新宮城
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新宮城 (和歌山県) |
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| 通称 | 丹鶴城、沖見城 |
| 城郭構造 | 平山城 |
| 天守構造 | 3重5階(非現存) |
| 築城主 | 浅野忠吉 |
| 築城年 | 1618年 |
| 主な改修者 | 水野重仲、水野重上 |
| 主な城主 | 浅野氏、水野氏 |
| 廃城年 | 1873年 |
| 遺構 | 天守台、石垣、曲輪 |
| 指定文化財 | 国の史跡 |
| 位置 | 北緯33度43分47.70秒 東経135度59分32.90秒 |
新宮城(しんぐうじょう)は、和歌山県新宮市にあった城である。別名を丹鶴城(たんかくじょう)、もしくは沖見城(おきみじょう)ともいう。
目次 |
[編集] 概要
新宮城は、熊野川沿岸の田鶴原(たづはら)とも呼ばれるあたりの小高い丘(現在の和歌山県新宮市新宮字丹鶴)に築かれた平山城である。別名、丹鶴城は、もとこの地に、源為義と熊野別当の娘の子である丹鶴(たんかく)の住まいがあったとすることからである[1]。ちなみに、新宮城築城を計画した堀内氏の祖とされる新宮十郎行家(源頼朝の叔父)は丹鶴の弟である。現在の地に築城したのは浅野忠長である。大小の天守や鐘の丸、松の丸のある姿となったのは水野2代重良の頃である[1]。
堀内氏時代の城跡は、全龍寺の境内となり、寺の西側に水堀が残る。浅野・水野氏時代の城跡には石垣が残されている。1954年には新宮城本丸周辺は民有地となっていて当時旅館業を営んでいた業者が二の丸と本丸を結ぶケーブルカーを運行していたが、1980年に休止し、1990年代正式廃線となっている。現状は、本丸付近はその後公有地化され丹鶴公園となっており、民有地時代のケーブルカーの停留所跡等もある。地下には紀勢本線のトンネルが通されている。また東側の一部は天理教南海大教会の敷地の一部になっている。現在、新宮市では天守の再建も視野に入れた整備計画が進行中である。
[編集] 歴史
天正年間に、堀内氏によって築城が計画されたが、関ヶ原の戦い(大坂の役とも)で豊臣方についたため工事は着手されず、代わって、1618年、紀州藩主浅野長晟の重臣・浅野忠吉が、場所を熊野川の沿岸に移して再築。浅野氏が備後三原(現在の広島県三原市)へ転封し、徳川頼宣が紀州藩主として入国して以後、付家老・水野重仲が城主となり、水野氏の居城として明治維新を迎えた。
明治6年(1873年)に天守などの建物を払い下げ、取り壊す。旧材は寺院に転用された。現在は、本丸跡が丹鶴城公園として整備されている。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 紀伊新宮城絵図 — 文化遺産オンラインより
- 正保城絵図(国立公文書館デジタルアーカイブ)紀伊国新宮城之図あり