フランツ・ドップラー

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フランツ・ドップラー
ドップラー兄弟:フランツ(左)カール(右)
基本情報
生誕 1821年10月16日
オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国
ガリツィアレンベルク
死没 (1883-07-27) 1883年7月27日(61歳没)
オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国
バーデン・バイ・ウィーン
ジャンル フルート曲
舞台音楽
職業 フルート奏者
指揮者
作曲家
担当楽器 フルート

アルベルト・フランツ・ドップラー: Albert Franz Doppler, ハンガリー語: Doppler Albert Ferenc, 1821年10月16日 オーストリア帝国ガリツィア州の首都レンベルク(現ウクライナのリヴィウ) - 1883年7月27日 バーデン・バイ・ウィーン)は、フルート曲で有名なハンガリー人作曲家。生前は、むしろオペラバレエなどの舞台音楽の作曲家として評価が高かった。た、リスト・フェレンツの『ハンガリー狂詩曲』のいくつかを編曲したことでも知られている。

経歴[編集]

1821年、 オーストリア帝国ガリツィアレンベルク(現ウクライナのリヴィウ)生まれ。1828年から1831年まで、オーボエ奏者であった父親からフルートの指導を受ける。18歳でブダペスト歌劇場の首席フルート奏者に就任する。その後はウィーン宮廷歌劇場の首席フルート奏者から首席指揮者の地位へと昇り詰め、1864年から1867年までウィーン音楽院のフルート科の教授も務めた。

オペラやいくつかのフルート協奏曲のほか、超絶技巧を要する華麗なフルート小品を残している。フルート二重奏曲やフルート二重奏のための協奏曲といった作品は、フルートのヴィルトゥオーソ兄弟としてヨーロッパ中を席巻した、弟カール・ドップラー(ドップレル・カーロイ)との共演のために作曲されている。日本では、東洋的な曲想をもつ『ハンガリー田園幻想曲』作品26が人気が高い。

弟カールともどもフルートのヴィルトゥオーソにして作曲家であった(兄弟ともベーム式フルートを好まず、旧式のフルートを使い続けた)。カールの子である甥アールパード・ドップラードップレル・アールパードÁrpád Dopplerも作曲家となり、米国で活動した。

作品一覧[編集]

脚注[編集]


外部リンク[編集]

全般[編集]

作品個別(試聴等)[編集]