中国東方航空

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中国東方航空
中国东方航空
China Eastern Airlines
IATA
MU
ICAO
CES
コールサイン
China Eastern
設立 1988年
ハブ空港 上海浦東国際空港
上海虹橋国際空港
焦点空港 西安咸陽国際空港
昆明巫家壩国際空港
武漢天河国際空港
マイレージサービス 東方万里行(イースタンマイルズ)
航空連合 スカイチーム
保有機材数 256機
就航地 151都市
本拠地 中華人民共和国上海市
代表者 劉紹勇(会長)
馬須倫(社長)
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中国東方航空
各種表記
繁体字 中國東方航空
簡体字 中国东方航空
拼音 Zhōngguó Dōngfāng Hángkōng
発音: ヂョングオ ドンファン ハンコン
英文 China Eastern Airlines
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中国東方航空(ちゅうごくとうほうこうくう、中文表記: 中国东方航空英文表記: China Eastern Airlines)とは、中華人民共和国航空会社である。1988年に分割解体された中国民用航空総局(CAAC)の上海管理局を引き継いで誕生。中華人民共和国における国際線および主要国内線を運航し、旧民航系航空会社の中でも最大規模の一社。中国語では略して東航と呼ばれる。

概要

就航都市

中国国内線

保有機材

中国東方航空の機材は以下の航空機で構成されている (2012年1月現在)

2007年3月現在、中国東方航空の機材年齢は6.4年である。

過去の事故・不祥事

  • 1989年8月15日上海虹橋国際空港から飛び立った南昌行きのAn-24 (B-3417) 型機が二号エンジンの故障で離陸時に河川に墜落。40名の乗客のうち34名が死亡。
  • 1993年4月6日:北京から上海を経由してロサンゼルスに向かうフライトナンバーMU583のMD-11 (B-2171) 型機が、アラスカ州アリューシャン列島から南へ約950海里の太平洋上空を飛行中、乗組員がスラットのレバーに誤って触れてしまい、フラップが前方に稼動、機体は上下に揺れ、下降と上昇を何度か繰り返した後、5000フィートまで高度を落とした。この事故で2名の乗客が死亡、149名の乗客と7名の乗組員がケガをした。そのうち乗客1名が両脚不随に、客室乗務員1名が頭に重傷を負った。事故による機体外部の損傷はなかったが、客室内は大きな損傷を受けた。
  • 1993年10月26日深圳から福州に向かうMU5398のMD-82 (B-2103) 型機が、福州飛行場に着陸の際、滑走路に衝突。機体は3つに切断され、80名の乗客のうち2名が死亡。
  • 1998年9月11日:上海から北京に向かうMU586のMD-11 (B-2173) 型機が上海虹橋国際飛行場から離陸後、ランディングギアが作動せず上海虹橋飛行場に引き返した。ケガ人はいなかった。この事故の後「緊急迫降」(緊急着陸)という題名の映画が作られた。
  • 中国東方航空5210便墜落事故2004年11月21日):包頭から上海に向かうMU5210のCRJ-200型機が離陸後一分後内モンゴル自治区に墜落、47名の乗客、6名の乗組員全てが死亡した。また地上にいた2名がこの事故に巻き込まれ命を落としている。直接の経済的損失は1.8億といわれる。2006年12月21日安監総局監察部が事故の原因を発表した。事故機が離陸する際に翼についたが原因で翼の迎角が大きくなりすぎ失速した事が墜落の原因という。事故機は飛行前に霜取りをしていなかった。この事故で12名の責任者が処分を受けた。[3]なお、この事故によって中国東方航空は同型機の運航を中止した。
  • 2011年11月28日:関西空港発上海浦東空港行きの中国東方航空516便(エアバス332型機、乗員乗客245人)が管制官の許可なしに滑走を始め、そのまま離陸した。幸い、運行への影響や他機と衝突するような切迫した状況には無かった。国土交通省によると、管制官が516便の操縦士に英語で「滑走路で待機しろ」と指示。数分後に管制官が別のヘリコプターの操縦士と無線で交信している最中に、516便は許可なく滑走し始めた。[4]

出典・脚注

外部リンク