シェムリアップ

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シェムリアップ
ក្រុងសៀមរាប
フランス植民地時代の建造物
フランス植民地時代の建造物
座標 : 北緯13度21分44秒 東経103度51分35秒 / 北緯13.36222度 東経103.85972度 / 13.36222; 103.85972
行政
カンボジアの旗 カンボジア
 州 シェムリアップ州
 市 シェムリアップ
市長 Kim Chay Hieng
人口
人口 (2009現在)
  市域 171,800人
その他
等時帯 UTC/GMT +7

座標: 北緯13度21分44秒 東経103度51分35秒 / 北緯13.36222度 東経103.85972度 / 13.36222; 103.85972

アンコール・ワット

シェムリアップクメール語: ក្រុងសៀមរាប、ラテン文字表記:Siem Reap)はカンボジアシェムリアップ州州都である。アンコール・ワットアンコール・トムなどを含むアンコール遺跡群の観光拠点となっている。日本ではシエムレアプとも表記される。

基礎情報[編集]

  • 国:カンボジア王国
  • 州:シェムリアップ州
  • 人口:171,800(2009年)

歴史[編集]

シェムリアップ一帯は、何世紀もの間、シャム(現在のタイ王国)の領土かその王権の属国であった。Siem Reap は直訳すれば「シャム人敗戦の地」であるが、これは17世紀にクメール人がシャムのアユタヤ王朝の軍隊に勝利したことにちなむ。

帝国主義時代にフランスは東南アジアの広大な領域を植民地化した。カンボジアのほかにラオスベトナムもこの「フランス領インドシナ」に属した。1907年3月25日の条約で、シェムリアップ、バッタンバン及びシソポン(合計で 20,000 平方キロメートル以上)も植民地政府に属した。

太平洋戦争中はタイ・フランス領インドシナ紛争と、それを終結させた東京条約により、一時期タイの領土となったが、戦後はフランス領に復帰した。しかし1949年から1953年にかけカンボジア王国が成立すると、その領域となった。

1975年から始まったクメール・ルージュ支配の時代には、全国の他の都市から誘拐されてシェムリアップの住民にさせられた人々が、畑での重労働に従事させられた。これらの人々は、1979年1月にベトナム軍が侵攻してクメール・ルージュに勝利した後、故郷の都市に帰されたが、クメール・ルージュは1990年代の初めまで森に逃げ込んで攻撃を続けた。住民は、長年の間、バリケードを築いて中心街を守らなければならなかった。シェムリアップやUNTAC平和維持部隊に対する最後の攻撃は1993年に起こった。

政府が外国人観光客の入国を認めるようになると、多くの観光客がシェムリアップをアンコール遺跡群への拠点として利用したため、安定した収入源が加わった。こうして、20世紀の初頭に建てられたホテルが次々に再び営業を始めた。

2000年代に入っても、シェムリアップは観光の拠点都市として発展し続けており、様々な種類のレストランに加えて、五つ星高級ホテルから5米ドルの安宿まで、あらゆる価格帯のホテルやゲストハウスが営業している。現在、プノンペンと同様に建設ラッシュの状態にあり、国立の巨大な博物館やコンサートホール(地元の小児は無料)、観光客向けの病院なども建設されている。

肥大化した観光産業がシェムリアップ(そしてアンコール遺跡)をどのように変化させるのかは、まだ予断を許さない。

2005年6月に、市内のインターナショナル・スクールで、人質立てこもり事件が起こり、カナダ人児童一人が殺害された。

地理[編集]

シェムリアップ川沿いの生活路

東南アジア最大の湖であり、世界でも有数の多様な魚類が生息するトンレサップ湖の約10キロメートル北東にあり、アンコール・ワットの6キロメートル南である。

シェムリアップ川の両岸に広がる市街地には60,000人の住民がいる。カンボジアの他の多くの町と同じく、いくつものWat(寺院と僧坊)の周りに発展した村がひとまとまりになって発展してできた町である。

町の中心にはオールド・マーケットがあり、その周りをフランス植民地風の民家が取り囲んでいる。

経済[編集]

トンレサップ湖周辺では、伝統的に、住民は水田での米作と漁業を生活の基盤とし、最も重要な収入源にしてきた。クメール・ルージュはアンコール遺跡群周辺を最後の拠点として抵抗を続けたが、相次ぐ投降を受けてポル・ポトソン・センを処刑し、ついでポル・ポトが死亡すると、本格的な地雷撤去作業が始められ、シェムリアップは観光都市としての復活を始めた。

1990年代に一連のプロセスが進行し、カンボジア国内の政治情勢も安定して、シェムリアップも平和で国内でも比較的に繁栄するようになった(とはいえ、カンボジアは最貧国の一つであり、平均月収は約30米ドルにすぎない)。シェムリアップの繁栄は観光業に負うところが大きい。

市街中心部には日本のNGOが設立した小児病院があり、北東部にも、ジャヤヴァルマン7世小児科病院がある。同院は、スイスの医師ビート・リヒナー (Beat Richner) がスイスとフランスを中心に集めた寄付で設立したものであり、子供達に無料で医療を提供している。彼はビートチェロという名前で毎週土曜日定期的にチェロのコンサートを開き、演奏を披露するとともに、児童の衛生について講演をしている。

観光[編集]

トンレサップ湖

市街地[編集]

トンレサップ川沿いにあるオールド・マーケットには観光客向けの店が多数立ち並び、特産の絹織物や工芸品が玉石混交で売られている。中には地元産でないものもある。地元産にこだわり、かつ質の高いものを求めるのであれば、オールド・マーケットを囲むように立ち並ぶセントゥール・ダンコールやアルチザン・ダンコールなどといったヨーロッパ資本の店がある。しかし、価格はかなり高い。東側にはプサー・ルー(そのまま「市場」の意)があり、観光客もそれなりに訪れるが、むしろ地元民の生活用品が中心であり観光客向けの商品は少ない。

夜間の治安は良いとは言いがたく、徒歩での移動はごく短距離を除いて避けたほうが良い。信用できるバイクタクシーやトゥクトゥクを利用したほうが安全である。

寺院[編集]

シェムリアップ最古の寺院の一つは Wat Bo であるが、その壁にはブッダの生涯を表現する壁画が描かれていて、これは一見の価値がある。 Wat Thmei にはクメール・ルージュの犠牲者の遺骨を納め、記憶にとどめるために建てられたストゥーパがある。

地雷博物館[編集]

クメール・ルージュ体制と内戦の恐怖を記憶するもう一つの場所が、シェムリアップからアンコールへ向かう途中にある地雷博物館である。同館の展示と管理を担当しているのがアキ・ラーであり、彼はかつてクメール・ルージュと戦うべくベトナム軍に13年間にわたって所属し、戦時中は地雷除去を担当していた。彩色された写真を見れば、戦争は終わっても、大量の地雷によるトラウマはまだ残っていることが分かる。彼は、来館者からの募金を彼のなすべき仕事、つまり、周辺の農夫が見つけた地雷の除去の費用や、地雷によって手足と家族を同時に失った少年たちの養育にあてている。

トンレサップ湖[編集]

トンレサップの湖岸に沿って、支柱で支えられた建物だけでなく、屋形船でも生活する村がいくつもあって、よく「泳ぐ村」と呼ばれている。例年水位が上昇する時期には、村中総出で引っ越しをして、漁業で生計を立てるのである。また、トンレサップやその周辺の湖水に浸る地域は魚が豊富で様々な種類の鳥が集まってくることから、 Prek Toal 鳥保護区が設定されている。

文化[編集]

カンボジアの美術や工芸(木製や石製の彫刻織物など)や芸能(伝統舞踊やスバエク(影絵芝居)など)は、芸術家がクメール・ルージュの殺人の犠牲者になってしまったため、ほとんど完全に破壊されてしまった。シェムリアップでは、平和な市民社会の再建に伴い、各種の研究団体や芸術家グループが結成され、こうした技芸を復興させている。

伝統舞踊[編集]

カンボジア古典舞踊は、ユネスコ世界無形文化遺産に登録されている。カンボジアの舞踏には、古来より、宮廷の儀式で舞われた王宮古典舞踏と、庶民に受け継がれた民族舞踏の二つの流れがある。カンボジアの宮廷古典舞踏は、アンコール時代、王や神々への祈りのために舞われ、以来王宮で大切に保護されていたが、クメール・ルージュの弾圧の対象となり、9割の舞踏家や楽師の命が失われ一時滅亡の危機に陥る。しかし、1980年、王室や生き残った舞踏家たちにより、王立芸術大学が再開し、古典舞踏も蘇る。

古典舞踏の代表的な演目に「アプサラ・ダンス」があり、カンボジア舞踏を通称 アプサラ・ダンス と呼ぶこともある。アプサラの語源は、「アプサラス」という古代インド神話に登場する天女で、天の踊り子、または、クメール王からの神への最高使者を意味する。世界遺産アンコールワットの壁画の浮彫(レリーフ)にも、アプサラ(天女)の舞の様子が無数に刻まれている。

カンボジア舞踏では、スコー・トム(大きい太鼓)、スコー・トォチ(小さい太鼓)、サンポー(第付き樽型両面太鼓)、コーン・トォチ(環状ゴング)、ロニアット・アエック(木琴)、ターケー(鰐琴)などの楽器が使われる。

2013年5月16日、日本カンボジア友好六十周年を記念し、カンボジアよりトッププロ舞踏家数十名が来日し、東京都庁都民広場にて、薪カンボジア舞踏が無料公開された。Angkor Village theatre やいくつかのホテル(例えば Grand Hotel D'Angkor や Koulen Restaurant)で公演が行われている。

影絵芝居[編集]

カンボジアでは、特に西部で、インドネシアの有名なワヤン・クリと同様の影絵芝居が行われている。シェムリアップでは、例えば Krousar Thmey Foundation の子どもたちが毎週1回、 Hotel La Noria のレストランで上演している。現代的な話題を紹介したり盛り上げたりする目的で、登場人物やストーリーが追加されることもある。例えば、団結とか、敬老の心とか、児童擁護とか、エイズ撲滅といった具合である(買春も参照)。伝統楽器によるカンボジア音楽も聴くことができる。影絵人形は、地元の House of Peace Association がその他の物とともに製造している。

交通[編集]

  • 空路 - 市街地北西にシェムリアップ国際空港があり、アジアの各地に安い航空便が出ている。2005年には国際線ターミナルも近代的なものに改築新装され、アメニティが充実している。
  • 陸路
    • バス - プノンペンポイペトPoipet, タイ国境)などへのバスがある。韓国製などのエアコン付バスを使用しており、安価で快適な移動手段である。乗客の大半は現地人が占める。バスターミナルは町の中心から東に3kmほど離れている。
    • ピックアップトラック - プノンペンをはじめとする各地にピックアップトラックが出ている。原則として荷台に詰め込まれることになり、観光客が利用することはまずない。
  • 水路 - トンレサップ湖からプノンペンへ観光客向けのスピードボートがある。