よしもと新喜劇
よしもと新喜劇 | |
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よしもと新喜劇の番組収録が行われている なんばグランド花月 | |
ジャンル | 演芸 / バラエティ番組 |
演出 | 池田義博(舞台監督)、斎藤克 |
出演者 | 出演メンバー参照 |
オープニング | #テーマ曲を参照。 |
エンディング | #テーマ曲を参照。 |
製作 | |
プロデューサー |
新堂裕彦(MBS) 松井直人(よしもとクリエイティブ・エージェンシー) |
制作 | 毎日放送 |
放送 | |
音声形式 | ステレオ放送 |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1962年9月 - 現在 |
放送時間 | 土曜日 12:54 - 13:54 |
放送分 | 60分 |
特記事項: 2007年5月よりハイビジョン制作。 かつては日曜12時→土曜15時→土曜12時に放送されていた。 音声モードは長らくモノラル放送であったが、地上デジタル放送化直前にステレオ化された。 |
『よしもと新喜劇』(よしもとしんきげき)は、毎日放送(MBS)で毎週土曜日 12:54 - 13:54にテレビ放送されている、吉本新喜劇の喜劇舞台公演中継番組(コメディ番組)であり、1962年(昭和37年)9月放送開始の長寿番組である。字幕放送(2005年の秋頃から実施)。ハイビジョン制作であるが、一部の放送局のみハイビジョン放送(下記記述)。
概要
吉本新喜劇所属のタレントによって行われているコメディ劇のうち、なんばグランド花月にて公開録画されているものを示す。
間寛平、今田耕司、東野幸治、藤井隆、山田花子、レイザーラモンHG(住谷正樹)など多くの出演者を売れっ子お笑い芸人として輩出したテレビ番組であり、松竹新喜劇と並び関西喜劇の双璧をなす。
近畿のほか、中京・中国・四国・九州地方など主に西日本地域で長年放送されており、放送時間が土曜日の昼過ぎということもあって、(当時土曜の昼までの授業後)学校から急いで帰宅し、親子で食事をしながら見る子供も多く、ここでの劇中で使われる言葉がテレビを通じ、子供達の間で流行語となるほどの人気が出た。
1997年から、この番組の全国版として「超!よしもと新喜劇」(後に「超コメディ60!」としてリニューアル)が東京のスタジオからゴールデンタイムで放送されていた。しかし、東京向けにアレンジされていたために、関西のみならず全国の新喜劇ファンの評判は芳しくなかったばかりか、出演者の間にも戸惑いが出る状況に陥り、低視聴率のまま短期間で終了した(詳細は当該番組の項参照)。
現在オープニングは、お約束のテーマソングで舞台の緞帳(どんちょう)が上がるものを映すものとなっている。2011年2月ごろまでは出演者とその役柄が高速でスクロールで流れる(スタッフロール)方式だった(役者の名前と顔を一致して覚えてもらうために、舞台に役者が初めて出てきたときも名前が再度表示されることがある)。終了後、緞帳が下りながらのエンドロールとして、出演者とスタッフの一覧が流れる。1990年代後半には、本編終了後に島田珠代などが進行する「玉手箱」のコーナーなど、舞台前や終了後に芸人2人がフリートークするコーナーがあった時期もある。今でも、一連の放送完了後、不定期にイベントや劇団員募集の告知は行われている。
現座長は内場勝則、辻本茂雄、小籔千豊、川畑泰史の4人、2014年6月11日からはすっちーを加えた5人であり、2012年5月から2014年6月10日までは、これに副座長クラスの烏川耕一、清水けんじ、高井俊彦を入れた8人の中から1名が、作家と相談しつつ台本を作成する方式を採っていた。
なお、通常公演は収録日から2週間程度の間を置いてテレビ放送されることが基本であるが、時事性の強い作品(クリスマスなど季節行事にちなんだモノ等)はテレビ放送を優先するため、公演とテレビ放送の順番は必ずしも一致しない。また、特番などによって放送日が収録日から1ヶ月以上あとになった場合、4本の撮り溜め(ストック)を放出するために「調整週」としてテレビ収録・放送が行われないこともある。
現在は、CS放送のGAORA[1] でも放送されているが、2か月弱の遅れの放送となっている。
関東地区の地上波ではTOKYO MXで、3日遅れで視ることができるが、受信可能地域は決して広くない。
字幕放送を実施している(一部地域を除く)。(笑い)と(拍手)の部分は人の顔と手の形を施した独自の表示をしている。
収録先となる大阪・千日前なんばグランド花月ではHD化工事(期間:2007年2月22日 - 3月17日)が行われた。2007年4月17日 - 23日(5月5日放送)から工事完了により、MBS・CBCの地上デジタル放送ではハイビジョン放送が実施されるようになった。後にネット局に加わったTOKYO MXでは途中からハイビジョン放送を実施。
経歴
MBSテレビ開局とうめだ花月
MBSは朝日放送(ABC)と大阪テレビ放送(OTV)を合弁していたが、これを解消して新規にテレビ局を開局することとなったものの、1959年(昭和34年)の開局当時は大阪・堂島の毎日大阪会館に置かれた本社にスタジオが3つしかなく、しかも上層階に設置された上にいずれも狭小のため使い勝手が悪く局内製作に限界があった。このため、MBSは地場で劇場を所有する興行主と業務提携を交わし、その劇場に放送機材を設置して公開放送を行うことにした。
終戦後に舞台演芸から映画館運営へと経営の主軸を移していた吉本興業は、映画の斜陽化を見通し、テレビ時代に見合うコンテンツとして舞台演芸に再参入するべく、大阪・梅田にあった映画館「梅田花月劇場」を演芸場に切り替える計画を進めていた。そこへMBSが大阪地区民放第4局として単独で開局することになり、コンテンツ確保とスタジオ不足を一気に解消できるとして、両社は提携契約を交わした。こうしてうめだ花月がMBSの放送機材設置場所に選ばれた。
当時、吉本興業事業部次長だった八田竹男は、テレビ時代の演芸の形として、うめだ花月に観客を集めるため、所属芸人がテレビで名前を売る場を設ける必要があると考え、まったく新しいスタイルの軽演劇を起こすことにした。この軽演劇こそ吉本新喜劇の前身「吉本ヴァラエティ」で、うめだ花月とMBSテレビ双方の大看板になるべく、両社の社運をかけて立ち上げられた。
MBSテレビ開局当日となった1959年3月1日、うめだ花月も開場。吉本ヴァラエティの初公演「アチャコの迷月赤城山」が記念番組として生中継された。これがこの番組の源流である[2]。しかし、開局後しばらくはスポンサーが取りにくかったこともあって、新喜劇は不定期放送だった。
レギュラー番組化 - 全国ネット
やがて大正製薬がスポンサーに付き「サモン日曜お笑い劇場」の名前で、日曜正午から45分間に渡り放送された。また、初期(1962年12月2日 - 1963年秋)の頃、当時MBSのキー局であったNET(現:テレビ朝日)をはじめとする同系列全国同時ネットで放送された。しかし、笑いの嗜好がまったく異なる関東では受け入れられず、NETは翌1963年(昭和38年)6月、水曜日昼枠で地元芸人を中心とした『テレビ寄席』を立ち上げる。MBSでは『テレビ寄席』もネット受けするが、今度は逆に近畿圏の視聴者が東京の寄席に馴染めないという理由で低迷。関東での好評によって『テレビ寄席』が日曜正午へ移動した同年10月の改編で、MBSは『テレビ寄席』を、NETも『サモン日曜お笑い劇場』の放送を互いに打ち切りあった。
このとき、当時MBS社長だった高橋信三は「江戸笑芸は関西では受け入れられにくい。テレビ寄席の視聴率が低迷するのは当社にとって判りきっていたことで、互いに打ち切り合うという判断は正しかった」と述べたという。
地方への番販と打倒ABC
高橋の腹心で、後にMBS社長になる斎藤守慶が中心となっていたMBSテレビ営業局は、大正が日曜12時台のNET系全国ネット提供を『テレビ寄席』に一本化する方針だったにもかかわらず、『テレビ寄席』と『日曜お笑い劇場』が同じ放送時間になったという理由で、引き続き『お笑い劇場』のスポンサーとして残るように依頼する(事実上の企画ネット番組)。大正の社長だった上原正吉は最終的に高橋の説得の前に折れ、出稿継続を了承した。これによって『お笑い劇場』は関西ローカルベースでの存続が決まり、『お笑い劇場』の1年前にスタートしていた『スチャラカ社員』で全盛を極めていたABCを追撃する体制を整え、遂には視聴率逆転に成功。これによりMBSの看板番組として、腸捻転解消までこの時間帯の在阪民放トップを独走した。
一方のABCは1966年(昭和41年)、『スチャラカ』の担当ディレクターだった澤田隆治は、ABCの局舎移転にあわせてテコ入れを目論むが、これに脚本の香川登志緒が猛反発して番組から降板、翌1967年(昭和42年)4月に打ち切りに追い込まれる。
その後もABCは『お笑い劇場』の裏番組として同種のコメディ番組をぶつけてくるが、軒並み視聴率を取れず、1年どころか半年(2クール)持たずに打ち切られるケースが続出して「魔の時間帯」と呼ばれるようになる。さらに、先述の澤田と香川の対立は同じ日曜日の夕方に放送されていた『てなもんや三度笠』に飛び火し、こちらも1968年(昭和43年)4月改編で打ち切られた。これを受けてABCは後続番組(『てなもんや一本槍』『てなもんや二刀流』『スコッチョ大旅行』)のスタッフから澤田を外し、これが後に澤田が東阪企画を立ち上げる伏線となった。
そして1971年(昭和46年)1月、ABCは現在も続く『新婚さんいらっしゃい!』を開始、旧OTV時代の『ダイラケのびっくり捕物帖』以来14年間に渡った日曜12時台のコメディの放送を一度は諦める。その『新婚さん』も最初は1年以内で打ち切られるのではないかという、半ば諦めムードの中で立ち上げられたとまでいわれている[3]。
やがて「○曜お笑い劇場」の名で、地方局にも番組販売という形で再び放送されるようになった。しかし、NET系列局のある地域であっても、中京広域圏では、当時の名古屋テレビや中京テレビではなく、長い間東海テレビ(フジテレビ系列局)で土曜の正午から放送されていた(後に名古屋テレビへ移行)。また、広島県でも広島ホームテレビではなく、広島テレビで放送されていた(1973年頃は土曜日の正午に放送されていた)。
ネットワーク変更以降
状況が一変したのは1975年3月31日、いわゆるテレビネットの腸捻転解消によって、MBSのキー局がTBSに代わった事である。
このとき、大正製薬は『テレビ寄席』がまだ関東地区で一定の支持を得ていたこともあって、NET系列での企画ネットによる出稿継続を決定、これにより日曜12時台の大正提供枠を13年間続いたMBSから引き上げてABCへ移行した。こうしてABCで新たにスタートしたのが『日曜笑劇場・あっちこっち丁稚』である。
これを受けてMBSは「日曜お笑い劇場」を現在と同じ1時間枠に変更、「花月爆笑劇場」[4] と番組名を改称。当時正午からだったお昼のJNNニュースをJNN排他協定の絡みで同時ネットしなければならなくなり、開始時間に制約ができたこと、また、日曜日の午後1時台がABCから移行したTBS発番組(『ロッテ歌のアルバム』と『家族そろって歌合戦』)の絡みで使えなくなった[5] こと、さらに、ABCで土曜日に放送されていた『お笑い花月劇場』にぶつける必要性があったことなどから、土曜 15:00 - 15:55に移動させた。そして、大正製薬に代わる地場スポンサーを吉本興業と共同で開拓、番組の継続にメドをつけた。
その後、日曜12時台には後続番組だった『がっちり買いまショウ』を移動させるが、JNNニュースによる開始時間の制約で、視聴者の多くがABCの『日曜笑劇場』に流れてしまい、1975年末『がっちりショッピング』に全面リニューアルしたものの、結局1977年(昭和52年)4月改編で終了した。この改編で正午からのJNNニュースがその前の午前11時台に移動し、時間の制約はなくなったものの、MBSは『花月爆笑劇場』を日曜日に戻してABCの『日曜笑劇場』にぶつけることはしなかった。この結果、MBSでは日曜日12時台の番組が、数か月で目まぐるしく変わっていき、1960年代後半のABCも真っ青の『魔の時間帯』となった。その結果、1979年0月改編で自社制作枠を返上してTBS制作番組のネットに変更、『ダイラケ』以来21年に渡ったTBS系列・日曜12時台の関西発バラエティ番組の歴史が途絶える事になった。視聴率面でも『アッコにおまかせ!』がスタートする1985年まで苦戦を強いられ続けた。
その後、『花月爆笑劇場』は土曜12時台に再度移動し、現行の「よしもと新喜劇」のタイトルに変更される。
1987年(昭和62年)、なんばグランド花月(NGK)が開館するが、当初NGKでは新喜劇興行は行われず、うめだ花月での興行、収録が続けられた。同じ頃ABCは『The ハタラケ興業』の打ち切りを持って一度は『日曜笑劇場』としての新作制作を中止、『お笑い花月劇場』を土曜日から日曜日に移動したものの翌1988年(昭和63年)4月改編で打ち切り、5月にはなんば花月も閉鎖された。しかし1989年(平成元年)の「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」で若手中心の「ニュー新喜劇」チームがうめだ花月からNGKに移動。翌1990年(平成2年)3月、うめだ花月が閉鎖され、当番組の公開録画の会場も長年慣れ親しんだ梅田から難波に移動した。
2001年(平成13年)4月改編で、土曜日の午前にローカル生ワイド『せやねん!』がスタートすると、12時台もそちらに充てられることになり、『せやねん!』終了後の午後1時台の放送に変更され、現在に至る。
主な出演メンバー
出演者は毎回異なる。末尾の※印は座長(座長として出演しない場合もある)。なお、端役等すべての劇団員の氏名は「吉本新喜劇」の座員を参照のこと。
NGK
- 青野敏行
- アキ(水玉れっぷう隊)
- 秋田久美子(現在は主に代役などで出演)
- 浅香あき恵
- 伊賀健二
- 五十嵐サキ
- 池乃めだか
- いちじまだいき
- 井上竜夫
- 井上安世
- 今別府直之
- 烏川耕一
- 内場勝則 ※
- 宇都宮まき
- 大島和久
- 太田芳伸
- 帯谷孝史(1999年借金問題による追放処分で一旦退団するが2010年に復帰)
- 川畑泰史 ※
- 桑原和男
- 小籔千豊 ※
- 酒井藍
- 佐藤太一郎
- 島木譲二
- 島田一の介
- 島田珠代
- 清水けんじ
- 末成由美
- すっちー ※
- たかおみゆき
- 高橋靖子
- タックルながい。
- チャーリー浜
- ぢゃいこ
- 中條健一
- 辻本茂雄 ※
- 中田はじめ
- 中山美保
- 新名徹郎
- 西川忠志
- 平山昌雄
- 福本愛菜(元NMB48)
- 前田真希
- 松浦真也
- Mr.オクレ
- 未知やすえ
- 森田展義
- 森田まりこ
- 諸見里大介
- 安井まさじ
- 安尾信乃助
- 山田亮(2010年までメインの役として多数出演していたが、現在は年一回以下の出演)
- 吉田ヒロ
- 吉田裕
- ランディーズ
- 若井みどり
ルミネ(元NGK)
ルミネオープン時にNGKから拠点を移したメンバー なお○印のメンバーはルミネでの座長
現ルミネ、元NGKメンバー
ネット局
被配信局では、本編終了後に名珍場面集が放送される[6]。
放送対象地域 | 放送局 | 放送系列 | 基本放送時間 | 遅れ | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
近畿広域圏 | 毎日放送(MBS) | TBS系列 | 土曜 12時54分 - 13時54分 | 制作局 | - |
青森県 | 青森テレビ(ATV) | 金曜 14時50分 - 15時50分 | 83日遅れ | 2015年4月3日からネット再開。[7] | |
中京広域圏 | CBCテレビ(CBC) | 土曜 12時00分 - 12時57分 (編成によっては13時00分) |
14日遅れ[8] | [9] | |
鳥取県・島根県 | 山陰放送(BSS) | 木曜 10時30分 - 11時30分 | 26日遅れ | 2012年より不定期放送 | |
岡山県・香川県 | 山陽放送(RSK) | 日曜 16時00分 - 17時00分 | 15日遅れ | [10] | |
広島県 | 中国放送(RCC) | 土曜 12時00分 - 13時00分 | 49日遅れ | [11] | |
山口県 | テレビ山口(tys) | 土曜 13時00分 - 14時00分 | 14日遅れ | [12] | |
愛媛県 | あいテレビ(itv) | 土曜 12時54分 - 13時54分 | 7日遅れ | [13] | |
高知県 | テレビ高知(KUTV) | 水曜15時21分-16時20分 | 74日遅れ | 2015年6月18日からネット再開。[14] | |
福岡県 | RKB毎日放送(RKB) | 月曜 1時30分 - 2時25分(日曜深夜) | 127日遅れ | [15] | |
長崎県 | 長崎放送(NBC) | 日曜 13時00分 - 13時54分 | 85日遅れ | [16] | |
熊本県 | 熊本放送(RKK) | 火曜 - 金曜 15時00分 - 16時00分 | (バラバラ)[17] | [18] | |
宮崎県 | 宮崎放送(mrt) | 月曜 14時55分 - 15時55分 | 23日遅れ | [19] | |
鹿児島県 | 南日本放送(MBC) | 土曜 12時00分 - 12時55分 | 14日遅れ | [20] | |
徳島県 | 四国放送(JRT) | 日本テレビ系列 | 土曜 12時00分 - 13時00分 | 126日遅れ[21] | [22] |
東京都 | TOKYO MX 1[23] | 独立局 | 火曜 23時30分 - 翌0時30分 | 3日遅れ | E!TV枠、2013年7月23日から放送開始[24] |
日本全域 | GAORA[25] | CS放送 | 木曜 16時00分 - 17時00分[26][27] |
54日遅れ | 再放送あり |
かつて放送されていた局
- NETテレビ(NET)(現:テレビ朝日(EX)、テレビ朝日系列)(腸捻転時代)
- 北海道放送(HBC)(「花月爆笑劇場」時代はMBSと同時刻で毎週放送されていたが、『よしもと新喜劇』改題後は年数回程度の不定期放送となり、その後放送されなくなった。)
- 秋田放送(ABS、日本テレビ系列)(1980年代後半から1990年代前半に『世界まるごとHOWマッチ』を始めとする、MBS制作・木曜20時枠の番販ネット番組が休止の際の穴埋めで放送。)
- 秋田テレビ(AKT、フジテレビ系列)(2010年に、「吉本新喜劇」秋田公演のプロモーションを兼ねて、不定期で放送。)
- テレビ山梨(UTY)(2004年10月から2009年3月まで放送。金曜深夜に遅れネット[28]していた)
- 静岡放送(SBS)
- 富山テレビ放送(T34→BBT、フジテレビ系列)(腸捻転時代からTUT開局まで放送。)
- チューリップテレビ(TUT)(2007年4月から同年9月28日まで放送。)
- 北陸放送(MRO)(2008年1月に放送再開するも、再度打ち切り。)
- 福井テレビジョン放送(FTB、フジテレビ系列)(2016年現在は不定期放送[30]、敦賀市などはCATVの区域外再放送によりMBSテレビが視聴できる。なお『SMAPxSMAP』の同時ネット化前は、月曜22時から放送されていた時期があった。)
- 東海テレビ放送(THK、フジテレビ系列)(名古屋テレビのANNフルネット化まで放送。)
- 名古屋テレビ放送(現:メ〜テレ(NBN)、テレビ朝日系列)(腸捻転解消でCBCへ移行。)
- 山陰中央テレビジョン放送(TSK、フジテレビ系列)( 腸捻転解消から数年遅れてBSSへ移行。)
- BSSへの移行が遅れたのは、当時BSSが『お笑い花月劇場』をネットしていたことと、『モーレツ!!しごき教室』のTSKでのネットが、腸捻転解消後も継続されたことが理由と思われるが、詳細は不明。
- 広島テレビ放送(HTV、日本テレビ系列)(腸捻転解消でRCCへ移行。放送当時はフジテレビ系列とのクロスネット局。)
- テレビ愛媛(EBC、フジテレビ系列)(あいテレビ開局前、水曜深夜に放送されていた。)
- 九州朝日放送(KBC、テレビ朝日系列)(腸捻転時代は日曜10時30分-11時15分。腸捻転解消でRKBへ移行したが、1982〜83年頃にRKBの編成上の都合でKBCに一時的に再移行していた時期がある。)
- 大分放送(OBS)(2015年9月26日で一旦打ち切りとなった後、同年11月9日に放送再開するも、2016年3月28日で再度打ち切り。)
- テレビ宮崎[31](UMK)(腸捻転解消でMRTへ移行。)
- 琉球放送(RBC)(2012年2月4日から同年4月27日まで放送。なお、初回は深夜(翌1:50-2:50)。)[32]
そのほかにも、不定期でネットされる場合がある。
50周年記念番組
2009年(平成21年)9月12日にMBSローカルの『よしもと新喜劇』が終了した後の14:00 - 15:24(JST)に、JNN系列全国28局(新潟放送は『ワンダフル競馬』放送のため、9月12日の16:00 - 17:24に時差ネット)ネットによる、吉本新喜劇50周年記念の特別番組「初めての人でも絶対笑える『よしもと新喜劇50周年SP』〜今田耕司とゆかいな仲間たち〜」が放送された。吉本新喜劇がTBS系全国ネットで放送されることは『超!よしもと新喜劇』(1997年10月-1998年3月)以来11年ぶりであった。
今田耕司と小籔千豊が座長を務める「吉本新喜劇50周年全国ツアー」の内、2009年7月5日にシアターBRAVA!で行われた大阪公演「花月警察24時!」の模様と、今田や間寛平、池乃めだか、東野幸治、藤井隆、岡村隆史、千原ジュニアなど過去の新喜劇の名場面や、お蔵入りになった島木譲二の流血事件などの「お宝映像」などで構成された。
進行は小籔と宇都宮まきが担当し、今田はご意見番として登場した。ナレーションは橋本のりこが担当した。近畿広域圏やRCC(広島県)では放送当日は「よしもと新喜劇」が2時間30分放送された。
舞台とドラマがドッキングスペシャル
2010年(平成22年)8月28日の12:54 - 15:30に、MBS開局60周年記念番組として、関西ローカルで放送。通常の舞台中継に加え、小籔千豊主演によるドラマ仕立てのコントが組まれた。コントの内容は、ケーキ屋の息子・小籔が、2010年夏から1968年夏にタイムスリップし、同じくタイムスリップした内場勝則と遭遇。内場から、決して未来を変えることをしないように忠告されつつ、結婚前の父の元でアルバイトとして、働き始めて未来に戻るという内容。MBS60周年記念番組として放送されたことから、MBSテレビで放映された過去のバラエティ番組の中から『ヤングおー!おー!』『モーレツ!!しごき教室』『夜はクネクネ』『突然ガバチョ!』の1シーンが番組内の随所で放送された。また、舞台では浜村淳が『ありがとう浜村淳です』のテーマに乗ってゲスト出演した。
スタッフ
- 舞台監督 : 松本一彦
- 協力 : トラッシュ、アーチェリープロ、つむら工芸、すくらんぶる、大槻衣裳、浪原靴店、CLICK!、長野かつら
- D : 藤原真美
- FD : 田中理沙
- AP : 中村進
- P : 新堂裕彦(MBS)、松井直人(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)、齋藤克(ゾフィープロダクツ)
- 制作協力 : ゾフィープロダクツ(2008年3月までがアイ・ティ・エス)
- 製作 : 吉本興業、MBS
過去のスタッフ
- P : 佐藤昌弘・岸本孝博・東郷泰樹(MBS)、吉田武司・野山雅史・新田敦生・覚野公一(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)
- AP : 中村沙世
- D : 木谷綾子
- AD : 青木優子
- 舞台監督 : 池田美博
- CGタイトル : 太宰育世(西川育世)
- CGイラスト : 吉田弘典(吉田ヒロ)(オープニングCGの原画担当)
- 協力 : 大阪東通、ウエルカム、スタッフユニオン
テーマ曲
オープニング曲
- 「生産性向上のためのBG音楽 工場向け第一集その5」(作曲:山根正義 演奏:コロムビア・オーケストラ 1962年頃に日本コロムビアから発売されたアルバム「生産性向上のためのBG音楽 工場向け第一集」収録 過去[いつ?])
- 『Somebody Stole My Gal』(公演オープニングテーマ、レオ・ウッド(en:Leo Wood)作曲。1918年。ピー・ウィー・ハント(en:Pee Wee Hunt)の1954年頃のアルバム「Swingin' Around」収録 現在[いつ?])
- ※元は朝日放送「お笑い花月劇場」のテーマ曲だった。
- 1999年までの一時期、冒頭の見どころ紹介の部分で使用されていた曲はT-SQUAREの「Rodan」。
ED曲
- 「エクスタシー」(唄:吉本新喜劇オールスターズ 1992年 - 1996年3月)
- 「エクスタシー〜OSAKA」(唄:YSPオールスターズ 1996年4月 - 2002年3月)
- 「エクスタシー2002」(唄:YSPオールスターズ 2002年4月 - 現在)
関連項目
外部リンク
脚注
- ^ 毎日放送系列のCS放送。
- ^ この経緯もあって、うめだ花月で録画される番組は、全てMBSが放送した。
- ^ 三上泰生『6chは上方文化や』(大阪書籍 ISBN 4754818350)に記述あり。
- ^ 火曜日の22時台に放送されていた『花月脱線劇場』と混同される場合があるが、全くの別番組である。
- ^ 特に『家族そろって』はJNNネットワーク協議会所管で、加盟各局が毎週持ち回りで制作していた。
- ^ ただし、CBCやGAORAなど一部の局では『名珍場面集』部分をカットして放送。また、スタッフロールが表示されるタイミングも、MBSと被配信局とで異なっている。
- ^ 1990年代頃から2002年3月までは水曜 15時54分 - 16時54分、2002年4月から2004年3月までは水曜 15時50分 - 16時50分、2004年4月から2005年3月までは木曜 15時50分 - 16時50分、2005年4月から2007年3月までは土曜 10時15分 - 11時15分〔隔週で単発番組による休止あり。2005年10月から2006年3月までは11時14分まで。2006年4月から2007年3月までは『ふしぎのトビラ』・単発番組とのローテーション〕で放送していた。なお、正月スペシャルは2009年まで放送していた。
- ^ MBS・2011年8月20日放送分(この日は12:00 - 13:30に夏休みスペシャルとして放送)は直後に『MBS&CBC開局60周年記念でら知りたいねん!大阪!名古屋!せやねん!×花咲かタイムズお近づきSP』を放送する関係から同時ネットで放送されたほか、現在のタイトルに改題後、同時ネットで放送していた時期がある。
- ^ 2001年4月-2007年9月の間は『晴れ・どきドキ晴れ』枠に内包。腸捻転時代は東海テレビ・メ〜テレで放送。また、エンディングの製作著作のテロップが出るあたりで『来週もお楽しみに!!or次回は○月○日にお送りします(後者は、翌週に当番組の放送がない場合に表示)』というイエローバックのテロップをCBC側で送出している(MBS側から送出されるVTRで『このあとは名珍場面』と表示している位置に被せるかたちで表示。なお、2013年4月27日放送分から2014年の11月ごろまでは創英角ポップ体が使用されていた)。
- ^ 特番や主にゴルフを中心としたスポーツ中継等の影響で13〜15時台に繰り上げ放送や土曜14〜16時台で放送することも時折発生する。1996年頃までは同時ネットだったが『王様のブランチ』開始以降は1週遅れの14:00(その後、16:00に枠移動。単発特番やスポーツ中継の影響で放送しないこともあった)になった。2007年4月より1日遅れに縮小。2013年4月以降より8日遅れ、2015年4月12日より15:00に枠移動、2週間遅れになる。2009年4月からハイビジョン放送となった。2015年10月現在、金曜10:00 - 11:00の枠でも再放送されている(前年度放送済み作品からのセレクト)。
- ^ 週により前後の1時間を移動したり、2週分(12:00 - 14:00又は13:00 - 15:00)放送したり、1時間を本放送、1時間を再放送とすることもある。度々休止・集中放送するために遅れ幅が広まったり縮んだり、内容が飛んだりしている。同時ネットしていた時期もあった。
- ^ 1990年代の終わりごろに遅れネットを開始し、その後も不定期放送をしていた。2014年5月21日から水曜20:54 - 21:54の枠でレギュラー放送として開始(初回は、MBSで2014年4月5日に放送されたものを53日遅れで放送)したがTBS側の編成の都合で当番組が休止となるケースが多くあったため、2015年4月からは土曜昼に移動となった。
- ^ 木曜 18時55分-19時55分のローカル枠に、自社制作番組打ち切り後2009年3月中旬まで新作を放送し、従来の土曜 12時54分-13時54分は、再放送枠「名作撰」に変更していた。12時00分開始時代に『王様のブランチ』第二部の同時ネットに切り替えて、新喜劇を枠移動したことがあったが、半年で元通りになったことがある。現在『王様のブランチ』は第一部のネットに落ち着いている。2013年10月5日放送分より、一旦同時ネットとなったが、その後2015年4月より7日遅れネットへ再移行(2015年11月28日現在。なお、字幕放送は遅れネット再移行後も継続)。
- ^ かつては2000年3月までMBSと同時刻に放送されていた。2015年10月1日までは木曜15時24分から16時23分に放送。
- ^ 1990年代後半に日曜 13時00分 - 13時54分に放送していた時期がある。また、特番等が入る場合や放送機器メンテナンス時は放送が休止される事が多く、その度に遅れ日数が広がることがある。
- ^ 2010年3月までは不定期放送だったが、2010年4月から正式にこの枠にて放送されている。
- ^ 熊本放送で2013年8月4日に放送された「天橋立兄弟愛物語」は、制作局のMBSでは、2012年7月21日に放送されており、この時点で1年15日遅れということがわかるが、熊本放送では「3時のエンターテイメント よしもと新喜劇」と題し、『よしもと新喜劇』を火曜から金曜の15時00分 - 16時00分に放送しているため、何日遅れで放送を実施しているのか定かではない。なお、日曜 13時00分 - 14時00分の放送枠は2014年4月以降、再放送や単発番組を放送しており、現行枠は新作と再放送を組み合わせて放送している。
- ^ 長らく土曜 13時00分 - 14時00分に放送して来たが、『王様のブランチ』のネット開始の影響により、2012年7月より枠移動したが、2014年4月からは現在の放送枠に移動した。
- ^ 過去に2007年10月6日から2010年6月26日まで放送されていた。2016年4月4日より5年9ヶ月ぶりにネット再開。
- ^ 放送開始は1992年10月3日から。開始当初は13時00分 - 14時00分。2014年3月までは12時00分 - 13時00分(21日遅れ)。
- ^ 特番などの関係で当番組が休止となるケースがあり、そのたびに遅れ日数が広がっている。
- ^ 徳島県内ではMBSでも視聴できる。また、MBSが12時00分開始だった時代は、他系列にもかかわらず同時ネットであった。2009年1月17日放送分までは字幕放送を実施。同年4月からハイビジョン化。
- ^ 2014年4月1日より、終日マルチ編成を開始。それ以後はHD画質のチャンネル1で放送。
- ^ 関東地方では1975年のネットチェンジ以降、TBSで放送することはなく38年ぶりの放送となり、独立局での放送は初めてである。同局ではSony Musicグループ、ブシロードなどのCMが流れる。MBSでの放送がない週は過去作品の再放送を行う。
- ^ 新喜劇本編のみ放送(そのため、エンディングの『このあとは名珍場面』というテロップが出るタイミングで『GAORAでは名珍場面の放送はございません』というお断りテロップを画面左上に表示している)。
- ^ 2009年から2010年1月までは22時30分 - 23時30分、2010年2月-2014年11月までは16時00分 - 17時00分だった。
- ^ 2014年12月1日 - 2015年1月30日まで月曜 - 金曜(22時30分 - 23時30分)で新作を連日放送したため258日あった地上波との差がかなり狭まった。2015年2月より17時30分 - 18時30分、4月より現行の放送時間となる。
- ^ ちなみに、UTYでの放送が打ち切られた時点では13日遅れだった
- ^ 『はままつ新喜劇』10月29日テレビ放送決定 - 浜松市シティプロモーション情報WEBサイト
- ^ 福井テレビでのレギュラー放送が打ち切られた時期については不明
- ^ FNN/FNS、NNN、ANNの3局クロスネット局。
- ^ 1982年頃まで『お笑い花月劇場』をネットしていたほか、現在のタイトルに改題後、1990年代後半に一時期ネットしていた。