かっとばせ!キヨハラくんの登場人物

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かっとばせ!キヨハラくんの登場人物は、『月刊コロコロコミック』で連載されていた河合じゅんじ漫画かっとばせ!キヨハラくん』に登場する架空の人物の一覧である。()内は、モデルになった実在人物である。公式にはあくまでフィクションで、実在の人物・団体・球団とは一切関係ないことになっており、連載時においては、ごく稀にその旨を記していた。

作中に表示される個人記録などはモデルになった人物のものと同じ。

メインキャラクター

キヨハラカズヒロ(清原和博
本作の主人公。西部ライアンズの選手。クワタを始め、個性的な脇役に押されて、イマイチ目立てていないが、一応主役である。LP学園(PL学園がモデル)出身。試合中でも大ボケをかます性格。実際の清原は出っ歯ではないが、作中では出っ歯があるのが特徴。頭を殴られると出っ歯が伸びるなど、たびたび出っ歯を使ったギャグを披露。作者の別作品では出っ歯の代わりに唇が厚く描かれている。よくデッドボールを食らう(特に股間に)。9回2アウトで泣き出すこともある。当初は三冠王候補と言われていたが、毎年のように「不調」「成績が悪い」と言われ続け、いつまでも無冠の帝王のために作中でもタイトル争いの話が多い(ただし実際の清原はタイトルよりもチームの勝利を求めていたと言われている)。後に段々人気が落ちていく描写が見られ、1994年のバレンタインデーでは一つもチョコレートをもらえなかったと勘違いして、ショックを受け山にこもったことがある(モリ監督曰く成績が悪いため。実際はキヨハラ宛のチョコも来ていたが、最初のチョコ配りの時に気付かれなかっただけ)。通称「キヨちゃん」。第1話の時は顔つきが今と違い、とてもイケメン。モリ監督の物真似が上手い。
背番号は3。
クワタマスミ(桑田真澄
陰の主人公。東京カイアンツの投手。LP学園出身。イヤガラセ・いたずらが趣味で「悪魔」「悪の権化」などと呼ばれている。得意なボールはデッドボールだが、コントロールは良いため、本気を出せば神がかり的なピッチングを見せる。暗い、卑屈な性格。藁人形を常備し、成績がいい選手に藁人形による呪いをかけ、脅迫状を書く。そのため、周囲からかなり軽蔑されており、「クワタと友達になるくらいなら死んだほうがマシ」とまで言われたことがある。凶器や素手、熱湯などで誰かにどつかれると「しくしく」泣き出すのが特徴。同じLPの同期のキヨハラとは多分親友。キヨハラをからかいに、西部が行く先々に必ず現れ、ほぼ全話に登場するが、唯一、第3巻「キヨハラくんVSカズシゲくん」では、一コマも出てこなかった。中盤以降になると無意味に女装する。例年明るい性格へイメージチェンジを計るが、結局は自分を偽れず。毎年開幕時になると開幕投手から外されるネタがある(実際の桑田は1988年・1989年に開幕投手になっている)が実際に1989年の開幕投手に抜擢された日に西部のメンバー達をからかいに西部球場まで足を運んで来たがモリ監督に反対にベンチ脇でロープで縛られ試合に行けなくなってしまうと言う意地悪行為に遭ってしまう。1990年以降は実際の桑田が金銭問題[1]に巻き込まれ、その影響か漫画のクワタも悪魔男から悪徳商人にキャラが変わっていった。小学生時代は顔も性格も丸かったが、偶然リトルリーグの試合でクワタが連れてきたキヨハラと対戦し、バットや打球を顔面に当てられ、顔の形と共に性格が変わってしまう。1992年、マキという女性と結婚。通称「クワちゃん」、「ホクロ男」。作者が書く他の野球漫画でも共通のキャラ。また、「新人いじめ」が好きでモトキらが被害に遭っている。終盤あたりでは、キャラに似合わずルカちゃん人形(モデルはリカちゃん人形)がお好きらしい。
基本は悪魔男ではあるが、偶然乗り合わせた飛行機内で、おにぎりをキヨハラに分けてやろうとしたり、最終回ではキヨハラのために銅像を作ったり、オー監督の退団試合でオー監督のためにまじめに投げたりと、たまにはいいことをしようとすることがあるのだが、前者では無意識のうちにフォークを投げてしまい、キヨハラの隣、クワタから見て手前の席にいたモリ監督の顔におにぎりが命中し、後者では簡単に打たれてしまった。さらに球団経営の海の家では夏向きでいいと思って幽霊の扮装をしたが、客を怖がらせただけだったため、オー監督に殴られてしまった。このため、作中で本人も言っているが「人のために何かすると裏目に出る」性格である。ホクロを押すと目がスロットマシーンのように変わる[2]
背番号は18。

作内のプロ野球メイン球団

西部ライアンズ

監督・コーチ

モリ監督(森祇晶
西部ライアンズの監督。現実とは違い非常に短気で、ツッコミ専用のハンマーを所持している。また、ふざけていると噛みつく(特にキヨハラに)。とても厳しい監督で、そのため選手からの不満も多く、よくメガネデブと陰口を叩かれている。だが、キヨハラの私生活を監視するためにぬいぐるみに化けてキヨハラのマンションに忍び込む、成績の悪いキヨハラをサンタのトナカイにしてクドーの家に行かせるなど、やっていることは茶目っ気がある。普段は緻密な采配をとるが、たまに采配でボケをかます(例:キヨハラをサードへコンバートする際、不在となったファーストをほったらかしにするなど)。敵が多く、特にカイアンツの監督とは(作中では2回変わったが)全員と仲が悪い。
連載開始時から終了までずっと西部の監督だった。ただし一度だけキヨハラが見た夢の中でモリがコバ監督になり、大洋のユニフォームを着ていたことがある(その時のモリ監督はオーだった)。
別作品の『ベロベロベースボール』では主役的存在。
一度だけだが、沢田ユキオの「スーパーマリオくん」の11巻の、ワリオの森編の最初のところにも登場したことがある。
背番号は81。
ドイコーチ(土井正博
西部のコーチ。海辺の練習でライアンズの選手達に「波乗り千本ノック」を見舞う一人として登場した。
背番号は87。
クロダコーチ(黒田正宏
西部のコーチ。モリ監督の参謀。海辺の練習でライアンズの選手たちに「波乗り千本ノック」を見舞う一人として登場した。その後、1990年タイエーへ移籍。本作ではほとんど出番がなかったが、『ベロベロベースボール』では顔が変わり、タブチ監督とのからみが書かれている。
背番号は一貫して85。
クロエコーチ(黒江透修
西部のコーチ。1990年就任。モリ監督の側近。1993年の日本シリーズ(実際はヤクルトだが、作中ではカイアンツが対戦相手)では、クワタが調合した薬の力で巨大化したマツイの前に唖然としているモリ監督を介抱していた。『ベロベロベースボール』ではギャグもかませる、お茶目な一面も。
背番号は85。

主要選手

クドー(工藤公康
西部の左のエース。しかし「左は二流だらけ」とモリ監督の評価は厳しい。キヨハラと仲が良い。しかし、ワタナベヒサノブとはライバル関係であり、開幕投手を賭けて毎年けんかしているが、キヨハラを加えた3人で行動を共にすることもしばしばなので、仲がいいのか悪いのかよくわからない関係。目立ちたがり屋で他の投手の出番を奪うことが多く、またチーム内ではキヨハラとの大ボケが一番多いキャラクター。カエル、アヒルに例えられている。クドー本人も「ゲロゲーロ」と鳴く。本人いわく、光ゲンジのモロボシ(諸星和己)似。通称「クドちゃん」。キヨハラ、クワタを除けば、トップクラスに出番が多い。コミックス1巻の半ばまでは、顔にそばかすがあった。
背番号は47。
ヒガシオ(東尾修
ベテラン投手で作中前期のエース。頼れる皆の兄貴分。しかしクドーをライバル視したり、世代交代で台等する若手の存在をいつまでも認めないなど、冷酷非情で冷たい性格だが中身は器の小さい人間である。クワタほどでないが、よくデッドボールを投げる[3](実際の東尾も2017年現在、与死球歴代1位である)。1988年現役引退。引退後は解説者に就任。口が悪く、他球団の悪口を平気で言う。作中で「来年からオレが監督になる」とボケたことがあり、その5年後本当に西部の監督に就任した。1987年オフに実際の東尾が麻雀賭博問題から、半年間の出場停止処分を受けたことは3巻でネタにされていた(モリ監督に「おめーは6月まで大人しくしてろって言ったろ!」と怒鳴られた)。
背番号は21。
イシゲ(石毛宏典
内野手。チームリーダー。モリ監督が唯一真面目に話の出来る相手だが、結局はボケで頼れない。鼻の穴がでかい、通称鼻の穴男。鼻息が荒く、鼻息で人を吸い寄せる、球場の関係者食堂のエアコンが故障した際に除湿機代わりにされるなど、人間技を超えた力を持っている。周りの人間が彼の鼻息で呼吸困難に陥ったことがある。鼻でラーメンを食べることが出来る。
背番号は7。
アキヤマ(秋山幸二
外野手。キヨハラとのAK砲を組む。俊足、長打とホームインでのバック転が売り。
作中では会話が少なく、いつも後ろでニコニコしている背景キャラとしての出番が多い。温厚だが、年俸がからんだ場合は人格が変わる。
嬉しさが高まるとチューしたくなる癖があり、時々大ボケをかますこともある。
1994年、かつて西部の管理部長を務めたタイエーのネモト監督(作中には登場しない)が仕掛けた世紀のトレードで移籍。「サヨナラ、アキヤマさん」という彼が主役のストーリーが最終回間際に書かれている。
もう一度キヨハラとアベックホームランを打つというアキヤマの願いをかなえるため、カイアンツと特別試合がおこなわれたが、クワタのせいでひどい目にあってしまった。
背番号は一貫して1。
ワタナベヒサノブ(渡辺久信
西部の右のエース。クドーのライバルだが、クドーよりモリ監督に信頼されている。通称「ナベちゃん」。を使ったネタをたまに使う。キヨハラ、クドーの3人でよく行動を共にしている。モリ監督に「新人類トリオ」と勝手に名付けられている(実際は1986年の新語・流行語大賞ではこの3人が授賞式に出ている。作中では1番彼がまとも)。女性ファンに人気があるプレーボーイだったが1991年以降は結婚と共に成績・人気がガタ落ちし、女性人気を後輩のシオザキに取って代わられてしまい、サヨナラ負けした際に往来の女性ファン達から野次られるわ、チームメイト達からは妬き入れられるわと後半では悲惨な扱いが多くなっていった。『ベロベロベースボール』では頭の額が大きくなって髪が薄くなった。
背番号は41。
ワタナベトミオ(渡辺智男
1989年に台頭した西部の投手。速球派だが、しゃべりが遅い。11巻のときは着ぐるみを着てボケることがある。キヨハラと一緒にボケるが、モリ監督に1億円プレーヤーである、ないの違いで理不尽な差別を受けた。その後、成績低迷のせいで12巻以降まったく登場してこなくなってきた。「ベロベロベースボール」ではチームメイトから河童顔と言われている。1994年、アキヤマたちと共にタイエーへ移籍。7巻では、ワタナベトシオと、名前を間違えて表記されている。
背番号は21(西部時代)→18(タイエー移籍後)。
シオザキ(潮崎哲也
1990年ドラフト1位入団の若手投手で作中後半を代表するエース。決め球はシンカー。女性ファンから人気が高く、子供ぶっているがキヨハラと1歳しか年齢が違わない。登場初期は普通だったが、途中から顔が小学生のようになり、ナルシストなぶりっ子キャラクターに変わっていった。その後実際に結婚するもファン人気は衰えず。クドー、ワタナベヒサノブら先輩投手に妬まれて、いじめに遭うことが多い。新人王になったノモを妬んで藁人形で攻撃したり、キヨハラの一日妻としてウエディングドレス姿で女装をしたことがある。
背番号は16。
カトリ(鹿取義隆
抑えとして活躍した元カイアンツの投手。オー監督に気に入られ、すぐ「ピッチャーカトリ!」と登板を命じられる。しかし酷使がたたって燃え尽きてしまい、1990年、トレードで西部に移籍。西部では復調し、大ボケで降板させられたクドーの尻ぬぐいなど、タフに仕事をこなした。いつも頭に蚊取り線香を乗せている。西部移籍後もオー監督にしつこくつきまとわれた。
初登場時と1987年の日本シリーズ以降とで顔が変わっている。
背番号は29(カイアンツ時代)→26(西部移籍後)。
マツヌマ兄やん(松沼博久
西部の主力投手の1人だが地味で影が薄く、控えめな性格。1989年の開幕戦の開幕投手に指名された時は、自分でも信じられず、頬をつねったことがある[4]。弟のマツヌママサユキ(松沼雅之)と2人、兄弟選手としてやっていることからアニやんと呼ばれている。1990年現役引退。弟のマサユキは、作中には1コマしか登場しない。
背番号は15。
モリヤマ(森山良二
西部の投手。2年目の1988年に活躍。初登場時はキヨハラに「1年目に活躍していないから、2年目のジンクスの心配がいらない」とからかわれていた。その後3年目のジンクスと言うべきか、本当に鳴かず飛ばずに終わってしまった。1993年開幕前、トレードで横浜に移籍。
背番号は31(西部時代)→24(横浜移籍後)。
イトー(伊東勤
不動の正捕手。出番は多いが、キャッチャーマスクのせいであまり素顔が見せられず、目立つことが出来ない。
彼の初セリフは「オレはなあ、この漫画で1度も素顔を見せたことがないんだぞ!俺たちキャッチャーだって目立ちたいやい!」
モリ監督に「キャッチャーは黙ってウンチスタイルをしてればいい」と言われてしまう、負傷で長期離脱した際にはモリ監督の「なんとかしてイトーの穴を埋めなければ」という言葉に反応したキヨハラに埋められる(「イトー埋めなければ」という聞き間違い)、クワタのイヤガラセにより車椅子(プラス押し役のキヨハラ)もろ共フェンスに激突してケガを悪化させられるなど、理不尽な扱いが多い。
背番号は27。
ヒラノ(平野謙
1988年、中日よりオノとのトレードで入団。太い眉毛が特徴。送りバントと外野守備の名手。俊足のため盗塁も得意(中日時代の盗塁王)。
移籍元年、対中日戦ではよく、ホシノ監督(中日)から試合中にバットを振るな!と脅されていた[5]。その中日時代は第2回のカイアンツ対中日戦に1カットだけ登場、カイアンツ対ライアンズの日本シリーズの回にホシノ監督を胴上げする部分にモブで出ていた[6]。なお中日時代はすべて後ろ姿だけの登場で、顔と台詞が加わったのは西武に移籍した後からである。
西武移籍後は初登場時にホシノに脅されて三振させられ涙目でベンチに下がる、2回目登場時にはセーフティバントで出塁するかと思った瞬間に投球練習中のクワタの球を頭に喰らって気絶、その後もキヨハラとツジがはじいたマロドックの打球をさらにはじいてスタンドインさせたり、一塁ランナーのイシゲをクレーンで一気に三塁まで運ぼうとしてモリ監督に宙吊りにされてしまったり、とあまり良い場面がない。
1993年解雇→ロッデに移籍。
背番号は3(中日)→24(西部)→8(ロッデ)。
ツジ(辻発彦
内野手。名手であり、西部の「貝打線(下位打線と掛けた駄洒落)」を支えた職人(後半はトップバッターを務めた)。1987年の日本シリーズで泣き出したキヨハラを慰める場面がネタにされたが、普段は地味。キヨハラの出っ歯を伸ばす際に背中を蹴るのはほとんど彼の役割である。モブとしての出演はかなり多い。
背番号は5。コロコロアニキ2017年夏号に西武の監督として久々に登場。

サブキャラとして登場した選手

カナモリ(金森栄治
デッドボールの達人。外野手。LP学園出身でキヨハラの先輩。通称当たり屋。打球が当たれば「あ〜〜〜!」と叫び、わざとらしい倒れ方をするというデッドボールパフォーマンスが得意。デッドボールに拘りを持っている。ただし故意に当たりに行って、腰の骨の折るという失敗もある。1988年シーズン途中、トレードで板神へ移籍。同年のオールスターで1回表の先頭打者としてデッドボールで出塁した(現実の金森はその年のオールスターには出場していない)。移籍後はデッドボールパフォーマンスが減る。1993年にはヤグルトに移籍。
背番号は26(西部)→5(板神)→32(ヤグルト)。
タナベ(田辺徳雄
内野手。20代であるにもかかわらず、無精ヒゲが原因で老け顔に見えてしまう。下位打線を支える1人だが、西部のレギュラー陣ではヨシタケに次ぐ2番目に地味な存在。しかし無精ヒゲのお陰で多少、存在感はある。ツジとキャラがかぶっているがツジの方が出番は多い。
背番号は6。
スズキケン(鈴木健
1988年ドラフト1位の内野手。高卒新人だが強面。顔中ハチに刺されたような顔をしている。パークレオが見ただけで泣き、モリ監督さえ恐縮するほど。選手の通路の邪魔をする女性ファンを追い散らすのに、よく彼のお面が使われている。キャラは濃いが、一軍定着が遅れたために出番は3巻のみ(15巻では、バレンタインチョコを貰う場面で名前だけ登場)。ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん1巻では1994年の日本シリーズで西部の反撃シーンで一コマだけ出てきた。モリモリッ!ばんちょー!!キヨハラくんではヤクルトに移籍、以降は怖い顔でなくなりまともなキャラになっていた。
背番号は8。
オークボ(大久保博元
控え捕手。西部時代は出番がなく台詞もなかったが1992年ナカオとのトレードでカイアンツ移籍後は「でーぶ」の愛称で人気者になる。台詞も少し言えるようになった。西部時代はタンカを運んでいる役割が多かった。モブとしてもあちこちに彼らしき人物がいることが多い。
背番号は45(西部時代)→22(カイアンツ移籍後)。
イシイ(石井丈裕
名前のみ登場し、姿が描かれなかった選手。イシイは投手。ウグイス嬢が登板を告げたのが唯一の出番だが、実際にはクドーが登板していた。
背番号は11

外国人選手

ブコバッチ(ジョージ・ブコビッチ
外国人外野手。成績がパッとせず、キヨハラに物真似でバカにされて泣いていた。1987年限りでクビにされる。
背番号は24。
カクタイゲン(郭泰源
台湾出身の外国人投手。「オリエントエクスプレス」の異名を持つ速球派。しかし目立ちたがりのクドーの影に隠れていて、出番は少ない。中日のカクゲンジ、ロッデのソウ、カイアンツのロといった他球団の台湾選手たちと仲が良い。性格はとてものんきでマイペース。
背番号は18。
パークレオ(タイラー・バン・バークレオ
外国人外野手。ブコバッチ解雇後に台頭し、モリ監督からはキヨハラよりも断然優遇され、1年目のくせに打ちすぎだと他球団の外人からいじめに遭ってしまう。
しかし、2年目以降は成績低迷によりデストラーデにスタメンを奪われてしまい、カクやデラストーデの活躍で「第三の外人」扱いされ出場機会が激減してしまう。またデラストーデを妬み試合の邪魔をする、キヨハラに「第三の外人くん」と言われて泣きながらキヨハラをボコボコに殴るなど良いシーンがない。1991年広島に飛ばされ、同年退団。
背番号は29(西部時代)→5(広島移籍後)。
デラストーデ(オレステス・デストラーデ
パークレオの不振により入団した外国人内野手。パワーとギャグを兼ね備え、しばしば本塁打王を獲得した。無表情。マイペースであまり周りの空気を読まない。たまに物理的に不可能なボケを噛ますことがある。キヨハラと本塁打王を競うライバル的関係で「キヨチャン」と呼んでいる。1992年退団。
背番号は39。

控え選手

ヨシタケ(吉竹春樹
西部の控え野手。モブのため、台詞はない。ヨシタケはレフトのレギュラーとして、オールスター大運動会の「九人十脚」(二人三脚を9人でやる競技)に出場したことがある。
背番号は2。
ハニューダ(羽生田忠克
西部の控え野手。モブのため、台詞はない。
背番号は10。
アベ(安部理
西部の控え野手。モブのため、台詞はない。5巻の表紙で西部レギュラー陣とともに表紙を飾ったことがある。
背番号は25。
オダ(小田真也
西部の左投手。モリ監督に「左は二流ばっかし、これだけ合わせてよーやくアワノと対等になる」と厳しい評価を受け、同じ左のクドーからは「その他大勢と一緒にしないで下さいよ〜!」とその他扱いされてしまった二流投手の一人。
背番号は52
マエダ(前田耕司
西部の左投手。オダと同じく、その他大勢扱いを受けた一人。
背番号は48
ミヤジ(宮地克彦
西部の左投手。オダと同じく、その他大勢扱いを受けた一人。ただし現実では、彼のみ後に打者転向を果たし、末永く活躍した。
背番号は58
ヒロセ(広瀬新太郎
西部の左投手。オダと同じく、その他大勢扱いを受けた一人。
背番号は66
カメイ(亀井猛斗
西部の左投手。オダと同じく、その他大勢扱いを受けた一人。
背番号は36。
ナラハラ(奈良原浩
名前のみ登場し、姿が描かれなかった選手。ナラハラは内野手。現実で活躍し始めたのは連載後期にあたる時期で、レギュラーが固定されていたために登場機会に恵まれなかった。ナラハラは、1994年、モリ監督がバレンタインチョコを配る際に名前を呼ばれたことから、女性ファンの人気はそこそこあったようだ。
背番号は9。

その他の球団関係者

ツツミオーナー(堤義明
西部ライアンズのオーナー。常に部下を引き連れている。部下の管理に厳しい反面、優勝祝いに特別ボーナスを選手に出すなど、金銭面では気前がいい。そのお陰でキヨハラは、最初ナガシマ監督が就任したカイアンツへ交換トレードによる移籍を希望していたが、すぐに撤回した。
オノ球団社長(小野賢二
西部ライアンズ社長。出番は少なく、2巻の4コマ漫画と1990年の優勝祝賀会(キヨハラの見た夢)に1コマだけ登場した。

東京カイアンツ

オー監督(王貞治
カイアンツの監督。現役時代はホームランの世界記録を作るほどの名選手だったが、監督としては無能と言われている。暗い性格だが調子は良く、本来モリ同様ツッコミ担当だったが、大ボケも多い。しかし何かと損な役回りも多い。在任時はクワタと共に西部にイヤガラセをしていたがほとんどが失敗か自分の首を絞める羽目になっていた。自身もまた、クワタのイヤガラセの最大級の被害者でもある。「ピッチャーカトリ!」という言葉に命をかけ、辞任後もカトリのことをつけ回している。オールスター戦で監督をした時はカトリが選ばれていないのに「ピッチャーカトリ!」を告げた。タコによく例えられている(クワタのタコ焼き屋のダコの看板で登場したコマが唯一登場の話すらある)。通称「ワンちゃん」、「タコ男」。1988年辞任。辞任の際の最後の言葉もやはり「ピッチャーカトリ!」退団時に主役のストーリーも書かれた。辞任後も度々出ている。バットを持つと血が騒ぎ、所構わず千本ノックを始めてしまう[7]ナガシマとはONコンビでよく共演している[8]
なお、一度だけキヨハラが見た夢の中では、オーがモリ監督になって西部のユニフォームを着たことがある(その際のオー監督はホシノだった)。
背番号は1。
フジタ監督(藤田元司
1989年就任。オー監督同様、クワタのイヤガラセ・いたずらに非常に苦労したキャラクターである。しかし反面命令に背く場合は容赦なくクワタを干し、「2軍に落とす!、トレードに出す!」の言葉でクワタを操るなど、実はオー以上に扱いが上手い。イメージアップを図るためにクワタに明るく振舞うことを強制して、クワタを苦しめた。初登場時は「球界の紳士」と言われたが、本性は「球界一の瞬間湯沸かし器」で、時にはホシノ監督にすら殴りかかる。オチアイとは痔持ち仲間。よく「モトジ」と名前を間違えられる。1992年勇退。
背番号は73。
ナガシマシゲオ監督(長嶋茂雄
当初は評論家。1993年就任。通称「ミスター」、「チョーさん」。常に笑っている目つきをしている。派手好き・目立ちたがり・自己中心的な性格。「動物的カン」からトンでもないことを思いつく。息子のカズシゲを溺愛し、息子の行く先々に必ず現れている。オーとは2人で海老一染之助・染太郎の曲芸の披露など、コンビ出演が多い。カール・ロイスの友達だと一方的に思い込んでいる。基本的にボケだが、ツッコミにも回っている。しかし、怒る時は怒り、キヨハラなどをどつく。「ん〜」、「いわゆるひとつの」など、彼独特のナガシマ語を使う。ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくんからレギュラーキャラクターになった。
なお、評論家時代にクワタとオーのイヤガラセによりモリが近鉄戦の最中に心労で倒れてしまいその後の代理監督をナガシマが務めたことがあり、その際に西部のユニフォームを着用している。
また一度キヨハラが見た夢の中で彼が息子のカズシゲになってヤグルトのユニフォームを着用していたこともある。
背番号は33(評論家時代は現役の時の3、1度目の監督就任時の90のユニフォームで登場することがある)。
コンドーコーチ(近藤昭仁
カイアンツのコーチ。1989年就任。フジタ監督の側近。「ベロベロベースボール」など、他の野球漫画で出演は多いが、この漫画ではほんの少ししか出ていない。1991年退団。1993年横浜の監督に就任、最終回の1つ前の回の会議の部分でも体の一部が映っていた。
背番号は72(カイアンツ)→60(横浜)。
ナカムラコーチ(中村稔
カイアンツのコーチ。1989年就任。1990年、クワタ復活[9]を喜びフジタ監督にクワタの即先発起用を進言していた。1992年退団。
背番号は76。
マツイ(松井秀喜
カイアンツの外野手。1993年ドラフト1位で入団。あだ名は「ゴジラ」。高校出とは思えないオジン臭さ。普段は温厚だが、バットを持ち興奮すると尾が生え、熱線を吐く。「ウガ」と鳴き、たまに人語を話さない時がある。教育係はクワタだった。ノモ同様にマイペースすぎるためか、年上に対してやや無礼な態度を取る事も。当初はまだ良識的な一面もあったが、回が進むごとにますます怪物ぶりを発揮し、後に人間かどうかもわからない本物の怪物になった。1994年、「ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん」にタイトルが変わり、主役の座をキヨハラから奪い取った。
背番号は55。
エガワ(江川卓
耳のでかいカイアンツの元エース。常にマイペース。「コーフンしないで下さい」が口癖。1987年現役引退(本当は引退は嘘で、球界に復帰の予定があった。しかし引退試合中、肩に打球をまともに受けて、それが元で復帰不可能になった)。引退後は解説者に就任。たびたび出演していたが、1990年の大運動会を最後に以降はまったく登場しなくなった。肩に故障持ちだが、中国針を10本刺せば9回まで投げられる(実際は江川本人の作り話)。妻はスチュワーデスなのだが、大の飛行機嫌い。
背番号は30。
ナカハタ(中畑清
カイアンツの内野手。明るい、陽気な性格。決まり台詞は「ゼッコーチョー!」。チームリーダー。カイアンツの選手でクワタ、ハラの次に出演が多く、引退時には主役のストーリーも描かれた。当初はボケの多い[10]非常識なキャラだったが、後々常識的に。1989年現役引退後は解説者に就任。1993年打撃コーチとしてカイアンツに復帰。ナガシマ語の通訳が出来る。第5巻(1988年)にて、クワタがセリーグ各チームの4番打者(オチアイ、ポンシェ、ヒロサワ)をカイアンツに入団する代わりに、ナカハタが大洋のコバ監督に引き抜かれる描写があった[11]
背番号は24(現役)→72(コーチ)。
ハラ(原辰徳
カイアンツの4番打者。内野手(その後外野にコンバート)。通称「若大将」(若年寄り)。涙もろい性格。陰が薄く、頼りないキャラで哀愁を漂わせている。当初はクワタのイヤガラセの被害者だったが、クワタのイヤガラセに加担し始め、段々クワタの悪友になっていった。作中での登場回数はカイアンツの選手でクワタの次に多い。
背番号は8。
コマダ(駒田徳広
カイアンツの内野手。別名ウマダ。馬面。に例えられている。当初は常識的で馬扱いされるのを嫌がっていたが、後期からはボケの面が目立つようになった。そしていつの間にか人間をやめ、馬男になった。好物はニンジン。効果音は「ヒヒーン」。走った際の効果音は「パカッ!パカッ!」。人間と思えない力(馬力)を時折発揮[12]。本物の馬と人参早食いで圧倒的な勝利を収め、こいつ人間じゃないと言われたこともあった。1994年、FAで横浜に移籍。
背番号は50(登場時)→10(1988年以降)。
サイトー(斎藤雅樹
1989年カイアンツのエースに覚醒。フジタ監督から信頼も厚く、クワタが最も敵視する人物の1人である。性格は単純かつ純粋。クワタにしょっちゅうだまされている。またイヤガラセの被害も多かった。「だぁ」とシマリのない顔を出すのが特徴。直球を投げる時は口を閉じ、変化球を投げる時は開けて投げる癖がある。
背番号は41(登場時)→11(1990年以降)。
マキハラ(槙原寛己
カイアンツの投手。常に先発ローテーションを占めるが、その分クワタに敵視され、しばしばイヤガラセの被害を受けた。ポストエガワとして、エガワ引退後のエースを志すも、サイトーの台頭で果たせなかった。クワタ、ミズノと「若手三羽ガラス」の愛称を持ち、初期は3人で行動していた。膝に故障持ち。キャラクターが薄い。
背番号は17。
ミズノ(水野雄仁
カイアンツの投手。徳島県・イケタ高校(徳島県立池田高等学校がモデル)出身。高校時代は「阿波の金太郎」の異名を持ち、キヨハラ、クワタが一年の時のLP学園と対戦している。クワタ、マキハラと「若手三羽ガラス」を組み、初期は3人で行動していた(その際、クワタを制裁するのは基本的に彼の役目)。しかしその後リリーフに回されて、作中で出番が減ってしまった。
背番号は31。
キダ(木田優夫
カイアンツの投手。速球派で、1990年はエース級の活躍をしたが、その後は好不調の波が激しく作中でも10巻以降は出番がない。木の格好で「木だ!!」と叫ぶギャグを持っている。一度クワタ作の大リーガー養成ギプスによってヨダよりも速い球を投げられるようになった反面投げるボールが(腕の振りが速すぎて)すべて地中に埋まってしまうという大迷惑を被らされたことがある。気弱だが、選手生命は長く「かっとばせ!キヨハラくん」連載開始当初からいる数少ない現役選手の1人であったが、石川ミリオンスターズで引退。
背番号は47(登場時)→19(1993年以降)。
ミヤモト(宮本和知
カイアンツの投手。地味だが、先発投手陣のリーダー格。1989年公式戦、日本シリーズで連続優勝投手に輝くなど幸運を持っている。その幸運ぶりをクワタに妬まれることもあった。カイアンツ投手陣で彼が一番まともと思われる。
背番号は13(登場時)→21(1990年以降)。
コーダ(香田勲男
カイアンツの投手。超スローカーブが得意。「蝿も止まれる」と豪語している。カーブの握り方について問われると、「こうだ!!」と(カーブの握りを見せながら)叫ぶ持ちネタがある。フジタ監督に日本一の褒美として監督の名前入りの木刀を貰った。
背番号は48。
カワベ(川邉忠義
カイアンツの投手。1990年ドラフト2位で入団。ザンチェ並にでかい顔が特徴。1軍では活躍出来ずに終わる。1990年、開幕投手を誰にするかで悩むフジタ監督の独り言の中で、スポットが当たる横顔シーンがある。
背番号は20。
ヤマクラ(山倉和博
カイアンツの捕手。当初は正捕手だったが、1987年MVP獲得後は怪我に泣き、ナカオ、ムラタの活躍からレギュラーの座を奪われてしまい、1990年現役引退。能無しとクワタに言われたことがある[13]。ヤ枕という駄洒落がある。
背番号は15。
ナカオ(中尾孝義
捕手。1989年、中日からニシモトとのトレードで移籍。怪我の影響で中日での人気は下り坂だった[14]。カイアンツでは優勝に貢献して大活躍。当初はクワタとバッテリーを組むのを嫌がっていたが、クワタの悪ふざけにちゃっかり乗っている辺り、相性は良い。1992年途中、オークボとのトレードで西部に移籍。翌年引退。
背番号は9(中日)→22(カイアンツ)→14(西部)。
アリタ(有田修三
捕手。1986年、近鉄からアワグチ(淡口憲治)とのトレードで移籍。控え捕手だったためにヤマクラ、ナカオに比べれば地味な存在だった。単独台詞はない。その後1990年タイエーに移籍。翌年引退。
背番号は9(カイアンツ)→22(タイエー)。
ムラタ(村田真一
カイアンツの捕手。1990年ヤマクラから正捕手の座を奪い、ベストナインに輝き、ヤマクラを引退に追い込んだ。フジタ監督から背番号15番をもらい、ヤマクラを泣かせたことがある。
背番号は56(登場時)→9(1991年以降)。
モトキ(元木大介
カイアンツの内野手。1990年、タイエーに1位指名されるも拒否。野球浪人中は1位指名をしたタイエーのタブチ監督にイヤガラセを試み、わざわざ球場へ足を運んでいた。野球留学と偽り、ハワイへ行き、翌年の1991年入団。初登場時は大人しいキャラクターだったが、本性は腹黒い。調子が良く、侮れない大ボケ男。そのためかナカハタからは「クワタと意外といいコンビになるかも」と言われたことがある。将来のスター選手に育てようとしていたが、マツイが入団したおかげで存在感が薄くなり、「誰?」とキヨハラに言われてしまったことがある。
背番号は37(登場時)→2(1994年以降)。
オーモリ(大森剛
カイアンツの内野手。1990年、ドラフト1位で入団した。未来のチームリーダーとして期待されていたが、大成せず。彼を1位指名したことにフジタ監督は口に出し、呟いていた。出る度にクワタのイヤガラセに遭う。「ご飯の大盛り(大森と掛けた駄洒落)」が唯一のネタ。
背番号は24(登場時)→32(1995年以降)。
シノヅカ(篠塚和典
カイアンツの内野手。安打製造機と呼ばれ、バッティングセンスは抜群。だが地味。登場回数は多いものの、ほとんど背景の一部としてしか登場しない。西部のツジと違って、台詞が少なく、存在感が薄い。
ただし一度だけ、(オー監督が「背番号6をロに付けさせる」と言っていた、とクワタに騙されて)ナカハタと一緒になってロに「日本式のバッティングを教える」と出鱈目なバッティング(ガニマタになって、股のあいだからバットを突き出して打つ)を教え、オー監督にハンマーで殴られた描写がある。
背番号は6。
オカザキ(岡崎郁
カイアンツの内野手。攻守、共に優れている内野のレギュラー。しかしこの漫画では扱いが悪く、地味で影が薄い。陰気そうな顔のせいで、ナカハタからコマダと共にチームリーダー失格の烙印を押される。しかしニコニコしている描写も多いために、見かけほど暗い性格でないと思われる。
コマダ語(というよりアクシデントでまともに喋れなくなったコマダ)の通訳ができる[15]
背番号は45(登場時)→5(1988年以降)。
スグロ(勝呂壽統
カイアンツの内野手。1987年ドラフト5位も入団は翌年。ルーキーながら遊撃手のレギュラーとなり、「新人王はあなたしかいない!」とクワタにおだてられていた。しかし新人王は取れず、カワイにレギュラーを奪われる。1992年、オリッグスに移籍。
背番号は38(カイアンツ)→25(オリッグス)。
カワイ(川相昌弘
カイアンツの遊撃手送りバントの達人。守備が巧い。老け顔のために「ジイ」というあだ名で呼ばれている。後輩のクワタにあだ名で(しかも間違えて「ジジイ」)と呼ばれ激怒。高年者と思われがちだが、作品中ではまだ20代の若手。クワタとつるんでモトキにデタラメな先輩への挨拶の仕方を教えるなど、黒い面も。
背番号は60(登場時)→0(1989年以降)。
ヨシムラ(吉村禎章
カイアンツの外野手。LP学園出身。長打力、確実性を兼ね備えた4番候補。元々出番は少なく、地味な存在だった。1988年左膝の大怪我で、(怪我ネタから)出演が増える。笑った顔を膝に書き、「ヒザが笑っている」というギャグを持っている(モリモリッ!ばんちょー!!キヨハラくんでも使い回されたネタ)。
背番号は7。
ミノダ(簑田浩二
外野手。1988年、金銭トレードで板急から移籍。作中、一番のイケメン。板急時代は黄金期を支える名選手として活躍した。移籍後は年齢の衰えから、思うように活躍出来ず、1990年引退。翌年からカイアンツのコーチに就任。移籍当初は出番がもらえないことを嘆くシーンがあった。
背番号は1(板急)→2(カイアンツ)→71(コーチ時代)。
オガタ(緒方耕一
カイアンツの外野手。1989年より外野のレギュラーになる。足が速く翌年には盗塁王を獲得。甘いマスクで女性ファンに人気があり、フジタ監督から太鼓判を押されるほど。8巻の表紙に登場しているキャラだが、普段は地味。
背番号は44。
イノウエ(井上真二
カイアンツの外野手。小さく生えた前歯が特徴。本来サブだが1989年はオールスターに選ばれるほどの大ブレイクで一気に人気者になる。サヨナラホームランを打ち、ヒーローインタビューを受けるも、クワタの乱入からインタビューの邪魔をされた。
背番号は52。
マツモト(松本匡史
カイアンツの外野手。第一話から出ているが、出番はほんの少しだった。
背番号は2。
グロマティ(ウォーレン・クロマティ
カイアンツの外国人外野手。ムードメーカー。ファンサービスの「バンザーイ、バンザーイ!」は彼の十八番。野球以外にバンドをやっている。イカ天へ出場することを目指して、1990年退団。フジタ監督にはまだ辞めてほしくないと言われ、クワタと一球勝負をするが負ける。クワタの言うことを聞くことになるが、カイアンツとの契約はしないで、クワタ専用の応援団にされてしまった。一見、気のいい外人で明るい性格だが、本性は黒い。愛称「グロウ」。
背番号は49。
ザンチェ(ルイス・サンチェス
カイアンツの外国人投手。スコアボードより大きい顔が特徴。わがままで、駄々をこねてはオー監督、チームメイトを困らせた。球界内の日本人選手VS外国人選手対抗戦では、投手であるにもかかわらず外野を守っていた(顔の大きさを生かして、キヨハラのホームランをアウトにした)。1987年解雇。その後仏像、ゴルフのキャディなど野球に関係ない仕事に転職した。その際の口癖は「新シイ仕事、見ツケタヨ」。
背番号は20。
ロ(呂明賜
カイアンツの外国人外野手。台湾出身。1988年入団し、怪我のグロマティに代わり、レギュラーに抜擢される。本塁打を量産して一気に人気者へ。漫画でも4巻はレギュラー並に登場していた。しかしその後は現実の呂が大不振に陥り、その影響か、漫画でも5巻以降は目立たなくなり、6巻では、『がんばれ!クワタくん (3) 』の話で久々にセリフを言う。これが彼の最後のセリフで、その後は背景化した。1991年退団。
背番号は97(登場時)→12(1989年以降)。
ガソリン(ビル・ガリクソン
カイアンツの外国人投手。愛称は「ガリー」。1988年入団。クワタのイヤガラセの標的にされ、何度も作中でひどい目に遭わされている。名前がガソリンなので背中に火をつけられたり、手をハンマーにぶつけられて骨が折れたことも(しかし実際は漫画とまったく違い、桑田を尊敬している)。1989年退団。
背番号は20。
プラウン(マイク・ブラウン
カイアンツの外国人外野手。1990年入団。クワタの瞳にだまされて、痛い目に遭った外国人。地味で影が薄く、プラウン本人も「ボク、ゼンゼーンメダタナーイ…」と自虐していた。同年退団。
背番号は9。
プラットリー(フィル・ブラッドリー
カイアンツの外国人外野手。1991年入団。現役バリバリの大リーガー。フジタ監督の「バリバリ活躍して!」の「バリバリ」を、顔をバリバリに引っ掻くことと意味を勘違いした。また事故でサイトーを便器に落っことした。作中では明るい性格だが、実物は内向的で暗い性格。同年退団。
背番号は2。
モズピー(ロイド・モスビー
カイアンツの外国人外野手。1992年入団。いつもせっかち。常に走っていないと落ち着かないうっとうしい性格。あだ名は「モスラ」。ゴジラ(マツイ)に対抗して、モスラの格好で、自力で空を飛ぼうとしたことがある。1993年退団。表記違いは「モスピー」。
背番号は49。
パーフィールド(ジェシー・バーフィールド
カイアンツの外国人外野手。1993年入団。元大リーガー。クワタにだまされて、草履を食べ物と信じ込んだ。(クワタに誘われたとはいえ)練習中に構わず食堂に行くなど、あまり真面目な性格でないと思われる。同年退団。
背番号は29。
カワカミ(川上哲治
カイアンツ黄金時代の監督。野球の神様と言われるが、作中では威厳がない。「笑年野球教室」のコーチ役で登場し、ゲストとしてキヨハラ、クワタを呼んだ。しかし、ボケまくる2人に対し、真面目に野球の指導をやってもらいたいために土下座をしたことがある。ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん1巻にも少し出ている。
ショーリキオーナー(正力亨
カイアンツのオーナー。いつも笑っているが、ヒガシオを2億で引き抜こうとしたり、クワタに「手抜きしたら減俸」と言ったなど、やることはえげつない。その後ベロベロベースボール登場以降は少し雰囲気が変わり、以前のように笑う描写は少なくなって、代わりにネト〜っとした感じの不気味な表情に顔が定着する。

プロ野球パリーグ球団

板急ブルーブス→オリッグスブルーブス→オリッグス・ブルーウェープ

ウエダ監督(上田利治
板急・オリッグスの監督。定番は「ええで、ええで」であるが、1989年の僅差で近鉄に優勝されたときはモリ監督と共にイヤガラセをしていた。パ・リーグで南海、近鉄と手を組んで関西連合軍チームを結成したり、近鉄との「オリッ鉄バッパローブス」を作るなど、西部を倒すための連合軍では中心にいることが多い人物。1990年勇退。
背番号は30。
ドイ監督(土井正三
1991年就任。暗い性格でチームが低迷し泣きながらの登場。元カイアンツのよしみでカイアンツとの連合軍チームを作ったがうまくいかなかった。優勢時は強気になるがどこか卑屈。クワタに「牛乳を飲めば背は伸びます」と言われ、背が低いことを馬鹿にされた。1993年退任。
背番号は75。
ヤマダ(山田久志
板急の投手。アンダースローが武器のサブマリンエース。300勝目前の大投手だが、衰えは隠せない。1球投げるごとにトレーナーに肩をもんでもらい、クドーに年寄り扱いされる。1988年引退。300勝に届かず、284勝に終わった。
背番号は17。
フクモト(福本豊
板急の外野手。俊足巧打の大ベテランだが、ちょっと走っただけで咳き込む、足がもつれるのでヤマダから「これ使え!」と赤ちゃんの歩行器を渡されるなど、衰えは隠せない。クドーに衰えのことでバカにされ激怒し、ヤマダ達と一緒に西部対板急の試合をベテラン対若手の試合に変更させたことがある。1988年現役引退、その後はそのままオリッグスのコーチに就任した時は何故かクワタに、チビと言われる。1991年退団。
背番号は7。
ホシノ(星野伸之
板急・オリッグスの投手。ファンから星の王子様と呼ばれ親しまれているせいか、よく王冠を頭に載せて投げている。個人成績の悪かったフジモトジュージを王子様(自分)の馬にしたことがある。打者のイケヤマに「王子様とおよび!!」と叫んだことがある。
背番号は28。
ヤマオキ(山沖之彦
板急・オリッグスの投手でカミソリシュートが得意の若きエース。しかし漫画では4コマに1回出てきたのみで後はまったく登場しなかった。
背番号は12。
イシミネ(石嶺和彦
板急・オリッグスの外野手。主砲だが、肝炎のために本塁打と点滴の両方を打つ。カドタ、フーマーら、他のオリッグスの主砲に比べると、影が薄い。1994年FAで板神に移籍。
背番号は29(登場時)→3(1988年 - 1993年)→29(1994年以降)。
マツナガ(松永浩美
板急・オリッグスの内野手。1988年ベストナイン。ナガシマシゲオに地味呼ばわりされた一人。1993年トレードで板神に移籍するが、1年でFA宣言し、タイエーに移籍した。
背番号は8(登場時)→2(1993年)→02(1993年途中)→3(1994年以降)。
フクラ(福良淳一
板急・オリッグスの内野手。1988年ベストナイン。ナガシマシゲオが表彰役を務めたが、「地味」と言われて簡単にすまされた一人。
背番号は51(登場時)→1(1988年以降)。
フジイ(藤井康雄
板急・オリッグスの外野手。1990年はチームメイトのイシミネ、カドタと共にホームラン王を競ったが、本来は中距離ヒッター。
背番号は38(登場時)→10(1989年)→8(1993年以降)。
タカハシサトシ(高橋智
板急・オリッグスの外野手。体が大きく、超特大ホームランをかっ飛ばせるほどのパワーを持った本塁打王候補の一人。
背番号は44。
クマノ(熊野輝光
板急の外野手。デッドボールのワンシーンに1コマだけ登場する。1992年カイアンツへ移籍。1994年現役引退。
背番号は6(登場時)→2(1992年)→5(1994年)。
フーマー(ブーマー・ウェルズ
板急・オリッグスの外国人内野手で三冠王打者。この作品でフーマーがタイエーのユニフォームとユガミダニのお面で変装をしたことがあるが、その後1992年、実際にタイエーへ移籍。クワタを投げ飛ばして、ホームラン級の飛球をキャッチさせる必殺技を持っている。大柄な体型から、よく盾の代わりに使われる。名前が「プーマー」だったこともある。
背番号は44(板急・オリッグス時代)→23(タイエー移籍後)。
アニマロ(アニマル・レスリー
板急の外国人投手で別名・マウンドの大道芸人。クワタにユニフォームを盗まれたことを怒り、ふんどし一枚で自分のユニフォームを着たクワタを追いかけていた。恥をかいた腹いせにキヨハラに球をぶつけようと企むが、その球をホームランにされるなどいい場面がない。1987年限りで解雇。
背番号は50。
ポプマン(ガイ・ホフマン
オリッグスの外国人投手。外人同士は結束が固いことを日本人に知らしめた選手。フーマーがキヨハラの罠にはまった時も他の誰より早く、真っ先に駆けつけた。1989年入団し、1991年退団。
背番号は38。
フィリアムス (ダラス・ウィリアムズ
板急の外国人外野手。南海、板急、近鉄の3球団連合軍チームの2番を打っていた選手。1〜5番までが外国人という超強力打線の中で1番パッとしない成績だった。この年(1988年)限りでチームを解雇。
背番号は4。
ナカジマ(中嶋聡
板急・オリッグスの捕手。1990年のオールスター戦では西部のイトーに代わってミットを構えるが、結局ノモの速球に耐えられず、すぐ日ハムのタムラと交代にした(このため、名前だけで顔はまったく出ていない)。出番は少ないが、かっとばせ!キヨハラくんの連載開始当初からいる数少ない現役選手の1人であったが現在は引退。
背番号は27。
サトー(佐藤和弘
オリッグスの外野手。通称「パンチサトー」。単行本12巻の表紙などに出ているが、本編での登場は一度きりである。しかし作者が書く別の野球漫画、ベロベロベースボールだとメインキャラクター並に活躍している。
背番号は45(登場時)→90(1994年)。
ネプチュン(ネッピー
オリッグスのマスコット。助っ人に加わったカイアンツ・コマダを励ますが、その顔を見てコマダは震え上がってしまい、三振。怒る中の人をドイ監督がなだめていた。
背番号は111。

近鉄バッパローズ

オカモト監督(岡本伊三美
近鉄の監督。西部戦で「高校野球の頃に戻ってプレーしろ」とハッパをかけられた西部ナインのボケに怒る。とっても怒りっぽい性格のため、高血圧にならないか心配されている。1987年勇退。
背番号は72。
オーギ監督(仰木彬
1988年就任。西部を倒すために数々の秘策を練るが、キヨハラの大ボケにいつも負けてしまう。自ら「私が監督のオーギです」と自己紹介するのが癖。1992年勇退。その後1994年、オリッグスの監督に就任。河合じゅんじの野球漫画「フリフリ!イチローくん」では、脇役として活躍している。
背番号は71(近鉄)→72(オリッグス)。
スズキ監督(鈴木啓示
1993年就任。性格は頑固。この漫画ではオールスターのコーチとして登場。勝手にパリーグの作戦をセリーグにばらしてしまうクワタレポーターを見て怒り、クワタを蹴り飛ばす。
背番号は70。
ナカニシコーチ(中西太
近鉄のコーチ。1989年の日本シリーズでオーギ監督の隣にいる「カバ顔の人物」。ここでは背景だが、河合じゅんじが描く他の野球漫画『ベロベロベースボール』ではメインキャラ並みに活躍している。
背番号は77。
アワノ(阿波野秀幸
近鉄のエース。みたいにちょこっと生えた前歯が特徴。クワタの邪魔に遭うことが多く、クワタの形に彫ったバットを見た途端、顔の部分目掛けてボールを当てたことがある。日ハムのニシザキとは新人王を争った時からのライバルだったが、1990年によるノモの入団以降はエースの座を奪われてアワノ本人の成績低迷など、あまりニシザキのライバルと呼べる感じではなくなって行き、作中での扱われ方が酷くなってきた。
背番号は14。
ノモ(野茂英雄
1990年、ドラフト1位で入団した近鉄の新エース。別名牛男。大きなフォークが武器。トルネード投法と呼ばれる特殊な投げ方で観客を魅了し、彼の投げる試合は毎試合、照明まで客が押し寄せる超満員となる。赤い布を見ると興奮して暴れ牛になる。しかし近くで牛肉を食べる人を見ると、自分が食べられている錯覚に陥り、パワーダウンしてしまう。本物の牛の友達が多くいる。尻のデカさが自慢。少し太りすぎ(1990年オフは体重が100キロを超えていた)。干し草が大好物。殻破りボール(元ネタは野茂出演のサントリービールCM)でキヨハラを苦しめた。ノモコールの度に大量の飲み物を飲み続けるギャグがある(「ノモ」⇔「飲もう」)。当初はまともだったがしだいにボケを盛んにかますようになり、マイペース過ぎて目上の者に対して少し態度が悪い。
背番号は11。
オーイシ(大石大二郎
近鉄の俊足選手でフクモトから盗塁王を奪った実力者である。1番打者なので割と頻繁に出ているが素顔が地味に描かれている。第5巻(1988年当時)にて、キョンシーに扮した近鉄ナインが西武の秋季練習を妨害した際、「130試合目に優勝を逃した[16]、かわいそうな近鉄」と言っていたことがある。クワタがサイトーのクセを近鉄の選手に教えたため、オーイシはサイトーの初球をあっさりホームランにしてしまったことがある[17]
背番号は4。
アライ(新井宏昌
近鉄の外野手。LP学園出身の一人でLP学園出身者が集まって出来た新チーム・LPガクエンズでチームリーダーを務めた。首位打者経験がある。LPの後輩であるキヨハラにはよく先輩風を吹かすが、クワタには「タライさん」と名前を間違えられる。『ベロベロベースボール』では無表情キャラになっている。
背番号は9。
ヨシイ(吉井理人
近鉄の投手。クワタに麻酔で眠らされ、誘拐された中継ぎエースの一人。8回裏2アウトランナー3塁の場面の時、オーギ監督がそれまで投げていたヨシイを降板させて、アワノを出す(実際はアワノのユニフォームを着たクワタだった)というシーンがあったが、これは1988年当時、実際の試合でもよく見られた光景であり、それが原因でオーギとヨシイの間に確執があったとの話もある。
背番号は36(登場時)→11(1989年)→21(1990年以降)。
オノ(小野和義
近鉄の投手。東京都・ソーカ高校(創価高等学校がモデル)出身。キヨハラとクワタが高校一年で出場した甲四園にて、ソーカ代表のエースとして出場していた。ソーカのユニフォームで登場し、巨大な斧を持って、自分の名前を名乗っていた。同じ斧でも中日のオノほど、ひどい扱いをされていない。
背番号は26。
カネムラ(金村義明
近鉄の内野手。1度、投手でないのにクワタを縛りつけたバットで打とうとするキヨハラを見て、アワノに「俺に投げさせてくれ!」と頼んだことがあるが、これは入団当初カネムラは投手だったためである。
背番号は6。
プライアント(ラルフ・ブライアント
1988年、金銭トレードで中日から移籍した外国人外野手。移籍後は「恐怖の大砲」と呼ばれ、他球団から恐れられる存在となる。キャッチフレーズは「神さま、仏さまっ、プライアントさまだーっ![18]」。凄まじい破壊力を持ち、彼の打つ球はカイアンツの野手7人が総出でかかっても止められない。「三振かホームランか」の典型で、アウトのほとんどは三振(三振以外のアウトは1度だけで、1992年にキヨハラが記憶喪失になった時、1回表にライトフライに倒れた)。よくキヨハラにどつかれ逆恨みされる。その影響か、日ハムのファインタースとチューと共に不調のキヨハラを馬鹿にしていた。唯一プライアントのパワーでも勝てなかったのは、1990年のオールスター戦のホームラン競争で、オチアイ、イケヤマ、コマダの3人によるスイングでできた強風のみ。
背番号は49(中日時代)→16(近鉄移籍後)。
デーヒス(リチャード・ディック・デービス
近鉄の外国人内野手。ちょっとおっかない外人と巻末に書かれ、本物のデービスも東尾殴打事件など問題行動ばかりを起こしていた。1988年途中、大麻所持が発覚で逮捕、そのまま強制帰国・退団となってしまう。初台詞は「オウ、イエース」。表記違いは「テービス」。
背番号は15。
オクリピー(ベン・オグリビー
近鉄の外国人外野手。南海、板急、近鉄の3球団連合軍チームの4番を打っていた選手。オールスター戦では「イエ〜イ!」とガッツポーズをしながら飛び跳ねていた。1988年退団。
背番号は10。
トレーパー(ジム・トレーバー
近鉄の外国人内野手。1991年 - 1992年の2年間在籍した。丸い目、でかい鼻、でかい顔が特徴。西部内野陣が一斉で彼の打席の前に集まり、泣いて訴えるみごとな打撃妨害と言える、「涙の訴え作戦」を前にずっこけてしまう。
背番号は33。
イシイ(石井浩郎
近鉄の内野手。4番だが地味。トレーパーと同じく、「涙の訴え作戦」に引っ掛かっていた。ここでは地味だが、ベロベロベースボールでは耳のでかさや、年齢より老けていることがネタにされ、わりと活躍している。
背番号は3。
ヤマシタ(山下和彦
近鉄の捕手。最終回の一打サヨナラ場面の時、キヨハラが大ボケをしてストライクか、ボールかよく分からない球を審判にストライクであると抗議していた(その抗議が認められてキヨハラは三振、試合は近鉄の勝利となる)。ポジションが捕手のため、普段はほとんど目立たない。
背番号は40(登場時)→10(1989年以降)。
ミツヤマ(光山英和
近鉄の捕手。試合では主にヤマシタとの併用で使われる。ノモ専用の捕手として実際に起用されていたため、作中でもノモの球を捕っているシーンが多い。
背番号は56(登場時)→44(1990年以降)。
スズキ(鈴木貴久
近鉄の外野手。クドーが近鉄の打線を三者連続三振に仕留めた場面でちょっと出てきた。後ろ姿で1回出てきたことがある。クワタのイヤガラセに反応したことがある。
背番号は44(登場時)→2(1990年以降)。
アワグチ(淡口憲治
近鉄の外野手。クワタがサイトーのクセを近鉄の選手に教えているときにその中に居た。
背番号は7(登場時)

南海ハークス→福岡タイエーハークス

スギウラ監督(杉浦忠
南海・タイエーの監督。カガワと一緒に登場することが多い。性格も暗く、次期監督候補のタブチに決まってもないのに、監督面をされるなど影も薄い。1989年に退任。「ど〜せタブチくんに比べりゃ地味ですよわたしは」と卑屈な台詞を残す。
背番号は71(南海)→81(タイエー)。
タブチ監督(田淵幸一
タイエーの監督。当初は解説者。1990年より監督。しかし監督就任後は新人モトキの獲得に失敗、よそのチームのトレード要員をばらすなど、何度も失態をさらす典型的なダメ監督になった。親会社の力に頼る場面もしばしば見られる。基本的に明るい陽気な性格だが、反面傷つきやすく、すぐに泣いてしまう。他人に厳しくて自分に甘い。1990年の大運動会には、これでもやせたと自分が言いつつも綱引き対決の代表に選ばれてしまった。ホシノ・ヤマモト両監督と現役時代からの親友。愛称「ブチ」、「タブチくん」、「タブタ」。1992年辞任。
ちなみに、コミックス8巻にて、就任前にカガワのユニフォームを着て登場したが、モリ監督に「来年のタイエーは勝負を捨てたな」と言われ、その通りになってしまった。
背番号は81。
カドタ(門田博光
40歳で二冠王(ホームラン、打点)を獲得したハークスの頼れる主砲。しかし体型がカガワと同じせいか一緒に出てくることが多く、やはりデブネタが多い。ハークスが福岡に移転すると金銭トレードでオリッグスに移籍し、1991年、ハークスに復帰。1992年に現役引退。引退時には引退試合のストーリーも描かれた。
背番号は60(南海)→78(オリッグス)→53(タイエー)。
カガワ(香川伸行
南海・タイエーの捕手。通称「ドカベン」。デブキャラとして作者に重宝されている。その体型が自らの首を絞めることとなり、1988年オフには球団から減量命令が出され、公式20kg減量したと描かれていたが、外見ではその数式以上に減量したに見え、やせすぎてしまいスタミナがなくなりスギウラ監督に体内に空気入れかせリバンドする。さらにその肥満体形が原因で、1989年に解雇・引退に追い込まれる。デブネタ多数で、この漫画に出てくる捕手の中で1番目立つ存在。ただし、本人は、デブを妊婦としてネタにされるのは嫌っているようで、1度それをやったキヨハラを押し潰して「そーいう冗談一番嫌いなんや!」と怒鳴った。キヨハラとのトレード要員になった際は、モリ監督に「漬物石の代わりにしかならない」と言われ、断られた(西部はキヨハラ⇔タイエーはカガワ+タイエースーパー1店舗)。キヨハラにブタ呼ばわりされているが、本物の清原は彼のことを尊敬している。引退後も特別ゲストとしてたびたび登場している。またキヨハラが絶好調の時にはホームベースにクワタの顔を書き、驚かせて三振に打ち取った。
背番号は2。
フジモトシュージ(藤本修二
南海・タイエーの投手。愛称「ニャンコ」。南海時代はエースだったが、その後不振に陥った際は、馬面だからという理由でホシノ(板急)の馬役をやらされ、ずっと2軍暮らしが続いた翌年、本調子でないのに1軍登板させられたりと大衆の前で失態をさらすシーンが増える。その後1991年板神、1993年西部へ移籍。
背番号は20(登場時)→26(1991年)→13(1993年)→15(1994年)。
ニシカワ(西川佳明
南海・タイエーの投手。LP学園出身。ワカイと同様彼もクワタに無名扱いされている。実はクワタ・キヨハラとは先輩後輩の関係以前に同期入団である。しかしそれなのにクワタに名前を覚えてもらっていない無名な選手。後に1991年、トレードで板神へ。
背番号は21(南海)→41(板神)。
チカダ(近田豊年
南海・タイエーの投手。1988年テスト入団。右はアンダースロー、左は速球派、左右どちらでも投げられるスイッチ投手。一球ごとに違う手からの投球でキヨハラを翻弄した。実際の近田投手は一軍登板は1度きり、未勝利に終わった。後に1991年、トレードで板神へ。
背番号は13(登場時)→42(1989年)→53(1991年)。
選手A(コバヤカワ)(小早川幸二
南海・タイエーの投手。1989年テスト入団。二軍暮らしが続き、キヨハラの藁人形で一軍投手が全滅した試合で三番手として登板。しかし実況にすら名前を呼んでもらえず、「選手A」扱い。「うう…、ひどい」と泣きながら投げていた。1991年中日、1993年広島に移籍。実際の小早川は広島で初めて一軍登板した。
背番号は64(登場時)→99(1990年)→65(1991年)→67(1993年以降)。
ムラタ(村田勝喜
南海・タイエーの若きエース。投げる時に「ムラタだ〜!」と叫ぶなど、ムラタチョージの真似をしている。本物のムラタチョージがこのムラタの代わりに、対西部戦の特別ゲストとしてマウンドに立ったことがある。12巻によく出てくる。後に1994年、トレードで西部へ。
背番号は18(タイエー時代)→21(西部移籍後)。
ワカタベ(若田部健一
タイエーの投手。1992年、ドラフト1位で入団。「ゴールデンルーキー」を売りに身体に金粉を塗りたくるが、それが原因で窒息、クワタとキヨハラに助けられた。好調時は眉毛が伸び、その眉毛で打球を捕らえることや洗濯物を干すことが出来る。時々眉毛をクワタの玩具にされる。
背番号は14。
オーノ(大野久
板神・タイエーの外野手。板神ではクワタから先頭打者ホームランを打つが、「得点をゼロに留めろ」と言われたのを意図的に曲解して、「アウトをゼロで留めた」クワタの片八百長だった。1991年タイエーに移籍。タイエーでは酔ってまともに守れないツジの前にゴロを打つが、ツジごと投げつけたキヨハラのプレーが認められて、アウトになった。
背番号は33(登場時)→2(1989年以降)。
ヤマモト(カズ山本
南海・タイエーの外野手。かなりエグイ顔でベロベロベースボールではドラキュラの「ドラ」と呼ばれている。気性の激しい性格。外野フライを捕ろうとして、くしゃみをした反動でボールを弾いてしまい、そのボールがそのままレフトスタンドに入るという記録的な珍プレーを見せた。
背番号は29。
ササキ(佐々木誠
南海・タイエーの外野手。主に1番打者として活躍するが、キヨハラの大ボケで痛い目に遭うことが多い。1994年、アキヤマ達とトレードで西部に移籍。
背番号は0(登場時)→3(1989年)→1(1994年以降)。
キシカワ(岸川勝也
南海・タイエーの外野手。カドタ移籍後、4番に定着。キヨハラの勝手に作ったラッキーゾーンに、キシカワが捕ろうとした打球が入り、それが何故か審判に認められてホームランになったことがある。
背番号は44(登場時)→8(1990年以降)。
ワカイ(若井基安
南海・タイエーの内野手。LP学園出身。1989年、LP出身者の合同練習が行われた回で登場した。クワタに無名扱いされ、何故かクワタの前でオドオドしていた。
背番号は14(登場時)→25(1992年以降)。
ユガミダニ(湯上谷宏
南海・タイエーの内野手。地味というか、ごく普通の選手。一度フーマーが彼に変装して打席に立ったことがあるが、ユニフォームを着て彼のお面を付けただけなので(しかもお面がフーマーの顔のサイズに合っていなかったために)、正体がバレバレだった。
背番号は6。
パナザード(トニー・バナザード
南海・タイエーの外国人内野手。1988年入団。南海、板急、近鉄の3球団連合軍チームの1番を打っていた。血の気の多い暴れん坊。1990年退団。
背番号は9。
ラカ(マイク・ラガ
タイエーの外国人内野手。1991年入団。唯一の見せ場はキヨハラが打った打球がイレギュラーして、自分の顎に当たったシーン。相手チームに2点献上してしまう。1992年退団。
背番号は44。
カトー(加藤伸一
南海・タイエーの投手。本編では1コマしか出てこない選手。しかし作中2度も、クワタの藁人形に名前が書いてあった。呪いが効いたか(?)その後本当に怪我をして出場機会を失う。
背番号は17。

日ハムファイタンズ

タカダ監督(高田繁
日ハムの監督。カイアンツとフランチャイズが同じなので、オー監督と一緒に出てくることが多い。東京ドームの完成を一緒になって喜んでいた。だが、その後はどっちが先に東京ドームに入るかでもめるなど、争いも絶えなかった。1988年退任。1992年カイアンツのヘッドコーチになるも同年退団。
背番号は80(日ハム)→72(カイアンツ)。
コンドー監督(近藤貞雄
1989年就任。短気で失敗した選手を容赦なく罵倒。反面目立ちたがりで、ギャグや大ボケには甘い。ニシザキとマツウラをハムの詰め合せにしたり、ふんどしとビキニだけで裸踊りなど、目立つためなら何でもやる性格。ホシノ監督に勝てる数少ない一人(ホシノが現役時代、コンドーは中日の監督だったため)。1991年退任。
背番号は就任時の自分の年齢と同じ63。
ドバシ監督(土橋正幸
1992年就任。江戸っ子監督。やる事全て過激で気性が荒く、喧嘩っ早い頑固親父。顔がでかく、鼻がかなり強調されている。元ヤグルトの監督でもあり、ヤグルトナインとは親交が深い。『いけいけ!!スワローズ』の準レギュラーとしても活躍している。しかし日ハムでは1年で退任したために、ここでは1回しか出てこない。
背番号は72。
オーサワ監督(大沢啓二
1993年就任。あだ名は「親分」。「江戸っ子」監督で、前任のドバシ監督とキャラがかぶっている。12球団の監督が集まって、Jリーグに対する策を考える会議の中で選手全員がふんどしでプレーというアイディアを出したが、ノムラ監督に「いい歳してようそんなこと考えるな…」と言われ、相手にしてもらえなかった(だがノムラ監督も人のことが言えないアイディアを出していた)。
背番号は86。
ニシザキ(西崎幸広
最多勝を獲得した日ハム不動のエース。女性ファンから人気があり、プレゼントがたくさん贈られる。そのプレゼントを利用して西部の選手達を買収したことがあった。アワノとは新人時代からのライバル関係。よくキヨハラのボケで調子が崩れることが多く、混合戦で同じチームで投げると、必ず短気を起こして、途中自らマウンドを降りてしまう。わりと短気な性格。そのため、普段は主にツッコミ担当。
背番号は21。
オーシマ(大島康徳
1988年、中日から移籍した内野手。現役生活26年の大ベテランだが、この漫画で登場シーンが少なく、慣れない捕手をやっていたためにキャッチャースタイルのままで立てないキヨハラをアウトにした場面以外、出番が少ない。
背番号は5(中日)→11(日ハム)。
マツウラ(松浦宏明
ニシザキと2人両エースとして日ハムを支えるが、こちらはいくらか地味。1巻の「完全版!!オールスター名鑑」では日ハムの日本人選手が唯一彼だけ載っている。1988年最多勝投手が彼を含めて3人(ニシザキワタナベ)いたために、「両リーグベストナイン対決」での試合の時に、3人全員がマウンドに上がって同時に投げるという奇策をキヨハラの提案で実行した。
背番号は59(登場時)→0(1988年)。
ツノ(津野浩
日ハムの投手。高知県・コーチ商業(高知市立高知商業高等学校がモデル)出身。キヨハラとクワタの高校一年での甲四園にて、コーチ商業代表のエースとして、出場していた。頭にを生やしているが、角はあってもなくても迫力はない。1992年広島、1993年中日へ。
背番号は30(日ハム)→13(広島)→52(中日)→31(ロッデ)。
タナカユキオ(田中幸雄
日ハムの内野手。同姓同名の投手は登場しない。1988年ベストナインに選出され、ナガシマシゲオが表彰役を務めたが、「地味」と言われて簡単に済まされる。読者投稿から看護婦コスプレで、打席に立ったことがある。キヨクワとは同期入団。
背番号は37(登場時)→6(1991年以降)。
カネイシ(金石昭人
LP学園出身で、元広島のエースピッチャーだったが作中ではたったの1コマしか出てこなかった(1992年のオールスター)。
背番号は47(広島)→23(日ハム)。 
サカイ(酒井光次郎
日ハムの投手。1990年ドラフト1位で入団。新人で10勝を挙げるが、この年は同じ新人で賞を総なめにしたノモがいたために新人王は取れなかった。逆恨みしてノモを藁人形で攻撃した。その後はそれほどパッとしない成績。
背番号は14。
シバタ(柴田保光
日ハムの投手。対西部戦でマツイが特別参加した試合の先発投手だった。マツイの迫力に怯え、目をつぶって投げるなど、割と弱気。外国人並に高い鼻が特徴。1994年現役引退。
背番号は13。
タムラ(田村藤夫
日ハムの正捕手。1990年のオールスター戦ではノモの速球で手が腫れあがったイトーナカジマの代わりとしてキャッチャーミットを構えるも、結局ノモの速球に耐えられず交代。「交代させて下さい!」と言いながらメソメソ泣いていた。
背番号は22。
ナカジマテルシ(中島輝士
作中には1992年のオールスター戦でモブとして出ている。
背番号は7。
フルヤ(古屋英夫
日ハムの内野手。東西対抗戦で起きたスタメンサード争奪戦に参戦。知名度の問題から、チョーシ(太洋)、ニシムラ(ロッデ)と共に真っ先に脱落した。1991年板神へ移籍。翌年引退。
背番号は5(日ハム)→12(板神)。
シライ(白井一幸
日ハムの内野手。キヨハラと背番号3同士で「三番会」という会を結成したが、キヨハラと後から入ったカズシゲの人気に差を見せつけられて、いじけた。ナガシマシゲオに地味と言われた一人。
背番号は3。
ヤハギ(矢作公一
日ハムの内野手。1989年入団した巨大なスラッガー。カガワにも勝るデブキャラとして話題をさらうが、プロでのホームラン0本とイマイチパッとしなかった。作中では群衆シーンに少しだけ顔を出し、「ルーキーのヤハギです」とさりげなくアピールしている。
背番号は33。
シマダマコト(島田誠
日ハムの外野手。主に1番打者。同じ球団に同姓の選手がもう一人いるため珍しくフルネームで書かれた。1990年の開幕戦でいきなり初球を打ち上げたことから、コンドー監督に下手くそ呼ばわりされ、塁に走っている最中までしつこくののしられ続けた。1991年タイエーに移籍。同年現役引退。
背番号は8(日ハム)→0(タイエー)。
スズキ(鈴木慶裕
日ハムの外野手。シマダ移籍以降、1番打者として定着。超強力接着剤「くっつくクン」のせいで、手が使えないキヨハラがファーストを守っていたために楽々セーフでサードゴロが内野安打に。
背番号は2。
プリューワ(トニー・ブリューワ
日ハムの外国人外野手。1987年オールスターゲームでパ代表のホームランバッターとしてAK砲と共にホームラン競争に参加していた。単行本1巻の「完全版!!オールスター名鑑」では日ハムの選手でマツウラと共に唯一載っている。1990年退団。
背番号は44。
イーズラー(マイク・イースラー
日ハムの外国人外野手。ゴルフスイングのような豪快なフォームでどんな内角高目の球も打ってしまう。作者が出てきてこのフォームが事実であることを解説していた。打席に立つと不気味に「イッヒッヒ」と笑う。1989年退団。
背番号は6。
フィンタース(マット・ウインタース
日ハムの外国人外野手。守備は下手だが、一発長打とひょうきんな性格が魅力でいつでも観客を楽しませる人気者。被り物が好きで、特にチョンマゲのかつらがお気に入り。ホームランを打った時も、守備位置についた時も、乱闘の時もこのかつらをかぶって踊っていた陽気な選手。1990年1994年の5年間在籍。
背番号は10。
チュー(リック・シュー
日ハムの外国人内野手。フィンタース、プライアント(近鉄)の3人で「外国人ホームラントリオ」を結成。不調のキヨハラを馬鹿にしていた(実は彼自身の成績はキヨハラと大して変わらない)。1993年入団。翌年退団。
背番号は9。

ロッデオニオンズ→千葉ロッデモリーンズ

アリトー監督(有藤道世
ロッデの監督。非常に短気。ホシノ監督とキャラがかぶっており[19]、一緒に出てくることが多い。ロッデを散々コケにしたヒガシオと因縁があるが、始球式で、危険球を投じたヒガシオにキレると思ったら、あまりにもいい球を投げるので「うちでもう1年やんない?」と契約書を差し出したことがあり[20]、西部が3年分連続のチャンピオンフラッグを掲げてきたのに対抗して首位打者のタカザワを代わりに掲げるなど、茶目っ気がある。1989年退任。2年連続最下位は自分の責任ではないと主張した。
背番号は81。
カネダ監督(金田正一
1990年就任。通称カネやん。現役時代は国鉄→巨人に在籍。いつも元気すぎるほどで常に「ガッハッハ!」と笑い、喜ぶと踊る癖がある。しかし本人の元気と裏腹にチーム成績は悪かったために、時々卑屈になり、愚痴をこぼす[21]。練習では選手達に徹底的に走り込みをさせて、ハワイまで海底を走らせたことがある。1991年、チーム名が変わると同時に退任。
背番号は34。
ヤギサワ監督(八木沢荘六
1992年就任。前の2人と違って、冷静沈着な監督。ベロベロベースボールではレギュラーキャラとして活躍しているが、キヨハラくんだと12巻の柱のイラストに描かれていただけで本編では一回も登場していない。元西部投手コーチ。
背番号は80。
ムラタチョージ(村田兆治
ロッデのベテラン投手。肝がすわっていて、マサカリ投法で繰り出す鋭角フォークと、初速終速差が少ないストレートが武器。初速終速差のないストレートは、まさかりトマホークで飛ぶみたいに描かれていたことがある。本来は先発だが、この作品ではタイエーのムラタの代わりに特別出演して、ワンポイントリリーフとして登板したことがある。また、200勝達成時に記念出演したことも。キャッチフレーズは「ムラタだ!」。ひじに故障持ち。1990年現役引退。
背番号は29。
ウシジマ(牛島和彦
ロッデの投手。1987年、オチアイとのトレードで中日から移籍。火消し(リリーフ)トリオの1人だが、その後チーム事情から先発に転向。単行本1巻の「完全版!!オールスター名鑑」ではロッデの選手が彼1人しか紹介されていない。「ひとりぼっちはさみしいけど、ガンバルぞ」と書かれてあった。1993年現役引退。
2005年に横浜ベイスターズの監督に就任したものの、モリモリッ!ばんちょー!!キヨハラくんには登場せず、15年ぶりの再登場はなかった。
背番号は27。
ソウ(荘勝雄
ロッデの外国人投手。台湾出身。苗字がソウなので、何を聞かれても「ソウ、ソウ!」としか答えない。相手チームに連打された時はカネダ監督に「こりゃ!ソウ!そう簡単にヒット打たすなー!!」と叱られたのを、「オー、シャレウマ〜イ」と自分の名前を使ってごまかしていた。
背番号は15。
マエダ(前田幸長
ロッデの左のエース。死球でキヨハラの出っ歯をへし折り、キヨハラは襲いかかったが、ティアズが返り討ちにした(現実の世界でも1989年に同チームのヒラヌマ(作中には出てこない)のデッドボールで清原が乱闘に出た時には清原を止めていた)。騒動の根元は彼なのに(一応謝ってはいたが)、ティアズ登場後は、後ろで「やーいやーい」と笑っていて、あまり反省したように見えなかった。
背番号は11。
コミヤマ(小宮山悟
ロッデの右のエース。普段はサングラスをかけているが、初登場時はかけていなかった。マエダの死球事件、翌日の先発投手。セリフは全くない。
背番号は14。
タカハシヨシヒコ(高橋慶彦
1990年、広島からトレード移籍した内野手。足の速さとバントが得意。しかし広島ではプッシュバントをするが、地面背泳ぎをしたクワタに捕球され失敗。ロッデでは小雨模様の試合で走塁中に転び、自分自身が一塁までクロール泳ぎをしてセーフなど、この漫画では変なシーンが多い。1991年板神へ移籍。翌年引退。
背番号は2(広島)→5(ロッデ)→2(板神)。
タカザワ(高沢秀昭
ロッデの外野手。1988年の首位打者。しかしアリトー監督に西部のチャンピオンフラッグに対抗するために、高所恐怖症にもかかわらず、風船でフラッグの代わりに宙に揚げられてしまう。ベストナイン表彰式では、ナガシマシゲオに地味と言われて落ち込んでいた。1990年タカハシとのトレードから広島に移籍し、翌年復帰。1992年現役引退。
背番号は31(登場時)→10(1990年)→7(1991年途中)→31(1992年)。
アイコー(愛甲猛
ロッデの外野手。バントの後、ロッデガムを膨らませて、キヨハラの守備を妨害しセーフ。審判も「いーじゃないですか、面白ければ!」と西部側の抗議を却下した[22]
背番号は1。
ミズカミ(水上善雄
ロッデの内野手。1988年のオールスター水泳大会で、キヨハラたちとともにプールの水を飲んでいた。彼の活躍はこの話のみ。
背番号は7。
ニシムラ(西村徳文
ロッデの外野手。1番打者。東西対抗戦で起きたスタメンサード争奪戦に参戦。知名度の問題から、チョーシ、フルヤと共に真っ先に脱落した。開幕試合の始球式で登場したヒガシオに、デッドボールを喰らいそうになったことがある。
背番号は3。
マロドック(ビル・マドロック
ロッデの外国人内野手。平凡なファーストフライを打つが、それがキヨハラ、ツジ、ヒラノの連続エラーからアシストホームランになった。1988年の1年のみ在籍。
背番号は5。
ティアズ(マイク・ディアズ
ロッデの外国人外野手・捕手。1989年入団。あだ名はランボー。特技は乱闘。ちょっとのにらみで、相手が引き下がるほどの威圧感がある。持ち前のパワーで1990年の大運動会には、綱引き対決の代表に選ばれた。1992年退団。
背番号は4。

プロ野球セリーグ球団

中日ドラポンズ

ホシノ監督(星野仙一
中日の熱血監督。短気、わがまま、暴力的、自己中心的な凶暴性の強い人物。乱闘は彼の十八番。姑息な手段を時折使い、勝つためなら平気でプライドを捨てる。勝負に対するその恐怖の権化みたいな姿勢は自軍の選手を震えあがらせ(そのため相手チームからは「うちの監督じゃなくてよかった」と言われる)、日本シリーズですら審判を恫喝して同点延長12回規定を放棄させた結果夜中の3時を過ぎても決着がついていないほど。相手が年上の監督であっても容赦せず、彼が逆らうことが出来ないのはかつての上司であるコンドー監督くらいである。
タブチ、ヤマモト両監督と親友(とくにヤマモトとはケンカして互いをボコボコにし合うほど仲が良い関係)だが、フジタ監督とは険悪(だが現実の星野は藤田との関係は悪くなかった)。普段は温厚キャラだが、「戦闘服」のユニフォームを着ると、人格が変わる[23]。通称センちゃん。1991年勇退。
本作でカイアンツ戦が描かれる際の対戦チームは大抵中日であったほか、勇退時には西部、カイアンツ以外では珍しく引退試合(厳密には相応しくない呼称だが、なぜかそう呼ばれた)の回が描かれたほか東西対決や両リーグ対決の際は決まって西軍やセ・リーグ連合チームの監督を務めるなど、本作ではキヨハラ、クワタ、モリ監督に次ぐ(それこそオー監督やフジタ監督を凌ぐほどの)サブ主人公格であった。
またクワタのイヤガラセの犠牲になることも多かったが、その一方でクワタを懲らしめることのできる数少ないキャラでもあった[24]
ギャグをかますよりは暴力的に暴れ回ることの方が多いキャラだが、西部との日本シリーズ第1戦に名古屋名物エビフライの着ぐるみを着て登場し西部ナインの嘲笑を買ったほか、その後も鼻の穴にエビフライを突っこんで登場しモリ監督に「そーいうギャグは人に嫌われるぞ」と呆れられる、選手たちに「オレの指揮に従え!」と言っていきなりオーケストラの指揮を始めてムラヤマ監督に突っ込まれる、コンドー監督に逆らえずタツナミと一緒にカンガルー親子の物真似をさせられる(しかも目に涙を浮かべながら)[25]などのギャグをかましている。ただし人がかますギャグ(とくに自軍の選手)に対しては非常に厳しく、それをやった選手は例外なくハンマーを持ち出して追いかけ回す(ぶちのめす描写もたまにあり)。
その一方、オー監督の引退試合では9回裏2アウト満塁で代打に立ったオー監督のピッチャーフライをカイアンツの選手たちが巨大団扇で扇いで逆転サヨナラホームラン(当然ながら反則)にしてしまった際に「オーサダハルにはやっぱりホームランが似合う」という理由で快く認めたり、優勝争いのかかったカイアンツ戦でケガ人だらけで満足なオーダーが組めないカイアンツが「(敵情視察に訪れていた)キヨハラを3番ファーストで使わせてほしい」と申し出た時にあっさり認めたり[26]など男気ある一面も持つ。
なお、一度だけキヨハラが見た夢の中でホシノがオー監督になってカイアンツのユニフォームを着用したことがある(その時のホシノ監督はセキネだった)。
背番号は77。
タカギ監督(高木守道
1992年就任。地味で口数が少ない暗い性格だが、照れると顔を赤くするなど、表情は豊か。ベロベロベースボール、笑ってよ!!タネダくんなど、他の野球漫画で出演は多いが、この漫画ではほとんど出番が無かった。
背番号は81。
シマタニコーチ(島谷金二
中日のコーチ。作中での登場は一回。ウノ、タツナミに向けてノックをしている姿が見える。1989年退団。1993年現場復帰。
背番号は67(1987年 - 1989年)→91(1993年以降)。
イワモトコーチ(岩本好広
中日のコーチ。1990年現役引退後、コーチに就任。1993年退団。乱闘では中日の切り込み隊長。
背番号は27(1987年)→2(1988年)→4(1990年)→83(1991年)→99(1992年)→89(1993年)。
オチアイ(落合博満
1987年、ロッデからトレードで入団した中日の内野手。三度の三冠王を取った名打者。キヨハラが師匠と仰ぎ、尊敬している。球団的に問題児だが、他のキャラに比べればまともな存在。クールで名前通り落ち着いていてマイペースだがたまにキヨハラに対しボケをかますこともある。奥さんが大の苦手という恐妻家ガマガエルに例えられる。ホシノ監督と仲が悪く(が、結局はホシノの退団まで在籍し、たびたびホシノへのツッコミ役も務めた)、フジタ監督は痔持ち仲間。作中で3回トレードの話題が挙がっている選手で、1994年、FAでカイアンツに移籍した。
子供用の粉ミルクを愛飲する癖があり、ホシノ監督に呆れられた。
背番号は6(登場時)→60(カイアンツ移籍後)。
タツナミ(立浪和義
中日の内野手。LP学園出身。数少ないキヨハラ、クワタの後輩キャラ。礼儀正しく、真面目でキヨハラ達に先輩の立場を利用されることが多い。作者は元々『かっとばせ!キヨハラくん』でなく、「タツナミくん」を書く予定だったらしい。
背番号は3。
ウノ(宇野勝
中日の内野手。ホシノの子分的存在。ある試合でフライの球を、ヘディングしたことからそのイメージがついてしまい、漫画ではヘディングで、セカンドフライの球がスタンド入りする程頑丈な石頭になっている。愛称「ウーやん」。1993年ロッデに移籍。1994年引退。
背番号は7(登場時)→2(1993年)→49(1994年)。
タイホー(大豊泰昭
中日の内野手。1989年ドラフト2位。台湾出身で当初は片仮名言葉だったが後に普通に喋るようになった。キャッチフレーズは中日の大砲で、大砲の物真似が得意。オー監督を尊敬している。オーに化けたクワタの変装を見抜けないなど、少し天然が入っている。暴力が嫌い。
背番号は55。
カクゲンジ(郭源治
中日の外国人投手。台湾出身のリリーフエース。他球団の台湾選手達と仲が良く、明るく陽気で人当たりのいい性格だが、時々妙に陰気になることがある。ヨダにリリーフエースの座を奪われた時は、藁人形でヨダを攻撃した[27]
背番号は33。
コマツ(小松辰雄
中日のエース。速球派でカイアンツキラー。投手陣のリーダー的存在。しかしこの漫画では地味で、イマイチパッとしない性格。ホシノ監督にどつかれるシーンが多い。1994年現役引退。
背番号は20。
コンドー(近藤真一
1987年ドラフト1位で入団した中日の投手。老け顔と言われよくいじられているが彼自身もオッサンの物真似でギャグをかますなど、気にしているようすはなかった。年齢はキヨハラより年下。
背番号は13(登場時)→1(1988年 - 1991年)→13(1992年以降)。
オノ(小野和幸
投手。1988年、トレードで西部から移籍(交換相手はヒラノ)。移籍年は18勝するなどの大活躍で優勝に貢献するも翌年は1勝止まりなど以降はパッとしない。斧に例えられることが多く、斧を沢山折って、「あっ斧(小野)が折れちゃった」というギャグで気が動転して連打を浴びるなど、実はかなり気が弱い。1994年ロッデに移籍。
背番号は13(登場時)→11(1992年)→38(1994年)。
ヨダ(与田剛
1990年ドラフト1位で入団した中日の投手。速球派のリリーフエース。いかり肩が特徴。単行本の柱で「ヨダだよーだ!」と自1の名前を名乗っているイラストがある。2年目以降は怪我に泣いた。
背番号は29。
ニシモト(西本聖
投手。1989年、トレードでカイアンツから移籍(交換相手はナカオ)。作中でカイアンツ時代出番がなく、中日移籍後初登場。「水を得た魚のよう」を表現するため、ホシノ監督に水槽の中に魚の格好で入れられたことがある。移籍年は大活躍も以降、パッとせず。1993年オリッグス、1994年カイアンツに復帰。
背番号は26(登場時)→25(1989年)→24(1990年)→52(1993年)→90(1994年)。
イマナカ(今中慎二
中日の投手。ホシノ監督の勇退試合に先発するが、3連打を打たれてホシノに殴られ気絶(そのせいか、ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくんでは、「しっかり投げないと監督にぶっ飛ばされるからな〜」という台詞があった)。翌年からエースになる。
背番号は14。
ナカムラ(中村武志
中日の正捕手。作中での出番はないが、ベロベロベースボールでは巻末にコラムを作って貰える程気に入られているキャラクター。いけいけ!!スワローズではヤグルトのヒロサワに自分の物真似をされている。
背番号は39。
ヒコノ(彦野利勝
中日の外野手。トップバッター。後ろのキャッチャーに体を揺さぶられても、気がつかない天然な性格。
背番号は57(登場時)→8(1992年以降)。
ニムラトオル(仁村徹
中日の内野手。作中では西部対中日の日本シリーズ第1戦にのみ登場(ホシノのイチャモンで夜中の3時過ぎ、延長25回まで試合を続けさせられており、三塁の守備位置でイビキをかいて寝ていた)。キヨハラが彼のユニフォームを着て、中日の選手として出場したことがある。
背番号は24(登場時)→5(1988年以降)。
ゲーリー(ゲーリー・レーシッチ
中日の外国人内野手。東京ドーム開場記念12球団トーナメント第1戦の西部対中日戦に1塁で出場、イシゲのファーストゴロを処理しようとしてキヨハラによる人工芝巻取り作戦で押し潰された。
作中で唯一、本名そのままで登場した外国人選手。1988年退団。
背番号は4。

広島カーブ

アナン監督(阿南準郎
広島の監督。裏方一筋30年の地味で影が薄い存在。1987年のオールスター戦ではオー監督に監督の座を取られてしまい、エガワに穴に落とされて、「アナンさんは穴ン中」というギャグに使われてしまった。明るい性格で、おだて上手。1988年勇退。
背番号は75。
ヤマモトコージ監督(山本浩二
初登場時は解説者で1989年就任。現役時代の呼び名は「ミスター赤ヘル」。キヌガサと共にライアンズ調査をしている際、しゃしゃり出るキヌガサに感化され彼もバッティングを披露しようとした。その時着用したヘルメットはライアンズの青いヘルメットだった。目立ちたがりの明るい性格。東京ドームでモルツの宣伝をしたことがある。タブチ・ホシノ両監督の親友でホシノとは戦友的関係。1993年辞任。
背番号は88。
キヌガサ(衣笠祥雄
1987年国民栄誉賞を授与された広島の内野手。連続試合出場・世界記録を持つ元祖野球猿と呼ばれた。愛称は鉄人、キヌちゃん。ゴリラにそっくりの風貌。「ゴッホゴッホ」の効果音や主食にバナナを食べているなど、少し野生じみた一面がある。怒りっぽいが、一日駅長を勤めた際は、移動中の目的地の本拠地を通り越してしまうほど乗りやすい。1987年現役引退。引退後は解説者に就任。引退直後は投球を見た途端、現役時代の未練あってか、しゃしゃり出てバットで打ち返してしまう癖があった。解説者就任直後は度々作中に登場していた。
背番号は3。
コバヤカワ(小早川毅彦
広島の内野手。キヨハラ、クワタのLP学園時代の先輩。地味な4番バッターだがチーム1登場回数は多い。作者から重要視されているキャラ。ヤマモト監督から「イマイチだから新しい4番が欲しい」と言われ、キヨハラとの交換要員になった時はモリ監督に「釣り合わない」と言われたことがある(その際の交換条件は西部キヨハラ⇔広島コバヤカワ+もみじまんじゅうトラック一台分)。エガワに引退を決意させるホームランを打ったことがある。漫画ではまともキャラで扱われるために周囲からはいじられていることが多い。後半からカイアンツのヤマクラに似たデザインとなった。
背番号は6。
ショーダ(正田耕三
広島の内野手。2年連続首位打者。猿みたいな顔が特徴。ベロベロベースボールでは猿と心が同化しており、広島猿軍団のリーダーに就任。トップバッター。初登場時は「ショーダショーダ(そうだそうだ)」と駄洒落を言っていた。チームメイトであるコバヤカワと一緒に登場することが多い。
背番号は4。
キタベップ(北別府学
広島の投手。赤いほっぺがトレードマークのエース級ピッチャー(ベロベロベースボールでも共通のイラスト)。クワタに足をペンチでつねられたために、泣いてしまったことがある。
背番号は20。
オーノ(大野豊
広島の投手。先発から抑えもこなす万能投手で1991年は抑えの切り札として、優勝に貢献。キヨハラは彼の名前をかけて「OH NO! 」という英語の駄洒落を言ったことがある。
背番号は24。
カワグチ(川口和久
広島の投手。1989年、「無様なピッチングをしたら一年間便所掃除」と命じられたクワタと投手戦を展開した。
背番号は34。
ササオカ(佐々岡真司
広島の投手。1990年、ドラフト1位で入団。吹き出物に悩んでいる。作中でタイエー・ワカタベのやった金粉ショウをベロベロベースボールでは彼が同じことをやっている。
背番号は18。
ツダ(津田恒美
広島の投手。炎のストッパーの異名を持つ広島のリリーフエース。10巻の「地獄の特訓コース」(1990年、期待を裏切った選手、言うこと聞かない選手の再教育のために作られたシステム)の参加メンバーに入れられていた。6巻ではカズシゲにサヨナラホームランを打たれている。
背番号は14。
タツカワ(達川光男
広島の正捕手。作中ではほとんど出番がないが、ベロベロベースボールでは巻末にコラムを作ってもらえるほど気に入られているキャラクター。独特の広島弁を使う。1992年現役引退。
背番号は40。
ニシヤマ(西山秀二
タツカワ引退後の広島の正捕手。作中では1991年の日本シリーズで2番打者として、1コマだけ登場したことがある。キヨハラ、クワタとは同期入団。
背番号は32。
ロートン(ウェイド・ロードン
広島の外国人内野手。1989年入団。ドラえもんの大ファン。ドラえもんの着ぐるみを着た格好で打席に立ち、クワタを呆れさせた(実際のロードンもドラえもんの大ファンである)。クワタいわく、「のび太くんみたいな顔」。1990年退団。
背番号は44。
ノムラ(野村謙二郎
広島の内野手。タカハシ移籍後、遊撃手のレギュラーに定着。小細工の得意な3番バッター。1991年の日本シリーズではキヨハラにスクイズの邪魔をされたことがある。
背番号は7。
エトー(江藤智
広島の内野手。面白い顔と言われており、ベロベロベースボールの最終回ではショーダと共に「面白い顔勢揃いのオールスターゲーム」に出場していた。作中ではほとんど出番がないが、次回作のゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくんからは出番が増える。
背番号は51(登場時)→33(1990年以降)。
マエダ(前田智徳
広島の外野手。15巻の表紙に登場しているキャラだが、作中では終盤に群衆シーンに登場したのみ。出番はなかった。次回作のゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくんから多少出番が増える。
背番号は51(登場時)→31(1992年)→1(1994年以降)。
ヤマサキ(山崎隆造
広島の外野手。1987年オールスター戦に登場(ただし後姿のみ)。作中で素顔を見せてないが、ベロベロベースボールでは見せている。1993年現役引退。その後コーチ職に。
背番号は1(現役時代)→76(コーチ)。
ニシダ(西田真二
広島の外野手。LP学園出身。LP出身者の合同練習に参加しているもののほとんどスポットが当たらない。群衆シーンに度々出るが、セリフはまったくない。
背番号は28。

ヤグルトスパローズ

セキネ監督(関根潤三
ヤグルトの監督。お茶が似合う好々爺。連載開始当初、球界最年長監督だった。実物と違い非常に温厚である。細い体型で体重が軽い。カズシゲがいる関係上、ナガシマシゲオとからんでいるシーンが多い。弱小ヤグルトの象徴と言える存在。1989年退任。
一度だけキヨハラが見た夢の中で、彼がホシノ監督になり中日のユニフォームを着ていたことがあった(その夢の中でホシノはオー監督になっていた)。
背番号は83。
ノムラ監督(野村克也
1990年就任。「ねと〜」っとした喋りでとても暗く、その暗さは周囲の選手までも暗くする。カイアンツを心の底から憎んでいるが、クワタとは暗い者同士で仲が良く、共謀して悪事を働くことも。キヨハラに「親子みたい」と言われていたことがある。その影響か、藁人形を終盤は彼も使い始めた。愚痴が多く、常にぼやいている。初登場時は眼鏡を掛けておらず、顔や性格、言葉遣いなどが全面的に異なっていた。趣味はパソコン。ナガシマ監督を嫌っている。終盤ナガシマのツッコミ役になって、登場回数は増え、次回作のゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくんから作品の設定が変わり、怪しげな魔術、巧みな変装を得意とする作品一の悪役になった。いけいけ!!スワローズのレギュラーキャラの一人である。通称ノムさん。
背番号は73。
マルヤマコーチ(丸山完二
1990年就任。ノムラ監督の側近(茶飲み相手)。いけいけ!!スワローズのサブレギュラーの一人であり、作中では一回だけ登場したことがある。
背番号は80。
ナガシマカズシゲ(長嶋一茂
ヤグルトの内野手。1988年ドラフト1位で入団したナガシマシゲオの息子。当初は人気の面で他の野球選手達と比較されるなど、比較的に良い扱いだった。しかし成績が伸び悩むにつれ、人気ばかりのダメ選手として扱われるようになっていき、終盤では全ヤグルト選手から「いらない選手」と満場一致で扱われるなど、悲惨な役割が定着していった。父に似て、父以上の天然ボケな性格。前述の「いらない選手」とされた後も、涼しい顔をしていられるほど鈍感で危機感が足りない。ノムラいわく「幸せな奴」(ただし父の行き過ぎたパフォーマンスや女装した父に眉をひそめていることも)。守備が極めて下手で、ボールが飛んで来ると「キャン!」と言って顔を背け、後ろに逸らしてしまう。クワタいわく「小学生以下」。父と共に出てくることが多く、モリ監督に「能天気親子」と称されている。イケヤマたちと仲が良い。クワタ、キヨハラより年齢が一つ年上(作中で二人に対して当初は敬語を使っていたが、終盤ではタメ口になっている)。通称「カズちゃん」。作中で父の思惑から、カイアンツ移籍を匂わせたネタが度々あり、1993年、トレードで本当にカイアンツへ移籍。いけいけ!!スワローズのレギュラーキャラの一人である。初登場時は太い首にタラコクチビルという実物に即した容姿だったが、後にお坊ちゃん風に変更された。
背番号は3(登場時)→36(カイアンツ移籍後)。
イケヤマ(池山隆寛
ヤグルトの内野手。通称「ブンブン丸」。当初は普通だったが、1989年ごろから顔と性格が変わる。キヨハラとは悪友的関係になって、彼のボケに便乗して大ボケをかます形でクワタに次ぐサブ主人公格となり、登場シーンが急増する。ボケ、ツッコミを両方こなせる明るい性格。「イケトラコンビ」のヒロサワやカズシゲを伴って登場することが多い。自称、ショーネン隊(少年隊)のヒガシ(東山紀之)似。しかし、不気味な顔とモリ監督に言われたことがある。ノムラ監督の就任後は段々性格が落ち着いていき、ノムラの影響で暗い性格になったり、監督命令からブンブン振り回せないでいるためにストレスで、一気に爆発したことがある。作品の終盤頃はノムラをなだめているシーンが多くなっていき、ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくんでは、フルタと共にノムラの悪行に振り回されている役回りが定着している。いけいけ!!スワローズのレギュラーキャラの一人。
背番号は36(登場時)→1(1992年以降)。
ヒロサワ(広沢克己
ヤグルトの4番打者。外野手(本職は一塁手)。通称「トラ」。渥美清にそっくりの顔で顔のサイズが大きい。イケヤマとのコンビ出演が多く、チームではイケヤマ、カズシゲに次ぐ存在である。ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくんではサブレギュラー並に活躍している。いけいけ!!スワローズのレギュラーキャラの一人。
背番号は8(登場時)→80(カイアンツ移籍後)。
ワカマツ(若松勉
ヤグルトの外野手。ヤグルト一筋19年のベテランバッター。しかし衰えから出場機会が減っていたため、この漫画ではほとんど出番がなかった(いけいけ!!スワローズでは引退間際にスポットが当たっている)。1989年現役引退。
背番号は1。
ナイトー(内藤尚行
ヤグルトの投手。別名「ギャオス・ナイトー」。大きなごつい顔が特徴。試合中は常に「ギャオース!ギャオース!」と吠えている喧しい選手。投手ながらバッティングセンスは良く、キヨハラをビビらせるためにキヨハラにかみついたことがある。いけいけ!!スワローズのレギュラーキャラの一人であり、かなりのアホキャラとして書かれている。
背番号は53(登場時)→24(1989年以降)。
イトー(伊東昭光
ヤグルトの投手。1988年はリリーフから最多勝を獲得した。呪いの手紙をクワタに送りつけられていたことがある。ボテボテのサードゴロをナガシマのエラーからヒットにされ、2点を失う。キヨハラ、クワタの同期。
背番号は18。
タカノ(高野光
ヤグルトの投手。胴長な顔が特徴。先発投手として度々登場しているが、地味で目立たない。「先発のタカノだよ〜ん」と言ったことがある。1994年タイエーに移籍。同年引退。
背番号は34(登場時)→22(タイエー移籍後)。
オバナ(尾花高夫
ヤグルトの投手。LP学園出身。キヨハラとクワタの先輩。タカノ同様、ほとんど目立っていないキャラクター。「オバナだよ〜ん」と言ったことがある。1991年現役引退。
背番号は32。
カワサキ(川崎憲次郎
ヤグルトの投手。1991年オールスターゲームで先発するが、三連打を浴び降板。クワタに代えられてしまう。いけいけ!!スワローズではサブレギュラーの一人として活躍。
背番号は17。
ニシムラ(西村龍次
ヤグルトの投手。1992年、オールスターゲームの選考に漏れ、クワタを首謀者にしてクドー、ハラの3人と共にゲームの邪魔をしに来た。作中での登場はこの回のみ。ベロベロベースボールなどにも出演。
背番号は29。
アラキ(荒木大輔
ヤグルトの投手。1987年の大運動会で、大玉転がしならぬ「デブ転がし」に参加していた。嫌がるアホーナーを強制的に転がしているシーンがある。作中で特に目立った活躍はなく、ベロベロベースボールではヤマシタ(太洋)、モトキ(カイアンツ)の3人で「ダイスケトリオ」を組まされていた。
背番号は11。
ヤエガシ(八重樫幸雄
ヤグルトの元正捕手。眼鏡がトレードマークで、かなり太っている。1987年の大運動会にて、玉入れ用のかごを支える役として登場した。作中で特に目立った活躍からセリフもなく、1993年現役引退。
背番号は28。
フルタ(古田敦也
ヤグルトの現正捕手。ヤエガシ同様、眼鏡がトレードマーク。1991年のオールスターゲームでは、キヨハラに誤ってバットでしばき倒されたことがあった。地味な扱いだが、ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくんから大幅に出演が増える。当初は暗めだったが、後々明るい性格にキャラが変わっていった。
背番号は27。
イーダ(飯田哲也
ヤグルトの外野手。足の速い猿顔の1番打者。クワタの「矢ガモ事件」を連想させるネタを前に、思わずバッターボックスで泣いてしまったことがある。
背番号は58(登場時)→2(1991年以降)。
アライ(荒井幸雄
ヤグルトの外野手。ぐるぐるほっぺと分厚い唇[28]、小柄な体型が特徴の2番打者。ズーミンみたいなキャラ。作中ではほとんど目立たない。キヨハラ、クワタとは同期入団。いけいけ!!スワローズでは足が短いキャラだった。
背番号は10。
スギウラ(杉浦享
ヤグルトの外野手。サードナガシマの守備をカバーする役回りで登場。いけいけ!!スワローズでは人の心を和ませる癒し系キャラになっている。1993年現役引退。その後コーチ職に。
背番号は9(登場時)→89(コーチ時代)。
アホーナー(ボブ・ホーナー
ヤグルトの外国人内野手。1987年入団。通称「赤鬼」。サッカーボールをホームランにしてしまうパワーと長打力を兼ね揃えた現役の大リーガー。日本語がわかるため、「デブ」という言葉に敏感で、言われると怒り、セキネ監督に「痩せるまで契約しない」と言い放つ。同じデブキャラであるカガワと同様に扱われ、運動会ではカガワと共に「デブコロがし」と言う意味で大玉代わりに使われるなど、ギャグに嫌気が差したためか1年で退団した。「ソンナアホ〜ナ〜〜」という持ちネタがある。また、全力で走る時に「しゃかかかか」という擬音が付く。
背番号は50。
デシンセー(ダグ・デシンセイ
ヤグルトの外国人内野手。1988年入団。1コマしか登場していない。前述のアホーナー同様、わずか1年で退団。現役引退した。
背番号15。
バリッシュ(ラリー・パリッシュ
ヤグルトの外国人外野手。1989年入団。現実同様ワニの肉を食べる通称「ワニ男」。また、ペットとして野球が出来るワニを3匹飼育しているが、そのワニは食べない(本人いわく、他所はいいが家のワニはダメ)。苦手な物は生魚1990年、板神に移籍。移籍後、ワニの肉禁止令が出されてしまいその影響か、同年現役引退した。
背番号15(ヤグルト)→45(板神移籍後)。
クリヤマ(栗山英樹
 4巻の「がんばれクワタくん」におけるカイアンツ対ヤグルトの回で「2番手クリヤマも打ち取り2アウト」と名前が出ただけで作中には登場していない。
背番号44→4。

横はば太洋ホイールズ→横浜ペイスターズ

コバ監督(古葉竹識
横はば太洋の監督。常に「コバ専用」と書かれている板で体を半分隠している。そうしなければ落ち着かないらしく、全身を見せるのを恥ずかしがっている(第1話では、節約のためにユニフォームを半分しか着ていないから)。これは広島時代の癖である。1989年解任。その際、広島を3度日本一[29]にした経験を愚痴にこぼしていた(最終年が最下位など連続してBクラスだった)。1度だけ、完全なユニフォームを着た全身を見せたが、やはり恥ずかしがってすぐ半分隠れてしまった。
背番号は81。
スドー監督(須藤豊
1990年就任。通称「スーやん」。明るい性格でスキンシップが大好き。元カイアンツの二軍監督で、当初はクワタのイヤガラセにやられっ放しだったが、後にその性格・行動パターンを熟知。クワタのイヤガラセを次々見破り、そのためクワタにとって数少ない天敵の一人にしている。高知出身で語尾が「…ぜよ!」となることが多い。1992年途中で退任。1993年からカイアンツのコーチに復帰。
背番号はカイアンツ・大洋時代、一貫して78。
ナカヤマ(中山裕章
横はば太洋の投手。クワタに麻酔で眠らされ、誘拐された中継ぎエースの一人。また、ウシジマ(ロッデ)、ナカニシ(板神)の3人で火消し(リリーフ)トリオを結成している。後にはニウラとともに「横はば太洋銀行」[30]の行員に扮してボケて、コバ監督に打ちのめされた。1991年退団。その2年後、1994年中日に復帰。キヨハラ、クワタの同期。
背番号は19(登場時)→125(打撃投手)→67中日復帰後)。
サイトーアキオ(斉藤明夫
横はば太洋・横浜のベテラン投手。ひげを生やしていて、怖い顔だが気の弱い選手。1番レフトで出場したクワタと対戦したことがある[31]1993年現役引退。
背番号は17。
ニウラ(新浦壽夫
横はば太洋のベテラン投手。1988年出場したオールスターゲームにて、イシゲのでかい鼻が原因で呼吸困難に陥ったことがある。後にはナカヤマとともに「横はば太洋銀行」の行員に扮してボケて、コバ監督に打ちのめされた。1992年タイエー、ヤグルトに移籍。同年引退。
背番号は28(登場時)→49(1992年)。
ノムラ(野村弘樹
横はば太洋・横浜の投手。LP学園出身。クワタ曰く「試合では見下したピッチングだが、普段は腰の低い男」。態度が悪く、クワタを思いきり見下している。
背番号は21。
エンドー(遠藤一彦
横はば太洋の投手。作中では怪我の影響から、低迷期に陥っていたため出番は少なかったが、1990年はクローザーとして復帰し、スドー監督に信頼されている場面もある。1992年現役引退。
背番号は24。
タニシゲ(谷繁元信
横はば太洋・横浜の捕手。小さい前歯と丸顔が特徴。1989年ドラフト1位。週刊誌曰く、「高校出と思えない抜群のセンス」。クワタのイヤガラセでボウリングやラグビーなどのボールをぶつけられてボコボコにされ、「大人なんてキライだー!」と泣き出した。その後クワタとは日本人対外国人の回でピッチャー(クワタ)とキャッチャー(タニシゲ)でバッテリーを組んでいる。
背番号は1(登場時)→8(1993年以降)。
イチカワ(市川和正
横はば太洋・横浜の捕手。前述の1番野手で出場したクワタがランニングホームランを狙った際、サイトーアキオと共に阻止。その後アキオを抱きかかえて喜んでいた。1993年現役引退。
背番号は33。
タカギユタカ(高木豊
横はば太洋・横浜の内野手。スドー監督お気に入り。クワタが掘った落とし穴を、スドー監督の指示で見破ったことがある。1993年解雇。日ハムに移籍、同年引退した。
背番号は3(登場時)→16(日ハム移籍後)。
チョーシ(銚子利夫
横はば太洋の内野手。東西対抗戦で起きたスタメンサード争奪戦に参戦。知名度の問題から、ニシムラ、フルヤと共に真っ先に脱落した。1992年広島にトレード。翌年引退。
背番号は22(登場時)→9(1988年以降)。
タシロ(田代富雄
横はば太洋の内野手。横はばの超大型扇風機。三振王。コバと共に第1話から登場しているキャラだが、その後は殆ど出ていない。初登場時は普通の顔だったが、ベロベロベースボール出演時には一回り顔が大きくなっている。1991年現役引退。
背番号は26。
ヤマシタ(山下大輔
横はば太洋の内野手。1988年、ベテラン対若手の試合に一コマだけ登場しているが、実際の山下は、この年シーズン前に突如現役引退。作中、出番はないがいけいけ!!スワローズなど、他の野球漫画に登場していて、ハゲネタが多い。1993年、横浜にコーチとして復帰。
背番号は1。
ヤシキ(屋鋪要
横はば太洋・横浜の外野手。盗塁が得意である。両リーグナンバーワン投手コンテストの牽制球対決でランナーとして登場、クワタにマジックハンドでノックアウトされる。長年の経験で、結構なリードをとっても十分帰塁できるらしい。コバ監督時代は監督が隠れるための板を持つ役での登場が多かった。1993年解雇。カイアンツに移籍。
背番号は31(登場時)→00(カイアンツ移籍後)
ヤマザキ(山崎賢一
横はば太洋・横浜の外野手。群集シーンに登場していただけで、台詞はない。「いけいけ!!スワローズ」でパチョロックが彼に変装していたことがある。1993年解雇。タイエーに移籍。
背番号は59(登場時)→2(1990年)→26(1994年)。
ポンシェ(カルロス・ポンセ
スーパーマリオそっくりな横はば太洋の外国人外野手。コバ監督専用の板持ち係。常にやらされているが、内心はコバを変人と思っている。落ち着いているが、器の小さい所がある。1990年は第3の外人にされてしまい、同年退団。
背番号は7。
パチョロック(ジェームズ・パチョレック
横はば太洋・板神の外国人外野手。1988年入団。一塁走塁中のクワタに「ワタシはアホ」と書いた張り紙を背中に張られた。1992年板神に移籍。板神では同じくクワタにより、顔面をこぶだらけにされた。1993年退団。
背番号は14(横はば太洋)→42(板神)。
ミャイヤー(ジョーイ・マイヤー
横はば太洋の外国人内野手。1990年入団。同年退団。クワタは自作した彼にそっくりの着ぐるみを着て、変装したことがあり、スドー監督は直ぐに気付かなかった。作中に登場しているアケポノ(曙太郎)は彼の従兄弟である。
背番号は23。
タカハシマサヒロ(高橋雅裕
横はば太洋の内野手。スドー監督の作戦会議でその中におり、スドー監督の一言に納得した場面もあった。連載終了後の1997年にロッデに移籍し、1999年引退。
背番号は32(登場時)→6(1988年)→35(ロッデ)。
オーノユージ(大野雄次
横はば太洋の内野手。タカハシ同様、作戦会議の中にいた。ここでは地味だが、ヤクルト移籍後僅かながら出番が増える。
背番号は8(登場時)→32(1992年)→30(1994年)。

板神タイガンス

ヨシダ監督(吉田義男
板神の監督。チームを21年ぶりにリーグ優勝へ導いた名将だが、1987年はチームが最下位に沈んだため、パ・リーグ入りを熱望し、「セ・リーグに帰りたくない」と言い出すなど、すっかり弱気に性格が変わってしまっている。身長が低いせいでよく子供扱いをされ、近くにいても誰にも気づかれない。同年解任される。次回作のゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくんでは、10年ぶりに再登場している。
背番号は81。
ムラヤマ監督(村山実
1988年就任。元は熱血だったが、パース退団やチームの不調から泣いている場面が定着した。一旦泣くと桶一杯以上の涙を流す[32]。クワタに「連敗のショックでとうとうあの世に」とからかわれ激怒した(実際の村山は1998年直腸がんで死去)。1989年解任。
背番号は11。
ナカムラ監督(中村勝広
1990年就任。1992年、久々に優勝戦線に加わるが敗退。作中で出番は少ないが、ベロベロベースボールなど、多くの漫画に出演している。ミスター・スポックのような髪型と作中でいじられている。
背番号は71。
カケフ(掛布雅之
板神の内野手。通称「ミスタータイガース」。愛称カッちゃん。猿顔扱いされたことがある。太鼓の音に弱い。往年の主砲だったが、作中では全盛期が過ぎ腰痛に悩まされるみじめな扱いが多かった。1988年現役引退。次回作のゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくんでは、パースと共にハラの引退試合にゲストで6年ぶりに登場した。
なお一度、キヨハラが見た夢の中で彼がタツナミになり中日のユニフォームを着用して現れたことがある。
背番号は31。
オカダ(岡田彰布
板神の内野手。ひょっとこ顔。当初は女装したマユミにツッコミを入れていた。パースが一時帰国した際には相手チームに威圧感を与えるためにパースそっくりの着ぐるみを着ていたこともあるほか、新球団誕生記念12球団東西対抗戦ではクワタの絶好球に対して西軍監督のホシノから「よーし絶好球だ!オカダ打てー」と言われたのに反応してしまい剣道の格好をして竹刀で「おめーん」とボールを打つ大ボケをかまし、怒ってハンマーを持ち出したホシノに追いかけ回された(自軍監督のムラヤマは「やっとウチの選手が目立ったで」と、涙を流して喜んでいた)。1993年解雇。オリッグスに移籍。
背番号は16(登場時)→10(オリッグス移籍後)。
マユミ(真弓明信
板神の外野手。名字が「マユミ」なため、オカマや女装ネタが多い。キヨハラに「マユミちゃーん」と言われ、本人も「ハーイ!」と答え、セーラー服姿で女装する。当初は乗せられている感じだったが、後に自らノリノリでやるようになりブリッ子口調を取る。ムラヤマ監督から女装の件で「こんな恥ずかしいことをしたらトレードに出すで!」と言われ、木槌で叩かれていた。5巻では本当の女性にコンバートされた(むろん、クワタの冗談に乗っただけで、チームメイトのオカダに「マユミさん、えーかげんにしなさいよ」と言われていた)。2009年-2011年にかけて阪神の監督をしていた。
背番号は7。
タオ(田尾安志
板神の外野手。1987年、西部から移籍。1991年現役引退。西部ライアンズ対板神タイガンスの試合で2番打者として1回だけ登場した。その後全く出ていないが、モリモリッ!ばんちょー!!キヨハラくんでは楽ちん(東北楽天ゴールデンイーグルスがモデル)の監督として18年ぶりに登場し、ベロベロベースボールでは2回程登場。
背番号は8。
イノマタ(猪俣隆
板神の投手。1992年、甲四園のラッキーゾーン撤去からホームランが減り、気分的に楽に投げられるようになって活躍した。元は気が弱い性格でノーコン。ラッキーゾーンに化けたキヨハラに動揺して、打ち崩された。
背番号は25。
ナカダコージ(仲田幸司
板神の投手。通称マイク・ナカダ。沖縄県コーナン高校出身。キヨハラとクワタが高校一年で出場した甲四園にて、コーナン高校代表のエースとして出場していた。イノマタ同様、ノーコン。気弱な性格。
背番号は48(登場時)→34(1988年以降)。
ナカニシ(中西清起
板神の投手。細目のリリーフエース。ウシジマ、ナカヤマの3人で火消し(リリーフ)トリオを結成している。
背番号は19。
イケダ(池田親興
板神の投手。自分の先発試合に乱入して、大ボケを噛ますキヨハラを前に戸惑っていた。1991年タイエー、1995年ヤグルトに移籍。同年引退。
背番号は18(登場時)→21(タイエー)→28(ヤグルト)。
ナカゴミ(中込伸
板神の投手。1989年ドラフト1位。クワタに潰された一人。足を移動式クレーンで引っ張られ、潰された。「ナマゴミ」と言われ、ムラヤマ監督がクワタに激怒したことがある。
背番号は99(登場時)→1(1995年以降)。
ユフネ(湯舟敏郎
板神の投手。1993年オールスターゲームに出場。マウンド上で「湯船につかるユフネ」というギャグを見せる。湯上り状態から投球した。
背番号は15。
トーヤマ(遠山奬志
板神の投手。初めてクワタの呪いをかけられた第1号。その影響か、怪我で低迷して1990年ロッデにトレードされた。1998年板神に復帰。その後ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくんで13年ぶりに登場した。当初は名前だけの登場だったが、マツイくんでははっきり似顔絵が書かれていた。キヨハラ、クワタの同期。
背番号は21(登場時)→16(ロッデ移籍後)。
ヒラタ(平田勝男
板神の遊撃手。帰国したパースの代わりに、パースの着ぐるみ役の交代シーンで1回登場(オカダと交代した)。普段から地味で非常に目立たない。1994年現役引退。
背番号は30。
ヤギ(八木裕
板神の内野手(その後外野へ転向)。群衆シーンに多く登場しているが、台詞がない。次回作以降も存在はモブだったが、モリモリッ!ばんちょー!!キヨハラくんで新球団「バンチョーズ」の一員に抜擢され、初めてスポットが当たる。
背番号は3。
キド(木戸克彦
板神の正捕手。LP学園出身。LPの合同練習に参加している一人だが、出番は少ない。ベロベロベースボールに登場した際は髪が抜け、額が広いことをネタにしていた。
背番号は22。
カメヤマ(亀山努
板神の外野手。通称「カメちゃん」。1992年に頭角を現す。ヘッドスライディングなどのオーバーアクションが得意。しかし回りがボケすぎているためか、イマイチ目立てない。
背番号は67(登場時)→00(1992年以降)。
シンジョー(新庄剛志
板神の外野手。15巻の表紙に登場しているキャラだが、群衆シーンに登場したのみでセリフはない。次回作の「ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん」から多少出番が増える。
背番号は63(登場時)→5(1993年以降)。
パース(ランディ・バース
板神の外国人内野手。三冠王2回の史上最強の助っ人。実家は牧場。牛の乳搾りを球場内でやった程、帰国後は牧場経営をしたがっていた。1988年、シーズン途中で退団。その後自分にそっくりの着ぐるみでオカダ、ヒラタ、ミズノ(カイアンツ)[33]が彼に変装している。次回作の「ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん」では、カケフと共に、ハラの引退試合にゲストで6年ぶりに登場した。
背番号は44。
ジョーズ(ルパート・ジョーンズ
板神の外国人外野手。1988年に緊急帰国したパースのかわりに入団した外国人選手。スキンヘッドだったため、クワタはお坊さんと間違えた。大した成績を残せず同年退団。
背番号は00。
プィルダー(セシル・フィルダー
板神の外国人内野手。1989年入団。バットを叩きつけた反動で小指を骨折。その怪我が元で本塁打王を逃してしまい、悔し涙で号泣した[34]。その年限りで退団。帰国後は大リーグで二冠王に輝き、ベロベロベースボールで再登場している。
背番号は44。
キャーオ(マット・キーオ
板神の外国人投手。元大リーガーの通称「モジャモジャ外人」。キヨハラの大ボケにリズムを崩し、ホームラン級の大飛球を打たれた[35]1990年退団。
背番号は4。
オマルー(トーマス・オマリー
板神の外国人内野手。1991年入団。14巻の表紙に登場しているキャラクターの一人だが、作中では殆ど出番がなかった。「ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん」では多少出番が増えた。
背番号は1。

大相撲関係者

アケポノ(曙太郎
大相撲力士1991年の開幕戦の始球式に登場。「異種格闘ベースボール」では投手を務めた。バットの代わりにてっぽう柱を使い、投手ではつっぱり投法から剛速球を出した。キヨハラ曰く「自分より遥かに大ボケ」。10年後モリモリッ!ばんちょー!!キヨハラくんでK-1選手として、再登場している。
コニシキ(小錦八十吉
大相撲力士。作中一のデブ。登場シーンは全てデブネタ。ノモに自分より太っていると言われ、クワタに脂肪の間に隠れられたことがある。
アズマゼキ親方(高見山大五郎
アズマゼキ部屋(東関部屋)の親方。モリ・フジタ両監督からキヨハラ、クワタを預かり、2人に相撲のけいこをさせた。「四股を踏む」を「おシッコを踏む」と勘違いした2人に土俵の中でおシッコをされ、そのショックで気を失ってしまった。
ワカハナダ(若乃花勝
相撲取りの兄弟の兄貴。「ガブリより」の意味を勘違いしたキヨハラに右腕をかみつかれた。
タカハナダ(貴乃花光司
相撲取りの兄弟の弟。クワタに取り込んだ際、クワタが頭につけていたハンマーで頭突きをかまされた。
  • これらの人物は読み切り作品『つっぱれ!タカハナダくん』(別名はドスコイくん)にも登場している。

Jリーグ関係者

ヨミウリペルティ(読売ヴェルディ)→ペルティ川崎(ヴェルディ川崎

カズ(三浦知良
日本のエースストライカー。カズダンスというパフォーマンスを持ち、「異種格闘ベースボール」で「スパイク型バット」を使い、ノモの球を打ち返した。作者の書いたサッカー漫画「とるしえだっ!」にもラモズと共に登場しており、そこでは何度も悲惨な目に遭う不幸キャラになっている。球技が違うが、現在「かっとばせ!キヨハラくん」に出た中で、最後の現役選手。
ラモズ(ラモス瑠偉
ペルティの司令塔。少しガラが悪い。カズ、キタザワ達との登場が多く、サッカーと野球を混合したキックベースボールでキヨハラ達と2回対戦した。引退後、「とるしえだっ!」にカズと共に登場しており、とるしえとは仲が悪い。
キタザワ(北澤豪
通称:走るソバージュヘアー。長髪がトレードマーク。何時どこでも髪型を気にしている(髪は長〜いお友だち〜♪と歌いながら髪を梳かしている)。クワタによくヘアースタイルの真似をされる。「異種格闘ベースボール」に参加していた。
タケダ(武田修宏
フジカワ(藤川孝幸
ハシラタニ(柱谷哲二
タケダとハシラタニは群衆シーンに登場。フジカワはGKとして、対西部とのサッカー対決に参加した。

鹿島アントレーズ(鹿島アントラーズ

あるしんど(アルシンド
頭頂部がカッパにそっくりな選手。カッパ同様、頭のハゲが乾くとパワーダウンする。キヨハラを知らない。プロ野球チーム対Jリーグチームのキックベース大会が起きるきっかけを作った。
じーこ(ジーコ
あるしんどの同僚。あるしんどと仲が良く、頭のハゲが乾いた際は常にじょうろで水をあげている。

ジュビロ磐田

ナカヤマ(中山雅史
通称ゴン。「異種格闘ベースボール」に参加していた一人。ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくんでは日本代表選手の一人として群衆シーンに登場していた。所属チームであるジュビロ磐田の作中内での呼び名は不明。

その他のスポーツ選手

オーニタ(大仁田厚
プロレスラー。「異種格闘ベースボール」に参加。非常に熱い熱血漢。常に泣きながら吠えている。捕手として、アケボノの剛速球をマスクなしの状態から頭面で受け、また有刺鉄線でのイヤガラセに「サイコーじゃあ〜〜」と叫ぶ、かなり異常な性格。「イヤガラセが通じない」とクワタは降参してしまう。
マイグ・ダイソン(マイク・タイソン
プロボクサー。元世界ヘビー級チャンピオン。キヨハラに乱闘の指導をするためにホシノ監督が連れてきた。ホシノ監督すら手が付けられない凶暴な性格だが、キヨハラとクワタの大ボケにリズムを崩し、敗北してしまう。
カール・ロイス(カール・ルイス
陸上競技の選手。「異種格闘ベースボール」に参加。バットを尻の穴に突っ込んでバントした。ナガシマ監督は彼が自分の友達だと一方的に思い込んでいる。
マイケロ・ジョータン(マイケル・ジョーダン
バスケットボール選手。「異種格闘ベースボール」に参加。外野を守っていた。左中間の飛球を得意のジャンプでキャッチしたが、近くにバスケットゴールを置くというクワタの戦略にはまり、ボールを落としてしまう。
タムラリョーコ(田村亮子
柔道選手。「異種格闘ベースボール」に参加。タックルしてきたキヨハラ相手に背負い投げを仕掛けた。ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくんやモリモリッ!ばんちょー!!キヨハラくんにも登場している。
タテキミコ(伊達公子
テニスプレーヤー。「異種格闘ベースボール」に参加。ラケット型のバットでノモのフォークを打ち返した。ニコニコ笑っているだけで特に存在感はなかった。

芸能関係者

D.D.ガールズ(C.C.ガールズ
現役のアイドルユニット。1992年オールスターに登場したゲスト。オールスターのセレモニーでダンスを披露。それに対抗してキヨハラ、クワタは「K.K.ボーイズ」と名乗り、盆踊りを踊った。
ウチダユキ(内田有紀
現役のアイドル。最終回のスペシャルゲスト。クワタに花束贈呈した。

空想上のキャラクター

ごくらく寺のおしょう
2巻登場。キヨハラが山篭り中、世話になったお寺の和尚。カイアンツを首になったザンチェは「生きた仏像」のアルバイトをしていた。元は作者が書いた漫画「それいけ!ヤダ念」に登場する主要人物の一人である。
サンタクロース
13巻登場。江戸っ子サンタで「サンタチョップ」、「サンタキック」などの必殺技を持っている凶暴な性格。彼に似てトナカイも皆凶暴。本人いわく、プレゼントは靴下に入れなければ発作が起きるらしい。
板神ファンの幽霊
14巻登場。甲四園球場に出没するオッサンの幽霊。昨年甲四園球場で試合を観戦中、枝豆を喉に詰まらせて死去。1992年好調な板神を前に死ぬに死にきれず、幽霊となって甲四園球場にとりついてしまう。納豆が苦手。同じ幽霊の板神応援団が数多くいる。

動物キャラ

ワニ
7巻に登場したパリッシュのペット。3匹もいて、キヨハラ・クドー・ワタナベとの野球対抗戦をしたが、クドーのデッドボールで主人のパリッシュと共に怒り狂い、3選手ともワニに頭噛みつかれながらも練習場に帰って来た。
馬のホース
10巻登場。「ニンジン早食い競争」で西武側がコマダの対戦相手として連れてきたウマ(モリ監督は「ウチに入団してきた選手」とごまかした)。しかし、ウマ人間のコマダには敵わなかった。
12巻登場。ノモの親友で数頭いる。ノモと共に球場についてきた。
巨大ゴキブリの田中
15巻登場。クワタの飼育した人間と同じサイズの巨大ゴキブリ。知能指数は高く、人間と同じように怒り、泣くことができる。
サルのサルワタリ
15巻登場。クワタとキヨハラが山で知り合った巨大猿。野球がうまく、剛速球のストレートを投げてキヨハラを圧倒した。

その他

カワイ(河合じゅんじ
キヨハラくんの作者。枠線の裏側から登場しては、自虐ネタを披露。終盤間際はキヨハラのCM出演の際に使われた、「Kスタジオ」のCMディレクターとして本人がゲスト出演している。
ムラナカ監督(中村順司
LP学園野球部の監督。実物は姓がナカムラ。キヨハラ、クワタの恩師。卒業生を集め、合同練習やLP学園出身者で「LPガクエンズ」を結成して、プロ野球界に殴りこもうとしたことがある。バント以外のバッティングを認めない。
ホリパリーグ会長(堀新助
プロ野球パリーグ会長。南海、板急、近鉄の3球団連合軍チームに対して、外人枠を5人まで許すことを決める。
オチアイノブコ(落合信子
オチアイの妻。作中では特に名前は出ていない。夫に「かーちゃん」と呼ばれている。オチアイが最も恐れており、常に夫を尻に敷いている。結婚してだらけたクワタの尻を引っぱたき、ハッパをかけたことがある。
オチアイフクシ(落合福嗣
オチアイの一人息子。こちらも作中では特に名前は出ていない。初登場時は赤ん坊であったが、作中で唯一登場する度に成長している。どこでもオシッコをしてしまう癖がある。

  1. ^ 1991年、桑田は不動産の焦げ付き問題に巻き込まれ、購入した物件がバブル崩壊で多額の借金を抱えることになった。作中ではこの時期、クワタの家がろうそくの不始末から全焼し、そのためクワタはアルバイトをしていた。現実世界でも2010年に桑田の実家が火事になり、父が死亡している。
  2. ^ コミックス9巻より。
  3. ^ 板急・近鉄・南海の連合軍相手に登板した際、外人打者3人連続でデッドボールを投げ、「ヘヘン、避けられない方が下手なんだよ!」と悪態をつきながらスケボーで逃げたことも。
  4. ^ ただし第一球の投球動作中に、あまりの緊張でガチガチになってしまったところを見かねたキヨハラに「わっ」という大声で脅かされて気絶、そのまま一球も投げずに降板するという扱いだった
  5. ^ 後継作品『ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん』でもカイアンツの選手3人が正座したままバットを振らずにアウトになり、そのあとにおじぎをした表現があった。
  6. ^ ホシノ監督が「来年優勝するからウチは」と発言していた回。その翌年の1988年、中日ドラゴンズはリーグ優勝した。
  7. ^ そのせいでフジタ監督の自宅を滅茶苦茶にしてしまった際には、堪忍袋の尾が切れたフジタ監督に噛みつかれてしまったこともある。
  8. ^ 後継作品ではタイエーの監督になっているが、監督就任時や2000年の日本シリーズなどがある。
  9. ^ この年、桑田は(前科のある)メンバーズクラブ社長から高級腕時計1個、金銭100万円程度を受領したことについて、球団に虚偽の報告をしたとして謹慎1ヶ月・罰金1000万の処分を下されていた。その謹慎が解けたのが「復活」の意味である。
  10. ^ 1987年のオールスターゲームで振り逃げしたキヨハラにのせられゼッコーチョーのポーズをして捕球ミスをしたり、飛行機で出された飴を器ごと食べてしまう等。
  11. ^ 実際の中畑は2011年のシーズン終了後に後身球団・横浜DeNAベイスターズの監督に就任し、2012年から2015年まで指揮を執った
  12. ^ 綱引きでは近鉄のノモの好物である干し草欲しさによる牛力(?)と互角になったことがある(最後は綱が切れたので勝負にならなかった)。
  13. ^ その際はクラブハウス内のヤマクラのパネル前でクワタに落書きされながら散々罵られるというものであったが実はそのパネルは本物のヤマクラが扮しており、「クワタくん、よ~く分かったよきみの気持ち」と怒りながら正体を現し、一緒にいたナカオに「クワタってこーいうヤツだから気をつけた方がいい」とアドバイスしながら5発ぶん殴った。
  14. ^ 東京ドーム開場記念12球団トーナメント第1戦の西部対中日戦に出場、黄色い歓声を浴びていた西部先発のクドーに対して「ケガばっかりしやがって」とブーイングの嵐を浴びせられたため、ホシノから「人気の差で負けている」という理由で代打にナガシマカズシゲを出されるという理不尽な扱いを受けた。
  15. ^ 一度、口の中にニンジンを立てて入れようとして引っかかってしまい喋れなくなったコマダの台詞を通訳している。
  16. ^ 10.19決戦」のこと
  17. ^ 現実の1989年の日本シリーズ第1戦においても、大石は斉藤雅樹から先頭打者ホームランを放っている。ただ、漫画では、第1戦の場所は実際とは異なり、東京ドームであった(実際の第1戦は藤井寺球場で行われた)。
  18. ^ このキャッチフレーズは稲尾和久の「神さま、仏さま、稲尾さま」に由来する。
  19. ^ 後述のようなパフォーマンスをやられた後で、怯えた西部ナインから「アリトーさんがうちの監督じゃなくてよかった…」とホシノの時と同様のリアクションを返されたことがある。
  20. ^ しかもその際キヨハラから「ロッデは給料安いからやめた方がイイっすよ」とバカにされてしまい、ヒガシオも同意していた。
  21. ^ 昭和時代にロッテオリオンズ監督をしていた時はその逆であった。
  22. ^ が、その後で、キヨハラのファーストフライを捕ろうとして「かっこよくダイビングキャッチしてやれ」と色気を出し、キヨハラの仕返しでサーフボードに乗せられ、そのまま自軍ベンチに激突している。
  23. ^ 現実の星野は生前(星野は2018年1月4日、膵臓癌のため死去)、「ユニフォームは戦闘服です」と公言していた。中日でチームメイトだった鈴木孝政は星野の死後、「星野さんは普段は優しい人で、僕にとっては良き兄貴のような人。でも、一度ユニフォームを着るとこれ以上なれるかっていうくらい、『鬼』になっていました」と語っている。
  24. ^ タイホーへのイヤガラセに来たクワタの正体を見抜き一打席勝負で敗れたクワタに球団マスコットの中の人をやらせる、散々にイヤガラセをされてひどい目に遭った直後に「ペナントレースなんかどうでもいい、クワタさえメチャクチャに痛めつけりゃ満足」と自軍の選手全員とクワタの緊急トレードを成立させる、など。
  25. ^ 実際の中日ドラゴンズが同年、オーストラリア・ゴールドコーストで春季キャンプを実施したことに因むもの。
  26. ^ ただし直前に大暴れして3塁側ベンチを破壊したうえ、「カイアンツは左投手が苦手だから」という理由で、自軍の助っ人として同じく敵情視察に訪れていたクドーを無理矢理もらうという条件付きだった。
  27. ^ この時は現実の郭が帰化して日本人選手として登録されたため片仮名言葉ではなく普通に喋っている。帰化後の郭の本名は、佳久源治(読みは同じ)である。
  28. ^ ただし初登場時は眼が点、口が一本線という、特徴が何もないのがかえって特徴的というキャラだった。
  29. ^ 1979年1980年1984年の3回。
  30. ^ 大洋が連載当時の1989年シーズンでの、巨人との対戦成績が5勝21敗と低迷していたため。
  31. ^ その経緯は、クワタは超特大バットで打席に入る→サイトーのフォークボールを超特大バットのグリップエンドでグラウンドにめり込ませて出塁→一塁のパチョロックに張り紙のイタズラをし、そのまま二塁へ→二塁を回られたところで、いつまで経ってもボールが取れないのに業を煮やしたサイトーがシャベルを持ち出す→クワタが三塁を回ったところでサイトーがようやく土ごとボールを掘り出すが、サイトーはクワタの持った高跳びのバーを思わず飛んでしまう→ホームイン直前、クワタはサイトーの掘った穴に落ちてしまい、そのままタッチアウトにされる→サイトー、捕手のイチカワと抱き合って大喜び、といった内容だった。
  32. ^ モリ監督もヒガシオに「来年の監督はオレ」と冗談を言われた際に桶一杯に涙を流し、ムラヤマ監督は後ろで唖然としていたことも。
  33. ^ ミズノの場合は、クワタと共謀して怪我から復帰したグロマティを騙そうとしたため。その悪戯を見たオーは、二人に選手を何人かおぶらせながらランニングをさせるという罰を課した。
  34. ^ その後、クワタがバット姿になって自分がしたバットを叩きつけた反動を演出して首を骨折させられてしまう。
  35. ^ ただし、その時レフトを守っていたザンチェ(上述)の顔でアウトになった。