京福電気鉄道

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京福電気鉄道株式会社
Keifuku Electric Railroad Co., Ltd.
京福電鉄本社.jpg
種類 株式会社
市場情報
大証2部 9049
略称 嵐電、京福、京福電車
本社所在地 日本の旗 日本
〒604-8811
京都府京都市中京区壬生賀陽御所町3番地の20
設立 1942年3月2日
業種 陸運業
事業内容 旅客鉄道事業 他
代表者 代表取締役会長 上田成之助
代表取締役社長 西田寛
資本金 10億円
売上高 連結:115億54百万円
単独:23億37百万円
純資産 連結:35億69百万円
単独:22億40百万円
総資産 連結:163億18百万円
単独:119億71百万円
従業員数 連結:1,071人
単独:100人
決算期 3月末日
主要株主 京阪電気鉄道 42.89%
財務省(財務大臣) 8.13%
外部リンク www.keifuku.co.jp/
特記事項:各種経営指標は2010年3月期
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京福電気鉄道株式会社(けいふくでんきてつどう)は、京都市内で軌道事業(路面電車)とケーブルカー及びロープウェイを運営している会社である。大証二部に上場している。

目次

[編集] 概要

戦時の配電統制令により、京都電燈が解散するのに伴い、同社の鉄軌道事業を引き継ぐため1942年に設立された(詳細後述)。

京都市内で軌道事業として「嵐山線」と総称される嵐山本線北野線を、鉄道事業として比叡山に登る鋼索線(叡山ケーブル)・叡山ロープウェイを運営している。

かつては上記のほかに同市内で「叡山線」と総称される叡山本線鞍馬線の2つの鉄道路線も運営し、福井県内でも福井支社を置いて鉄道・バス事業を行っていた。叡山本線・鞍馬線は当時経営状態が悪化していたことから1986年叡山電鉄に分離譲渡しており、福井支社ではバス事業を2000年に子会社の京福バスに全面的に譲渡し、鉄道事業も2003年に鉄道施設をえちぜん鉄道に譲渡して撤退したため、以後は京都市内での軌道事業と福井県での小規模な不動産業を残すのみとなっている。嵐山本線・北野線は、嵐電(らんでん)と呼ばれ親しまれており、2007年3月からそれが公式愛称となった。

京福の社名は、鉄道事業を行っていた京都と福井それぞれの頭文字を採ったものだが、京都と福井を結ぶ鉄道計画があったわけではない。京都は祇園を始め夜間の電力需要が多く、福井は逆に織物工場が稼動する昼間の電力需要が多いため、互いの電力を融通するために前身の京都電燈が建設した「京福送電線」が語源となっている[1]

当初は阪神電気鉄道と関係が深く、車両や技術面の共通性も見られたが、1960年頃までは観光開発地域の競合する京阪電気鉄道と激しく争い、のちに資本を受け入れ、京阪グループに入っている(2010年3月31日現在で京阪電気鉄道が42.89%の株式を保有する親会社)。また、大株主として財務省(財務大臣)が8.13%の株式を保有しているが、これは以前の個人大株主の死去により、相続税物納として同社株式が納められたことによるものである。このため会社組織上は第三セクターに分類されるが、経営参加を目的とした所有でないため、通常は私企業とされ、第三セクター鉄道としても扱われることはほとんどない。

福井県内では系列企業の三国観光産業(福井県坂井市)が三国競艇場の施設を保有しているほか、越前松島水族館の運営も行っている。

嵐山本線・北野線の利用者数のピークは1965年頃の1483万人であった。近年は、2000年度に約720万人となった後は年間600万人台で推移したが、2008年度は地下鉄太秦天神川駅開業の効果により702万人となった。しかし、2009年度は景気低迷や新型インフルエンザの影響などで、676万人に減少した[2]

[編集] 歴史

配電統制令により、京都電燈が配電事業を関西配電(関西電力の前身)・北陸配電(北陸電力の前身)へ、発送電事業を日本発送電へ譲渡し解散するのに伴い、同社の京都(嵐山線・北野線・叡山線)と福井(越前電気鉄道線)での鉄軌道事業を引き継ぐため1942年に設立され、同年中に傍系の鞍馬電気鉄道三国芦原電鉄が合流した。

1944年には永平寺鉄道・丸岡鉄道も合併し、1950年頃には京都と福井で合わせて120.9kmもの路線網を擁することになったが、車社会の進展に伴い1960年代から1980年代にかけて、福井支社管内の不採算路線・区間の廃止や、叡山本線・鞍馬線を叡山電鉄として分社化するなどの合理化を進めている。

京福が近年まで保守的な経営をとっていた表れの一つとして、京都本社では1980年代まで詰襟の制服を、集電装置に嵐山線は1975年まで集電部が回転するトロリーポールを、叡山線も1978年までポールを(途中からU字状のスライダーポールに交換)使用していた。いずれも日本の鉄軌道事業者としては最後まで使用していたものである[3]

2000年12月と2001年6月、福井の越前本線で僅か半年間に2度の電車同士の正面衝突事故を起こし(京福電気鉄道越前本線列車衝突事故を参照)、国土交通省から福井地区各線の列車運行停止を命ぜられた。京福電気鉄道は事業継続が困難になったとして、2003年に福井地区の鉄道事業(越前本線・三国芦原線)を廃止して撤退。施設をえちぜん鉄道へ譲渡した。ただし、福井地区の鉄道事業は1990年代には既に赤字であり、事故前から全線廃止を含めた検討をしていた。

越前本線からの撤退で京福は経営不安が表面化したため、2002年に保有する叡山電鉄の株式をすべて京阪電気鉄道に売却している(親会社京阪による救済策とされる)。これにより、叡山電鉄は京阪電気鉄道の完全子会社となった。

なお京福においては、過去にも1964年1月には当時の鞍馬線で正面衝突炎上事故を起こし、わずかその7か月後の同年8月には、越前本線発坂付近で下り旅客列車が貨物列車に追突する事故を起こしている。またバス部門においても、1985年10月に2階建て観光バスが中央自動車道においてガードレールを突き破り県道に転落する事故を起こし、乗客3人死亡、57人が重傷、運転していた乗務員は、その場で自殺するという事故を起こしている。

京福の事業はいずれも小規模でスケールメリットを享受できないことから収益性が低く、歴史的に経営基盤が脆弱になりがちである。このため、十分に安全投資ができず安全管理がおろそかになったのではないか、との指摘がある。

[編集] 沿革

  • 1942年(昭和17年)3月2日 京福電気鉄道株式会社設立。京都電燈の鉄軌道事業を継承。
  • 1942年(昭和17年)8月1日 鞍馬電気鉄道・三国芦原電鉄を合併。鞍馬線、三国芦原線とする。
  • 1944年(昭和19年)12月1日 永平寺鉄道・丸岡鉄道を合併。永平寺線、丸岡線とする。
  • 1946年(昭和21年)8月7日 京都バス株式会社を全額出資の子会社として設立、京都地区のバス事業子会社を統合。
  • 1948年(昭和23年)11月26日 福井県乗合自動車の乗合バスの事業の一部を譲受。
  • 1952年(昭和27年)11月12日 子会社・三国競艇施設(現・三国観光産業)設立。
  • 1956年(昭和31年)7月5日 比叡山ロープウェー営業開始。
  • 1959年(昭和34年)4月16日 比叡山頂遊園営業開始。
  • 1960年(昭和35年)10月20日 福井支社でタクシー事業営業開始。
  • 1962年(昭和37年)4月1日 京福タクシーにタクシー事業を譲渡。
  • 1963年(昭和38年)8月1日 福井県乗合自動車を合併し、福井地区のバス事業を直営化。
  • 1964年(昭和39年)10月2日 八瀬遊園営業開始。
  • 1964年(昭和39年)12月24日 比叡山人工スキー場営業開始。
  • 1968年(昭和43年)7月11日 丸岡線を廃止。
  • 1975年(昭和50年)12月15日 嵐山本線・北野線の集電装置をホイール式ポールからZパンタに変更。
  • 1978年(昭和53年)10月19日 叡山本線・鞍馬線のトロリーポール集電をパンタグラフ集電化。
  • 1985年(昭和60年)7月6日 叡山電鉄株式会社を全額出資の子会社として設立。
  • 1986年(昭和61年)4月1日 叡山本線・鞍馬線を叡山電鉄に分離譲渡。
  • 2000年(平成12年)1月24日 比叡山頂遊園が閉園。
  • 2000年(平成12年)4月1日 福井地区で行っていた直営バス事業を子会社の丸岡バスに譲渡。丸岡バスは京福バスに改称。
  • 2000年(平成12年)12月17日 越前本線志比堺 - 東古市(現在の永平寺口)間で正面衝突事故。運転士が死亡。
  • 2001年(平成13年)6月24日 越前本線保田 - 発坂間で正面衝突事故。翌25日から福井地区各線の列車運行停止。
  • 2001年(平成13年)11月30日 八瀬遊園「森のゆうえんち」閉園。
  • 2002年(平成14年)7月1日 嵐山本線・北野線にスルッとKANSAI導入、均一運賃(大人200円)となる。
  • 2002年(平成14年)9月27日 比叡山人工スキー場を廃業。
  • 2002年(平成14年)10月21日 永平寺線を廃止。
  • 2003年(平成15年)2月1日 福井地区の鉄道事業を受け持つ福井鉄道部を廃止。施設をえちぜん鉄道へ譲渡。
  • 2005年(平成17年)5月31日 八瀬かまぶろ「喜鶴亭」廃業。
  • 2007年(平成19年)3月19日 嵐山本線・北野線で駅番号制度を開始、7駅の駅名を変更。ラインカラーを正式に導入(なお、駅番号とラインカラーはそれ以前から北野線の一部の駅で試用されていた)。
  • 2008年(平成20年)4月1日 四条大宮・嵐山・帷子ノ辻・北野白梅町の各駅で発車メロディ導入。また、書家吉川壽一の筆による「嵐電」の墨書のロゴ(嵐電天神川駅の写真を参照)を使用開始。
  • 2009年(平成21年)10月14日 神奈川県の江ノ島電鉄と姉妹提携締結。嵐山駅では調印式が行われ、締結を記念して江ノ電カラーに塗飾された電車「江ノ電号」を運行。車内には、鎌倉の神社仏閣や湘南の写真などが展示されていた。なお、江ノ電では嵐電カラーに塗飾した電車「嵐電号」が走る。
  • 2009年(平成21年)8月 兵庫県養父市関宮温泉「万灯(まんど)の湯」を指定管理者として運営。
  • 2010年(平成22年)3月25日 嵐山電車軌道として開業した嵐山本線が開業100周年。これを機会に車体色を伝統色である「京紫」に順次変更することを発表。まずモボ613が塗色を変更した。
  • 2011年(平成23年)4月1日 嵐山本線・北野線にPiTaPaと自社専用の「らんでんカード」を導入。
  • 2011年(平成23年)5月18日 ヤマト運輸と提携し、嵐山駅・嵐電嵯峨駅周辺の宅急便荷物を京福電車と自転車で運送開始[4]

[編集] 路線

路線図
四条大宮駅

各路線の運行形態、駅の一覧は以下の各項目を参照。

[編集] 現有路線

線名のあとのローマ字は駅番号の線別ローマ字記号とラインカラー。京福電鉄の公式サイトなどでは、嵐山本線と北野線とを併せて、嵐山線と称されている。

[編集] 譲渡・廃止路線

[編集] 車両

合併などの経緯により路線同士が離れていたり、異なる路線規格を複数持つ鉄道事業体は他にも存在するが、京福の三線は鉄道技術面での統一がまったく行われず(電動貨車嵐電モト1001形・叡電デト1001形のみ共通車体)、たとえば300形電車をとっても、嵐山線はモボ301形・叡山線はデオ300形・福井支社はホデハ301形(その後モハ・クハに変更してえちぜん鉄道になってからはMC・TC)と車両番号が重複するどころか、形式記号までバラバラであった。嵐山線のボや福井支社のホはボギー車を意味するが、この形式記号を使っている鉄道会社は、現在ごくわずかである。

嵐山線と鋼索線の現有車はすべて阪神電鉄系の武庫川車両工業製であり、分社された叡山線も現有車は武庫川車両製で統一されており、福井支社も阪神電鉄からの移籍車両を多く受け入れていた。2002年の武庫川車両工業解散後(後身として阪神車両メンテナンスを設立)は新車が導入されていない。モボ101形は更新時の車体組立を担当した。

塗装については全線において、上半分が薄茶色・下半分が緑色となっていた。1970年代に京福バスが白地・茶帯塗装(京都バスも同一塗装)を採用すると、福井支社でも比較的すぐこれを採用。尾灯部分も茶色に塗ったり、同じ形式でも頭部を茶色に塗った車両と白に塗った車両が混在するなどの特徴があった。叡山線でも叡電分離後の新車に白地・茶帯塗装が採用されたが、現在は叡電・えちぜんとも全く新しい塗装が採用され、この塗装の電車は消滅した。嵐電においても2010年の開業100周年を機に、塗色が「京紫」に変更されることになり、2011年2月現在で塗色変更車が6両まで拡大されており、従来の塗色車は徐々にその数を減らしている。

[編集] 嵐山線

車体デザインは大きく変更しながらも、全車が同一性能を持つという車両設計の元、1990年代後半になるまでモボ101形の主要機器類を踏襲した自動加速制御の吊掛け駆動車を導入してきた。これは鉄道事業者としては異例である。だが、最新のモボ2001形WN平行カルダン駆動方式VVVFインバータ制御を採用するなど、最新技術を多数採用している。ただ、そのためにモボ2001形は他形式との併結ができず、2両編成になる場合は2001号と2002号の組み合わせに限定されている。方向幕はモボ501形以降に搭載され、それまでの車両には運行標識を掲出して運行している。方向幕はモボ501形とモボ611形以降とでは変更されている(モボ501形には「ワンマン」の表示が入る)。

[編集] 現有車両

嵐電天神川駅に停車するモボ611型612号車
京紫の新塗装となったモボ611型613号車
[編集] 電車

製造順に配列

[編集] 貨車

[編集] 過去の車両

[編集] 鋼索線

[編集] 叡山線

叡山線(現在は叡山電鉄デオ300形。嵐山線と比べて車両のサイズは異なるが、塗装が嵐山線旧塗装と同じであることがわかる。


[編集] 福井支社

えちぜん鉄道に継承されたものは「えちぜん鉄道#車両」を参照。

[編集] 電車

福井駅に並ぶモハ1001形電車(左)とモハ251形(1991年3月撮影)
[編集] 京福電気鉄道設立以後入線

形式称号改定以後に在籍したもの。

  • モハ241形 241-244
    • 元は京福叡山線(現、叡山電鉄デナ11形であるホクハ31形(初代)の車体新造車。244は1989年、241 - 243は1991年廃車。
  • モハ251形 251-254
    • 火災焼失車の車体新造車。車体はモハ241形と同形。253(製造当初は251)・254は1991年廃車。251(製造当初は253)は2000年に正面衝突事故を起こし、それ以降は252も運用に就くことなく廃車された。
  • モハ261形 261-263
  • モハ271形 271-273
  • モハ281形 281-284
  • モハ3001形 3001-3008

形式称号改定以後に在籍したもの。

  • ホデハ301形 301-304
    • 東急デハ3250形。戦後、東急からの車両供出で割り当てられ入線。301・303が、前面貫通形の池上モハ100形(後の目蒲モハ120形)、302・304が、前面非貫通形の池上モハ200形(後の目蒲モハ130形)が前身。
  • ホクハ31形(2代) 31・32・33
    • ホサハ17形残存車の更新名目で、阪神861形の車体にTR14台車をはいた両運転台構造の制御車。運転台が福井方と越前大野・三国方で制御器が異なり、RPC/HLどちらの制御器を持った電車でも総括制御が可能であった。
  • ホサハ61形 61・62
[編集] 旧京都電燈所属
  • ホデハ201形
    • 1927年日本車両製。1949年車体更新。
  • ホデハ211形
    • 1928年日本車両製。
  • ホデハ221形
    • ホデハ211形の同形車。
  • ホデハ231形
  • ホサハ17形
    • 1919年梅鉢鉄工所製。ダブルルーフの木造付随車で、かつて電動車であった。叡山線の車両と似ているが新製時から越前線の所属である。ちなみに17は、元永平寺鉄道デハ103の電装解除車である。
[編集] 旧三国芦原電鉄所属
[編集] 旧永平寺鉄道所属
  • デハ1形
    • 1925年加藤車両製。永平寺鉄道開通時の車両で、全長9mの2軸単車であったが、1935年にボギー化された。
  • ホデハ101形
    • 同上。同じく開通時からの車両だが、全長も長く最初からボギー車であった。
  • ホデハ102形
    • 1929年日本車両製。ホデハ11形の同形車あるが、集電装置がボウコレクター(Yゲル)であった。後に103は電装解除されホサハ17となる。

[編集] 電気機関車

  • テキ7形 (7, 8) - 1919年梅鉢鉄工所製。テキ6形と同形の車体だが、搭載された制御器が異なる。
  • テキ501形 (501) - 元庄川水力電気専用鉄道庄水5。1980年廃車。
  • テキ511形 (511, 512) - 元国鉄EC40形。片側のボンネットを取り除きデッキが設置されていた。511は、1964年に国鉄が10000形に復元保存するため、ED2811(後のテキ531)と交換され、鉄道記念物として保存されている。512は、1970年廃車。
  • テキ531形 (531) - 元国鉄ED2811。前記テキ511との交換で入線した。1980年廃車。

[編集] 運賃

嵐山本線、北野線を通じて、大人200円、子供100円の全線均一運賃である(2002年7月1日改定)。かつては180円、210円、230円の区間制運賃であったが、スルッとKANSAI加盟に際し、下車時のみのカード処理で済ませられるよう、2002年7月1日から均一運賃となった。これに伴い、不要となった各車両の整理券発行機は撤去された。なお、定期運賃は距離制のままである。

乗車時の改札はなく、有人駅(四条大宮、帷子ノ辻、嵐山、北野白梅町)の職員配置時間帯は改札口で、有人駅の職員無配置時間帯および無人駅では運転士に、現金で運賃を支払うか乗車券類を提示する。

[編集] ICカード

相互利用関係(2011年11月11日現在、クリックで拡大)

2011年4月1日より、IC乗車カードPiTaPaと、自社専用の「らんでんカード」が導入された[5]

Pitapa相互利用先のICOCAも利用できる。ただし、京福電鉄の駅および車内ではチャージできないので、事前に他社局の駅などでチャージしておく必要がある。

らんでんカードの発売額は大人2,500円(デポジット500円を含む)で、2,200円分(11回分)利用できる。有人駅または車内で2,000円単位でチャージできる。チャージ額の有効期限は6か月で、その後は無効になる。ただし有効期限が切れる前に追加でチャージすれば、チャージ残額全体の有効期限が6か月後まで延長される。

[編集] スルッとKANSAIカード

2002年7月1日からスルッとKANSAI対応カードが利用できるようになった。京福電鉄では大人2,000円券のみ発売している。

カード処理機は路線バス車内に搭載されているものと同様のもので、有人駅改札口および車両内の運転台後ろに設置されている。券面印字は有人駅の処理機では「京福 四大宮」「京福 帷子辻」「京福 嵐山」「京福 白梅町」、車内処理機では「京福電鉄」となる。

[編集] 割引乗車券等

前記の4つの有人駅や嵐電嵯峨駅前の喫茶店・一部のホテルでは、500円(小児250円)で全線が1日乗り放題になる「嵐電1日フリーきっぷ」を発売している。1日に3回以上乗車すれば割安になるほか、付属のクーポンで沿線社寺や観光施設で拝観料・入場料の割り引きを受けたり、粗品の進呈を受けたりすることができる。予め購入して後日利用する場合のために、通用日はスクラッチ方式により利用者が決めることができる。

2008年からは、京都市営地下鉄の太秦天神川駅延伸、京福の嵐電天神川駅開業を受けて、同年3月28日から「京都嵐山・びわ湖大津1dayチケット」、「京都地下鉄・嵐電1dayチケット」が発売された。このうち、「京都地下鉄・嵐電1dayチケット」については、各駅の近くの商店等に委託されている回数券販売所でも販売されている。

2010年3月27日から1年間、嵐電開業100周年を記念して土・日曜日及び年末年始・お盆期間の小児運賃が無料となる「休日は家族みんなで出かけようキャンペーン」が実施された。

紙の回数券(11券片、発売額2,000円)は2011年4月1日をもって廃止された。

[編集] 妖怪電車

2011年運転された「妖怪電車」

2007年から乗客誘致策のひとつとして夏季に妖怪電車が運転されている。夕刻以降嵐山本線と北野線に臨時列車として運転される。通常の運賃で乗車できるが妖怪(の扮装をした乗客)は50円で乗車できる。なお、一般乗車券や各種フリー乗車券では乗車できず専用の乗車券を必要とする。

妖怪電車は車内照明にブラックライトを使用したり、様々な妖怪を紹介するポスターを掲示したり、車両に取り付けられている方向幕が青くなるようにされるなどムードの演出がされている。一般の仮装客のほか、地域のまちづくり組織も仮装して参加協力するなどイベントの盛り上げに一役買っている。2011年の運行時は、前面方向幕部分には「妖怪電車」の文字のシートが貼られ側面方向幕は「団体」表示の一方赤く照らされる演出がされた。

2010年までは、嵐山本線四条大宮 - 嵐山間を3往復後嵐山→北野白梅町、北野白梅町→帷子ノ辻→西院と北野線にも乗り入れ運行されていたが、2011年は、嵐山本線四条大宮 - 嵐山間2往復の運転にとどまった。


[編集] 関連商品

  • 2003年に、大手ゲームメーカータイトーの列車運転ゲーム『電車でGO! 旅情編』に、京福電鉄として登場している(路線は、嵐山本線、北野線)。
  • モデモよりモボ101形、モボ621形のNゲージ鉄道模型が発売されている。
  • 嵐山駅・帷子ノ辻駅・四条大宮駅・北野白梅町駅では京福電鉄のオリジナルグッズとして電車型ストラップ・文具セット・ポストカードなどが発売されている。
  • 2009年10月14日の江ノ島電鉄との姉妹提携を記念し記念乗車券(ペーパークラフト付き)やクリアファイルが発売された。
  • 2010年3月25日の嵐電開業100周年に際し缶バッジ付記念乗車券が発売された。京紫色の新塗装にちなんだ台紙である。

[編集] グループ企業

[編集] 脚注

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  1. ^ 『京福電気鉄道 88年回顧録 越前線写真帖』京福電気鉄道、2003年 p.29
  2. ^ 平成22年3月期 決算短信
  3. ^ なお保存鉄道遊覧鉄道も含めれば、明治村N電は現在も詰襟とトロリーポールを使用している
  4. ^ 路面電車を利用した低炭素型集配システム開始について - ヤマト運輸、2011年5月17日。
  5. ^ 4月1日より嵐電(京福電車)でPiTaPaがご利用いただけます - PiTaPa.com 2011年3月16日。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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