水前寺清子

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水前寺 清子
出生名 林田 民子(はやしだ たみこ)
別名 チータ
生誕 (1945-10-09) 1945年10月9日(78歳)
出身地 日本の旗 日本熊本県熊本市
学歴 洗足学園中学校・高等学校卒業
ジャンル 演歌歌謡曲
職業 歌手女優
担当楽器 歌唱
活動期間 1964年10月15日 -
レーベル 日本クラウン
(1964年 - 1980年、1989年 - )
RVC→BMGビクター
(1981年 - 1988年)
事務所 水清企画
公式サイト chita365.net

水前寺 清子(すいぜんじ きよこ、1945年10月9日 - )は、日本の女性歌手女優。本名は林田 民子(はやしだ たみこ)。身長158㎝、血液型O型。

人物

熊本県熊本市中央区子飼商店街で生まれ、小学校まで同地で過ごす[1]熊本市立碩台小学校洗足学園中学校・高等学校卒業。

芸名の水前寺は故郷・熊本市の水前寺成趣園から、清子は熊本ゆかりの戦国武将・加藤清正からそれぞれ取られている。愛称の「チータ」は、小柄だった水前寺を作詞家の星野哲郎が「ちいさなみちゃん」と呼んだことに由来する[2]。動物のチーターとは直接の関係はないが、着物の柄などにチーターの衣裳を用いることがある。過去には長年にわたってサンミュージックプロダクションに所属していた。

見得を切りながらの歌唱は「んーにゃっ!」という語尾ひねりによって物まねされることが多いが、本人の癖はそれほど強くない。しかし、自らの物まねを意識してあえてひねることもある。

15歳時に出場した「コロムビア歌謡コンクール」に出場し2位になる。そのときに星野哲郎が水前寺に声を掛けたことが後のデビューのきっかけになった。その後、歌謡コンクールを主催したコロムビアで11回もレコーディングをしたものの、レコードデビューすることはできなかった[3]。そこで、水前寺はクラウンレコードに移籍し、畠山みどりが歌う予定だった「袴を履いた渡り鳥」を畠山のキーのままで「涙を抱いた渡り鳥」とタイトルを変更した上で念願のデビューを果たした[4]

1970年からは民放ドラマ史上最高の視聴率56.3%を記録したTBSのドラマ「ありがとう」に主演し、山岡久乃演じる母と娘(水前寺)の日常生活、石坂浩二との恋を演じた。プロデューサー石井ふく子はこのドラマを構想以来、水前寺がTBSに歌の仕事に来るたびに局内の女子トイレで待ち構えて口説き、歌手しかやらないという水前寺をついに出演させた[5]。しかし水前寺が歌手活動に専念したいとの意向で第3シリーズをもって降板し、第4シリーズは主演が佐良直美に交代となった。

1994年にサントリーフーズより清涼飲料水C.C.レモン」が発売となり、そのCMソング「C.C.レモン」(商品と同名タイトル)を歌ったことで話題になる。

プロサッカークラブのロアッソ熊本応援イメージソング 「HIKARI 〜輝く未来へ〜」を歌った縁から、ロアッソのファンであることを自ら公言している。

NHK紅白歌合戦」には1965年(16回)から1986年(37回)まで22回連続出場していた。その内紅組の司会を4回務めたことがあり、1960年代後半 - 1980年代にかけて、紅組内ではムードメーカー的存在であることが多かった。トリも1983年(第34回)に1度務めている。全盛を極めていた時代の紅白の象徴的な歌手であり、様々なエピソードが残されている(詳細は後述)。

また、健康日本21推進ウオーキング実行委員長、社団法人日本ウオーキング協会理事の役職も務めており、本業よりもそうした方面での活動も多くなっている。

2011年6月14日に広島で行ったコンサートでステージ中央の階段から落ち、左ひざをはく離骨折する大けがを負った。当日はそのまま公演を続けたが、翌15日に病院で診察を受けたところ、左ひざの骨折だけでなく、じん帯損傷も判明。担当医には「治るまでかなりの時間がかかる。絶対安静」と言われたという。自身のブログでは「大丈夫です。何とかいつものように、あちこちと動けるように努力してま〜す。あまり心配しないでください」とつづっている。

これまでに制作した衣装や着物などを自宅内に全て保管しており、ごみ屋敷状態になってると、2015年10月5日放送の『私の何がイケないの?』で紹介されて、捨てずに整理する方法を提案されてから総勢13名が作業にあたり綺麗に片付いた[6]

略歴

  • 前史 - 水前寺の父、林田壽は熊本市内で化粧品・洋品店を経営していており、家政婦を何人も雇うほど裕福な環境であった。歌が得意で、のど自慢やコンテストに出場していた民子をいつしか「歌手にしてやりたい」と思った父は、日本舞踊やバイオリンなどの習い事をさせた。しかし、1957年の冬、過大投資が祟って事業は破綻。一家は夜逃げ同然に「あさかぜ」で上京。八畳一間の部屋で親子だけの生活を始める。父は精肉店で働き、母は内職で家計を支えた。裕福だった熊本時代から一変し、生活に余裕はなかったが、父は娘を歌手にする夢を捨てずに音楽を続けさせた[7]。民子はその期待に応えようと努力を惜しまなかった。
  • 1960年 コロムビア歌謡コンクールに出場。2位入賞。作詞家の星野哲郎にスカウトされる。
  • 1964年10月15日 『涙を抱いた渡り鳥』でデビュー。
  • 1965年 NHK紅白歌合戦に初出場。以降、1986年まで22回連続出場。
  • 1968年三百六十五歩のマーチ』が100万枚の大ヒット。翌1969年3月開催の第41回選抜高等学校野球大会入場行進曲にも採用となる。
  • 1969年 『真実一路のマーチ』で第11回日本レコード大賞大衆賞受賞。
  • 1970年 ドラマ『ありがとう』(TBS)主演。
  • 1981年 『有明けの海』で古賀政男記念音楽大賞、日本作詩大賞に入賞。
  • 1985年 つくば万博での公演に音楽家の小松明がバックバンド兼指揮者として参加。まもなく交際を始める。
  • 1989年 小松との結婚を発表。同年2月28日、水前寺公園の中の出水神社で挙式。小松が水前寺の個人事務所の社長に就任。
  • 2000年 熊本市に老人ケアハウス「水清庵」を設立。また「水前寺清子一座」を旗揚げ、全国公演。
  • 2005年 期間限定再集結聖飢魔IIのミサにゲスト出演し、聖飢魔IIの演奏で『三百六十五歩のマーチ』をデーモン閣下と歌唱。
  • 2017年 第1回ももいろ歌合戦に出場。
  • 2018年 自身が司会を務める人生は三百六十五歩のマーチが放送開始。水前寺の55周年をお祝いするという形で親交のあるゲストが毎週出演し、水前寺との思い出を語るという集大成の番組である。
  • 2019年 旭日小綬章受章[8]
  • デビュー前、芸名は「東京マリ」にしようと自分で考えていた(もともとポップス歌手志望だった)[要出典]が、演歌歌手としてデビューすることになり、恩師である星野哲郎やレコード会社ディレクターの提案によって芸名が「水前寺清子」になった。また、星野の葬儀では弔辞を読み上げた。
  • 2020年 デビュー55周年を祝いBSフジで司会を務める人生は三百六十五歩のマーチの中でチータ55!と副題をつけたタイトルで2時間の特番が放送された。それを祝いゲストにデビュー当初から親交のある歌手の美川憲一山田太郎が出演。故郷である熊本ロケも行われた。
  • 2020年12月4日、離婚していたことが報じられた[9]。小松は事務所からも退き、水前寺が社長に就任したことも明らかになった[7]

NHK紅白歌合戦でのエピソード

水前寺は1960年代半ばから1980年代まで紅組トップバッター2回、紅組トリ1回、紅組司会4回、1981年よりチームリーダー制が敷かれてからは紅組リーダー4回(1983年は盟友である同期デビューの都はるみにその座を禅譲している)をそれぞれ務めた。

  • 1968年、第19回紅白で初の紅組司会を務める。冒頭の選手宣誓で「昭和43年」を「昭和33年」と言い間違えた。またこの頃は、着流しやパンツルックなどボーイッシュな衣装でテレビに出ることが多かったが、芸者姿で司会に挑んだ。水前寺は「当日ドキドキで精神安定剤を飲んだらスーッと気持ちが落ち着いてきたから、『こりゃいいや』と思ってもう1錠飲んだらヘロヘロになっちゃって。選手宣誓の時、昭和43年を34年と言っちゃった」と話している。
  • 1971年、2回目の紅組司会を務めたが、紅組トリおよび大トリとなった美空ひばりの曲紹介を拒否したと噂されたことで、後日謝罪の記者会見を行い波紋を呼んだが、実際は、大トリだけは宮田輝が司会をするということが決まっていた(フジテレビ系「ダウンタウンなう」に出演時[いつ?]の発言より)。
  • 翌1972年の紅組司会は佐良直美に変更となるも、その翌1973年は水前寺が同年3回目の紅白司会を務めている。
  • 1979年、4回目の司会を務めた紅白では、歌手としてよりも司会の方に重点を置く意思で司会に臨んだ。特に初出場で緊張の極度にいる歌手に対しては激励の言葉をかけ続けたり、各歌手のいい部分を最大限すくい上げようと司会者面談をいつも以上に念入りに行うなど努力を惜しまなかった。
  • 1982年の入場行進は、それまでの五十音順での行進という鉄則を破って、意表をつく組み合わせでの入場となった。この時に同期の都はるみと共に入場した相手は当時のトップアイドル、近藤真彦田原俊彦だった。
  • 1983年、「あさくさ物語」で出場19回目にして初の紅組トリを務める。しかしこの年、紅白の直前に最大の理解者であった父が死去。紅組トリでは終始涙を浮かべて歌い上げた。紅組司会の黒柳徹子は「天国のお父ちゃん、聞こえますか?」と曲紹介時に述べた(黒柳の言葉を聞いた水前寺は父親に届いたと思ったという)。なお、水前寺は11月20日の時点で紅組トリ担当を知らされていたが、関係者や親族にも明かしてはならないと、NHKとの取り決めにより、病床の父にもその事実を告げることができなかった。それが心残りとなっていると言い、この事実を父親に告げていれば、紅白本番の時まで父親は生きていてくれたのかもと思っていると話す[10]。そして同年から1985年まで設けられた個人賞「銀杯」を獲得している(優勝チームの個人賞は「金杯」で、白組の沢田研二が獲得)。
  • 1987年、紅白改革の嵐に巻き込まれる形で、出場22回にして落選という挫折を味わう。その際、番組側から水前寺に対し「辞退した」と発表することを許可されたが、「(落選という)結果を正面から受け入れようと思いました。辞退は逃げだと思います」とこれを拒み落選をそのまま公表した。1990年代に入り、紅白でも懐メロが本格的に解禁されて再出場の機会は幾度となくあるものの、落選後は1度も出場できていない。紅白が50回を迎えた時のインタビューでは「今ではテレビで見る立場になってしまいましたが、お声がかかったり時代の流れに乗ればいつでも出るし待ってます」とコメントしている[11]。ただし、紅白の事前番組(『あなたが選ぶ思い出の紅白・感動の紅白』など)にはコロッケらとほぼ毎年出演している。また、2009年11月に読売テレビ制作・日本テレビ系列『情報ライブ ミヤネ屋』にゲスト出演した際、紅白に初出場を果たした歌手が記者会見で「親孝行になった」と発言する姿が印象的だと話し、紅白を「若い歌手に是非出てほしい番組」と推奨していた。
  • 自身のブログでは、「紅白はヒット曲が出ない限りは出場しない。今は半卒業状態」だと綴っていた[いつ?]

その他のエピソード

  • ペプシコーラCMソングに起用された「1+1の音頭」は、1970年11月までに26万枚を売り上げ[12]盆踊りの定番曲の一つとしても知られる[13]。水前寺が宣伝以外でこの曲を歌うのは2015年11月7日にトロント日系文化会館で開催されたチャリティーコンサート[14]が初めてだったという[15]
  • TBSのドラマ「ありがとう」に出演を拒んだ理由として、「私は歌手であり、女優をやったら歌が売れなくなってしまうから」と本人が語っている。しかし、石井ふく子の熱心な説得により出演し、結果的に高視聴率を獲得し、シリーズ化されるほどの人気を博した。しかし、「その後、歌が売れなくなった」と、本人は自虐的に語っている。
  • 実母の介護経験から、熊本市に老人ケアハウス「水清庵」を設立した。母親が認知症を患った際に、最初に水前寺の名前を忘れてしまったことがショックだったと語り、その時の介護経験を生かせないかと思ったことが切っ掛けとなり、設立を決意したという。
  • 1989年(43歳時)に結婚した6歳年下のサックス奏者・小松明は結婚後、水前寺の個人事務所社長に就任、マネージメント業務に専念していた。小松は業界関係者に平身低頭で売り込む姿から『水前寺清』と業界内で形容されていた。しかし一方で、水前寺の仕事に対しては非常に厳しく、関係者やスタッフが大勢いる前でも厳しい言葉で罵倒していたという。2020年12月、結婚から31年目にして熟年離婚したことが明らかになった[7]
  • デビュー時から現在まで一貫して世田谷区桜新町に在住。毎年4月に行われる「さくらまつり」には毎年出演している。

音楽

シングル

# 発売日 A面
B面
タイトル 作詞 作曲 編曲
1960年代
1 1964年
10月
A
涙を抱いた渡り鳥 有田めぐむ いづみゆたか
B
天国の近く
2 1964年
12月
A
娘田原坂 星野哲郎 いづみゆたか
B
女のれん
3 1965年
2月
A
花の都の渡り鳥 星野哲郎 叶弦大 安田彫花
B
母情のギター 南鏡太郎
4 1965年
5月
A
女黒田節 星野哲郎 叶弦大 重松岩雄
B
涙売ります 安田彫花
5 1965年
7月
A
娘ざかり 中山大三郎 関野幾生 福田正
B
女の戦い 星野哲郎 梶原誠二
6 1965年
8月
A
女ごころの流し唄 星野哲郎 北原じゅん
B
流れのかもめ鳥 松倉久 北原じゅん 重松岩雄
7 1965年
10月
A
人生舞台 阿蘇健 叶弦大 安田彫花
B
泣き虫椿 松倉久 サトウ進一
8 1965年
11月
A
ゆさぶりどっこの唄 星野哲郎 北原じゅん
B
女一匹の歌
9 1966年
3月
A
その一言を待ってます 星野哲郎 米山正夫 小杉仁三
B
つきんぼ船唄
10 1966年
4月
A
女三四郎 並木ひでを 北原じゅん 福田正
B
人生ばやし 土井朗
11 1966年
5月
A
俺は天下のご意見番 良池まもる 北原じゅん
B
男で来い 星野哲郎
12 1966年
6月
A
人情一枚 星野哲郎 叶弦大 福田正
B
花で飾ろう
13 1966年
11月
A
いっぽんどっこの唄 星野哲郎 富侑栄 安田彫花
B
のれん恋唄
14 1967年
5月
A
いのち知らずにゃ敵がない 星野哲郎 安藤実親
B
あすなろの唄
15 1967年
8月
A
どうどうどっこの唄 星野哲郎 安藤実親
B
かぎりある身の
16 1967年
9月
A
いつでも君は 星野哲郎 米山正夫 小杉仁三
B
あの娘はいつも
17 1967年
10月
A
みそこなっちゃいけないよ 大矢弘子 叶弦大 安藤実親
B
どっこい生きてやる
18 1968年
1月
A
おしてもだめならひいてみな 星野哲郎 首藤正毅 安藤実親
B
俺のためには泣かないさ
19 1968年
3月
A
男でよいしょ 星野哲郎 安藤実親
B
わがこころの唄
20 1968年
6月
A
艶歌 星野哲郎 安藤実親
B
青い空から雨がふる
21 1968年
8月
A
神様の恋人 星野哲郎 鈴木邦彦 小杉仁三
B
ほほえみ
22 1968年
9月
A
ひとりでよいしょ 星野哲郎 安藤実親
B
若さで体当り 美沢香 今井幸雄 安藤実親
23 1968年
11月
A
三百六十五歩のマーチ 星野哲郎 米山正夫 小杉仁三
B
青空の唄
24 1969年
1月
A
人生男節 大矢弘子 野田ひさ志 安藤実親
B
そこぬけ進軍歌 三宅立美
星野哲郎
首藤正毅
25 1969年
2月
A
男じゃないか 星野哲郎 叶弦大 安藤実親
B
友達の唄
26 1969年
5月
A
にんげんどっこの唄 星野哲郎 安藤実親
B
ここでやらずにどこでやる
27 1969年
8月
A
敦賀とてもすきすき 星野哲郎 山崎正清
B
敦賀ばやし
28 A
赤いトランク 大矢弘子 安藤実親
B
心機一転 三木あき子 一ノ瀬義孝
29 1969年
10月
A
真実一路のマーチ 星野哲郎 米山正夫 小杉仁三
B
いのちかけても損はない
30 1969年
12月
A
東京でだめなら 星野哲郎 首藤正毅 安藤実親
B
三猿流し唄
1970年代
31 1970年
3月
A
空手道 星野哲郎 安藤実親
B
花のド根性 荒金義喜
32 1970年
5月
A
1+1の音頭 星野哲郎 鈴木邦彦
B
A・B・C小唄
33 A
ありがとうの歌[16] 大矢弘子 叶弦大 小杉仁三
B
おやすみの唄
34 1970年
7月
A
三度笠だよ人生は 星野哲郎 安藤実親
B
死ぬまで私は生きている
35 1970年
10月
A
だめでもともと 星野哲郎 米山正夫 小杉仁三
B
シーマンズ・マーチ
36 1970年
11月
A
大勝負 関沢新一 安藤実親
B
男ならどうする
37 1971年
2月
A
あゝ恋唄 星野哲郎 安藤実親
B
青空を見たかい 安藤実親 重松岩雄
38 1971年
4月
A
ねんがら子守唄 星野哲郎 安藤実親 小杉仁三
B
チータの東京 安藤実親
39 1971年
7月
A
ああ 男なら男なら 星野哲郎 安藤実親
B
あいつ恋しや
40 1971年
9月
A
浪花太鼓 星野哲郎 米山正夫 小杉仁三
B
大阪パレード 渚しぐれ
星野哲郎
41 1971年
10月
A
青空浪人の唄 関沢新一 安藤実親
B
天にまかせて
42 1971年
12月
A
苦労買います おおがみとおる
関沢新一
安藤実親
B
脱ニッポン! 関沢新一
43 A
おどんが国は[17] 川添一郎 米山正夫 小杉仁三
B
おてもやん 熊本県民謡
44 1972年
2月
A
この手にとまれ 星野哲郎 市川昭介 小杉仁三
B
ふるさと東京
45 1972年
3月
A
柔の道[18] 関沢新一 安藤実親
B
男が一人で
46 1972年
9月
A
いつかは逢えるだろう 阿久悠 戸河万吉 竹村次郎
B
わが町
47 1972年
10月
A
大逆転のマーチ 星野哲郎 安藤実親 小山恭弘
B
陽だまりの歌 安藤実親
48 A
昭和放浪記 阿久悠 小林亜星 小杉仁三
B
祭りになればいい 馬飼野俊一
49 1972年
12月
A
指言葉の歌 星野哲郎 鈴木邦彦 小杉仁三
B
指言葉の歌
(体操用)
-
50 1973年
6月
A
かあさん 阿久悠 小林亜星 小杉仁三
B
いこいの唄 大矢弘子 安藤実親
51 1973年
8月
A
大恋愛 大兼佳也 猪俣公章 坂下晃司
B
男にゃ三つの夢がある
52 1973年
11月
A
望郷の詩 藤田まさと 遠藤実 斉藤恒夫
B
明日がある
53 1974年
1月
A
どこかでありがとう[19] 星野哲郎 安藤実親 原田良一
B
魚のロック
54 1974年
4月
A
ハナハナハナ 星野哲郎 米山正夫 小杉仁三
B
それは海
55 1974年
5月
A
人生ブルース なかにし礼 浜圭介 竜崎孝路
B
人情町
56 1974年
7月
A
幸せ正面だーれ[20] 関沢新一 市川昭介 馬場良
B
あゝ人生浮き沈み[21]
57 1974年
8月
A
てっぺんまごころ 星野哲郎 安藤実親
B
東京ひとり歩き 安藤実親 馬場良
58 1974年
10月
A
花の散りぎわ なかにし礼 浜圭介 竜崎孝路
B
男の出番
59 1974年
12月
A
あたしのものよ 松山善三 平尾昌晃 京建輔
B
いつかはいいたかった
60 1975年
2月
A
大成功 関沢新一 安藤実親
B
時は流れる
61 1975年
4月
A
みつばちマーヤの冒険[22] 伊勢正三 小山恭弘
B
おやすみマーヤ[23]
62 1975年
6月
A
同窓会 星野哲郎 山路進一
B
俺にまかせろ
63 1975年
8月
A
君は青空を見たか 平岩弓枝 米山正夫 小杉仁三
B
ジーパン演歌 平野ますみ
64 1975年
10月
A
浮草 寺山修司 猪俣公章 小杉仁三
B
裏町
65 1975年
11月
A
明日がござる[24] 平岩弓枝 米山正夫 小杉仁三
B
鈴の子守唄 橋田壽賀子
66 1976年
3月
A
しあわせ橋 星野哲郎 米山正夫 小杉仁三
B
わたしの生まれた島は 中村千里 湯野カオル
67 A
鬼面児 星野哲郎 安藤実親
B
人生勝負 堀川敏幸 三島正次 安藤実親
68 1976年
7月
A
にっぽん流行歌 関沢新一 島津伸男
B
ふるさと唱歌
69 1976年
10月
A
お父さん 星野哲郎 はやし・こば
B
遠い道だけど みやもり純 叶弦大 小杉仁三
70 1977年
2月
A
お前のふるさとどこなんだ 杉紀彦 中村千里 湯野カオル
B
夕焼け鴉 関野幾生
71 1977年
3月
A
花染め音次郎 杉紀彦 米山正夫 小杉仁三
B
都忘れの花咲く道で 小山恭弘
72 1977年
11月
A
虚空太鼓 星野哲郎 島津伸男 池多孝春
B
明日では遅すぎる
73 1978年
2月
A
春らんまん 浅木しゅん 安藤実親
B
ヤッちゃんのお嫁入り 原田充雄 安藤実親
74 1978年
3月
A
我がふるさと 安永貞利 小川寛興
B
おかげさまです 星野哲郎
75 1978年
4月
A
岬にて 有馬三恵子 米山正夫 小杉仁三
B
海の恋唄
76 1978年
7月
A
九州よかとこ 星野哲郎 安藤実親
B
九州よかとこ
(カラオケ)
-
77 1978年
8月
A
肥後の駒下駄 星野哲郎 島津伸男 小町昭
B
ラーメン仁義 山路進一
78 1979年
2月
A
カラスの歌 星野哲郎 鏑木創
B
恋まみれの詩 杉紀彦 曽根幸明
79 1979年
5月
A
船橋手拍子音頭 福田克彦
星野哲郎
市川昭介 小杉仁三
B
さざんかのマーチ 仁田清男
星野哲郎
80 A
夢一番 星野哲郎 安藤実親 小杉仁三
B
お酒ばなし
81 1979年
8月
A
オアシス音頭 星野哲郎 市川昭介 小杉仁三
B
オアシスのマーチ
82 1979年
9月
A
昭和艶歌 星野哲郎 市川昭介 馬場良
B
東京ひとり唄 さいとう大三
1980年代
83 1980年
4月
A
あなたの光はどんな色 伊藤アキラ 鈴木キサブロー 馬飼野俊一
B
旅人さん
84 1981年
2月
A
さすらい情話 藤公之介 猪俣公章 斉藤恒夫
B
風を越える日 伊藤アキラ 佐々木勉 矢野立美
85 1981年
8月
A
有明けの海 中山大三郎 京建輔
B
男の街角 大川玲 猪俣公章 斉藤恒夫
86 1982年
7月
A
命坂 白鳥園枝 遠藤実 京建輔
B
ふたり橋 荒川利夫
87 1983年
1月
A
花が咲いたらまた来るよ 水木かおる 山路進一 京建輔
B
幸せは遠くても
88 1983年
8月
A
あさくさ物語 なかにし礼 森田公一 京建輔
B
よさこい母情
89 1984年
4月
A
涙のマーチ 星野哲郎 十勝遙 馬飼野俊一
B
赤い血の歌
90 1984年
8月
A
浪花節だよ人生は 藤田まさと 四方章人 薗広昭
B
大阪ひとり 荒川利夫 京建輔
91 1985年
4月5日
A
人生夢三味線 山田孝雄 四方章人 池多孝春
B
故里恋酒 みなみ大介 十勝遙 竜崎孝路
92 1985年
10月21日
A
松五郎愛歌 なかにし礼 岡千秋 京建輔
B
母上様 宮崎貴
93 1986年
4月21日
A
男三百六十度 伍路りょう 泉みどり
B
がまん酒 星野哲郎 一代のぼる 竜崎孝路
94 1987年
2月21日
A
玄海恋歌 荒木とよひさ 佐孝康夫
B
望恋歌 荒木とよひさ 三木たかし 竜崎孝路
95 1988年
2月1日
A
今日から一歩 たかたかし 浜口庫之助 竜崎孝路
B
薄情渡り鳥 陣吾郎 美樹克彦
96 1989年
8月21日
A
こころの港 星野哲郎 原譲二 鈴木操
B
夜明け船
1990年代
97 1990年
8月21日
A
青空 星野哲郎 三島大輔 前田俊明
B
あきない 池浦利彦
98 1991年
1月21日
A
曼陀羅華 池浦利彦 小杉仁三
B
人生松竹梅
99 1991年
11月21日
A
ハーモニー[25] つのだひろ 梅垣達志
B
新妻に捧げる歌[26] 中村メイコ 神津善行
100 A
三百六十五歩のマーチ[27] 星野哲郎 米山正夫 松井忠重
B
子供はつらいよ[28] 山田孝雄 三島大輔
101 1992年
3月21日
A
いまさら歌舞伎 石坂まさを 竜崎孝路
B
ウスクダラ 音羽たかし トルコ民謡 田辺信一
102 1993年
1月1日
A
人生一路 星野哲郎 安藤実親 小杉仁三
B
やまとうた
103 1993年
7月5日
A
どすこい!!太郎[29] 麻倉弥生 山崎一稔
B
涙には3つの理由がある 荒木とよひさ 三木たかし 山崎一稔
104 1993年
9月21日
A
結婚行進曲 星野哲郎 吉田正 小杉仁三
B
虚空太鼓 島津伸男 池多孝春
105 1993年
12月16日
A
おんな富士[30] 中谷純平 三島大輔 池多孝春
B
おんな節 星野真弓 中村典正 小杉仁三
106 1994年
3月21日
A
星野哲郎 船村徹 南郷達也
B
四季・人生
107 1995年
2月22日
A
ブンブンビート阿波踊り[31] サンディー 久保田麻琴
B
ブンブンビート阿波踊り
(カラオケ)
-
108 1995年
11月1日
A
自慢じゃないが女だよ 中山大三郎 小杉仁三
B
あなたに感謝
109 1996年
6月26日
A
Oh! 演歌だよ 間寛平 円広志 湯川徹
B
竜馬のように 荒木とよひさ 三木たかし 竜崎孝路
110 1996年
8月1日
A
尾張宗春音頭 山本孝之
神坂薫
中村典正 中村兼志
B
尾張宗春音頭
(カラオケ)
-
111 1997年
7月24日
A
C.C.レモン[32] じんましんや 佐藤直紀
B
C.C.レモン
(インストゥルメンタル)
- じんましんや
112 1997年
10月22日
A
母・子守唄 星野哲郎 三木たかし 竜崎孝路
B
幸せをつかまえろ 松永直樹
113 1998年
3月25日
A
おんなの街道 星野哲郎 安藤実親
B
波瀾万丈 島津伸男 島津伸男
小杉仁三
114 1998年
12月16日
A
女の花道 関沢新一 安藤実親
B
命は綺麗に使いたい 志賀大介 安藤実親 小杉仁三
115 1999年
7月23日
A
甲子園の詩[33] 阿久悠 三木たかし 竜崎孝路
B
夏子のマーチ
2000年代
116 2000年
8月23日
A
関東春雨傘[34] 米山正夫 小杉仁三
B
関東春雨傘
(ジャズ・ヴァージョン)
内堀勝
117 2000年
11月1日
A
いきてゆく物語[35] サンプラザ中野 パッパラー河合
B
夕焼けのララバイ かず翼 松井達夫
118 2002年
10月23日
A
涙をふいて[36] 康珍化 鈴木キサブロー J.Rover
B
ウォーキング・マーチ 星野哲郎 小杉仁三
119 A
夫婦 林泉 馬飼野俊一
B
祝福
〜貴方を称える歌〜
120 2003年
8月21日
A
だめでもともと音頭 星野哲郎 原譲二 丸山雅仁
B
春夏秋冬
121 2003年
11月21日
A
キッカケサンバ[37] 箭内道彦 ヒダテモトハラ
藤巻浩
藤巻浩
B
きっかけ音頭 箭内道彦 川嶋可能
122 2006年
5月10日
A
春雷 星野哲郎 三木たかし 若草恵
B
なでしこの歌 田辺恭一 滝本泰三 伊戸のりお
123 2008年
11月5日
A
よいしょ・こらしょ 川内康範 浜圭介 船山基紀
B
女の旅路
124 2009年
8月26日
A
日本人だね演歌だね 荒木とよひさ 弦哲也 桜庭伸幸
B
旅情
2010年代
125 2010年
1月1日
- HIKARI
〜輝く未来へ〜
[38]
タケル 矢賀部竜成
126 2012年
5月16日
- てっぺん![39] さいとういんこ 矢賀部竜成
127 2013年
4月3日
A
春の華 里村龍一 安藤実親 丸山雅仁
B
いつでも君は 星野哲郎 米山正夫 山崎一稔
128 2013年
7月24日
A
消防団
三百六十五歩のマーチ
後藤聡
めぐみ
米山正夫 服部克久
B
三百六十五歩のマーチ
(2013ニューバージョン)
星野哲郎
129 2014年
9月3日
A
人情 さいとう大三 叶弦大 京建輔
B
ありがとうの歌
(新アレンジ)
大矢弘子
130 2018年
9月5日
A
熊本城 久仁京介 徳久広司 石倉重信
B
人生これから

アルバム

オリジナル・アルバム

  1. 想い出の軍歌を唄う(1968年)
  2. 麦と兵隊~水前寺清子戦時歌謡を唄う 哀歓の戦時歌謡集(1968年)
  3. 戦友~水前寺清子哀愁の軍歌を唄う(1969年)
  4. 大利根月夜~水前寺清子 巷の唄ベスト12(1970年)
  5. ねんがら子守唄~水前寺清子 こころの故里を唄う(1971年5月)
  6. お控えなすって!チータです~水前寺清子 任侠歌謡を唄う(1972年)
  7. 時は流れる(1974年)
  8. 股旅(1978年)
  9. 徒然歌枕(1981年)
  10. やぁ!チータ(1984年)
  11. チータのカモナ・マイ・ハウス(1988年)※水前寺音楽出版より発売された自主制作アルバム。
  12. 水前寺清子歌手生活30周年特別企画 ありがとう30年(1994年10月21日)

ライブ・アルバム

  1. 素晴らしい冒険 チータ! -Suizenji Kiyoko Live In Tokyo-(1970年)
  2. 水前寺清子 リサイタル〜演歌人生応援歌(1982年12月)

ベスト・アルバム

  1. 泣いて笑ってひとり旅 あなたをゆさぶるチータの声(1967年)※ナレーションを含むベスト・アルバム
  2. 水前寺清子 ゴールデン・ヒット〜"涙を抱いた渡り鳥"から"艶歌"まで(1968年)
  3. 人生の応援歌(1977年)
  4. GOLDEN☆BEST 水前寺清子 RCAイヤーズ(2013年6月26日)
  5. 水前寺清子の世界(2013年11月2日)

出演

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1965年(昭和40年)/第16回 涙を抱いた渡り鳥 20/25 村田英雄
1966年(昭和41年)/第17回 2 いっぽんどっこの唄 20/25 村田英雄(2)
1967年(昭和42年)/第18回 3 どうどうどっこの唄 01/23 舟木一夫 トップバッター
1968年(昭和43年)/第19回 4 男でよいしょ 21/23 坂本九
1969年(昭和44年)/第20回 5 真実一路のマーチ 07/23 三田明
1970年(昭和45年)/第21回 6 大勝負 01/24 村田英雄(3) トップバッター(2)
1971年(昭和46年)/第22回 7 ああ男なら男なら 24/25 水原弘 トリ前
1972年(昭和47年)/第23回 8 昭和放浪記 22/23 布施明 トリ前(2)
1973年(昭和48年)/第24回 9 いっぽんどっこの唄(2回目) 19/22 三波春夫
1974年(昭和49年)/第25回 10 てっぺんまごころ 14/25 北島三郎
1975年(昭和50年)/第26回 11 大勝負(2回目) 10/24 村田英雄(4)
1976年(昭和51年)/第27回 12 鬼面児 16/24 村田英雄(5)
1977年(昭和52年)/第28回 13 虚空太鼓 14/24 北島三郎(2)
1978年(昭和53年)/第29回 14 肥後の駒下駄 14/24 フランク永井
1979年(昭和54年)/第30回 15 涙を抱いた渡り鳥(2回目) 15/23 三波春夫(2)
1980年(昭和55年)/第31回 16 三百六十五歩のマーチ 19/23 三波春夫(3)
1981年(昭和56年)/第32回 17 有明けの海 06/22 三波春夫(4)
1982年(昭和57年)/第33回 18 大勝負(3回目) 06/22 三波春夫(5)
1983年(昭和58年)/第34回 19 あさくさ物語 21/21 細川たかし 紅組トリ
1984年(昭和59年)/第35回 20 浪花節だよ人生は 09/20 細川たかし(2)
1985年(昭和60年)/第36回 21 人生夢三味線 15/20 細川たかし(3)
1986年(昭和61年)/第37回 22 男三百六十度 15/20 チェッカーズ

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。

テレビドラマ

その他のテレビ番組

他多数

映画

ラジオ

CM

脚注

  1. ^ これまでに訪れた所 熊本県 - NHK ここはふるさと旅するラジオ(2014年4月19日閲覧)
  2. ^ “「ヒューマン」水前寺清子、汗かきべそかき半世紀”. サンスポコム (産経デジタル): p. 5. (2014年11月29日). http://www.sanspo.com/geino/news/20141129/int14112905050001-n5.html 2018年9月1日閲覧。 
  3. ^ 自然化粧品 サビーナ 水前寺清子さんスペシャルインタビュー
  4. ^ 合田道人『紅白歌合戦の真実』幻冬舎2004年
  5. ^ お宝TVデラックス』での石井・水前寺両者の証言より。
  6. ^ [1],goo
  7. ^ a b c 水前寺清子、熟年離婚の背景 夫から大勢の前で罵倒された”. NEWSポストセブン (2020年12月10日). 2020年12月10日閲覧。
  8. ^ 『官報』号外第151号、2019年11月3日
  9. ^ “水前寺清子 超熟年離婚していた、75歳心機一転 自らの力で歩んでいく決意”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2020年12月4日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/12/04/kiji/20201203s00041000644000c.html 2020年12月4日閲覧。 
  10. ^ 『紅白50回』
  11. ^ 『紅白50回』
  12. ^ 全日本CM協議会(編)、加藤秀俊(監修)『CM25年史』講談社、1979年、196頁。(『東京新聞』1970年11月12日)
  13. ^ 例として【イベント案内】8/16(金)「にしわき市・黒田庄夏まつり」開催のお知らせ☆、にっぽんまんなか紀行(西脇市観光協会)、2013年8月10日。
  14. ^ 観客に元気と感動を与えてくれた「チータ」水前寺清子チャリティーショー、e-Nikka、2015年11月12日号。
  15. ^ a b 心のエステ Session 23 水前寺清子さんから聞いた感動話、bits LOUNGE、2015年。
  16. ^ TBS系テレビドラマ「ありがとう」主題歌。
  17. ^ NHKの音楽番組「みんなのうた」で使用された。
  18. ^ 日本テレビ系テレビドラマ「黒帯風雲録 柔」主題歌。
  19. ^ TBS系テレビドラマ「ありがとう(第3シリーズ)」ED主題歌。
  20. ^ フジテレビ系テレビドラマ「東海道姉ちゃん仁義」主題歌。
  21. ^ フジテレビ系テレビドラマ「ほうねんまんさく」主題歌。
  22. ^ チータとみつばち合唱団名義。テレビ朝日系テレビアニメ「みつばちマーヤの冒険」OP主題歌。
  23. ^ チータとみつばち合唱団名義。テレビ朝日系テレビアニメ「みつばちマーヤの冒険」ED主題歌。
  24. ^ TBS系テレビドラマ「明日がござる」主題歌。
  25. ^ Chita名義。
  26. ^ Chita名義。江利チエミの同名曲のカバー。
  27. ^ フジテレビ系テレビアニメ「丸出だめ夫」OP主題歌。
  28. ^ フジテレビ系テレビアニメ「丸出だめ夫」ED主題歌。
  29. ^ NHKの音楽番組「みんなのうた」で使用された。
  30. ^ コナミがんばれゴエモン2」CMソング。
  31. ^ M.C.チータ名義。
  32. ^ チータ with Blind Lemon Brothers名義。サントリーC.C.レモン」CMソング。
  33. ^ チータ名義。
  34. ^ 美空ひばりの同名曲のカバー。
  35. ^ 武田鉄矢とのデュエット。TBS系テレビドラマ「教習所物語」主題歌。
  36. ^ 三好鉄生の同名曲のカバー。
  37. ^ フジテレビのキャンペーン「きっかけは、フジテレビ。」のCMソング、及びフジテレビ系子供向け番組「ポンキッキーズ21」の挿入歌として使用された。
  38. ^ 配信限定シングル。ロアッソ熊本応援ソング。
  39. ^ 配信限定シングル。
  40. ^ 18年ぶりナマ司会!70歳・水前寺清子「体調は万全です」”. SANSPO.COM (2016年3月9日). 2016年3月9日閲覧。

関連項目

外部リンク