鈴木早智子

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鈴木 早智子
出生名 鈴木 早智子
生誕 (1969-02-22) 1969年2月22日(49歳)
出身地 日本の旗 日本東京都
ジャンル アイドル歌謡J-POP
職業 歌手女優タレント
担当楽器 ボーカル
活動期間 1988年 -
レーベル ポリスター
1988年 - 1996年頃)
バンダイ・ミュージックエンタテインメント
1998年 - 2000年
What's Up? Group
2003年
事務所 アップライトミュージック
1987年-1994年
P-ARTISTS
1994年-1996年
マンリープロモーション[注 1]
1996年頃)
尾木エージェンシー
1997年頃)
ネバーランド[注 2]
1998年頃 - 2002年頃)
オレガ
2003年頃 - 2008年頃)
エグゼ
2008年頃 - 2013年
センス・プロダクション
2013年 - )

鈴木 早智子(すずき さちこ、1969年2月22日[1] - )は、歌手女優タレント1988年から1996年まで活動したアイドルデュオWink(現在活動停止中)のメンバー。本名同じ[2][注 4]。別名、東 智子[注 5]、Miyoko.A[注 6]。愛称はさっちん[注 7]東京都出身[6][注 8]。身長157cm[7][注 9]。血液型A型[1]センス・プロダクション所属[7]

来歴[編集]

誕生からWink結成まで(1969年 - 1988年)[編集]

1969年2月22日23時8分[8]、誕生。出生地を愛知県名古屋市とする文献もあるが[9][注 11]、鈴木の自著では、出生地は東京都目黒区[11]幼稚園の年長組に上がる頃に埼玉県草加市へ転居[12]1989年初頭におけるWinkの「愛が止まらない」のヒット後に、東京で単身生活を始めたとする[13][注 13][注 14]。3兄弟の長女(4歳下に弟、8歳下に妹)[17]。小学2年生の時から歌手に憧れていた[18]

中学生の時にアニメソングオーディションに合格するも辞退[19][注 15]

1984年、東京都内の高校へ進学して間もなく歌手を目指して休学し、同年内に一時的に青山の芸能事務所[注 16]に所属[21]

1985年頃、高校を退学し、その直後頃からアルバイト[注 17]の傍ら笠井幹男のボーカル・スクールでレッスンを受けるようになる[22]

1986年、第1回「ロッテCMアイドルは君だ!」コンテストに出場し、最終選考まで残るもグランプリを逃した[23][注 19]

同年11月2日、成城大学の学園祭において開催された、青年誌『UP TO BOY』(ワニブックス)の「ミス UP FESTIVAL in SEIJO UNIV.」に東 智子の名を以ってエントリーし、ミス・アップ第7代グランプリを受賞[25][注 20]。翌年発売された同誌1987年3月号のグラビアに、名を本名の鈴木早智子に改めて登場し、5月号で表紙と巻頭グラビアを飾る。この年、同誌の鈴木のグラビアを目にしたアップライトミュージック社長森裕平が、芸能事務所に属していなかった鈴木を、設立したばかりの自社に所属させた[27]。しかしながら、同社における鈴木の主な仕事は当初、電話番やスケジュール管理などの雑務であり[28]、翌1988年1月に端役としてテレビドラマに出演するなどした以外、Winkを結成するまで目立った芸能活動は無かった[29]

Wink時代(1988年 - 1996年)[編集]

1988年、ミス・アップ第9代グランプリである相田翔子[30]とWinkを結成し、4月27日のシングル「Sugar Baby Love」発売を以って歌手デビュー。Winkの各アルバムには、『At Heel Diamonds』(1988年12月1日発売)を除き鈴木のソロ曲が1曲または2曲収録されており、クール・アンド・ザ・ギャングのカバーや来生たかおの提供曲などを歌っている[31]

1990年12月22日公開の映画『きんぴら』に単独出演するが、この時期にはそれ以外のソロでの活動は見られない[29]

1991年11月25日発売のアルバム『Sapphire』以降、Winkの活動期間中には、Miyoko.A名義で3曲、鈴木早智子名義で2曲の作詞を手掛けた[31][注 21]

1992年3月25日、Wink時代唯一のソロ・アルバム『Mode』を発売[31]。この年に特に集中的に、テレビドラマの脇役やバラエティ番組のゲストなどとして、単独でテレビ番組に出演している[29]

1993年10月20日より翌年9月までの1年間、『志村けんはいかがでしょう』(フジテレビ系)のコントにレギュラー出演[注 22]、テレビドラマ以外ではWink時代唯一のテレビ番組単独レギュラー出演となった[29]

1995年3月18日より26日まで公演された舞台『怪盗チェリーのレストラン』で、主演としてチェリー役を演じ、初めての舞台出演を果たす[32][29]

1996年3月31日、Winkが活動停止。

マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期(1996年 - 2002年頃)[編集]

Winkの活動停止後は、1996年はマンリープロモーション[33][注 1]1997年頃から尾木エージェンシー[35]、次いで1998年頃からネバーランドに所属[36][注 2]

Wink活動停止後にレコード会社ポリスターとの契約が無くなったため新曲が出せなくなり[34][注 23]、暫くは、営業でWinkの楽曲を歌唱するというかたちでの歌手活動はあったものの、映画や舞台、テレビ番組への出演など、女優やタレントとしての活動が芸能活動の中心となっていた[37][29]。そのさなかである1998年5月31日より、テレビ東京リアリティ番組ASAYAN』の企画「再起に賭ける芸能人オーディション」に出演[注 24]。その企画内容は、小室哲哉プロデュース権を賭けて、鈴木を含む「再起に賭ける芸能人」女性たちがニューヨークで共同生活をしながらレッスンを行なうというものであったが、鈴木は共同生活を拒否したり、レッスンの途中で退場したりするなど、周囲と同調しない様子を見せ、レッスン後半、他からCDリリースの打診を受けたという理由により、中途帰国してこの企画を離脱している模様などが放送されている。テレビの視聴者層には、この番組によって惹起された鈴木の人格に対する悪印象によって、その後の芸能活動が制限されたと見て取っている者も少なくない[38]。鈴木自身は後に、この番組は、当初より台本があったのみならず、鈴木の与り知らないところで彼女を「悪役」として仕立てる編集がなされていたことなどを述べ、その不当性を述懐した[39][注 25]

同年10月28日、バンダイ・ミュージックエンタテインメントよりWink活動停止後初のソロ・シングル「INNOCENT SKY〜悲しみも届かないあの空の向こうへ〜」を発売[31]

2000年5月末、バンダイ・ミュージックエンタテインメントが解散したが、その後、ネバーランド在籍中においては新譜を出しておらず[31]、当該期においては、総体的には女優やタレントとしての活動が主な芸能活動となった[29]

オレガ在籍期(2003年頃 - 2008年頃)[編集]

2003年初頭前後よりオレガに所属[41][注 27]

2003年12月10日、インディーズ・レーベルであるWhat's Up? Groupより、Wink活動停止後初のソロ・アルバム『零〜re-generation〜』を発売[31]。これを記念し、翌2004年の2月28日と5月28日に、「零〜re-generation〜TOUR2004」と題して、やはりWink活動停止後初のライブツアーを行なっている[42]

2005年にはアルバム作成の意向を示してはいたものの[43]、オレガ在籍中に新譜を出すことはなく[31]、やはり女優やタレントとしての活動が主要な芸能活動となった[29]

エグゼ在籍期(2008年頃 - 2013年)[編集]

2008年4月に、エグゼに移籍したとも言われる[44]

この年の12月30日、『第50回日本レコード大賞』に相田翔子と2人でWinkとしてゲスト出演し、「淋しい熱帯魚」を歌唱[45]

2009年3月31日、薬物服用により救急搬送されたと報じられ[注 29]、自殺未遂かなどと憶測を呼んだが、同日中に会見を開き、日頃の睡眠不足によって安定剤を服用した旨など、その経緯を説明した[46]

同年9月1日発売のDVD『September Shock』に出演。本作品は、その発売前に、メディアから「AV」あるいは「ソフトAV」などとセンセーショナルに報じられたが[47]、発売元のMUTEKIは当該作品を「AV」であるとはしておらず[48]、また鈴木自身は、この出演作品が「AV」ではない旨を主張している[49]

2010年6月17日発売の『週刊文春』(文藝春秋)で、俳優津田英佑と4年にわたって不倫関係にあったと報じられ、この影響により、同月20日に自身のブログで当面の芸能活動自粛を発表[50]。自粛中の7月から9月の間に、初の自叙伝『負けじ魂』を執筆[51]、11月6日に出版し、翌日の著書発売記念イベントで、不倫の否定と芸能活動復帰の発表を行なった[52][注 32]

復帰後は、2011年の前半まで若干のテレビ番組に出演するなどした後[54][注 34]、およそ一年の空白期間を経て[注 35]2012年半ば頃に地方での営業などのかたちで活動を再開[注 36]

エグゼ在籍中の前半期には、スキャンダラスな動向が立て続きつつも、女優やタレントとしての活動が従来通り継続していたが[29]、エグゼが衰退する時期でもある在籍後半期には[注 37]、芸能活動が著しく縮小した。

センス・プロ在籍期(2013年 - )[編集]

2013年1月よりセンス・プロに所属[65]

この年、キー局のテレビ番組2本に出演するなどしたが[29][54]、その後、芸能活動が暫く途絶。

2016年5月15日、活動を再開[66]

2017年8月12日放送開始の『心霊呪殺 死返し編』(CSエンタメ〜テレ☆シネドラバラエティ)に出演、8年ぶりのテレビドラマ出演を果たした[29][注 40]

出演[編集]

※すべて単独での出演。Winkとしての出演番組、CM等はWinkを参照。
※鈴木が2000年以降に出演したキー局のテレビ番組の大部分については、外部リンク「鈴木早智子のTV出演情報」(『ORICON NEWS』)で番組名・放送局・放送日・放送時間が確認できる。

テレビドラマ[編集]

★Wink結成前

★Wink時代

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期

★オレガ在籍期

★エグゼ在籍期

★センス・プロ在籍期

テレビ番組(レギュラー・準レギュラー出演)[編集]

★Wink時代

★ネバーランド在籍期

  • ASAYAN(テレビ東京系、1998年5月31日 - 10月25日 毎週(日))[注 24]

★オレガ在籍期

テレビ番組(ゲスト出演)[編集]

※テレビのゲスト出演番組多数のため、外部リンク「鈴木早智子のTV出演情報」(『ORICON NEWS』)でキー局でのテレビ出演の大部分が確認できる2000年以降については、#来歴の記述を裏付けるもののほか、特筆すべきもののみを抄録。

★Wink時代

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期(2000年以降は省略)

★エグゼ在籍期(抄録)

★センス・プロ在籍期

  • スター☆ドラフト会議(日本テレビ系、2013年2月5日(火))
  • カスペ! - 木村藤子のキセキ相談! 美女たちのターニングポイントSPII(フジテレビ系、2013年6月4日(火))

CM[編集]

★Wink時代

★エグゼ在籍期

  • 宝仙堂 凄十・男子応援キャンペーン(キャンペーン実施期間:2009年11月12日(木) - 2010年2月10日(水))[72]

映画[編集]

※鈴木の出演映画については、外部リンク「鈴木早智子(スズキサチコ)の映画作品」(『Movie Walker』)「鈴木早智子」(『ぴあ映画生活』)なども参照。

★Wink時代

  • きんぴら(東映、監督:一倉治雄、1990年12月22日(土)公開)- 松本千代 役

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー在籍期

  • 勝手にしやがれ!成金計画(ケイエスエス、監督:黒沢清、1996年9月7日(土)公開)- 三奈子 役
  • ROMANTIC MANIA ロマンティック マニア(ケイエスエス、監督:サトウトシキ、1997年10月公開 初主演映画)- 林英子 役(主演)

★オレガ在籍期

  • 逆鱗組七人衆(さざ波、監督:市川徹、2005年9月10日(土)公開)- 山田ハルコ 役

★エグゼ在籍期

オリジナルビデオ[編集]

★エグゼ在籍期

  • 熱帯 濡れた監禁 女探偵 神楽明日香 (ATTACK ZONE、2009年5月7日(木))- 神楽明日香 役(主演)

インターネット番組[編集]

★エグゼ在籍期

  • コイカツ 恋愛ノウハウトークライブvol.2(マシェリバラエティ マシェバラ、2010年11月5日(金))[73][出典無効]

舞台[編集]

★Wink時代

★尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期

  • ピアニスト~クララ・シューマン物語~(1997年10月 - 12月 於 青山劇場 ほか)[76]
  • PINO〜ピノキオ〜(2000年 於 東京芸術劇場 ほか)[注 74]
  • Annie(2001年4月28日(土) - 9月2日(日) 於 青山劇場 ほか)- グレース 役[78]

★オレガ在籍期

★エグゼ在籍期

★センス・プロ在籍期

ディスコグラフィ[編集]

Winkとしてシングル25枚、アルバム25枚発売(Wink#作品参照のこと)

シングル[編集]

★Wink時代

  • La Gioconda[注 76]ポリスター、1996年2月25日)
    1. ラ・ジョコンダ(作詞: 及川眠子 作曲: 井上大輔 編曲: 菅原弘明
    2. 眠り姫でいたくない (作詞: 及川眠子 作曲: 井上大輔 編曲: 木本靖夫
    3. ラ・ジョコンダ(オリジナル・カラオケ)
    4. 眠り姫でいたくない(オリジナル・カラオケ)

★ネバーランド在籍期

アルバム[編集]

★Wink時代

  • Mode(ポリスター、1992年3月25日)
    1. ラスト・ダンスは頬よせて(作詞: 及川眠子 作曲: 森若香織 編曲: 門倉聡
    2. 1999年の退屈(作詞: 及川眠子 作曲: 赤城忠治 編曲: 十川知司
    3. ハリウッドな恋にして(作詞: 及川眠子 作曲: 羽田一郎 編曲: 門倉聡)
    4. 最後の楽園(原作詞・曲: Crivellente / Farina / Bindella 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子) Prima Vera「Play To Love」のカバー
    5. TRANSFER(作詞: 及川眠子 作曲: 工藤崇 編曲: 門倉聡)
    6. 不実な仔猫たち(原作詞・曲: Barry Goldberg / Sylvia St. James / Roxanne Seeman 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子) アメリカソープオペラSanta Barbara英語版』の劇中歌「The Hotter The Night」のカバー

★オレガ在籍期

Winkのアルバム内におけるソロ曲[編集]

Moonlight Serenade』(1988年7月1日)第7曲
  • Take Me To Heaven(原作詞・曲: M. Ingman / B. Glenmark 編曲: 船山基紀 日本語詞: 及川眠子)
Especially For You〜優しさにつつまれて〜』(1989年4月25日)第5曲 アニカ・ブルマンの同名曲のカバー
  • 優しく愛して…(原作詞・曲: Ben Findon / Mike Myers 編曲: 若草恵 日本語詞: 森雪之丞
『Especially For You〜優しさにつつまれて〜』第9曲 ノーランズ「Let's Make Love」のカバー
  • Joanna(原作詞・曲: Charles Smith / James Taylor 編曲: 船山基紀 日本語詞: 及川眠子)
Twin Memories』(1989年12月1日)第9曲 クール・アンド・ザ・ギャングの同名曲のカバー
  • あの夏のシーガル 〜Cherish〜(原作詞・曲: Ronald Bell / James Taylor / Kool & The Gang 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子)
Velvet』(1990年7月11日)第7曲 クール・アンド・ザ・ギャング「Cherish」のカバー
『Velvet』第9曲
Crescent』(1990年12月16日)第4曲 キッス「I Was Made For Lovin' You」のカバー
  • 一年前の恋人(作詞: 竜真知子 作曲: 来生たかお 編曲: 門倉聡)
Queen of Love』(1991年7月10日)第4曲
『Queen of Love』第7曲
  • 聖なる夜に帰れない(作詞: 森本抄夜子 作曲: 広谷順子 編曲: 門倉聡)
Sapphire』(1991年11月25日)第4曲
  • ほんの小さな勇気(作詞: Miyoko.A 作曲: 尾関昌也 編曲: 門倉聡)
『Sapphire』第6曲
  • 未来まで待てない(原作詞・曲: James C. Brown / John A. Butler 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子)
Each side of screen』(1992年4月25日)第6曲 Roxanne「Burning Through The Night」のカバー
  • Only One(作詞: 及川眠子 作曲: 門倉有希 編曲: 門倉聡)
Nocturne 〜夜想曲〜』(1992年11月26日)第6曲
Αφροδιτη』(1993年6月25日)第4曲
  • I Wanna Leave You(作詞: Miyoko.A 作曲・編曲: 門倉聡)
『Αφροδιτη』第9曲
  • 誰も知らない(作詞: 芹沢類 作曲: Osny Melo 編曲: Ian Prince)
BRUNCH』(1993年11月26日)第4曲
  • あなたへの想い(作詞: 鈴木早智子 作曲: 来生たかお 編曲: 小林信吾
『BRUNCH』第8曲
  • days(作詞: 鈴木早智子 作曲: 大平勉 編曲: Brett Raymond)
overture!』(1994年7月1日)第9曲
  • 永遠に…(作詞: Miyoko.A 作曲: 尾関昌也 編曲: 門倉聡)
voce』(1994年12月1日)第9曲
  • 悲しみよりもしたたかに 〜MY TURN〜(作詞・作曲: Jan Anna August Leyers / Werner Pensaert 編曲: Teddy & Melvin 日本語詞: 及川眠子)
Flyin' High』(1995年7月5日)第5曲 TASHA「MY TURN」のカバー
  • 私の夏が始まる(作詞: 芹沢類 作曲: 尾関昌也 編曲: 田原音彦
『Flyin' High』第6曲

その他[編集]

★Wink時代

『第二回 古関裕而音楽賞-輝け緑の星・地球- 明日へ届ける心の忘れ物』(NHKプロモーション、1994年11月6日収録、非売CD)第10曲
  • ミルキー・ウェイ ~銀河旅行~(作詞・作曲:菅原春美
同上 第14曲

★エグゼ在籍期

鈴木の主演映画『宿命のジオード』(2010年2月20日公開)主題歌 共演者津田英佑とデュエット

写真集[編集]

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期

★オレガ在籍期

★エグゼ在籍期

書籍[編集]

★エグゼ在籍期

DVD[編集]

★オレガ在籍期

★エグゼ在籍期

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ a b Winkがその活動停止まで所属していたP-ARTISTSが、社名変更したもの[34]。当注釈は、本『Wikipedia』の「ネバーランド (芸能プロダクション)」の項が、確たる典拠に基づいた信頼性のある記述になるまでの、当座の参考として附すものである。
  2. ^ a b 1997年度版から1999年度版の『TVスター名鑑』(東京ニュース通信社)「鈴木早智子」の項では、マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランドの三事務所の住所が同じであり(千代田区三番町7-13〈三番町パークマンション〉201)、また尾木エージェンシーとネバーランドの電話番号が同じであって(03-5210-4530)、これら事務所には同一性がある。当注釈は、本『Wikipedia』の「ネバーランド (芸能プロダクション)」の項が、確たる典拠に基づいた信頼性のある記述になるまでの、当座の参考として附すものである。
  3. ^ 2011年版以降、および2009年版など2010年版以前の一部では、「鈴木早智子」が立項されていない。
  4. ^ 鈴木は自身の名付けにつき、「『早智子』という名前は、両親がとっても尊敬している先生につけてもらった。どういう意味があるのかは、わからない」と独白している[3]
  5. ^ 1986年11月2日に開催された「ミス UP FESTIVAL in SEIJO UNIV.」にエントリーした際の名[4]。『UP TO BOY』1987年5月号p.4に、「友だちに借りた名、東智子」とある。この雑誌の各号にはいずれも名前の読み方は示されていないが、1987年1月号pp.49-50では、「東」と「智」の間にスペースが空けられている。
  6. ^ Winkの活動期間中における作詞用のペンネーム。Winkのファンクラブ会報『Winkers Party』第25号(1993年8月)p.2のインタビューにおいて鈴木は、Winkのアルバム『Αφροδιτη』(アプロデーテ)所収の「I Wanna Leave You」の歌詞が自作のものであることを述べているが、前記アルバム付属のブックレットでは、同曲の作詞が「Miyoko.A」と記される。
  7. ^ この愛称は、『UP TO BOY』1987年3月号p.23に「サッチン」とあるように、1988年のWink結成前からのもの。なお、表記として、ほかに「早っちん」[5]などがあるが、愛称は元来、口頭の会話において使用されるものであるため、正式な表記があるわけではない。
  8. ^ 鈴木自身が何らかのかたちで関与をしているはずの出身記載の中には、「profile」(『鈴木早智子公式HP』)(2017年8月30日閲覧)のように、「埼玉県」となっているものもあるが、彼女の出身地としては、東京都も、埼玉県も、いずれも正しい。本文において出身地を「東京都」としているのは、便宜的なものである。「出身」という語の指し示す範囲は、三省堂の『新明解国語辞典』(第7版)の「出身」の項に、「その土地で生まれていたり その地域に本籍(実家)があったり 在住していたり あるいはその学校を出たというような経歴があったり すること」(引用原文中の記号を省略)とある通り、広いものである。鈴木にとって、東京都も、埼玉県も、前記の「出身」の定義に該当する地であることは、#来歴を参照。
  9. ^ 過去の鈴木の身体サイズについては、Wink結成と関わりが深い、ワニブックスの隔月刊女性アイドル雑誌『UP TO BOY』、および同誌の記事を多く含む、同社刊のWinkのムック本『Twinkle Angels』に掲載されたものを示すと、以下の通りである。
    ・身長157  体重- B78 W59 H85
    (『UP TO BOY』1987年1月号p.50、3月号p.24、5月号p.11)
    ・身長157  体重43 B78 W59 H83
    (『UP TO BOY』1988年5月号p.43、7月号p.12)
    ・身長157.3 体重43 B78 W58 H85
    (『UP TO BOY』1989年3月号p.91)
    ・身長157.3 体重43 B79 W56 H85
    (『Twinkle Angels』、1990年4月10日、p.99)
    身体サイズは、掲載媒体によって多少の相違がある。例えば学研の月刊女性アイドル雑誌『BOMB!』では、以下のように、特に体重が『UP TO BOY』のものと異なっている。
    ・身長157  体重40  B78 W56 H85
    (1989年4月号p.71、5月号p.121、6月号p.193)
    ・身長157  体重40  B78 W56 H86
    (1989年9月号p.30)
    その後の体重に関して、『明星』1991年1月号p.55に、「夏のコンサート・ツアーが終わってから、しばらくのんびりしてたの。そしたら、8kgも太っちゃって、43kgに!」という鈴木の独白がある。
    鈴木の身体に関してはそのほか、『UP TO BOY』1989年3月号p.91に視力が右1.0・左0.99、『Twinkle Agels』p.99に右1.0・左0.09とあり、『BOMB!』1989年5月号p.119には、Winkは「ふだんは2人ともメガネ。ただし、翔子ちゃんのはダテなのだ」と記される。
  10. ^ 同書における鈴木の出生地記載箇所には、典拠は示されていない。
  11. ^ Winkが出演した1989年3月23日(木)放送の『ザ・ベストテン』(TBS系)において、司会黒柳徹子が「名古屋は鈴木さんのお母様のふるさと」と発言している。ただし、この時、鈴木は風邪という名目で欠場し(実際には失踪していた[10])、相田翔子のみの出演であったため、同放送ではこの件についての鈴木の発言は無い。鈴木自身やその所属事務所など直接的な関係者・団体を通して、鈴木の母が鈴木を名古屋で里帰り出産したかにつき公表した媒体は未確認。
  12. ^ 「私が生まれ育った目黒の家」という書き方をしている。
  13. ^ 鈴木が東京に転居した月は3月以降。この年の3月3日におけるWinkの仙台での活動[14]を取材した『明星』1989年5月号p.59に、彼女たち二人が「今度、引っ越しすることが決定。」と記される。なお、鈴木早智子『負けじ魂』p.95には、同年3月23日に鈴木が失踪する際、「隣の部屋だった翔子に向けて、手紙にこう書いてドアに入れたのです」との記述がある。鈴木は後にこの「隣の部屋」を「マンションの隣の部屋」と述べたが[15]、失踪事件の9日後、すなわち4月1日におけるWinkの名古屋での活動[16]を取材したと思しき『明星』1989年6月号p.140に記載の、「ひとり暮らしが、もーすぐ実現」という相田翔子の発言と矛盾しているため、鈴木らが東京で単身生活を始めたのがこの年の3月中であったかは、当面は断定できない。
  14. ^ 鈴木が東京に初めて居住した際のマンションは渋谷区恵比寿に所在[13]
  15. ^ 鈴木は自著『負けじ魂』p.46でこのオーディションを「中学1年生のとき」と記しているが、吉田豪によるインタビューでは「中学3年生のとき」と発言している[20]
  16. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』p.48では、事務所名を明示せずに「東京の青山にある事務所」と述べているが、『FLASH』1989年7月18日号の「人気爆走の2人組Wink! モデル時代の貴重写真」p.23では、中学生の時にスカウトされ、オスカープロモーションに1年半所属したのち、高校卒業直後に『UP TO BOY』のグラビアを飾ったという経歴が記されている。この記述のうち、オスカープロモーション在籍については、同事務所が青山に所在しているので、この点に限れば鈴木が著書で記したことと矛盾していないが、全体的な経歴は両者の記述の差異が大きい。前記『FLASH』記載のものが1989年における名目上の公式な経歴であったかは未確認。
  17. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』p.43に、「17歳のとき、喫茶店でアルバイトしていた」との記述があり、『明星』1989年4月号p.46に、草加市内の、鈴木が「バイトしてた喫茶店ウェンディの店長さん」と共に写る、鈴木の写真が掲載されている。
  18. ^ 鈴木の著書には高校中退がいつだったかは記されていないが、鈴木は「鈴木早智子インタビュー」で、インタビューの時点においても笠井のボーカル・スクールに通っている旨と、その「一年半位前から、ちょうど高校やめたときから習っているんですよね」ということを語っている。
  19. ^ この時のグランプリは立花理佐[24]
  20. ^ 受賞を1987年1月と誤認している言説がWinkの活動期間中には見られ[26]、後に、鈴木自身が自著『負けじ魂』p.58で、受賞を「'87年の1月」と誤記してしまっている。
  21. ^ 『ORICON WEEKLY』1991年11月4日号p.16において、Winkの音楽プロデューサー水橋春夫は、アルバム『Sapphire』で「今回は二人(Wink 編集者注)にもちょっと作詞家、作曲家としてのチャレンジをさせようかなって思っているんです」と述べているが、鈴木が作曲することは無かった。
  22. ^ a b 『ザテレビジョン 首都圏版』1993年第41号「TV番組解説」p.86には、1993年10月20日放送開始の『志村けんはいかがでしょう』について、「志村けんを中心に、モト冬樹石野陽子、鈴木早智子ら “志村ファミリー” によるスタジオ公開コント。第1回は田原俊彦、相田翔子がゲスト」とある。
  23. ^ 鈴木は自著『負けじ魂』p.158で、Winkの活動停止後に「私は社名変更したそれまでの事務所、そして翔子は新会社に行くことになりました。/同時に、私の事務所はポリスターレコードとの契約がなくなってしまったのです。/レコード会社と契約していない、ということはCDが出せないということ」(「/」は原文の改行箇所)と述べているが、Winkの活動停止後に発行された『Winkers Party』第38号(1996年)p.6におけるインタビューでは、「来年からはレコード会社も変わるので」と述べており、ポリスターとの契約解除が正確にはいつだったのか判然としない。
  24. ^ a b 読売新聞縮刷版』のテレビ番組表から鈴木の出演コーナー関係記載箇所とその放送日とを摘記すると以下の通り。
    05/21 「再起の芸能人驚きの名前」
    05/31 「再起の芸能人遂に登場・新人賞アイドル&ラブジェネ女優&紅白・レコ大受賞WのS」
    06/07 「再起へ怒トウの新展開始動・ウィンク鈴木早智子らが挑む恐怖の生き残り試練とは?」
    06/14 「再起NY生活始動‥‥しかしサッチン超問題発言・女4人の共同生活」
    06/22 「サッチンNYで号泣‥‥〝私はもう踊れない〟」
    06/28 「怒りが遂に爆発・波乱のNY先輩芸能人説教サク烈」
    07/05 「入院・NYに衝撃&小室哲哉のさらなる試練」
    07/12 「仰天・小室の衝撃計画にNY大混乱‥‥外国人合流?」
    07/19 「新展開 台湾人合格でNYに何かが起こる」
    07/26 「台湾人にキレる・号泣激怒‥‥NY一触即発」
    08/02 「激震・サッチン超緊急事態&NY路上で口ゲンカ」
    08/09 「大激白サッチン帰国リタイア全真相・マジ衝突‥‥物が飛ぶ」
    08/16 「運命の合格発表・歓びの涙‥‥しかし小室哲哉まさかの衝撃発言」
    08/23 「決着?小室哲哉と最終面談・しかし重大事実発覚&緊急発言‥‥」
    08/30 「緊急報告・小室哲哉に何が?衝撃全真相」
    09/06 「苦渋の大結論&小室哲哉緊急会見」
    09/20 「驚ガクの新展開へ・サッチン始動」
    09/27 「大試練サッチンに超難関」
    10/18 「大胆発言‥‥小室哲哉」
    10/25 「復活サッチン大熱唱」
  25. ^ 鈴木は、2006年1月18日発売の『サイゾー』同年2月号p.66におけるインタビューでは、『ASAYAN』について尋ねられた際に「あまりしゃべりたくないです」と述べ、多くを語らなかったが、同じ年の3月に収録された吉田豪によるインタビュー[40]から、「まだ消化しきれてなくて、『ASAYAN』という言葉を言えるようになったのも2年前のことなんです」としつつ語り始めるようになった。DVD『プロインタビュアー吉田豪の元○○な人々vol.2』(ポニーキャニオン、2010年10月20日)も参照。
  26. ^ 2003年2月6日更新のオレガ公式サイト『orega.net』では鈴木がオレガ所属アーティストとされているが、2002年11月25日更新のものにはその名は見えない。
  27. ^ 『TVスター名鑑』の「鈴木早智子」の項における所属事務所記載箇所では、2004年版(2003年12月1日出版)までネバーランド、2005年版(2004年12月15日出版)からオレガとなっており、情報更新が遅れている。
  28. ^ この典拠資料は、その記述の情報ソースが不明であるため、記事内容の正誤にかかわらず、留保したかたちでしか依拠することができない。
  29. ^ 例えば2009年3月31日(火)放送の『総力報道!THE NEWS』(TBS系)では、「Wink 鈴木早智子さん 睡眠薬服用し搬送」というテロップとともに、29日に救急搬送された旨が報じられた。
  30. ^ MUTEKIは、自社のこの公式サイトの記載では、「芸能人限定メーカー」を以って自己規定しているものの、「芸能人限定」の何の「メーカー」かは明言せず、『September Shock』についても、「Wink・鈴木早智子が遂に衝撃のデビュー!!」とはしているが、何の「デビュー」か明記していない。当該DVDのパッケージに「MUTEKI Debut!」という記載はあるが、「AV」の「デビュー(Debut)」と書かれていない点は、その公式サイトの記載と同じである。
  31. ^ 鈴木はここで、『September Shock』は、「翌年公開される映画(『宿命のジオード』 編集者注)のプロジェクトの1つ」としてオファーされたもので、「きちんとしたストーリー仕立てになっており、「添い遂げられなかった男女の1夜」の話」であって、「「Winkの鈴木早智子がAV女優転向」と、言われてしまったこと」については、「普通に考えて私がAV転向と言うのは、/「『ありえない』」と思ってくれなかったのかな」/とも思うのです」(「/」は原文の改行箇所)と述べている。
  32. ^ 著書の発売記念イベントの開催場所は東京都港区六本木のTSUTAYA TOKYO六本木店[53]
  33. ^ 鈴木が2000年以降に出演したキー局のテレビ番組の大部分については、この資料で番組名・放送局・放送日・放送時間が確認できる。ただし、2008年12月30日の『第50回日本レコード大賞』(TBS系)への出演[45]記載がない点から見て、完全なリストではない。
  34. ^ テレビ出演以外には、2011年2月12日(土)に渋谷クアトロで行なわれたserial TV dramaのライブのゲストなど[55]
  35. ^ 2011年半ばから翌年半ばの約1年間の動向についての資料としては、2013年2月5日(火)放送の『スター☆ドラフト会議』(日本テレビ系)における鈴木の発言がある。この番組において鈴木は、同番組放送直前のテレビ不出演期間中、「1年は、えーと、生きながらに死んでた感じですね」、「ストレスがすごい溜まっちゃって、ま、家に入院してる感じ」、「無理だと思ったんですね、あの、復帰が。復帰というか、自分のこの精神状態では、もう芸能界で仕事できないかなあとか」(そうなった理由について鈴木自身は発言していない)、「一時期声が全く出なくなっちゃったんですね」、「まあ、ちょっと、リハビリというか、頑張ってボックスに行って、こう、声をなるべく出すようにしたりしてたんですよ」などと自ら語っている。その一方で、同番組内の再現VTRなどにおける服部伴蔵門のナレーションでは、「2010年には共演した俳優との不倫疑惑が発覚、自ら芸能活動を自粛、表舞台から姿を消した」、「実家に戻り、芸能界とは無縁の生活」、「人との関わり合いを避け、家に閉じこもり」、「2年半ぶりのテレビ出演」とされたが、実際には、2011年5月15日(日)放送の『クイズ☆タレント名鑑』(TBS系)以来およそ1年半ぶりのテレビ出演であり、かつテレビへの不出演は「自粛」を契機としたものではない。すなわち同番組では、鈴木自身の発言部分以外は、当該番組出演直前の時期における、そのテレビ不出演について事実が語られていない。なお、この番組における鈴木の出演コーナーの内容は、鈴木が「CD再デビューをかけて熱唱した」[56]というもの。
  36. ^ 鈴木のこの時期の具体的な活動は、2012年5月22日(火)新潟県新潟市江南区のパチンコ・パチスロ店ニューラッキー亀田店での営業[57]や、これを紹介した5月27日(日)放送のラジオミニ番組『NEW LUCKY INFORMATION』(エフエムラジオ新潟)の出演[58]のほか、ややのディナーショーのうち、11月11日(日)愛媛県松山市道後温泉、12日(月)同県新居浜市[59]、25日(日)中華料理店東天紅上野本店[60]、および12月某日神戸メリケンパークオリエンタルホテルにおけるもののゲスト[61]など。
  37. ^ 例えば、2011年10月にはエグゼに鈴木や津田英佑を始め5組のタレントが在籍しているが[62]、2012年1月には鈴木や津田など3組にまで減少しており[63]、2013年には公式サイトが消滅している[64]
  38. ^ 『まこまこブログ』は、センス・プロ社長永福真子のブログ。
  39. ^ このブログにおいて永福真子が、2016年5月15日の「CLEAR'S大集合ライブ」にゲスト出演した「鈴木早智子ですが、しばらく休養をいただいていたので 昨日(原文ママ)は数年ぶりに、人前に出るという事で大変緊張をしていましたが」と記しているが、前記文中の「昨日」は、「一昨日」の誤り。「お掃除アイドルユニット・CLEAR'Sがエイベックスへ移籍」(『BARKS』2016年5月16日8:07)(2017年12月9日閲覧)、「SCHEDULE 05 MAY,2016」(『shiuya duo MUSIC EXCHANGE』)2016年5月23日時点でのアーカイブ参照。
  40. ^ 「鈴木早智子、9年ぶりドラマで教師役「意外とすんなり」」(『ORICON NEWS』2017年7月6日15:43)(2017年9月19日閲覧)に、「9年ぶり」のドラマ出演とあるが、「8年ぶり」の誤り。
  41. ^ 『Twinkle Angels』p.169に紹介記事あり。
  42. ^ 『ザテレビジョン』1992年第1号「年末年始ビッグスター50」および第2号より第8号の各「ザ・スターれぽーと」(いずれも各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。同誌首都圏版1992年第2号と第3号の「TV番組解説」および第9号「男を狂わすヒロイン乃絵の寝技の数々… 真夜中は別のテク!?」(各地方版共通)p.33に鈴木の役柄「玲子」を記述に含む記事あり。
  43. ^ 『ザテレビジョン』1992年第42号「ザ・スターれぽーと」p.49(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。同誌首都圏版「TV番組解説」p.86に鈴木の役柄「晶」を記述に含む解説あり。
  44. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1996年第10号「TV番組解説」p.84に鈴木の役柄「お由紀」を記述に含む解説あり。
  45. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1997年第1号の番組表に放送・出演予定記事あり。同誌1997年第2号p.13と第3号p.10(いずれも各地方版共通記事)に鈴木の役柄「吉川雅美」の紹介記事あり。
  46. ^ 『ザテレビジョン』1992年第7号「ザ・スターれぽーと」p.44(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。なお同資料には、1992年2月21日(金)に相田と二人でWinkとしての出演予定記載あり。
  47. ^ 『ザテレビジョン』1992年第32号の「ザ・スターれぽーと」p.42(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  48. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1995年第40号・第41号の番組表に放送・出演予定記載あり。
  49. ^ 『ザテレビジョン』1992年第18号「ザ・スターれぽーと」p.43(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  50. ^ 『ザテレビジョン』1992年第23号「ザ・スターれぽーと」p.41(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  51. ^ 『ザテレビジョン』1992年第24号「ザ・スターれぽーと」p.48(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  52. ^ 『ザテレビジョン』1992年第25号「ザ・スターれぽーと」p.43(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  53. ^ 『ザテレビジョン』1992年第26号「ザ・スターれぽーと」p.60(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  54. ^ 『ザテレビジョン』1992年第27号「ザ・スターれぽーと」p.41(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  55. ^ 『ザテレビジョン』1992年第33号「ザ・スターれぽーと」p.45(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。なお、鈴木の出演内容について、同誌首都圏版の番組表には「鈴木早智子のベーコンのサラダ」と記されているが、実際には豆腐の「ボロボロ」が調理されており、調理法が『ESSE』1992年9月号に掲載されている。
  56. ^ 『ザテレビジョン』1992年第47号「ザ・スターれぽーと」p.139(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  57. ^ 『ザテレビジョン』1993年第11号「ザ・スターれぽーと」p.39(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  58. ^ 『ザテレビジョン』1993年第26号「ザ・スターれぽーと」p.53(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  59. ^ a b 『ザテレビジョン 宮城・福島版』1994年第47号p.96には、鈴木の顔写真を掲載しつつ、「「君の名は」や「長崎の鐘」などの名曲で知られる作曲家・古関裕而福島県出身である彼にちなんで、福島市では毎年、古関裕而音楽祭が行なわれている。11/6福島市公会堂での音楽祭のもようを紹介する。ことしは3年に一度行なわれるコンテストの年。「古関裕而音楽賞」を競い、湯川れい子小椋佳羽田健太郎など有名作詞・作曲家が新曲を製作、Winkの鈴木早智子(写真)らが披露する。なお、このもようは、11/26[土]に「地域イベントアワー」(昼4・30 NHK衛星第2)で、90分の拡大版としても紹介される。」とある。「過去の福島市古関裕而記念音楽祭一覧」(『福島市公式ホームページ』)(2018年3月22日閲覧)では「第2回福島市古関裕而音楽祭」開催を「平成4年11月8日(日曜日)」としているが、この年の11月8日は火曜日であるため、『ザテレビジョン』の記述が正しいと見られる。
  60. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1996年第32号番組表p.66に放送・出演予定記載あり。
  61. ^ 『読売新聞縮刷版』1996年8月25日朝刊番組表に放送・出演予定記載あり。
  62. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1996年第51号「深夜番組表」p.89に放送・出演予定記載あり。
  63. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1996年第42号「TV番組解説」p.75に放送・出演予定記載あり。
  64. ^ 1997年2月15日放送分については『読売新聞縮刷版』同日朝刊番組表に「元ウィンクも感動審査」というかたちで放送・出演予定記載あり。
  65. ^ 『ザテレビジョン』1998年第39号「歌のスペシャル豊漁セレクション」p.13(各地方版共通)に番組出演中の鈴木の写真とともに放送・出演予定記載あり。
  66. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1999年第12号番組表p.99に放送・出演予定記載あり。
  67. ^ 『読売新聞縮刷版』1998年10月27日朝刊番組表に放送・出演予定記載あり。
  68. ^ 『ザテレビジョン』1998年第50号「今週の音楽」p.53(各地方版共通)に放送・出演・曲目予定記載あり。
  69. ^ 『読売新聞縮刷版』1999年3月18日朝刊番組表に放送・出演予定記載あり。
  70. ^ 『読売新聞縮刷版』1999年8月25日朝・夕刊番組表に「元ウィンクだって恋がしたい・Eメール恋愛」というかたちで放送・出演予定記載あり。
  71. ^ 吉田豪のインタビューを通し、鈴木の肉声によってその半生が語られているため、鈴木自身の発言であることが確実な、その芸能活動の資料となる。なお、本放送の鈴木出演部分は、DVD『プロインタビュアー吉田豪の元○○な人々vol.2』(ポニーキャニオン、2010年10月20日)に収録されている。
  72. ^ 『Winkers Party』第34号(1995年)p.8に「北海道より縦断オンエアー」と記される通り、放送開始が地区ごとに異なる。
  73. ^ 1995年7月4日(火)および1996年8月2日(木)にNHK BS2で放送されている[75]
  74. ^ 2000年8月25日(金)、2001年1月24日(水)および2002年8月13日(火)に、NHK BS2で東京芸術劇場での公演を録画したものが放送されている[77]
  75. ^ 出演予定が「山上綾加主演「あいたま」が東京凱旋、声の出演に鈴木早智子」(『ステージナタリー』2018年5月31日0:05)(2018年6月17日閲覧)などで報じられた。
  76. ^ イタリア語で「モナ・リザ」の意味。『Winkers Party』第37号(1996年)p.5に「フランス語」とあるが誤りで、同言語では「La Joconde」(ラ・ジョコンド)という。

出典[編集]

  1. ^ a b 「profile」(『鈴木早智子公式HP』)(2017年9月23日閲覧)。
  2. ^ Winkのデビュー・シングルCDSugar Baby Love」(ポリスター、1988年4月27日)裏ジャケット。『TVスター名鑑』(東京ニュース通信社)1993年版(1993年10月20日出版)から1996年版(1995年10月25日出版)の「Wink」の項、および1997年版(1996年10月30日出版)から2010年版(2009年10月1日出版)の「鈴木早智子」の項[注 3]など。
  3. ^ 『Twinkle Angels』(ワニブックス、1990年4月10日)p.101。
  4. ^ UP TO BOY』1987年1月号pp.49-50。
  5. ^ DUNK』1989年11月号pp.115-117など。
  6. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』(光文社2010年11月6日)著者紹介欄。
  7. ^ a b 「鈴木早智子 profile」(『センス・プロ』)(2017年9月22日閲覧)。
  8. ^ 『Winkers Party』第32号(1995年2月)p.7。
  9. ^ 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』(宝島社2017年8月7日)p.51[注 10]
  10. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』pp.93-95。
  11. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』p.29[注 12]
  12. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』p.30。
  13. ^ a b 鈴木早智子『負けじ魂』p.86。
  14. ^ 日付は『Winkers Party』第2号p.2、『ザテレビジョン』1989年第9号「ザ・スターれぽーと」p.152(各地方版共通)による。
  15. ^ 「元Wink鈴木早智子「今だから語れる人気絶頂時の失踪事件」」(『Smart FLASH』2016年11月24日)(2018年5月14日閲覧)。
  16. ^ 日付は『Winkers Party』第2号p.2、『ORICON WEEKLY』1989年4月3日号p.17による。
  17. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』p.29。
  18. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』pp.30-36。
  19. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』pp.46-47。
  20. ^ 「鈴木早智子」(吉田豪『元アイドル2』ワニマガジン社、2007年4月15日、初出:『Chuッスペシャル』2006年5月号)p.170。
  21. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』pp.47-50。
  22. ^ 「鈴木早智子インタビュー」(『VIEWERS』第3号、東京工業大学アイドル研究会、1987年4月20日発行、1987年2月28日インタビュー収録)pp.30-31、鈴木早智子『負けじ魂』p.50[注 18]
  23. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』pp.51-55。
  24. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』p.52など。
  25. ^ 『UP TO BOY』1987年1月号p.50。
  26. ^ スコラ』1990年5月10日号p.170など。
  27. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』pp.60-61、「アイドルユニットWinkの”無表情”、生みの親が真相を明かす」(『週刊女性PRIME』2015年8月23日)(2018年1月19日閲覧)。
  28. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』p.61。
  29. ^ a b c d e f g h i j k 鈴木の出演作品については#出演参照。
  30. ^ 『UP TO BOY』1987年11月号pp.2-13。
  31. ^ a b c d e f g 鈴木の楽曲については#ディスコグラフィ参照。
  32. ^ a b 『Winkers Party』第32号(1995年2月)p.3、同第33号(1995年5月)pp.1-3。
  33. ^ 『'97TVスター名鑑』(東京ニュース通信社、1996年10月30日)p.59「鈴木早智子」の項。
  34. ^ a b 鈴木早智子『負けじ魂』p.158。
  35. ^ 『TVスター名鑑'98』(東京ニュース通信社、1997年10月29日)p.51「鈴木早智子」の項。
  36. ^ 『TVスター名鑑'99』(東京ニュース通信社、1998年11月15日)p.58「鈴木早智子」の項。
  37. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』p.164。
  38. ^ 『YAHOO! JAPAN 知恵袋』「鈴木早智子 ASAYAN」の検索結果(2017年9月15日閲覧)に現れた諸質問・回答など。
  39. ^ 特に鈴木早智子『負けじ魂』第15章「許せなかった出来事」に詳しい。
  40. ^ 「鈴木早智子」(吉田豪『元アイドル2』)pp.188-191。
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]