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== 概要 ==
== 概要 ==
いわゆる[[個別言語学]]の一種で、その目的は、日本語の諸現象についての組織立った[[知識]]を得ることである。そのため、日本語に熟達し、自由に理解して使用するための実用的な[[学習]]([[語学]])とは大いに異なる。
いわゆる[[個別言語学]]の一種で、その目的は、日本語の諸現象についての組織立った[[知識]]を得ることである<ref name="Kotobank">{{Cite Kotobank|国語学|encyclopedia=精選版 日本国語大辞典(小学館)|accessdate=2023-12-12}}</ref>。そのため、日本語に熟達し、自由に理解して使用するための実用的な[[学習]]([[語学]])とは大いに異なる。


=== 名称 ===
=== 名称 ===
[[明治]]以来の[[伝統]]で'''国語学'''(こくごがく)と呼ばれることもある。[[類義語|同義語]]として扱われることが多いが、中立的表現である「日本語学」への移行という全体的な緩やかな方向性はある一方で、例えば関連分野である[[言語教育]]において「[[国語教育]]」と「[[日本語教育]]」という表現は使い分けられており<ref group="注釈">「教科名が「国語」である」という事情もあるが、前者は主に「日本語が第一言語」という前提での教育、後者は主に「非日本語話者に対する第二言語教育」という前提での教育で、実際の内容も大きく異なる{{要出典|date=2023年6月}}。</ref>、それぞれの語の印象まで含めれば、必ずしも同一視できるものでもない<ref group="注釈">「[[民俗学]]」と「[[文化人類学]]」など、第三者からの視点では同様な学術分野であっても、研究者自身と対象との距離の違いにより学術的にも違ってくる{{要出典|date=2023年6月}}。</ref>。実際、[[大阪大学文学部]]などでは別の[[研究室]]にあり、日本語学は「現代日本語を中心とした共時的・言語学的研究」、国語学は「古代から近世までの古い日本語を[[文献学]]的・通時的に研究するもの」としている{{要出典|date=2023年6月}}。また、「国語学は[[標準語]]・中央語の研究に偏重し、[[言語変種]]([[方言]]など)が周辺に位置づけられがちだが、日本語学は変種を広く包括できる」という意見もある{{Sfn|小林隆|2002|p=97}}。
[[明治]]以来の[[伝統]]で'''国語学'''(こくごがく)と呼ばれることもある<ref name="Kotobank"/>。[[類義語|同義語]]として扱われることが多いが、中立的表現である「日本語学」への移行という全体的な緩やかな方向性はある一方で、例えば関連分野である[[言語教育]]において「[[国語教育]]」と「[[日本語教育]]」という表現は使い分けられており{{Efn|「教科名が「国語」である」という事情もあるが、前者は主に「日本語が第一言語」という前提での教育、後者は主に「非日本語話者に対する第二言語教育」という前提での教育で、実際の内容も大きく異なる{{要出典|date=2023年6月}}。}}、それぞれの語の印象まで含めれば、必ずしも同一視できるものでもない{{Efn|「[[民俗学]]」と「[[文化人類学]]」など、第三者からの視点では同様な学術分野であっても、研究者自身と対象との距離の違いにより学術的にも違ってくる{{要出典|date=2023年6月}}。}}。実際、[[大阪大学文学部]]などでは別の[[研究室]]にあり、日本語学は「現代日本語を中心とした共時的・言語学的研究」、国語学は「古代から近世までの古い日本語を[[文献学]]的・通時的に研究するもの」としている{{要出典|date=2023年6月}}。また、「国語学は[[標準語]]・中央語の研究に偏重し、[[言語変種]]([[方言]]など)が周辺に位置づけられがちだが、日本語学は変種を広く包括できる」という意見もある{{Sfnp|小林隆|2002|p=97}}。


[[日本国]]で、[[中学校]]および[[高等学校]]「国語」の[[教育職員免許状|免許]]を取得する際、[[教育職員免許法]]施行規則第四条および第五条に基づいて、規定単位数以上履修する必要がある科目の一種として、「国語学」が設けられている。この場合、[[音声言語]]および文章表現に関するものを含む。
[[日本国]]で、[[中学校]]および[[高等学校]]「国語」の[[教育職員免許状|免許]]を取得する際、[[教育職員免許法]]施行規則第四条および第五条に基づいて、規定単位数以上履修する必要がある科目の一種として、「国語学」が設けられている。この場合、[[音声言語]]および文章表現に関するものを含む。
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== 歴史 ==
== 歴史 ==
{{See also|日本語#研究史|日本史時代区分表}}
{{See also|日本語#研究史|日本史時代区分表}}
日本語に関心を寄せてきた人々の[[歴史]]は長く、古から様々な分野の人々によって日本語研究が行われてきた{{Efn|限定を加えずに広く日本語研究の歴史として捉えると、その対象範囲は[[日本思想]]にも及ぶことになり、[[研究史]]と[[思想史]]との境界が希薄なものとなりかねないため、「言語学的観点から一定の評価や判断が可能なもの」を対象として扱うなどの限定を設ける必要性が生じる{{Sfn|山東功|2019|pp=284-285}}。}}。質量ともに大きな変化が見られるのは明治前後であるが、これは日本語における[[言語変化]]というよりも、日本史上の政治的ないし社会的変化に負うところが大きいといえる{{Sfn|山東功|2019|p=285}}。ここでは、一般的な[[日本文学#時代区分による分類|日本文学史]]での区分に倣い、[[上代]]・[[中古_(時代区分)#日本|中古]]・[[中世#日本|中世]]([[奈良時代]]~[[室町時代]])、[[近世#日本|近世]]([[江戸時代]])、[[近現代]](明治以降)の3区分から記述する。
日本語を研究する学問の[[歴史]]は「'''日本語学史'''」(または「'''国語学史'''」)と呼ばれる{{Sfnp|山本真吾|2013|pp=261}}{{Sfnp|山東功|2019|p=284}}。字義通りに[[解釈]]すれば、「近代以降に成立した[[科学史|科学としての歴史]]」を扱うことになるが、日本語に関心を寄せてきた人々の歴史は長く、古から様々な分野の人々によって日本語研究が行われてきた{{Efn|限定を加えずに広く日本語研究の歴史として捉えると、その対象範囲は[[日本思想]]にも及ぶことになり、[[研究史]]と[[思想史]]との境界が希薄なものとなりかねないため、「言語学的観点から一定の評価や判断が可能なもの」を対象として扱うなどの限定を設ける必要性が生じる{{Sfnp|山東功|2019|pp=284-285}}。}}。質量ともに大きな変化が見られるのは明治前後であるが、これは日本語における[[言語変化]]というよりも、日本史上の政治的ないし社会的変化に負うところが大きいといえる{{Sfnp|山東功|2019|p=285}}。
ここでは、一般的な[[日本文学#時代区分による分類|日本文学史]]での区分に倣い、[[上代]]・[[中古_(時代区分)#日本|中古]]・[[中世#日本|中世]]([[奈良時代]]~[[室町時代]])、[[近世#日本|近世]]([[江戸時代]])、[[近現代]](明治以降)の3区分から記述する。


=== 上代・中古・中世 ===
=== 上代・中古・中世 ===
{{See also|上代日本語|中古日本語|中世日本語}}
{{See also|上代日本語|中古日本語|中世日本語}}
日本語学の萌芽は「自国語の意識化」という自覚的反省から発生した{{Sfn|山東功|2019|p=285}}。具体的には、古代における[[仏教|仏教思想]]との[[言語接触]]による学習や、中世における古典解釈などが、日本語を対象に探求する動機となったのである。
日本語学の萌芽は「自国語の意識化」という自覚的反省から発生した{{Sfnp|山東功|2019|p=285}}。具体的には、古代における[[仏教|仏教思想]]との[[言語接触]]による学習や、中世における古典解釈などが、日本語を対象に探求する動機となったのである。


==== 中国語(漢語)の受容 ====
==== 中国語(漢語)の受容 ====
日本語の相対的な特徴が意識されるようになったのは、[[漢字]]における[[音節]]の構造に関する学習であった。『[[古事記]]』には音注がしばしば付けられているが、これは漢字を[[借字]]として用い、[[中国語]]で表せない日本語の固有語を1音節ずつ漢字で表記したものであり、いわばこうした表記法は、日本語の音節構造が異なることを認識していた証左と考えられる{{Sfn|遠藤嘉基|1976|pp=181-182}}。また[[漢文訓読|漢文の訓読]]により、中国語にない[[助詞]]・[[助動詞 (国文法)|助動詞]]の要素が意識されるようになり、漢文を読み下す際に必要な「て」「に」「を」「は」などの要素は、当初は点を漢字に添えることで表現していた{{Efn|一般に「[[漢文訓読#乎古止点(乎己止点・ヲコト点)|ヲコト点]]」と呼ばれるが、これは'''江戸時代以後の呼称'''であり、院政時代には「テニハ点」といわれ、それ以前は単に「点」とだけ呼ばれていた{{Sfn|遠藤嘉基|1976|p=192}}。}}。これが後に[[片仮名]]が用いられるようになり、やがては「てにをは」の名で一括され、後に一つの研究分野となった。
日本語の相対的な特徴が意識されるようになったのは、[[漢字]]における[[音節]]の構造に関する学習であった。『[[古事記]]』には音注がしばしば付けられているが、これは漢字を[[借字]]として用い、[[中国語]]で表せない日本語の固有語を1音節ずつ漢字で表記したものであり、いわばこうした表記法は、日本語の音節構造が異なることを認識していた証左と考えられる{{Sfnp|遠藤嘉基|1976|pp=181-182}}。また[[漢文訓読|漢文の訓読]]により、中国語にない[[助詞]]・[[助動詞 (国文法)|助動詞]]の要素が意識されるようになり、漢文を読み下す際に必要な「て」「に」「を」「は」などの要素は、当初は点を漢字に添えることで表現していた{{Efn|一般に「[[漢文訓読#乎古止点(乎己止点・ヲコト点)|ヲコト点]]」と呼ばれるが、これは'''江戸時代以後の呼称'''であり、院政時代には「テニハ点」といわれ、それ以前は単に「点」とだけ呼ばれていた{{Sfnp|遠藤嘉基|1976|p=192}}。}}。これが後に[[片仮名]]が用いられるようになり、やがては「てにをは」の名で一括され、後に一つの研究分野となった。


日本語の1音1音を借字で記すようになった当初は、音韻組織全体に対する意識はまだ弱かったが、「[[天地の詞]]」([[平安時代]]初期)や「[[いろは歌]]」(平安時代中期)など、あらゆる仮名を1回ずつ集めて誦文にしたものが成立している。これらは後に物の順番を示す「[[いろは順]]」として用いられ、{{要出典範囲|仮名の手本としても人々の間に一般化している|date=2023年6月}}。
日本語の1音1音を借字で記すようになった当初は、音韻組織全体に対する意識はまだ弱かったが、「[[天地の詞]]」([[平安時代]]初期)や「[[いろは歌]]」(平安時代中期)など、あらゆる仮名を1回ずつ集めて誦文にしたものが成立している。これらは後に物の順番を示す「[[いろは順]]」として用いられ、{{要出典範囲|仮名の手本としても人々の間に一般化している|date=2023年6月}}。


===== 辞書の出現 =====
===== 辞書の出現 =====
こうした漢字の学習に関連して、[[漢籍]]を読むための[[辞典|辞書]]が多く編纂された。国内における辞書編纂の記録として最古のものは『[[新字 (辞典)|新字]]』44巻([[682年]])である{{Efn|『[[日本書紀]]』巻第29(天武天皇11年3月13日条)に「肇めて新字一部四十四巻を造らしむ」とある{{Sfn|沖森卓也|2015|pp=29-30}}。この記事が仮に史実でないとしても、天武朝において辞書編纂が行われた可能性はある{{Sfn|犬飼隆|2000|p=16}}。}}。これは伝本も逸文も存在しないため、いかなる内容であったかは不明であるが、「書名からして漢字字書の類であろう」と推測される{{Sfn|倉島節尚|2015|p=16}}。また、それぞれ逸文として残るのみであるが、『楊氏漢語抄』や『弁色立成』といった和訓を有する漢和辞書が編纂された{{Sfn|小林芳規|2000|pp=31-32}}。
こうした漢字の学習に関連して、[[漢籍]]を読むための[[辞典|辞書]]が多く編纂された。国内における辞書編纂の記録として最古のものは『[[新字 (辞典)|新字]]』44巻([[682年]])である{{Efn|『[[日本書紀]]』巻第29(天武天皇11年3月13日条)に「肇めて新字一部四十四巻を造らしむ」とある{{Sfnp|沖森卓也|2015|pp=29-30}}。この記事が仮に史実でないとしても、天武朝において辞書編纂が行われた可能性はある{{Sfnp|犬飼隆|2000|p=16}}。}}。これは伝本も逸文も存在しないため、いかなる内容であったかは不明であるが、現存している[[木簡]]に字書らしき記載が確認できることから{{Sfnp|沖森卓也|2023|p=12|ps=(原著:{{Harvnb|沖森卓也|2008}})}}、「書名からして漢字字書の類であろう」と推測される{{Sfnp|倉島節尚|2015|p=16}}。また、それぞれ逸文として残るのみであるが、『楊氏漢語抄』や『弁色立成』といった和訓を有する漢和辞書が編纂された{{Sfnp|小林芳規|2000|pp=31-32}}。


現存する最古の辞書は、[[空海]]編と伝えられる『[[篆隷万象名義]]』([[9世紀]]頃)である。これは『[[玉篇]]』を下敷きに編纂した部首配列の漢字字書で、和訓は一切ないが、当時の日本人にとって使い易いものを目指したものと想像される{{Sfn|月本雅幸|2016|p=6}}。伝本が存する最古の漢和辞書『[[新撰字鏡]]』([[10世紀]]初頭)は、漢字を部首で配列した上で、和訓を万葉仮名で記している{{Sfn|小林芳規|2000|pp=34-35}}。[[源順]]が[[勤子内親王]]の依頼で撰進した漢和辞書『[[和名類聚抄]]』([[934年]]頃)は、百科辞書の色彩が強く、意味で分類した[[漢語]]におおむね和訳を万葉仮名で付しており{{Sfn|小林芳規|2000|pp=35-36}}、佚書の手掛かりを含む貴重な資料でもある{{Sfn|藤本灯|2016|p=13}}。漢字を部首で分類して字音・意義・和訓などを注記した『[[類聚名義抄]]』([[11世紀]]末〜[[12世紀]]頃)は、その豊富な[[声点]]から[[院政|院政期]]の[[アクセント|アクセント体系]]を窺い知れる{{Sfn|金子彰|2015|pp=59-60}}。橘忠兼が編纂した『[[色葉字類抄]]』(12世紀)は{{Efn|鎌倉初期に増補して十巻本としたものは『伊呂波字類抄』と呼ばれる{{Sfn|沖森卓也|2000|p=40}}。}}、和訓によって言葉を明らかにすることを目的に「いろは順」を採用した最初の辞書である{{Sfn|山本真吾|2015a|pp=69-70}}。いずれの辞書も今日における[[国語辞典]]の概念からは程遠いが、後世への影響力から資料的価値がある{{Sfn|飯田晴巳|2015|p=53}}{{Sfn|金子彰|2015|p=60}}{{Sfn|山本真吾|2015a|pp=74-75}}。
現存する最古の辞書は、[[空海]]編と伝えられる『[[篆隷万象名義]]』([[9世紀]]頃)である。これは『[[玉篇]]』を下敷きに編纂した部首配列の漢字字書で、和訓は一切ないが、当時の日本人にとって使い易いものを目指したものと想像される{{Sfnp|月本雅幸|2016|p=6}}。伝本が存する最古の漢和辞書『[[新撰字鏡]]』([[10世紀]]初頭)は、漢字を部首で配列した上で、和訓を万葉仮名で記している{{Sfnp|小林芳規|2000|pp=34-35}}。[[源順]]が[[勤子内親王]]の依頼で撰進した漢和辞書『[[和名類聚抄]]』([[934年]]頃)は、百科辞書の色彩が強く、意味で分類した[[漢語]]におおむね和訳を万葉仮名で付しており{{Sfnp|小林芳規|2000|pp=35-36}}、佚書の手掛かりを含む貴重な資料でもある{{Sfnp|藤本灯|2016|p=13}}。漢字を部首で分類して字音・意義・和訓などを注記した『[[類聚名義抄]]』([[11世紀]]末〜[[12世紀]]頃)は、その豊富な[[声点]]から[[院政|院政期]]の[[アクセント|アクセント体系]]を窺い知れる{{Sfnp|金子彰|2015|pp=59-60}}。橘忠兼が編纂した『[[色葉字類抄]]』(12世紀)は{{Efn|鎌倉初期に増補して十巻本としたものは『伊呂波字類抄』と呼ばれる{{Sfnp|沖森卓也|2000|p=40}}。}}、和訓によって言葉を明らかにすることを目的に「いろは順」を採用した最初の辞書である{{Sfnp|山本真吾|2015a|pp=69-70}}。いずれの辞書も今日における[[国語辞典]]の概念からは程遠いが、後世への影響力から資料的価値がある{{Sfnp|飯田晴巳|2015|p=53}}{{Sfnp|金子彰|2015|p=60}}{{Sfnp|山本真吾|2015a|pp=74-75}}。


==== 悉曇学との接触 ====
==== 悉曇学との接触 ====
[[空海]]や[[円仁]]などの学僧による[[悉曇学]]の研究により、[[サンスクリット|梵語]]に整然とした音韻組織が存在することが知られるようになった{{Sfn|月本雅幸|2016|p=5}}{{Sfn|林史典|2016|pp=9-11}}。平安時代末期に成立したと見られる「[[五十音|五十音図]]」は、「あ・か・さ・た・な……」の行の並び方が梵語の悉曇章(字母表)の順に酷似しており、悉曇学を通じて日本語の音韻組織の研究が進んだことを窺わせる。もっとも、五十音図作成の目的は、一方では、中国音韻学の[[反切]]を理解するためでもあり、当初その配列はかなり自由であった<ref group="注釈">ほぼ現在に近い配列が定着したのは「室町時代以後」とされる{{要出典|date=2023年6月}}。</ref>。最古の五十音図は、平安時代末期の悉曇学者[[明覚]]の『反音作法』に見られる{{Sfn|山田孝雄|1938|pp=81-85}}。また、明覚は『悉曇要訣』において、梵語の発音を説明するために日本語の例を多く引用しており、このことからも日本語の音韻組織への関心を見せている{{Sfn|山田孝雄|1938|pp=85-87}}。
[[空海]]や[[円仁]]などの学僧による[[悉曇学]]の研究により、[[サンスクリット|梵語]]に整然とした音韻組織が存在することが知られるようになった{{Sfnp|月本雅幸|2016|p=5}}{{Sfnp|林史典|2016|pp=9-11}}。平安時代末期に成立したと見られる「[[五十音|五十音図]]」は、「あ・か・さ・た・な……」の行の並び方が梵語の悉曇章(字母表)の順に酷似しており、悉曇学を通じて日本語の音韻組織の研究が進んだことを窺わせる。もっとも、五十音図作成の目的は、一方では、中国音韻学の[[反切]]を理解するためでもあり、当初その配列はかなり自由であった{{Efn|ほぼ現在に近い配列が定着したのは「室町時代以後」とされる{{要出典|date=2023年6月}}。}}。最古の五十音図は、平安時代末期の悉曇学者[[明覚]]の『反音作法』に見られる{{Sfnp|山田孝雄|1938|pp=81-85}}。また、明覚は『悉曇要訣』において、梵語の発音を説明するために日本語の例を多く引用しており、このことからも日本語の音韻組織への関心を見せている{{Sfnp|山田孝雄|1938|pp=85-87}}。


==== 歌学における展開 ====
==== 歌学における展開 ====
[[歌学]]は平安時代以降、大いに興隆した。元々は[[和歌]]の実作および批評のための学問であったが、やがて古典解釈のために正当な語彙・語法を使用することへの要求が強くなったのである{{Sfn|山東功|2019|p=287}}。これが結果として、日本語の古語に関する研究のほか、「てにをは」の研究や[[仮名遣い]]への研究に繋がった。
[[歌学]]は平安時代以降、大いに興隆した。元々は[[和歌]]の実作および批評のための学問であったが、やがて古典解釈のために正当な語彙・語法を使用することへの要求が強くなったのである{{Sfnp|山東功|2019|p=287}}。これが結果として、日本語の古語に関する研究のほか、「てにをは」の研究や[[仮名遣い]]への研究に繋がった。

古語の研究では、語と語の関係を音韻論的に説明することが試みられた。たとえば、[[顕昭]]の『[[袖中抄]]』には「五音相通(五十音の同じ行で音が相通ずること)」や「同韻相通(五十音の同じ段で音が相通ずること)」などの説明が多用されているが、こうした語義の解釈は[[仙覚]]の『萬葉集註釈』([[1266年]]~[[1269年]])にも散見される{{Sfnp|乾善彦|2016|p=23}}。


本格的な「てにをは」の研究は、[[鎌倉時代]]末期から室町時代初期に成立した『手爾葉大概抄』という短い文章によって端緒が付けられた。この文章では、係助詞「ぞ」「こそ」とその結びの関係を論じるなど、「てにをは」について概略的に述べている{{Sfnp|田中康二|2015b|p=363|ps=(初出:{{Harvnb|田中康二|2015a}})}}。また、室町時代には『姉小路式』が著され{{Efn|『天仁遠波十三ヶ条口伝』『姉小路家手似葉伝』『出葉抄』『秘伝天爾波抄』など様々な名称で伝わっている{{Sfnp|遠藤嘉基|1976|p=212}}。}}、係助詞「ぞ」「こそ」「や」「か」のほか、終助詞「かな」などの「てにをは」の用法をより詳細に論じている。これは作歌において口語と文語との差異が甚だしくなったことが要因とされる{{Sfnp|国語学会|1979|p=84}}。
古語の研究では、語と語の関係を音韻論的に説明することが試みられた。たとえば、[[顕昭]]の『[[袖中抄]]』には「五音相通(五十音の同じ行で音が相通ずること)」や「同韻相通(五十音の同じ段で音が相通ずること)」などの説明が多用されているが、こうした語義の解釈は[[仙覚]]の『萬葉集註釈』([[1266年]]~[[1269年]])にも散見される{{Sfn|乾善彦|2016|p=23}}。


仮名遣いについては、鎌倉時代の初め頃に[[藤原定家]]がこれを問題とし、その著作『[[下官集]]』において、仮名遣いの基準を前代の平安時代末期の草子類の仮名表記に求め、規範を示そうとした{{Sfnp|今野真二|2016b|p=17}}。「お」と「を」の区別については、平安時代末期にはすでにいずれも{{IPA|wo}}の音となり発音上の区別が無くなっていたことにより、相当な表記の揺れがあり、格助詞の「を」を除き前例による基準を見出すことができなかった{{Sfnp|築島裕|1986|pp=12-17}}。そこで『下官集』では、アクセントが高い言葉を「を」、アクセントが低い言葉を「お」で記している{{Efn|アクセントの高低による「を」と「お」の使い分けは、すでに『類聚名義抄』や『色葉字類抄』などにも見られる{{Sfnp|築島裕|1986|p=35}}。}}。[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]には、[[行阿]]がこれを増補して『仮名文字遣』を著した。行阿の姿勢も「基準を古書に求める」というもので、「お」と「を」の区別についても定家仮名遣の原則を踏襲しており、これは後に「[[定家仮名遣]]」と呼ばれるに至る{{Sfnp|今野真二|2016b|p=19}}。しかし、行阿が『仮名文字遣』を著した頃には日本語にアクセントの一大変化があり、{{IPA|wo}}の音を含む語彙に関しても、定家の時代とはアクセントの高低が異なってしまった{{Sfnp|築島裕|1986|pp=41-42}}。その結果「お」と「を」の仮名遣いについては、定家が示したものと齟齬が生じている。
本格的な「てにをは」の研究は、[[鎌倉時代]]末期から室町時代初期に成立した『手爾葉大概抄』という短い文章によって端緒が付けられた。この文章では、係助詞「ぞ」「こそ」とその結びの関係を論じるなど、「てにをは」について概略的に述べている{{Sfn|田中康二|2015|p=363|ps=(初出は「係り結びの法則成立史」『神戸大学文学部紀要』第42号、2015年)}}。また、室町時代には『姉小路式』が著され{{Efn|『天仁遠波十三ヶ条口伝』『姉小路家手似葉伝』『出葉抄』『秘伝天爾波抄』など様々な名称で伝わっている{{Sfn|遠藤嘉基|1976|p=212}}。}}、係助詞「ぞ」「こそ」「や」「か」のほか、終助詞「かな」などの「てにをは」の用法をより詳細に論じている。これは作歌において口語と文語との差異が甚だしくなったことが要因とされる{{Sfn|国語学会|1979|p=84}}。


なお、「お」と「を」の発音上の区別が無くなっていたことで、五十音図においても鎌倉時代以来、「お」と「を」の位置が逆転した「あいうえ'''を'''」「わゐうゑ'''お'''」が用いられていた。これが今日の「あいうえ'''お'''」「わゐうゑ'''を'''」になるのは、江戸時代に[[本居宣長]]が登場してからのことである{{Sfnp|矢田勉|2016|p=53}}。
仮名遣いについては、鎌倉時代の初め頃に[[藤原定家]]がこれを問題とし、その著作『[[下官集]]』において、仮名遣いの基準を前代の平安時代末期の草子類の仮名表記に求め、規範を示そうとした{{Sfn|今野真二|2016b|p=17}}。「お」と「を」の区別については、平安時代末期にはすでにいずれも{{IPA|wo}}の音となり発音上の区別が無くなっていたことにより、相当な表記の揺れがあり、格助詞の「を」を除き前例による基準を見出すことができなかった{{Sfn|築島裕|1986|pp=12-17}}。そこで『下官集』では、アクセントが高い言葉を「を」、アクセントが低い言葉を「お」で記している{{Efn|アクセントの高低による「を」と「お」の使い分けは、すでに『類聚名義抄』や『色葉字類抄』などにも見られる{{Sfn|築島裕|1986|p=35}}。}}。[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]には、[[行阿]]がこれを増補して『仮名文字遣』を著した。行阿の姿勢も「基準を古書に求める」というもので、「お」と「を」の区別についても定家仮名遣の原則を踏襲しており、これは後に「[[定家仮名遣]]」と呼ばれるに至る{{Sfn|今野真二|2016b|p=19}}。しかし、行阿が『仮名文字遣』を著した頃には日本語にアクセントの一大変化があり、{{IPA|wo}}の音を含む語彙に関しても、定家の時代とはアクセントの高低が異なってしまった{{Sfn|築島裕|1986|pp=41-42}}。その結果「お」と「を」の仮名遣いについては、定家が示したものと齟齬が生じている。


こうした中世期における歌学の国語研究の特徴は、少なからず近世期へと引き継がれるが、雑然とした中に法則的なものを自覚するようになるなど、次第に変容した{{Sfnp|尾崎知光|1983|p=16|ps=(初出:{{Harvnb|尾崎知光|1976}})}}。
なお、「お」と「を」の発音上の区別が無くなっていたことで、五十音図においても鎌倉時代以来、「お」と「を」の位置が逆転した「あいうえ'''を'''」「わゐうゑ'''お'''」が用いられていた。これが今日の「あいうえ'''お'''」「わゐうゑ'''を'''」になるのは、江戸時代に[[本居宣長]]が登場してからのことである{{Sfn|矢田勉|2016|p=53}}。


==== 実用的辞書の登場 ====
==== 実用的辞書の登場 ====
それまでの辞書は、大陸文化の影響を強く受けていたが、この頃から日本的性格の強いものが出現した{{Sfn|中山綠朗|2015|p=80}}。鎌倉時代には、百科辞書『[[二中歴]]』、詩作を目的とした『平他字類抄』、事物の起源や語源を解説した『[[塵袋]]』や『[[名語記]]』なども編まれるようになり、室町時代には、[[漢詩]]を詠むことを目的とした『[[聚分韻略]]』、漢字の音訓を示した『[[倭玉篇]]』、和訳に通俗語も含めた『[[下学集]]』、[[五十音順]]を採用した最古のものといわれる『[[温故知新書]]』、当時の俗語を百科事典的に説明する『[[運歩色葉集]]』、[[国字]]や漢字などの起源を記した『[[壒嚢鈔]]』や『[[塵添壒嚢鈔]]』などが編まれた。
それまでの辞書は、大陸文化の影響を強く受けていたが、この頃から日本的性格の強いものが出現した{{Sfnp|中山綠朗|2015|p=80}}。鎌倉時代には、百科辞書『[[二中歴]]』、詩作を目的とした『平他字類抄』、事物の起源や語源を解説した『[[塵袋]]』や『[[名語記]]』なども編まれるようになり、室町時代には、[[漢詩]]を詠むことを目的とした『[[聚分韻略]]』、漢字の音訓を示した『[[倭玉篇]]』、和訳に通俗語も含めた『[[下学集]]』、[[五十音順]]を採用した最古のものといわれる『[[温故知新書]]』、当時の俗語を百科事典的に説明する『[[運歩色葉集]]』、[[国字]]や漢字などの起源を記した『[[壒嚢鈔]]』や『[[塵添壒嚢鈔]]』などが編まれた。


[[15世紀]]になると、読み書きが広い階層へ普及し始めたことを背景に、日常語の単語を「いろは順」に並べた『[[節用集]]』が流布した。漢字熟語を多数掲出して読み仮名を付したもので、[[意味]]などの記述はなく、通俗的百科辞書の性格が強い{{Sfn|木村一|2015|p=90}}。この『節用集』を下敷きにした辞書として、『易林本節用集』や『書言字考節用集』などが、江戸時代に出現している{{Sfn|木村一|2015|pp=92-97}}。こうしたことから、中世末期から近世初期にかけての[[写本]]のほか、慶長年間頃までの刊本は「古本節用集」と呼ばれる{{Sfn|木村一|2015|p=90}}。
[[15世紀]]になると、読み書きが広い階層へ普及し始めたことを背景に、日常語の単語を「いろは順」に並べた『[[節用集]]』が流布した。漢字熟語を多数掲出して読み仮名を付したもので、[[意味]]などの記述はなく、通俗的百科辞書の性格が強い{{Sfnp|木村一|2015|p=90}}。この『節用集』を下敷きにした辞書として、『易林本節用集』や『書言字考節用集』などが、江戸時代に出現している{{Sfnp|木村一|2015|pp=92-97}}。こうしたことから、中世末期から近世初期にかけての[[写本]]のほか、慶長年間頃までの刊本は「古本節用集」と呼ばれる{{Sfnp|木村一|2015|p=90}}。


これらの出現は、学問に大衆的性格が強くなったことに伴い、辞書に利便性の高い内容が求められていったことに起因する{{Sfn|中山綠朗|2015|p=80}}。
これらの出現は、学問に大衆的性格が強くなったことに伴い、辞書に利便性の高い内容が求められていったことに起因する{{Sfnp|中山綠朗|2015|p=80}}。


==== 外国人による研究 ====
==== 外国人による研究 ====
中世末期から近世前期にかけて、[[外国人]]による日本語研究も多く行われた。[[イエズス会]]では、[[宣教師]]たちが学ぶべき標準を目的に、日本語と[[ポルトガル語]]の辞書『[[日葡辞書]]』(1603年)が編纂された{{Sfn|小林賢次|2000|p=45}}。これに先行する辞書として、本文だけで約900頁にも及ぶ『羅葡日対訳辞書』(1595年)があるが、邦訳されていないこともあって、ほとんど知られていない{{Sfn|山田潔|2015|p=40}}。この他にも、漢字の音訓を常に並べて示すように編纂された『[[落葉集 (辞典)|落葉集]]』(1598年)がある{{Sfn|山本真吾|2015b|pp=28-29}}。また、同会の[[ジョアン・ロドリゲス|ロドリゲス]]による文法書『日本大文典』(1608年)および『日本小文典』(1620年)は、[[ラテン語]]の文法書の伝統に基づいて日本語を分析したもので、資料的価値が高い{{Sfn|丸山徹|2016|pp=29-30}}。
中世末期から近世前期にかけて、[[外国人]]による日本語研究も多く行われた。[[イエズス会]]では、[[宣教師]]たちが学ぶべき標準を目的に、日本語と[[ポルトガル語]]の辞書『[[日葡辞書]]』(1603年)が編纂された{{Sfnp|小林賢次|2000|p=45}}。これに先行する辞書として、本文だけで約900頁にも及ぶ『羅葡日対訳辞書』(1595年)があるが、邦訳されていないこともあって、ほとんど知られていない{{Sfnp|山田潔|2015|p=40}}。この他にも、漢字の音訓を常に並べて示すように編纂された『[[落葉集 (辞典)|落葉集]]』(1598年)がある{{Sfnp|山本真吾|2015b|pp=28-29}}。また、同会の[[ジョアン・ロドリゲス|ロドリゲス]]による文法書『日本大文典』(1608年)および『日本小文典』(1620年)は、[[ラテン語]]の文法書の伝統に基づいて日本語を分析したもので、資料的価値が高い{{Sfnp|丸山徹|2016|pp=29-30}}。


=== 近世 ===
=== 近世 ===
{{See also|近世日本語}}
{{See also|近世日本語}}
日本語学は江戸時代において、[[契沖]]の研究以来、秘伝にこだわらない自由な学風が起こり、[[国学]]の一分野として高い客観性・実証性を備えるようになる。ただし、詳細については不明な点が多く、個々の語学的考察については、資料的裏付けを得て確定する作業が残されている{{Sfn|山本真吾|2013|pp=284-285}}。
日本語学は江戸時代において、[[契沖]]の研究以来、秘伝にこだわらない自由な学風が起こり、[[国学]]の一分野として高い客観性・実証性を備えるようになる。ただし、詳細については不明な点が多く、個々の語学的考察については、資料的裏付けを得て確定する作業が残されている{{Sfnp|山本真吾|2013|pp=284-285}}。


==== 中期 ====
==== 中期 ====
契沖は『[[万葉集]]』の注釈書『[[万葉代匠記]]』を通じて、文献を博捜して規則性を見出すことにつとめ、多くの現象を指摘した{{Sfn|長谷川千秋|2016|p=34}}。とりわけ仮名遣いについて詳細に観察を行い、『和字正濫』(1695年)を著して、古代は語ごとに仮名遣いが決まっていたことを明らかにした{{Sfn|長谷川千秋|2016|p=35}}。しかし、掲出した語には典拠がないものも少なくなく、後に[[楫取魚彦]]が『古言梯(こげんてい{{Efn|[[村田春海]]・[[清水浜臣]]『古言梯再考増補標註』にある「古言梯のいて来しをり竟宴の哥」に「古言のかけはしとふふみあつめをへたる日よめる」という魚彦の詞書があることから、実際の書名は「'''ふることのかけはし'''」の可能性がある{{Sfn|今野真二|2016a|p=198}}。}})』(1765年)において、記紀万葉などの古典のみならず、新たな出典として『[[新撰字鏡]]』などを挙げながら増補した。魚彦の没後には各人によって『古言梯』を補完したものが出版されている{{Efn|藤重匹龍『掌中古言梯』、村田春海・清水浜臣『古言梯再考増補標註』、山田常典『増補古言梯標註』などがある{{Sfn|岩澤和夫|2001|p=275}}。これらのほかにも、[[市岡猛彦]]『雅言仮字格』、[[鶴峯戊申]]『増補正誤仮名遣』、村田春海『仮字拾要』などがある{{Sfn|木枝増一|1933|p=181}}。}}。こうした流れが後の[[歴史的仮名遣]]に繋がっていった{{Sfn|築島裕|1986|pp=133-134}}。
契沖は『[[万葉集]]』の注釈書『[[万葉代匠記]]』を通じて、文献を博捜して規則性を見出すことにつとめ、多くの現象を指摘した{{Sfnp|長谷川千秋|2016|p=34}}。とりわけ仮名遣いについて詳細に観察を行い、『和字正濫』(1695年)を著して、古代は語ごとに仮名遣いが決まっていたことを明らかにした{{Sfnp|長谷川千秋|2016|p=35}}。しかし、掲出した語には典拠がないものも少なくなく、後に[[楫取魚彦]]が『古言梯(こげんてい{{Efn|[[村田春海]]・[[清水浜臣]]『古言梯再考増補標註』にある「古言梯のいて来しをり竟宴の哥」に「古言のかけはしとふふみあつめをへたる日よめる」という魚彦の詞書があることから、実際の書名は「'''ふることのかけはし'''」の可能性がある{{Sfnp|今野真二|2016a|p=198}}。}})』(1765年)において、記紀万葉などの古典のみならず、新たな出典として『[[新撰字鏡]]』などを挙げながら増補した。魚彦の没後には各人によって『古言梯』を補完したものが出版されている{{Efn|藤重匹龍『掌中古言梯』、村田春海・清水浜臣『古言梯再考増補標註』、山田常典『増補古言梯標註』などがある{{Sfnp|岩澤和夫|2001|p=275}}。これらのほかにも、[[市岡猛彦]]『雅言仮字格』、[[鶴峯戊申]]『増補正誤仮名遣』、村田春海『仮字拾要』などがある{{Sfnp|木枝増一|1933|p=181}}。}}。こうした流れが後の[[歴史的仮名遣]]に繋がっていった{{Sfnp|築島裕|1986|pp=133-134}}。


古語の研究では、[[松永貞徳]]が『和句解』(1662年)を著し、和語をいろは順に並べて1つ1つに解説を記している{{Efn|ほとんどが思い付き程度の恣意的なものとされるが{{Sfn|国語学会|1979|p=147}}、近世初期の言語生活などを知り得る資料とされる{{Sfn|土居文人|2015|p=298}}。}}。[[貝原益軒]]は『日本釈名』(1700年)を著し、少なからず『和句解』の説を取り入れながら{{Sfn|土居文人|2015|pp=294-296}}、理論的に整理されている一方で、実証的裏付けに欠けている{{Sfn|国語学会|1979|p=149}}。[[新井白石]]の『[[東雅]]』(1719年)は、異文化への視線を持って日本語研究に取り組んだ大著で{{Sfn|岡田袈裟男|2016|p=39}}、『日本釈名』の説を批判しているが、本文には単なる思い付きの類も少なくない{{Sfn|国語学会|1979|p=152}}。また、[[賀茂真淵]]は『語意考』(1789年)を著し、語義の説明として「延約通略」(「語形の変化は、縮める(約)か、延ばすか、略するか、音通([[母音]]または[[子音]]の交替)かによって生じる」という考え方)を示した{{Sfn|内田宗一|2016|p=41}}。こうした考え方は、[[谷川士清]]『倭訓栞』にも散見される{{Sfn|平井吾門|2016|pp=46-47}}。
古語の研究では、[[松永貞徳]]が『和句解』(1662年)を著し、和語をいろは順に並べて1つ1つに解説を記している{{Efn|ほとんどが思い付き程度の恣意的なものとされるが{{Sfnp|国語学会|1979|p=147}}、近世初期の言語生活などを知り得る資料とされる{{Sfnp|土居文人|2015|p=298}}。}}。[[貝原益軒]]は『日本釈名』(1700年)を著し、少なからず『和句解』の説を取り入れながら{{Sfnp|土居文人|2015|pp=294-296}}、理論的に整理されている一方で、実証的裏付けに欠けている{{Sfnp|国語学会|1979|p=149}}。[[新井白石]]の『[[東雅]]』(1719年)は、異文化への視線を持って日本語研究に取り組んだ大著で{{Sfnp|岡田袈裟男|2016|p=39}}、『日本釈名』の説を批判しているが、本文には単なる思い付きの類も少なくない{{Sfnp|国語学会|1979|p=152}}。また、[[賀茂真淵]]は『語意考』(1789年)を著し、語義の説明として「延約通略」(「語形の変化は、縮める(約)か、延ばすか、略するか、音通([[母音]]または[[子音]]の交替)かによって生じる」という考え方)を示した{{Sfnp|内田宗一|2016|p=41}}。こうした考え方は、[[谷川士清]]『倭訓栞』にも散見される{{Sfnp|平井吾門|2016|pp=46-47}}。


方言の研究では、[[越谷吾山]]が事績を残している。全部で550項目にわたり約400語を数える大規模な方言集『[[物類称呼]]』は、忘れ去られた可能性のある方言語彙を数多く記載しており、高い資料的価値を持つ{{Sfn|宮治弘明|1991|p=243}}{{Sfn|田籠博|2016|p=51}}。
方言の研究では、[[越谷吾山]]が事績を残している。全部で550項目にわたり約400語を数える大規模な方言集『[[物類称呼]]』は、各地の異称を同一平面上に並べてみようとする姿勢から{{Sfnp|徳川宗賢|1977|pp=331-332}}、忘れ去られた可能性のある方言語彙を数多く記載しており、高い資料的価値を持つ{{Sfnp|宮治弘明|1991|p=243}}{{Sfnp|田籠博|2016|p=51}}。


[[本居宣長]]は、仮名遣いの研究および文法の研究で非常な功績があった。仮名遣いの分野では『字音仮字用格』(1776年)を著し、漢字音を仮名で書き表すときにどのような仮名遣いを用いればよいかを論じて、鎌倉時代以来、五十音図で「あいうえ'''を'''」「わゐうゑ'''お'''」と記されているという事実を指摘し、今日の「あいうえ'''お'''」「わゐうゑ'''を'''」の形にした{{Sfn|矢田勉|2016|p=53}}。また、文法の分野では、とりわけ係り結びの研究で成果を上げた。係り結びの一覧表である『てにをは紐鏡』(1771年)をまとめ、これを『詞の玉緒』(1779年)で和歌を用例に詳説した{{Sfn|田中康二|2015|pp=366-372|ps=(初出は「係り結びの法則成立史」『神戸大学文学部紀要』第42号、2015年)}}。文中に「ぞ・の・や・何」が来た場合には文末が[[連体形]]、「こそ」が来た場合は[[已然形]]で結ばれることを示したのみならず、「は・も」および「徒(ただ=主格などに助詞がつかない場合)」の場合は文末が[[終止形 (文法)|終止形]]になることを示した。主格などに「は・も」などが付いた場合に文末が終止形になるのは当然のようであるが、主格を示す「が・の」が来た場合は、「君が思ほせりける<ref>『万葉集』巻2・206番歌</ref>」「にほひの袖にとまれる<ref>『[[古今和歌集|古今集]]』巻第1・春歌上・47番歌</ref>」のように文末が連体形で結ばれるのであるから、あえて「は・も・徒」の下が終止形で結ばれることを示したことは重要である{{Sfn|田中康二|2015|pp=366-372|ps=(初出は「係り結びの法則成立史」『神戸大学文学部紀要』第42号、2015年)}}。この他にも宣長は、門弟の歌文指南のための参考書として、古代語を対象とした『玉あられ』を著した{{Sfn|田中康二|2015|pp=193-197|ps=(初出は「[http://id.nii.ac.jp/1391/00010814/ 『玉あられ』受容史]」『渾沌〈近畿大学大学院文芸学研究科紀要〉』第11号、2014)}}。
[[本居宣長]]は、仮名遣いの研究および文法の研究で非常な功績があった。仮名遣いの分野では『字音仮字用格』(1776年)を著し、漢字音を仮名で書き表すときにどのような仮名遣いを用いればよいかを論じて、鎌倉時代以来、五十音図で「あいうえ'''を'''」「わゐうゑ'''お'''」と記されているという事実を指摘し、今日の「あいうえ'''お'''」「わゐうゑ'''を'''」の形にした{{Sfnp|矢田勉|2016|p=53}}。また、文法の分野では、とりわけ係り結びの研究で成果を上げた。係り結びの一覧表である『てにをは紐鏡』(1771年)をまとめ、これを『詞の玉緒』(1779年)で和歌を用例に詳説した{{Sfnp|田中康二|2015b|pp=366-372|ps=(初出:{{Harvnb|田中康二|2015a}})}}。文中に「ぞ・の・や・何」が来た場合には文末が[[連体形]]、「こそ」が来た場合は[[已然形]]で結ばれることを示したのみならず、「は・も」および「徒(ただ=主格などに助詞がつかない場合)」の場合は文末が[[終止形 (文法)|終止形]]になることを示した。主格などに「は・も」などが付いた場合に文末が終止形になるのは当然のようであるが、主格を示す「が・の」が来た場合は、「君が思ほせりける<ref>『万葉集』巻2・206番歌</ref>」「にほひの袖にとまれる<ref>『[[古今和歌集|古今集]]』巻第1・春歌上・47番歌</ref>」のように文末が連体形で結ばれるのであるから、あえて「は・も・徒」の下が終止形で結ばれることを示したことは重要である{{Sfnp|田中康二|2015b|pp=366-372|ps=(初出:{{Harvnb|田中康二|2015a}})}}。この他にも宣長は、門弟の歌文指南のための参考書として、古代語を対象とした『玉あられ』を著した{{Sfnp|田中康二|2015b|pp=193-197|ps=(初出:{{Harvnb|田中康二|2014}})}}。


[[品詞]]の研究で成果を上げたのは[[富士谷成章]]であった。成章は品詞を「名」・「装(よそい)」・「挿頭(かざし)」・「脚結(あゆい)」の4類に分類した{{Sfn|遠藤佳那子|2016|p=57}}。ここには[[漢学]]の影響も指摘されるが{{Efn|成章は[[兄]]の[[皆川淇園]]と共に漢学を修め、[[国学]]に転じた後も兄の漢学に対しては深い理解を示したという{{Sfn|遠藤佳那子|2016|p=56}}。}}、成章の独自性によるところが大きい{{Sfn|遠藤佳那子|2016|p=57}}。成章は『挿頭抄』(1767年)で今日で言う副詞の類を中心に論じ、『脚結抄』(1778年)では助詞・助動詞を系統立てて分類して、その[[活用]]の仕方および意味・用法を詳細に論じた。内容は創見に満ち、今日の品詞研究でも盛んに引き合いに出される{{Sfn|遠藤佳那子|2016|p=58}}。とりわけ『脚結抄』の冒頭に記された「装図(よそいず)」は、[[動詞]]・[[形容詞]]の活用を整理した表で、後の研究に資するところが大きい{{Sfn|遠藤佳那子|2016|pp=57-58}}。
[[品詞]]の研究で成果を上げたのは[[富士谷成章]]であった。成章は品詞を「名」・「装(よそい)」・「挿頭(かざし)」・「脚結(あゆい)」の4類に分類した{{Sfnp|遠藤佳那子|2016b|p=57}}。ここには[[漢学]]の影響も指摘されるが{{Efn|成章は[[兄]]の[[皆川淇園]]と共に漢学を修め、[[国学]]に転じた後も兄の漢学に対しては深い理解を示したという{{Sfnp|遠藤佳那子|2016b|p=56}}。}}、成章の独自性によるところが大きい{{Sfnp|遠藤佳那子|2016b|p=57}}。成章は『挿頭抄』(1767年)で今日で言う副詞の類を中心に論じ、『脚結抄』(1778年)では助詞・助動詞を系統立てて分類して、その[[活用]]の仕方および意味・用法を詳細に論じた。内容は創見に満ち、今日の品詞研究でも盛んに引き合いに出される{{Sfnp|遠藤佳那子|2016b|p=58}}。とりわけ『脚結抄』の冒頭に記された「装図(よそいず)」は、[[動詞]]・[[形容詞]]の活用を整理した表で、後の研究に資するところが大きい{{Sfnp|遠藤佳那子|2016b|pp=57-58}}。


このほかに注目すべき研究としては、[[石塚龍麿]]が『万葉集』の仮名に2種の書き分けが存在することを示した『仮字用格奥山路』(1798年)がある{{Sfn|安田尚道|2016|p=66}}。これは宣長が『[[古事記伝]]』第一巻の「仮字の事」で指摘した着想を発展させたもので、長らく正当な扱いを受けなかったが、[[橋本進吉]]が「[[上代特殊仮名遣]]の先駆的研究」として再評価した{{Sfn|肥爪周二|2016|p=120}}。
このほかに注目すべき研究としては、[[石塚龍麿]]が『万葉集』の仮名に2種の書き分けが存在することを示した『仮字用格奥山路』(1798年)がある{{Sfnp|安田尚道|2023|p=277|ps=(初出:{{Harvnb|安田尚道|2016}})}}。これは宣長が『[[古事記伝]]』第一巻の「仮字の事」で指摘した着想を発展させたもので、長らく正当な扱いを受けなかったが、[[橋本進吉]]が「[[上代特殊仮名遣]]の先駆的研究」として再評価した{{Sfnp|肥爪周二|2016|p=120}}。なお、上代特殊仮名遣に関連する資料としては、ほかに奥村栄実『古言衣延弁』(1829年)や草鹿砥宣隆『古言別音鈔』(1849年)などがある{{Sfnp|遠藤嘉基|1976|pp=209-210}}。


==== 後期 ====
==== 後期 ====
国学の隆盛は、雅語そのものへの注目をもたらし、後には俚言も一緒に扱った辞書も出現した。その中でもきわめて大部なものとして、[[谷川士清]]『倭訓栞』(前中後編、[[1777年]]~[[1887年]]){{Efn|前編は1777年、中編は[[1862年]]に刊行されたが、後編は明治になって刊行された{{Sfn|木村義之|2015|p=104}}。}}、[[太田全斎]]『俚言集覧』(1797年~1829年に成立){{Efn|写本で伝えられて版本の形にならなかった上に、容易に目にすることが可能になるのは、明治に『増補俚言集覧』(1899年~1900年)として刊行されてからである{{Sfn|木村義之|2015|p=111}}。}}、[[石川雅望]]『雅言集覧』(1826年~1849年){{Efn|版本の形になったのは「い」~「な」の語彙で、全体像を確認することが可能になるのは、1887年に『増補雅言集覧』(1903年版もある)が刊行されてからである{{Sfn|木村義之|2015|p=108}}。}}が出現した{{Efn|以上が「'''近世期の三大辞書'''」といわれる{{Sfn|湯浅茂雄|2000|p=64}}。これらに『鸚鵡抄』を加えて「四大辞書」といわれることもあるが、『鸚鵡抄』は未刊行であったことを理由に、流布や影響といった側面から除外される{{Sfn|木村義之|2015|p=103}}。}}。これらは様々な人々に受容されたが{{Sfn|木村義之|2015|pp=116-118}}、とりわけ『倭訓栞』は「現代に繋がる国語辞典の祖型を作り上げた」として多大な影響を与えた{{Sfn|平井吾門|2016|pp=46-47}}。
国学の隆盛は、雅語そのものへの注目をもたらし、後には俚言も一緒に扱った辞書も出現した。その中でもきわめて大部なものとして、[[谷川士清]]『倭訓栞』(前中後編、[[1777年]]~[[1887年]]){{Efn|前編は1777年、中編は[[1862年]]に刊行されたが、後編は明治になって刊行された{{Sfnp|木村義之|2015|p=104}}。}}、[[太田全斎]]『俚言集覧』(1797年~1829年に成立){{Efn|写本で伝えられて版本の形にならなかった上に、容易に目にすることが可能になるのは、明治に『増補俚言集覧』(1899年~1900年)として刊行されてからである{{Sfnp|木村義之|2015|p=111}}。}}、[[石川雅望]]『雅言集覧』(1826年~1849年){{Efn|版本の形になったのは「い」~「な」の語彙で、全体像を確認することが可能になるのは、1887年に『増補雅言集覧』(1903年版もある)が刊行されてからである{{Sfnp|木村義之|2015|p=108}}。}}が出現した{{Efn|以上が「'''近世期の三大辞書'''」といわれる{{Sfnp|湯浅茂雄|2000|p=64}}。これらに『鸚鵡抄』を加えて「四大辞書」といわれることもあるが、『鸚鵡抄』は未刊行であったことを理由に、流布や影響といった側面から除外される{{Sfnp|木村義之|2015|p=103}}。}}。これらは様々な人々に受容されたが{{Sfnp|木村義之|2015|pp=116-118}}、とりわけ『倭訓栞』は「現代に繋がる国語辞典の祖型を作り上げた」として多大な影響を与えた{{Sfnp|平井吾門|2016|pp=46-47}}。


活用の研究は、真淵や士清の説を宣長が継承した後{{Sfn|内田宗一|2016|pp=41-43}}{{Sfn|平井吾門|2016|p=46}}、主として宣長の弟子筋によって展開した。[[鈴木朖]]は『活語断続譜』(1803年頃成立)を著し、活用形の役割を記したほか{{Sfn|坪井美樹|2016|pp=69-70}}、『言語四種論』(1824年)を著し、単語を「体の詞」「形状の詞」「作用の詞」「てにをは」の4種に分類して性質を論じた{{Sfn|坪井美樹|2016|p=69}}。[[視覚障害者|盲目]]であった[[本居春庭]]は『詞八衢』(1806年)と『詞通路』(1812年)を著し、「鈴屋派」と「富士谷派」の説を融合させて「末代不動の説」を確立した{{Sfn|中村朱美|2016|pp=62-63}}。この他には義門が『山口栞』(1836年)や『活語指南』(1844年)を著しており、とりわけ『活語指南』において分類した「将然言(未然言とも)」「連用言」「截断言」「連体言」「已然言」「希求言」という6種の活用形は、現在の活用形に継承されている{{Sfn|仁田義雄|2021|p=134}}。また、[[富樫広蔭]]は『詞玉橋』(1816年初稿成立、1846年改稿成立、1891年刊)と『辞玉襷』(1829年)を著し、鈴屋派の品詞分類や活用研究の組織化と体系化をはかった{{Sfn|仁田義雄|2021|p=135}}。
活用の研究は、真淵や士清の説を宣長が継承した後{{Sfnp|内田宗一|2016|pp=41-43}}{{Sfnp|平井吾門|2016|p=46}}、主として宣長の弟子筋によって展開した。[[鈴木朖]]は『活語断続譜』(1803年頃成立)を著し、活用形の役割を記したほか{{Sfnp|坪井美樹|2016|pp=69-70}}、『言語四種論』(1824年)を著し、単語を「体の詞」「形状の詞」「作用の詞」「てにをは」の4種に分類して性質を論じた{{Sfnp|坪井美樹|2016|p=69}}。[[視覚障害者|盲目]]であった[[本居春庭]]は『詞八衢』(1806年)と『詞通路』(1812年)を著し、「鈴屋派」と「富士谷派」の説を融合させて「末代不動の説」を確立した{{Sfnp|中村朱美|2016|pp=62-63}}。この他には義門が『山口栞』(1836年)や『活語指南』(1844年)を著しており、とりわけ『活語指南』において分類した「将然言(未然言とも)」「連用言」「截断言」「連体言」「已然言」「希求言」という6種の活用形は、現在の活用形に継承されている{{Sfnp|仁田義雄|2021|p=134}}。また、[[富樫広蔭]]は『詞玉橋』(1816年初稿成立、1846年改稿成立、1891年刊)と『辞玉襷』(1829年)を著し、鈴屋派の品詞分類や活用研究の組織化と体系化をはかった{{Sfnp|仁田義雄|2021|p=135}}。


語源研究では、朖が『雅語音声考』(1816年)を著し、[[擬声語|オノマトペ]]や[[音象徴]]による語構成を持つ言葉を「鳥獣虫ノ声」「人ノ声」「万物ノ声」「万ノ形・有様・意・シワザ」の4種に分類した上で、具体例として「[[ホトトギス|ほととぎす]]」「[[ウグイス|うぐいす]]」「[[カラス|からす]]」などの「ほととぎ」「うぐい」「から」の部分は鳴き声であることを示している{{Sfn|坪井美樹|2016|p=70}}。一見すると[[平田篤胤]]らの[[音義説]]を彷彿とさせるが、朖は一音一音に意味があるとしているわけではない{{Sfn|坪井美樹|2016|p=70}}。
語源研究では、朖が『雅語音声考』(1816年)を著し、[[擬声語|オノマトペ]]や[[音象徴]]による語構成を持つ言葉を「鳥獣虫ノ声」「人ノ声」「万物ノ声」「万ノ形・有様・意・シワザ」の4種に分類した上で、具体例として「[[ホトトギス|ほととぎす]]」「[[ウグイス|うぐいす]]」「[[カラス|からす]]」などの「ほととぎ」「うぐい」「から」の部分は鳴き声であることを示している{{Sfnp|坪井美樹|2016|p=70}}。一見すると[[平田篤胤]]らの[[音義説]]を彷彿とさせるが、朖は一音一音に意味があるとしているわけではない{{Sfnp|坪井美樹|2016|p=70}}。


この時期においても、外国人による日本語研究が多く行われた。例えば[[ヨハン・ヨーゼフ・ホフマン|ホフマン]]が著した『日本語文典例証』と『日本語文典』は、古典文献に含まれる日本語がほとんどで{{Efn|『古事記』や『日本書紀』などのほか、『和名類聚抄』や『倭訓栞』などの辞書類、さらには『[[先代旧事本紀]]』が利用されている{{Sfn|山東功|2013|pp=97-98}}。}}、少しばかり旧式に映るところはあるが、要所要所において鋭い分析がなされており{{Sfn|山東功|2013|p=98}}、その後に与えた影響の大きさから「近代的な日本語文法研究書」とされる{{Sfn|金子弘|2016|p=74}}。また、[[ジェームス・カーティス・ヘボン|ヘボン]]による[[和英辞典]]『[[和英語林集成]]』(1867年)は、後続の宣教師などの日本語習得の負担軽減を目的に編纂されたもので、当時の社会の進展を反映する語彙を採集するなど実用性が大きく{{Sfn|大野晋|1976|p=245}}、1910年の9版まで版を重ねたほか、いわゆる[[ヘボン式ローマ字]]の基盤を築くなど{{Efn|今日におけるヘボン式は、羅馬字会が提案した綴りを下敷きに修正を施したもので{{Sfn|木村一|2016|p=79}}、『和英語林集成』第3版(1886年)において確定させた{{Sfn|山東功|2013|p=175}}。}}、幅広い分野に多大な影響を与えた{{Sfn|木村一|2016|p=78}}。
この時期においても、外国人による日本語研究が多く行われた。例えば[[ヨハン・ヨーゼフ・ホフマン|ホフマン]]が著した『日本語文典例証』と『日本語文典』は、古典文献に含まれる日本語がほとんどで{{Efn|『古事記』や『日本書紀』などのほか、『和名類聚抄』や『倭訓栞』などの辞書類、さらには『[[先代旧事本紀]]』が利用されている{{Sfnp|山東功|2013|pp=97-98}}。}}、少しばかり旧式に映るところはあるが、要所要所において鋭い分析がなされており{{Sfnp|山東功|2013|p=98}}、その後に与えた影響の大きさから「近代的な日本語文法研究書」とされる{{Sfnp|金子弘|2016|p=74}}。また、[[ジェームス・カーティス・ヘボン|ヘボン]]による[[和英辞典]]『[[和英語林集成]]』(1867年)は、後続の宣教師などの日本語習得の負担軽減を目的に編纂されたもので、当時の社会の進展を反映する語彙を採集するなど実用性が大きく{{Sfnp|大野晋|1976|p=245}}、1910年の9版まで版を重ねたほか、いわゆる[[ヘボン式ローマ字]]の基盤を築くなど{{Efn|今日におけるヘボン式は、羅馬字会が提案した綴りを下敷きに修正を施したもので{{Sfnp|木村一|2016|p=79}}、『和英語林集成』第3版(1886年)において確定させた{{Sfnp|山東功|2013|p=175}}。}}、幅広い分野に多大な影響を与えた{{Sfnp|木村一|2016|p=78}}。


=== 近代以降 ===
=== 近代以降 ===
{{See also|[[近代語|近代日本語]]}}
{{See also|[[近代語|近代日本語]]}}
[[幕末]]から明治にかけて[[西洋]]の[[言語学]]が紹介されたことで、日本語学は新たな段階を迎えた。言語研究の在り方が大きく変化したことは、[[研究史]]に関する著作が数多く出現したことからも窺い知れる{{Sfn|猿田知之|1993|pp=9-13}}{{Sfn|山東功|2002|pp=4-10}}。
[[幕末]]から明治にかけて[[西洋]]の[[言語学]]が紹介されたことで、日本語学は新たな段階を迎えた。言語研究の在り方が大きく変化したことは、[[研究史]]に関する著作が数多く出現したことからも窺い知れる{{Sfnp|猿田知之|1993|pp=9-13}}{{Sfnp|山東功|2002|pp=4-10}}。


==== 明治・大正 ====
==== 明治・大正 ====
===== 文法論の発展 =====
===== 文法論の発展 =====
欧米の言語学も取り入れつつ、文学研究と関係し合いながら発展した日本語学であったが、無批判に理論を応用したことで、却ってこれまでの蓄積を損なうような日本語研究も少なくなく、あまつさえ過去の日本語研究を容赦なく否定する考え方も出現した{{Efn|例えば「国語学史の最初の刊行書」として注目される『國語學小史』([[保科孝一]]、大日本図書、1899年8月)は、「科学的研究が微々として振るわなかったこと」「研究材料の範囲が極端に狭かったこと」「学者の自尊心が強いゆえに比較研究をしなかったこと」を理由にしている{{Sfn|猿田知之|1993|pp=14-32}}。こうした考え方に対しては、時枝誠記のほかに{{Sfn|猿田知之|1993|pp=58-59}}、山田孝雄などが批判している{{Sfn|猿田知之|1993|pp=83-84}}。}}。こうした中で、古来の日本語研究と西洋言語学とを吟味して文法理論を整理したのが[[大槻文彦]]であった。大槻は『[[言海]]』の中で文法論「語法指南」([[1889年]])を記し{{Efn|大槻は[[黒川真頼]]の『詞の栞』の講義にたびたび列席していた{{Sfn|遠藤佳那子|2019|p=163|ps=(初出は「[https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongonokenkyu/12/2/12_67/_article/-char/ja/ 黒川真頼の活用研究と草稿「語学雑図」]」『日本語の研究』第12巻2号、2016年)}}。真頼の文法学説には、義門が春庭の説を展開して著した『詞の道しるべ』(1810年)の受容が指摘されている{{Sfn|遠藤佳那子|2019|p=189|ps=(初出は「黒川真頼における『詞八衢』の受容と展開」『[[國語と國文學|国語と国文学]]』第94巻7号、2017)}}。}}、後にこれを増補して『広日本文典』([[1897年]])として、体系的な近代的文法学説を作り上げた{{Sfn|湯浅茂雄|2016|p=91}}。[[山田孝雄]]は大槻の学説に不徹底な面が残っていることを『日本文法論』([[1908年]])で指摘し、西洋の文典のみならず[[心理学]]や[[哲学]]をも援用して、体系的かつ組織的な近代的文法論「[[山田文法]]」を構築した{{Sfn|斎藤倫明|2016|p=114}}。
欧米の言語学も取り入れつつ、文学研究と関係し合いながら発展した日本語学であったが、無批判に理論を応用したことで、却ってこれまでの蓄積を損なうような日本語研究も少なくなく、あまつさえ過去の日本語研究を容赦なく否定する考え方も出現した{{Efn|例えば「国語学史の最初の刊行書」として注目される{{Harvp|保科孝一|1899}}は、「科学的研究が微々として振るわなかったこと」「研究材料の範囲が極端に狭かったこと」「学者の自尊心が強いゆえに比較研究をしなかったこと」を理由にしている{{Sfnp|猿田知之|1993|pp=14-32}}。こうした考え方に対しては、時枝誠記のほかに{{Sfnp|猿田知之|1993|pp=58-59}}、山田孝雄などが批判している{{Sfnp|猿田知之|1993|pp=83-84}}。}}。こうした中で、古来の日本語研究と西洋言語学とを吟味して文法理論を整理したのが[[大槻文彦]]であった。大槻は『[[言海]]』の中で文法論「語法指南」([[1889年]])を記し{{Efn|大槻は[[黒川真頼]]の『詞の栞』の講義にたびたび列席していた{{Sfnp|遠藤佳那子|2019|p=163|ps=(初出:{{Harvnb|遠藤佳那子|2016a}})}}。真頼の文法学説には、義門が春庭の説を展開して著した『詞の道しるべ』(1810年)の受容が指摘されている{{Sfnp|遠藤佳那子|2019|p=189|ps=(初出:{{Harvnb|遠藤佳那子|2017}})}}。}}、後にこれを増補して『広日本文典』([[1897年]])として、体系的な近代的文法学説を作り上げた{{Sfnp|湯浅茂雄|2016|p=91}}。[[山田孝雄]]は大槻の学説に不徹底な面が残っていることを『日本文法論』([[1908年]])で指摘し、西洋の文典のみならず[[心理学]]や[[哲学]]をも援用して、体系的かつ組織的な近代的文法論「[[山田文法]]」を構築した{{Sfnp|斎藤倫明|2016|p=114}}。


===== 辞書編纂法の具現化 =====
===== 辞書編纂法の具現化 =====
大槻が編纂した『言海』([[1889年]]~[[1891年]])は、「日本初の近代的国語辞典」とされる{{Sfn|湯浅茂雄|2016|pp=90-91}}。これは「日本普通語ノ辞書」編纂のために必要な事項を挙げて、近代的辞書編纂法を確立したことにある{{Sfn|犬飼守薫|2000|p=75}}。元々は[[文部省]]で『語彙』という辞書の編纂事業が進められていたが、「あ」「い」「う」「え」の部まで成立したところで頓挫するという結果に終わり{{Efn|中途で打ち切られたのは、編集母胎である大学が廃止されたことに加え、文部省内で「見出し語の配列が徹底していない上に品詞表示がない」「[[位相 (言語学)|位相]]の指示や[[語種]]の区別が不十分」「漢語が偏っている上に洋語が少なすぎる」「語源記述がほとんどない」「[[俗語]]に対する意識が低い」「使用の手引きが見られない」といった体裁が問題視されたことが、原因として挙げられる{{Sfn|犬飼守薫|2000|p=74}}。}}、これに鑑みた[[西村茂樹]]の命により大槻のほぼ独力による編纂が進められたのである。網羅した古典語・日常語を五十音順に見出しを並べて、全ての項目に品詞・漢字表記・語釈を付す徹底した体裁は、後世における辞書の模範的存在となった{{Efn|『言海』が刊行されるまでには、[[近藤真琴]]の『ことばのその』(1885年)、[[物集高見]]の『ことばのはやし』(1888年)、[[高橋五郎 (翻訳家)|高橋五郎]]の『漢英対照いろは辞典』(1888年)と『和漢雅俗いろは辞典』(1888年〜1889年)が刊行されているが、いずれも雅語に徹している{{Sfn|山田忠雄|1981|pp=517-525}}{{Sfn|山田忠雄|1981|pp=532-543}}。また、『言海』刊行後、[[山田美妙]]が『日本大辞書』(1892年〜1893年)を著したが、アクセントを付した口語体の辞書として歴史的意義がある一方で、全体的に尻窄まりとなってしまっている{{Sfn|山田忠雄|1981|pp=622-624}}。こうした点からも『言海』は評価されている。}}。また、『言海』に採用された歴史的仮名遣いは、一般への普及に繋がった{{Sfn|築島裕|1986|pp=140-141}}。
大槻が編纂した『言海』([[1889年]]~[[1891年]])は、「日本初の近代的国語辞典」とされる{{Sfnp|湯浅茂雄|2016|pp=90-91}}。これは「日本普通語ノ辞書」編纂のために必要な事項を挙げて、近代的辞書編纂法を確立したことにある{{Sfnp|犬飼守薫|2000|p=75}}。元々は[[文部省]]で『語彙』という辞書の編纂事業が進められていたが、「あ」「い」「う」「え」の部まで成立したところで頓挫するという結果に終わり{{Efn|中途で打ち切られたのは、編集母胎である大学が廃止されたことに加え、文部省内で「見出し語の配列が徹底していない上に品詞表示がない」「[[位相 (言語学)|位相]]の指示や[[語種]]の区別が不十分」「漢語が偏っている上に洋語が少なすぎる」「語源記述がほとんどない」「[[俗語]]に対する意識が低い」「使用の手引きが見られない」といった体裁が問題視されたことが、原因として挙げられる{{Sfnp|犬飼守薫|2000|p=74}}。}}、これに鑑みた[[西村茂樹]]の命により大槻のほぼ独力による編纂が進められたのである。網羅した古典語・日常語を五十音順に見出しを並べて、全ての項目に品詞・漢字表記・語釈を付す徹底した体裁は、後世における辞書の模範的存在となった{{Efn|『言海』が刊行されるまでには、[[近藤真琴]]の『ことばのその』(1885年)、[[物集高見]]の『ことばのはやし』(1888年)、[[高橋五郎 (翻訳家)|高橋五郎]]の『漢英対照いろは辞典』(1888年)と『和漢雅俗いろは辞典』(1888年〜1889年)が刊行されているが、いずれも雅語に徹している{{Sfnp|山田忠雄|1981|pp=517-525}}{{Sfnp|山田忠雄|1981|pp=532-543}}。また、『言海』刊行後、[[山田美妙]]が『日本大辞書』(1892年〜1893年)を著したが、アクセントを付した口語体の辞書として歴史的意義がある一方で、全体的に尻窄まりとなってしまっている{{Sfnp|山田忠雄|1981|pp=622-624}}。こうした点からも『言海』は評価されている。}}。また、『言海』に採用された歴史的仮名遣いは、一般への普及に繋がった{{Sfnp|築島裕|1986|pp=140-141}}。

また、[[漢和辞典]]においても発展があった。いわゆる[[文明開化]]の波に乗って欧米の[[知識]]が大量に移入されるようになったのに伴い、漢語が急激に増加したことで、積極的に[[熟語 (漢字)|熟語]]を収録し始めたのである{{Sfnp|沖森卓也|2023|p=180|ps=(原著:{{Harvnb|沖森卓也|2017}})}}。そうした中で「初の近代的漢和辞典」とされるのが『漢和大字典』([[三省堂]]、[[1903年]])である{{Efn|監修者として[[重野安繹]]、[[三島中洲|三島毅]]、[[服部宇之吉]]の名前があるが、実質的な編集は[[三省堂編修所]]の[[齋藤精輔]]が中心となり、[[読売新聞社]]にいた同郷の足助直次郎を招き入れ、深井鑑一郎や福田重政と一緒にあたらせたという{{Sfnp|齋藤精輔|1991|pp=93-94}}。}}。これは熟語を改行して排列した上で語釈を施したほか、総画索引を添えるなどの工夫を凝らしており、以降の漢和辞典の模範となった{{Sfnp|沖森卓也|2023|pp=196-197|ps=(原著:{{Harvnb|沖森卓也|2017}})}}。


===== 教育との関係 =====
===== 教育との関係 =====
日本語研究者の数は高等教育の普及とともに増大した。1897年に[[東京大学|東京帝国大学]]で国語研究室が置かれ、ドイツ帰りの[[上田萬年|上田万年]]が初代主任教授として指導的役割を果たした{{Sfn|清水康行|2016|p=109}}。なお、上田に学んだ弟子には、[[亀田次郎]]、[[金田一京助]]、[[新村出]]、[[橋本進吉]]、[[保科孝一]]がいる{{Sfn|清水康行|2016|p=109}}。
日本語研究者の数は高等教育の普及とともに増大した。1897年に[[東京大学|東京帝国大学]]で国語研究室が置かれ、ドイツ帰りの[[上田萬年|上田万年]]が初代主任教授として指導的役割を果たした{{Sfnp|清水康行|2016|p=109}}。なお、上田に学んだ弟子には、[[亀田次郎]]、[[金田一京助]]、[[新村出]]、[[橋本進吉]]、[[保科孝一]]などがいる{{Sfnp|清水康行|2016|p=109}}。

[[1900年]]、小学校令施行規則において、教科書で感動詞や字音語の長音を[[長音符]]「ー」で書き表すことが定められた{{Sfnp|加藤彰彦|1961|p=569}}。ところが、あまり世評がよくなかったので、文部省は[[1908年]]に臨時仮名遣調査委員会を設置し、新たな改定案として「字音仮名遣は全て表音式にする」「国語仮名遣は活用語尾と助詞だけそのままで、その他は表音式にする」というものを出したが、結論らしい結論を得ないまま廃止された{{Sfnp|加藤彰彦|1961|p=569}}。


===== 政策との連なり =====
===== 政策との連なり =====
明治以降の日本語学は、日本における[[国語国字問題]]にも影響を与えてきた。例えば[[前島密]]は「[[漢字御廃止之議]]」の中で、「国字改良論」のほかに「[[言文一致|言文一致論]]」を提唱した{{Sfn|茅島篤|2016|pp=86-87}}。「国字改良」は[[森鷗外]]の反論によって実現しなかったが{{Sfn|藤田保幸|2016|p=99}}、「言文一致」は[[二葉亭四迷]]や[[夏目漱石]]によって進んだほか{{Sfn|野村剛史|2016|pp=102-103}}{{Sfn|田島優|2016|pp=105-106}}、物集高見が具体的な[[方法論]]を示した{{Sfn|山東功|2016|pp=93-94}}。
明治以降の日本語学は、日本における[[国語国字問題]]にも影響を与えてきた。例えば[[前島密]]は「[[漢字御廃止之議]]」の中で、「国字改良論」のほかに「[[言文一致|言文一致論]]」を提唱した{{Sfnp|茅島篤|2016|pp=86-87}}。「国字改良」は[[森鷗外]]などの反論によって実現しなかったが{{Sfnp|藤田保幸|2016|p=99}}、「言文一致」は[[二葉亭四迷]]や[[夏目漱石]]などによって進んだほか{{Sfnp|野村剛史|2016|pp=102-103}}{{Sfnp|田島優|2016|pp=105-106}}、物集高見などが具体的な[[方法論]]を示した{{Sfnp|山東功|2016|pp=93-94}}。


このほか、日本における標準語の形成にも影響を与えてきた。その中心的役割を果たしたのは、文部省内に設置された国語調査委員会([[1902年]]~[[1913年]])で、上田万年が主導した{{Sfn|清水康行|2016|p=111}}。行われた学術的な研究調査の成果である『音韻調査報告書』([[1905年]])、『口語法調査報告書』([[1906年]])、『仮名遣及仮名字体沿革史料』([[1909年]])、『平家物語の語法』([[1914年]])、『疑問仮名遣』(前編・[[1912年]]、後編・[[1915年]])、『口語法』([[1916年]])、『口語法別記』([[1917年]])などは、結果的に日本語研究の近代的方法の基礎を確立することに繋がった{{Efn|例えば『口語法調査報告書』は、[[東条操]]が「[[方言区画論]]」を提唱する契機となった{{Sfn|宮治弘明|1991|p=244}}。また『口語法別記』は、口語に関する歴史的変遷を記述した成果として、後の口語研究の可能性を開拓した{{Sfn|湯浅茂雄|2016|pp=89-90}}。}}。
このほか、日本における標準語の形成にも影響を与えてきた。その中心的役割を果たしたのは、文部省内に設置された国語調査委員会([[1902年]]~[[1913年]])で、上田万年が主導した{{Sfnp|清水康行|2016|p=111}}。行われた学術的な研究調査の成果である『音韻調査報告書』([[1905年]])、『口語法調査報告書』([[1906年]])、『仮名遣及仮名字体沿革史料』([[1909年]])、『平家物語の語法』([[1914年]])、『疑問仮名遣』(前編・[[1912年]]、後編・[[1915年]])、『口語法』([[1916年]])、『口語法別記』([[1917年]])などは、結果的に日本語研究の近代的方法の基礎を確立することに繋がった{{Efn|例えば『口語法調査報告書』は、[[東条操]]が「[[方言区画論]]」を提唱する契機となった{{Sfnp|宮治弘明|1991|p=244}}。また『口語法別記』は、口語に関する歴史的変遷を記述した成果として、後の口語研究の可能性を開拓した{{Sfnp|湯浅茂雄|2016|pp=89-90}}。}}。国語調査委員会は1913年に廃止されたが、再び国語国字に関する国家的調査機関の設置が強く要望されたので、臨時国語調査会([[1921年]]~[[1934年]])が設置され、いわゆる[[現代仮名遣い]]の原型となる仮名遣改定案を可決するなどした{{Sfnp|加藤彰彦|1961|p=570}}。


==== 昭和・平成 ====
==== 昭和・平成 ====
===== 言語過程説の出現 =====
===== 言語過程説の出現 =====
西欧の言語学が伝来してからも日本語学は、相も変わらず歴史的かつ文献学的な研究が主流であった。こうした風潮の中において、言語理論の研究に真正面から取り組んだのが[[時枝誠記]]である。時枝は[[卒業論文]]「日本ニ於ル言語観念ノ発達及言語研究ノ目的ト其ノ方法(明治以前){{Efn|当初は「歐米ニ於ル言語研究者ノ言語觀念ノ發達ニ就テ、言語研究ノ方法及其目的、歐米言語学ノ國語學ニ及ボシタル影響」など、幾つか構想を練っていたが、[[橋本進吉]]から「到底この1年間にできるようなものではない」という指摘を受けて決定したという{{Sfn|時枝誠記|1957|pp=28-31}}。なお、この卒論は後に[[時枝誠記#作品集|原本が写真版で複製]]されている。}}」([[1924年]])以来、日本における言語意識を記述するという意図を研究の出発点として、日本語研究における態度や方法について探究していった{{Sfn|山東功|2020|p=35}}。やがて時枝は「言語とは何ぞや」の解答として、『国語学原論』([[岩波書店]]、[[1941年]])や『国語学原論・続編』(岩波書店、[[1955年]])などの中で、成立させる人間に還元して事実を説明することを主張した{{Sfn|坪井美樹|2016|pp=70-71}}{{Sfn|山東功|2020|pp=35-36}}。これが後に「[[言語過程説]]」と呼ばれるものである。時枝は[[フェルディナン・ド・ソシュール|ソシュール]]の言語観を「言語構成観」と呼んで批判し{{Sfn|坪井美樹|2016|pp=70-71}}{{Sfn|山東功|2020|p=36}}、表現者と受容者の存在を常に意識する「言語過程説」を日本の伝統的な言語観として位置づけるために、基本的理論の樹立を試みた{{Efn|ただし、時枝が指摘するソシュールの言語観に対する理解の在り方については、時枝が『[[一般言語学講義]]』を文献学的検証もなしに批判していることもあって、数多くの議論を呼んでいる{{Sfn|山東功|2020|p=36}}。}}。時枝の研究分野は、「[[時枝文法]]」と称される文法論が顕著であるが、文章論のほかに国語教育や国語施策への応用研究など、きわめて幅広い範囲にわたっており、いずれも「言語は人間の表現行為、理解行為そのものである」という言語観が通底している{{Sfn|山東功|2020|p=35}}。後に時枝は「言語生活史」の体系的記述を企図していたが、これは本人の死去に伴って未完のままに終わった{{Sfn|山東功|2020|p=35}}。
西欧の言語学が伝来してからも日本語学は、相も変わらず歴史的かつ文献学的な研究が主流であった。こうした風潮の中において、言語理論の研究に真正面から取り組んだのが[[時枝誠記]]である。時枝は[[卒業論文]]「日本ニ於ル言語観念ノ発達及言語研究ノ目的ト其ノ方法(明治以前){{Efn|当初は「歐米ニ於ル言語研究者ノ言語觀念ノ發達ニ就テ、言語研究ノ方法及其目的、歐米言語学ノ國語學ニ及ボシタル影響」など、幾つか構想を練っていたが、[[橋本進吉]]から「到底この1年間にできるようなものではない」という指摘を受けて決定したという{{Sfnp|時枝誠記|1957|pp=28-31}}。なお、この卒論は後に{{Harvp|時枝誠記|1976}}として原本が写真版で複製されている。}}」([[1924年]])以来、日本における言語意識を記述するという意図を研究の出発点として、日本語研究における態度や方法について探究していった{{Sfnp|山東功|2001|pp=9-11}}{{Sfnp|山東功|2002|pp=27-34}}{{Sfnp|山東功|2007|pp=84-85}}{{Sfnp|山東功|2011|pp=76-77}}{{Sfnp|山東功|2020|p=35}}。やがて時枝は「言語とは何ぞや」の解答として、『国語学原論』([[岩波書店]]、[[1941年]])や『国語学原論・続編』(岩波書店、[[1955年]])などの中で、成立させる人間に還元して事実を説明することを主張した{{Sfnp|坪井美樹|2016|pp=70-71}}{{Sfnp|山東功|2020|pp=35-36}}。これが後に「[[言語過程説]]」と呼ばれるものである。時枝は[[フェルディナン・ド・ソシュール|ソシュール]]の言語観を「言語構成観」と呼んで批判し{{Sfnp|坪井美樹|2016|pp=70-71}}{{Sfnp|山東功|2020|p=36}}、表現者と受容者の存在を常に意識する「言語過程説」を日本の伝統的な言語観として位置づけるために、基本的理論の樹立を試みた{{Efn|ただし、時枝が指摘するソシュールの言語観に対する理解の在り方については、時枝が『[[一般言語学講義]]』を文献学的検証もなしに批判していることもあって、数多くの[[議論]]を呼んでいる{{Sfnp|山東功|2020|p=36}}。}}。時枝の研究分野は、「[[時枝文法]]」と称される文法論が顕著であるが、文章論のほかに国語教育や国語施策への応用研究など、きわめて幅広い範囲にわたっており、いずれも「言語は人間の表現行為、理解行為そのものである」という言語観が通底している{{Sfnp|山東功|2020|p=35}}。例えば国語国字問題における種々の論議は、それまで日本語学の領域から除外されることもあれば、延長線として「知識の応用部面」ばかりが取り扱われるなど、利用の仕方は様々であったが{{Sfnp|加藤彰彦|1961|p=561}}、そのような中で「日本語研究の対象とすべき」と明確に位置づけたのも時枝誠記である{{Efn|例えば{{Harvp|時枝誠記|1949}}などにおいて、「言語の実践に関する議論であるならば、それは他の言語現象と共に、それ自体が国語学の対象とならなければならない」「国語における音声や文字や文法が国語学の対象となるのと同じように、国語の主体的意識の問題として考察の対象となる」と述べている{{Sfnp|加藤彰彦|1961|p=562}}。}}。時枝の立論は従来の国語学における研究方法に対して反省を促しているともいえる{{Sfnp|加藤彰彦|1961|p=585}}。後に時枝は「言語生活史」の体系的記述を企図していたが、これは本人の死去に伴って未完のままに終わった{{Sfnp|山東功|2020|p=35}}。

===== 方言学の進展=====
方言の研究は大正期に一旦衰退したが{{Efn|原因としては、標準語の普及に伴って「方言を顧みる必要はなくなった」と考える識者が出現したとされる{{Sfnp|徳川宗賢|1977|p=333}}。}}、昭和初期に至って再び活況を呈するようになった。中でも特筆に値するのが、[[東条操]]の「[[方言区画論]]」と、[[柳田國男]]の「[[方言周圏論]]」である。この2つは対立する学説として受け取られることが多いが、方言語彙の中に「周圏論」で説明できるものがあることは確かであるし、東西方言の対立に対応する事実によって全国の方言が幾つかの区画に分類されることも確かであるから、決して相容れない学説とは言い難い{{Sfnp|日野資純|1961|p=444}}。

[[1927年]]3月に東条は『大日本方言地図』と『国語の方言区画』を出版し、全国を「内地」と「琉球」に二分し、次いで「内地」を「本州」と「九州」に分け、さらに「本州」を「東部」「中部」「西部」に三分した{{Sfnp|宮治弘明|1991|p=245}}。その後、幾度の修正を加えていき、最終的には[[1953年]]に発表した『日本方言学』において、「[[東日本方言|東部方言]]」「[[西日本方言|西部方言]]」「[[九州方言]]」の3つに落着した{{Sfnp|徳川宗賢|1977|p=343}}。

一方で柳田は、同年4月に[[論文]]「[[蝸牛考]]」を『人類学雑誌』に連載した{{Sfnp|宮治弘明|1991|p=245}}。これは「日本の各地では[[カタツムリ|蝸牛]]をどのように呼ぶのか」という調査結果を発表したもので、[[ヨーロッパ]]で発達した[[言語地理学]]の方法論を[[日本語の方言]]に適用したのである{{Sfnp|宮治弘明|1991|p=246}}。その過程において柳田は「京都を中心として同心円状に分布している」という事実を発見し、「方言は文化の中心地で生まれた言葉が順次周囲に拡散して成立したもの」とした{{Sfnp|小林隆|2016|p=117}}。こうした考えは、近世以前から認められる「古語は方言に残る」という考え{{Efn|藤原定家の作と伝えられている歌学書『愚秘抄』(平安末期頃に成立か)が最初とされる{{Sfnp|日野資純|1961|pp=440-441}}。}}とも合致することから{{Efn|柳田自身も[[1905年]]頃から関心を持っていた[[地名]]の研究を通じて体験していた{{Sfnp|徳川宗賢|1977|p=363}}。}}、方言形成の過程を解釈する際の説明原理として広く受容されるに至った{{Sfnp|宮治弘明|1991|p=246}}{{Sfnp|小林隆|2016|p=117}}。なお、柳田は「蝸牛考」以外にも方言に関係する文章を多く執筆している{{Sfnp|徳川宗賢|1977|p=364}}。

この他に注目すべき研究としては、[[服部四郎]]による比較方言学がある{{Sfnp|宮治弘明|1991|p=246}}。服部は諸方言のアクセントに整然とした型の対応が見られることを指摘し、[[比較言語学]]の手法によって系統について論じた{{Sfnp|徳川宗賢|1977|pp=351-353}}。こうした服部の研究は、とりわけアクセント方面において、[[金田一春彦]]や[[平山輝男]]などを中心に発展した{{Sfnp|徳川宗賢|1977|pp=354-356}}。金田一はアクセント変化の傾向を探り、その知見をもって諸方言におけるアクセントの系譜を論じた{{Sfnp|上野和昭|2020|p=81}}。平山は後に「方言基礎語彙」という考えに至り、その全国規模の研究が必要であることを説いている{{Sfnp|久野眞|2020|p=57}}。


===== 現代語辞典の登場 =====
===== 現代語辞典の登場 =====
日本で最初に現代語を中心とした国語辞典は『[[明解国語辞典]]』([[三省堂]]、[[1943年]]初版)であった{{Efn|表紙には「金田一京助」とあるが、事実上の編纂者は金田一の教え子である[[見坊豪紀]]であり、金田一は名義貸しに過ぎない{{Sfn|飯間浩明|2020|p=83}}。}}。それまでにも『大言海』(全4巻、[[冨山房]]、[[1932年]]~[[1937年]]){{Efn|『言海』の増補改訂版。当初は大槻自身が改訂作業を進めていたが、事半ばにして[[1928年]]に没した後に実兄の[[大槻如電]]らが引き継ぎ、[[関根正直]]や新村出らの指導を得て完成させた{{Sfn|湯浅茂雄|2016|p=89}}。}}などが出版されているが、それらは現代語以外の古語を多く含んでいた{{Sfn|飯間浩明|2020|p=83}}。また、広く使われた小型辞書には、[[金沢庄三郎]]編『小辞林』(三省堂、1928年)などがあるが、文語調による[[百科事典]]のような語釈であった。こうした殻を破るために『明解国語辞典』は、主として当時の[[新聞]]から多数の用例を拾い続けながら、見出し語に表音式を採用したり、仮名表記を多用した口語体の語釈にしたりなど、工夫を凝らして編纂された{{Sfn|飯間浩明|2020|p=84}}。
日本で最初に現代語を中心とした国語辞典は『[[明解国語辞典]]』(三省堂、[[1943年]]初版)であった{{Efn|表紙には「金田一京助」とあるが、事実上の編纂者は金田一の教え子である[[見坊豪紀]]であり、金田一は名義貸しに過ぎない{{Sfnp|飯間浩明|2020|p=83}}。}}。それまでにも『大言海』(全4巻、[[冨山房]]、[[1932年]]~[[1937年]]){{Efn|『言海』の増補改訂版。当初は大槻自身が改訂作業を進めていたが、事半ばにして[[1928年]]に没した後に実兄の[[大槻如電]]らが引き継ぎ、[[関根正直]]や新村出らの指導を得て完成させた{{Sfnp|湯浅茂雄|2016|p=89}}。}}などが出版されているが、それらは現代語以外の古語を多く含んでいた{{Sfnp|飯間浩明|2020|p=83}}。また、広く使われた小型辞書には、[[金沢庄三郎]]編『小辞林』(三省堂、1928年)などがあるが、文語調による[[百科事典]]のような語釈であった。こうした殻を破るために『明解国語辞典』は、主として当時の[[新聞]]から多数の用例を拾い続けながら、見出し語に表音式を採用したり、仮名表記を多用した口語体の語釈にしたりなど、工夫を凝らして編纂された{{Sfnp|飯間浩明|2020|p=84}}。


やがて後に『明解国語辞典』を下敷きにした『[[三省堂国語辞典]]』(三省堂、[[1960年]]初版)と『[[新明解国語辞典]]』(三省堂、[[1972年]]初版)が生まれた。いずれも徹底して実例を蒐集して語釈を帰納するが、前者は「ことばの写生{{Efn|説明を読んだ人が、その語を自然に思い浮かべることができるよう、日常語で具体的に記述することを指す{{Sfn|山崎誠|2013|pp=88-89}}{{Sfn|飯間浩明|2020|p=85}}。例えば「[[水]]」について、「[[水素]]と[[酸素]]からなる[[化合物]]」といったような化学的説明ではなく、「生活するのに欠かせない、透き通った冷たい液体」といった一般的認識を説明するようにした{{Sfn|山崎誠|2013|pp=88-89}}{{Sfn|飯間浩明|2020|p=85}}。}}」という語義記述に特色があり{{Sfn|飯間浩明|2020|p=85}}、後者は「単なる類語の換言ではなく、一文で語義を説明する」という態度を貫いている点が優れている{{Sfn|山田潔|2020|p=89}}。
やがて後に『明解国語辞典』を下敷きにした『[[三省堂国語辞典]]』(三省堂、[[1960年]]初版)と『[[新明解国語辞典]]』(三省堂、[[1972年]]初版)が生まれた。いずれも徹底して実例を蒐集して語釈を帰納するが、前者は「ことばの写生{{Efn|説明を読んだ人が、その語を自然に思い浮かべることができるよう、日常語で具体的に記述することを指す{{Sfnp|山崎誠|2013|pp=88-89}}{{Sfnp|飯間浩明|2020|p=85}}。例えば「[[水]]」について、「[[水素]]と[[酸素]]からなる[[化合物]]」といったような化学的説明ではなく、「生活するのに欠かせない、透き通った冷たい液体」といった一般的認識を説明するようにした{{Sfnp|山崎誠|2013|pp=88-89}}{{Sfnp|飯間浩明|2020|p=85}}。}}」という語義記述に特色があり{{Sfnp|飯間浩明|2020|p=85}}、後者は「単なる類語の換言ではなく、一文で語義を説明する」という態度を貫いている点が優れている{{Sfnp|山田潔|2020|p=89}}。


===== 学会・研究会 =====
===== 学会・研究会 =====
[[1944年]]に「国語学会」が結成されたが、[[戦中]]ということもあって本格的に活動するのは[[1948年]]からであった。やがて日本語研究を取り巻く環境の変化から、[[2004年]]に「[[日本語学会]]」に改称した。なお、1948年には[[国立国語研究所]]が設立されており、日本語に関する各種の調査・研究を実施している。
[[1944年]]に「国語学会」が結成されたが、[[戦中]]ということもあって本格的に活動するのは[[1948年]]からであった。やがて日本語研究を取り巻く環境の変化から、[[2004年]]に「[[日本語学会]]」に改称した。なお、1948年には[[国立国語研究所]]が設立されており、日本語に関する各種の調査・研究を実施している。


国語学を主として言語学の側から[[計算言語学]]および[[計量言語学]]を扱う[[計量国語学会]]<ref group="注釈">英称は The Mathematical Linguistic Society of Japan(直訳すると「日本数理言語学会」)である。</ref>が、[[1956年]]に設立された。世界的に見ても早い部類であることが特筆される{{Efn|暗号学(数理的な側面よりも[[軍事学]]を下敷きとしたもの)などでは、言語の統計的特徴の探索に古い歴史がある{{要出典|date=2023年6月}}。}}。同年には[[奥田靖雄]]を筆頭に、[[鈴木重幸]]、[[鈴木康之]]、[[高橋太郎 (言語学者)|高橋太郎]]、[[工藤真由美]]らが[[言語学研究会]]を設立し、国学以来の活用形を批判して重要な考察を多く提示したほか、民間教育研究団体である[[教育科学研究会国語部会]]に対して[[言語教育]]の[[副読本]]『[[にっぽんご]]』の編集を指導した{{Sfn|工藤真由美|2013|p=73}}。
国語学を主として言語学の側から[[計算言語学]]および[[計量言語学]]を扱う[[計量国語学会]]{{Efn|英称は The Mathematical Linguistic Society of Japan(直訳すると「日本数理言語学会」)である。}}が、[[1956年]]に設立された。世界的に見ても早い部類であることが特筆される{{Efn|暗号学(数理的な側面よりも[[軍事学]]を下敷きとしたもの)などでは、言語の統計的特徴の探索に古い歴史がある{{要出典|date=2023年6月}}。}}。同年には[[奥田靖雄]]を筆頭に、[[鈴木重幸]]、[[鈴木康之]]、[[高橋太郎 (言語学者)|高橋太郎]]、[[工藤真由美]]らが[[言語学研究会]]を設立し、国学以来の活用形を批判して重要な考察を多く提示したほか、民間教育研究団体である[[教育科学研究会国語部会]]に対して[[言語教育]]の[[副読本]]『[[にっぽんご]]』の編集を指導した{{Sfnp|工藤真由美|2013|p=73}}。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
;図書
;単行本
*{{Cite book|和書|author=[[保科孝一]]|title=國語學小史|publisher=大日本図書|date=1899-08|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=木枝増一|title=假名遣研究史|publisher=賛精社|date=1933-06|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=木枝増一|title=假名遣研究史|publisher=賛精社|date=1933-06|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=[[山田孝雄]]|title=五十音圖の歴史|publisher=[[宝文館|寶文館]]|date=1938-09|ref=harv}}(再版、1951年/復刻版、1970年2月。{{ISBN|4832014315}})
*{{Cite book|和書|author=[[山田孝雄]]|title=五十音圖の歴史|publisher=[[宝文館|寶文館]]|date=1938-09|ref=harv}}(再版、1951年/復刻版、1970年2月。{{ISBN|4832014315}})
*{{Cite book|和書|author=[[時枝誠記]]|title=国語学への道|publisher=[[三省堂]]|date=1957-10|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=[[時枝誠記]]|title=国語問題と国語教育|date=1949-11|publisher=中教出版|ref=harv}}(増訂版、1961年10月)
*{{Cite book|和書|author=時枝誠記|title=国語学への道|publisher=[[三省堂]]|date=1957-10|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=時枝誠記|title=日本ニ於ル言語観念ノ発達及言語研究ノ目的ト其ノ方法(明治以前)|publisher=[[明治書院]]|series=時枝誠記博士著作選1|date=1976-09|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=[[山田忠雄]]|title=近代国語辞書の歩み:その摸倣と創意と(上巻・下巻)|publisher=三省堂|date=1981-07|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=[[山田忠雄]]|title=近代国語辞書の歩み:その摸倣と創意と(上巻・下巻)|publisher=三省堂|date=1981-07|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=[[尾崎知光]]|title=国語学史の基礎的研究:近世の活語研究を中心として|publisher=[[笠間書院]]|series=笠間叢書179|date=1983-11|ref=harv}}
**{{Cite book|和書|author=尾崎知光|chapter=文法研究の歴史(1)|editor=大野晋・柴田武|title=岩波講座日本語6:文法1|date=1976-12|publisher=[[岩波書店]]|pages=259-297|isbn=4000100661|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=[[築島裕]]|title=歴史的仮名遣い:その成立と特徴|publisher=[[中央公論新社|中央公論社]]|series=[[中公新書]]810|date=1986-07|isbn=9784121008107|ref=harv}}([[吉川弘文館]]〈読みなおす日本史〉、2014年2月。{{ISBN|9784642065733}})
*{{Cite book|和書|author=[[築島裕]]|title=歴史的仮名遣い:その成立と特徴|publisher=[[中央公論新社|中央公論社]]|series=[[中公新書]]810|date=1986-07|isbn=9784121008107|ref=harv}}([[吉川弘文館]]〈読みなおす日本史〉、2014年2月。{{ISBN|9784642065733}})
*{{Cite book|和書|author=猿田知之|title=日本言語思想史|publisher=[[笠間書院]]|series=笠間叢260|date=1993-11|isbn=4305102609|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=[[齋藤精輔]]|title=辞書生活五十年史|publisher=出版社|date=1991-11|isbn=4809905020|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=猿田知之|title=日本言語思想史|publisher=笠間書院|series=笠間叢書260|date=1993-11|isbn=4305102609|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=山東功|title=明治前期日本文典の研究|publisher=和泉書院|series=研究叢書274|date=2002-01|isbn=475760131X|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=山東功|title=明治前期日本文典の研究|publisher=和泉書院|series=研究叢書274|date=2002-01|isbn=475760131X|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=山東功|title=日本語の観察者たち:宣教師からお雇い外国人まで|publisher=[[岩波書店]]|series=そうだったんだ!日本語|date=2013-10|isbn=9784000286282|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=山東功|title=日本語の観察者たち:宣教師からお雇い外国人まで|publisher=岩波書店|series=そうだったんだ!日本語|date=2013-10|isbn=9784000286282|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=土居文人|title=語源辞書松永貞徳『和句解』本文と研究|publisher=和泉書院|series=研究叢書457|date=2015-02|isbn=9784757607378|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=土居文人|title=語源辞書松永貞徳『和句解』本文と研究|publisher=和泉書院|series=研究叢書457|date=2015-02|isbn=9784757607378|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=[[田中康二]]|title=本居宣長の国文学|publisher=[[ぺりかん社]]|date=2015-12|isbn=9784831514257|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=[[田中康二]]|title=本居宣長の国文学|publisher=[[ぺりかん社]]|date=2015-12|isbn=9784831514257|ref={{SfnRef|田中康二|2015b}}}}
**{{Cite journal|和書|author=田中康二|title=『玉あられ』受容史|url= http://id.nii.ac.jp/1391/00010814/|journal=渾沌〈近畿大学大学院文芸学研究科紀要〉|issue=11|date=2014-03|pages=1-36|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=[[今野真二]]|title=仮名遣書論攷|publisher=和泉書院|date=2016-02|isbn=9784757607774|ref={{SfnRef|今野真二|2016a}} }}
**{{Cite journal|和書|author=田中康二|title=係り結びの法則成立史|journal=神戸大学文学部紀要|issue=42|date=2015-03|pages=1-42|ref={{SfnRef|田中康二|2015a}}}}
*{{Cite book|和書|author=[[今野真二]]|title=仮名遣書論攷|publisher=和泉書院|date=2016-02|isbn=9784757607774|ref={{SfnRef|今野真二|2016a}}}}
*{{Cite book|和書|author=遠藤佳那子|title=近世後期テニヲハ論の展開と活用研究|publisher=[[勉誠出版]]|date=2019-11|isbn=9784585280477|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=遠藤佳那子|title=近世後期テニヲハ論の展開と活用研究|publisher=[[勉誠出版]]|date=2019-11|isbn=9784585280477|ref=harv}}
**{{Cite journal|和書|author=遠藤佳那子|title=黒川真頼の活用研究と草稿「語学雑図」|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongonokenkyu/12/2/12_67/_article/-char/ja/|journal=日本語の研究|volume=12|issue=2|publisher=日本語学会|date=2016-04|pages=67-52|ref={{SfnRef|遠藤佳那子|2016a}}}}
**{{Cite journal|和書|author=遠藤佳那子|title=黒川真頼における『詞八衢』の受容と展開|journal=[[と國文學|と国文学]]|volume=94|issue=7|publisher=明治書院|date=2017-07|pages=56-59|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=仁田義雄|title=国語問題と日本語文法研究史|publisher=[[ひつじ書房]]|date=2021-12|isbn=9784823411144|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=仁田義雄|title=国語問題と日本語文法研究史|publisher=[[ひつじ書房]]|date=2021-12|isbn=9784823411144|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=安田尚道|title=上代日本語研究史の再検討|publisher=[[武蔵野書院]]|date=2023-5|isbn=9784838607792|ref=harv}}
;論文(編著)
*{{Cite book|和書|author=[[遠藤嘉基]]|chapter=日本語研究の歴史(1)|editor=大野晋・柴田武|title=岩波講座日本語1:日本語と国語学|date=1976-11|publisher=岩波|pages=179-230|isbn=4000100610|ref=harv}}
**{{Cite journal|和書|author=安田尚道|title=[[石塚龍麿]]|journal=[[日本語(雑誌)|日本語学]]|volume=35|issue=4|publisher=明治|date=2016-04|pages=64-67|ref=harv}}
;論文集
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;辞書類・資料集
;辞書類・資料集
*{{Cite book|和書|editor=国語学会|title=国語史資料集:図録と解説|date=1976-04|publisher=[[武蔵野書院]]|ref=harv}}
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*{{Cite book|和書|editor=国語学会|title=国語学史資料集:図録と解説|date=1979-04|publisher=武蔵野書院|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|editor=[[林巨樹]]・池上秋彦|title=国語史辞典|date=1979-09|publisher=[[東京出版]]|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|editor=国語学会|title=国語学大辞典|date=1980-09|publisher=東京堂出版|isbn=4490101333|ref=harv}}(改題・新版、2018年10月。{{ISBN|9784490109009}})
*{{Cite book|和書|editor=国語学会|title=国語学大辞典|date=1980-09|publisher=東京堂出版|isbn=4490101333|ref=harv}}(改題・新版、2018年10月。{{ISBN|9784490109009}})
*{{Cite book|和書|editor=国語学会|title=国語学の五十年|date=1995-05|publisher=武蔵野書院|isbn=4838601549|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|editor=[[林巨樹]]・池上秋彦|title=国語史辞典|date=1979-09|publisher=[[東京堂出版]]|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=岩澤和夫|title=楫取魚彦資料集|publisher=たけしま出版|date=2001-05|isbn=4925111124|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=岩澤和夫編著|title=楫取魚彦資料集|publisher=たけしま出版|date=2001-05|isbn=4925111124|ref={{SfnRef|岩澤和夫|2001}}}}
*{{Cite book|和書|editor=計量国語学会|title=計量国語学事典|date=2009-11|publisher=[[朝倉書店]]|isbn=9784254510355|ref=harv}}(新装版、2020年1月。{{ISBN|9784254510645}})
*{{Cite book|和書|editor=計量国語学会|title=計量国語学事典|date=2009-11|publisher=[[朝倉書店]]|isbn=9784254510355|ref=harv}}(新装版、2020年1月。{{ISBN|9784254510645}})
*{{Cite book|和書|editor=佐藤武義・前田富祺|title=日本語大事典(上巻・下巻)|date=2014-11|publisher=朝倉書店|isbn=9784254510348|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|editor=佐藤武義・前田富祺|title=日本語大事典(上巻・下巻)|date=2014-11|publisher=朝倉書店|isbn=9784254510348|ref=harv}}
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*{{Cite book|和書|editor=木部暢子|title=明解方言学辞典|date=2019-04|publisher=三省堂|isbn=9784385135793|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|editor=木部暢子|title=明解方言学辞典|date=2019-04|publisher=三省堂|isbn=9784385135793|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|editor=森山卓郎・渋谷勝己|title=明解日本語学辞典|date=2020-05|publisher=三省堂|isbn=9784385135809|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|editor=森山卓郎・渋谷勝己|title=明解日本語学辞典|date=2020-05|publisher=三省堂|isbn=9784385135809|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|editor=沖森卓也|title=図説日本の辞書100冊|publisher=武蔵野書院|date=2023-09|isbn=9784838606603|ref=harv}}
**{{Cite book|和書|editor=沖森卓也|title=図説日本の辞書|publisher=おうふう|date=2008-10|isbn=9784273035075|ref=harv}}
**{{Cite book|和書|editor=沖森卓也|title=図説近代日本の辞書|publisher=おうふう|date=2017-09|isbn=9784273038083|ref=harv}}


=== 関連文献 ===
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==== 総合的 ====
==== 総合的 ====
;単著
;単著
* [[保科孝一]]國語學小史大日本図書1899年8月
* 保科孝一『國語學史』東京専門学校出版部、1901年2月
* 保科孝一『國語學史』東京専門学校出版部、1901年2月
* 赤堀又次郎『國語學書目解題』吉川半七、1902年4月(複製版、勉誠社、1976年9月)
* 赤堀又次郎『國語學書目解題』吉川半七、1902年4月(複製版、勉誠社、1976年9月)
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* 馬渕和夫・出雲朝子『国語学史:日本人の言語研究の歴史』笠間書院、1999年1月。{{ISBN|4305002043}}(新装版、2007年9月。{{ISBN|9784305603029}})
* 馬渕和夫・出雲朝子『国語学史:日本人の言語研究の歴史』笠間書院、1999年1月。{{ISBN|4305002043}}(新装版、2007年9月。{{ISBN|9784305603029}})
;編著
;編著
* 佐伯梅友・中田祝夫・林大編著『国語学』三省堂〈国語国文学研究史大成15〉、1961年2月(増補版、1978年7月)
* 竹岡正夫編『国語学史論叢』笠間書院〈笠間叢書172〉、1982年9月
* 竹岡正夫編『国語学史論叢』笠間書院〈笠間叢書172〉、1982年9月
* 新村出筆録・古田東朔校訂『上田万年国語学史』、教育出版〈シリーズ名講義ノート〉、1984年2月。{{ISBN|4316342509}}
* 新村出筆録・古田東朔校訂『上田万年国語学史』、教育出版〈シリーズ名講義ノート〉、1984年2月。{{ISBN|4316342509}}
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* 江湖山恒明『上代特殊仮名遣研究史』明治書院、1978年1月
* 江湖山恒明『上代特殊仮名遣研究史』明治書院、1978年1月
* 根来司『てにをは研究史:てにをは秘伝書を中心として』明治書院、1980年8月
* 根来司『てにをは研究史:てにをは秘伝書を中心として』明治書院、1980年8月
* [[尾崎知光]]国語学史の基礎的研究:近世の活語研究を中心として笠間書院笠間叢書179〉、198311
* 松下貞三『漢語受容史の研究』和泉書院〈研究叢書51〉、1987年10月。{{ISBN|4870882620}}
* 松下貞三『漢語受容史の研究』和泉書院〈研究叢書51〉、1987年10月。{{ISBN|4870882620}}
* 渡辺英二『春庭の語学研究』和泉書院〈研究叢書161〉、1995年2月。{{ISBN|487088707X}}
* 渡辺英二『春庭の語学研究』和泉書院〈研究叢書161〉、1995年2月。{{ISBN|487088707X}}
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* 服部紀子『「格」の日本語学史的研究:江戸期蘭文典と国学からの影響』武蔵野書院〈日本語学会論文賞叢書1〉、2021年9月。{{ISBN|9784838607594}}
* 服部紀子『「格」の日本語学史的研究:江戸期蘭文典と国学からの影響』武蔵野書院〈日本語学会論文賞叢書1〉、2021年9月。{{ISBN|9784838607594}}
* [[長田俊樹]]『上田万年再考:日本言語学史の黎明』ひつじ書房、2023年3月。{{ISBN|9784823411700}}
* [[長田俊樹]]『上田万年再考:日本言語学史の黎明』ひつじ書房、2023年3月。{{ISBN|9784823411700}}
* 安田尚道上代日本語研究史の再検討武蔵野書院20235月。{{ISBN|9784838607792}}
;共著
;共著
* 斉木美知世・鷲尾龍一『日本文法の系譜学:国語学史と言語学史の接点』開拓社〈開拓社言語・文化選書32〉、2012年6月。{{ISBN|9784758925327}}
* 斉木美知世・鷲尾龍一『日本文法の系譜学:国語学史と言語学史の接点』開拓社〈開拓社言語・文化選書32〉、2012年6月。{{ISBN|9784758925327}}
* 斉木美知世・鷲尾龍一『国語学史の近代と現代:研究史の空白を埋める試み』開拓社、2014年10月。{{ISBN|9784758922043}}
* 斉木美知世・鷲尾龍一『国語学史の近代と現代:研究史の空白を埋める試み』開拓社、2014年10月。{{ISBN|9784758922043}}
;編著
;編著
* 玉村文郎編『日本語学を学ぶ人のために』世界思想社、1992年10月。{{ISBN|4790704408}}
* 西崎亨編『日本古辞書を学ぶ人のために』世界思想社、1995年5月。{{ISBN|4790705552}}
* 西崎亨編『日本古辞書を学ぶ人のために』世界思想社、1995年5月。{{ISBN|4790705552}}
* 明治書院企画編集部編『日本語学者列伝明治書院199712月。{{ISBN|4625521599}}
* 玉村文郎編『新しい日本語研究をぶ人のために世界思想社199810月。{{ISBN|4790707261}}
* 青木周平編『古事記受容史』笠間書院、2003年5月。{{ISBN|9784305601650}}
* 青木周平編『古事記受容史』笠間書院、2003年5月。{{ISBN|9784305601650}}
* [[吉田金彦]]編『日本語の語源を学ぶ人のために』世界思想社、2006年12月。{{ISBN|4790712249}}
* 斎藤倫明・大木一夫編『山田文法の現代的意義』ひつじ書房、2010年12月。{{ISBN|9784894765344}}
* 斎藤倫明・大木一夫編『山田文法の現代的意義』ひつじ書房、2010年12月。{{ISBN|9784894765344}}
* 小林隆編『柳田方言学の現代的意義:あいさつ表現と方言形成論』ひつじ書房、2014年7月。{{ISBN|9784894767195}}
* 長田俊樹編『日本語「起源」論の歴史と展望:日本語の起源はどのように論じられてきたか』三省堂、2020年3月。{{ISBN|9784385365084}}
* 長田俊樹編『日本語「起源」論の歴史と展望:日本語の起源はどのように論じられてきたか』三省堂、2020年3月。{{ISBN|9784385365084}}
* 岸本恵実・白井純編『キリシタン語学入門』[[八木書店]]、2022年3月。{{ISBN|9784840622455}}
* 岸本恵実・白井純編『キリシタン語学入門』[[八木書店]]、2022年3月。{{ISBN|9784840622455}}
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** 岩波書店〈同時代ライブラリー〉、1998年4月。{{ISBN|4002603415}}
** 岩波書店〈同時代ライブラリー〉、1998年4月。{{ISBN|4002603415}}
** 洋泉社MC新書、2007年10月。{{ISBN|9784862481665}}
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* 明治書院企画編集部編『日本語学者列伝』明治書院、1997年12月。{{ISBN|4625521599}}
* [[佐々木健一 (ノンフィクション作家)|佐々木健一]]『辞書になった男:ケンボー先生と山田先生』[[文藝春秋]]、2014年4月。{{ISBN|9784163900155}}
* [[佐々木健一 (ノンフィクション作家)|佐々木健一]]『辞書になった男:ケンボー先生と山田先生』[[文藝春秋]]、2014年4月。{{ISBN|9784163900155}}
* [[山口謠司]]『日本語を作った男:上田万年とその時代』[[集英社インターナショナル]]、2016年2月。{{ISBN|9784797672619}}
* [[山口謠司]]『日本語を作った男:上田万年とその時代』[[集英社インターナショナル]]、2016年2月。{{ISBN|9784797672619}}
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2023年12月12日 (火) 16:00時点における版

日本語学(にほんごがく)とは、日本語研究の対象とする学問である。日本語学を専攻する学者日本語学者という。

概要

いわゆる個別言語学の一種で、その目的は、日本語の諸現象についての組織立った知識を得ることである[1]。そのため、日本語に熟達し、自由に理解して使用するための実用的な学習語学)とは大いに異なる。

名称

明治以来の伝統国語学(こくごがく)と呼ばれることもある[1]同義語として扱われることが多いが、中立的表現である「日本語学」への移行という全体的な緩やかな方向性はある一方で、例えば関連分野である言語教育において「国語教育」と「日本語教育」という表現は使い分けられており[注釈 1]、それぞれの語の印象まで含めれば、必ずしも同一視できるものでもない[注釈 2]。実際、大阪大学文学部などでは別の研究室にあり、日本語学は「現代日本語を中心とした共時的・言語学的研究」、国語学は「古代から近世までの古い日本語を文献学的・通時的に研究するもの」としている[要出典]。また、「国語学は標準語・中央語の研究に偏重し、言語変種方言など)が周辺に位置づけられがちだが、日本語学は変種を広く包括できる」という意見もある[2]

日本国で、中学校および高等学校「国語」の免許を取得する際、教育職員免許法施行規則第四条および第五条に基づいて、規定単位数以上履修する必要がある科目の一種として、「国語学」が設けられている。この場合、音声言語および文章表現に関するものを含む。

歴史

日本語を研究する学問の歴史は「日本語学史」(または「国語学史」)と呼ばれる[3][4]。字義通りに解釈すれば、「近代以降に成立した科学としての歴史」を扱うことになるが、日本語に関心を寄せてきた人々の歴史は長く、古くから様々な分野の人々によって日本語研究が行われてきた[注釈 3]。質量ともに大きな変化が見られるのは明治前後であるが、これは日本語における言語変化というよりも、日本史上の政治的ないし社会的変化に負うところが大きいといえる[6]

ここでは、一般的な日本文学史での区分に倣い、上代中古中世奈良時代室町時代)、近世江戸時代)、近現代(明治以降)の3区分から記述する。

上代・中古・中世

日本語学の萌芽は「自国語の意識化」という自覚的反省から発生した[6]。具体的には、古代における仏教思想との言語接触による学習や、中世における古典解釈などが、日本語を対象に探求する動機となったのである。

中国語(漢語)の受容

日本語の相対的な特徴が意識されるようになったのは、漢字における音節の構造に関する学習であった。『古事記』には音注がしばしば付けられているが、これは漢字を借字として用い、中国語で表せない日本語の固有語を1音節ずつ漢字で表記したものであり、いわばこうした表記法は、日本語の音節構造が異なることを認識していた証左と考えられる[7]。また漢文の訓読により、中国語にない助詞助動詞の要素が意識されるようになり、漢文を読み下す際に必要な「て」「に」「を」「は」などの要素は、当初は点を漢字に添えることで表現していた[注釈 4]。これが後に片仮名が用いられるようになり、やがては「てにをは」の名で一括され、後に一つの研究分野となった。

日本語の1音1音を借字で記すようになった当初は、音韻組織全体に対する意識はまだ弱かったが、「天地の詞」(平安時代初期)や「いろは歌」(平安時代中期)など、あらゆる仮名を1回ずつ集めて誦文にしたものが成立している。これらは後に物の順番を示す「いろは順」として用いられ、仮名の手本としても人々の間に一般化している[要出典]

辞書の出現

こうした漢字の学習に関連して、漢籍を読むための辞書が多く編纂された。国内における辞書編纂の記録として最古のものは『新字』44巻(682年)である[注釈 5]。これは伝本も逸文も存在しないため、いかなる内容であったかは不明であるが、現存している木簡に字書らしき記載が確認できることから[11]、「書名からして漢字字書の類であろう」と推測される[12]。また、それぞれ逸文として残るのみであるが、『楊氏漢語抄』や『弁色立成』といった和訓を有する漢和辞書が編纂された[13]

現存する最古の辞書は、空海編と伝えられる『篆隷万象名義』(9世紀頃)である。これは『玉篇』を下敷きに編纂した部首配列の漢字字書で、和訓は一切ないが、当時の日本人にとって使い易いものを目指したものと想像される[14]。伝本が存する最古の漢和辞書『新撰字鏡』(10世紀初頭)は、漢字を部首で配列した上で、和訓を万葉仮名で記している[15]源順勤子内親王の依頼で撰進した漢和辞書『和名類聚抄』(934年頃)は、百科辞書の色彩が強く、意味で分類した漢語におおむね和訳を万葉仮名で付しており[16]、佚書の手掛かりを含む貴重な資料でもある[17]。漢字を部首で分類して字音・意義・和訓などを注記した『類聚名義抄』(11世紀末〜12世紀頃)は、その豊富な声点から院政期アクセント体系を窺い知れる[18]。橘忠兼が編纂した『色葉字類抄』(12世紀)は[注釈 6]、和訓によって言葉を明らかにすることを目的に「いろは順」を採用した最初の辞書である[20]。いずれの辞書も今日における国語辞典の概念からは程遠いが、後世への影響力から資料的価値がある[21][22][23]

悉曇学との接触

空海円仁などの学僧による悉曇学の研究により、梵語に整然とした音韻組織が存在することが知られるようになった[24][25]。平安時代末期に成立したと見られる「五十音図」は、「あ・か・さ・た・な……」の行の並び方が梵語の悉曇章(字母表)の順に酷似しており、悉曇学を通じて日本語の音韻組織の研究が進んだことを窺わせる。もっとも、五十音図作成の目的は、一方では、中国音韻学の反切を理解するためでもあり、当初その配列はかなり自由であった[注釈 7]。最古の五十音図は、平安時代末期の悉曇学者明覚の『反音作法』に見られる[26]。また、明覚は『悉曇要訣』において、梵語の発音を説明するために日本語の例を多く引用しており、このことからも日本語の音韻組織への関心を見せている[27]

歌学における展開

歌学は平安時代以降、大いに興隆した。元々は和歌の実作および批評のための学問であったが、やがて古典解釈のために正当な語彙・語法を使用することへの要求が強くなったのである[28]。これが結果として、日本語の古語に関する研究のほか、「てにをは」の研究や仮名遣いへの研究に繋がった。

古語の研究では、語と語の関係を音韻論的に説明することが試みられた。たとえば、顕昭の『袖中抄』には「五音相通(五十音の同じ行で音が相通ずること)」や「同韻相通(五十音の同じ段で音が相通ずること)」などの説明が多用されているが、こうした語義の解釈は仙覚の『萬葉集註釈』(1266年1269年)にも散見される[29]

本格的な「てにをは」の研究は、鎌倉時代末期から室町時代初期に成立した『手爾葉大概抄』という短い文章によって端緒が付けられた。この文章では、係助詞「ぞ」「こそ」とその結びの関係を論じるなど、「てにをは」について概略的に述べている[30]。また、室町時代には『姉小路式』が著され[注釈 8]、係助詞「ぞ」「こそ」「や」「か」のほか、終助詞「かな」などの「てにをは」の用法をより詳細に論じている。これは作歌において口語と文語との差異が甚だしくなったことが要因とされる[32]

仮名遣いについては、鎌倉時代の初め頃に藤原定家がこれを問題とし、その著作『下官集』において、仮名遣いの基準を前代の平安時代末期の草子類の仮名表記に求め、規範を示そうとした[33]。「お」と「を」の区別については、平安時代末期にはすでにいずれも[wo]の音となり発音上の区別が無くなっていたことにより、相当な表記の揺れがあり、格助詞の「を」を除き前例による基準を見出すことができなかった[34]。そこで『下官集』では、アクセントが高い言葉を「を」、アクセントが低い言葉を「お」で記している[注釈 9]南北朝時代には、行阿がこれを増補して『仮名文字遣』を著した。行阿の姿勢も「基準を古書に求める」というもので、「お」と「を」の区別についても定家仮名遣の原則を踏襲しており、これは後に「定家仮名遣」と呼ばれるに至る[36]。しかし、行阿が『仮名文字遣』を著した頃には日本語にアクセントの一大変化があり、[wo]の音を含む語彙に関しても、定家の時代とはアクセントの高低が異なってしまった[37]。その結果「お」と「を」の仮名遣いについては、定家が示したものと齟齬が生じている。

なお、「お」と「を」の発音上の区別が無くなっていたことで、五十音図においても鎌倉時代以来、「お」と「を」の位置が逆転した「あいうえ」「わゐうゑ」が用いられていた。これが今日の「あいうえ」「わゐうゑ」になるのは、江戸時代に本居宣長が登場してからのことである[38]

こうした中世期における歌学の国語研究の特徴は、少なからず近世期へと引き継がれるが、雑然とした中に法則的なものを自覚するようになるなど、次第に変容した[39]

実用的辞書の登場

それまでの辞書は、大陸文化の影響を強く受けていたが、この頃から日本的性格の強いものが出現した[40]。鎌倉時代には、百科辞書『二中歴』、詩作を目的とした『平他字類抄』、事物の起源や語源を解説した『塵袋』や『名語記』なども編まれるようになり、室町時代には、漢詩を詠むことを目的とした『聚分韻略』、漢字の音訓を示した『倭玉篇』、和訳に通俗語も含めた『下学集』、五十音順を採用した最古のものといわれる『温故知新書』、当時の俗語を百科事典的に説明する『運歩色葉集』、国字や漢字などの起源を記した『壒嚢鈔』や『塵添壒嚢鈔』などが編まれた。

15世紀になると、読み書きが広い階層へ普及し始めたことを背景に、日常語の単語を「いろは順」に並べた『節用集』が流布した。漢字熟語を多数掲出して読み仮名を付したもので、意味などの記述はなく、通俗的百科辞書の性格が強い[41]。この『節用集』を下敷きにした辞書として、『易林本節用集』や『書言字考節用集』などが、江戸時代に出現している[42]。こうしたことから、中世末期から近世初期にかけての写本のほか、慶長年間頃までの刊本は「古本節用集」と呼ばれる[41]

これらの出現は、学問に大衆的性格が強くなったことに伴い、辞書に利便性の高い内容が求められていったことに起因する[40]

外国人による研究

中世末期から近世前期にかけて、外国人による日本語研究も多く行われた。イエズス会では、宣教師たちが学ぶべき標準を目的に、日本語とポルトガル語の辞書『日葡辞書』(1603年)が編纂された[43]。これに先行する辞書として、本文だけで約900頁にも及ぶ『羅葡日対訳辞書』(1595年)があるが、邦訳されていないこともあって、ほとんど知られていない[44]。この他にも、漢字の音訓を常に並べて示すように編纂された『落葉集』(1598年)がある[45]。また、同会のロドリゲスによる文法書『日本大文典』(1608年)および『日本小文典』(1620年)は、ラテン語の文法書の伝統に基づいて日本語を分析したもので、資料的価値が高い[46]

近世

日本語学は江戸時代において、契沖の研究以来、秘伝にこだわらない自由な学風が起こり、国学の一分野として高い客観性・実証性を備えるようになる。ただし、詳細については不明な点が多く、個々の語学的考察については、資料的裏付けを得て確定する作業が残されている[47]

中期

契沖は『万葉集』の注釈書『万葉代匠記』を通じて、文献を博捜して規則性を見出すことにつとめ、多くの現象を指摘した[48]。とりわけ仮名遣いについて詳細に観察を行い、『和字正濫鈔』(1695年)を著して、古代は語ごとに仮名遣いが決まっていたことを明らかにした[49]。しかし、掲出した語には典拠がないものも少なくなく、後に楫取魚彦が『古言梯(こげんてい[注釈 10])』(1765年)において、記紀万葉などの古典のみならず、新たな出典として『新撰字鏡』などを挙げながら増補した。魚彦の没後には各人によって『古言梯』を補完したものが出版されている[注釈 11]。こうした流れが後の歴史的仮名遣に繋がっていった[53]

古語の研究では、松永貞徳が『和句解』(1662年)を著し、和語をいろは順に並べて1つ1つに解説を記している[注釈 12]貝原益軒は『日本釈名』(1700年)を著し、少なからず『和句解』の説を取り入れながら[56]、理論的に整理されている一方で、実証的裏付けに欠けている[57]新井白石の『東雅』(1719年)は、異文化への視線を持って日本語研究に取り組んだ大著で[58]、『日本釈名』の説を批判しているが、本文には単なる思い付きの類も少なくない[59]。また、賀茂真淵は『語意考』(1789年)を著し、語義の説明として「延約通略」(「語形の変化は、縮める(約)か、延ばすか、略するか、音通(母音または子音の交替)かによって生じる」という考え方)を示した[60]。こうした考え方は、谷川士清『倭訓栞』にも散見される[61]

方言の研究では、越谷吾山が事績を残している。全部で550項目にわたり約400語を数える大規模な方言集『物類称呼』は、各地の異称を同一平面上に並べてみようとする姿勢から[62]、忘れ去られた可能性のある方言語彙を数多く記載しており、高い資料的価値を持つ[63][64]

本居宣長は、仮名遣いの研究および文法の研究で非常な功績があった。仮名遣いの分野では『字音仮字用格』(1776年)を著し、漢字音を仮名で書き表すときにどのような仮名遣いを用いればよいかを論じて、鎌倉時代以来、五十音図で「あいうえ」「わゐうゑ」と記されているという事実を指摘し、今日の「あいうえ」「わゐうゑ」の形にした[38]。また、文法の分野では、とりわけ係り結びの研究で成果を上げた。係り結びの一覧表である『てにをは紐鏡』(1771年)をまとめ、これを『詞の玉緒』(1779年)で和歌を用例に詳説した[65]。文中に「ぞ・の・や・何」が来た場合には文末が連体形、「こそ」が来た場合は已然形で結ばれることを示したのみならず、「は・も」および「徒(ただ=主格などに助詞がつかない場合)」の場合は文末が終止形になることを示した。主格などに「は・も」などが付いた場合に文末が終止形になるのは当然のようであるが、主格を示す「が・の」が来た場合は、「君が思ほせりける[66]」「にほひの袖にとまれる[67]」のように文末が連体形で結ばれるのであるから、あえて「は・も・徒」の下が終止形で結ばれることを示したことは重要である[65]。この他にも宣長は、門弟の歌文指南のための参考書として、古代語を対象とした『玉あられ』を著した[68]

品詞の研究で成果を上げたのは富士谷成章であった。成章は品詞を「名」・「装(よそい)」・「挿頭(かざし)」・「脚結(あゆい)」の4類に分類した[69]。ここには漢学の影響も指摘されるが[注釈 13]、成章の独自性によるところが大きい[69]。成章は『挿頭抄』(1767年)で今日で言う副詞の類を中心に論じ、『脚結抄』(1778年)では助詞・助動詞を系統立てて分類して、その活用の仕方および意味・用法を詳細に論じた。内容は創見に満ち、今日の品詞研究でも盛んに引き合いに出される[71]。とりわけ『脚結抄』の冒頭に記された「装図(よそいず)」は、動詞形容詞の活用を整理した表で、後の研究に資するところが大きい[72]

このほかに注目すべき研究としては、石塚龍麿が『万葉集』の仮名に2種の書き分けが存在することを示した『仮字用格奥山路』(1798年)がある[73]。これは宣長が『古事記伝』第一巻の「仮字の事」で指摘した着想を発展させたもので、長らく正当な扱いを受けなかったが、橋本進吉が「上代特殊仮名遣の先駆的研究」として再評価した[74]。なお、上代特殊仮名遣に関連する資料としては、ほかに奥村栄実『古言衣延弁』(1829年)や草鹿砥宣隆『古言別音鈔』(1849年)などがある[75]

後期

国学の隆盛は、雅語そのものへの注目をもたらし、後には俚言も一緒に扱った辞書も出現した。その中でもきわめて大部なものとして、谷川士清『倭訓栞』(前中後編、1777年1887年[注釈 14]太田全斎『俚言集覧』(1797年~1829年に成立)[注釈 15]石川雅望『雅言集覧』(1826年~1849年)[注釈 16]が出現した[注釈 17]。これらは様々な人々に受容されたが[81]、とりわけ『倭訓栞』は「現代に繋がる国語辞典の祖型を作り上げた」として多大な影響を与えた[61]

活用の研究は、真淵や士清の説を宣長が継承した後[82][83]、主として宣長の弟子筋によって展開した。鈴木朖は『活語断続譜』(1803年頃成立)を著し、活用形の役割を記したほか[84]、『言語四種論』(1824年)を著し、単語を「体の詞」「形状の詞」「作用の詞」「てにをは」の4種に分類して性質を論じた[85]盲目であった本居春庭は『詞八衢』(1806年)と『詞通路』(1812年)を著し、「鈴屋派」と「富士谷派」の説を融合させて「末代不動の説」を確立した[86]。この他には義門が『山口栞』(1836年)や『活語指南』(1844年)を著しており、とりわけ『活語指南』において分類した「将然言(未然言とも)」「連用言」「截断言」「連体言」「已然言」「希求言」という6種の活用形は、現在の活用形に継承されている[87]。また、富樫広蔭は『詞玉橋』(1816年初稿成立、1846年改稿成立、1891年刊)と『辞玉襷』(1829年)を著し、鈴屋派の品詞分類や活用研究の組織化と体系化をはかった[88]

語源研究では、朖が『雅語音声考』(1816年)を著し、オノマトペ音象徴による語構成を持つ言葉を「鳥獣虫ノ声」「人ノ声」「万物ノ声」「万ノ形・有様・意・シワザ」の4種に分類した上で、具体例として「ほととぎす」「うぐいす」「からす」などの「ほととぎ」「うぐい」「から」の部分は鳴き声であることを示している[89]。一見すると平田篤胤らの音義説を彷彿とさせるが、朖は一音一音に意味があるとしているわけではない[89]

この時期においても、外国人による日本語研究が多く行われた。例えばホフマンが著した『日本語文典例証』と『日本語文典』は、古典文献に含まれる日本語がほとんどで[注釈 18]、少しばかり旧式に映るところはあるが、要所要所において鋭い分析がなされており[91]、その後に与えた影響の大きさから「近代的な日本語文法研究書」とされる[92]。また、ヘボンによる和英辞典和英語林集成』(1867年)は、後続の宣教師などの日本語習得の負担軽減を目的に編纂されたもので、当時の社会の進展を反映する語彙を採集するなど実用性が大きく[93]、1910年の9版まで版を重ねたほか、いわゆるヘボン式ローマ字の基盤を築くなど[注釈 19]、幅広い分野に多大な影響を与えた[96]

近代以降

幕末から明治にかけて西洋言語学が紹介されたことで、日本語学は新たな段階を迎えた。言語研究の在り方が大きく変化したことは、研究史に関する著作が数多く出現したことからも窺い知れる[97][98]

明治・大正

文法論の発展

欧米の言語学も取り入れつつ、文学研究と関係し合いながら発展した日本語学であったが、無批判に理論を応用したことで、却ってこれまでの蓄積を損なうような日本語研究も少なくなく、あまつさえ過去の日本語研究を容赦なく否定する考え方も出現した[注釈 20]。こうした中で、古来の日本語研究と西洋言語学とを吟味して文法理論を整理したのが大槻文彦であった。大槻は『言海』の中で文法論「語法指南」(1889年)を記し[注釈 21]、後にこれを増補して『広日本文典』(1897年)として、体系的な近代的文法学説を作り上げた[104]山田孝雄は大槻の学説に不徹底な面が残っていることを『日本文法論』(1908年)で指摘し、西洋の文典のみならず心理学哲学をも援用して、体系的かつ組織的な近代的文法論「山田文法」を構築した[105]

辞書編纂法の具現化

大槻が編纂した『言海』(1889年1891年)は、「日本初の近代的国語辞典」とされる[106]。これは「日本普通語ノ辞書」編纂のために必要な事項を挙げて、近代的辞書編纂法を確立したことにある[107]。元々は文部省で『語彙』という辞書の編纂事業が進められていたが、「あ」「い」「う」「え」の部まで成立したところで頓挫するという結果に終わり[注釈 22]、これに鑑みた西村茂樹の命により大槻のほぼ独力による編纂が進められたのである。網羅した古典語・日常語を五十音順に見出しを並べて、全ての項目に品詞・漢字表記・語釈を付す徹底した体裁は、後世における辞書の模範的存在となった[注釈 23]。また、『言海』に採用された歴史的仮名遣いは、一般への普及に繋がった[112]

また、漢和辞典においても発展があった。いわゆる文明開化の波に乗って欧米の知識が大量に移入されるようになったのに伴い、漢語が急激に増加したことで、積極的に熟語を収録し始めたのである[113]。そうした中で「初の近代的漢和辞典」とされるのが『漢和大字典』(三省堂1903年)である[注釈 24]。これは熟語を改行して排列した上で語釈を施したほか、総画索引を添えるなどの工夫を凝らしており、以降の漢和辞典の模範となった[115]

教育との関係

日本語研究者の数は高等教育の普及とともに増大した。1897年に東京帝国大学で国語研究室が置かれ、ドイツ帰りの上田万年が初代主任教授として指導的役割を果たした[116]。なお、上田に学んだ弟子には、亀田次郎金田一京助新村出橋本進吉保科孝一などがいる[116]

1900年、小学校令施行規則において、教科書で感動詞や字音語の長音を長音符「ー」で書き表すことが定められた[117]。ところが、あまり世評がよくなかったので、文部省は1908年に臨時仮名遣調査委員会を設置し、新たな改定案として「字音仮名遣は全て表音式にする」「国語仮名遣は活用語尾と助詞だけそのままで、その他は表音式にする」というものを出したが、結論らしい結論を得ないまま廃止された[117]

政策との連なり

明治以降の日本語学は、日本における国語国字問題にも影響を与えてきた。例えば前島密は「漢字御廃止之議」の中で、「国字改良論」のほかに「言文一致論」を提唱した[118]。「国字改良」は森鷗外などの反論によって実現しなかったが[119]、「言文一致」は二葉亭四迷夏目漱石などによって進んだほか[120][121]、物集高見などが具体的な方法論を示した[122]

このほか、日本における標準語の形成にも影響を与えてきた。その中心的役割を果たしたのは、文部省内に設置された国語調査委員会(1902年1913年)で、上田万年が主導した[123]。行われた学術的な研究調査の成果である『音韻調査報告書』(1905年)、『口語法調査報告書』(1906年)、『仮名遣及仮名字体沿革史料』(1909年)、『平家物語の語法』(1914年)、『疑問仮名遣』(前編・1912年、後編・1915年)、『口語法』(1916年)、『口語法別記』(1917年)などは、結果的に日本語研究の近代的方法の基礎を確立することに繋がった[注釈 25]。国語調査委員会は1913年に廃止されたが、再び国語国字に関する国家的調査機関の設置が強く要望されたので、臨時国語調査会(1921年1934年)が設置され、いわゆる現代仮名遣いの原型となる仮名遣改定案を可決するなどした[126]

昭和・平成

言語過程説の出現

西欧の言語学が伝来してからも日本語学は、相も変わらず歴史的かつ文献学的な研究が主流であった。こうした風潮の中において、言語理論の研究に真正面から取り組んだのが時枝誠記である。時枝は卒業論文「日本ニ於ル言語観念ノ発達及言語研究ノ目的ト其ノ方法(明治以前)[注釈 26]」(1924年)以来、日本における言語意識を記述するという意図を研究の出発点として、日本語研究における態度や方法について探究していった[128][129][130][131][132]。やがて時枝は「言語とは何ぞや」の解答として、『国語学原論』(岩波書店1941年)や『国語学原論・続編』(岩波書店、1955年)などの中で、成立させる人間に還元して事実を説明することを主張した[133][134]。これが後に「言語過程説」と呼ばれるものである。時枝はソシュールの言語観を「言語構成観」と呼んで批判し[133][135]、表現者と受容者の存在を常に意識する「言語過程説」を日本の伝統的な言語観として位置づけるために、基本的理論の樹立を試みた[注釈 27]。時枝の研究分野は、「時枝文法」と称される文法論が顕著であるが、文章論のほかに国語教育や国語施策への応用研究など、きわめて幅広い範囲にわたっており、いずれも「言語は人間の表現行為、理解行為そのものである」という言語観が通底している[132]。例えば国語国字問題における種々の論議は、それまで日本語学の領域から除外されることもあれば、延長線として「知識の応用部面」ばかりが取り扱われるなど、利用の仕方は様々であったが[136]、そのような中で「日本語研究の対象とすべき」と明確に位置づけたのも時枝誠記である[注釈 28]。時枝の立論は従来の国語学における研究方法に対して反省を促しているともいえる[138]。後に時枝は「言語生活史」の体系的記述を企図していたが、これは本人の死去に伴って未完のままに終わった[132]

方言学の進展

方言の研究は大正期に一旦衰退したが[注釈 29]、昭和初期に至って再び活況を呈するようになった。中でも特筆に値するのが、東条操の「方言区画論」と、柳田國男の「方言周圏論」である。この2つは対立する学説として受け取られることが多いが、方言語彙の中に「周圏論」で説明できるものがあることは確かであるし、東西方言の対立に対応する事実によって全国の方言が幾つかの区画に分類されることも確かであるから、決して相容れない学説とは言い難い[140]

1927年3月に東条は『大日本方言地図』と『国語の方言区画』を出版し、全国を「内地」と「琉球」に二分し、次いで「内地」を「本州」と「九州」に分け、さらに「本州」を「東部」「中部」「西部」に三分した[141]。その後、幾度の修正を加えていき、最終的には1953年に発表した『日本方言学』において、「東部方言」「西部方言」「九州方言」の3つに落着した[142]

一方で柳田は、同年4月に論文蝸牛考」を『人類学雑誌』に連載した[141]。これは「日本の各地では蝸牛をどのように呼ぶのか」という調査結果を発表したもので、ヨーロッパで発達した言語地理学の方法論を日本語の方言に適用したのである[143]。その過程において柳田は「京都を中心として同心円状に分布している」という事実を発見し、「方言は文化の中心地で生まれた言葉が順次周囲に拡散して成立したもの」とした[144]。こうした考えは、近世以前から認められる「古語は方言に残る」という考え[注釈 30]とも合致することから[注釈 31]、方言形成の過程を解釈する際の説明原理として広く受容されるに至った[143][144]。なお、柳田は「蝸牛考」以外にも方言に関係する文章を多く執筆している[147]

この他に注目すべき研究としては、服部四郎による比較方言学がある[143]。服部は諸方言のアクセントに整然とした型の対応が見られることを指摘し、比較言語学の手法によって系統について論じた[148]。こうした服部の研究は、とりわけアクセント方面において、金田一春彦平山輝男などを中心に発展した[149]。金田一はアクセント変化の傾向を探り、その知見をもって諸方言におけるアクセントの系譜を論じた[150]。平山は後に「方言基礎語彙」という考えに至り、その全国規模の研究が必要であることを説いている[151]

現代語辞典の登場

日本で最初に現代語を中心とした国語辞典は『明解国語辞典』(三省堂、1943年初版)であった[注釈 32]。それまでにも『大言海』(全4巻、冨山房1932年1937年[注釈 33]などが出版されているが、それらは現代語以外の古語を多く含んでいた[152]。また、広く使われた小型辞書には、金沢庄三郎編『小辞林』(三省堂、1928年)などがあるが、文語調による百科事典のような語釈であった。こうした殻を破るために『明解国語辞典』は、主として当時の新聞から多数の用例を拾い続けながら、見出し語に表音式を採用したり、仮名表記を多用した口語体の語釈にしたりなど、工夫を凝らして編纂された[154]

やがて後に『明解国語辞典』を下敷きにした『三省堂国語辞典』(三省堂、1960年初版)と『新明解国語辞典』(三省堂、1972年初版)が生まれた。いずれも徹底して実例を蒐集して語釈を帰納するが、前者は「ことばの写生[注釈 34]」という語義記述に特色があり[156]、後者は「単なる類語の換言ではなく、一文で語義を説明する」という態度を貫いている点が優れている[157]

学会・研究会

1944年に「国語学会」が結成されたが、戦中ということもあって本格的に活動するのは1948年からであった。やがて日本語研究を取り巻く環境の変化から、2004年に「日本語学会」に改称した。なお、1948年には国立国語研究所が設立されており、日本語に関する各種の調査・研究を実施している。

国語学を主として言語学の側から計算言語学および計量言語学を扱う計量国語学会[注釈 35]が、1956年に設立された。世界的に見ても早い部類であることが特筆される[注釈 36]。同年には奥田靖雄を筆頭に、鈴木重幸鈴木康之高橋太郎工藤真由美らが言語学研究会を設立し、国学以来の活用形を批判して重要な考察を多く提示したほか、民間教育研究団体である教育科学研究会国語部会に対して言語教育副読本にっぽんご』の編集を指導した[158]

脚注

注釈

  1. ^ 「教科名が「国語」である」という事情もあるが、前者は主に「日本語が第一言語」という前提での教育、後者は主に「非日本語話者に対する第二言語教育」という前提での教育で、実際の内容も大きく異なる[要出典]
  2. ^ 民俗学」と「文化人類学」など、第三者からの視点では同様な学術分野であっても、研究者自身と対象との距離の違いにより学術的にも違ってくる[要出典]
  3. ^ 限定を加えずに広く日本語研究の歴史として捉えると、その対象範囲は日本思想にも及ぶことになり、研究史思想史との境界が希薄なものとなりかねないため、「言語学的観点から一定の評価や判断が可能なもの」を対象として扱うなどの限定を設ける必要性が生じる[5]
  4. ^ 一般に「ヲコト点」と呼ばれるが、これは江戸時代以後の呼称であり、院政時代には「テニハ点」といわれ、それ以前は単に「点」とだけ呼ばれていた[8]
  5. ^ 日本書紀』巻第29(天武天皇11年3月13日条)に「肇めて新字一部四十四巻を造らしむ」とある[9]。この記事が仮に史実でないとしても、天武朝において辞書編纂が行われた可能性はある[10]
  6. ^ 鎌倉初期に増補して十巻本としたものは『伊呂波字類抄』と呼ばれる[19]
  7. ^ ほぼ現在に近い配列が定着したのは「室町時代以後」とされる[要出典]
  8. ^ 『天仁遠波十三ヶ条口伝』『姉小路家手似葉伝』『出葉抄』『秘伝天爾波抄』など様々な名称で伝わっている[31]
  9. ^ アクセントの高低による「を」と「お」の使い分けは、すでに『類聚名義抄』や『色葉字類抄』などにも見られる[35]
  10. ^ 村田春海清水浜臣『古言梯再考増補標註』にある「古言梯のいて来しをり竟宴の哥」に「古言のかけはしとふふみあつめをへたる日よめる」という魚彦の詞書があることから、実際の書名は「ふることのかけはし」の可能性がある[50]
  11. ^ 藤重匹龍『掌中古言梯』、村田春海・清水浜臣『古言梯再考増補標註』、山田常典『増補古言梯標註』などがある[51]。これらのほかにも、市岡猛彦『雅言仮字格』、鶴峯戊申『増補正誤仮名遣』、村田春海『仮字拾要』などがある[52]
  12. ^ ほとんどが思い付き程度の恣意的なものとされるが[54]、近世初期の言語生活などを知り得る資料とされる[55]
  13. ^ 成章は皆川淇園と共に漢学を修め、国学に転じた後も兄の漢学に対しては深い理解を示したという[70]
  14. ^ 前編は1777年、中編は1862年に刊行されたが、後編は明治になって刊行された[76]
  15. ^ 写本で伝えられて版本の形にならなかった上に、容易に目にすることが可能になるのは、明治に『増補俚言集覧』(1899年~1900年)として刊行されてからである[77]
  16. ^ 版本の形になったのは「い」~「な」の語彙で、全体像を確認することが可能になるのは、1887年に『増補雅言集覧』(1903年版もある)が刊行されてからである[78]
  17. ^ 以上が「近世期の三大辞書」といわれる[79]。これらに『鸚鵡抄』を加えて「四大辞書」といわれることもあるが、『鸚鵡抄』は未刊行であったことを理由に、流布や影響といった側面から除外される[80]
  18. ^ 『古事記』や『日本書紀』などのほか、『和名類聚抄』や『倭訓栞』などの辞書類、さらには『先代旧事本紀』が利用されている[90]
  19. ^ 今日におけるヘボン式は、羅馬字会が提案した綴りを下敷きに修正を施したもので[94]、『和英語林集成』第3版(1886年)において確定させた[95]
  20. ^ 例えば「国語学史の最初の刊行書」として注目される保科孝一 (1899)は、「科学的研究が微々として振るわなかったこと」「研究材料の範囲が極端に狭かったこと」「学者の自尊心が強いゆえに比較研究をしなかったこと」を理由にしている[99]。こうした考え方に対しては、時枝誠記のほかに[100]、山田孝雄などが批判している[101]
  21. ^ 大槻は黒川真頼の『詞の栞』の講義にたびたび列席していた[102]。真頼の文法学説には、義門が春庭の説を展開して著した『詞の道しるべ』(1810年)の受容が指摘されている[103]
  22. ^ 中途で打ち切られたのは、編集母胎である大学が廃止されたことに加え、文部省内で「見出し語の配列が徹底していない上に品詞表示がない」「位相の指示や語種の区別が不十分」「漢語が偏っている上に洋語が少なすぎる」「語源記述がほとんどない」「俗語に対する意識が低い」「使用の手引きが見られない」といった体裁が問題視されたことが、原因として挙げられる[108]
  23. ^ 『言海』が刊行されるまでには、近藤真琴の『ことばのその』(1885年)、物集高見の『ことばのはやし』(1888年)、高橋五郎の『漢英対照いろは辞典』(1888年)と『和漢雅俗いろは辞典』(1888年〜1889年)が刊行されているが、いずれも雅語に徹している[109][110]。また、『言海』刊行後、山田美妙が『日本大辞書』(1892年〜1893年)を著したが、アクセントを付した口語体の辞書として歴史的意義がある一方で、全体的に尻窄まりとなってしまっている[111]。こうした点からも『言海』は評価されている。
  24. ^ 監修者として重野安繹三島毅服部宇之吉の名前があるが、実質的な編集は三省堂編修所齋藤精輔が中心となり、読売新聞社にいた同郷の足助直次郎を招き入れ、深井鑑一郎や福田重政と一緒にあたらせたという[114]
  25. ^ 例えば『口語法調査報告書』は、東条操が「方言区画論」を提唱する契機となった[124]。また『口語法別記』は、口語に関する歴史的変遷を記述した成果として、後の口語研究の可能性を開拓した[125]
  26. ^ 当初は「歐米ニ於ル言語研究者ノ言語觀念ノ發達ニ就テ、言語研究ノ方法及其目的、歐米言語学ノ國語學ニ及ボシタル影響」など、幾つか構想を練っていたが、橋本進吉から「到底この1年間にできるようなものではない」という指摘を受けて決定したという[127]。なお、この卒論は後に時枝誠記 (1976)として原本が写真版で複製されている。
  27. ^ ただし、時枝が指摘するソシュールの言語観に対する理解の在り方については、時枝が『一般言語学講義』を文献学的検証もなしに批判していることもあって、数多くの議論を呼んでいる[135]
  28. ^ 例えば時枝誠記 (1949)などにおいて、「言語の実践に関する議論であるならば、それは他の言語現象と共に、それ自体が国語学の対象とならなければならない」「国語における音声や文字や文法が国語学の対象となるのと同じように、国語の主体的意識の問題として考察の対象となる」と述べている[137]
  29. ^ 原因としては、標準語の普及に伴って「方言を顧みる必要はなくなった」と考える識者が出現したとされる[139]
  30. ^ 藤原定家の作と伝えられている歌学書『愚秘抄』(平安末期頃に成立か)が最初とされる[145]
  31. ^ 柳田自身も1905年頃から関心を持っていた地名の研究を通じて体験していた[146]
  32. ^ 表紙には「金田一京助」とあるが、事実上の編纂者は金田一の教え子である見坊豪紀であり、金田一は名義貸しに過ぎない[152]
  33. ^ 『言海』の増補改訂版。当初は大槻自身が改訂作業を進めていたが、事半ばにして1928年に没した後に実兄の大槻如電らが引き継ぎ、関根正直や新村出らの指導を得て完成させた[153]
  34. ^ 説明を読んだ人が、その語を自然に思い浮かべることができるよう、日常語で具体的に記述することを指す[155][156]。例えば「」について、「水素酸素からなる化合物」といったような化学的説明ではなく、「生活するのに欠かせない、透き通った冷たい液体」といった一般的認識を説明するようにした[155][156]
  35. ^ 英称は The Mathematical Linguistic Society of Japan(直訳すると「日本数理言語学会」)である。
  36. ^ 暗号学(数理的な側面よりも軍事学を下敷きとしたもの)などでは、言語の統計的特徴の探索に古い歴史がある[要出典]

出典

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  • 宮坂和江 著「文章様式研究の歴史」、佐伯梅友・中田祝夫・林大 編『国語国文学研究史大成15:国語学』三省堂、1961年2月、400-418頁。 (増補版、1978年7月)
  • 宮治弘明 著「方言研究史」、徳川宗賢・真田信治 編『新・方言学を学ぶ人のために』世界思想社、1991年2月、242-263頁。ISBN 4790703878 
  • 宮地裕 著「現代語・言語生活研究の歴史」、佐伯梅友・中田祝夫・林大 編『国語国文学研究史大成15:国語学』三省堂、1961年2月、374-399頁。 (増補版、1978年7月)
  • 金岡孝 著「語彙研究の歴史」、大野晋・柴田武 編『岩波講座日本語9:語彙と意味』岩波書店、1977年6月、371-404頁。ISBN 4000100696 
  • 古田東朔 著「文法研究の歴史(2)」、大野晋・柴田武 編『岩波講座日本語6:文法1』岩波書店、1976年12月、299-356頁。ISBN 4000100661 
  • 山口明穂 著「国語学史」、国語学会 編『国語学の五十年』武蔵野書院、1995年5月、275-284頁。ISBN 4838601549 
  • 山東功 著「日本語学史」、衣畑智秀 編『基礎日本語学』ひつじ書房、2019年2月、284-309頁。ISBN 9784894769465 (第2版、2023年3月。ISBN 9784823411953
  • 山内育男 著「かなづかい研究の歴史」、佐伯梅友・中田祝夫・林大 編『国語国文学研究史大成15:国語学』三省堂、1961年2月、132-154頁。 (増補版、1978年7月)
  • 山本真吾 著「国語学史」、木田章義 編『国語史を学ぶ人のために』世界思想社、2013年4月、261-285頁。ISBN 9784790715962 
  • 小松英雄 著「字音研究の歴史」、佐伯梅友・中田祝夫・林大 編『国語国文学研究史大成15:国語学』三省堂、1961年2月、114-131頁。 (増補版、1978年7月)
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  • 丸山徹「ロドリゲス」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、28-31頁。 
  • 岸本恵実「土井忠生」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、38-41頁。 
  • 久野眞「平山輝男」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、54-57頁。 
  • 宮崎里司「J.V.ネウス トプニー」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、130-133頁。 
  • 金子弘「ホフマン」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、72-75頁。 
  • 金子彰「中古の辞書:類聚名義抄」『悠久』第139号、おうふう、2015年2月、57-67頁。 
  • 熊谷康雄「柴田武」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、98-101頁。 
  • 月本雅幸「空海」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、4-7頁。 
  • 犬飼隆「日本の辞書の起源」『月刊しにか』第11巻第3号、大修館書店、2000年3月、16-21頁。 
  • 犬飼守薫「近代的国語辞典の誕生」『月刊しにか』第11巻第3号、大修館書店、2000年3月、72-77頁。 
  • 工藤真由美「新日本語学者列伝:奥田靖雄」『日本語学』第32巻第2号、明治書院、2013年2月、72-78頁。 
  • 幸田国広西尾実」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、30-33頁。 
  • 甲斐睦朗「林大」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、74-77頁。 
  • 高山倫明「春日政治」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、22-25頁。 
  • 髙山知明「馬渕和夫」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、102-105頁。 
  • 今野真二「藤原定家」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、16-19頁。 
  • 斎藤倫明「山田孝雄」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、112-115頁。 
  • 山崎誠「新日本語学者列伝:見坊豪紀」『日本語学』第32巻第4号、明治書院、2013年4月、84-91頁。 
  • 山田潔「『長崎版日葡辞書』とパジェス『日仏辞書』」『悠久』第143号、おうふう、2015年11月、39-53頁。 
  • 山田潔「山田忠雄」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、86-89頁。 
  • 山田健三「亀井孝」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、66-69頁。 
  • 山田敏弘「寺村秀夫」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、118-121頁。 
  • 山東功「言語意識と日本語研究」『日本語学』第20巻第8号、明治書院、2001年7月、6-14頁。 
  • 山東功「【日本語学史】時枝誠記『国語学史』」『日本語学』第26巻第5号、明治書院、2007年4月、84-86頁。 
  • 山東功「私が勧めるこの一冊(第27回)『国語学史』時枝誠記【著】」『日本語学』第30巻第8号、明治書院、2011年7月、76-82頁。 
  • 山東功「物集高見」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、92-95頁。 
  • 山東功「時枝誠記」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、34-37頁。 
  • 山本真吾「中古の辞書:色葉字類抄」『悠久』第139号、おうふう、2015年2月、68-78頁。 
  • 山本真吾「落葉集」『悠久』第143号、おうふう、2015年11月、28-38頁。 
  • 山本真吾「築島裕」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、114-117頁。 
  • 小野正弘「新村出」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、6-9頁。 
  • 小林千草「清原宣賢」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、24-27頁。 
  • 小林賢次「『日葡辞書』を繙く」『月刊しにか』第11巻第3号、大修館書店、2000年3月、44-47頁。 
  • 小林隆方言研究から見た「国語学」「日本語学」」『国語学』第53巻第2号、2002年4月、97頁。 
  • 小林隆「柳田國男」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、116-119頁。 
  • 小林芳規「漢字字書の誕生」『月刊しにか』第11巻第3号、大修館書店、2000年3月、29-37頁。 
  • 上野善道「服部四郎」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、46-49頁。 
  • 上野和昭「金田一春彦」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、78-81頁。 
  • 神戸和昭「湯澤幸吉郎」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、26-29頁。 
  • 清水康行「上田万年」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、108-111頁。 
  • 石井正彦「宮島達夫」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、126-129頁。 
  • 倉島節尚「古辞書とは」『悠久』第139号、おうふう、2015年2月、16-26頁。 
  • 中井精一「徳川宗賢」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、122-125頁。 
  • 中山綠朗「中世の辞書:下学集・和玉篇・聚分韻略・塵袋・塵添壒嚢鈔」『悠久』第139号、おうふう、2015年2月、79-89頁。 
  • 中村朱美「本居春庭」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、60-63頁。 
  • 長谷川千秋「契沖」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、32-35頁。 
  • 坪井美樹「鈴木朖」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、68-71頁。 
  • 釘貫亨有坂秀世」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、50-53頁。 
  • 田島優「夏目漱石」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、104-107頁。 
  • 田島優「池上禎造」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、62-65頁。 
  • 田籠博「越谷吾山」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、48-51頁。 
  • 湯浅茂雄「江戸の国語辞典あれこれ」『月刊しにか』第11巻第3号、大修館書店、2000年3月、57-64頁。 
  • 湯浅茂雄「大槻文彦」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、88-91頁。 
  • 藤森裕司「垣内松三」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、14-17頁。 
  • 藤田保幸「森鴎外」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、96-99頁。 
  • 藤本灯「源順」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、12-15頁。 
  • 内田賢徳「阪倉篤義」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、90-93頁。 
  • 内田宗一「賀茂真淵」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、40-43頁。 
  • 飯間浩明見坊豪紀」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、82-85頁。 
  • 飯田晴巳「中古の辞書:倭名類聚抄」『悠久』第139号、おうふう、2015年2月、42-56頁。 
  • 肥爪周二「橋本進吉」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、120-123頁。 
  • 服部隆「西周」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、80-83頁。 
  • 服部隆「森岡健二」『日本語学』第39巻第1号、明治書院、2020年3月、94-97頁。 
  • 平井吾門「谷川士清」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、44-47頁。 
  • 木村一「近世の辞書:節用集」『悠久』第139号、おうふう、2015年2月、90-102頁。 
  • 木村一「ヘボン」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、76-79頁。 
  • 木村義之「近世の辞書:『倭訓栞』『雅言集覧』『俚言集覧』」『悠久』第139号、おうふう、2015年2月、103-121頁。 
  • 野村剛史「二葉亭四迷」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、100-103頁。 
  • 矢田勉「本居宣長」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、52-55頁。 
  • 林史典「円仁」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、8-11頁。 
辞書類・資料集
  • 国語学会 編『国語史資料集:図録と解説』武蔵野書院、1976年4月。 
  • 国語学会 編『国語学史資料集:図録と解説』武蔵野書院、1979年4月。 
  • 国語学会 編『国語学大辞典』東京堂出版、1980年9月。ISBN 4490101333 (改題・新版、2018年10月。ISBN 9784490109009
  • 林巨樹・池上秋彦 編『国語史辞典』東京堂出版、1979年9月。 
  • 岩澤和夫編著『楫取魚彦資料集』たけしま出版、2001年5月。ISBN 4925111124 
  • 計量国語学会 編『計量国語学事典』朝倉書店、2009年11月。ISBN 9784254510355 (新装版、2020年1月。ISBN 9784254510645
  • 佐藤武義・前田富祺 編『日本語大事典(上巻・下巻)』朝倉書店、2014年11月。ISBN 9784254510348 
  • 斎藤純男・田口善久・西村義樹 編『明解言語学辞典』三省堂、2015年8月。ISBN 9784385135786 
  • 木部暢子 編『明解方言学辞典』三省堂、2019年4月。ISBN 9784385135793 
  • 森山卓郎・渋谷勝己 編『明解日本語学辞典』三省堂、2020年5月。ISBN 9784385135809 
  • 沖森卓也 編『図説日本の辞書100冊』武蔵野書院、2023年9月。ISBN 9784838606603 
    • 沖森卓也 編『図説日本の辞書』おうふう、2008年10月。ISBN 9784273035075 
    • 沖森卓也 編『図説近代日本の辞書』おうふう、2017年9月。ISBN 9784273038083 

関連文献

関連項目

外部リンク