コンテンツにスキップ

タミー・リン・シッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タミー・リン・シッチ
タミー・リン・シッチの画像
October 2, 2010
プロフィール
リングネーム サニー
タミー・リン・シッチ
タミー・リン・フィッチ
タミー・スピリット
タマラ・マーフィー
本名 タマラ・リン・シッチ
ニックネーム 金髪の女狐
(Golden Haired Fox)[1][2]
身長 163cm[2][3]
体重 54kg[2][3]
誕生日 (1972-12-07) 1972年12月7日(51歳)[2][3]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニュージャージー州の旗 ニュージャージー州
モンマス郡マタワン[3][4]
トレーナー ラリー・シャープ[2][4]
デビュー 1993年[2][3]
テンプレートを表示

タマラ "タミー" リン・シッチTamara "Tammy" Lynn Sytch1972年12月7日 - )は、アメリカ合衆国の女性プロレスリング・マネージャーニュージャージー州マタワン出身[3][4]

1990年代WWFでは夫のクリス・キャンディードらのマネージャーとして、サニーSunny)の別名で活躍。近年のWWEにおけるディーヴァの元祖の1人とされている[5]

来歴

[編集]

テネシー大学在学中の1993年、ハイスクール時代からのボーイフレンドだったクリス・キャンディードの後を追ってプロレス業界にデビュー[1][5]。当時はタミー・リン・フィッチTammy Lynn Fytch)と名乗り、ジム・コルネットの主宰するテネシー州ノックスビルのスモーキー・マウンテン・レスリング(SMW)にてヒールのポジションで活動。キャンディードおよびブライアン・リーマネージャーを担当し、SMWタッグ王座を巡る彼らとロックンロール・エクスプレスの抗争に介入した[1]

1994年下期、タマラ・マーフィーTamara Murphy) の名でレポーターとしてWWFに登場[3]。ほどなくしてサニーSunny)と改名し、スキップのリングネームでWWFに参戦したクリス・キャンディードと合体、フィットネスインストラクターギミックとしたヒールの男女デュオ "ザ・ボディドナーズThe Bodydonnas)" を結成する。後にスキップのタッグ・パートナーとしてジップが加入してからは、1996年3月31日の『レッスルマニアXII』にて彼らをWWF世界タッグ王者に導いた[6]

スキップ&ジップと仲間割れ後は、ビリーバートのスモーキン・ガンズなどのマネージャーを経てベビーフェイスに転向。テレビや雑誌、広告物など各種のメディアにも頻繁に登場し、AOLの "The Most Downloaded Woman" にもなって世界的な名声を獲得した[1][5]PPVではゲスト・リングアナウンサーや特別レフェリーに起用されて華を添え、"LOD 2000" として復活したリージョン・オブ・ドゥームのマネージャーも務めたが、ペインキラー中毒などの諸問題のため、1998年7月にWWFを解雇された[1]

その後は名義を本名のタミー・リン・シッチTammy Lynn Sytch)に戻し、ECWにてクリス・キャンディードと再合体。ランス・ストームシェーン・ダグラスなどキャンディードの抗争相手が引き連れていた女性マネージャーとの対立アングルも組まれ、彼女のパロディとしてタミー・リン・ビッチ(Tammy Lynn Bytch)を名乗っていたドーン・マリーやフランシーンを相手にキャットファイトを展開した[1]

1999年にECWを離れ、2000年にはキャンディードと共にWCWと契約。ペイズリーと抗争するが、再びドラッグ問題を起こし短期間で解雇されている[3]。以後、2000年代前半はUSAプロレスリングなどのインディー団体に時折出場していた[3]

2005年4月28日のクリス・キャンディード死去後は、6月10日に開催されたECWのリユニオン・イベント "Hardcore Homecoming" にテリー・ファンクのマネージャーとして登場[7]。以降はインディー団体へのスポット出場を精力的に開始し、サブゥーライノらECWの盟友をはじめ、キングコング・バンディレックス・ルガーティト・サンタナなどレジェンドのマネージャー役も担当した[3]

2007年12月10日、『RAW』15周年記念番組のオープニング・セグメントにトリプルHの紹介で出演、久々のWWE登場を果たしている[8]。同年12月22日には、地元ニュージャージー女子プロレス団体WSUで世界王座を獲得[3][9]。翌2008年は、ROHに度々登場した[3]

2009年4月5日の『レッスルマニアXXV』では、「ミス・レッスルマニア」を決定するディーヴァバトルロイヤルに出場[10]2011年には過去の功績をたたえ、存命の人物としては史上最年少でWWE殿堂に迎えられた[5]

2022年3月下旬、フロリダ州オーモンドビーチにおいて高速道路を猛スピードで運転していたとろ、信号停止の車に追突、75歳の運転手が死亡した。サニーの血液からは基準値の約3.5倍のアルコールが検出。5月6日夜、飲酒運転過失致死罪をはじめ8つの罪状で逮捕され、ボルーシャ郡刑務所に連行されたが、保釈金22万7500ドル(約3000万円)で翌日には釈放された[11]

主な担当選手

[編集]

獲得タイトル

[編集]
WSU
  • WSU世界王座 : 1回[3][9]
WWE

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f The thrills and spills of Tammy Lynn Sytch”. SLAM! Wrestling (December. 13, 2001). 2011年3月18日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Sunny”. Cagematch. 2011年3月18日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m Tammy Lynn Sytch”. Online World of Wrestling. 2011年3月18日閲覧。
  4. ^ a b c d e f Tammy Lynn Sytch”. Wrestlingdata.com. 2015年11月14日閲覧。
  5. ^ a b c d e WWE Hall of Fame Inductees”. WWE.com. 2011年3月18日閲覧。
  6. ^ History of the WWF World Tag Team Championship”. WWE.com. 2011年3月18日閲覧。
  7. ^ Hardcore Homecoming Results”. Online World of Wrestling. 2011年3月18日閲覧。
  8. ^ December 10, 2007 RAW 15th Anniversary”. Online World of Wrestling. 2011年3月18日閲覧。
  9. ^ a b History of the WSU World Championship”. Cagematch. 2011年3月23日閲覧。
  10. ^ WWE WrestleMania 25”. Online World of Wrestling. 2011年3月18日閲覧。
  11. ^ 「元祖WWEディーバ」飲酒運転で死亡事故を起こし逮捕=米報道 – 東京スポーツ新聞社”. 東スポWeb. 2022年5月8日閲覧。

外部リンク

[編集]