統語論

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統語論(とうごろん)あるいはシンタクス (syntax) とは、ヒト言語に見られる[1]を構成する仕組み[1]のことである。また、それを扱う言語学の一分野のことも指す[1]統辞論(とうじろん)、構文論(こうぶんろん)とも。

統語論は文法音韻論(音の仕組み)、形態論(語が構成される仕組み)などを含む、言語の構造を成り立たせている諸原理] の一部である[1]。ただし、特に統語論のことを指して「文法」ということもある[1]

統語論は、ある要素と別の要素を結合させるが、その要素とは音と意味の結びついたものであり、そのような要素が収められている部門をレクシコン(あるいは辞書)と呼ぶ。統語論とレクシコンの関係は議論の多い問題であり、ここではそのいくつかを取り上げるにとどめる。基本的性質としてコンセンサスが得られているのは、統語論は音と意味を「見ない」ということであり、「見る」のは統語範疇とそれに関連する統語的な素性だけである。[要出典]問題になるのは、統語論が対象とする要素の種類である。

もっとも極端な立場は、統語論がレクシコンから取り出すのは語のみである、というものである。この立場では、統語論に拘束形式が紛れ込むことはあり得ない。このため、屈折語であれ膠着語であれ、統語論が対象とするのは拘束形式が一切取り残されないような要素である。日本語で言えば、述部がいかに複雑であっても、分割された要素が拘束形式になってしまう場合、それは統語論の扱う対象とはならず、形態論の対象であるとする。ロシア語の研究の影響を受けた日本語研究者の中にこの立場を見出すことができるだろう。

中庸と言える立場は、統語論で扱う動機がしっかりしていれば拘束形式であっても統語論の対象となるというものである。例えば、ロマンス語接語は、自由形式である代名詞に対応したり、属格名詞に対応したりする。これらの一方を形態論で、もう一方を統語論で扱う、というやり方は一般性を欠く。ある環境で音韻論的な扱いを変える、ということで済むならば、一般性を保持する形でやるというのが望ましく、このような方法で統語論で扱われる、という選択がなされる場合がある。

もう一方の極端な立場は、レクシコンは統語論への入力となるのではなく、その逆に統語論がレクシコンへの入力となるというものである。生成意味論はこの立場を鮮明に表明したものといえ、分散形態論もこの立場に近い。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e Tallerman 2011, p. 1

参考文献[編集]

  • Givón, Talmy. 2001. Syntax: an introduction. Amsterdam: John Benjamins Publishing.
  • Moravcsik, Edith (2006) An introduction to syntax. London: Continuum.
  • Tallerman, Maggie (2011) Understandin syntax. 3rd ed. London: Hodder Education.
  • Van Valin, Robert D. Jr. (2001) An introduction to syntax. Cambridge: Cambridge University Press.