、として容疑者として密告されて困った、という話を聞かされる。同じころ、某子爵が失踪し、その後に自殺体で発見されるという事件[注 3]があり、その子爵もやはりモンタージュ写真と似ていたため取り調べを受けたことがある、と報じられた。このことから横溝は、モンタージュ写真の人物Xと似ている人間A、同じく似ている人間Bがいたとすると、AとBも互いに似ている(A=X B=X ∴A=B)、というアイデアを思いついた[3]。このとき『宝石』誌上で『落陽殺人事件』の題名で予告を行っている。が、うまくまとまらず、連載は開始されなかった。「担当者武田武彦君には大きな迷惑をかけてしまった」と振り返っている。その後もあたため続けていたこのテーマが結実しはじめたのは、昭和26年夏のことだった。

夏のことで、硝子戸を開けっぱなしにして横溝が物思いにふけっていると、夜毎フルートの音が聞こえてくる。家人に聞くと、「隣家の植村さん[注 4]の御令息泰一君が練習していらっしゃるのだ」ということだった。横溝はこのときの様子を、「隣家といってもテニス・コートひとつへだてているのだから、相当はなれているのだが、そして、それだけ離れて聞いているのでいっそう身にしみてよかったのだが」とし、「私はこのフルートの音に魅了されたのである」と語っている。

このフルートの音と『落陽殺人事件』のテーマを結び付けることを思い立ち、本作の第1弾とした横溝は、息子に命じて植村泰一の練習しているフランツ・ドップラーの『ハンガリー田園幻想曲』のレコードを買ってこさせ、何度か聞いた上に泰一にも聞いてもらった。また息子の友人でフルート作曲に興味を持っている笹森健英にも来てもらって、両者からいろいろとフルートの知識を受けた[注 5]

このとき横溝は笹森に『悪魔が来りて笛を吹く』の曲を作曲してもらって、適当なところへ譜面を挿入するつもりだった。ところが横溝いわく「付け焼刃の悲しさには、フルートについてとんでもない錯誤を演じてしまい、しかも雑誌連載中そこを訂正すると、いっぺんにトリックが暴露する恐れがあるので、結局、譜面を挿入することは見合わせなければならなくなった」という。その後その部分は単行本化にあたって訂正されたが、結局譜面挿入は諦めている[4]

横溝が「フルートについてとんでもない錯誤を演じてしまい」と語っているのは、右手と左手を間違って書いてしまったことである。横溝は最後に楽譜を付けようと作曲を頼んだところ、笹森に「右手の指2本ないんじゃ作曲しようがない」と言われたといい、「途中でそう言われたんでガッカリしちゃってね、途中から左でしたって書くわけにもいかないもんね」とこの失敗を笑っている。本作は華族階級の「斜陽」を描いているが、横溝には「トリックと同時にこういう斜陽の世界を書きたい」との思いがあったという。ちょうど太宰治の名前が出たころで、『落陽殺人事件』との当初の題名で「落陽」としたのも、「斜陽じゃ太宰の翻案みたいだから」という理由によった。執筆については「ぼくは歌舞伎のファンですから、歌舞伎でよく、世界って言いますね。今度は斜陽書いてみようかとか、今度農村書いてみようとか。」と本作取り組みのきっかけについて語っている[5]

ストーリー[編集]

昭和22年(1947年9月28日金田一耕助の元を訪れたのは、この春、世間をにぎわした「天銀堂事件」の容疑を受け失踪し、4月14日、信州霧ヶ峰でその遺体が発見された椿英輔・元子爵の娘、美禰子(みねこ)だった。

「父はこれ以上の屈辱、不名誉に耐えていくことは出来ないのだ。由緒ある椿の家名も、これが暴露されると、泥沼のなかへ落ちてしまう。ああ、悪魔が来りて笛を吹く。」

父が残した遺書を持参した美禰子は、母・子(あきこ、以下「秋子」[注 6])が父らしい人物を目撃したと怯えていることから、父が本当に生きているのかどうか、明晩、砂占いを行うことになったことを説明した後、金田一耕助にその砂占いへの同席を依頼する。

麻布六本木の椿家に出向いた金田一は家族とともに砂占いに同席するが、途中で停電が発生。その回復後に、家の中に椿子爵作曲になる異様な音階を持つ曲「悪魔が来りて笛を吹く」のフルート演奏が響く。これはレコードプレーヤーによる仕掛けだったが、その間に砂占いに出た火焔太鼓のような模様に、家族の一部の者は深刻な表情を見せる。美禰子はその絵が死んだ子爵の手帳に「悪魔の紋章」の名で描かれていたことを告げる。そしてその夜、椿子爵と思しき男が子爵のフルートを持って屋敷に出現。翌朝、椿邸に居候している玉虫公丸・元伯爵が何者かによって殺されているのが発見される。砂占いの所には、前夜と同じ悪魔の紋章が血で描かれていた。警察は庭から子爵のフルートケースを発見、その中には天銀堂事件で奪われた宝石が一つ入っていた。金田一は等々力警部から子爵を告発したのがタイプ打ちの匿名の手紙で、子爵の事情に詳しいものであったことを知る。子爵は「天銀堂事件」の後、宝石の換金について書生の三島東太郎に相談したとあり、三島はそれを認めた。家人の聞き取りを進める内、秋子の兄で、焼け出されて同居している新宮利彦が酒を飲んで乱入、背中にある「悪魔の紋章」そっくりの痣を見せる。

金田一らは子爵についてより詳しい調査の必要を感じる。子爵を告発した手紙には、彼が事件前後に姿を消していたこと、帰ってくると宝石の換金について書生の三島と相談したという経緯が記されていた。警部は、子爵が長くその行き先を警察に言わなかったが追い詰められてそれを告げ、確認が取れたことで解放されたと説明した。そんな時、美禰子は子爵の遺書が書かれたのが「天銀堂事件」容疑の逮捕前であったこと、子爵の自殺はその事件以外に理由があることを金田一に告げた。金田一は事件前後の子爵の行動には隠された意味があると判断し、若い出川刑事と共に西に向かった。まず、子爵が宿泊した神戸の旅館「三春園」に入り、子爵がここに宿泊している間に深刻な事実を発見したと判断した。女将の話で、近くに玉虫伯爵の別荘跡があり、戦前には玉虫家の家族が何度も訪れ秋子もよく見かけたこと、また、手伝いに上がっていた娘・駒子がそこの誰かの種で妊娠し、植木屋と結婚させられて小夜という娘を産んだことを聞き取る。

翌日、金田一は子爵の行動をさらに追跡し、玉虫伯爵の別荘跡で子爵の手になる「悪魔ここに誕生す」という落書きを発見する。出川の方は駒子に関する情報を追い、その父・辰五郎が空襲で死んだことを知る。彼はなぜか常に強請れる「金づる」を持ち、植木屋をやめて仕事を転々とした挙げ句の死であった。辰五郎から跡目を譲られた「植松」によれば、彼の最後の妾はおたまといい、駒子と他の妾に産ませた子・治雄だけが彼の生きた身寄りであることを聞き取る。出川はおたまの居場所を探るが、最近の仕事場を出奔したばかり。そこに先日、淡路島の尼・妙海が来たことを聞き出す。金田一たちはその尼が駒子であり、子爵は彼女に会いに行ったと判断、翌日に淡路島に向かう。だが、妙海は前夜に殺されていた。彼らは住職から、小夜の父が新宮であることと小夜が自殺したこと、駒子が彼の死を予想したことを聞く。淡路島から帰った2人は新宮が殺されたことを聞かされる。

金田一は単身東京に戻った。彼はそこで新宮が家族がみんな家を出た間に絞め殺されたことを聞き、しかも家族が家を出た用が全て新宮の企みであったことを見抜く。新宮は妹から金をせびるために家族を追い出したのだ。

金田一はこの事件と「天銀堂事件」の犯人について考え、モンタージュ写真で引っかかったくらい「天銀堂事件」の犯人と子爵は似ていたはず、今回の犯人は「天銀堂事件」の犯人を手下にしていたと判断。そして、「天銀堂事件」の犯人・飯尾豊三郎は増上寺にて惨殺死体で発見された。同日、金田一が磯川警部に調査依頼した返事があり、書生の三島は正体不明の別人であることが判明する。さらに、出川刑事の調査報告もあり、おたまの証言で小夜は自殺時に妊娠していたこととその相手は治雄であるらしいこと、その治雄が発音のアクセントから三島であることまでが判明した。

等々力警部と金田一は大雨の中、椿邸に向かった。そこでは秋子の気まぐれで鎌倉に引っ越す準備中。しかも、その最中に秋子が「悪魔の紋章」を見て逃げ出すように家を出たという。全員で後を追うが、鎌倉に着いた時、秋子は主治医の目賀博士が調合した持病の薬に仕込まれた青酸加里により死んでいた。翌日、金田一は残った全員の前でトリックを解明する。その上で犯人を指摘しようとしたところ、当の三島は自ら「治雄」だと名乗り出る。彼は新宮が妹・秋子を犯して産ませた子であり、その左肩には父と同じ痣があった。彼はそうとは知らずやはり新宮の子である小夜を愛して彼女は妊娠、しかし、異母兄妹であることを知って治雄の子を宿したまま自殺。彼は全ての恨みを晴らすべく子爵を脅して椿家に入り込み、そして彼や小夜の運命を作った者たちに復讐したのだ。

彼は最後に「悪魔が来りて笛を吹く」を演奏して見せた。その曲は、戦争で右中指と薬指を欠いた彼でも演奏できるように作曲されていたのだ。彼はそれを演奏し終わると同時に、笛に仕込んだ青酸加里で死んだ。

登場人物[編集]

主要人物[編集]

金田一耕助(きんだいち こうすけ)
私立探偵。
等々力大志(とどろき だいし)
東京警視庁の刑事。階級は警部。異名は「警視庁の古狸」。東京および近郊で起きた事件における金田一の相棒。早とちりや目先のことに囚われやすく見当違いの推理を披露する。数え切れない「天銀堂事件」の犯人だという密告状の送り主も調べずに容疑者を拘束して[注 7]、結局は犯人を逮捕できないままでいた。
椿美禰子(つばき みねこ)
英輔の娘、依頼人、19歳。母と異なりいかつい顔の不美人。ショートヘア。普通より額が露出しており、眼が大きすぎる上に頬から顎へかけてこけているため、顔全体のバランスが取れていない。事件解決後、屋敷を売り払い伯母や従兄と共に新しい人生を歩み始める。
三島東太郎(みしま とうたろう)
椿家の書生。独身時代の英輔の旧友である三島夫妻の息子。笑顔のいい愛嬌ある青年。しかし、旧友の息子というのは偽りで、正体は復讐劇を繰り広げた犯人「河村治雄」で、英輔が「悪魔」と呼んだ人物である。椿秋子とその兄・新宮利彦との間に生を受け、異母妹・小夜が自身との禁忌の関係の末、妊娠・自殺したため、元凶の両親に復讐すべく椿家に潜入する。戦争で中指の半分ほどと薬指の3分の2ほどを失った。異父妹・美禰子と異母弟・一彦に華子と共に強く生きて欲しいとの遺書を残して自殺した。

警察[編集]

出川(でがわ)
警視庁の刑事。等々力警部の部下。
沢村(さわむら)
警視庁の刑事。等々力警部の部下。椿邸の防空壕で椿子爵のフルートのケースを発見した。

椿家[編集]

椿英輔(つばき ひですけ)
椿家当主、元子爵。フルート奏者。約半年前に43歳で自殺。色は浅黒く額が広く、髪をきれいに左で分けている。鼻が高く、眉がけわしい。女性的印象を受ける人物。妻・秋子とその兄・利彦、2人の伯父である玉虫公丸の横暴に何も言わずにいたが、「悪魔」河村治雄の存在により椿の家名が泥沼に呑み込まれる屈辱に耐えられぬと自殺した。
沈黙を守って命を絶ったが、ゲーテの小説『ウィルヘルム・マイステルの修業時代[注 8]と「屋敷の中の誰とも結婚してはならない」という言葉とフルート曲「悪魔が来りて笛を吹く」、玉虫家の別荘跡に残された石燈籠に青鉛筆の文字で「悪魔ここに誕生す」と記す等々で治雄の存在を示した。
椿秋子(つばき あきこ)
英輔の妻、40歳。大きな娘を持っているとは思えないほど若く見える、市松人形のような美しい女性。兄との性交渉による影響で絶えず性交渉をせねば満足できない身体となり、未だに悲劇を繰り返す元となる愚挙により治雄に深く憎悪され毒殺された。
お種(おたね)
椿家の女中。
信乃(しの)
秋子の乳母、芸術的な醜さの老婆。
目賀重亮(めが じゅうすけ)
秋子の主治医。52 - 3歳。平家蟹のような顔で脂ぎった精力的人物。ひどいがに股。仙人(がませんにん)と呼ばれ、財産に対する欲が薄く強壮な肉体を見込まれて秋子とは英輔の自殺より1週間後に玉虫公丸の媒酌により内祝言を挙げていた。

新宮家[編集]

新宮利彦(しんぐう としひこ)
秋子の兄、元子爵。背のひょろ高い、神経質で人見知りする陰弁慶
新宮華子(しんぐう はなこ)
利彦の妻。落ち着いた中年婦人だが、人生にうみ疲れた雰囲気を持つ。
新宮一彦(しんぐう かずひこ)
利彦の息子、美禰子の従兄。やや暗い影があるものの父親に似ず上品な青年。父と叔母・秋子の呪われた関係、そのために悪魔と化した異母兄・治雄の悲劇に心を痛めた。

玉虫家[編集]

玉虫公丸(たまむし きみまる)
秋子、利彦の伯父。元伯爵で元貴族院議員。
菊江(きくえ)
公丸の小間使いで、。23 - 4歳位でスタイルのいい美しい女性。普段の言動に似つかわしくない古風な価値観を有しており、秋子と目賀の内祝言と2人を軽蔑している。

河村家[編集]

河村辰五郎(かわむら たつごろう)
植木職人で通称「植辰」。治雄の出自をネタに玉虫公丸を脅迫して得た金で遊び暮らした。植木屋の株を「植松」に譲って板宿(いたやど)に移ったが、空襲のさ中、酔っ払って1つで家の外に飛び出して直撃弾により死亡した。
おたま
河村辰五郎の最後の妾。辰五郎の死後、大阪天王寺区の下等な売春宿で売春および売春の斡旋を行っていた。
堀井駒子(ほりい こまこ)
辰五郎の娘で通称「おこま」、旧姓は「河村」。秋子との関係を知られた新宮利彦により犯され、小夜を妊娠・出産する羽目に陥り、父の弟子・堀井源助の元に嫁がされた。その後、出家して・妙海になった。東太郎の命を受けた飯尾により殺害された。
河村治雄(かわむら はるお)
大正13年6月に誕生。戸籍上は辰五郎とその妻・はるの実子となっている。椿英輔に左肩の痣を証拠に名乗り出て「三島東太郎」と命名され、椿家の書生になった。
堀井小夜(ほりい さよ)
駒子の娘で通称「お小夜」。戦時中に自身の出自と治雄が異母兄であるという呪われた事実を母親に教えられ、妊娠4か月の治雄の子供を宿したまま自殺した。位牌に「俗名 堀井小夜」と戒名「慈雲妙性大姉」が記されている[注 9]

三島家[編集]

三島省吾(みしま しょうご)
本物の三島東太郎の父親。椿英輔の旧友。1942年(昭和17年)頃、岡山県立第×中学の教頭を務めたことがあった。1943年(昭和18年)、脳出血により死亡。
三島勝子(みしま かつこ)
三島省吾の妻。本物の東太郎の母親。1944年(昭和19年)、岡山市大空襲の際に死亡。

その他[編集]

飯尾豊三郎(いいお とよさぶろう)
「天銀堂事件」の最有力容疑者と目されていたが、実際に犯人その人だった。治雄により弱味を握られて共犯となったが、用済みになり惨殺されて芝の増上寺の境内で猿股のみの遺体が発見された。
慈道(じどう)
妙海尼(おこま)を山の中腹にある尼寺に住まわせるよう世話をした、隣村の法乗寺の住職

映画[編集]

1954年版[編集]

悪魔が来りて笛を吹く』は1954年4月27日に公開された。東映、監督は松田定次、主演は片岡千恵蔵

1979年版[編集]

悪魔が来りて笛を吹く
監督 斎藤光正
脚本 野上龍雄
原作 横溝正史
製作 角川春樹
橋本新一(プロデューサー)
出演者 西田敏行
夏八木勲
仲谷昇
音楽 山本邦山
今井裕
主題歌 榎本るみ「旅行く者よ」
撮影 伊佐山巌
編集 田中修
製作会社 東映東京
配給 東映
公開 日本の旗 1979年1月20日
上映時間 136分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 7億3000万円[6]
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悪魔が来りて笛を吹く』は1979年1月20日に公開された。製作・配給、東映。監督は斎藤光正、音楽は山本邦山今井裕。主演は西田敏行

原作との相違

女中のお種はこの映画の中では東太郎(治雄)の妹・小夜子と設定されており、2人による複数犯の犯行となっている。2人は互いの出生を知らずに愛し合った末、小夜子は妊娠したが、互いに異母兄妹であると知り、子供に自分達のような苦しみを味わわせまいと堕胎した。秋子は鎌倉の別荘で2人が自身の禁忌の交わりで生を受けたことを告げられ、窓から飛び降りて自殺した。

製作

角川春樹のプロデューサーとしての手腕を見込んだ岡田茂東映社長の要請で[7][8][9]、角川は本作で初めて独立プロ角川映画)のプロデューサーを離れ、メジャー内部に単独で乗り込みプロデュースを行った[7][9][10][注 10]。本作は全額東映の出資の東映映画で、角川は東映の雇われプロデューサーとしての申し入れを「これまでの恩返しにもなる」と承諾した[7]。依頼された時点では何をやるか全く決まっていなかったが、角川は岡田に損をさせてはいけないと慎重に企画を練り、"金田一シリーズ"は二番煎じとなるが、興行的な安全パイを考えると横溝作品は外せないし、西田敏行サイドから是非、映画に出たいという強いオファーがあり、西田に会ってみて、こういう金田一耕助像もありかなと思い、本作品を選んだ[7]。監督は毎日放送製作の「テレビドラマ版・獄門島」(1977年)の視聴率がよかった斎藤光正を起用した[7]

キャスト

ラジオドラマ[編集]

1975年8月11日(月)より23日(土)までNHKラジオ第1放送で17日(日)をのぞく毎晩15分ずつ放送。全12回。

原作に忠実な展開。終盤の伏線となる三島の戦傷については原作通りハッキリと紹介し、金田一が一彦に「悪魔が来りて笛を吹く」をフルートで吹けるかどうか尋ねるシーンもある。結末で三島は原作通り、金田一に「なぜこの曲を一彦にでも吹かせなかったのですか」と呼びかける。 玉虫の密室殺人の謎解きも、金田一の説明以外に、三島の回想をドラマ化して丁寧に説明している。

一方、椿秋子と新宮利彦の関係は従兄妹に変更され、三島と異母妹のエピソードは全面的にカット。妙海尼は単に椿家の事情に詳しい人物として金田一と等々力警部の訪問を受けるが、真相を話そうとした瞬間、ひそかに盛られた毒によって「悪魔…」と叫びふたりの目の前で息絶える。

放送開始に先立ってNHKテレビでは、日曜日に放映していたPR番組『スタジオからこんにちは』でこの作品を特集し、主演の宍戸錠が語り手の中西龍らと共にドラマの収録をスタジオで再現[注 11]。ミステリー評論家の中島河太郎もゲストで招かれ、横溝正史の魅力について語った。

また、毎回ではないが、ドラマの最後で出演者のトークコーナーがあった[注 12]

スタッフ
キャスト

テレビドラマ[編集]

1977年版[編集]

横溝正史シリーズI・悪魔が来りて笛を吹く』は、TBS系列1977年6月25日から7月23日まで毎週土曜日22:00 - 22:55に放送された。全5回。

原作から次の変更がある。

  • 秋子は三島の背中の火炎太鼓の痣に気がつき真相を悟り自殺する。これは、三島が何の気なしに着替えをして痣を見られたのではなく、母・秋子に自身の存在を知って欲しいのと母と呼びたかったという母に対する慕情ゆえ、敢えて痣を見せたという設定になっている。
  • 目賀博士が新宮利彦殺害の直後、庭で殺害される。これは、三島がナイフの血を洗い落としているところを目撃したためだったと最後に説明がされる。
  • 原作では玉虫殺害の経緯が、金田一の謎解きと三島の告白により丁寧に説明されているが、ドラマでは大部分省略したため、原作を読まないと、なぜ玉虫が三島に殴打されて負傷した後に事件を揉み消して三島をそのまま部屋から出したのかなど、肝心な部分が分からない。
  • 三島の指が戦傷で欠けていると原作では説明がされ、終盤の伏線となっているのが省略されている。金田一が降霊会の時、三島の右手の薬指と中指が動いていないと気がつく場面はあるが、それ以上フォローされておらず、終盤に三島がフルートを吹く時になって、三島が「悪魔がなにを指すかご覧ください」と唐突に語る。
  • 椿本子爵の名前の読みは「ひですけ」だが、ドラマでは「えいすけ」に変更されている。
  • 青酸加里による服毒自殺だった小夜子の死に方も海に身を投げたと変更されている。

なおオールスターキャストのため、クレジットでは、本来、本来一枚看板でおかしくない早川保観世栄夫岩崎加根子中山麻里加藤嘉が二人ないし三人並記となっている(岩崎加根子中山麻里は、最終回のみ一枚看板)。

毎日放送製作。

キャスト

1992年版[編集]

名探偵・金田一耕助シリーズ・悪魔が来りて笛を吹く』は、TBS系列1992年4月9日の木曜日21:00 - 22:54に放送された。

本作では、東太郎は美禰子の兄となっており、椿家の一員である。

キャスト

1996年版[編集]

横溝正史シリーズ・悪魔が来りて笛を吹く』は、フジテレビ系列2時間ドラマ金曜エンタテイメント」(毎週金曜日21:00 - 22:52)で1996年10月25日に放送された。

家族構成がやや異なっており、利彦と秋子はいとこ同士。公丸は利彦の父親になっており、名字は「玉虫」ではなく「新宮」である。目賀・一彦・信乃は登場しない。

キャスト
※『18人の金田一耕助』では新宮華子役を津山登志子としているが、恐らく樋口しげりの誤り。

2007年版[編集]

金田一耕助シリーズ・悪魔が来りて笛を吹く』は、フジテレビ系列2時間ドラマ金曜プレステージ」(毎週金曜日21:00 - 22:52)で2007年1月5日に放送された。視聴率14.4パーセント。

利彦と秋子との性描写のシーンは描かれておらず(事実の説明はある)、秋子は殺されていない。また、家族構成がやや異なっており、玉虫公丸は利彦と秋子の父親になっており、利彦や一彦の名字は「新宮」ではなく「玉虫」である。華子と信乃は登場しない。

原作で河村駒子は金田一が淡路島に到着した時既に殺害されているが、本作では金田一到着の翌日に殺害されている。

キャスト

舞台[編集]

劇団ヘロヘロQカムパニー 悪魔が来りて笛を吹く (2010年8月8日 - 8月14日、 前進座劇場
ほぼ原作通りに舞台化されているが、タイプライターのトリック、ウィルヘルム・マイステルで金田一がヒントを得た件(くだり)は存在しない。
ラストに一彦が「悪魔が来りて笛を吹く」を演奏するオリジナルの展開を見せる。
キャスト

漫画[編集]

女性漫画家JETによりコミカライズされて『名探偵・金田一耕助シリーズ 悪魔が来りて笛を吹く』として「ミステリーDX」(角川書店)に掲載後、あすかコミックスDXよりコミックスが刊行された[注 14]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ このときは受賞作なしであった[1]
  2. ^ 正確には、田中潤司が選んだベスト5(1. 『獄門島』、 2. 『本陣殺人事件』、 3. 『犬神家の一族』、 4. 『悪魔の手毬唄』、 5. 『八つ墓村』)を「妥当なもの」とした上で、次にくるものとして本作を挙げている[2]
  3. ^ おそらく高木正得元子爵の自殺事件(1948年7月8日失踪、11月1日遺体発見)と思われる。
  4. ^ 植村泰二。元ピー・シー・エル映画製作所社長。
  5. ^ 植村泰一は、その後東京芸術大学に進んでNHK交響楽団在籍のプロ奏者として活躍。1979年の本作映画化の際には招かれて山本邦山作曲のオリジナル主題曲を演奏している。
  6. ^ 」は火偏に禾だが、一部の日本語環境で表示できないため、「秋」の字で代用する。
  7. ^ 総体的に警察が密告を奨励しているような体質で、等々力自身も同様である。
  8. ^ 作品中、実の兄妹がそうとは知らずに愛し合って娘を設けた結果、3人とも不幸な死を遂げる。
  9. ^ 講談社『横溝正史全集7 悪魔が来りて笛を吹く』(昭和47年11月20日5刷p.267)、講談社『新版 横溝正史全集12 悪魔が来りて笛を吹く』(昭和52年5月30日第2刷p.151)、角川文庫『悪魔が来りて笛を吹く』(昭和52年1月30日20版p.280)など作者が生前の版ではすべて「俗名堀井小夜」と記載されており、角川文庫では作者の死後も平成7年10月10日54版までこれを踏襲している。なお、角川文庫の新版(平成8年9月改版)には「俗名堀井小夜子」と記載されているが、これは作者の記述ではない。角川文庫は作者の死後、平成8年9月に行った改版の際に「俗名堀井小夜子」に書き換えており、新版はすべてこれを踏襲しているに過ぎない。
  10. ^ 本作がヒットしたことで岡田は以降も『白昼の死角』(1979年)『魔界転生』(1981年)など、角川に東映映画のプロデューサーを要請し、角川は単独で東映映画のプロデューサーを務めた[9][8][11]
  11. ^ 宍戸錠は当時、NHKテレビで放映中のアメリカドラマ『警部マクロード』で主役のマクロード警部の声を吹き替えていたことから、番組中、『警部マクロード』でマクロードの上司・クリフォード刑事部長の声を吹き替えていた加藤武が乱入し、「マクロード。こんなところで何をしている。」と叱りつける演出がなされた。
  12. ^ 草野大悟は、「あこがれの宍戸錠さんと共演し緊張しています」と語り、当時、テレビドラマの悪役が多かった高木均は、「わたくしムーミンパパにして悪役」と挨拶。最終回の前の回では池田秀一が、「三島東太郎役の池田秀一です。どうやら、僕が大変なことになっているようです。おたよりお待ちしています。」と語った。その回は、三島が自分の正体を明かすところで終わっていた。
  13. ^ 新宮華子、一彦は登場はするものの、語り手のナレーションで処理されており、俳優は演じていない。
  14. ^ 同じくJETが漫画化した短編「雌蛭」も一緒に収録されている。

出典[編集]

  1. ^ 1954年 第7回 日本推理作家協会賞 日本推理作家協会公式サイト参照。
  2. ^ 横溝正史 『真説 金田一耕助』 角川書店〈角川文庫〉、1979年1月5日、63-64頁。 
  3. ^ 横溝正史 『真説 金田一耕助』 角川書店〈角川文庫〉、1979年1月5日、156-158頁。 文中、「K君」とあるのは葛山二郎のことである。(谷口基、「葛山二郎」、江藤茂博; 山口直孝; 浜田知明編 『横溝正史研究 2』 戎光祥出版2010年8月10日、300-301頁。ISBN 978-4-86403-007-6 
  4. ^ 『悪魔が来りて笛を吹く』あとがき(昭和29年3月)参照。
  5. ^ 『歌手が来りて推理小説を語る』(『音楽の友』、1974年(昭和49年)1月、大橋国一らとの対談)参照。
  6. ^ 中川右介 「資料編 角川映画作品データ 1976-1993」『角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年』 角川マガジンズ2014年、281頁。ISBN 4-047-31905-8
  7. ^ a b c d e 角川春樹・清水節 『いつかギラギラする日 角川春樹の映画革命』 角川春樹事務所2012年、82-84頁。ISBN 978-4-7584-1295-7
  8. ^ a b 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』 文化通信社2012年、109、142、249-250、352-366頁。ISBN 978-4-636-88519-4岡田茂 『悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年』 財界研究所、2001年、182-183頁。ISBN 4-87932-016-1
  9. ^ a b c 「岡田茂をめぐる七人の証言 角川春樹『最後の頼みの綱という心強い存在』」、『キネマ旬報』2011年7月上旬号、キネマ旬報社、 63-64頁。
  10. ^ 【今だから明かす あの映画のウラ舞台】角川編(上) 『人間の証明』『野生の証明』… 春樹流メディア戦略の始まり 潤沢な宣伝費で大量の新聞広告 (1/2ページ)
  11. ^ “角川春樹氏、思い出語る「ひとつの時代終わった」…岡田茂氏死去(archive)”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2011年5月10日). http://archive.is/9Divz 2016年11月22日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]