鈴木早智子

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鈴木 早智子
出生名 鈴木 早智子
生誕 (1969-02-22) 1969年2月22日(49歳)
出身地 日本の旗 日本東京都
ジャンル アイドル歌謡J-POP
職業 歌手女優タレント
担当楽器 ボーカル
活動期間 1988年 -
レーベル ポリスター
1988年 - 1996年頃)
バンダイ・ミュージックエンタテインメント
1998年 - 2000年
What's Up? Group
2003年
事務所 アップライトミュージック
1987年-1994年
P-ARTISTS
1994年-1996年
マンリープロモーション
1996年頃)
尾木エージェンシー
1997年頃)
ネバーランド
1998年頃 - 2002年
オレガ
2002年 - 2008年
エグゼ
2008年 - 2013年
センス・プロダクション
2013年 - )

鈴木 早智子(すずき さちこ、1969年2月22日[1] - )は、歌手女優タレント1988年から1996年まで活動したアイドルデュオWink(現在活動停止中)のメンバー。本名同じ[2][注 2]。別名、東 智子[注 3]、Miyoko.A[注 4]。愛称、さっちん[注 5]東京都出身[6][注 6]。身長157cm[7][注 7]。血液型A型[1]センス・プロダクション所属[7]

来歴[編集]

出生からWink結成まで(1969年 - 1988年)[編集]

1969年2月22日23時8分[8]、広告関係の仕事をする父[9]と、専業主婦の母[10]のもとに生まれる。出生地を愛知県名古屋市とする文献もあるが[11][注 9]、鈴木の自著では、出生地は東京都目黒区[13]幼稚園の年長組に上がる頃に埼玉県草加市へ転居[14]1989年初頭におけるWinkの「愛が止まらない」のヒット後に、東京で単身生活を始めたとする[15][注 11][注 12]。3兄弟の長女(4歳下に弟、8歳下に妹)[19]。小学2年生の時から歌手に憧れていた[20]

中学生の時にアニメソングオーディションに合格するも辞退[21][注 13]

1984年、東京都内の高校へ進学して間もなく歌手を目指して休学し、同年内に一時的に都内の青山の芸能事務所[注 14]に所属[23]

1985年頃、高校を退学し、その直後頃からアルバイト[注 15]の傍ら笠井幹男のボーカル・スクールでレッスンを受けるようになる[24]

1986年7月、草加市の西隣である埼玉県川口市の土手において、数千人[注 17]の聴衆を前にし、アマチュアバンドのボーカルとしてオリジナル曲「おじちゃんよいしょ」[注 18]を歌唱[25]

この年、第1回「ロッテCMアイドルは君だ!」コンテストに出場し、最終選考まで残るもグランプリを逃した[26][注 19]

同年11月2日、成城大学の学園祭において開催された、青年誌『UP TO BOY』(ワニブックス)の「ミス UP FESTIVAL in SEIJO UNIV.」に、東 智子の名を以ってエントリーし、ミス・アップ第7代グランプリを受賞[28][注 20]

1987年1月23日発売の『UP TO BOY』同年3月号のグラビアに、名を本名の鈴木早智子に改めて登場し、3月23日発売の5月号で、表紙と巻頭グラビアを飾る。この年、同誌の鈴木のグラビアを目にしたアップライトミュージック社長森裕平が、芸能事務所に属していなかった鈴木を、設立したばかりの自社に所属させた[30]。しかしながら、同社における鈴木の主な仕事は当初、電話番やスケジュール管理などの雑務であり[31]、翌1988年1月に端役としてテレビドラマに出演するなどした以外、Winkを結成するまで目立った芸能活動は無かった[32]

Wink時代(1988年 - 1996年)[編集]

1988年、ミス・アップ第9代グランプリである相田翔子[33]とWinkを結成し、4月27日のシングル「Sugar Baby Love」発売を以って歌手デビュー。Winkは、翌1989年には、年間62.95万枚を売り上げた「愛が止まらない」や、同じく54.873万枚を売り上げた「淋しい熱帯魚」などのヒット曲に恵まれ[34]、この年の12月31日には、『第31回日本レコード大賞』での日本レコード大賞受賞[35]や『第40回NHK紅白歌合戦』への出場[36]を果たすなど、一躍スターダムに上りつめる。

Winkの各アルバムには、『At Heel Diamonds』(1988年12月1日発売)を除き鈴木のソロ曲が1曲または2曲収録されており、クール・アンド・ザ・ギャングのカバーや来生たかおの提供曲などを歌っているが[37]、その他、鈴木単独としては、以下のような動向が見られた。

1990年12月22日公開の映画『きんぴら』に単独出演するが、この時期にはそれ以外のソロでの活動は行なっていない[32]

1991年11月25日発売のアルバム『Sapphire』以降、Winkの活動期間中には、Miyoko.A名義で3曲、鈴木早智子名義で2曲の作詞を手掛けた[37][注 21]

1992年3月25日、Wink時代唯一のソロ・アルバム『Mode』を発売[38]。この年に特に集中的に、テレビドラマの脇役やバラエティ番組のゲストなどとして、単独でテレビ番組に出演している[32]

1993年10月20日より翌年9月までの1年間、『志村けんはいかがでしょう』(フジテレビ系)のコントにレギュラー出演[注 22]。テレビドラマ以外ではWink時代唯一のテレビ番組単独レギュラー出演となった[39]

1994年11月、単身渡米し、およそ2週間、ニューヨークでダンスのレッスンやボイストレーニングを受ける[40][注 23]

1995年3月18日より26日まで公演された舞台『怪盗チェリーのレストラン』で、主演としてチェリー役を演じ、初めて舞台に出演[41][42]

この年、日本ボウリング場協会CM「ボウリング マジック!!」に起用され、初のCM単独出演を果たしている[43]

1996年2月25日、Wink時代唯一のソロ・シングル「La Gioconda」を発売[44]

この年3月5日放送の『江戸の用心棒II』(日本テレビ系)において時代劇に初出演するが[45]、2月下旬乃至3月初頭に京都太秦でその撮影を終え、帰京した直後、事務所の社長より鈴木一人が社長室へ呼び出され、突如としてWinkの活動停止を宣告された[46]

同月31日を以ってWinkは活動を停止。鈴木は、2010年に上梓した自叙伝『負けじ魂』で、「今もって活動停止の理由や原因は分かりません。聞かされてもいないし、知らされてもいない。」と述べている[47][注 24][注 25]

マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期(1996年 - 2002年)[編集]

Winkの活動停止後は、1996年は、Winkの所属していたP-ARTISTSが改名した[52]マンリープロモーション[53]1997年頃から尾木エージェンシー[54]、次いで1998年頃からネバーランドに所属[55]。なお、これら3事務所は、住所が同じであり[53][54][55][注 27]、また尾木エージェンシーとネバーランドの電話番号が同じで[54][55][注 28]、同一性がある[注 29]

Wink活動停止後にレコード会社ポリスターとの契約が終了したため新曲が出せなくなり[56][注 30]、暫くは、営業でWinkの楽曲を歌唱するというかたちでの歌手活動はあったものの、映画や舞台、テレビ番組への出演など、女優やタレントとしての活動が芸能活動の中心となっていた[57][32]。そのさなかである1998年5月31日より、テレビ東京リアリティ番組ASAYAN』の企画「再起に賭ける芸能人オーディション」に出演[注 31]。その企画内容は、小室哲哉プロデュース権を賭けて、鈴木を含む「再起に賭ける芸能人」女性たちがニューヨークで共同生活をしながらレッスンを行なうというものであったが、鈴木は共同生活を拒否したり、レッスンの途中で退場したりするなど、周囲と同調しない様子を見せ、レッスン後半、他からCDリリースの打診を受けたという理由により、中途帰国してこの企画を一旦は離脱しつつも、後に復帰し、新曲「INNOCENT SKY〜悲しみも届かないあの空の向こうへ〜」を披露する模様などが放送されている。テレビの視聴者層には、この番組によって惹起された鈴木の人格に対する悪印象によって、その後の芸能活動が制限されたと見て取っている者も少なくない[58]。鈴木自身は後に、この番組は、当初より台本があったのみならず、鈴木の与り知らないところで彼女を「悪役」として仕立てる編集がなされていたことなどを述べ、その不当性を述懐した[59][注 32]

同年10月28日、バンダイ・ミュージックエンタテインメントよりWink活動停止後初のソロ・シングル「INNOCENT SKY〜悲しみも届かないあの空の向こうへ〜」を発売[44]。同曲は『64マリオスタジアム』(テレビ東京系)のエンディング・テーマ曲として用いられた[61]。また、この年、第1回インターネット歌手ナビ音楽祭で「歌手ナビヒット賞」を受賞している[62]

同年12月29日放送の『祝!日本レコード大賞40周年記念スペシャル』(TBS系[注 33]、および翌1999年12月30日放送の『超える!テレビ』(TBS系)[注 34]においては、相田翔子とともにWinkとして出演し、「淋しい熱帯魚」を歌唱。なお、1998年はWink結成10周年にあたる。

2000年5月末、バンダイ・ミュージックエンタテインメントが解散したが[63]、その後、ネバーランド在籍中においては、新譜を出すことはなかった[64]

同年6月、深夜1時過ぎに、首都高速4号線において乗用車を運転中、逆走してきた自動車と衝突、鈴木の乗用していたベンツは大破し、彼女自身はむち打ち症で3週間ほど入院したが、後遺症は無く[65]、その後もテレビタレントや舞台女優としての仕事を継続する[66][42]

当該時期においては、全体的に、女優やタレントとしての活動が主な芸能活動となったが、本懐である歌手としては、1998年にシングルを発売できたものの、鈴木にとって不本意な結果となった『ASAYAN』の出演と、関連性が強いものになってしまった。

オレガ在籍期(2002年 - 2008年)[編集]

2002年、オレガに所属[67][注 36]

2003年12月10日、インディーズ・レーベルであるWhat's Up? Groupより、Wink活動停止後初のソロ・アルバム『零〜re-generation〜』を発売[38]。これを記念し、翌2004年の2月28日と5月28日に、「零〜re-generation〜TOUR2004」と題して、やはりWink活動停止後初のライブツアーを行なっている[68]

2005年の初めにはアルバム作成の意向を示してはいたものの[69]、オレガ在籍中に新譜を出すことはなかった[64]。その一方、同年以降は、歌手として以外の活動が目立つようになる。この年には、3月30日にオレガ在籍期唯一の写真集『Voice』を発売し[70]、9月22日に同名のDVDも出している[71]。また、9月10日公開の映画『逆鱗組七人衆』に出演した[72]。同じく2005年から、パチンコパチスロに関わる、地方局のテレビ番組出演[32]や営業[注 37]も目につくようになる。

2006年からは舞台に立つようになり、この年の3月7日から17日まで公演された『眠れぬ夜の電波ハイジャック』や、翌2007年7月29日から9月1日まで公演された『ちぎれた雲はどこへ行く』に出演した[42]

なお、鈴木は、母がで本格的に入院するようになって以降、仕事から看病へと軸足を移し[75]、殊に、父・妹・弟らと共に[76]、草加市の実家に泊りきりで自宅看護を始めた2007年3月[77]から、母が享年64で死去する7月23日[10]までのおよそ4ヶ月間は、事務所の手違いもあって降板できなかった舞台以外、仕事を入れなかったと述べている[78]。いつから母が本格的に入院したのかは判然としないものの[注 38]、このように、病床の母に尽すべく、仕事をセーブしていた時期もあった。

オレガ在籍期においては、母の看護のため仕事を控える時期がありつつも、その芸能活動は概ね、全国放送のテレビ番組におけるタレントや女優を基本としている点で一貫しており[32]、それ以外では、歌手としての活動が目立つ2003・2004年と、映画・舞台女優や、地方でのパチンコ・パチスロ関連のタレントなどとしての活動が目立つ2005年以降とで、傾向の相違がみられた。

エグゼ在籍期(2008年 - 2013年)[編集]

2008年4月に、エグゼに移籍したとも言われる[79]

同年12月30日、『第50回日本レコード大賞』(TBS系)に相田翔子と2人でWinkとしてゲスト出演し、「淋しい熱帯魚」を歌唱[80]。この年はWink結成20周年にあたる。

2009年3月31日、薬物服用により救急搬送されたと報じられ[注 40]、自殺未遂かなどと憶測を呼んだが、同日中に会見を開き、日頃の睡眠不足によって安定剤を服用した旨など、その経緯を説明した[81]

同年9月1日発売のDVD『September Shock』に出演。本作品は、その発売前に、メディアから「AV」あるいは「ソフトAV」などとセンセーショナルに報じられたが[82]、発売元のMUTEKIは当該作品を「AV」であるとは明言しておらず[83]、また鈴木自身は、この出演作品が「AV」ではない旨を述べている[84]

その後、この年には、精力剤である、宝仙堂の「凄十(すごじゅう)」の広告に起用され、「完全に清純派からセクシー路線に舵を切った」とも評された[85]

2010年2月20日公開の映画『宿命のジオード』に主役である三輪聖子役で出演したが、6月17日発売の『週刊文春』(文藝春秋)により、同映画で共演した俳優津田英佑と4年にわたって不倫関係にあったと報じられる。この影響により、同月20日に自身のブログで当面の芸能活動自粛を発表し[86]、自粛中の7月から9月の間に、初の自叙伝『負けじ魂』を執筆[87]、11月6日に出版し、翌日の著書発売記念イベントで、不倫の否定と芸能活動復帰の発表を行なった[88][注 43]

復帰後は、2011年の前半まで若干のテレビ番組に出演するなどした後[90][66][注 45]、およそ一年の空白期間を経て[注 46]2012年半ば頃に地方での営業などのかたちで活動を再開[注 47]

エグゼ在籍中の前半期には、スキャンダラスな動向が立て続く中で、「セクシー路線」が目立つかたちでの女優やタレントとしての活動を行なっていたが[32]、エグゼが衰退する時期でもある在籍後半期には[注 48]、芸能活動が著しく縮小した。

センス・プロ在籍期(2013年 - )[編集]

2013年1月より、かねて親交のあった永福真子[101]が経営するセンス・プロに所属[102]

この年、キー局のテレビ番組2本に出演するなどしたが[90][66]、その後、芸能活動が暫く途絶。

2016年5月15日、活動を再開するが[104]、復帰後のおよそ1年間はイベントへの出演にとどまった[注 50]

2017年8月12日放送の『心霊呪殺 死返し編』(CSエンタメ〜テレ☆シネドラバラエティ)に出演、8年ぶりのテレビドラマ出演を果たす[32][注 51]

2018年6月13日から17日まで公演された舞台『あいたま』に、声のみではあるが春巻梅役で出演[42]

同年8月18日放送の『思い出のメロディー』(NHK)において十年ぶりにWinkを再結成し、「淋しい熱帯魚」と「愛が止まらない」を歌唱[110][注 52]、10月16日には、『Special To Me』と題したWinkのトーク&ミニライブ・イベントを、渋谷マウントレーニアホールにおいて行なった[112]。この年はWink結成30周年にあたるが、この時のWink再結成は、前年から以下のような経過を経て実現している。2017年6月7日、相田翔子が自らのブログに、プライベートで鈴木とWink結成29周年を祝ったことを写真付きで記したが[113]、同月29日には、テレビ番組『ノンストップ!』(フジテレビ系)で、Wink復活について鈴木と話し合っていることを語り[114]、7月6日の『ORICON NEWS』の記事では、鈴木も同趣旨のことを述べた[115]。8月21日になると、『サンケイスポーツ』によってWinkが2018年4月に再始動すると報じられたが[116]、同日、これを目にした相田は、自身のブログにおいて驚く様子を記しつつも、特に否定はしていない[117]。その報道から間もない9月5日に、鈴木が前所属事務所の社長に未払い給与金の支払いを求めているという件が、『女性自身』により「泥沼金銭トラブル」と形容されて報じられ[118]、事の真偽に拘わらず「金銭トラブル」が報じられること自体イメージダウンを招きかねず、この件がWinkの動きに影響を与えうるという見方も出た[119]。その後、相田は、2018年3月7日に、Wink再結成は「まったくないです」と、一旦は完全に否定するに至っているが[120]、Winkのデビュー日である4月27日には、鈴木と相田が二人で出演するスペシャル・トークイベント『Special To Me』を、10月16日に開催することが告知される[121]。『思い出のメロディー』でのWinkの再結成が報じられたのは、それから3ヶ月ほど経った8月4日のことであった[111]

センス・プロ在籍期においては、同事務所に所属してから間もなく3年もの休業期間が続くこととなり、復帰後の芸能活動も活発であるとは言い難いが、テレビドラマへの出演や、声のみながら舞台への出演など、徐々にではあるものの活動の幅が回復しつつある。Wink結成30周年の節目である2018年には、Wink再結成も実現した。

出演[編集]

※Wink時代のものは、すべて単独での出演。Wink時代におけるWinkとしての出演番組、CM等は「Wink」を参照。
※鈴木が2000年以降に出演したキー局のテレビ番組の大部分については、外部リンク「鈴木早智子のTV出演情報」(『ORICON NEWS』)で番組名・放送局・放送日・放送時間が確認できる。

テレビドラマ[編集]

★Wink結成前

★Wink時代(鈴木の単独出演のみ)

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期

★オレガ在籍期

★エグゼ在籍期

★センス・プロ在籍期

テレビ番組(レギュラー・準レギュラー出演)[編集]

★Wink時代(鈴木の単独出演のみ)

★ネバーランド在籍期

  • ASAYAN(テレビ東京系、1998年5月31日 - 10月25日 毎週(日))[注 31]

★オレガ在籍期

テレビ番組(ゲスト出演)[編集]

※テレビのゲスト出演番組多数のため、外部リンク「鈴木早智子のTV出演情報」(『ORICON NEWS』)でキー局でのテレビ出演の大部分が確認できる2000年以降については、「来歴」の節の記述を裏付けるもののほか、特筆すべきもののみを抄録。

★Wink時代(鈴木の単独出演のみ)

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期(2000年以降は省略)

★オレガ在籍期(「来歴」の節の記述を裏付けるもののほか、特筆すべきもののみを抄録)

★エグゼ在籍期(「来歴」の節の記述を裏付けるもののほか、特筆すべきもののみを抄録)

★センス・プロ在籍期

CM[編集]

★Wink時代(鈴木の単独出演のみ)

★エグゼ在籍期

  • 宝仙堂 凄十・男子応援キャンペーン(キャンペーン実施期間:2009年11月12日(木) - 2010年2月10日(水))[133]

映画[編集]

※鈴木の出演映画については、外部リンク「鈴木早智子(スズキサチコ)の映画作品」(『Movie Walker』)「鈴木早智子」(『ぴあ映画生活』)なども参照。

★Wink時代(鈴木の単独出演のみ)

  • きんぴら(東映、監督:一倉治雄、1990年12月22日(土)公開)- 松本千代 役

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期

  • 勝手にしやがれ!成金計画(ケイエスエス、監督:黒沢清、1996年9月7日(土)公開)- 三奈子 役
  • ROMANTIC MANIA ロマンティック マニア(ケイエスエス、監督:サトウトシキ、1997年10月公開 初主演映画)- 林英子 役(主演)

★オレガ在籍期

  • 逆鱗組七人衆(さざ波、監督:市川徹、2005年9月10日(土)公開)- 山田ハルコ 役

★エグゼ在籍期

オリジナルビデオ[編集]

★エグゼ在籍期

  • 熱帯 濡れた監禁 女探偵 神楽明日香 (ATTACK ZONE、2009年5月7日(木))- 神楽明日香 役(主演)

インターネット番組[編集]

★エグゼ在籍期

  • コイカツ 恋愛ノウハウトークライブvol.2(マシェリバラエティ マシェバラ、2010年11月5日(金))[134][出典無効]

舞台[編集]

★Wink時代(鈴木の単独出演のみ)

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期

  • ピアニスト~クララ・シューマン物語~(1997年10月 - 12月 於 青山劇場 ほか)[137]
  • PINO〜ピノキオ〜(2000年 於 東京芸術劇場 ほか)[注 88]
  • Annie(2001年4月28日(土) - 9月2日(日) 於 青山劇場 ほか)- グレース 役[139]

★オレガ在籍期

★エグゼ在籍期

★センス・プロ在籍期

ディスコグラフィ[編集]

Winkとしてシングル25枚、アルバム25枚発売(「Wink」の「作品」の節を参照)

ソロ・シングル[編集]

★Wink時代

  • La Gioconda[注 90]ポリスター、1996年2月25日)
    1. ラ・ジョコンダ(作詞: 及川眠子 作曲: 井上大輔 編曲: 菅原弘明
    2. 眠り姫でいたくない (作詞: 及川眠子 作曲: 井上大輔 編曲: 木本靖夫
    3. ラ・ジョコンダ(オリジナル・カラオケ)
    4. 眠り姫でいたくない(オリジナル・カラオケ)

★ネバーランド在籍期

ソロ・アルバム[編集]

★Wink時代

  • Mode(ポリスター、1992年3月25日)
    1. ラスト・ダンスは頬よせて(作詞: 及川眠子 作曲: 森若香織 編曲: 門倉聡
    2. 1999年の退屈(作詞: 及川眠子 作曲: 赤城忠治 編曲: 十川知司
    3. ハリウッドな恋にして(作詞: 及川眠子 作曲: 羽田一郎 編曲: 門倉聡)
    4. 最後の楽園(原作詞・曲: Crivellente / Farina / Bindella 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子) Prima Vera「Play To Love」のカバー
    5. TRANSFER(作詞: 及川眠子 作曲: 工藤崇 編曲: 門倉聡)
    6. 不実な仔猫たち(原作詞・曲: Barry Goldberg / Sylvia St. James / Roxanne Seeman 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子) アメリカソープオペラSanta Barbara英語版』の劇中歌「The Hotter The Night」のカバー

★オレガ在籍期

Winkのアルバム内におけるソロ曲[編集]

Moonlight Serenade』(1988年7月1日)第7曲
  • Take Me To Heaven(原作詞・曲: M. Ingman / B. Glenmark 編曲: 船山基紀 日本語詞: 及川眠子)
Especially For You〜優しさにつつまれて〜』(1989年4月25日)第5曲 アニカ・ブルマンの同名曲のカバー
  • 優しく愛して…(原作詞・曲: Ben Findon / Mike Myers 編曲: 若草恵 日本語詞: 森雪之丞
『Especially For You〜優しさにつつまれて〜』第9曲 ノーランズ「Let's Make Love」のカバー
  • Joanna(原作詞・曲: Charles Smith / James Taylor 編曲: 船山基紀 日本語詞: 及川眠子)
Twin Memories』(1989年12月1日)第9曲 クール・アンド・ザ・ギャングの同名曲のカバー
  • あの夏のシーガル 〜Cherish〜(原作詞・曲: Ronald Bell / James Taylor / Kool & The Gang 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子)
Velvet』(1990年7月11日)第7曲 クール・アンド・ザ・ギャング「Cherish」のカバー
『Velvet』第9曲
Crescent』(1990年12月16日)第4曲 キッス「I Was Made For Lovin' You」のカバー
  • 一年前の恋人(作詞: 竜真知子 作曲: 来生たかお 編曲: 門倉聡)
Queen of Love』(1991年7月10日)第4曲
『Queen of Love』第7曲
  • 聖なる夜に帰れない(作詞: 森本抄夜子 作曲: 広谷順子 編曲: 門倉聡)
Sapphire』(1991年11月25日)第4曲
  • ほんの小さな勇気(作詞: Miyoko.A 作曲: 尾関昌也 編曲: 門倉聡)
『Sapphire』第6曲
  • 未来まで待てない(原作詞・曲: James C. Brown / John A. Butler 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子)
Each side of screen』(1992年4月25日)第6曲 Roxanne「Burning Through The Night」のカバー
  • Only One(作詞: 及川眠子 作曲: 門倉有希 編曲: 門倉聡)
Nocturne 〜夜想曲〜』(1992年11月26日)第6曲
Αφροδιτη』(1993年6月25日)第4曲
  • I Wanna Leave You(作詞: Miyoko.A 作曲・編曲: 門倉聡)
『Αφροδιτη』第9曲
  • 誰も知らない(作詞: 芹沢類 作曲: Osny Melo 編曲: Ian Prince)
BRUNCH』(1993年11月26日)第4曲
  • あなたへの想い(作詞: 鈴木早智子 作曲: 来生たかお 編曲: 小林信吾
『BRUNCH』第8曲
  • days(作詞: 鈴木早智子 作曲: 大平勉 編曲: Brett Raymond)
overture!』(1994年7月1日)第9曲
  • 永遠に…(作詞: Miyoko.A 作曲: 尾関昌也 編曲: 門倉聡)
voce』(1994年12月1日)第9曲
  • 悲しみよりもしたたかに 〜MY TURN〜(作詞・作曲: Jan Anna August Leyers / Werner Pensaert 編曲: Teddy & Melvin 日本語詞: 及川眠子)
Flyin' High』(1995年7月5日)第5曲 TASHA「MY TURN」のカバー
  • 私の夏が始まる(作詞: 芹沢類 作曲: 尾関昌也 編曲: 田原音彦
『Flyin' High』第6曲

その他[編集]

★Wink時代(鈴木のソロ曲)

『第二回 古関裕而音楽賞-輝け緑の星・地球- 明日へ届ける心の忘れ物』[注 71]NHKプロモーション、1994年11月6日収録、非売CD)第10曲
  • ミルキー・ウェイ ~銀河旅行~(作詞・作曲:菅原春美
同上 第14曲

★エグゼ在籍期

鈴木の主演映画『宿命のジオード』(2010年2月20日公開)エンディングテーマ 共演者津田英佑とデュエット 楽曲としては未発売

写真集[編集]

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期

★オレガ在籍期

★エグゼ在籍期

書籍[編集]

★エグゼ在籍期

DVD[編集]

★オレガ在籍期

★エグゼ在籍期

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 2011年版以降、および2009年版など2010年版以前の一部では、「鈴木早智子」が立項されていない。
  2. ^ 鈴木は自身の名付けにつき、「『早智子』という名前は、両親がとっても尊敬している先生につけてもらった。どういう意味があるのかは、わからない」と独白したことがある[3]
  3. ^ 1986年11月2日に開催された「ミス UP FESTIVAL in SEIJO UNIV.」にエントリーした際の名[4]。『UP TO BOY』1987年5月号p.4に、「友だちに借りた名、東智子」とある。この雑誌の各号にはいずれも名前の読み方は示されていないが、1987年1月号pp.49-50では、「東」と「智」の間にスペースが空けられている。
  4. ^ Winkの活動期間中における作詞用のペンネーム。Winkのファンクラブ会報『Winkers Party』第25号(1993年8月)p.2のインタビューにおいて鈴木は、Winkのアルバム『Αφροδιτη』(アプロデーテ)所収の「I Wanna Leave You」の歌詞が自作のものであることを述べているが、前記アルバム付属のブックレットでは、同曲の作詞が「Miyoko.A」と記される。
  5. ^ この愛称は、『UP TO BOY』1987年3月号p.23に「サッチン」とあるように、1988年のWink結成前からのもの。なお、表記として、ほかに「早っちん」[5]などがあるが、愛称は元来、口頭の会話において使用されるものであるため、正式な表記があるわけではない。
  6. ^ 鈴木自身が何らかのかたちで関与をしているはずの出身記載の中には、「profile」(『鈴木早智子公式HP』)(2017年8月30日閲覧)のように、「埼玉県」となっているものもあるが、彼女の出身地としては、東京都も、埼玉県も、いずれも正しい。本文において出身地を「東京都」としているのは、便宜的なものである。「出身」という語の指し示す範囲は、三省堂の『新明解国語辞典』(第7版)の「出身」の項に、「その土地で生まれていたり その地域に本籍(実家)があったり 在住していたり あるいはその学校を出たというような経歴があったり すること」(引用原文中の記号を省略)とある通り、広いものである。鈴木にとって、東京都も、埼玉県も、前記の「出身」の定義に該当する地であることは、「来歴」の節を参照。
  7. ^ 過去の鈴木の身体サイズについては、Wink結成と関わりが深い、ワニブックスの隔月刊女性アイドル雑誌『UP TO BOY』、および同誌の記事を多く含む、同社刊のWinkのムック本『Twinkle Angels』に掲載されたものを示すと、以下の通りである。
    ・身長157  体重- B78 W59 H85
    (『UP TO BOY』1987年1月号p.50、3月号p.24、5月号p.11)
    ・身長157  体重43 B78 W59 H83
    (『UP TO BOY』1988年5月号p.43、7月号p.12)
    ・身長157.3 体重43 B78 W58 H85
    (『UP TO BOY』1989年3月号p.91)
    ・身長157.3 体重43 B79 W56 H85
    (『Twinkle Angels』、1990年4月10日、p.99)
    身体サイズは、掲載媒体によって多少の相違がある。例えば学研の月刊女性アイドル雑誌『BOMB!』では、以下のように、特に体重が『UP TO BOY』のものと異なっている。
    ・身長157  体重40  B78 W56 H85
    (1989年4月号p.71、5月号p.121、6月号p.193)
    ・身長157  体重40  B78 W56 H86
    (1989年9月号p.30)
    その後の体重に関して、『明星』1991年1月号p.55に、「夏のコンサート・ツアーが終わってから、しばらくのんびりしてたの。そしたら、8kgも太っちゃって、43kgに!」という鈴木の独白がある。
    鈴木の身体に関してはそのほか、『UP TO BOY』1989年3月号p.91に視力が右1.0・左0.99、『Twinkle Agels』p.99に右1.0・左0.09とあり、『BOMB!』1989年5月号p.119には、Winkは「ふだんは2人ともメガネ。ただし、翔子ちゃんのはダテなのだ」と記される。
  8. ^ 同書における鈴木の出生地記載箇所には、典拠は示されていない。
  9. ^ Winkが出演した1989年3月23日(木)放送の『ザ・ベストテン』(TBS系)において、司会黒柳徹子が「名古屋は鈴木さんのお母様のふるさと」と発言している。ただし、この時、鈴木は風邪という名目で欠場し(実際には失踪していた[12])、相田翔子のみの出演であったため、同放送ではこの件についての鈴木の発言は無い。鈴木自身やその所属事務所など直接的な関係者・団体を通して、鈴木の母が鈴木を名古屋で里帰り出産したかにつき公表した媒体は未確認。
  10. ^ 「私が生まれ育った目黒の家」という書き方をしている。
  11. ^ 鈴木が東京に転居した月は3月以降。この年の3月3日におけるWinkの仙台での活動[16]を取材した『明星』1989年5月号p.59に、彼女たち二人が「今度、引っ越しすることが決定。」と記される。なお、鈴木早智子『負けじ魂』p.95には、同年3月23日に鈴木が失踪する際、「隣の部屋だった翔子に向けて、手紙にこう書いてドアに入れたのです」との記述がある。鈴木は後にこの「隣の部屋」を「マンションの隣の部屋」と述べたが[17]、失踪事件の9日後、すなわち4月1日におけるWinkの名古屋での活動[18]を取材したと思しき『明星』1989年6月号p.140に記載の、「ひとり暮らしが、もーすぐ実現」という相田翔子の発言と矛盾しているため、鈴木らが東京で単身生活を始めたのがこの年の3月中であったかは、当面は断定できない。
  12. ^ 鈴木が東京に初めて居住した際のマンションは渋谷区恵比寿に所在[15]
  13. ^ 鈴木は自著『負けじ魂』p.46でこのオーディションを「中学1年生のとき」と記しているが、吉田豪によるインタビューでは「中学3年生のとき」と発言している[22]
  14. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』p.48では、事務所名を明示せずに「東京の青山にある事務所」と述べているが、『FLASH』1989年7月18日号の「人気爆走の2人組Wink! モデル時代の貴重写真」p.23では、中学生の時にスカウトされ、オスカープロモーションに1年半所属したのち、高校卒業直後に『UP TO BOY』のグラビアを飾ったという経歴が記されている。この記述のうち、オスカープロモーション在籍については、同事務所が青山に所在しているので、この点に限れば鈴木が著書で記したことと矛盾していないが、全体的な経歴は両者の記述の差異が大きい。前記『FLASH』記載のものが1989年における名目上の公式な経歴であったかは未確認。
  15. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』p.43に、「17歳のとき、喫茶店でアルバイトしていた」との記述があり、『明星』1989年4月号p.46に、草加市内の、鈴木が「バイトしてた喫茶店ウェンディの店長さん」と共に写る、鈴木の写真が掲載されている。
  16. ^ 鈴木の著書には高校中退がいつだったかは記されていないが、鈴木は「鈴木早智子インタビュー」で、インタビューの時点においても笠井のボーカル・スクールに通っている旨と、その「一年半位前から、ちょうど高校やめたときから習っているんですよね」ということを語っている。
  17. ^ 『UP TO BOY』1987年5月号p.4では「5千人」、『ライオンのごきげんよう』(フジテレビ系、1992年2月20日放送)における鈴木の発言では「3,000以上」。
  18. ^ 曲名は、鈴木が1992年2月20日(木)放送の『ライオンのごきげんよう』(フジテレビ系)において口頭で述べたもので、正式な表記は不明。
  19. ^ この時のグランプリは立花理佐[27]
  20. ^ 受賞を1987年1月と誤認している言説がWinkの活動期間中には見られ[29]、後に、鈴木自身が自著『負けじ魂』p.58で、受賞を「'87年の1月」と誤記してしまっている。
  21. ^ 『ORICON WEEKLY』1991年11月4日号p.16において、Winkの音楽プロデューサー水橋春夫は、アルバム『Sapphire』で「今回は二人(Wink 編集者注)にもちょっと作詞家、作曲家としてのチャレンジをさせようかなって思っているんです」と述べているが、鈴木が作曲することは無かった。
  22. ^ a b ザテレビジョン 首都圏版』1993年第41号「TV番組解説」p.86には、1993年10月20日放送開始の『志村けんはいかがでしょう』について、「志村けんを中心に、モト冬樹石野陽子、鈴木早智子ら “志村ファミリー” によるスタジオ公開コント。第1回は田原俊彦、相田翔子がゲスト」とある。
  23. ^ 鈴木は、『負けじ魂』p.173で、この時のニューヨーク滞在を「’95年」と記しているが、誤り。
  24. ^ 鈴木は、Wink活動停止に関する『負けじ魂』の記述と同趣旨のことを、2006年には語るようになっているが[48]、その活動停止の直後には、以下のように述べていた。「Winkの中でもソロ活動をさせて頂いたんですけれども、ちょうどここ1年ぐらいそれが多くなってきたので、8年間を良い機会に“ケジメ”プラス“新たな出発”という事で思いきったんです」[49]。なお、「来歴」の節の本文で記している通り、ソロ活動が多くなったのは、客観的には1992年以降であり、1995年に特に多くなったわけではない。
  25. ^ 相田翔子は、Winkの活動停止について、2017年においては以下のように述べている。「8年間、ずっとベスト10に入っていたんで、花のあるうちに解散しようということになったんです。ただ早智子とは本当に仲が良かったから「解散」という言葉は使いたくないね、と相談して「活動停止」ということにしました」[50]。テレビ番組でも同様のことを述べているが[51]、活動停止の理由を不明とする鈴木の述懐と齟齬がある。
  26. ^ この鈴木の著書には、マンリープロモーションを指して「社名変更したそれまでの事務所」とあるが、事務所名は具体的には記されていない。
  27. ^ 住所は千代田区三番町7-13(三番町パークマンション)201。
  28. ^ 電話番号は03-5210-4530。
  29. ^ この一文は、本『Wikipedia』の「ネバーランド (芸能プロダクション)」の項が、確たる典拠に基づいた信頼性のある記述になるまでの、当座の参考として記すものである。
  30. ^ ポリスターとの契約終了は、正確にはいつだったのか判然としない。鈴木は自著『負けじ魂』p.158で、Winkの活動停止後に「私は社名変更したそれまでの事務所、そして翔子は新会社に行くことになりました。/同時に、私の事務所はポリスターレコードとの契約がなくなってしまったのです。/レコード会社と契約していない、ということはCDが出せないということ」(「/」は原文の改行箇所)と述べているが、Winkの活動停止後に発行された『Winkers Party』第38号(1996年)p.6におけるインタビューで、鈴木は「来年からはレコード会社も変わるので」と述べており、少なくともWinkの活動停止によってポリスターとの契約が即座には終了していない。
  31. ^ a b 読売新聞縮刷版』のテレビ番組表から鈴木の出演コーナー関係記載箇所とその放送日とを摘記すると以下の通り。
    05/21 「再起の芸能人驚きの名前」
    05/31 「再起の芸能人遂に登場・新人賞アイドル&ラブジェネ女優&紅白・レコ大受賞WのS」
    06/07 「再起へ怒トウの新展開始動・ウィンク鈴木早智子らが挑む恐怖の生き残り試練とは?」
    06/14 「再起NY生活始動‥‥しかしサッチン超問題発言・女4人の共同生活」
    06/22 「サッチンNYで号泣‥‥〝私はもう踊れない〟」
    06/28 「怒りが遂に爆発・波乱のNY先輩芸能人説教サク烈」
    07/05 「入院・NYに衝撃&小室哲哉のさらなる試練」
    07/12 「仰天・小室の衝撃計画にNY大混乱‥‥外国人合流?」
    07/19 「新展開 台湾人合格でNYに何かが起こる」
    07/26 「台湾人にキレる・号泣激怒‥‥NY一触即発」
    08/02 「激震・サッチン超緊急事態&NY路上で口ゲンカ」
    08/09 「大激白サッチン帰国リタイア全真相・マジ衝突‥‥物が飛ぶ」
    08/16 「運命の合格発表・歓びの涙‥‥しかし小室哲哉まさかの衝撃発言」
    08/23 「決着?小室哲哉と最終面談・しかし重大事実発覚&緊急発言‥‥」
    08/30 「緊急報告・小室哲哉に何が?衝撃全真相」
    09/06 「苦渋の大結論&小室哲哉緊急会見」
    09/20 「驚ガクの新展開へ・サッチン始動」
    09/27 「大試練サッチンに超難関」
    10/18 「大胆発言‥‥小室哲哉」
    10/25 「復活サッチン大熱唱」
  32. ^ 鈴木は、2006年1月18日発売の『サイゾー』同年2月号p.66におけるインタビューでは、『ASAYAN』について尋ねられた際に「あまりしゃべりたくないです」と述べ、多くを語らなかったが、同じ年の3月に収録された吉田豪によるインタビュー[60]から、「まだ消化しきれてなくて、『ASAYAN』という言葉を言えるようになったのも2年前のことなんです」としつつ語り始めるようになった。DVD『プロインタビュアー吉田豪の元○○な人々vol.2』(ポニーキャニオン、2010年10月20日)も参照。
  33. ^ a b 『読売新聞縮刷版』1998年12月29日(火)朝・夕刊番組表に放送・出演予定記載あり。
  34. ^ a b 『読売新聞縮刷版』1999年12月30日(木)朝・夕刊番組表に放送・出演予定記載あり。
  35. ^ 『orega.net』のアーカイブのうち、鈴木が現れる最初のもの。
  36. ^ 『TVスター名鑑』の「鈴木早智子」の項における所属事務所記載箇所では、2004年版(2003年12月1日出版)までネバーランド、2005年版(2004年12月15日出版)からオレガとなっており、情報更新が遅れている。
  37. ^ 具体的には、2006年4月17日における三洋物産「CRスーパー海物語」発表会のゲスト[73]や、2007年4月28日における香川県高松市のパチンコ・スロット店PACHINKO SLOT nikkoの「芸能人特別店長」[74]など。
  38. ^ 鈴木は『負けじ魂』pp.187-188で、母の腎臓癌が手術で完治した「’93年」の「6年後」(1999年頃)に癌が再発、甲状腺に移転し、その手術が成功した「3年後」(2002年頃)に癌がまたもや再発、骨に転移して、闘病生活が始まったと記すが、その後、母が本格的に入院したのがいつだったのかは記していない。ただし、同書のp.194には、その死去の1年ほど前(2006年頃)には入院している記述がある。
  39. ^ この典拠資料は、その記述の情報ソースが不明であるため、記事内容の正誤にかかわらず、留保したかたちでしか依拠することができない。
  40. ^ 例えば2009年3月31日(火)放送の『総力報道!THE NEWS』(TBS系)では、「Wink 鈴木早智子さん 睡眠薬服用し搬送」というテロップとともに、29日に救急搬送された旨が報じられた。
  41. ^ MUTEKIは、自社のこの公式サイトの記載では、「芸能人限定メーカー」を以って自己規定しているものの、「芸能人限定」の何の「メーカー」かは明言せず、『September Shock』についても、「Wink・鈴木早智子が遂に衝撃のデビュー!!」とはしているが、何の「デビュー」か明記していない。当該DVDのパッケージに「MUTEKI Debut!」という記載はあるが、「AV」の「デビュー(Debut)」と書かれていない点は、その公式サイトの記載と同じである。
  42. ^ 鈴木はここで、『September Shock』は、「翌年公開される映画(『宿命のジオード』 編集者注)のプロジェクトの1つ」としてオファーされたもので、「きちんとしたストーリー仕立てになっており、「添い遂げられなかった男女の1夜」の話」であって、「「Winkの鈴木早智子がAV女優転向」と、言われてしまったこと」については、「普通に考えて私がAV転向と言うのは、/「『ありえない』」と思ってくれなかったのかな」/とも思うのです」(「/」は原文の改行箇所)と述べている。
  43. ^ 著書の発売記念イベントの開催場所は東京都港区六本木のTSUTAYA TOKYO六本木店[89]
  44. ^ 鈴木が2000年以降に出演したキー局のテレビ番組の大部分については、この資料で番組名・放送局・放送日・放送時間が確認できる。ただし、2008年12月30日の『第50回日本レコード大賞』(TBS系)への出演[80]記載がない点から見て、完全なリストではない。
  45. ^ テレビ出演以外には、2011年2月12日(土)に渋谷クアトロで行なわれたserial TV dramaのライブのゲストなど[91]
  46. ^ 2011年半ばから翌年半ばの約1年間の動向についての資料としては、2013年2月5日(火)放送の『スター☆ドラフト会議』(日本テレビ系)における鈴木の発言がある。この番組において鈴木は、同番組放送直前のテレビ不出演期間中、「1年は、えーと、生きながらに死んでた感じですね」、「ストレスがすごい溜まっちゃって、ま、家に入院してる感じ」、「無理だと思ったんですね、あの、復帰が。復帰というか、自分のこの精神状態では、もう芸能界で仕事できないかなあとか」(そうなった理由について鈴木自身は発言していない)、「一時期声が全く出なくなっちゃったんですね」、「まあ、ちょっと、リハビリというか、頑張ってボックスに行って、こう、声をなるべく出すようにしたりしてたんですよ」などと自ら語っている。その一方で、同番組内の再現VTRなどにおける服部伴蔵門のナレーションでは、「2010年には共演した俳優との不倫疑惑が発覚、自ら芸能活動を自粛、表舞台から姿を消した」、「実家に戻り、芸能界とは無縁の生活」、「人との関わり合いを避け、家に閉じこもり」、「2年半ぶりのテレビ出演」とされたが、実際には、2011年5月15日(日)放送の『クイズ☆タレント名鑑』(TBS系)以来およそ1年半ぶりのテレビ出演であり、かつテレビへの不出演は、当節の本文に記されている通り「自粛」を契機としたものではない。すなわち同番組では、鈴木自身の発言部分以外は、当該番組出演直前の時期における、そのテレビ不出演について事実が語られていない。なお、この番組における鈴木の出演コーナーの内容は、鈴木が「CD再デビューをかけて熱唱した」[92]というもの。
  47. ^ 鈴木のこの時期の具体的な活動は、2012年5月22日(火)新潟県新潟市江南区のパチンコ・パチスロ店ニューラッキー亀田店での営業[93]や、これを紹介した5月27日(日)放送のラジオミニ番組『NEW LUCKY INFORMATION』(エフエムラジオ新潟)の出演[94]のほか、ややのディナーショーのうち、11月11日(日)愛媛県松山市道後温泉、12日(月)同県新居浜市[95]、25日(日)中華料理店東天紅上野本店[96]、および12月某日神戸メリケンパークオリエンタルホテルにおけるもののゲスト[97]など。
  48. ^ 例えば、2011年10月にはエグゼに鈴木や津田英佑を始め5組のタレントが在籍しているが[98]、その3ヶ月後である2012年1月には鈴木や津田など3組にまで減少しており[99]、2013年には公式サイトが消滅している[100]
  49. ^ このブログにおいて永福真子が、2016年5月15日の「CLEAR'S大集合ライブ」にゲスト出演した「鈴木早智子ですが、しばらく休養をいただいていたので 昨日(原文ママ)は数年ぶりに、人前に出るという事で大変緊張をしていましたが」と記しているが、前記文中の「昨日」は、「一昨日」の誤り[103]
  50. ^ 具体的には、2016年5月15日(日)「お掃除ユニットCLEAR’SスペシャルLIVE~全国CLEAR’S集合!みんなで一緒に回れ~」ゲスト[103]、6月5日(日)シアタープロレス花鳥風月40回記念東京タワー大会ゲスト[105]、8月28日(日)「センス・プロ ランチパーティー企画・第一弾 ~鈴木早智子とゆかいな仲間たち~」[106]、12月30日(金)「Mix Sense SPECIAL PartyNight ~センスプロ、年に1度の大忘年会スペシャル~」[107]、2017年4月30日(日)「センス・プロ ランチパーティー企画・第二弾 ~鈴木早智子とゆかいな仲間たち~」[108]、5月4日(木)第3回 「Tokyo Candoll」決勝戦審査員[109]など。
  51. ^ 「鈴木早智子、9年ぶりドラマで教師役「意外とすんなり」」(『ORICON NEWS』2017年7月6日15:43)(2017年9月19日閲覧)に、「9年ぶり」のドラマ出演とあるが、「8年ぶり」の誤り。
  52. ^ a b 収録日は2018年8月4日[111]
  53. ^ 『Twinkle Angels』p.169に紹介記事あり。
  54. ^ 『ザテレビジョン』1992年第1号「年末年始ビッグスター50」および第2号より第8号の各「ザ・スターれぽーと」(いずれも各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。同誌首都圏版1992年第2号と第3号の「TV番組解説」および第9号「男を狂わすヒロイン乃絵の寝技の数々… 真夜中は別のテク!?」(各地方版共通)p.33に鈴木の役柄「玲子」を記述に含む記事あり。
  55. ^ 『ザテレビジョン』1992年第42号「ザ・スターれぽーと」p.49(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。同誌首都圏版「TV番組解説」p.86に鈴木の役柄「晶」を記述に含む解説あり。
  56. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1996年第10号「TV番組解説」p.84に鈴木の役柄「お由紀」を記述に含む解説あり。
  57. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1997年第1号の番組表に放送・出演予定記事あり。同誌1997年第2号p.13と第3号p.10(いずれも各地方版共通記事)に鈴木の役柄「吉川雅美」の紹介記事あり。
  58. ^ 『ザテレビジョン』1992年第7号「ザ・スターれぽーと」p.44(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。なお同資料には、1992年2月21日(金)に相田と二人でWinkとしての出演予定記載あり。
  59. ^ 『ザテレビジョン』1992年第32号の「ザ・スターれぽーと」p.42(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  60. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1995年第40号・第41号の番組表に放送・出演予定記載あり。
  61. ^ 『ザテレビジョン』1992年第18号「ザ・スターれぽーと」p.43(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  62. ^ 『ザテレビジョン』1992年第23号「ザ・スターれぽーと」p.41(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  63. ^ 『ザテレビジョン』1992年第24号「ザ・スターれぽーと」p.48(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  64. ^ 『ザテレビジョン』1992年第25号「ザ・スターれぽーと」p.43(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  65. ^ 『ザテレビジョン』1992年第26号「ザ・スターれぽーと」p.60(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  66. ^ 『ザテレビジョン』1992年第27号「ザ・スターれぽーと」p.41(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  67. ^ 『ザテレビジョン』1992年第33号「ザ・スターれぽーと」p.45(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。なお、鈴木の出演内容について、同誌首都圏版の番組表には「鈴木早智子のベーコンのサラダ」と記されているが、実際には豆腐の「ボロボロ」が調理されており、調理法が『ESSE』1992年9月号に掲載されている。
  68. ^ 『ザテレビジョン』1992年第47号「ザ・スターれぽーと」p.139(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  69. ^ 『ザテレビジョン』1993年第11号「ザ・スターれぽーと」p.39(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  70. ^ 『ザテレビジョン』1993年第26号「ザ・スターれぽーと」p.53(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  71. ^ a b c 『ザテレビジョン 宮城・福島版』1994年第47号p.96には、鈴木の顔写真を掲載しつつ、「「君の名は」や「長崎の鐘」などの名曲で知られる作曲家・古関裕而福島県出身である彼にちなんで、福島市では毎年、古関裕而音楽祭が行なわれている。11/6福島市公会堂での音楽祭のもようを紹介する。ことしは3年に一度行なわれるコンテストの年。「古関裕而音楽賞」を競い、湯川れい子小椋佳羽田健太郎など有名作詞・作曲家が新曲を製作、Winkの鈴木早智子(写真)らが披露する。なお、このもようは、11/26[土]に「地域イベントアワー」(昼4・30 NHK衛星第2)で、90分の拡大版としても紹介される。」とある。「過去の福島市古関裕而記念音楽祭一覧」(『福島市公式ホームページ』)(2018年3月22日閲覧)では「第2回福島市古関裕而音楽祭」開催を「平成4年11月8日(日曜日)」としているが、この年の11月8日は火曜日であるため、『ザテレビジョン』の記述が正しいと見られる。
  72. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1996年第32号番組表p.66に放送・出演予定記載あり。
  73. ^ 『読売新聞縮刷版』1996年8月25日朝刊番組表に放送・出演予定記載あり。
  74. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1996年第51号「深夜番組表」p.89に放送・出演予定記載あり。
  75. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1996年第42号「TV番組解説」p.75に放送・出演予定記載あり。
  76. ^ 1997年2月15日放送分については『読売新聞縮刷版』同日朝刊番組表に「元ウィンクも感動審査」というかたちで放送・出演予定記載あり。
  77. ^ 『ザテレビジョン』1998年第39号「歌のスペシャル豊漁セレクション」p.13(各地方版共通)に番組出演中の鈴木の写真とともに放送・出演予定記載あり。
  78. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1999年第12号番組表p.99に放送・出演予定記載あり。
  79. ^ 『読売新聞縮刷版』1998年10月27日朝刊番組表に放送・出演予定記載あり。
  80. ^ 『ザテレビジョン』1998年第50号「今週の音楽」p.53(各地方版共通)に放送・出演・曲目予定記載あり。
  81. ^ 『読売新聞縮刷版』1999年8月25日朝・夕刊番組表に「元ウィンクだって恋がしたい・Eメール恋愛」というかたちで放送・出演予定記載あり。
  82. ^ a b c d e f g h i j k l 「鈴木 早智子 プロフィール」(『エグゼ株式会社』)2013年1月2日時点のアーカイブ で、鈴木の主なテレビ・バラエティ番組出演作品の一つとされる。
  83. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 「profile」(『鈴木早智子公式HP』)(2018年8月24日閲覧)で、鈴木の主なテレビ・バラエティ番組出演作品の一つとされる。
  84. ^ a b c d 「鈴木早智子(プロフィール)」(『orega.net』)2007年6月30日時点のアーカイブで、鈴木の主なテレビ・バラエティ番組出演作品の一つとされる。
  85. ^ 吉田豪のインタビューを通し、鈴木の肉声によってその半生が語られているため、鈴木自身の発言であることが確実な、その芸能活動の資料となる。なお、本放送の鈴木出演部分は、DVD『プロインタビュアー吉田豪の元○○な人々vol.2』(ポニーキャニオン、2010年10月20日)に収録されている。
  86. ^ 『Winkers Party』第34号(1995年)p.8に「北海道より縦断オンエアー」と記される通り、放送開始が地区ごとに異なる。
  87. ^ 1995年7月4日(火)および1996年8月2日(木)にNHK BS2で放送されている[136]
  88. ^ 2000年8月25日(金)、2001年1月24日(水)および2002年8月13日(火)に、NHK BS2で東京芸術劇場での公演を録画したものが放送されている[138]
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出典[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]