ブリヂストン

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株式会社ブリヂストン
Bridgestone Corporation
種類 株式会社
市場情報
略称 BS
本社所在地 日本の旗 日本
104-8340
東京都中央区京橋三丁目1番1号
東京スクエアガーデン
設立 1931年昭和6年)3月1日
業種 ゴム製品
法人番号 3010001034943 ウィキデータを編集
事業内容 タイヤ化工品運動用品
代表者 代表取締役CEO 津谷正明
代表取締役COO 西海和久
資本金 1263億54百万円
(2015年12月31日時点)
発行済株式総数 8億1310万2321株
(2015年12月31日時点)
売上高 連結:3兆7902億51百万円
(2015年12月期)
営業利益 連結:5172億48百万円
(2015年12月期)
純利益 連結:2842億94百万円
(2015年12月期)
純資産 連結:2兆2820億11百万円
(2015年12月末時点)
総資産 連結:3兆7958億46百万円
(2015年12月末時点)
従業員数 14万4303人
(2015年12月末時点)
決算期 12月末日
主要株主 石橋財団 9.43%
日本トラスティ・サービス信託銀行 5.52%
日本マスタートラスト信託銀行 4.85%
関係する人物 石橋正二郎(創業者)
外部リンク http://www.bridgestone.co.jp/
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株式会社ブリヂストン: Bridgestone Corporation)は、日本に本社を置く世界最大手[1]の巨大タイヤメーカーおよびそのブランド

創業地の福岡県久留米市ではムーンスターアサヒコーポレーションとこの会社とで「ゴム三社」と呼ばれている。元々は1930年(昭和5年)、日本足袋株式会社(にほんたび。現在の株式会社アサヒコーポレーション)のタイヤ部門として発足したのが会社の源流で、1931年(昭和6年)に「日本タイヤ株式会社」(にほんタイヤ)として独立分社化、その後、1951年(昭和26年)に「ブリヂストンタイヤ株式会社」に社名変更し、1984年(昭和59年)に現在の社名となる。

2005年(平成17年)、フランスミシュラン社を抜き世界シェアトップとなる。

生産拠点数は25か国178拠点(2012年(平成24年)現在)。

売上高のおよそ2割はタイヤ以外の多角化事業での売上。同ブランドのスポーツ(ゴルフテニスなど)用品事業と自転車事業はグループ子会社。

主な事業内容

タイヤ部門
乗用車用/トラック・バス用/建設・産業・農業車両用/航空機用/二輪自動車用のタイヤ・チューブほか。
化工品部門
自動車関連部品、ウレタンフォーム及びその関連用品、事務機器用精密部品、工業用資材関連用品、建築・配管関連用品、土木・海洋関連用品ほか。

関連会社の事業

子会社ブリヂストンサイクルで自転車事業を展開する。

1950年代にはブリヂストンサイクルでオートバイを製造したこともあったが後に撤退。

日本足袋から独立した経緯から、その後身のアサヒコーポレーションを通じて、ブリヂストンブランドのを発売している。

社名

社名は、創業者石橋正二郎にちなみ英語の「ブリッジ」()と「ストーン」()を合成したもの。を直訳して、「ストーンブリッジ」では語呂が悪いので、逆さにして「ブリヂストン」になったという。 また、その当時タイヤの世界的ブランドだったファイアストンのような一流企業になりたいという思いも込められた。

ブリヂストンを略して「BS」と称される事が多い(1967年(昭和42年) - 1984年(昭和59年)当時のマークにBSが使われた)。

正式には「シ」に濁点ではなく「チ」に濁点のブリストンである(戦前の創業であるため。ラヂオプレスと同じ)。

ロゴとシンボルマーク

旧ロゴ

シンボルマークとして、現在はアルファベットの『B』をかたどったものが使われている。1980年(昭和55年)に創立50周年「ブリヂストンは拡がる、世界へ、生活へ」のCI目標を掲げたプロジェクトの一環として梅田正徳の手によって手がけられたもので、1984年(昭和59年)に発表された[2]2011年(平成23年)には、丸みを帯びたものに若干変更が加えられている(ロゴフォントも同様)、旧ロゴのRの文字が見やすく変更されたのが特徴[3]

1967年からCIが導入される1984年まで使用していたシンボルマークは、凸の中に『BS』の文字をいれたもので、ブリヂストンはキーストンマークと称している[3]

ロゴは、現在のものは7代目[3]

社是

創業者が掲げた社是の「最高の品質で社会に貢献」は、現在も全世界のブリヂストンでの企業精神として受け継がれている。

沿革

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那須野が原那須塩原市)にあるブリヂストンテストコース(写真中央)、栃木工場、黒磯工場(写真左)
那須工場周辺
北九州工場(北九州市若松区
  • 1930年(昭和5年) - 日本足袋株式会社(現:株式会社アサヒコーポレーション)タイヤ部により純国産タイヤ第1号が生まれる。
  • 1931年(昭和6年)3月1日 - 日本足袋タイヤ部が独立し、福岡県久留米市に「ブリッヂストンタイヤ株式会社」設立。
  • 1932年(昭和7年) - 商工省より優良国産品の認定受領。米国フォード社やGM社の製品試験に合格。東アジア等への輸出を開始。
  • 1934年(昭和9年) - 久留米工場開設。本格量産開始。
  • 1935年(昭和10年) - ゴルフボールの本格量産開始。
  • 1937年(昭和12年) - 本社を東京に移転。Vベルト・ゴムホース製造と防振ゴム試作を開始。
  • 1938年(昭和13年) - 横浜工場開設。
  • 1942年(昭和17年) - 太平洋戦争激化に伴い、英語表記の社名を「日本タイヤ株式会社」に変更。
  • 1947年(昭和22年) - 二代目石橋徳次郎保有の日本タイヤ株式と石橋正二郎保有の日本ゴム株式を交換し、資本・経営関係を分離[4]
  • 1949年(昭和24年) - 販売店の登録代理店制度を発足。「ブリッヂストン自転車株式会社」発足(1946年(昭和21年)より自転車の試作を開始)。輸出事業強化に向けて輸出部を設置。石橋正二郎が東京電気自動車(後のプリンス自動車工業の源流)に出資。
  • 1951年(昭和26年) - 社名を「ブリヂストンタイヤ株式会社」に変更。グッドイヤー社と生産・技術提携契約を締結(1979年(昭和54年)に解消)。他社に先駆けタイヤコードのレーヨン化を開始。東京京橋にブリヂストンビルを竣工、「ブリヂストン美術館」を併設。
  • 1951年(昭和26年) - カーボンブラックの国産化を目的として石橋正二郎により旭カーボンを設立[5]
  • 1952年(昭和27年) - 横浜工場でフォームラバー生産開始。ブリヂストン自転車にてオートバイの製造開始。トラック・バス用タイヤ全サイズをレーヨンコード化し更に新パタンに切替え「U-LUG」と命名し発売開始、大ヒットとなる。アジア諸国へ主張員を派遣し市場調査を開始。石橋正二郎が会長を務める「たま自動車」が、初の乗用車「プリンス」を発売開始(同年、社名を「プリンス自動車工業」に変更)。
  • 1953年(昭和28年) - 売上高100億円突破、業界首位に。中近東諸国への出張員派遣を開始。
  • 1956年(昭和31年) - 創立25周年記念式典挙行、記念事業の一環として石橋文化センターを建設し久留米市へ寄贈。日本初のトラック用スチールバイアスタイヤ開発。販売店の自社系列化政策を開始(販売会社化)。戦後初の海外拠点としてシンガポール支店を設置。
  • 1958年(昭和33年) - 欧米諸国への出張員派遣を開始。
  • 1959年(昭和34年) - 他社に先駆けタイヤコードのナイロン化を開始。
  • 1960年(昭和35年) - 東京工場開設。横浜工場でウレタンフォーム生産開始。「ブリヂストン液化ガス」(現:「ENEOSグローブ」)を設立。
  • 1961年(昭和36年) - 株式公開を実施(店頭 5月)、東京・大阪証券取引所に株式を上場(10月)。
  • 1962年(昭和37年) - 日本初のトラック用スチールラジアルタイヤ開発。東京工場敷地内に技術センター開設。
  • 1963年(昭和38年) - 日本初の本格的レースである第1回日本グランプリに参戦。
  • 1964年(昭和39年) - 日本初の乗用車用ラジアルタイヤ開発(試験開始は1957年(昭和32年))。
  • 1965年(昭和40年) - マレーシアに戦後初の海外工場を設立。欧州で最初の販売会社をスイスに設立。米国インペリアル・イーストマン社と技術援助契約、「ブリヂストン・インペリアル・イーストマン」(現:「ブリヂストン・フローテック」)を設立(1981年(昭和56年)に子会社化)。タイヤ品質保証部を設置し、品質の保証を体系化・体制の充実を図る。
  • 1966年(昭和41年) - CMソング「どこまでも行こう」放送開始。
  • 1967年(昭和42年) - アメリカに販売会社「ブリヂストン・アメリカ」を設立。ブリヂストンタイヤショプ制度発足。
  • 1968年(昭和43年) - デミング賞受賞。社是制定。アフリカで最初の駐在員事務所をヨハネスブルグに開設。
  • 1968年(昭和43年) - 久留米商工会館屋上にゴム三社(月星ゴム<現ムーンスター>、日本ゴム<現アサヒコーポレーション>そしてブリヂストンタイヤ<現ブリヂストン>)の回転式ネオン塔を設置。
  • 1970年(昭和45年) - スチールコードメーカーのベルギー・ベカルト社と協同し「ブリヂストン・ベカルト・スチール・コード」社設立。防振ゴム分野の米国クレバイト社と提携して、「ブリヂストン・クレバイト」(現:「ブリヂストンエラステック」)を設立。第1回「ブリヂストンゴルフトーナメント」(現:「ブリヂストンオープン」)開催。
  • 1971年(昭和46年) - 環境対策強化を睨み、環境管理部を設置、各種公害の軽減や資源リサイクル分野の強化を開始。
  • 1972年(昭和47年) - アルミホイールの製造・テスト販売を開始。米国クエスター社と合弁契約を締結、「ブリヂストン・スポルディング」を設立しスポーツ用品事業に本格進出。
  • 1973年(昭和48年) - グループ3社(タイヤ・液化ガス・サイクル)提供番組「クイズオンクイズ!!」(日本テレビ系)放送開始。
  • 1976年(昭和51年) - 日本初のF1レースに初参戦(但し1チームのみのスポット参戦)。
  • 1977年(昭和52年) - 栃木県黒磯市に日本初のタイヤテストコース開設。
  • 1979年(昭和54年) - 「ポテンザ」ブランド誕生。
  • 1980年(昭和55年) - 販売情報の集約のため、全国の販売網との間にオンラインシステム「DOTシステム」を構築。米国ユニロイヤル社を買収。
  • 1981年(昭和56年) - 提供番組「ベストヒットUSA」(テレビ朝日)放送開始。
  • 1982年(昭和57年) - 日本初のスタッドレスタイヤ発売。
  • 1983年(昭和58年) - アメリカのファイアストンのナッシュビル工場を買収。
  • 1984年(昭和59年) - 社名を「株式会社ブリヂストン」に改称。(CI導入)
  • 1986年(昭和61年) - 新タイヤ形状理論RCOT発表
  • 1988年(昭和63年) - アメリカのファイアストンを正式に買収、子会社化。
  • 1989年(平成元年) - アメリカの子会社を再編、「ブリヂストン/ファイアストン・インク」設立。
  • 1990年(平成2年) - ヨーロッパ統括会社として「ブリヂストン/ファイアストン・ヨーロッパ エス エー」を設立。
  • 1993年(平成5年) - スポーツ関連用品事業をブリヂストンスポーツに統合。
  • 1994年(平成6年) - ヨーロッパにおける事業を「ブリヂストン/ファイアストン・ヨーロッパ エス エー」に統合
  • 1997年(平成9年) - F1に本格参戦。
  • 1998年(平成10年) - ブリヂストンの源流である株式会社アサヒコーポレーション会社更生法適用を申請。ブリヂストン代表取締役海崎洋一郎は資金援助の拒絶を表明。久留米市内の工場で同社の人員を受け入れる等の形で再建への協力を行う [4]
  • 1999年(平成11年) - 旭カーボンを子会社化[6]
  • 2001年(平成13年) - 「ブリヂストン/ファイアストン・インク」が持株会社制を導入。(「ブリヂストン/ファイアストン アメリカス ホールディング・インク」)
  • 2002年(平成14年) - 創業者の石橋正二郎が日本自動車殿堂入り。ロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦。
  • 2003年(平成15年) - アメリカの統括子会社の社名を「ブリヂストン アメリカス ホールディング・インク」に、同様にヨーロッパの統括子会社の社名を「ブリヂストン ヨーロッパ エヌヴイ エスエー」に変更。
  • 2003年(平成15年) - 栃木工場で大規模な火災事故が発生、操業を一時停止。原因は工場内での溶接中に火花が原料ゴムに着火したことによる。
  • 2004年(平成16年) - 中国にタイヤ事業を統括する普利司通(中国)投資有限公司を設立。
  • 2005年(平成17年) - 日本市場向けとしては24年ぶりとなる新ブランド「Playz(プレイズ)」を発売。
  • 2006年(平成18年) - ブリヂストン アメリカス ホールディング・インク、再生タイヤ大手バンダグ社(Bandag Inc.)を買収。石橋正二郎が米国自動車殿堂入り。戦略的事業ユニット(SBU)、グローバル経営プラットフォーム(GMP)、グローバル本社(GHO)からなる組織改革を実施。
  • 2008年(平成20年)5月16日 - 同業の第4位メーカーである東洋ゴム工業と業務・資本提携を発表した。
  • 2010年(平成22年) - 契約満了に伴い、F1へのタイヤ供給から撤退。
  • 2011年(平成23年)3月1日 - 創業80周年を機にCI(ブリヂストンシンボル)と企業理念を変更(リファイン)し、新タグラインとして「あなたと、つぎの景色へ(日本国外ではYour Journey, Our Passion)」を制定。
  • 2013年(平成25年)11月5日 - 東京都中央区京橋の東京スクエアガーデンへの本社移転に伴い、新本社での業務を開始(12月9日に移転完了)。
  • 2014年(平成26年)6月13日 - 国際オリンピック委員会(IOC)のTOPスポンサーになり、調印式を帝国ホテル東京で行った。

主な関連会社

国内

海外

主な工場

タイヤ工場

  • 久留米工場(久留米)…1931年3月操業開始。乗用車用、小型トラック用タイヤをはじめ、航空機用、レーシング用等の各種タイヤ、タイヤ金型を生産。
  • 東京工場(小平)…1960年3月操業開始。技術センターと隣接しており、乗用車用、小型トラック用、航空機用ラジアルタイヤを生産。
  • 那須工場(那須塩原)…1962年3月操業開始。乗用車用、小型トラック用、二輪車用、農業機械用、産業車両用タイヤを生産。
  • 彦根工場(彦根)…1968年3月操業開始。乗用車用、小型トラック用ラジアルタイヤを生産。中京・関西の二大マーケットにタイヤを供給。
  • 下関工場(下関)…1970年6月操業開始。建設・鉱山車両用タイヤ専門工場。製品の大半を海外に輸出。
  • 鳥栖工場(鳥栖)…1970年7月操業開始。超偏平・高性能スポーツカー用タイヤをはじめとする乗用車用と小型トラック用ラジアルタイヤを生産。
  • 栃木工場(那須塩原)…1971年4月操業開始。トラック・バス用、乗用車用、小型トラック用、新交通用ラジアルタイヤ等を生産。敷地内に廃タイヤ焼却発電設備を所有。
  • 甘木工場(朝倉)…1973年5月操業開始。トラック・バス用、小型トラック用ラジアルタイヤ主力専門工場。敷地内に廃タイヤ焼却設備を所有。
  • 防府工場(防府)…1976年10月操業開始。乗用車用、小型トラック用ラジアルタイヤ、建設・鉱山車両用タイヤを生産。敷地内に建設・鉱山車両用タイヤ試験センターを所有。
  • 北九州工場(北九州)…2009年6月操業開始。建設・鉱山車両用ラジアルタイヤ専門工場。製品の大半を海外に輸出。

原材料工場

  • 佐賀工場(三養基)…1982年3月操業開始。スチールコードを生産。

多角化製品工場

  • 横浜工場(横浜)…1938年7月操業開始。コンベヤベルト、免震ゴム、防振ゴム等のゴム関連製品、事務機器用精密部品等を生産。
  • 熊本工場(玉名)…1971年10月操業開始。ゴムクローラ、高圧ホース、工業用ゴムホースを生産。
  • 関工場()…1990年10月操業開始。高圧ホース、プッシュロックを生産。
  • 磐田工場(磐田)…2000年2月操業開始。高機能フィルム(太陽電池用接着封止膜ほか)、事務機器用精密部品などを生産。
  • 生産工場は世界25か国178拠点(2012年(平成24年)4月1日現在)

主なブランド(タイヤ)

乗用車用

F1タイヤ (POTENZAブランド)
  • POTENZA(ポテンザ)
    • スポーツタイヤのフラッグシップブランド。F1などでの展開が有名。モータースポーツに於いては古くから多くの支持を得ている。
    • S001 RFT、S001、RE-71R、RE-11A、Adrenalin RE003、RE-11/RE050/RE-01R/RE-01(一部サイズのみ)が現行モデル。
  • ECOPIA(エコピア)
    • 省燃費タイヤ[7]のブランド。当初は電気自動車用のOEM用ブランドでY31セドリックグロリアなどの電気自動車の新車装着から始まった。
    • EP001S EP100Sの後継モデルでラベリングAAA-aを達成したタイヤ。
    • EV-01 電気自動車「EV」専用タイヤ。
    • PZ-XC Playzシリーズと同じモデル名だが、Playzシリーズの後継モデルでエコピアシリーズになっている。かつてはPZ-X、PRVモデル(ただしECOPIAシリーズで未発売の一部サイズのみPlayzシリーズとして販売継続)もあったが2016年2月に新Playzシリーズが発売されるのを機に販売終了。
    • EX20 EX10の後継モデルとしてEX20が2014年3月より順次発売開始。EX10はコンパクト車用と一般車用の2種類での発売であったが、EX20は一般車用EX20、コンパクト車用EX20C、ミニバン用EX20RVの3種類の発売。
MUD DUELERを装着した陸上自衛隊高機動車
  • NEXTRY(ネクストリー)
    • SNEAKERの後継に当たるエントリーブランド。コンパクトカー用と一般車用とパタンデザインが異なる。
  • Playz(プレイズ)
    • 運転者や同乗者のストレス軽減を主目的に開発された新しいブランド。
    • PRV-1 ecopia プレイズRV PRVの後継でパタンなどは同じだがトレッドコンパウンドを省燃費ゴムに変更したモデル。
    • 発売当初のモデルはPZ-X、PRV、PZ-XCで、2012年2月から2016年1月にかけては上述の通りECOPIAシリーズ(一部サイズを除く)として発売。
    • PX、PX-RV、PX-Cが現行モデル。
  • SNEAKER(スニーカー)
    • EUROAD/B-Roadの後継に当たるブリヂストンのエントリーブランド。当初は先代モデルの名残から80/70/65シリーズのみで展開していたが、2007年(平成19年)にSNK2としてリニューアルした際に60/55/50/45/40の低偏平シリーズ(GRID IIの実質的な後継)が追加された。
    • SNK2(80偏平及び55偏平以下)、SNK2 ecopia(70/65/60偏平)、Sneaker(一部サイズのみ)が現行モデル。
  • LUFT-RV(ルフト アールブイ)
    • プレイズRVエコピアのパタンを使った低価格ゾーンのミニバン専用タイヤ。

スタッドレスタイヤ

  • BLIZZAKシリーズ(ブリザック)
    • スタッドレスタイヤブランド。雪国(特に東北北海道等の積雪地帯)での装着率は非常に高い。
    • REVO 2、REVO GZ、VRX、DM-V1(SUV用)、DM-Z3(SUV用)が現行モデル。
  • アイスパートナー
    • スタッドレスタイヤブランド。2012年の冬から発売となる、ブリザックブランド以外のスタッドレスタイヤである。主にブリヂストンタイヤショップやブリヂストン契約店向けの価格重視の専売商品である。

商用車用

  • V-STEEL(ブイ・スチール) -トラック・バス・建設機械用のタイヤブランド。
  • DURAVIS(デュラビス) - 商用バン・小型トラック・バス用のタイヤブランド。
  • GREATEC(グレイテック) - トラック・バス用の超偏平タイヤブランド。後輪の2本(複輪)のタイヤを1本(単輪)化できる。
  • ECOPIA(エコピア) - トラック・バスの低燃費タイヤのブランド。

二輪車用

  • BATTLAX(バトラックス) - オートバイ用タイヤの中核ブランド。オンロードスポーツタイプからスポーツスクータータイプの車種用まで、ラジアル/バイアス問わず幅広くラインナップされている。
  • CYROX(サイロックス) - 主に普通自動二輪車用サイズのラジアルタイヤ。
  • EXEDRA(エクセドラ) - 主に大型クルーザー(アメリカン)向けのラジアル/バイアスタイヤ。
  • ACCOLADE(アコレイド) - クルーザー及びビンテージ車種用のバイアスタイヤ。
  • G&L(ジーアンドエル) - ビンテージ型のレアサイズバイアスタイヤ。
  • HOOP(フープ) - 原付-大型スクーター用のバイアスタイヤ。
  • STANDARD(スタンダード) - ビジネス車種向けのバイアスタイヤ。
  • MOLAS(モーラス) - 原付スクーター及びレジャーバイク用の小径バイアスタイヤ。
  • BATTLE WING(バトルウイング) - デュアルパーパススーパーモタード車用ラジアル/バイアスタイヤ。
  • TRAILWING(トレイルウイング) - オフロード用バイアスタイヤ。
  • GRITTY(グリッティ) - オフロード用バイアスタイヤ。上記TRAILWINGよりもオフロード性能に特化されている。

その他

  • LEISURE(レジャー) - ポケバイレーシングカートATV、オフロードミニバイク用などの総合ブランド。「一般公道では走行できません」と注意書きがされているものも存在する。

過去のブランド

  • RDシリーズ - RD10から始まったブリヂストン初のラジアルタイヤのブランド。1960年代中期から1980年代初頭まで販売された最初期の乗用車用量産82/70シリーズラジアルタイヤのブランド。スチールラジアルとテキスタイルラジアルが混在した。
  • スーパーフィラー - 1977年(昭和52年)にプラスチックに近い硬さとゴム本来の弾力性をもつ超硬質ゴムの開発に成功し、1978年(昭和53年)以降にこのゴムを使用し製造開始された乗用車用82/70扁平のスチールラジアルブランド。
  • アクア- 上述のスーパーフィラーシリーズの中から、ウエット性能の向上を念頭に置いたコンパウンドを採用したタイヤに付けられたブランド RD209など。
  • セダンスニーカー - 1980年代半ば、RD→スーパーフィラーと進化してきた乗用車用82/70扁平ラジアルタイヤのうちスタンダードクラス用に命名されたブランド。現在は一部OEMを除いて廃盤 82シリーズRD108、70シリーズRD116など。
  • EUROAD(ユーロード)- セダンスニーカーシリーズの後継。SF215、SF226、SF229、現在はSF248の145SR10サイズのみ残存。
  • ワールドロード- ユーロードの後継。70シリーズがSF236、65シリーズがSF215。
  • B-road- ワールドロードの後継モデルでSFシリーズのスタンダードモデル、70シリーズがSF270、65シリーズがSF265。商品のキャラクターとして「ルパン三世」がカタログやCMに使われた。
  • ALEPH(アレフ)- SFシリーズのアッパークラスとしたブランド。A370・A372・クエストなどの商品名でHR規格70/65シリーズとして製造。「アレフ・クエスト」のCMキャラクターとしてピンクパンサーが使われた。
  • CONSELFA(コンセルファ)- アレフやDコードの後継モデルでHR規格70/65/60扁平を製造
  • Bシリーズ- B-roadの後継モデルでドーナツ採用第1弾。SR規格が中心で乗用車用はB70・B65・後にB80、その後HR規格のB60と2桁モデルが完成。その後AQドーナツ構造のモデルとしてB700AQ・B650AQが発売、主にSR規格で一部サイズにHR規格があった。ブリヂストン初のミニバン専用モデルとしてB-RVを発売開始。その後B-RV AQと進化し、その後B'STYLEシリーズに移行。
  • B500si- 2001年に発売。先に55扁平以上のロープロファイルモデルが発売となり、B60の後継サイズで60シリーズも発売。後のB'STYLEのモデルチェンジの際にロープロサイズが設定される形で統合された。
  • B'STYLE- Bシリーズの後継モデル。B'STYLE、B'STYLE EX(B500siも統合)、B'STYLE RVが存在したが現在では乗用車用はECOPIA EX10、ミニバン用はPlayz RV/ECOPIA PRVへ移行。
  • 310ターボ - 1980年代前半に登場したポテンザブランドより低価格なスポーティータイヤブランド。70/60扁平が製造されたが、後述のEAGERシリーズに移行し廃盤。
  • EAGER(イーガー)- 310ターボの後継モデルと位置付けされたブランド。330・331・340・350・DZなどの60/55/50扁平が製造された。
  • GRID(グリッド)- EAGERシリーズの後継モデルと位置付けされたブランド。J-GRID・V-GRID・K-GRID・G-GRID・GRID II(後のSNEAKER SNK2/SNK2 ecopia→NEXTRYシリーズの各ロープロファイル仕様)と展開し、POTNZA GIII(後のPlayz→ECOPIA PZ系)に発展的解消をとげ廃盤。
  • EXPEDIA(エクスペディア)- ハイパワー輸入車のOEMを主に開発したプレミアムスポーツタイヤ。一部OEMを除いてポテンザに統合となった。
  • Dコード(Dコード)- パタンデザインを意識したモデル。HR/VR規格65/60/55/50扁平を製造。コンセルファが後継。
  • CUTEC(キューテック)- 女性ドライバーの増加に伴い女性向のタイヤとして発売。ターゲット車種が軽自動車、コンパクトカーでサイズ設定の関係上、コンパクトモデル専用タイヤとなっている。商品キャラクターとして三好礼子がカタログなど使われた。
  • ウィンターラジアル - WTシリーズなどスノー・スパイク・スタッドレスタイヤのブランド。国内初のスタッドレスタイヤもこのシリーズである。
  • ホロニック- 初代スタッドレスタイヤ専用ブランド。ブリザックシリーズが発売され消滅。
  • STシリーズ- ブリザックより低価格でブリヂストンタイヤ契約店向けの専売モデル。ST10.ST20.ST30とあった。ST10はMZ02のパタン、ST20はMZ03のパタン、ST30はREVO1のパタンを使用し専用コンパウンドを使っておりREVO1のパタンでもREVO1の性能は無かった。
  • ERシリーズ - 輸入車向けに開発されVR以上の速度規格を持ち、国内海外で販売されているタイヤのモデル型式 市販モデルでは過去にはER90(1991年(平成3年)発売)などがありTURANZAやREGNOの名前が頭につく場合(※)がある。
    • (※)REGNO VS51・ER50・ER55、TURANZA(トゥランザ-TOURING POTENZA)ER30・ER33・ER300が該当する。ER300は日本国内での市販モデルとしてカタログ掲載は2011年から消滅。ただし輸入車用OEMモデルやランフラットタイヤ、国内新車装着用モデルとして残っている。
  • JEEP SERVICE(ジープサービス) - オフロードに於ける走破性能に特化されたバイアスタイヤ。末期は主に不整地を走行するトラック用として位置づけられていたが、不整地走行を趣味とするクロスカントリー車のユーザーから根強い支持を集め続けたロングセラーブランド。2000年代末に廃盤。
  • GROUND GRIP(グランドグリップ) - 「下駄山」パターンのクロスカントリー車用バイアスタイヤ。上記ジープサービスとともにロングセラーを続けた。
  • INTER CITY(インターシティー) - 自家用ライトバンをターゲットに、RCOT採用で通常貨物車用タイヤより乗用車用モデルに近いパタンデザインにし乗り心地や走行ノイズを改善したモデル。CT01やCT11などがあった。
  • T's
    • ブリヂストン専売店向けのロープロファイルサイズ限定のエントリーブランド。初代T's01、2代目T's02は現行モデルでパタンはポテンザG3である。
  • MY01
    • ブリヂストン専売店向けのロープロファイル限定のエントリーブランド。

世界展開

売上高の所在地別内訳は、日本国内が3割程でしかなく、6割が欧米である。

2006年(平成18年)現在、世界シェアベースで競合のミシュラン(仏)とグッドイヤー(米)を抜き、世界第1位である。(出典=タイヤビジネス誌)又、売上高ベースでも世界第1位である。(出典=フォーチュン誌)

2007年(平成19年)10月に、2008年(平成20年)からの5年間で設備投資費を1兆3千億円まで増額し、インド東欧等での生産能力を上げる事を発表したが、これにより2012年の連結売上高は4兆円の大台に達する見込みとなった。

モータースポーツ

モータースポーツモーターサイクルタイヤ開発本部長 浜島裕英 (2008年F1日本グランプリにて)

古くから日本国内のモータースポーツ、特に全日本F2000選手権全日本F2選手権全日本F3000選手権フォーミュラ・ニッポンスーパーフォーミュラと続く国内トップフォーミュラや、グループCで争われた全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)などにタイヤを供給しており、これらのシリーズでダンロップ横浜ゴムといったライバルメーカーと激しい競争を繰り広げた。またフォーミュラ・ニッポン→スーパーフォーミュラでは1997年(平成9年)から2015年(平成27年)までタイヤは同社のワンメイクとなっていた。全日本F3選手権1988年(昭和63年)から2008年(平成20年)まで同社製タイヤのワンメイクとなっていた。

ツーリングカーレースについても、全日本GT選手権(JGTC)→SUPER GTに対してシリーズ発足当初よりタイヤ供給を行っており、2010年(平成22年)現在上位クラスのGT500クラスでは最大シェアを誇っている。一方で下位クラスのGT300クラスにはタイヤ供給を行っていなかったが、2011年シーズンよりARTAガライヤに供給を開始した。

この他欧州において、ヨーロッパF2選手権→国際F3000選手権(1985年まで)、ドイツツーリングカー選手権(第1期)などといったレースにもタイヤを供給していた実績がある。

北米大陸では現在同社傘下にあるファイアストンブランドでのタイヤ供給がメインで、現在インディカー・シリーズ(IRL)やその下位カテゴリーであるインディ・ライツなどがファイアストンタイヤのワンメイクとなっている。一方、以前存在したチャンプカー・ワールド・シリーズ(CART/CCWS)など、北米大陸においてブリヂストンブランドでタイヤ供給を行った例もある。一時はIRL用のタイヤ製造の一部をブリヂストンの小平工場で行っていた時期もあった[8]

二輪レースでも近年急速に評価が高まったことにより、2009年(平成21年)からはロードレース世界選手権のMotoGPクラスがブリヂストンのワンメイクとなっていたが、「ブランド力の向上や技術開発に一定のめどがついた」として2015年シーズンをもって撤退することを発表した。[9]

F1での活躍

F1に関しては1980年代後半より基礎研究を重ね、当初1998年(平成10年)よりの参戦を発表したが、その後のテストの進捗が予想以上に順調であったことから、予定を1年繰り上げ1997年のF1世界選手権より参戦を開始。総指揮はモータースポーツモーターサイクルタイヤ開発本部長の浜島裕英が撤退する2010年(平成22年)末まで務めた。

1998年のF1世界選手権開幕戦オーストラリアGPで、マクラーレンミカ・ハッキネンMP4-13を駆ってブリヂストンに初優勝をもたらした。また、同年の最終戦日本GPでハッキネンがワールドチャンピオンを、マクラーレンがコンストラクターズタイトルをそれぞれ獲得し、ブリヂストンはグッドイヤーを降して参戦2年目でダブル世界チャンピオンに輝いた。

1999年(平成11年)にグッドイヤーが撤退してから2年間はワンメイク供給を行ったが、2001年(平成13年)からはミシュランが参戦しての争いとなった。2004年(平成16年)まではドライバー、コンストラクターそれぞれのタイトルをサポートできたものの、2005年(平成17年)、2006年(平成18年)はミシュラン(ともにフェルナンド・アロンソおよびルノーF1)に敗れている。

2006年(平成18年)のドイツGPにおいてF1通算100勝を達成した。2007年(平成19年)からは、F1でのミシュラン撤退でブリヂストンのワンメイクとなる(契約上は2008年度 - 2010年度)。

2009年(平成21年)11月2日、2010年(平成22年)の公式タイヤサプライヤー契約の満了をもってF1活動からの撤退を発表、2010年(平成22年)末に正式撤退した[10]

F1で使用されるソフト側タイヤのライン(2008年は白、2009年は緑)は、特製マジックインキによるスタッフの手書きだった。

流通

国内で市販されているタイヤは、基本的にブリヂストン本体から、各都道府県にある販売会社がタイヤを買い、市場に供給している(但し、現在は一部地域を除き、経営統合によって全国1社化されている)。尚、他のタイヤメーカーも同様の販売ルート体制である。店舗ブランドとして「ブリヂストンタイヤショップ」・「コクピット」・「タイヤ館」・「ミスタータイヤマン」を持つ。

ブリヂストン美術館

旧ブリチストンの本社だったビルにはブリヂストン美術館が入っている。

関連人物

脚注・出典

  1. ^ 2010年現在の売上高ベース
  2. ^ ブリヂストン|PAOS理念・方針構築|CI、VI、デザイン、コーポレートブランド、イメージマーケティング戦略 株式会社PAOS
  3. ^ a b c 創立80周年を迎え新企業理念とブリヂストンシンボルを発表 2011年3月1日 ブリヂストン・ニュースリリース
  4. ^ a b 1998年4月8日付朝日新聞西部本社版夕刊
  5. ^ ブリヂストンホーム>会社情報>歴史>ブリヂストン物語>第9章>第2節(カーボンブラック、合成ゴム、天然ゴム事業)
  6. ^ ブリヂストンホーム>会社情報>歴史>ブリヂストン物語>第9章>第2節(カーボンブラック、合成ゴム、天然ゴム事業)
  7. ^ 『業界が定めたグレーティングシステムで低燃費と安全性が一定以上のレベルを満たしたタイヤ』とブリヂストン側は説明している。
  8. ^ ブリヂストンの担当エンジニアが語るインディカータイヤ - BRIDGESTONE motorsport・2008年4月16日
  9. ^ “ブリヂストン、二輪車レースの最高峰「MotoGP」撤退”. 日経新聞. (2014年5月1日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASDZ010EB_R00C14A5TJ2000/ 2014年5月2日閲覧。 
  10. ^ ブリヂストンの公式リリース

関連項目

外部リンク