鈴木早智子

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鈴木 早智子
出生名 鈴木 早智子
生誕 (1969-02-22) 1969年2月22日(50歳)
出身地 日本の旗 日本東京都
ジャンル 歌謡曲J-POP
職業 歌手タレント女優
担当楽器 ボーカル
活動期間 1988年 -
レーベル ポリスター
1988年 - 1996年頃)
バンダイ・ミュージックエンタテインメント
1998年 - 2000年
What's Up? Group
2003年
事務所

アップライトミュージック
1987年-1994年
P-ARTISTS[注 3]
1994年[3]-1996年
マンリープロモーション
1996年頃)
尾木エージェンシー
1997年頃)
ネバーランド
1998年頃 - 2002年
オレガ
2002年 - 2008年
エグゼ
2008年 - 2013年
センス・プロダクション
2013年 - )

※ アップライトミュージック、P-ARTISTS、マンリープロモーションは、同一事務所が社名変更したものであり、マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランドは、同一性のある事務所である。「マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期(1996年 - 2002年)」の小節参照。

鈴木 早智子(すずき さちこ、1969年2月22日[4] - )は、歌手タレント女優1988年から1996年まで活動した、相田翔子とのアイドルデュオWinkのメンバー。本名同じ[5][6][注 5]。別名、東 智子[注 6]、Miyoko.A[注 7]。愛称、さっちん[注 8]東京都出身[12][注 9]センス・プロダクション所属[13]

概要[編集]

1987年、雑誌『UP TO BOY』主催のミス・アップ・コンテストで第6代グランプリとなり、1988年、同じくミス・アップ第9代グランプリである相田翔子とWinkを結成。「愛が止まらない」や「淋しい熱帯魚」のヒットにより、1989年にはスターダムに登りつめた。1996年、Winkは活動を停止。その後、1998年1999年2008年2018年と、デュオ結成から10年ごと(1999年を除く)にWinkを一時再開しており、テレビ番組等で歌唱している。

Winkの活動停止後は、歌手であることを本懐としつつ、主にタレントや女優として芸能活動を継続。

歌手としては、1998年にシングル「INNOCENT SKY〜悲しみも届かないあの空の向こうへ〜」を、また、2003年にアルバム『零〜re-generation〜』を発売している。

2009年に発売したDVD『September Shock』で「AV」出演などと報じられたり、2010年に週刊誌によって舞台俳優と不倫していたとされ、一旦、芸能活動の自粛をしたりするなど、スキャンダラスな動向を示した時期もあった。

2011年から2012年、および、2013年から2015年まで一時休業したが、芸能活動を再開している。

来歴[編集]

出生からWink結成まで(1969年 - 1988年)[編集]

1969年2月22日23時8分[14]、広告関係の仕事をする父[15]と、専業主婦の母[16]のもとに生まれる。出生地を愛知県名古屋市とする文献もあるが[17][注 11]、鈴木の自著では、出生地は東京都目黒区[19]幼稚園の年長組に上がる頃に埼玉県草加市へ転居[20]1989年初頭におけるWinkの「愛が止まらない」のヒット後に、東京で単身生活を始めたとする[21][注 14][注 15]。3兄弟の長女(4歳下に弟、8歳下に妹)[25]。小学2年生の時から歌手に憧れていた[26]

中学生の時にアニメソングオーディションに合格するも辞退[27][注 16]

1984年、東京都内の高校へ進学して間もなく歌手を目指して休学し、同年内に一時的に都内港区青山に所在する芸能事務所[注 17]に所属[29]

1985年頃、高校を退学し、喫茶店[30][注 19]や、建設会社の事務[32][注 20]などのアルバイトの傍ら、都内港区の乃木坂にあった笠井幹男のボーカル・スクールで、レッスンを受けるようになる[34][35][注 21]

1986年7月、草加市の西隣である埼玉県川口市の土手において、数千人[注 22]の聴衆を前にし、アマチュアバンドであるフォーエバー[注 23]のボーカルとして、オリジナル曲「おじちゃんヨイショ」[注 23]を歌唱[9][36]

この年、第1回「ロッテCMアイドルは君だ!」コンテストに出場し、最終選考まで残るもグランプリを逃した[37][注 24]

同年11月2日、成城大学の学園祭において開催された、青年誌『UP TO BOY』(ワニブックス)の「ミス UP FESTIVAL in SEIJO UNIV.」に、東 智子の名を以ってエントリーし、ミス・アップ第7代グランプリを受賞[39][注 25]

1987年1月23日発売の『UP TO BOY』同年3月号のグラビアに、名を本名の鈴木早智子に改めて登場し、3月23日発売の5月号で、表紙と巻頭グラビアを飾る。この年、同誌の鈴木のグラビアを目にしたアップライトミュージック社長森裕平が、芸能事務所に属していなかった鈴木を、設立したばかりの自社に所属させた[42][43]。しかしながら、同社における鈴木の主な仕事は当初、電話番やスケジュール管理などの雑務であり[44]、翌1988年1月に端役としてテレビドラマに出演するなどした以外、Winkを結成するまで目立った芸能活動は無かった[45]

Wink時代(1988年 - 1996年)[編集]

1988年、ミス・アップ第9代グランプリである[46]相田翔子とWinkを結成し、4月27日のシングル「Sugar Baby Love」発売を以って歌手デビュー。Winkは、翌1989年には、年間62.95万枚を売り上げた「愛が止まらない」や、同じく54.873万枚を売り上げた「淋しい熱帯魚」などのヒット曲に恵まれ[47]、この年の12月31日には、『第31回日本レコード大賞』での日本レコード大賞受賞[48]や『第40回NHK紅白歌合戦』への出場[49]を果たすなど、一躍スターダムに上りつめる。

Winkの各アルバムには、『At Heel Diamonds』(1988年12月1日発売)を除き鈴木のソロ曲が1曲または2曲収録されており、クール・アンド・ザ・ギャングのカバーや来生たかおの提供曲などを歌っているが[50]、その他、鈴木単独としては、以下のような動向が見られた。

1990年12月22日公開の映画『きんぴら』に単独出演するが、この時期にはそれ以外のソロでの活動は行なっていない[45]

1991年11月25日発売のアルバム『Sapphire』以降、Winkの活動期間中には、Miyoko.A名義で3曲、鈴木早智子名義で2曲の作詞を手掛けた[50][注 27]

1992年3月25日、Wink時代唯一のソロ・アルバム『Mode』を発売[52]。この年に特に集中的に、テレビドラマの脇役やバラエティ番組のゲストなどとして、単独でテレビ番組に出演している[45]

1993年10月20日より翌年9月までの1年間、『志村けんはいかがでしょう』(フジテレビ系)のコントにレギュラー出演[注 28]。テレビドラマ以外ではWink時代唯一のテレビ番組単独レギュラー出演となった[53]

1994年11月、単身渡米し、およそ2週間、ニューヨークでダンスのレッスンやボイストレーニングを受ける[54][注 29]

1995年3月18日より26日まで公演された舞台『怪盗チェリーのレストラン』で、主演としてチェリー役を演じ、初めて舞台に出演[55][56][57]

この年、日本ボウリング場協会CM「ボウリング マジック!!」に起用され、初のCM単独出演を果たしている[58]

1996年2月25日、Wink時代唯一のソロ・シングル「La Gioconda」を発売[59]

この年3月5日放送の『江戸の用心棒II』(日本テレビ系)において時代劇に初出演するが[60]、2月下旬乃至3月初頭に京都太秦でその撮影を終え、帰京した直後、所属事務所の社長より鈴木一人が社長室へ呼び出され、突如としてWinkの活動停止を宣告された[61]

同月31日を以ってWinkは活動を停止[62]。鈴木は、2010年に上梓した自叙伝『負けじ魂』で、「今もって活動停止の理由や原因は分かりません。聞かされてもいないし、知らされてもいない。」と述べている[63][注 31][注 32]

その後の鈴木は、自らが専ら歌手であるという認識を保ち続けてゆくが[68]、下記の通り、主にタレントや女優として芸能活動を継続することとなる。

マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期(1996年 - 2002年)[編集]

Winkの活動停止後は、1996年は、Winkの所属していたP-ARTISTSが改名した[69]マンリープロモーション[70]1997年頃から尾木エージェンシー[71]、次いで1998年頃からネバーランドに所属[72]。なお、これら3事務所は、住所が同じであり[70][71][72][注 35]、また尾木エージェンシーとネバーランドの電話番号が同じで[71][72][注 36]、同一性がある[注 37]

Wink活動停止後にレコード会社ポリスターとの契約が終了したため新曲が出せなくなり[73][注 38]、暫くは、営業でWinkの楽曲を歌唱するというかたちでの歌手活動はあったものの、映画や舞台、テレビ番組への出演のほか、写真集の発売など、タレントや女優としての活動が芸能活動の中心となっていた[74][45][75]。そのさなかである1998年5月31日より、テレビ東京リアリティ番組ASAYAN』の企画「再起に賭ける芸能人オーディション」に出演[注 39]。その企画内容は、小室哲哉プロデュース権を賭けて、鈴木を含む「再起に賭ける芸能人」女性たちがニューヨークで共同生活をしながらレッスンを行なうというものであったが、鈴木は共同生活を拒否したり、レッスンの途中で退場したりするなど、周囲と同調しない様子を見せ、レッスン後半、他からCDリリースの打診を受けたという理由により、中途帰国してこの企画を一旦は離脱しつつも、後に復帰し、新曲「INNOCENT SKY〜悲しみも届かないあの空の向こうへ〜」を披露する模様などが放送されている。テレビの視聴者層には、この番組によって惹起された鈴木の人格に対する悪印象によって、その後の芸能活動が制限されたと見て取っている者も少なくない[76]。鈴木自身は後に、この番組は、当初より台本があったのみならず、鈴木の与り知らないところで彼女を「悪役」[注 40]として仕立てる編集がなされていたことなどを述べ、その不当性を述懐した[77][注 41]

同年10月28日、バンダイ・ミュージックエンタテインメントよりWink活動停止後初のソロ・シングル「INNOCENT SKY〜悲しみも届かないあの空の向こうへ〜」を発売[59]。同曲は『64マリオスタジアム』(テレビ東京系)のエンディング・テーマ曲として用いられた[79]。また、この年、第1回インターネット歌手ナビ音楽祭で「歌手ナビヒット賞」を受賞している[80]

この1998年という年は、Wink結成10周年にあたるが、12月29日放送の『祝!日本レコード大賞40周年記念スペシャル』(TBS系)において、相田翔子とともにWinkとして出演し[注 42]、「淋しい熱帯魚」を歌唱した。また、翌1999年12月30日放送の『超える!テレビ』(TBS系)においてもWinkとして出演[注 43]、「愛が止まらない」と「淋しい熱帯魚」を歌唱している。

2000年5月末、バンダイ・ミュージックエンタテインメントが解散したが[81]、その後、ネバーランド在籍中においては、新譜を出すことはなかった[82]

同年6月、深夜1時過ぎに、首都高速4号線において乗用車を運転中、逆走してきた自動車と衝突、鈴木の乗用していたベンツは大破し、彼女自身はむち打ち症で3週間ほど入院したが、後遺症は無く[83]、その後もテレビタレントや舞台女優としての仕事を継続する[84][57]

当該時期においては、全体的に、タレントや女優としての活動が主な芸能活動となったが、本懐である歌手としては、1998年にシングルを発売できたものの、鈴木にとって不本意な結果となった『ASAYAN』の出演と、関連性が強いものになってしまった。

オレガ在籍期(2002年 - 2008年)[編集]

2002年、オレガに所属[85][注 45]

2003年12月10日、インディーズ・レーベルであるWhat's Up? Groupより、Wink活動停止後初のソロ・アルバム『零〜re-generation〜』を発売[52]。これを記念し、翌2004年の2月28日と5月28日に、「零〜re-generation〜TOUR2004」と題して、やはりWink活動停止後初のライブツアーを行なっている[86][87]

2005年の初めにはアルバム作成の意向を示してはいたものの[88]、その後、オレガ在籍中に新譜を出すことはなかった[82]。一方、同年は、歌手として以外の芸能活動において、該事務所在籍期における、従来見られなかった動向が見られる。2月11日放送のテレビドラマ『特命係長 只野仁』(テレビ朝日系)ではベッドシーンを演じ、同番組が最高視聴率を更新するほどの注目を集めたが[89]、3月30日にオレガ在籍期唯一の写真集『Voice』を発売し[75]、セミヌードを披露して、「最近では、テレビ朝日系「特命係長 只野仁」でベッドシーンにも挑戦するなど、色気にますます磨きがかかっており」と評される[90]動向を示した。9月22日に同名のDVDも発売[91]。その他、9月10日公開の映画『逆鱗組七人衆』に出演した[92]。同じく2005年から、パチンコパチスロに関わる、地方局のテレビ番組出演[45]や営業[注 47]も目につくようになる。

2006年からは舞台に立つようになり、この年の3月7日から17日まで公演された『眠れぬ夜の電波ハイジャック』や、翌2007年7月29日から9月1日まで公演された『ちぎれた雲はどこへ行く』に出演した[57]

なお、鈴木は、自身の母がで本格的に入院するようになって以降、仕事から看病へと軸足を移し[96]、殊に、父・妹・弟らと共に[97]、草加市の実家に泊りきりで自宅看護を始めた2007年3月[98]から、母が享年64で死去する7月23日[16]までのおよそ4ヶ月間は、事務所の手違いもあって降板できなかった舞台の稽古以外、仕事を入れなかったと述べている[99]。鈴木の母がいつから本格的に入院したのかは判然としないものの[注 48]、このように、病床の母に尽すべく、仕事をセーブしていた時期もあった。

オレガ在籍期においては、母の看護のため仕事を控える時期がありつつも、その芸能活動は概ね、全国放送のテレビ番組におけるタレントや女優を基本としている点で一貫しており[45]、2005年には「色気にますます磨きがかかっ」たと評される活動動向も見られた。また、歌手としての活動が目立つ2003・2004年と、映画・舞台女優や、地方でのパチンコ・パチスロ関連のタレントなどとしての活動が目立つ2005年以降とで、芸能活動に傾向の相違があった。

エグゼ在籍期(2008年 - 2013年)[編集]

2008年4月に、エグゼに移籍したとも言われる[100]

この年はWink結成20周年にあたるが、12月30日、『第50回日本レコード大賞』(TBS系)に相田翔子と2人でWinkとしてゲスト出演し、「淋しい熱帯魚」を歌唱した[101][102]

2009年3月31日、薬物服用により救急搬送されたと報じられ[注 50]、自殺未遂かなどと憶測を呼んだが、同日中に会見を開き、日頃の睡眠不足によって安定剤を服用した旨など、その経緯を説明[103][104]

これより先、同年1月23日に、DVD『NATURAL 〜Respect my life〜』を発売し[91]、セミヌード映像を披露したが[105]、更に9月1日にはDVD『September Shock』を発売[91]、本作品は、その発売前に、メディアから「AV」あるいは「ソフトAV」などとセンセーショナルに報じられた[106][107]。しかしながら、本DVDの発売元であるMUTEKIは、当該作品を「AV」であるとは明言しておらず[108][109]、また鈴木自身は、この出演作品が「AV」ではない旨を述べている[110]。それから間もなく、9月25日にはヌード写真集『one track memories』を[75]、10月25日には同名のDVDも発売[91][注 55]

その後、この年には、精力剤である、宝仙堂の「凄十(すごじゅう)」の広告に起用され、「完全に清純派からセクシー路線に舵を切った」とも評された[112]

2010年2月20日公開の映画『宿命のジオード』に主役である三輪聖子役で出演したが、6月17日発売の『週刊文春』(文藝春秋)により、同映画で共演した俳優津田英佑と4年にわたって不倫関係にあったと報じられる。この影響により、同月20日に自身のブログで当面の芸能活動自粛を発表し[113]、自粛中の7月から9月の間に、初の自叙伝『負けじ魂』を執筆[114]、11月6日に出版し、翌日の著書発売記念イベントで、不倫の否定と芸能活動復帰の発表を行なった[115][注 56]

復帰後は、2011年の前半まで若干のテレビ番組に出演するなどした後[117][84][注 58]、およそ一年の空白期間を経て[注 59]2012年半ば頃に地方での営業などのかたちで活動を再開[注 60]

エグゼ在籍中の前半期には、スキャンダラスな動向が立て続く中で、「セクシー路線」が目立つかたちでのタレントや女優としての活動を行なっていたが[45]、エグゼが衰退する時期でもある在籍後半期には[注 61]、芸能活動が著しく縮小した。

センス・プロ在籍期(2013年 - )[編集]

2013年1月より、かねて親交のあった[128]永福真子が経営するセンス・プロに所属[129][注 62]

この年、キー局のテレビ番組2本に出演するなどしたが[117][84]、その後、芸能活動が暫く途絶。

2016年5月15日、活動を再開するが[132]、復帰後のおよそ1年間はイベントへの出演にとどまった[注 64]

2017年8月12日放送の『心霊呪殺 死返し編』(CSエンタメ〜テレ☆シネドラバラエティ)に出演、8年ぶりのテレビドラマ出演を果たす[45][注 65]

2018年6月13日から17日まで公演された舞台『あいたま』に、声のみではあるが春巻梅役で出演[57]

この年はWink結成30周年にあたるが、8月18日放送[注 66]の『思い出のメロディー』(NHK)において十年ぶりにWinkを一時再開し、「淋しい熱帯魚」と「愛が止まらない」を歌唱[140][141]。そして10月16日には、『Special To Me』と題したWinkのトーク&ミニライブ・イベントを、渋谷マウントレーニアホールにおいて行なう[142]。更に12月30日には、やはりWinkとして『第60回日本レコード大賞』(TBS系)に出演し、「淋しい熱帯魚」を歌唱した[143]

この時のWinkの一時再開は、前年から以下のような経過を経て実現している。2017年6月7日、相田翔子が自らのブログに、プライベートで鈴木とWink結成29周年を祝ったことを写真付きで記したが[144]、同月29日には、テレビ番組『ノンストップ!』(フジテレビ系)で、Wink復活について鈴木と話し合っていることを語り[145]、7月6日の『ORICON NEWS』の記事では、鈴木も同趣旨のことを述べた[146]。8月21日になると、『サンケイスポーツ』によってWinkが2018年4月に再始動すると報じられたが[147]、同日、これを目にした相田は、自身のブログにおいて驚く様子を記しつつも、特に否定はしていない[148][149]。その報道から間もない9月5日に、鈴木が前所属事務所の社長に未払い給与金の支払いを求めているという件が、『女性自身』により「泥沼金銭トラブル」と形容されて報じられ[150]、事の真偽に拘わらず「金銭トラブル」が報じられること自体イメージダウンを招きかねず、この件がWinkの動きに影響を与えうるという見方も出た[151]。その後、相田は、2018年3月7日に、Winkの再始動は「まったくないです」と、一旦は完全に否定するに至っているが[152]、Winkのデビュー日である4月27日には、鈴木と相田が二人で出演するスペシャル・トークイベント『Special To Me』を、10月16日に開催することが告知される[153]。それから3ヶ月ほど経った7月29日、都内のライブ・レストランであるCOTTON CLUBで行なわれた相田の30thアニバーサリーコンサート「This Is My Love V」に、シークレット企画として鈴木が登場し、相田とともに「淋しい熱帯魚」を披露[154]。『思い出のメロディー』でのWinkの復活が報じられたのは、その6日後、8月4日のことであった[138][139]

同年においては鈴木単独での歌手としての活動も見られ、11月7日に上野恩賜公園野外ステージで行なわれた、レンベル・キャピタル主催の第1回震災復興支援チャリティーイベントに出演している[155]

センス・プロ在籍期においては、同事務所に所属してから間もなく3年もの休業期間が続くこととなり、復帰後の芸能活動も活発であるとは言い難いが、テレビドラマへの出演や、声のみながら舞台への出演など、徐々にではあるものの活動の幅が回復しつつある。Wink結成30周年の節目である2018年には、Winkの一時再開も実現した。

人物[編集]

身体[編集]

身長157cm[13]。靴のサイズ23.0cm[13]。血液型A型[4]

  • 過去の身体サイズ
Wink時代の初期までは、身長と靴のサイズ以外の身体サイズも公表されていた。Wink結成と関わりが深い、ワニブックスの隔月刊女性アイドル雑誌『UP TO BOY』、および同誌の記事を多く含む、同社刊のWinkのムック本『Twinkle Angels』に掲載されたものからその変遷を示すと、以下の通りである。
・身長157  体重- B78 W59 H85
(『UP TO BOY』1987年1月号p.50、3月号p.24、5月号p.11)
・身長157  体重43 B78 W59 H83
(『UP TO BOY』1988年5月号p.43、7月号p.12)
・身長157.3 体重43 B78 W58 H85
(『UP TO BOY』1989年3月号p.91)
・身長157.3 体重43 B79 W56 H85
(『Twinkle Angels』、1990年4月10日、p.99)
身体サイズは、掲載媒体によって多少の相違がある。例えば学研の月刊女性アイドル雑誌『BOMB!』では、以下のように、特に体重が『UP TO BOY』のものと異なっていた。
・身長157  体重40  B78 W56 H85
(1989年4月号p.71、5月号p.121、6月号p.193)
・身長157  体重40  B78 W56 H86
(1989年9月号p.30)
その後、体重が35kgに減少していた時期もあり、『明星』1991年1月号の記事[156]には、「夏のコンサート・ツアーが終わってから、しばらくのんびりしてたの。そしたら、8kgも太っちゃって、43kgに!」という鈴木の独白がある。
  • 過去の視力
鈴木の視力は、『UP TO BOY』1989年3月号p.91に右1.0・左0.99、『Twinkle Agels』p.99に右1.0・左0.09とある。
『BOMB!』1989年5月号の記事[157]によれば、その時期においては、普段、眼鏡を着用していた。翌1990年には、「以前コンタクトをつけていましたが、片方なくしてい(原文ママ)まったので今は眼鏡をしています。」という発言がある[158]

人物像[編集]

自身の発言における鈴木の人物像[編集]

  • 若年時の飽き性とその後
幼少期の回想や、若年時に行なっている述懐においては、鈴木は自らを「飽き性」とする。
彼女が41歳の時、2010年11月に上梓した自叙伝『負けじ魂』では、小学2年生の時に歌手に憧れた際は、「私は自分の性格が飽きっぽいということも分かっていました。」[159]「2~3年待ってみて、それでも飽きなかったら本物」[160]と、自身の飽き性な性格故に、慎重な態度を示したとする回想を行なっている。2006年、37歳の時の、プロインタビュアー・吉田豪によるインタビューでは、「鈴木さんは昔から歌手志望だったみたいですね。」という吉田の言を受けて、「いろいろ興味はあったけど、歌手以外は飽き性でしたね(笑)。」と語った[161]
また、21歳の時、1990年4月に出版されたWinkのムック本『Twinkle Angels』では、「英会話はずっとしてみたいと思ってるけど、私って飽き性だから(笑)、ただ軽い気持ちで「やろうかな」なんて始めたりしても中途半端になるだけだと思うの。」と[162]、英会話について、歌手に憧れを持った幼少期と似た態度を示している。なお、英会話を実際に学んだのは、1994年、25歳の時に、ニューヨークでレッスンを受ける時期[163]と、1998年、29歳の時に、同地での『ASAYAN』の収録期間中において、「英語辞書を持ち歩いて話すようにしたり」していた時期であるが[164]、後者の時期には「英語もわからない自分がどこまでできるか。」と思案していたことも述べており[165]、英会話の習得は出来ていなかったように語っている。
自らの若年期以前に関する発言が上記の如くであるのに対し、成人となった頃以降に関して、壮年期における次のような発言がある。2003年、鈴木が34歳の時、20歳頃から好んでいたしゃぶしゃぶや、当時、止められなくなって1年程度経っていた携帯電話麻雀ゲームを例にした、「一つのことがずっと好きではまると長いんですよ。」とするものである[166]
鈴木の壮年期の趣味には、バス釣りのように、30歳前後に2年ほどで終わったものもある一方[32]「趣味 - その他」の小節で後述する如く、ボウリングのように、20代の初め以来、長く続いたものもある。
  • 凝り性、こだわりのある気質
鈴木は自身を「凝り性」ともしている。
『負けじ魂』では、Wink時代の給与の使途について、「凝り性なのでもしジュエリーに興味があったら大変だったと思います」[167]と語る。
凝り性の具体例としては、『Twinkle Angels』では、「中学の時、すごくケーキに凝ったことがあって」[168]、「いろんな所で食べつくし」、「おいしい店にはとってもくわしかった」[162]と述べている。
凝り性と関わるが、少女時代においては、1年程度で嗜好が変わる場合があっても、その嗜好が継続している期間は、「こだわり」を持っている言説が見られる。服装の色に関して、1988年、19歳の時の鈴木による以下の発言がある。
「昔はヘンなこだわりがあったの。中1の時は、とにかく黒しか着なかった。黒って大人っぽいって。で“黒以外に着ちゃいけない”って自分で思いこんじゃって。1年経ってやっと白も着るようになって、中3になったら、急にピンクが好きになって。高校生になったら、なんとオレンジとか着て。そういう時期ってないですか、蛍光色が好きになるっていう……。最近、やっと、いろんな色を着てみたいと思うようになって。だって、このまま死んじゃうのイヤだし、いろんな服を着てから死にたいし」[169]
  • 少女時代における目標達成のための極端さ
先述のこだわりのある気質と関わるが、以下のように、少女時代における鈴木は、歌手になるため「やれるとこまでやる」という「目標」達成のため、自身をして「極端」と言わしめる人生選択をしている。
2006年の吉田豪によるインタビューでは、高校に入学した1984年に、「高校が芸能活動禁止だと聞くなりすぐ休学届を出しちゃうとか、ホントに極端な性格というか。」という吉田の言を受けて、鈴木は、「すごい極端です! ドラマ[注 67]の衣装合わせをサボッちゃったこともありますよ。バレー部員の役で、髪を切らなくちゃいけなくて、それがショックで。もちろんいけないことなのはわかってたので、すぐ事務所に「ご迷惑をおかけしたので辞めさせていただきます」って言って。」と答えた[161]。この、芸能事務所の退所について、鈴木は後に、「歌手の仕事ではないので未練がなかったのでしょう」と、当時の自身の気持ちを推し量っている[171]。吉田のインタビューに戻ると、この退所後に高校を退学したことについて、鈴木は、歌手になるため「やれるとこまでやるのが目標だった」ため「あえて追い込みたかったんですよ」と語った[161]。この目標が達成されるのは、彼女がアップライトミュージックに所属して1年ほど経った1988年、Wink結成が未だ決定していない時期に、歌手デビューの見通しもなく下積みが続く中で引退を決意した時であり、「ホントに自分でやれるところまでやってダメだったから、悔いはなかったんですよ。」と述べている[172]。なお、引退決意から間もなくWink結成が決るため、引退は実行はされていない[172]
  • 不利な状況の回避に優先される信念の貫徹
やはり先述のこだわりのある気質や、鈴木を「不器用で頑固な人」とする後述の吉田豪による評価とも関わるが、『負けじ魂』には、1998年以降に関する記述において、鈴木には引き受けた仕事を放棄しないというべき信念があり、自身の不利な状況を回避することよりも、その信念を枉げずに貫徹することを優先させる旨が記されている。具体的には以下の通りである。
1998年、29歳の時、『ASAYAN』収録中に、事前に説明が無かった「鈴木早智子叩き」の番組構成がなされていることに気づいた際[173]、「ここで話をひっくり返して番組を降りることも考えましたが、いったん引き受けた以上、降板するのは負けだと思いました。」として、この仕事を継続したことを語る[164]
また、2009年、40歳の時、DVD『September Shock』の撮影において、もとはドラマの一部に短いヌードシーンがあるだけだったはずが、急遽ほぼ全編性交シーンを撮ることを何時間も迫られた際[174]、「ここで全部をひっくり返すこともできます。でも、やめれば契約違反で違約金も発生してしまう。一度引き受けた仕事から逃げ出すことが許せない私は、ここで歯を食いしばって頑張るしかない、と覚悟を決めました。」として、話を呑んだ旨を述べている[175]
  • 饒舌
『負けじ魂』では、Winkが「無表情」とされたことについて、緊張でうまく話すことが出来なかったとしつつ、「私は本来、よくしゃべる人です。それは翔子も同じ。」と述べ[176]、自身が元来、饒舌であることを述べている。
なお、饒舌という点に関して、この鈴木の自意識と一致した言及が他者からなされることもある。『Twinkle Angels』で、「WINKの楽屋は、メチャクチャにぎやか。サッチンの「キャー、どーしよー!」という奇声や、翔子の「たいへん、たいへん」[注 68]から始まるオシャベリがイッパイ。」とされていることを始め[178]、後年の、2010年前後の鈴木の各インタビューにおいて、彼女を「饒舌」としている例[111][179]などもある。
  • 目立つことや華やかなものへの苦手意識
『負けじ魂』では、「今でもそうですが、私は目立つことが好きではありません。小学生の頃は、人前で歌うと体が震えてしまいました。この性格に、ずっと悩んでいたのです。」としつつ[180]、歌う際に人前で震えることに限って、小学生の時に克服したことを述べている[181]
2006年の吉田豪によるインタビューでは、「華やかなものが苦手ですし、人前に立つことも苦手だし。」と語っており[182]、自身が目立つことのみならず、「華やかなものが苦手」であるともしている。
  • 容姿に関する不満
『Twinkle Angels』で鈴木が一問一答に答えて、「Complex――考えたことない」と述べたことがあるが[183]、自身の容姿に関する不満を語ることがあった。
やはり『Twinkle Angels』で、「私、鏡見るのあんまり好きじゃないの。昔から自分の顔とか見るの、大きらいで必要なとき以外、ぜったいに見なかった。今でもそう。」[184]と述べたが、翌1991年初頭に、「私、自分の顔って好きじゃないの。で、手鏡しか使わないの。」という発言もあったように[185]、鏡を見ることを嫌うのは、自身の顔立ちを好まないことによっていた。その後、2006年[186]や、2010年[33]の吉田豪によるインタビュー時点でも、鏡を見ることは好まないとしているが、鈴木はその理由を述べておらず、自身の顔立ちを好まないという心情が経年変化していたか否かは不明である。
自らの容姿に関する鈴木のその他の言及には、以下のようなものがある。
1989年初頭、20歳を目前にした時点では、「なんでこんなに童顔なんだろうって思っちゃうんです。」「私は17歳位にみえるから、なんだ子供かって思われるでしょ。それが凄くイヤで。」という発言がある[187]
『負けじ魂』では、1984年、15歳の時の回想の中で、「私は癖毛ということもあり、昔から髪型を気にするタイプ」と語っており[171]、自身の髪質について気にかけていたことを述べた。
顔や髪質以外では、20歳の時、1989年6月1日放送の『ザ・ベストテン』(TBS系)において、「自分の体の中で一番好きなところはどこですか」という問いに、「嫌いなところはあるけど、好きなところはあんまりない。」「嫌いなところは脚とかね。太ももとか。」と答えている。

他者の発言における鈴木の人物像[編集]

  • 相田翔子の発言における鈴木の人物像
鈴木と相田翔子は、デュオ結成以来、良好な関係が続いているといい[188]、相田のブログに鈴木が現れる際は、常に好意的に記されている[189]。鈴木と、かかる関係にある相田は、鈴木に関して以下のように語ってきている。
Winkが結成された1988年においては、「サッチャンにはじめて逢った時、すっごく明るくて、元気いっぱいって印象だった。私はすごく人見知りするタイプだから、〝サッチャンの元気って尊敬できるな〟と思った。」[190]、「明るくて凄い優しい人だなって思って。お姉ちゃんと同じ歳で相談とかできていいんじゃないかなと。」[191]、「明るくて、いつもイキイキしている。」[169]など、明朗な人柄であることを述べている。
また、Wink時代においても、その活動停止後においても、しばしば、考え方や、目立つことを好まない性格など、自身と鈴木の同質性を語ることがある。この2つの時期から発言例を任意に一例ずつ挙げる。
Wink時代の1989年には以下の発言例がある。
ウワサ話とか、考えてることがそっくりで、車の中とかでも異常にもりあがっちゃうんです。頭のレベルとかも一緒で、2人とも勉強は好きじゃない(笑)[192]
そして、1996年のWinkの活動停止から21年を経た2017年には、以下の発言例がある。
デビュー前のレッスン期間中は二人で行動しながら、事務所で毎日、電話番をしたりしていました。その時、波長が合うというか、お互いの空気感が似ているということがわかったんです。社長は、周りを蹴落としてでもトップに昇りつめるんだ! と鍛えようとしていたんですが、二人とも前に出るタイプではない。ただ歌が好きなだけで闘争心もない(笑)。
デビューして、二人でキャンペーンで全国を回ったんですが、お客さんが集まらなくていつも泣いてて。そういうところも一緒でしたね。[193]
一方で相田は、Wink時代の後期である1994年には、鈴木の「尊敬しているところ」として、「しっかりとした計画を持って行動している」ことを挙げており[163]、こうした点などに自身と鈴木の違いを見出している。
  • 香瑠鼓の発言における鈴木の人物像
1988年の「愛が止まらない」以来[194]、Winkの振付を多く手がけた振付師香瑠鼓は、鈴木を「自分なりのセンスを持っているアーティストタイプ」と語る。2018年のインタビューにおいて以下のように述べている。
出会い始めの頃は、それこそ連日ダンスの特訓みたいな感じで毎日会っていたんです[注 69]。レッスンには私服で来るので、そこで個性が見えましたね。さっちんは毎回違ったウィッグ(かつら)をつけて来てました。当時はウィッグがまだ流行っていない頃だったんですけど、彼女は自分なりのセンスを持っているアーティストタイプだな、と思いました。この間会った時に、その話をしたら、本人は思いっきり忘れていたんですけど。(笑)それをとても印象的に覚えています。[195][注 70]
また彼女は、鈴木が、日常的な言動において、「すぐ自分の興味のある方向にい」って、「自分の世界にすぐ入」ることや、そのようにして入り込んだ「自分の世界の中で生きていて」、「愛おし」さを感じさせる、「ちょっとズレてる感じ」を持つことなどを述べた。具体的には、前記したインタビューにおいて、Winkの二人と、2018年の『思い出のメロディー』(NHK)収録で久しぶりに再会した際のことを回想して、以下のように語っている。
さっちんは自分の世界にすぐ入っちゃって。当時は私は眼鏡をかけていなかったんですけど、その収録に眼鏡をかけていったら、子どもみたいに「あ、先生、眼鏡!?」ってすぐ突っ込んできました。それがまた可笑しくて。(笑)さっちんは、すぐ自分の興味のある方向にいくんですよね。凄く久しぶりに会うんだから、普通は「こんにちは!」とか「お久しぶりです!」じゃないですか...さっちんは「こんにちは!」を言う前に、眼鏡のことを突っ込んできて、「あぁ、さっちんらしいなぁ」って。さっちんは自分の世界の中で生きていて、相変わらずちょっとズレてる感じがとても愛おしかったです。[195]
「自分の世界」に入る点に関しては、歌唱パフォーマンスにおいても見られるように述べている。同前インタビューにおける、「当時、Winkのふたりが香瑠鼓さんに教えられた難しい振付を必死にやっていたら、それが結果的に無表情になってしまった、というのは本当ですか?」という問いの返答の中で、香瑠鼓は「そうですよ。」と肯定しつつも、「よくよくみると、さっちんは自分の世界に入っているのでかすかに笑っているくらい」と語っている[195]
  • 森裕平・吉田豪・及川眠子の発言における鈴木の人物像
1989年において、Winkの所属事務所アップライトミュージック社長(当時)・森裕平は、「翔子は、器用な分、油断するところがある。すぐ覚えるが、すぐ忘れるタイプ。早智子は不器用だが、完成度は高い。なかなか覚えないが、絶対に忘れないタイプだね。」と語っている[196]
森の発言は歌唱パフォーマンスの習得に関するものであるが、後年には、その処世に関して「不器用」と評されることがある。
吉田豪は、2010年12月9日放送の『小島慶子 キラ☆キラ』(TBSラジオ)で、鈴木を「不器用で頑固な人」と語った[197]。具体的には、吉田が鈴木に、1998年の『ASAYAN』におけるトラブルなど、「何か起きたとき、すぐ言った方がいいですよ」、「じゃないと誤解が山積みにされていっちゃうから」と話すと、「すぐに言わないとダメでもね、言えないんですよ」のように返答されたことについて、「不器用な人ですね」と述べるなどしている。
また、これに関連する事項として、Winkの楽曲の作詞を多く手がけた作詞家及川眠子により、鈴木の「ピュア」な気質と、「剥き身で生きてる感じ」について言及があったこともある。吉田豪が、及川を2015年にインタビューした際、以下のやり取りがある。
──あのふたり[注 26]の人生が対照的なのもおもしろいですけどね。さっちん(鈴木早智子)が本当にしんどい人生を送るじゃないですか。何度か取材したんですけど、「ここは触れないでください」みたいな話ばっかりなんですよ。
及川 ピュアなんですよ。すごくピュアなんだけど、剥き身で生きてる感じなんですよ。
──さっちんは、当時付き合ってた彼氏のために芸能人AVみたいなものに出たりしてたわけですけど、ピュアだからこそ騙されやすくもあるんだろうなって。
及川 言ってみれば痛い子ですよね、剥き身の子だから。[198]

好きな花[編集]

Wink時代の初期に好きな花が何か言及があることがあったが、相田翔子の場合、[199][200][201]スターチス [202]など、変化があったのに対し、鈴木の場合は一貫して、かすみ草であった[199][201] [200][203]。1988年のWinkのデビューの際には、所属事務所から贈られた花束にこの花が束ねられていたことを喜んでおり[203]、1990年においては、かすみ草を購入して部屋をコーディネートしていると語っている[204]

鈴木はこの花についてこのように述べていた。

かすみ草って、小さくて、白くて、地味なイメージだけど、素朴で純粋で、フンワリ包んでくれる優しさを持った花って感じしません? この花を持っていると、心が洗われる気がして、なごむんですよね。[203]

趣味[編集]

カラオケ[編集]

鈴木が2016年に、「歌は私の原点。やめることはありません。いまでもカラオケに行くと6、7時間は歌っちゃいます」と語っている通り[205]、カラオケは、鈴木の歌手としてのアイデンティティと密接に関わる、幼少期からの趣味である。

小学2年生の時に、テレビでピンク・レディー1976年のデビュー曲「ペッパー警部」を見た時から歌手に憧れを抱くようになるが[206]、小学6年生頃にはお年玉をすべて歌にまつわるものに使うようになり、8トラックのカラオケセットを両親に購入してもらったという[207]

少女時代において、ピンク・レディーの次に好きになった歌手は松田聖子であったが、当時はポップスのカラオケが少なかったため、「雨の慕情」、「ふたり酒」、「おまえに惚れた」などの演歌や、「恋人よ」などの歌謡曲を歌っていた旨を鈴木は語る[208]。Wink時代初期にも、テレビの音楽番組において、カラオケで演歌を歌っていることを述べ、「津軽海峡・冬景色」の歌唱を披露したこともあった[209]

なお、やはりWink時代の初期において、鈴木はカラオケ・カセットの所有数が1,500本と述べていたが[210]、カラオケのレパートリー数が1,500曲ともされ[211]、特に後者については、Winkの活動停止後にも暫く言及されることがあった[212]。しかし、鈴木はのちに、そのレパートリー数に関しては、把握していなかったことを打ち明けている[213]

その他[編集]

  • ピアノ
Wink結成前である1987年、18歳の時に、それより前に習っていたピアノを趣味として挙げつつも、クラシック音楽はあまり好まないことを語ったことがある[214]
歌手となった鈴木がピアノの弾き語り等を行なった例は未確認。
  • ドライブ
公表されている鈴木の唯一の資格が、18歳の時に取得した[215]普通自動車免許であるが[13]、鈴木は、『負けじ魂』において、「私は車が大好き。車そのものというより、一人になれる空間が好きなのです。」と語る[216]。Wink時代には、オフの日にドライブを楽しんでいたといい[217]、初めて購入した自動車である日産・180SXが、最も思い出深い車であると述べている[218]
  • 読書
鈴木は、取り立てて読書を趣味としては挙げてはいないが、Wink時代の前期に愛読書に言及しており、1990年初頭には、好きな本を「銀色夏生さんの詩集」としている[219]。翌1991年初頭には、具体的に、以下のように語った。
銀色夏生さんの本は、幼なじみのヤッコがくれたもの。銀色さんのポエムって、独立して1編ずつ読めるので、何かあるたびに読んでるの。特につらいときは、元気づけてくれるのです。ステキな銀色ワールド、ジーンときます。[185]
なお、上記の発言の際に、以下のように『赤毛のアン』についても言及している。
子供のころからアンのシリーズはずっと愛読書です。今回は、映画の『赤毛のアン』を見て、またまた読み始めました。読むたびに感動です。そして、今の夢は、プリンス・エドワード島に行くことなの。[185]
  • ボウリング
1990年の『Twinkle Angels』に鈴木がボウリングを好んでいるとする記述は無いが[注 71]、翌1991年、22歳の時には、この球戯に夢中になっているとされている[221]。相田翔子によれば、1994年、25歳の時においても鈴木はこれに凝っていて[222]、更にその9年後、34歳の時である2003年9月19日放送の『celeb-life』(BSフジ)では、この当時においても彼女がボウリングをよく楽しんでいたことに関して取材がなされている[166]。この番組において彼女は、ボウリングに凝り始めた理由を、友人の誘いで初めてこれを行なった際、自身が思いのほか拙劣であったためであるとし、上達すべく熱中することになった旨を語っている[166]
この趣味は、Wink時代末期である1995年に日本ボウリング場協会のCM「ボウリング マジック!!」に起用されたり[58]、更にその翌年、Winkの活動停止後に、『ザ・スターボウリング』(テレビ東京系)へ出演したりするなど[45]、自らの仕事とも関わるものになっている。

Wink最盛期における仕事のストレスと、病臥・「病弱」イメージ、失踪、喫煙[編集]

病臥と「病弱」イメージ[編集]

鈴木は、Wink時代の最初期から風邪などでダウンすることがあり、1989年の初頭に、「デビューしてからホント急に体が弱くなっちゃって……」と語ったことがあるが[223]、その後、1989年から翌1990年にかけての、Winkの最盛期で多忙を極めた時期には、以下のように病床に臥している。

まず、1989年 5月29日に、咽頭炎で生放送番組の『歌のトップテン』(日本テレビ系)[注 72]を欠場。

同年11月と12月に腹痛でダウン[224]

『第31回日本レコード大賞』と『第40回NHK紅白歌合戦』を前日に乗り切った1990年の元日[224]には、ストレス性の急性胃腸炎で倒れ、入院することとなり[225][226][227][228]、1月8日に『歌のトップテン』[注 73]を欠場。また、その翌々日である10日に公演予定だった、静岡県磐田市民文化会館における「Shining Star Concert」[229]が、同月22日に延期され、この公演が行なわれた日に生放送された『歌のトップテン』[注 74]においては、コンサートを終えたWinkが同地から中継で出演している。

そして同年7月に急性肝炎で自宅療養を余儀なくされ[230][231]、同月4日生放送の『夜のヒットスタジオSUPER』(フジテレビ系)[注 75]や、15日放送の『スーパーJOCKEY』(日本テレビ系)[注 76]、25日放送の『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ系)[注 77]を欠場した。これに加え、同じ月の14日から開催されたコンサート・ツアー「Especially For You II」は、暫く相田翔子が一人で行なうことになり、鈴木は同月26日の川崎公演から出演している[233]。なお、この時の病臥に関し、週刊誌において、倒れた10日後にスタッフと共に飲酒していたと報じられたことがあるが[234]、後年、これについて吉田豪が鈴木へのインタビュー中に言及した際には、彼女は、飲酒をしないためそれはありえない旨を語っている[33]

その他、左側の腎臓が生まれつき弱く、腎結石血尿になったこともあるという[224]

これらによって、Wink時代には、鈴木に「病弱」というイメージがつくこととなったが、彼女自身が語るところによれば、Wink結成前には病弱ということはなく、「精神的なものが左右した」ものであった[224]。その後、ヒット曲が少なくなってきた頃からは、余裕を持って歌を歌えることにより、やっと仕事が楽しめるようになったという[235]

なお、相田翔子にも「病弱」イメージが付されたことがあり、週刊誌の記事で「病弱アイドル」と形容されたこともある[236]

失踪[編集]

病臥という点では、上記以外にも、1989年3月23日に、「風邪」という名目で『ザ・ベストテン』(TBS系)を欠場しているが、これは、実際には、Winkが急激に売れたことによる、「殺人的なスケジュール」[注 78]を伴った環境の激変に耐えかねて、失踪したものであった[237][205]。この日の朝、「隣の部屋」[注 80]の相田翔子に、「本当にごめんね」[注 81]と書いた置手紙を残し、当時の茨城県鹿島郡大洋村にあった自家所有の山小屋に隠れ、当日か翌日、失踪から戻ったという[239]。この失踪は、メディアに報じられることもなく、隠し通されていた[239]

なお失踪当時は、同年3月3日から始まっていたWinkの地方キャンペーン期間中であり、この月の「殺人的なスケジュール」とは、具体的には以下のようなものであった。

 
日付(曜日) スケジュール内容
1日(水) 取材。『スポーツ気分で遊ING!』(ラジオ日本)収録。
2日(木) テレビ朝日のドラマ収録。『ザ・ベストテン』(TBS系)生出演[240]
3日(金) 仙台キャンペーン[注 82]
4日(土) NHK鳥取の番組公録に出演。
5日(日) 山陰放送鳥取)の番組公録に出演。
6日(月) アルバム『Especially For You』レコーディング。『歌のトップテン』(日本テレビ系)生出演[241]
7日(火) 歌え!ヒット・ヒット』(テレビ東京系)収録。アルバム『Especially For You』レコーディング。
8日(水) [注 83] アルバム『Especially For You』レコーディング。『カッ飛び歌謡ランド』(ラジオ日本)収録。 『ヤングスタジオ』(FM東京)収録。『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)収録。
9日(木) アルバム『Especially For You』レコーディング。『ザ・ベストテン』(TBS系)生出演[242]
10日(金) アルバム『Especially For You』レコーディング。『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)生出演[243]
11日(土)・12日(日) 大阪キャンペーン[注 84]
13日(月) 大阪キャンペーン[244]。『徹子の部屋』(テレビ朝日系)収録。『歌のトップテン』(日本テレビ系)生出演[245]
14日(火) アルバム『Especially For You』レコーディング。
15日(水) 沖縄滞在。
16日(木) 沖縄滞在。『熱帯夜スペシャル』(テレビ朝日系)ロケ[246]。『ザ・ベストテン』(TBS系)に中継で生出演[246]
17日(金) 沖縄滞在。
18日(土)・19日(日) 札幌キャンペーン。
20日(月) 福岡キャンペーン。『歌のトップテン』(日本テレビ系)生出演[247]
21日(火) 南日本放送鹿児島)の100周年記念イベントに出演。
22日(水) 福岡でイベント。
23日(木) 『がんばれドラゴンズ祭』(名古屋・CBCテレビ)にゲスト出演。『ザ・ベストテン』(TBS系)生出演[248]。 ※ この日の朝、鈴木失踪。
24日(金) アルバム『Especially For You』レコーディング。『吉村明宏のときめきバナナ』(ニッポン放送)出演。『ミュージックステーション』(テレビ朝日系) 生出演[249]
25日(土) 山陽放送岡山)のイベントに出演。
26日(日) 『ローソンフレッシュフェスティバル』(大阪放送)の公録に出演。近鉄百貨店阿倍野店(大阪)でミニ・コンサート[注 86]
27日(月)~30日(木) 雑誌『UP TO BOY』のグラビア撮影のため[250]グアム滞在[注 87]
31日(金) アルバム『Especially For You』レコーディング。

※ 注記が無いものは『ORICON WEEKLY』1989年3月6日号~同年4月3日号所載の「WEEKLY SCHEDULE」による。


この頃のWinkは、「休みなんて、1カ月に1日あるかないか。6時間も寝れれば大満足という毎日。」と言われていたが[251]、上記の通り、実際に休日が皆無の中で、アルバム『Especially For You』レコーディングの傍ら、地方キャンペーンで日本各地を巡りつつ、時には東京と地方を往復して、『ザ・ベストテン』や『歌のトップテン』、『ミュージックステーション』といった音楽番組などに出演するなどのスケジュールが組まれていた。Winkの人気が過熱していた時期における、地方キャンペーン中のこうした「殺人的なスケジュール」を、当時の鈴木は耐えきることが出来なかった。

喫煙[編集]

前記した通り、Winkは、鈴木の失踪から4日後である1989年3月27日から、30日にかけての4日間、グアム滞在のスケジュールを持ち、実際に滞在していて[250]、これが同年におけるWinkの唯一の同地滞在になっているが[252]、鈴木はこの地で喫煙を覚えている[253]。その約1ヶ月前である2月22日に喫煙が法的に許された20歳になっていたとはいえ、「アイドルにとって、煙草は男性スキャンダル以上にイメージを左右しかねない」[254]ものであった。しかしながら、グアムにおける、多忙からの解放感の中、「忙しさからの反発」によって煙草に手を伸ばしたという[253]

Wink時代には、喫煙を止めるよう所属事務所の社長から叱責されつつも[255]、マネージャーや懇意にしているスタイリストらの協力を得つつ、隠れて喫煙を続けた旨を鈴木は語る[256]。失踪事件直後に、彼女はこうしたかたちで「忙しさからの反発」に対する折り合いをつけ、以後、先述の通り度々病に臥すことはあったものの、1996年の活動停止までWinkとしての活動を全うし、その後も芸能活動を継続してゆく。

なお、Wink活動停止後も隠れて喫煙することに慣れていたため、人前で煙草を吸えるようになったのは30歳を過ぎてからである旨を鈴木は述べている[257]。喫煙を隠さなくなった30代においては、鈴木の出演したテレビドラマの中に、彼女の喫煙シーンを含むものもある[258][259]

出演[編集]

  • Wink時代のものは、すべて単独での出演。Wink時代におけるWinkとしての出演番組、CM等は「Wink」を参照。
  • 鈴木が2000年以降に出演したキー局のテレビ番組の大部分については、外部リンク「鈴木早智子のTV出演情報」(『ORICON NEWS』)で番組名・放送局・放送日・放送時間が確認できる。

テレビドラマ[編集]

★Wink結成前

★Wink時代(鈴木の単独出演のみ)

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期

★オレガ在籍期

★エグゼ在籍期

★センス・プロ在籍期

テレビ番組(レギュラー・準レギュラー出演)[編集]

★Wink時代(鈴木の単独出演のみ)

★ネバーランド在籍期

  • ASAYAN(テレビ東京系、1998年5月31日 - 10月25日 毎週(日))[注 39]

★オレガ在籍期

テレビ番組(ゲスト出演)[編集]

★Wink時代(鈴木の単独出演のみ)

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期(2000年以降は省略)

★オレガ在籍期(「来歴」の節の記述を裏付けるもののほか、特筆すべきもののみを抄録)

★エグゼ在籍期(「来歴」の節の記述を裏付けるもののほか、特筆すべきもののみを抄録)

★センス・プロ在籍期

CM[編集]

★Wink時代(鈴木の単独出演のみ)

★エグゼ在籍期

  • 宝仙堂 凄十・男子応援キャンペーン(キャンペーン実施期間:2009年11月12日(木) - 2010年2月10日(水))[269]

映画[編集]

★Wink時代(鈴木の単独出演のみ)

  • きんぴら(東映、監督:一倉治雄、1990年12月22日(土)公開)- 松本千代 役

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期

  • 勝手にしやがれ!成金計画(ケイエスエス、監督:黒沢清、1996年9月7日(土)公開)- 三奈子 役
  • ROMANTIC MANIA ロマンティック マニア(ケイエスエス、監督:サトウトシキ、1997年10月公開 初主演映画)- 林英子 役(主演)

★オレガ在籍期

  • 逆鱗組七人衆(さざ波、監督:市川徹、2005年9月10日(土)公開)- 山田ハルコ 役

★エグゼ在籍期

オリジナルビデオ[編集]

★エグゼ在籍期

  • 熱帯 濡れた監禁 女探偵 神楽明日香 (ATTACK ZONE、2009年5月7日(木))- 神楽明日香 役(主演)

インターネット番組[編集]

★エグゼ在籍期

  • コイカツ 恋愛ノウハウトークライブvol.2(マシェリバラエティ マシェバラ、2010年11月5日(金))[270][出典無効]

舞台[編集]

★Wink時代(鈴木の単独出演のみ)

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期

★オレガ在籍期

★エグゼ在籍期

★センス・プロ在籍期

ディスコグラフィ[編集]

ソロ・シングル[編集]

★Wink時代

  • La Gioconda[注 125]ポリスター、1996年2月25日)
    1. ラ・ジョコンダ(作詞: 及川眠子 作曲: 井上大輔 編曲: 菅原弘明
    2. 眠り姫でいたくない (作詞: 及川眠子 作曲: 井上大輔 編曲: 木本靖夫
    3. ラ・ジョコンダ(オリジナル・カラオケ)
    4. 眠り姫でいたくない(オリジナル・カラオケ)

★ネバーランド在籍期

ソロ・アルバム[編集]

★Wink時代

  • Mode(ポリスター、1992年3月25日)
    1. ラスト・ダンスは頬よせて(作詞: 及川眠子 作曲: 森若香織 編曲: 門倉聡
    2. 1999年の退屈(作詞: 及川眠子 作曲: 赤城忠治 編曲: 十川知司
    3. ハリウッドな恋にして(作詞: 及川眠子 作曲: 羽田一郎 編曲: 門倉聡)
    4. 最後の楽園(原作詞・曲: Crivellente / Farina / Bindella 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子) Prima Vera「Play To Love」のカバー
    5. TRANSFER(作詞: 及川眠子 作曲: 工藤崇 編曲: 門倉聡)
    6. 不実な仔猫たち(原作詞・曲: Barry Goldberg / Sylvia St. James / Roxanne Seeman 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子) アメリカソープオペラSanta Barbara英語版』の劇中歌「The Hotter The Night」のカバー

★オレガ在籍期

Winkのアルバム内におけるソロ曲[編集]

Moonlight Serenade』(1988年7月1日)第7曲
  • Take Me To Heaven(原作詞・曲: M. Ingman / B. Glenmark 編曲: 船山基紀 日本語詞: 及川眠子)
Especially For You〜優しさにつつまれて〜』(1989年4月25日)第5曲 アニカ・ブルマンの同名曲のカバー
  • 優しく愛して…(原作詞・曲: Ben Findon / Mike Myers 編曲: 若草恵 日本語詞: 森雪之丞
『Especially For You〜優しさにつつまれて〜』第9曲 ノーランズ「Let's Make Love」のカバー
  • Joanna(原作詞・曲: Charles Smith / James Taylor 編曲: 船山基紀 日本語詞: 及川眠子)
Twin Memories』(1989年12月1日)第9曲 クール・アンド・ザ・ギャングの同名曲のカバー
  • あの夏のシーガル 〜Cherish〜(原作詞・曲: Ronald Bell / James Taylor / Kool & The Gang 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子)
Velvet』(1990年7月11日)第7曲 クール・アンド・ザ・ギャング「Cherish」のカバー
『Velvet』第9曲
Crescent』(1990年12月16日)第4曲 キッス「I Was Made For Lovin' You」のカバー
  • 一年前の恋人(作詞: 竜真知子 作曲: 来生たかお 編曲: 門倉聡)
Queen of Love』(1991年7月10日)第4曲
『Queen of Love』第7曲
  • 聖なる夜に帰れない(作詞: 森本抄夜子 作曲: 広谷順子 編曲: 門倉聡)
Sapphire』(1991年11月25日)第4曲
  • ほんの小さな勇気(作詞: Miyoko.A 作曲: 尾関昌也 編曲: 門倉聡)
『Sapphire』第6曲
  • 未来まで待てない(原作詞・曲: James C. Brown / John A. Butler 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子)
Each side of screen』(1992年4月25日)第6曲 Roxanne「Burning Through The Night」のカバー
  • Only One(作詞: 及川眠子 作曲: 門倉有希 編曲: 門倉聡)
Nocturne 〜夜想曲〜』(1992年11月26日)第6曲
Αφροδιτη』(1993年6月25日)第4曲
  • I Wanna Leave You(作詞: Miyoko.A 作曲・編曲: 門倉聡)
『Αφροδιτη』第9曲
  • 誰も知らない(作詞: 芹沢類 作曲: Osny Melo 編曲: Ian Prince)
BRUNCH』(1993年11月26日)第4曲
  • あなたへの想い(作詞: 鈴木早智子 作曲: 来生たかお 編曲: 小林信吾
『BRUNCH』第8曲
  • days(作詞: 鈴木早智子 作曲: 大平勉 編曲: Brett Raymond)
overture!』(1994年7月1日)第9曲
  • 永遠に…(作詞: Miyoko.A 作曲: 尾関昌也 編曲: 門倉聡)
voce』(1994年12月1日)第9曲
  • 悲しみよりもしたたかに 〜MY TURN〜(作詞・作曲: Jan Anna August Leyers / Werner Pensaert 編曲: Teddy & Melvin 日本語詞: 及川眠子)
Flyin' High』(1995年7月5日)第5曲 TASHA「MY TURN」のカバー
  • 私の夏が始まる(作詞: 芹沢類 作曲: 尾関昌也 編曲: 田原音彦
『Flyin' High』第6曲

その他[編集]

★Wink時代(鈴木のソロ曲)

『第二回 古関裕而音楽賞-輝け緑の星・地球- 明日へ届ける心の忘れ物』[注 106]NHKプロモーション、1994年11月6日収録、非売CD)第10曲
  • ミルキー・ウェイ ~銀河旅行~(作詞・作曲:菅原春美
同上 第14曲

★エグゼ在籍期

鈴木の主演映画『宿命のジオード』(2010年2月20日公開)エンディングテーマ 共演者津田英佑とデュエット 楽曲としては未発売

写真集[編集]

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期

★オレガ在籍期

★エグゼ在籍期

書籍[編集]

★エグゼ在籍期

DVD[編集]

★オレガ在籍期

★エグゼ在籍期

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 鈴木は、1996年に所属事務所の社長からWinkの活動停止を宣告された際の記述において、事務所名を明示せずに、「デビューのときからの社長は代わっており、社名も変更していました。しかし、ここが生まれ育った事務所であることは変わりません。」と記している。
  2. ^ 所属事務所欄に、語尾に「S」無しで「P-ARTIST」、同住所欄に「109港区北青山2-7-28NAビル3F」と記されている。なお同書の前年93年度版(1993年10月20日発行)p. 142の「Wink」の項では、所属事務所欄に「アップライトミュージック」、同住所欄に「106港区六本木6-5-17」と記されている。
  3. ^ アップライトミュージックが社名変更したもの[1][2]
  4. ^ 2011年版以降、および2009年版など2010年版以前の一部では、「鈴木早智子」が立項されていない。
  5. ^ 鈴木は自身の名付けにつき、「『早智子』という名前は、両親がとっても尊敬している先生につけてもらった。どういう意味があるのかは、わからない」と独白したことがある[7]
  6. ^ 1986年11月2日に開催された「ミスUP FESTIVAL in SEIJO UNIV.」にエントリーした際の名[8]。『UP TO BOY』1987年5月号のグラビアに、「友だちに借りた名、東智子」とある[9]。この雑誌の各号にはいずれも名前の読み方は示されていないが、1987年1月号の記事では、「東」と「智」の間にスペースが空けられている[8]
  7. ^ Winkの活動期間中における作詞用のペンネーム。『Winkers Party』第25号(1993年8月)p.2のインタビューにおいて鈴木は、Winkのアルバム『Αφροδιτη』(アプロデーテ)所収の「I Wanna Leave You」の歌詞が自作のものであることを述べているが、前記アルバム付属のブックレットでは、同曲の作詞が「Miyoko.A」と記される。
  8. ^ この愛称は、『UP TO BOY』1987年3月号のグラビアに「サッチン」とあるように[10]、1988年のWink結成前からのもの。なお、表記として、ほかに「早っちん」[11]などがあるが、愛称は元来、口頭の会話において使用されるものであるため、正式な表記があるわけではない。
  9. ^ 鈴木自身が何らかのかたちで関与をしているはずの出身記載の中には、「profile」(『鈴木早智子公式HP』)(2017年8月30日閲覧)のように、「埼玉県」となっているものもあるが、彼女の出身地としては、東京都も、埼玉県も、いずれも正しい。本文において出身地を「東京都」としているのは、便宜的なものである。「出身」という語の指し示す範囲は、三省堂の『新明解国語辞典』(第7版)の「出身」の項に、「その土地で生まれていたり その地域に本籍(実家)があったり 在住していたり あるいはその学校を出たというような経歴があったり すること」(引用原文中の記号を省略)とある通り、広いものである。鈴木にとって、東京都も、埼玉県も、前記の「出身」の定義に該当する地であることは、「来歴」の節を参照。
  10. ^ 同書における鈴木の出生地記載箇所には、典拠は示されていない。
  11. ^ Winkが出演した1989年3月23日放送の『ザ・ベストテン』(TBS系)において、司会黒柳徹子が「名古屋は鈴木さんのお母様のふるさと」と発言している。ただし、この時、鈴木は風邪という名目で欠場し(実際には失踪していた[18])、相田翔子のみの出演であったため、同放送ではこの件についての鈴木の発言は無い。鈴木自身やその所属事務所など直接的な関係者・団体を通して、鈴木の母が鈴木を名古屋で里帰り出産したかにつき公表した媒体は未確認。
  12. ^ 「私が生まれ育った目黒の家」という書き方をしている。
  13. ^ 同記事にWinkの仙台での活動の日付は記されていないが、『Winkers Party』第2号p.2や、『ORICON WEEKLY』1989年3月6日号p.17の「WEEKLY SCHEDULE」により知ることが出来る。
  14. ^ 鈴木が東京に転居した月は3月以降。1989年3月3日におけるWinkの仙台での活動を取材した『明星』1989年5月号の記事[22][注 13]に、彼女たち「2人は今度、引っ越しすることが決定。仕事がつまってきたので、東京近郊のサテライト・シティーから都心に越してくるのだ。」と記される。
  15. ^ 鈴木が東京に初めて単身で居住した際のマンションは渋谷区恵比寿に所在[21]。なお、鈴木が公表している限りにおいては、その後、1994年以前に世田谷[23]、1997年に港区芝浦へと[24]、都内で居住マンションを移転している。
  16. ^ 鈴木 2010, p.46には、このオーディションが「中学1年生のとき」と記されているが、吉田豪による2006年のインタビューでは、鈴木は「中学3年生のとき」と発言している[28]
  17. ^ 鈴木 2010, p.48では、事務所名を明示せずに「東京の青山にある事務所」と述べられているが、『FLASH』1989年7月18日号の「人気爆走の2人組Wink! モデル時代の貴重写真」p.23では、中学生の時にスカウトされ、オスカープロモーションに1年半所属したのち、高校卒業直後に『UP TO BOY』のグラビアを飾ったという経歴が記されている。この記述のうち、オスカープロモーション在籍については、同事務所が青山に所在しているので、この点に限れば鈴木が著書で記したことと矛盾していないが、全体的な経歴は両者の記述の差異が大きい。前記『FLASH』記載のものが1989年における名目上の公式な経歴であったかは未確認。
  18. ^ 「17歳のとき、喫茶店でアルバイトしていた」との記述がある。
  19. ^ 『明星』1989年4月号の記事[31]に、草加市内の、鈴木が「バイトしてた喫茶店ウェンディの店長さん」と共に写る、鈴木の写真が掲載されている。
  20. ^ 2010年の吉田豪のインタビューでは、建設会社のアイルバイトの件が、1987年の芸能事務所所属後における下積み時代の話の最中に現れるものの、その時期にこのアルバイトを行なっていたとは言っていない[33]
  21. ^ 鈴木 2010に、高校中退がいつだったかは記されていないが、1987年2月28日収録である「鈴木早智子インタビュー」 1987, pp.30-31では、インタビューの時点においても笠井のボーカル・スクールに通っている旨と、その「一年半位前から、ちょうど高校やめたときから習っているんですよね」と、高校在学2年目の1985年後半頃に退学したように語っている。『FLASH』2008年11月4日号のインタビューでは、「高校1年生のとき「歌手になるので」と退学届を出したんです。」と述べているが[32]、高校入学から間もなく休学している鈴木は、在学が2年目になれば留年することになるため、「高校1年生のとき」という発言は、1987年のインタビューの発言と矛盾はしていない。
  22. ^ 『UP TO BOY』1987年5月号のグラビアでは「5千人」[9]、『ライオンのごきげんよう』(フジテレビ系、1992年2月20日放送)における鈴木の発言では「3,000以上」。
  23. ^ a b 「フォーエバー」と「おじちゃんヨイショ」の表記は、「デビュー20周年 Wink 鈴木早智子 史上初のベストアルバム完成!」(『FLASH』2008年11月4日号、袋とじ)による。
  24. ^ この時のグランプリは立花理佐[38]
  25. ^ 受賞を1987年1月と誤認している言説がWinkの活動期間中には見られ[40]、後に、鈴木自身が自著[41]で、受賞を「'87年の1月」と誤記してしまっている。
  26. ^ a b 鈴木と相田翔子。
  27. ^ Winkの音楽プロデューサー水橋春夫は、アルバム『Sapphire』作成にあたって、「今回は二人[注 26]にもちょっと作詞家、作曲家としてのチャレンジをさせようかなって思っているんです」と述べたが[51]、このアルバムにおいても、それ以後も、鈴木が作曲することは無かった。
  28. ^ a b ザテレビジョン 首都圏版』1993年第41号「TV番組解説」p.86には、1993年10月20日放送開始の『志村けんはいかがでしょう』について、「志村けんを中心に、モト冬樹石野陽子、鈴木早智子ら “志村ファミリー” によるスタジオ公開コント。第1回は田原俊彦、相田翔子がゲスト」とある。
  29. ^ 鈴木 2010, p.173に、この時のニューヨーク滞在が「’95年」と記されているが、誤り。
  30. ^ この記事がWinkの活動停止発表の場であったことについては、鈴木 2010, p.155。
  31. ^ 鈴木は、Wink活動停止に関する『負けじ魂』の記述と同趣旨のことを、2006年には語るようになっているが[64]、その活動停止の直後には、以下のように述べていた。「Winkの中でもソロ活動をさせて頂いたんですけれども、ちょうどここ1年ぐらいそれが多くなってきたので、8年間を良い機会に“ケジメ”プラス“新たな出発”という事で思いきったんです」[65]。なお、「来歴」の節の本文で記している通り、ソロ活動が多くなったのは、客観的には1992年以降であり、1995年に特に多くなったわけではない。
  32. ^ 相田翔子は、Winkの活動停止について、2017年においては、ムック本のインタビューにおいて以下のように述べている。「8年間、ずっとベスト10に入っていたんで、花のあるうちに解散しようということになったんです。ただ早智子とは本当に仲が良かったから「解散」という言葉は使いたくないね、と相談して「活動停止」ということにしました」[66]。テレビ番組でも同様のことを述べているが[67]、活動停止の理由を不明とする鈴木の述懐と齟齬がある。
  33. ^ 2010年における自身の自粛に関する記述中に、「これまでずっと歌手としてやってきた私」とある。
  34. ^ この鈴木の著書には、マンリープロモーションを指して「社名変更したそれまでの事務所」とあるが、事務所名は具体的には記されていない。
  35. ^ 住所は千代田区三番町7-13(三番町パークマンション)201。
  36. ^ 電話番号は03-5210-4530。
  37. ^ この一文は、本『Wikipedia』の「ネバーランド (芸能プロダクション)」の項が、確たる典拠に基づいた信頼性のある記述になるまでの、当座の参考として記すものである。
  38. ^ ポリスターとの契約終了は、正確にはいつだったのか判然としない。鈴木 2010, p.158に、Winkの活動停止後、「私は社名変更したそれまでの事務所、そして翔子は新会社に行くことになりました。/同時に、私の事務所はポリスターレコードとの契約がなくなってしまったのです。/レコード会社と契約していない、ということはCDが出せないということ」(「/」は原文の改行箇所)とあるが、Winkの活動停止後に発行された『Winkers Party』第38号(1996年)p.6におけるインタビューで、鈴木は「来年からはレコード会社も変わるので」と述べており、少なくともWinkの活動停止によってポリスターとの契約が即座には終了していない。
  39. ^ a b 読売新聞縮刷版』のテレビ番組表から鈴木の出演コーナー関係記載箇所とその放送日とを摘記すると以下の通り。
    05/21 「再起の芸能人驚きの名前」
    05/31 「再起の芸能人遂に登場・新人賞アイドル&ラブジェネ女優&紅白・レコ大受賞WのS」
    06/07 「再起へ怒トウの新展開始動・ウィンク鈴木早智子らが挑む恐怖の生き残り試練とは?」
    06/14 「再起NY生活始動‥‥しかしサッチン超問題発言・女4人の共同生活」
    06/22 「サッチンNYで号泣‥‥〝私はもう踊れない〟」
    06/28 「怒りが遂に爆発・波乱のNY先輩芸能人説教サク烈」
    07/05 「入院・NYに衝撃&小室哲哉のさらなる試練」
    07/12 「仰天・小室の衝撃計画にNY大混乱‥‥外国人合流?」
    07/19 「新展開 台湾人合格でNYに何かが起こる」
    07/26 「台湾人にキレる・号泣激怒‥‥NY一触即発」
    08/02 「激震・サッチン超緊急事態&NY路上で口ゲンカ」
    08/09 「大激白サッチン帰国リタイア全真相・マジ衝突‥‥物が飛ぶ」
    08/16 「運命の合格発表・歓びの涙‥‥しかし小室哲哉まさかの衝撃発言」
    08/23 「決着?小室哲哉と最終面談・しかし重大事実発覚&緊急発言‥‥」
    08/30 「緊急報告・小室哲哉に何が?衝撃全真相」
    09/06 「苦渋の大結論&小室哲哉緊急会見」
    09/20 「驚ガクの新展開へ・サッチン始動」
    09/27 「大試練サッチンに超難関」
    10/18 「大胆発言‥‥小室哲哉」
    10/25 「復活サッチン大熱唱」
  40. ^ 鈴木 2010, p.175における文言。
  41. ^ 鈴木は、2006年1月18日発売の『サイゾー』同年2月号p.66におけるインタビューでは、『ASAYAN』について尋ねられた際に「あまりしゃべりたくないです」と述べ、多くを語らなかったが、同じ年の3月に収録された吉田豪によるインタビュー[78]から、「まだ消化しきれてなくて、『ASAYAN』という言葉を言えるようになったのも2年前のことなんです」としつつ語り始めるようになった。DVD『プロインタビュアー吉田豪の元○○な人々vol.2』(ポニーキャニオン、2010年10月20日)も参照。
  42. ^ a b 『読売新聞縮刷版』1998年12月号p.1380(29日(火)朝刊第24面テレビ番組表)に放送・出演予定記載あり。
  43. ^ a b 『読売新聞縮刷版』1999年12月月号p.1544(30日(木)朝刊第24面テレビ番組表)に放送・出演予定記載あり。
  44. ^ 『orega.net』のアーカイブのうち、鈴木が現れる最初のもの。
  45. ^ 『TVスター名鑑』の「鈴木早智子」の項における所属事務所記載箇所では、2004年版(2003年12月1日出版)までネバーランド、2005年版(2004年12月15日出版)からオレガとなっており、情報更新が遅れている。
  46. ^ 記事の題名に「オールヌード」とあるが、記事本文に「バストトップや秘部のみを隠した」とある通り、実際にはセミヌード。
  47. ^ 具体的には、2006年4月17日における三洋物産「CRスーパー海物語」発表会のゲスト[93][94]や、2007年4月28日における香川県高松市のパチンコ・スロット店PACHINKO SLOT nikkoの「芸能人特別店長」[95]など。
  48. ^ 鈴木 2010, pp.187-188では、母の腎臓癌が手術で完治した「’93年」の「6年後」(1999年頃)に癌が再発、甲状腺に移転し、その手術が成功した「3年後」(2002年頃)に癌がまたもや再発、骨に転移して、闘病生活が始まったと記されているが、その後、母が本格的に入院したのがいつだったのかは述べられていない。ただし、同書のp.194には、その死去の1年ほど前(2006年頃)には入院している記述がある。
  49. ^ この典拠資料は、その記述の情報ソースが不明であるため、記事内容の正誤にかかわらず、留保したかたちでしか依拠することができない。
  50. ^ 例えば2009年3月31日放送の『総力報道!THE NEWS』(TBS系)では、「Wink 鈴木早智子さん 睡眠薬服用し搬送」というテロップとともに、29日に救急搬送された旨が報じられた。
  51. ^ MUTEKIは、自社のこの公式サイトの記載では、「芸能人限定メーカー」を以って自己規定しているものの、「芸能人限定」の何の「メーカー」かは明言していない。
  52. ^ MUTEKIは、『September Shock』について、「Wink・鈴木早智子が遂に衝撃のデビュー!!」とはしているが、何の「デビュー」か明記していない。当該DVDのパッケージに「MUTEKI Debut!」という記載はあるが、「AV」の「デビュー(Debut)」と書かれていない。
  53. ^ 『宿命のジオード』。
  54. ^ 鈴木はここで、『September Shock』は、「翌年公開される映画[注 53]のプロジェクトの1つ」としてオファーされたもので、「きちんとしたストーリー仕立てになっており、「添い遂げられなかった男女の1夜」の話」であって、「「Winkの鈴木早智子がAV女優転向」と、言われてしまったこと」については、「普通に考えて私がAV転向と言うのは、/「『ありえない』」と思ってくれなかったのかな」/とも思うのです」(「/」は原文の改行箇所)と述べている。
  55. ^ DVD『September Shock』と、DVD・写真集『one track memories』の撮影は、2009年4月に、海外において同時に行なわれた[111]
  56. ^ 著書の発売記念イベントの開催場所は東京都港区六本木のTSUTAYA TOKYO六本木店[116]
  57. ^ 鈴木が2000年以降に出演したキー局のテレビ番組の大部分については、この資料で番組名・放送局・放送日・放送時間が確認できる。ただし、2008年12月30日の『第50回日本レコード大賞』(TBS系)への出演[101][102]記載がない点から見て、完全なリストではない。
  58. ^ テレビ出演以外には、2011年2月12日(土)に渋谷クアトロで行なわれたserial TV dramaのライブのゲストなど[118]
  59. ^ 2011年半ばから翌年半ばの約1年間の動向についての資料としては、2013年2月5日放送の『スター☆ドラフト会議』(日本テレビ系)における鈴木の発言がある。この番組において鈴木は、同番組放送直前のテレビ不出演期間中、「1年は、えーと、生きながらに死んでた感じですね」、「ストレスがすごい溜まっちゃって、ま、家に入院してる感じ」、「無理だと思ったんですね、あの、復帰が。復帰というか、自分のこの精神状態では、もう芸能界で仕事できないかなあとか」(そうなった理由について鈴木自身は発言していない)、「一時期声が全く出なくなっちゃったんですね」、「まあ、ちょっと、リハビリというか、頑張ってボックスに行って、こう、声をなるべく出すようにしたりしてたんですよ」などと自ら語っている。その一方で、同番組内の再現VTRなどにおける服部伴蔵門のナレーションでは、「2010年には共演した俳優との不倫疑惑が発覚、自ら芸能活動を自粛、表舞台から姿を消した」、「実家に戻り、芸能界とは無縁の生活」、「人との関わり合いを避け、家に閉じこもり」、「2年半ぶりのテレビ出演」とされたが、実際には、2011年5月15日放送の『クイズ☆タレント名鑑』(TBS系)以来およそ1年半ぶりのテレビ出演であり、かつテレビへの不出演は、当節の本文に記されている通り「自粛」を契機としたものではない。すなわち同番組では、鈴木自身の発言部分以外は、当該番組出演直前の時期における、そのテレビ不出演について事実が語られていない。なお、この番組における鈴木の出演コーナーの内容は、鈴木が「CD再デビューをかけて熱唱した」[119]というもの。
  60. ^ 鈴木のこの時期の具体的な活動は、2012年5月22日(火)新潟県新潟市江南区のパチンコ・パチスロ店ニューラッキー亀田店での営業[120]や、これを紹介した5月27日放送のラジオミニ番組『NEW LUCKY INFORMATION』(エフエムラジオ新潟)の出演[121]のほか、ややのディナーショーのうち、11月11日(日)愛媛県松山市道後温泉、12日(月)同県新居浜市[122]、25日(日)中華料理店東天紅上野本店[123]、および12月某日神戸メリケンパークオリエンタルホテルにおけるもののゲスト[124]など。
  61. ^ 例えば、2011年10月にはエグゼに鈴木や津田英佑を始め5組のタレントが在籍しているが[125]、その3ヶ月後である2012年1月には鈴木や津田など3組にまで減少しており[126]、2013年には公式サイトが消滅している[127]
  62. ^ 「鈴木 早智子 プロフィール」(『エグゼ株式会社』)2013年1月2日時点のアーカイブにある如く、同時点ではエグゼの公式サイトに同社の所属タレントとして掲載されている。
  63. ^ このブログにおいて永福真子が、2016年5月15日の「CLEAR'S大集合ライブ」にゲスト出演した「鈴木早智子ですが、しばらく休養をいただいていたので 昨日(原文ママ)は数年ぶりに、人前に出るという事で大変緊張をしていましたが」と記しているが、前記文中の「昨日」は、「一昨日」の誤り[130][131]
  64. ^ 具体的には、2016年5月15日(日)「お掃除ユニットCLEAR’SスペシャルLIVE~全国CLEAR’S集合!みんなで一緒に回れ~」ゲスト[130][131]、6月5日(日)シアタープロレス花鳥風月40回記念東京タワー大会ゲスト[133]、8月28日(日)「センス・プロ ランチパーティー企画・第一弾 ~鈴木早智子とゆかいな仲間たち~」[134]、12月30日(金)「Mix Sense SPECIAL PartyNight ~センスプロ、年に1度の大忘年会スペシャル~」[135]、2017年4月30日(日)「センス・プロ ランチパーティー企画・第二弾 ~鈴木早智子とゆかいな仲間たち~」[136]、5月4日(木)第3回 「Tokyo Candoll」決勝戦審査員[137]など。
  65. ^ 「鈴木早智子、9年ぶりドラマで教師役「意外とすんなり」」(『ORICON NEWS』2017年7月6日15:43)(2017年9月19日閲覧)に、「9年ぶり」のドラマ出演とあるが、「8年ぶり」の誤り。
  66. ^ a b 収録日は2018年8月4日[138][139]
  67. ^ 転校少女Y』(TBS系、1984年10月9日 - 12月25日放送)[170]
  68. ^ 「たいへん」と話の口火を切るのは、本来は鈴木の口癖であるが、1989年には相田翔子に伝播している[177]
  69. ^ 1988年の『ORICON WEEKLY』各号掲載の「WEEKLY SCHEDULE」では、「愛が止まらない」のレコーディングが終了した10月3日の翌々日である5日のほか、同月11日と18日の3ヶ日において振付のレッスンが認められる。香瑠鼓の言によれば、レッスンは実際にはそれより多いものだったか、振付以外のダンスのレッスンも連日施していたということになる。
  70. ^ 香瑠鼓は、自伝エッセイ『ふぅ~はっ!』(NHK出版、2001年8月25日)p.115でも、同趣旨のことを述べている。
  71. ^ 同書で鈴木が好んでいるとされるスポーツはテニス[220]
  72. ^ 『読売新聞縮刷版』1989年5月号p.1316(29日(月)朝刊第32面テレビ番組表)に放送・出演予定記載あり。
  73. ^ 『読売新聞縮刷版』1990年1月号p.332(8日(月)朝刊第32面テレビ番組表)に放送・出演予定記載あり。
  74. ^ 『読売新聞縮刷版』1990年1月号p.1016(22日(月)朝刊第32面テレビ番組表)に放送・出演予定記載あり。
  75. ^ 『読売新聞縮刷版』1990年7月号p.190(4日(水)朝刊第32面テレビ番組表)に放送・出演予定記載あり。
  76. ^ 『読売新聞縮刷版』1990年7月号p.764(15日(日)朝刊第32面テレビ番組表)に放送・出演予定記載あり。
  77. ^ 『読売新聞縮刷版』1990年7月号p.1260(25日(水)朝刊第32面テレビ番組表)に放送・出演予定記載あり。この文献に「ウィンク―大阪2元中継」とあるが、コンサート公演中の相田翔子が大阪から中継で出演した。この時の大阪公演は7月17日(火)・18日(水)の2日間[232]
  78. ^ 鈴木 2010, p.92での文言。
  79. ^ 同記事にWinkの名古屋での活動の日付は記されていないが、『Winkers Party』第2号p.2や、『ORICON WEEKLY』1989年4月3日号p.17の「WEEKLY SCHEDULE」により知ることが出来る。
  80. ^ 鈴木 2010, p.95での文言。鈴木は後にこの「隣の部屋」を「マンションの隣の部屋」と述べたが[205]、失踪事件の9日後、すなわち4月1日におけるWinkの名古屋での活動を取材した『明星』1989年6月号の記事[238][注 79]に記載の、「ひとり暮らしが、もーすぐ実現」という相田翔子の発言と矛盾している。
  81. ^ 鈴木 2010, p.95での文言。『Smart Flash』のインタビュー[205]では「ゴメンね」。
  82. ^ Winkの仙台キャンペーンの動向が、「今日もドタバタ息つぎな~し!」(『明星』1989年5月号pp.58-59)でレポートされている。
  83. ^ Winkのこの日一日の動向が、「WINKの3月で一番ハードだった一日」(『BOMB!』1989年5月号pp.119-121)でレポートされている。
  84. ^ Winkの大阪キャンペーンの動向が、「The WINK・TIMES」(『DUNK』1989年5月号)pp.36-37でレポートされている。
  85. ^ 『ザ・ベストテン』の欄に「沖縄&鶴太郎&?熱帯夜生中継」とある。
  86. ^ DVDボックス『Wink Visual Collection~1988-1996 ヴィジュアル全集~』(ポリスター、2008年4月27日)付属のボーナスDVD「WINK MINI CONCERT'89-近鉄百貨店・阿倍野店-」は、このミニ・コンサートを収録したもの。
  87. ^ 『Twinkle Angels』 1990, p.32に、「3月下旬、大阪での仕事を終えてその足でグアムへ直行」とあり、グアムへの実際の移動は26日。
  88. ^ 『Twinkle Angels』 1990, p.169に紹介記事あり。
  89. ^ 『ザテレビジョン』1992年第1号「年末年始ビッグスター50」および第2号より第8号の各「ザ・スターれぽーと」(いずれも各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。同誌首都圏版1992年第2号と第3号の「TV番組解説」および第9号「男を狂わすヒロイン乃絵の寝技の数々… 真夜中は別のテク!?」(各地方版共通)p.33に鈴木の役柄「玲子」を記述に含む記事あり。
  90. ^ 『ザテレビジョン』1992年第42号「ザ・スターれぽーと」p.49(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。同誌首都圏版「TV番組解説」p.86に鈴木の役柄「晶」を記述に含む解説あり。
  91. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1996年第10号「TV番組解説」p.84に鈴木の役柄「お由紀」を記述に含む解説あり。
  92. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1997年第1号の番組表に放送・出演予定記事あり。同誌1997年第2号p.13と第3号p.10(いずれも各地方版共通記事)に鈴木の役柄「吉川雅美」の紹介記事あり。
  93. ^ 『ザテレビジョン』1992年第7号「ザ・スターれぽーと」p.44(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。なお同資料には、1992年2月21日(金)に相田と二人でWinkとしての出演予定記載あり。
  94. ^ 『ザテレビジョン』1992年第32号の「ザ・スターれぽーと」p.42(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  95. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1995年第40号・第41号の番組表に放送・出演予定記載あり。
  96. ^ 『ザテレビジョン』1992年第18号「ザ・スターれぽーと」p.43(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  97. ^ 『ザテレビジョン』1992年第23号「ザ・スターれぽーと」p.41(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  98. ^ 『ザテレビジョン』1992年第24号「ザ・スターれぽーと」p.48(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  99. ^ 『ザテレビジョン』1992年第25号「ザ・スターれぽーと」p.43(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  100. ^ 『ザテレビジョン』1992年第26号「ザ・スターれぽーと」p.60(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  101. ^ 『ザテレビジョン』1992年第27号「ザ・スターれぽーと」p.41(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  102. ^ 『ザテレビジョン』1992年第33号「ザ・スターれぽーと」p.45(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。なお、鈴木の出演内容について、同誌首都圏版の番組表には「鈴木早智子のベーコンのサラダ」と記されているが、実際には豆腐の「ボロボロ」が調理されており、調理法が『ESSE』1992年9月号に掲載されている。
  103. ^ 『ザテレビジョン』1992年第47号「ザ・スターれぽーと」p.139(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  104. ^ 『ザテレビジョン』1993年第11号「ザ・スターれぽーと」p.39(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  105. ^ 『ザテレビジョン』1993年第26号「ザ・スターれぽーと」p.53(各地方版共通)に放送・出演予定記載あり。
  106. ^ a b c 『ザテレビジョン 宮城・福島版』1994年第47号p.96には、鈴木の顔写真を掲載しつつ、「「君の名は」や「長崎の鐘」などの名曲で知られる作曲家・古関裕而福島県出身である彼にちなんで、福島市では毎年、古関裕而音楽祭が行なわれている。11/6福島市公会堂での音楽祭のもようを紹介する。ことしは3年に一度行なわれるコンテストの年。「古関裕而音楽賞」を競い、湯川れい子小椋佳羽田健太郎など有名作詞・作曲家が新曲を製作、Winkの鈴木早智子(写真)らが披露する。なお、このもようは、11/26[土]に「地域イベントアワー」(昼4・30 NHK衛星第2)で、90分の拡大版としても紹介される。」とある。「過去の福島市古関裕而記念音楽祭一覧」(『福島市公式ホームページ』)(2018年3月22日閲覧)では「第2回福島市古関裕而音楽祭」開催を「平成4年11月8日(日曜日)」としているが、この年の11月8日は火曜日であるため、『ザテレビジョン』の記述が正しいと見られる。
  107. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1996年第32号番組表p.66に放送・出演予定記載あり。
  108. ^ 『読売新聞縮刷版』1996年8月号p.1120(25日(日)朝刊第32面テレビ番組表)番組表に放送・出演予定記載あり。
  109. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1996年第51号「深夜番組表」p.89に放送・出演予定記載あり。
  110. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1996年第42号「TV番組解説」p.75に放送・出演予定記載あり。
  111. ^ 1997年2月15日放送分については『読売新聞縮刷版』1997年2月号p.726(15日(土)朝刊第36面テレビ番組表)に「元ウィンクも感動審査」というかたちで放送・出演予定記載あり。
  112. ^ 『ザテレビジョン』1998年第39号「歌のスペシャル豊漁セレクション」p.13(各地方版共通)に番組出演中の鈴木の写真とともに放送・出演予定記載あり。
  113. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1999年第12号番組表p.99に放送・出演予定記載あり。
  114. ^ 『読売新聞縮刷版』1998年10月号p.1454(27日(火)朝刊第36面テレビ番組表)に放送・出演予定記載あり。
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  116. ^ 『読売新聞縮刷版』1999年8月号p.1160(25日(水)朝刊第32面テレビ番組表)・p.1180(同日夕刊第20面)に「元ウィンクだって恋がしたい・Eメール恋愛」というかたちで放送・出演予定記載あり。
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  120. ^ 吉田豪のインタビューを通し、鈴木の肉声によってその半生が語られているため、鈴木自身の発言であることが確実な、その芸能活動の資料となる。なお、本放送の鈴木出演部分は、DVD『プロインタビュアー吉田豪の元○○な人々vol.2』(ポニーキャニオン、2010年10月20日)に収録されている。
  121. ^ 『Winkers Party』第34号(1995年)p.8に「北海道より縦断オンエアー」と記される通り、放送開始が地区ごとに異なる。
  122. ^ 1995年7月4日(火)および1996年8月2日(木)にNHK BS2で放送されている[273]
  123. ^ 2000年8月25日(金)、2001年1月24日(水)および2002年8月13日(火)に、NHK BS2で東京芸術劇場での公演を録画したものが放送されている[277]
  124. ^ 出演予定が「山上綾加主演「あいたま」が東京凱旋、声の出演に鈴木早智子」(『ステージナタリー』2018年5月31日0:05)(2018年6月17日閲覧)などで報じられた。
  125. ^ イタリア語で「モナ・リザ」の意味。『Winkers Party』第37号(1996年)p.5に「フランス語」とあるが、それは誤りで、同言語では「La Joconde(ラ・ジョコンド)」という。

出典[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]