泉井久之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

泉井 久之助(いずい ひさのすけ、1905年7月2日 - 1983年5月28日)は、京都大学を中心に、第二次世界大戦前後に活動した言語学者である。

専門の印欧語のみならず、世界の古今東西の言語にもまた通じていた。特に戦前3回にわたって実地調査を行ったマライ=ポリネシア諸語においては、それまで世界の学者が漠然と考えていた系統問題を、確立された方法論を以て解明した。

また、言語を表面的に取り扱うだけでは充分ではなく、その底には常に「哲学」がなくてはならないとの考えを持っていたからこそ、『フンボルト』(その改訂版『言語研究とフンボルト』)の著作がある。

目次

[編集] 経歴

  • 1905年7月2日 大阪市天王寺に生まれる
  • 1928年3月31日 京都帝国大学卒業(文学部、言語学科)
  • 1928年4月1日 同大学院入学(1931年3月まで)
  • 1931年3月21日 同大学文学部講師
  • 1936年10月15日 同大学助教授
  • 1938年7月、1939年12月、1941年7月 3回にわたり南洋群島へ調査
  • 1942年12月 仏領印度支那(ベトナム)へ調査
  • 1946年12月 文学博士
  • 1947年4月30日 京都帝国大学文学部教授
  • 1948年11月8日 同大学付属図書館長
  • 1950年9月 米国へ出張
  • 1957年7月 ノルウェーへ出張(第8回国際言語学者会議出席のため)
  • 1957年8月 京都大学評議員
  • 1957年8月 米国・メキシコへ出張
  • 1963年1月 日本学術会議会員
  • 1963年1月 京都大学大学院文学研究科担当
  • 1964年3月 東京外国語大学付設アジア・アフリカ言語・文化研究所開設準備員、引き続き運営委員(1976年に至る)
  • 1964年11月 タイ連合王国スペインフランスイタリア出張
  • 1967年8月 ルーマニアへ出張(第10回国際言語学者会議へ出席・発表のため)
  • 1968年4月 Academia Latina di Roma会員
  • 1968年11月 大韓民国へ出張
  • 1969年3月 京都大学定年退職
  • 1969年4月 同大学名誉教授、京都産業大学教授
  • 1970年4月 京都産業大学外国語学部長
  • 1971年11月 紫綬褒章受勲
  • 1975年11月 勲二等瑞宝章受勲
  • 1977年4月 日本言語学会会長
  • 1978年4月 京都産業大学付設国際言語学学科研究所創設、所長
  • 1980年4月 同大学名誉教授
  • 1983年5月28日 永眠

(出典:堀井令以知「泉井久之助先生(1905-1983)」『言語研究』1983年1に所収)

[編集] 主要著書

『フンボルト』(1938年7月、弘文堂書房)
田邊元監修の「西哲叢書」の1冊として出版。泉井が世に表した第1作といってよい。ヴィルヘルム・フォン・フンボルト(1767-1835)の生涯を、その時代とのかかわりを通じて詳説したもの。単なる伝記ではなく、特に「言語研究」と題した127ページからの後半は、フンボルトの言語研究の成果を、泉井自身の言葉であらわした個性の強い、しかし客観性を失わない作品といってよい。
『言語研究とフンボルト』(1976年11月、弘文堂)は、本書の補充・改訂版である。詳細は後述。
『言語の構造』(1939年8月弘文堂書房、1967年紀伊国屋書店)
古今東西の多くの言語を習得した泉井が、「言語の構造とその機能は、先ず理論的に予設せられた如何なる合理的な「体系」にも、常にははまり切らない」(1967年版まえがき、ii)との考えから、多くの実例と深い思考をもって、言語の実際に立ち向かった著書である。そして、「おおくの種々姓にわかれる世界の新古の言語の下に、やはり1つの人性の言語としての大きな統一がある」、つまりフンボルトの言う「一つの言語」(Eine Sprache)を認めないではいられない。(同133頁)
本書は、極めて抽象的な「空論」に満ちた著作の逆であり、本書で挙げられる実例は日本語・印欧諸語はもちろん、中央オーストラリア・アランタ語ジョルジュア(グルジュア)語アラブ語トラック諸島の言語にまで驚くべき広がりをもっている。
1967年版には、「二重主語の構文と日本語」「言語年代論批判」「上代日本語における母音組織と母音の意味的交替」の3篇の論文も収められている。
『言語学論攷』(1944年1月、敞文館。その後『一般言語学と史的言語学』と改題)
泉井がそれまでに発表した論文・雑記などをまとめた論集。若き泉井がいかに言語と言語学に取り組んでいたかを知るうえでも、興味深い論集である。たとえば、論文「最近佛蘭西言語学界の展望」は、フランス言語学会の趨勢を記述したものだが、泉井が史的言語学をはじめ一般言語学、特殊言語学、音声学をはじめ、中国音韻学の進展まで正確に把握していたことは、当時の通信事情を考えると、驚くほどである。(なお、本論には、泉井がついにまみえることのなかった師、アントワーヌ・メイエ〔1868-1936〕の追悼文も収録されている。)
『言語民俗学』(1947年6月、秋田屋)
1938年から 1941年にかけて3回にわたって調査した内海洋と、1942年に赴いたベトナムでの経験を基礎として、「言語民俗学は要するに言語的等象線を準縄とし拠りどころにとして、時間的に空間的にさまざまの面から、民族なる人間現象を考察せんとする」(34頁)学問を提唱した。ほかに、「言語の構造について」と「国語と方言」が収録されている。
『南魚星』(1948年3月、高桐書院)
上記の内海洋とベトナムでの経験などをまとめた随筆集。(当時の状況を反映して、紙質・製本が悪いだけでなく、筆者の所蔵するものは最初の14頁が落丁している)
『古典と現代』(2005年9月〔復刻〕、ゆまに書房)
『比較言語学研究』(1949年、創元社)

上記の通り3回行った内海洋(ミクロネシア)の言語調査の成果を、比較言語学(比較文法)の手法を用いて分析したもの:である。特に、それまで世界の学界においても曖昧であったトラック語ヤップ語パラオ語チャモロ語の帰属を、明確な根拠を示しながら解明した功績は大きい。

『ラテン広文典』(1952年2月、白水社。2005年8月、新装復刊、白水社)

ラテン語の入門・文法書。序説、文法、補説、語彙に分かれる。文法には練習問題がついており、また途中からオウィディウスの『変身の賦』及びネポースの『ハンニバル』が教材に取り上げられ(初学者用に書き改めてある)、楽しく学習できるように工夫されている。

『マライ=ポリネシア諸語』(1952年、研究社。『世界言語概説 下巻』に所収)
マライ=ポリネシア諸語(南島諸語)のうちミクロネシア諸語を、音韻対応と文法現象(主に所有表現)を根拠に系統関係を解明した。それと共に、マライ=ポリネシア諸語の音韻・語詞構成・文法体系などを余すところなく論じた。巻末に古期ジャワ語マライ語、チャモロ語、トラック語、サモア語の例文を付す。
(なお、『マライ=ポリネシア諸語』(1975年、弘文堂)に本編の補充・改訂編が含まれている)
『言語の研究』(1956年6月、有信堂)
「日本語と南島諸語―系譜関係か、寄与の関係か」など、日本語の起源が論じられる際に、いまだに必読図書の1つに数え上げられる論文などを含んだ論集。「日本のローマ字問題」など、戦後間もない当時の問題に関する論考も5編収められている。
『ヨーロッパの言語』(1968年12月、岩波新書、岩波書店)
これまでの類書が、言語名の羅列と、外面的な歴史の説明に終始してきたことに不満であった泉井が、各言語の内部関係に立ち入り、それを有機的にまとめあげた。アルバニア語バスク語ジプシー語といった小言語も丁寧に取り扱われているだけでなく、ウェネティー語といった印欧語学的に見ても注目されることの少ない言語をも取り上げている。
『切利支丹における日本語学の潮流』
『言語の世界』(1970年7月、筑摩書房)
泉井の京都大学退官記念出版で、それまでに書かれた物の中から23編の論文と、京都大学最終講義が収録されている。(なお、具体的な選択を行ったのは、崎山理である)本書の構成は、I.言語学理論一般 II.企画言語学と諸言語の研究 III.書評 IV.欧文論考 V.言語の内界(最終講義)となっている。なお「最終講義」では、多くの話題に触れながらも、最後にアリストテレスの『形而上学』中の一語phūsisに言及し、それまで不可解であった語の解明を行っている。
『マライ=ポリネシア諸語―比較と系統』(1975年7月、弘文堂)
『世界言語概説 下巻』(及び上記『言語の世界』に再録)に執筆したものを補充・改訂した「マライ=ポリネシア(南島)諸語概説」と、7編の論文からなる。7編のうちには、『比較言語学研究』から再録(修正)したものもある。また、「日本語と南島(マライ=ポリネシア)諸語」も、『言語研究』からの再録であるが、やはり補充されている。
『言語研究とフンボルト』(1976年11月、弘文堂)

『フンボルト』(1938年7月、弘文堂書房)を全面的に改訂したものであり、泉井自身も「その後の考究によって、全面にわたって構成をあらため、各部分にわたって全面的に改変した」と言っているが、修正は主に加筆であって基本的な著述態度に変更はない。ただ、1960年代以降に表れたノーム・チョムスキーを中心にした言語理論を意識した部分がかなり多くなった。

『言語研究の歴史』(1976年11月、岩波講座『日本語1』に所収)
イエズス会士の日本語研究から説き始めて、パーニニ、ギリシャ・ローマ、その後のヨーロッパに説き及ぶ、独特の言語学史。すべて原典に基づく論考だけに筆致は力強い。そして、最後に「日本語の起源」論争に触れ、「ひとは日本語を玩具にしてはならない。「比較」ばかりが日本語の問題ではない」と警告を発した。
『印欧語における数の現象』(1978年5月、大修館書店)
月刊『言語』に連載(1974.4 - 1975.9、原題「尋言究志」)されたものを単行本としたもの。これに「数詞の世界(「言語生活」1973.11掲載)を付した。トカラ語に表れる「複個数」という特別な数詞から始まり、「双数」に説き及び、ホメロスウェルギリウスダンテ・アリギエーリなどの作品を例証に、印欧語の数の問題を広く取り上げる。
『上代印欧語における完了形』

[編集] 翻訳

[編集] 主な序文

  • 下宮忠雄『バスク語入門』(1979年11月、大修館書店)
  • 崎山理『南島語研究の諸問題』(1979年10月、弘文堂)
  • 関本至『現代ギリシャ語文法』(1968年6月、泉屋書店)

[編集] 3冊のことばの本

月刊『言語』(大修館書店刊行)が、1977年5月号で当時の著名な言語学者に「かつて最も印象深く読まれた言語学及び言語論の図書を三点挙げていただき、簡単な感想をつけて」もらう特集を組んだ。泉井はそれに、以下の3点を挙げている。(なお感想も省略して付記する)

  • フンボルト『全著作集』
    • 「全集を読む必要がある。」
  • ソシュール『印欧諸語における原初の母音体系についての覚え書』
    • 「私の学生時代に最大の刺激になったもの。」
  • メイエ『印欧語比較研究入門』
    • 「私はこの書物を読みつぶして今三回目の購入本をしようしている。」

なお、泉井は最後のメイエ『印欧語比較研究入門』を臨終の直前まで手放さず、4回目の購入本を使用していたという。(下宮忠雄『言語学I,英語学文献解題第1巻』、研究社、p.180)

[編集] 主な論争・公開質問

[編集] 服部四郎と「言語年代論」を巡って

「数理といわゆる言語年代論の有効性について」(『言語の構造』所収)、「放射能半減期の公式とスウオデッシュの「言語年代論」」(『言語の世界』所収)の両論文における言語年代論者の服部四郎の議論に対し、基礎となる放射能半減期の公式の意味を正確には理解しないまま比較言語学に持ち込もうとしている、として批判した。

[編集] チョムスキーと「語順」について

Chomsky, Topics in the Theory of Generative Grammar, The Hague-Paris, (Mouton), 1966に対する泉井の書評、及びChomskyの回答(共に原文のまま『言語の世界』に所収)によれば、両者の語順のinversion(倒置)に対する考え方が、決定的に異なっていた。「Chomskyはさまざまの‘inversion’は、同一の‘deep structure’のsurface aspectsにすぎないと見るのに対し、私はdeep activitiesが違えばこそsurface aspectsも変わって来ると考える。(『言語の世界』、p.391)

[編集] 風間喜代三と『ヨーロッパの言語』を巡って

風間喜代三「わたしの読んだ本 泉井久之助『ヨーロッパの言語』」(「言語生活」1969年11月号)、泉井久之助「『ヨーロッパの言語』追い書 風間喜代三さんの紹介に応えて」(「言語生活」1970年3月号)において、ラテン語のnātūraの語源解釈をめぐって、「あまりに理論的に過ぎる」とした風間に対して、泉井はあくまで譲らなかった。

[編集] 関連項目・図書

  • 西田龍雄「泉井久之助先生と言語研究」(『言語研究』1973年)
  • 関本至「泉井先生の思い出」(同上)
  • 堀井令以知「泉井久之助先生(1905〜1983)」(同上)
  • 梅棹忠夫『実戦・世界言語紀行』(岩波新書205、p.20,25)
  • 下宮忠雄「泉井久之助先生ご生誕100周年記念会報告」(「言語」2006年3月号)