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'''渡辺 弥生'''(わたなべ みお、[[1979年]][[9月2日]] - )は、[[日本将棋連盟]]所属の[[女流棋士 (将棋)|女流棋士]]。[[所司和晴]]門下。[[将棋の女流棋士一覧|女流棋士番号]]は65。史上初の[[東京大学]]出身女流棋士。[[新潟県]][[南魚沼市]]出身。
'''渡辺 弥生'''(わたなべ みお、[[1979年]][[9月2日]] - )は、[[日本将棋連盟]]所属の[[女流棋士 (将棋)|女流棋士]]。[[所司和晴]]門下。[[将棋の女流棋士一覧|女流棋士番号]]は65のち41。史上初の[[東京大学]]出身女流棋士。[[新潟県]][[南魚沼市]]出身。


== 人物 ==
== 人物 ==

2012年3月27日 (火) 07:31時点における版

渡辺 弥生(わたなべ みお、1979年9月2日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士所司和晴門下。女流棋士番号は65のち41。史上初の東京大学出身女流棋士。新潟県南魚沼市出身。

人物

「趣味は将棋」というほどの将棋一筋[1]。 父の仕事の都合でミネアポリスで生まれ、9歳までアメリカで過ごす[2]。 2002年に東京大学経済学部経済学科を卒業。しかし、数学の研究者になることを目指して同大学の理科I類に入学し直す。その頃から同大学の将棋部で腕を磨き始める[3]

2006年前期に女流育成会に入会。2007年度前期リーグで1つ目の昇級点を獲得。2008年度後期リーグにおいて2009年2月1日の時点で14勝1敗というぶっちぎりの成績を挙げ、最終日を待たずして2つ目の昇級点が確定し、女流2級昇格(プロ入り)が決まる[4]史上初の東大出身女流棋士の誕生であった[5]。なお、2008年度末をもって女流育成会の制度は終了したため、渡辺は同制度の下での最後の女流棋士昇格者でもある。

棋風

居飛車振り飛車相振り飛車のいずれも指す、女流棋界では比較的珍しいオールラウンドプレーヤー。

中盤戦以降、駒損をいとわず、ずばっと斬り込む棋風である。

昇段・昇級履歴

  • 2006年4月 女流育成会入会
  • 2009年4月1日 女流2級 = 女流プロ入り
  • 2011年3月3日 女流1級 (女流名人位戦B級入りに伴う)

脚注

関連項目

外部リンク