松坂屋
| 種類 | 株式会社 | |||||||||
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| 市場情報 | 非上場(以下は過去のデータ)
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| 本社所在地 | 〒460-8430 愛知県名古屋市中区栄三丁目16番1号 |
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| 設立 | 1910年(明治43年)2月1日(1611年創業) (株式会社いとう呉服店) |
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| 業種 | 小売業 | |||||||||
| 事業内容 | 百貨店 | |||||||||
| 代表者 | 岡田 邦彦(代表取締役会長) 茶村 俊一(代表取締役社長) |
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| 資本金 | 97億6,500万円 | |||||||||
| 売上高 | 連結:3,439億3,600万円 単独:3,001億円 |
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| 総資産 | 連結:2,176億4,200万円 単独:2,029億円 |
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| 従業員数 | 連結:4,004名 単独:2,959名 |
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| 決算期 | 2月末日 | |||||||||
| 主要株主 | J.フロント リテイリング(株) 100% | |||||||||
| 主要子会社 | (株)松坂屋ストア 100% | |||||||||
| 外部リンク | http://www.matsuzakaya.co.jp/ | |||||||||
| 特記事項:各種経営指標は2008年2月期のもの。2010年3月1日付で株式会社大丸と合併。 | ||||||||||
松坂屋(マツザカヤ、英称:Matsuzakaya)は、J.フロント リテイリング傘下の株式会社大丸松坂屋百貨店が運営する百貨店の屋号である。
2010年2月28日に、それまでの運営会社である株式会社松坂屋が株式会社大丸と合併し、発足した。
「松阪屋」は誤表記(屋号について参照)。
目次 |
[編集] 概要
東海地方に拠点を置き、とりわけ中京圏(名古屋など)では圧倒的なブランド力を持っている。イメージフラワーはカトレヤで、キャッチフレーズは「生活と文化を結ぶマツザカヤ」である。
三越や高島屋などを凌ぎ日本一の売上を誇る百貨店であった時期も存在する。現在の三菱東京UFJ銀行(旧東海銀行)の前身の一つである伊藤銀行や「名古屋の帝国ホテル」と呼ばれた名古屋観光ホテル、名古屋商工会議所など、各企業・団体の設立にも関連した近代名古屋の有名企業であった。
業界他社に先駆けてエレベーターガール、制服の完全洋装化を採り入れた。
名古屋店(旧・本店)は売り場面積が日本一(86,758m²[1])である。
地元市民の高齢層では松坂屋のことを「伊藤様」と呼ぶ人もいるほど、愛知県では他店よりも松坂屋が格上の百貨店であるという認識が非常に強く、松坂屋の外商部と取引があることが一種のステイタスとみなされる場合もある。
2010年に百貨店開業から数えて100周年、2011年に「いとう呉服店」創業から数えて400周年を迎えた。
[編集] 沿革
- 1659年 - 祐道の遺児・祐基が名古屋茶屋町に呉服小間物問屋を再開。
- 1736年 - 呉服太物小売商に転業。
- 1768年4月5日(5月20日) - 江戸へ進出して、上野の松坂屋を買収し、同店をいとう松坂屋と改称。
- 1854年 - 当主治朗左右衛門の婚礼。その祝儀曲として地歌曲の『花の縁』が吉沢検校により作曲される。
- 1875年 - 大阪のゑびす屋呉服店を買収して、ゑびす屋いとう呉服店として新町通に進出し開業。
- 1910年 - 株式会社化。名古屋栄町に名古屋初の百貨店いとう呉服店を開業。
- 1924年 - 銀座店開店。全館土足入場可能な百貨店であった。
- 1925年 - 全店の名称を松坂屋に統一。この頃からミャンマー独立運動家を支援する。
- 1964年 - 松坂屋CMソング「振り向けば松坂屋」誕生(作詞 永六輔、作曲 中村八大)。[2]
- 1972年 - 名古屋店北館開店(リビンザ)。
- 1973年 - 株式会社丸久(山形市)と資本提携を締結(株式会社丸久松坂屋となる。1982年、株式会社山形松坂屋に改称)。
- 1974年6月8日 - 株式会社札幌松坂屋(100%出資子会社)が開店。[3]
- 1979年 - 株式会社札幌松坂屋が営業不振による大幅な赤字を解消するためイトーヨーカ堂と提携し、株式会社ヨークマツザカヤとなる(1994年、ロビンソン百貨店札幌店に改称し、完全に松坂屋グループを離脱)。
- 1985年年1月、16代伊藤次郎左衞門会長の死去により鈴木正雄が会長に就任し、1985年4月、松坂屋本店で開かれた臨時取締役会で創業者一族の当時の17代伊藤次郎左衞門(鈴三郎)社長を会長に退かせて鈴木正雄が社長に就任する。その後1991年に再度会長就任。
- 1991年 - 名古屋店南館開店。
- 1997年11月、1993年から相談役であった鈴木正雄は総会屋への利益供与事件で辞任する。
- 1999年 - 市川店閉店。
- 2000年 - 山形松坂屋閉店。
- 2001年 - 四日市店(三重県)閉店、豊田店(豊田そごう跡)開店。
- 2003年 - 名古屋店南館拡張。これにより名古屋店は、東武百貨店池袋店を抜き日本最大の百貨店となった。
- 2004年3月31日 - くずは店(大阪府枚方市)が閉店。同年5月5日天満橋店(大阪店、大阪市中央区)が閉店。
- 2005年 - 豊富な含み資産に目を付けた村上ファンドに株式の約10%を買い占められ、経営混乱。
- 2005年8月31日 - パリ松坂屋が閉店。
- 2006年9月1日 - 持株会社「松坂屋ホールディングス」を設立し、株式移転方式で持ち株会社体制に移行した。
- 2007年3月14日 - 大丸との経営統合を決定。
- 2007年4月9日 - 大丸との共同持株会社の名称を「J.フロント リテイリング株式会社」にすると発表した。
- 2007年9月3日 - 株式移転方式でJ.フロント リテイリング設立。
- 2007年11月1日 - J.フロント リテイリングが松坂屋ホールディングスを吸収合併。これにより、松坂屋はJ.フロント リテイリングの直接子会社となる。
- 2008年10月26日 - 横浜松坂屋閉店。
- 2009年1月1日 - 松坂屋が横浜松坂屋を吸収合併。
- 2010年1月31日 - 岡崎店閉店。
- 2010年3月1日 - 株式会社大丸と合併し、「株式会社大丸松坂屋百貨店」に社名変更。同時に高槻店は、大丸京都店の分店扱いとなった。
- 2010年8月29日 - 名古屋駅店閉店。
[編集] 屋号について
三重県にある「松阪市」と混同して、しばしば松阪屋と誤表記される(坂と阪の違い)。また、マークが松阪商人の三井家の家紋と酷似している事も一因である。
もともとこの百貨店の屋号は創業者・伊藤蘭丸祐道の苗字から採ったいとう屋であった。この伊藤蘭丸祐道の祖先は織田信長の小姓をしていたとされる。
「松坂屋」のそもそもの由来は、1707年に伊勢松坂(現・松阪市)出身の商人・太田利兵衛が今日の上野店の前身となる呉服店を開業、自分の出身地名から松坂屋と名付けたことによるもの。当時の松坂は木綿(松阪木綿)の主要な供給地で、呉服の原料として縁があった訳である。
1767年、いとう屋が松坂屋を買収した際、江戸の屋号はそのまま「松坂屋」を使用したが、これは既に江戸市中に松坂屋の名前が知れ渡っていたため、本来の「いとう屋」に変更するよりも得策と判断したからである(同様の例に、横浜発祥の松屋がある)。大阪進出の際も同様の理由により買収した「ゑびす屋」をそのまま使用したが、全店舗で屋号を統一する事となった際に全国チェーンを睨んだ結果、東京で使用されてきた「松坂屋」が採用される事となり、現在に至る。
[編集] 松坂屋お家騒動
松坂屋は第二次世界大戦後会社の命運を分ける二つのお家騒動が勃発した。 最初のお家騒動は1980年に当時社長であった伊藤鈴三郎が同氏の兄に当たる16代伊藤次郎左衞門会長と鈴木正雄の共謀により解任させられた宮廷革命と称されるものである。 これは伊藤鈴三郎体制下による拡大路線の反動で発生した札幌松坂屋の失敗や業績が芳しくなかった横浜野沢屋の救済で本体の悪影響を及ぼしたという点が表向きの理由ではあるが、16代次郎佐衛門会長が息子の伊藤洋太郎にいち早く後継者としたい意図に鈴木正雄が乗ったことが定説である。 第二のお家騒動は宮廷革命と同様に鈴木正雄によるものであった。1985年4月、名古屋の松坂屋本店で開かれた臨時取締役会で、16代伊藤次郎左衞門会長の死去によりわずか3カ月前に副社長から会長に就任したばかりの鈴木正雄が社長に収まり、松坂屋創業以来370年余りの歴史の中で起こりえなかった創業家の伊藤洋太郎(17代伊藤次郎左衞門)社長が代表権のない会長に棚上げされる人事が電撃的に決まる。鈴木は「私は工作などしていない。皆に推された」と本人は否定したが、腹心の役員らと連携し自らが実権を握る事実上のクーデターであり、松坂屋のお家騒動として全国的に注目された。その後も1991年に再度会長就任、1993年から相談役と鈴木は実権を握り続けるが、1997年11月総会屋への利益供与事件で辞任する。 [4] [5] [6] [7]
[編集] 松坂屋ホールディングス設立~経営統合
2005年から2006年にかけて、優良資産に目を付けた村上ファンドが松坂屋の大株主となり、一時経営を揺さぶられた。そのため、機動的かつ柔軟な経営判断ができる体制を構築するとともに、グループ各社の採算性と事業責任の明確化を図ることを目的として、株式移転により「株式会社松坂屋ホールディングス」(松坂屋HD)を設立し、純粋持株会社体制へ移行した。
しかし、移行してから1年も経たないうちに大丸との経営統合を発表。そして松坂屋HD発足からちょうど1年後の2007年に共同持株会社「J.フロント リテイリング株式会社」 (JFR) が設立されると、松坂屋HDはJFRに吸収合併され、役目を終えることとなった。
[編集] 沿革
- 2006年4月13日 - 純粋持株会社体制への移行を発表。
- 2006年9月1日 - 「株式会社松坂屋ホールディングス (松坂屋HD)」設立。
- 2007年3月14日 - 大丸との経営統合を決定。
- 2007年9月3日 - 株式移転方式で共同持株会社「J.フロント リテイリング株式会社 (JFR) 」を設立。松坂屋HDは上場廃止。
- 2007年11月1日 - 松坂屋HDがJFRに吸収され、株式会社松坂屋はJFRの連結子会社となる。
- 2008年 - 株式会社松坂屋が株式会社大丸を吸収合併する形で2社を統合し、株式会社大丸松坂屋百貨店が発足。グループの百貨店事業の軸となる会社を一本化。
[編集] 店舗
[編集] 営業中の店舗
- 名古屋店(1910年開店:名古屋市中区)
- 店舗面積86,758m²。旧呼称は「松坂屋本店」で、大丸松坂屋百貨店発足と同時に呼称が使われなくなったものの、現在も松坂屋の旗艦店としての役割を担っている。本館・南館・北館の3館で構成され、北館はかつて阪急東宝グループの映画館エンゼル東宝が入っていた共同ビルのため、現在でも店舗設置者に阪急阪神東宝グループが含まれる。2011年春から大規模改装工事が行われる予定である[8][9]。尚、本館・南館・北館の外観はそれぞれ異なっており、南館はさらに、先にオープンした久屋大通沿いと、増床による大津通沿い(新・南館)で外観が全く異なっている(新・南館の外観は本館・大津通沿いの外観に似せてデザインされた)。
- 安城市・半田市・小牧市・岐阜県各務原市にてギフトショップを運営している。
- 名古屋市内の主要百貨店として、名鉄百貨店・丸栄・名古屋三越・ジェイアール名古屋タカシマヤと共に4M1Tと並び称される。長年にわたって市内の百貨店で最も売上の多い店舗として君臨したが、2011年3月の月間売上高において初めてジェイアール名古屋タカシマヤに逆転を許した。
- 2011年9月14日、南館4階に「松坂屋写真室」がオープン。証明写真や出張撮影を含む各種記念写真を取り扱っている。
- 上野店(1768年開店:東京都台東区)
- 店舗面積35,213m²。本館と南館で構成される。「松坂屋」の屋号の由来となった店舗で、東京において江戸時代から現在まで同一の場所で続く百貨店は、この上野店と日本橋三越だけである。かつては千葉県市川市に分店(市川松坂屋)があったが、閉店後のギフトショップ開設を経て現在は「市川学生服プラザ」となっている。この他にも、閉店した横浜松坂屋の後継である「横浜営業所・学生服プラザ」での営業も行う。
- 銀座店(1924年開店、2013年閉店予定:東京都中央区)
- 店舗面積25,352m²。本館と別館で構成される。銀座地区で最初にオープンし、初めて土足入店を試みたデパートである。東京の名所として映画の舞台にもなった。「J.フロント リテイリング」は登記上はここに本社(本店)が置かれている(事務所は大丸東京店の近くの八重洲二丁目にある)。現在、周辺を含めた再開発の構想があり、グループとしても重要なプロジェクトの扱いを受けている。
- 2010年4月29日には、新規テナントとして、ファストファッションチェーン店FOREVER 21が、本館の1~5階に出店、続く同年10月22日の改装オープン時には、大丸各店で展開しているヤングレディスファッション売場「ufufu girls(うふふガールズ)」が、松坂屋での第一弾として、本館の1,2階に新設された。また同年11月20日には、本館6階に家電量販店のラオックスが開店した。
[編集] 京都仕入店
1745年、室町姉小路に開設。1749年、現在の新町六角通下ル(京都市中京区)に移転。この界隈が呉服の問屋街であることから、呉服を仕入れるために設けられた店舗であるといえる。現在の建物は1902年に建てられたもので、昔ながらのたたずまいを見ることが出来る。
染織デザインの研究所(京都事業所)となった後2010年8月末で閉鎖された。
[編集] 閉鎖した店舗
[編集] 名古屋駅店
1974年に名古屋市中村区に開店。店舗面積16,521m²。呼称は「ナゴヤエキ店」。地元では「名駅店」とも呼ばれた。JR名古屋駅に隣接して建設された名古屋ターミナルビルに入居していたが、JR東海による同ビル建替え構想の浮上に伴い、新ビルへの再出店に向けJR東海と交渉を続けたものの売り場面積などの条件が折り合わず、ターミナルビル解体工事の着手に合わせるため、2010年8月29日をもって名古屋駅前地区から撤退した。当初、新ビルが開業する2017年前後の経営環境によっては再出店の可能性も残すとしていたが、バブル崩壊後のセントラルタワーズの百貨店誘致問題をめぐりJR東海との間に軋轢が生じた経緯もあるためか、最終的に今回も両者が手を組むことはなかった。同時に、同地区への再出店もしないことを松坂屋側が正式に決定した。
なお、松坂屋の再出店計画の断念を受けて、松坂屋に代わる新ビルへの入居テナント(1階 - 14階の商業スペースの核テナント)としてジェイアール名古屋高島屋を出店(約3万2000平方メートルを増床)させる方針であることを2010年5月19日に発表したほか、のちに大型家電量販店ヨドバシカメラ(1万6000平方メートル)や、大型書店三省堂書店(3000平方メートル、セントラルタワーズから移転)なども誘致する方針を示した。飲食店に関しては、JRセントラルタワーズよりもカジュアルで専門性・話題性のある飲食店を配置することとした。
なお、当初新ビルへの入居構想が報道されていたヤマダ電機は、2011年11月に同じ名古屋駅地区内の名鉄百貨店ヤング館跡地へ都市型店舗「LABI」を出店している。
[編集] 横浜松坂屋
横浜松坂屋(よこはまマツザカヤ)は、1864年に茂木惣兵衛が横浜市中区弁天通に創業した「野澤屋呉服店」を前身とする。1910年には伊勢佐木町にデパートメントストアとして支店を設立。1921年に「株式会社野澤屋呉服店」となった。
創業時より松坂屋(伊藤家)、タキヒヨー(滝家)の支援でスタートした。その関係で戦後、1968年に松坂屋と共同配送を開始。商品券の交換など、元来松坂屋とは友好関係を築いていた。
その後、横浜西口の繁栄にともなう伊勢佐木町の地盤沈下で業績は年々低迷。遂にグリーンメーラー(仕手屋)として知られた横井英樹が株式買い占めを行い、乗っ取り騒動となる。
この時松坂屋がホワイトナイトとして防戦買いに協力した結果、松坂屋が筆頭株主となり、1974年に店名を「ノザワ松坂屋」と改称。松坂屋グループに入り、この時伝統の「入り九」マークは外され、松坂屋の「いとう丸」マークに代わった。
1977年、松屋横浜店の撤退に伴い、松屋の土地建物を買収して西館として運営し、野澤屋以来の店舗(本館)との間に連絡橋を架設。これを機に社名及び店名を「株式会社横浜松坂屋」とし、2003年には松坂屋の完全子会社となった。
プロ野球・横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズを長年応援し、1998年の日本シリーズ優勝時には大型のクジラの模型が飾られた。また、店頭では異例ともいえる「神奈川新聞」優勝号外の再発行・再配布が行われた。
フォークソングデュオの「ゆず」が無名時代、長年店頭で路上ライブを行っていた。2003年の第54回NHK紅白歌合戦に出場した時は、横浜松坂屋本館前より生中継を行った。
2004年本館建物が横浜市指定の横浜歴史的建造物に認定。エスカレーターの装飾やエレベーターのアナログ時計式階数表示機、食堂の窓などが昔のまま残され、横浜に唯一現存した戦前に建設されたデパート建築であったものの、建物の老朽化が著しくなったのに加え、売り上げの減少が続いていたことから、2008年10月26日をもって閉店(百貨店事業の終了)、解体。跡地には、新たな商業施設カトレヤプラザ伊勢佐木として、2012年2月8日開業した[10]。
JRAエクセル伊勢佐木(場外勝馬投票券発売所)に賃貸している西館は営業を継続[11]。なお2009年1月1日をもって「株式会社横浜松坂屋」は松坂屋本体に吸収合併された。
昭和のはじめ頃には自前の送迎バスを桜木町駅前から運行していたことがあった。
戦後、野澤屋のシンボルフラワーにはチューリップが用いられ、包装紙等にもチューリップをモチーフにした意匠が用いられた。
[編集] フロアガイド
- 8階(伊勢佐木稲荷)
- 7階(お好み食堂・お得意様サロン)屋上(緑の広場)
- 6階(女性のためのフロア)
- 5階(趣味と生活のためのフロア・催事場)歯科診療所
- 4階(紳士服・紳士用品・呉服・寝具・家庭用品)簡易郵便局
- 3階(プレタポルテ・宝飾品・時計)
- 2階(婦人カジュアル・婦人洋品・ベビーウエア)
- 1階(婦人靴・化粧品・味の名店街)
- B1階(新鮮イセザキ市場)
[編集] 備考
- トイレは2~7階に設置(3階は女性専用のみ。6階に身障者用あり)。
- 本館と西館を結ぶ連絡橋は西館閉鎖後も残されていたが、後年撤去された。
- 客用エレベーターは4基有るものの1基は休止。残り3基のうち2基が地階~7階まで運行していた(8階屋上にはエレベーターは無く、機器室となっている)。
- 2009年の開国博Y150期間中には、1階玄関付近の一部が観光案内所として使用された。
[編集] 大阪店 (天満橋店)
1966年、京阪天満橋駅の地下化に伴って建設された駅ビルに、ゑびす屋以来の日本橋(現・高島屋東別館のビル)から移転してきた。1996年、長堀鶴見緑地線の京橋~心斎橋間の開通により、多くの人が心斎橋に流れた。これを受け、若者向けに改装し増客を図ろうという方針がとられたが、心斎橋や梅田、隣の京橋に比べて場所としての魅力が少なく、若者客の獲得は失敗に終わったとされる。
立地面では「桜の通り抜け」でも有名な大川沿いに位置し、ガラス張りの休憩室や飲食店からの展望を売りとしていた。都心から外れた落ち着きの有る店という評判も有ったものの、いわゆる展望スポットとしての集客力には欠けた。総面積は市内の主要百貨店と比べ狭く、また川沿いの立地が災いし、売場の増床も事実上不可能であった。
そのような厳しい状況のなか営業を継続してきたが、結局天満橋へ移転後ただの一度も黒字化を果たせず、2004年5月5日で閉店した。
閉店後の跡地は、京阪電気鉄道の所有物ということもあり、京阪主導で大規模な改装工事を行い、著しく老朽化した建物外観なども一新され2005年5月27日に「京阪シティモール」としてグランドオープンを果たした。
[編集] その他の日本国内旧店舗
※○○松坂屋と称された店舗は、同名の子会社による運営であった。
- 札幌松坂屋(すすきの) -開業当初から大幅な赤字が続いた為イトーヨーカ堂と提携して「ヨークマツザカヤ」 - ロビンソン百貨店札幌店となったが、2009年1月18日で閉店。
- 山形松坂屋(山形市七日町)(2000年閉店) - 現:「ナナビーンズ」
- 市川店(千葉県市川市) - 正式には上野店市川分店。現:オリンピック市川店。閉店後ギフトショップを設置するも、現在は学生服部門のみの営業となっている。
- 岡崎店(1971年-2010年1月31日、岡崎市) - 康生地区市街地再開発の一角へ進出
- 四日市店(三重県四日市市) - 現:ララスクエア四日市(核店舗はアピタ四日市店。松坂屋閉店後一時は空きビルとなっていた。)
- くずは店(大阪府枚方市) - くずはモール内、現:くずはモール西館。土地主は京阪電気鉄道。
- せんげん台ギフトショップ(埼玉県越谷市) - 上野店の運営。
- 清水ギフトショップ(静岡市清水区) - 静岡店の運営。
- 豊橋ギフトショップ(愛知県豊橋市) - 名古屋店の運営。
- 多治見ギフトショップ(岐阜県多治見市 - 名古屋店の運営。
- 大垣ギフトショップ(岐阜県大垣市) - 名古屋店の運営。
- 高山ギフトショップ(岐阜県高山市) - 名古屋店の運営。
[編集] 日本国外旧店舗
[編集] 商品券での支払い
全国百貨店共通商品券での買い物については
- などの現存店舗において利用する場合、発行済み分を利用する場合と同様に、相互に、現在でも提携が行われている。
- 当社の一部の売り場ではオーナーの判断その他で上記のものや旧新居浜大丸商品券の取り扱いをしていない場合がある。誤りということになるが、実際には利用数が少なく黙認されている状態である。
一方
- 各社との商品券乗り入れ提携は、かつて大丸が発行していたショッピングボンドなどが、引き続き対象となる。
- ※松坂屋「商品券」500円券、旧春日部マツザカヤ商品券を含む。
[編集] 脚注
- ^ 「ハロー名古屋」の語呂合わせでもある。
- ^ この曲は、かってCBCラジオの提供番組「カトレヤミュージック」(放送終了)でインストゥルメンタルで聴くことができた。関東でもかつて日本テレビの目方でドーン!、NNN昼のニュース、NNNライブオンネットワーク、NNNニュースプラス1、皇室日記に提供していて、これらの番組でも聴くことができた。
- ^ アカシアの花白くいま開く松坂屋というキャッチフレーズのもと、道内一の歓楽街すすきのに出店し、すすきのを夜の街から昼の街へと変えるとして、大きな話題となった。
- ^ 「元松坂屋社長」『四国新聞社』2007年12月12日号[1]
- ^ 「創業家を棚上げした剛腕」総合情報誌 『ザ・ファクタ』2008年2月号[2]
- ^ 「松坂屋元社長、創業家排除」『四国新聞社』2007年12月12日号[3]
- ^ 「松坂屋元社長、創業家排除」『47NEWS』2007年12月12日号[4]
- ^ 2009年12月23日 日本経済新聞 中部経済面(大規模改装について記載)
- ^ 2010年1月14日 中日新聞(同上)
- ^ ヨコハマ経済新聞(2012年2月8日閲覧)松坂屋跡の新商業施設「カトレヤプラザ伊勢佐木」開店で長蛇の列
- ^ 横浜松坂屋の百貨店事業終了について (PDF)
[編集] 関連項目
- 吉沢検校- 幕末、名古屋京都で活躍した音楽家、作曲家。安政元年、松坂屋当主伊藤治朗左右衛門の婚礼に際し、祝儀曲「花の縁」を作曲。
- 松坂屋ストア
- 0時半です松坂屋ですカトレヤミュージックです
- ゆず
- 矢場町駅
- 東京フィルハーモニー交響楽団 - いとう呉服店少年音楽隊がルーツ。
- 西郷隆盛 - 上野店で、彰義隊攻略の軍議を行ったとの説がある。
- 土方歳三 - 11歳の時に上野店で丁稚奉公をしていたという説がある。
- デイリーヤマザキ - ギフトで連携している。
- カトレヤ - 松坂屋のイメージ花。
- さくらパンダ - 元は上野店のマスコットキャラクター。大丸松坂屋百貨店の発足後は、大丸京都店のマスコットであった「デッチーくん」とともに、同社のイメージキャラクターになった。また、同百貨店の提携クレジットカードのデザインにも採用されている。
- 健太君の探偵 - 1957年から1962年まで中部日本放送(CBCテレビ)で放送されていた、松坂屋提供の子供向け推理探偵番組。
[編集] 外部リンク
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