近田豊年
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 高知県宿毛市沖の島 |
| 生年月日 | 1965年12月11日(46歳) |
| 身長 体重 |
176cm 75kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 両投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1987年 ドラフト外 |
| 初出場 | 1988年4月14日 |
| 最終出場 | 1988年4月14日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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近田 豊年(ちかだ とよとし、1965年12月11日 - )は、高知県宿毛市出身の元プロ野球選手(投手)。日本プロ野球史上唯一のスイッチピッチャーとして知られる。
目次 |
[編集] 来歴・人物
中学時代は空手で全国大会出場の経験がある。もともと左投げ左打ちであったが、左用のグラブがなかったため右投げで野球をやっていた(一人で壁当てをやる時に、シャレで本来の左投げではなく右でも練習していたことが、右でも投げられるようになったきっかけという説もある)。明徳高では左投げに専念。1983年に春の甲子園に出場し、初戦の対青森北高戦で1イニングのみ登板。
本田技研鈴鹿を経て、1987年のドラフト外で南海ホークスに入団。入団テストで左右両投げを披露し、話題となった。左腕での投球フォームはオーバースローだったが、右腕での投球フォームはアンダースローだった。左右どちらの手でも使える「6本指グラブ」が近田の為に特注され、スイッチピッチャーとスイッチヒッターが対戦する際には投手の側からあらかじめ投げる手を示すとする申し合わせが行われた。1989年は1A・サリナス・スパーズに野球留学した。
1991年に阪神タイガースに移籍し、同年に任意引退。アマチュア野球復帰のため、2007年5月15日に自由契約。一軍では1988年4月14日の大阪球場での対ロッテ戦に登板したのみである。また、この登板では左投げのみでプレーしたため、公式戦でスイッチピッチングを披露する事はなかった。(ただし、イニングの合間の投球練習では両腕で投げていた。)
引退後は関西に戻り、ゴルフのレッスンプロとして活躍。関西電力グループ硬式野球部のコーチも務めている。公式戦では「左右投げ」を披露する機会が無かったこともあり、2001年にFBS福岡放送のホークス応援特番の中で披露。当時二軍選手だった川崎宗則に左で、笹川隆には右で投げた。また、プロ野球マスターズリーグにも参加している。
2008年放送の『J-SPO』によると、アメリカのマイナーリーグのトライアウトに参加。不合格であったが、再度挑戦するとの事。
また趣味である漫画はプロ級で現役時代、同人誌に連載を持っていた事がある。
2011年、24時間テレビダンス甲子園優勝の兄妹ユニットRespect(近田力丸・夢里)は近田の子供達。スタードラフト会議にも出演。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1988 | 南海 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 4 | 1.0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 9.00 | 2.00 |
| 通算:1年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 4 | 1.0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 9.00 | 2.00 | |
[編集] 記録
[編集] 背番号
- 13 (1988年)
- 42 (1989年 - 1990年)
- 53 (1991年)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference