yukihiro

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yukihiro
出生名 淡路 幸宏(あわじ ゆきひろ)
別名 YUKIHIRO
Yukihiro
YUKI P'UNK
生誕 (1968-11-24) 1968年11月24日(49歳)
出身地 日本の旗 日本千葉県市川市
ジャンル ロック
オルタナティヴ・ロック
インダストリアル
テクノ
ハウス
エレクトロニカ
シューゲイザー
職業 ドラマー
シンガーソングライター
ギタリスト
DJ
ベーシスト
作詞家
作曲家
担当楽器 ドラム
ボーカル
ギター
DJ
ベース
ピアノ
キーボード
活動期間 ZI:KILL
1989年 - 1990年
DIE IN CRIES
1991年 - 1995年
L'Arc〜en〜Ciel
1998年 -
acid android
2001年 -
geek sleep sheep
2012年 -
レーベル Ki/oon Records
track on drugs records
事務所 MAVERICK
共同作業者 L'Arc〜en〜Ciel
acid android
geek sleep sheep
公式サイト tracks on drugs
上領亘テリー・ボジオ

yukihiro(ユキヒロ、1968年11月24日 - )は、日本ミュージシャンドラマーシンガーソングライター
ロックバンドL'Arc〜en〜Cielgeek sleep sheepのドラマー。ソロプロジェクト・acid androidヴォーカリスト、フロントギターとして活動している。また、元P'UNK〜EN〜CIELベーシスト、元ZI:KILLDIE IN CRIESのドラマー。L'Arc〜en〜Ciel加入以前の表記はYUKIHIRO。愛称は「ユッキー」。千葉県市川市出身。身長165cm、体重48kg。血液型はA型。

概要[編集]

ドラムプレイ[編集]

タイトで正確な、細かい手数を用いたフレーズフィルインが特徴。特にL'Arc〜en〜Ciel加入以前は今よりも多くの手数を用いており、叩く姿も大振りなため派手でアグレッシブなプレイだった。また、「SEVENTH HEAVEN」を始め、打ち込みブレイクビーツ(「New World」、「winter fall」、「spiral」、「DRINK IT DOWN」などで使用)を同期させたプレイやスリップビートなど変則リズムも多く採り入れたことで、結果的にはL'Arc〜en〜Cielの楽曲幅を広げることに貢献した。尊敬するドラマーは上領亘であり、プレイスタイルにも近似点が見られる。

音作りに関しては、楽曲の中でドラムの音は小さくてタイトに、スネアとハイハットを同時に叩いたときの音が人が聴いているという意味でのスネアの音である、と考えている[1]

ラルクにおいては、ドラムセット右側のリモートハットと左側のクローズドハットで16ビートを刻む独特なプレイも特徴的。4拍子のバスドラの裏に右手のリモートハット(オープンもクローズもあり)、同時に裏の16分音符を左手のクローズドハットで刻んで16分のビートを刻んでいる(各種ライブDVD参照)。「SEVENTH HEAVEN」、「Caress of venus」(yukihiroプレイ時)、「花葬」、「NEO UNIVERSE」、「Lover boy」、「DRINK IT DOWN」(Bメロ、間奏後のCメロ)など。「STAY AWAY」や「NEXUS 4」のサビなど、16分ではないが右リモートハットが使われることもある。

また、他ドラマーに比べてチャイナシンバルの使用頻度が高い。上記の16ビートプレイ時には頻繁にチャイナシンバルが使われる。

ドラムセット[編集]

2014年迄[編集]

2バスをベースにピッコロスネアやロートタム、多数のシンバルに、左右に高くチャイナシンバルを組み合わせたセットである。ドラムラックを用いて左右対称を意識して構築しており、その複雑さからしばしば「要塞」と形容されることもある。(Pearlのアーティスト情報参照)

前方左右のチャイナシンバルとは対照的にスネアやタム類が水平に低く設置されていることにより、ライヴなどでは他のドラマーに比べて、上半身がより見えやすい。

バスドラムパールの22インチが2つ。スネアドラムは2006年末に発売されたyukihiroモデル(YA1435-2: シェルが薄く高音域で、音のヌケが良いピッコロスネアタイプ。)をドラムセットの中央に配置している。(2001年2006年12月にyukihiroのシグネチャー・モデルのスネアが発売された。現在、前者は生産終了、後者は200個限定生産であるためどちらも入手が難しい。)スネアの前方には10インチのタムが1つ、本人から見て右側にフロアタムが14インチ・16インチの2つ、前方のタムをはさんで左に6インチ、右に8インチ・10インチのレモ製のロートタム3つが配置されている。

フットペダルにはPearl製のEliminator IIを使用。右足側は右バスドラ、左足側は左から順に左リモートハット・左バスドラ・右リモートハットの3つのペダルがマウントされている。ハイハット用のペダルはPearlではなくYAMAHAの旧モデル。長年ドラムセットの色はMRXシリーズのアークティックホワイトであったが、2011年に粉われたライブ「20th L'Anniversary LIVE」ではタム類が、翌年にはバスドラもMRPシリーズの艶消しのマットブラックになり、全体的に黒のセットになった。

シンバルに関しては、全てセイビアン製のシンバルである。ハイハットシンバルはリモートハイハットが左右に1枚ずつ、クローズドハットが左側に1枚、合計3枚セットされている。ハイハットを2枚配置するドラマーは比較的多いが、3枚配置することはあまりない。また前述した通りドラムラックを用い、スタンドを必要とせず場所に困らないため、特にクラッシュシンバルチャイナシンバルスプラッシュシンバルは組み込まれている枚数や種類が多い。クラッシュシンバルは3種4枚(セット左右に同種、異種1枚ずつ)、チャイナシンバルは3種4枚(前方左右は同種、セット右側に2枚各異種)、スプラッシュシンバルは4種4枚(セット左側に1枚、前方左寄りに1枚、右寄りに2枚)。そしてドラムラック自体も、脚の部分をyukihiro自らが三脚式に改造するなど、拘りが伺える。当時yukihiro本人は、このセットが本人にとってほぼ完成形であると公言していた。

DIE IN CRIES時代は今よりもさらに点数の多いセッティングだった。基本的には同じだがキャノンタムを設置している代わりに、左端に設置されていたメロディックタム以外は一切、設置していなかった。ロートタムも、現在よりも多く、5つものロートタムを組み込んでいた。また、ライドシンバルやクラッシュシンバルは使用せず、チャイナシンバル9枚、スプラッシュシンバル3枚、ハイハットシンバル4枚という、現在にも況して特異なドラムセットであった。その点数の多さから、当時のローディーに、「お願いですからスタンドではなく、ラックにして下さい」と泣いて懇願されたという逸話まで残っている。さらにロートタムのスポークをシンバル代わりに使用していた。

2015年 ~ 現在[編集]

2015年9月に行われたライヴ「L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2015 L'ArCASINO」では、今までのツーバスからワンバスをベースにした新しいセットが導入された[2]。スネアはピッコロからHybrid Exoticの5インチに変更されている。また、特徴的だった高い位置のチャイナシンバルが無くなった。ロートタムは6・8インチの2つになり、共に左のハイハット側に配置されている。

シンバル類は重なるように低くセットされている。枚数は若干減ったが、17インチのホーリーチャイナを2枚導入、クラッシュシンバルの一部変更などの変更点がある。前セットで使われた一部のスプラッシュシンバルとチャイナシンバルを重ねた物が左端に、高い位置にあったチャイナシンバルと同種が1枚右端に、ライドシンバルは前セットのフロアタム側からタムの右隣りに配置されている。

ハイハット類は前セットと同じく3枚だが、左側のメイン用は13インチのリモートから14インチの通常のスタンド式に変更し、リモートハットは右側の1枚のみになった。また、クローズドハットはメインのハイハットの右側から左側に移動した。ワンバスになったことでツインペダルになり(ペダルは前セット同様)、左足側のペダルは左から右リモートハット・メインのハイハット・バスドラ(左ビーター)となっている。

新セットに関して、「十分多点である」と語っている[2]。また、geek sleep sheepではワンバスにタム1つ、フロアタム2つ、ハイハット1枚、シンバル6枚のシンプルなセットを使用している。

来歴[編集]

高校時代 - Zi:KiLL加入・脱退[編集]

yukihiroがドラムを始めたのは高校入学の時だった。入学祝いを貰い、それでギターを買おうと楽器店へ向かったが気に入るものが見つからず、ギターと同じフロアに置いてあったドラムセットに一目惚れした。タムやシンバルがきっちりと組み込まれているのを気に入ったとされる。「跳ね返りが悪くなる」という理由で防音マットも敷かずフルセットで叩き、近所から苦情が来たため、市役所の訪問を受けたことがある。結局、叩く時間を決めることで、事態は収拾された。そして高校入学後から髪を伸ばしはじめ、バンド活動を始めた。

しかし、バンド活動に傾倒し次第に学校へ行く意味を見失い、高校を退学しようと親に相談したところかなり怒られたため、高校を無事に卒業後、大学へ進学。大学合格時も辞退しようとしたが、教師から「入りたくても入れなかった人もいる。お前が合格した代わりに誰かは落ちているんだ。」と諭され、大学に進学した。ちなみに大学を選んだ理由は「家から通えるから」だった。

大学在学中、東京ヤンキースを結成する前のUME、NORIとGUERRILLAを結成。1989年6月11日に目黒鹿鳴館でそのバンドのライブを見ていたZI:KILLのKENがyukihiroを誘い、そのままZI:KILLに加入した。その後2枚のアルバムに参加したが、そのレコーディング終了後の1990年12月28日に脱退してしまう。理由は海外でレコーディング中ヴォーカルのTUSKが「こいつが居るなら俺が辞める」と言い出し、途中参加だったyukihiroが抜けることとなった[3]。yukihiro曰く、音楽的に極端なものを目指す自分と普遍的なものを目指す他メンバーとの間に距離やズレが生じていたとのことである[3]。脱退した途端にレコード会社の人間に見放されたため、初めて訪れた海外で放り出される結果となった[3]

DIE IN CRIES結成 - 解散[編集]

ZI:KILL脱退後、ロンドンにいたyukihiroはD'ERLANGERKYOとバンドを組みたいと思った為、「ZI:KILLをやめるからバンドをやらないか?」と現地から電話をした。その後THE MAD CAPSULE MARKET'Sを脱退した室姫深に誘われたが、結局は室姫深が引き込まれる形になる。

まずはKYOがDIE IN CRIESと名乗りつつもソロとしてアルバム『NOTHINGNESS TO REVOLUTION』を発表。yukihiroと室姫深はユニットOPTIC NERVEを組み、CDを発売。OPTIC NERVEは既に『NOTHINGNESS TO REVOLUTION』に参加していたため、二人を入れてバンドとして活動することが決定。そこにTAKASHIを加え、DIE IN CRIESでメジャーデビューを果たす。1995年7月2日東京ベイNKホールでのライヴをもって解散するまでの全作品にドラマーとして携わった。なお、このときの事務所がデンジャークルーだったことが、後にL'Arc〜en〜Cielに誘われるきっかけとなった。

DIE IN CRIES解散後はソロ活動と共に飯島直子のサポートドラマーとして活動をする。また、THE MAD CAPSULE MARKET'Sのリミックスに参加している。この時期、「ドラム以外の仕事をほとんどしなかったので財産は尽きかけ住む家もなくなり、他人の家に居候する生活が一年ほど続いた[3]」と述懐している。

L'Arc〜en〜Ciel加入 - 現在[編集]

1997年にL'Arc〜en〜Cielの前ドラマーのsakuraの脱退を受け、同バンドにサポートドラマーとして参加し、翌1998年1月1日付けで正式加入する。ドラムセットの前にマイクを置いていたsakuraとは対照的に、加入当初は歌うことはほとんど無かったが、2001年より始動したソロプロジェクトacid androidでは本格的にボーカルをとっている(acid androidの詳細は下記参照)。また、L'Arc〜en〜Cielのライブにおいては、2003年に行われた「Shibuya Seven days」で自作曲「trick」をhydetetsuyakenらとギターで演奏しながら共に歌っている。

L'Arc〜en〜Cielでは、ドラムだけでなくギターやキーボードプログラミングを担当し、パートチェンジバンドP'UNK〜EN〜CIELではベースを担当した。他にも2001年に自主企画イベント「acid android in an alcove」を行ない、DJとしてステージに立っている。さらに、アルバム『ark』収録の「Cradle」のターンテーブルや、アルバム『AWAKE』収録の「AS ONE」でスクラッチなどから、yukihiroの嗜好が一部が垣間みられる。

L'Arc〜en〜Ciel内で作詞作曲を手掛けた物は少ないものの、『ark』『ray』以降の全てアルバムに自身が作曲した楽曲が収録されている。これに関しyukihiroは、「当時『みんな書くから書かなきゃなあ』と思った[4]」と述べている。また、「他のバンドとかでダメって言われてた曲がアルバムに入って嬉しかった[4]」とも語っている。

アルバム『ray』収録の「trick」やアルバム『SMILE』収録の「REVELATION」に代表されるようにブレイクビーツインダストリアルなどを下敷きにしたマシーン・ビートをバンド・サウンドと同期させた楽曲を多く手掛けている[5]。他にも、自作曲で初のシングル楽曲となった「New World」は、シングルにおいて初のhyde以外による作詞作品となっている。また、他のメンバーが作曲した楽曲の打ち込みによるアレンジを行うことも多く、2000年にはyukihiroが手掛けたリミックス音源を収録したアルバム『ectomorphed works』をリリースしている。

2012年8月に行われたacid android主催のDJ&ライブイベント「acid android in an alcove vol.5」において、acid androidのレコーディングに参加していた百々和宏(MO'SOME TONEBENDER)と、345(凛として時雨)と自身からなるスリーピースバンドで出演し、バンド名を明かさず初ライブを行った。同年9月にはバンド名、geek sleep sheepを発表し、新たにバンドを始動した。

geek sleep sheep2012年に行われたライブ「20th L'Anniversary WORLD TOUR 2012 THE FINAL」の横浜国際総合競技場公演終了後の楽屋でプロジェクトがまとまったもので[6]、yukihiroは「"ドラマーとして何かに参加する"でなく"バンドでドラムを叩きたい"[7]」と思い結成したと述べている。

また、2016年1月には、今井寿BUCK-TICK)と藤井麻輝(ex.SOFT BALLET睡蓮、minus(-))によるユニット・SCHAFTのアルバムレコーディングに参加している。また、同年に開催したライブツアー「TOUR ULTRA - The Loud Engine -」にバンドメンバーとして同行した。

バンド・ユニット遍歴[編集]

acid android[編集]

L'Arc〜en〜Cielのファンクラブイベント「acid android in an alcove」に端を発し始動した、yukihiroのソロプロジェクト。このソロプロジェクトでは自身が基本的にヴォーカルを務めており、レコーディングにおいてはギタードラムを担当することもある。

2001年にyukihiro名義でシングル「ring the noise」、翌2002年にacid androidとして初のアルバム『acid android』をリリースし活動を本格的に開始した。現在までにシングル3作(yukihiro名義及び配信含む)、アルバム6作(内ミニアルバム2作)を発表している。

楽曲はyukihiroが昔から好んで聴いていたインダストリアルを取り入れたものが多い。ただし、本人は「インダストリアルバンドというわけではない」と語っており、事実ヘヴィ・ロック、ラップ調等[8]、L'Arc〜en〜Cielとは違う音楽性を内包した楽曲を手掛けている。また、近年yukihiroは「自分的にはインダストリアルは十分がんばった[9]」「自分のなかでやりたいと思っていたことはやったかな[9]」と述べており、音楽性がインダストリアルからダークなエレクトロを基調としたサウンド[10]に変化している。

レコーディングおよびライブサポートに、藤井麻輝(ex.SOFT BALLET睡蓮)、今井寿BUCK-TICK)、山口大吾(People In The Box)、小林祐介(THE NOVEMBERS)など数多くのゲストミュージシャンが参加している。

作品[編集]

ソロ[編集]

yukihiro名義[編集]

シングル[編集]
発売日 タイトル 規格 規格品番 最高順位
2001年9月27日 ring the noise 12cmCD KSC2-412
9位
アルバム[編集]
発売日 タイトル 規格 規格品番
2000年5月14日 「8. 13」LIVE AT NISSIN POWER STATION '95. 8. 13 12cmCD DCCA-11
映像作品[編集]
発売日 タイトル 規格
1995年11月21日 「8. 13」LIVE AT NISSIN POWER STATION '95. 8. 13 VHS
DVD
参加作品[編集]
  発売日 アーティスト タイトル 内容
アルバム 1996年1月24日 THE MAD CAPSULE MARKET'S 4 PLUGS プログラミングで参加
2001年8月23日 オムニバス Dante's Selection 「ring the noise」を収録
2007年12月19日 睡蓮 音ヲ孕ム 収録曲「左手」にドラムで参加
2009年3月11日 六花ノ音 収録曲「浸透して」「腐葉土」「根ノ音ニタユタヘ」にドラムで参加
2009年12月23日 THE DAWN 収録曲「浸透して Ver.2.0」にドラムで参加
2016年1月20日 SCHAFT ULTRA ドラムで参加
2016年5月25日 Deeper and Down ドラムで参加
書籍[編集]
種別 発売日 タイトル 発行
単行本 2014年5月23日 yukihiro milk another story 音楽と人

acid android名義[編集]

バンド・ユニット[編集]

ZI:KILL[編集]

シングル[編集]
発売日 タイトル 規格 規格品番 最高順位
1991年4月26日 LONELY 8cmCD TODP-2241
14位
1995年8月23日 HERO
※3曲目に収録されている「LONELY (LIVE VERSION)」のみyukihiroがドラムを叩いている。
8cmCD TODP-2308
26位
アルバム[編集]
発売日 タイトル 規格 規格品番 最高順位
1990年3月25日 CLOSE DANCE 12cmCD EXG-002
-
1991年3月20日 DESERT TOWN
※クレジットはされていないが、yukihiroがドラムを叩いている。
12cmCD TODP-2308
10位

OPTIC NERVE[編集]

アルバム[編集]
発売日 タイトル 規格 規格品番
1991年9月10日 OPTIC NERVE ABSTRACTION 12cmCD HML-007

DIE IN CRIES[編集]

L'Arc〜en〜Ciel[編集]

geek sleep sheep[編集]

人物[編集]

趣味・嗜好[編集]

エピソード[編集]

  • L'Arc〜en〜Ciel加入以前の呼び名は「先生」だった。これは、学生時代に英語数学家庭教師をしていたことからである。また、ラルク以降も時々、特にacid androidとして活動する際には 「先生」と呼ばれているが、概ね「ユッキー」の愛称が定着している。また、L'Arc〜en〜Cielのメンバー3人にとって元々バンドマンとして先輩だったため、加入当初kenやtetsuyaはどう呼んで良いか分からなかったらしい。hydeが前触れも無く不意に「ユッキー」と呼んだため、この愛称が定着した[26]
  • 1997年に初めてラルクのレコーディングに参加したとき、hydeが水着を着ていてびっくりしたという(yukihiro本人は、水着と発覚するまで「ピチッとした半ズボン」だと思っていた)。また、hydeの初期の容貌から「綺麗な人」というイメージを持っていたため、いざhydeが登場したときにヒゲが生えていたことにもびっくりしたと語っている。
  • ラルク加入以前はバンドマンたるものかくあるべし、というポリシーを断固として守っていた。例えば「半袖は着ない」「ハワイには行かない」など。音楽以外に割く時間はないと、自動車免許も持っていなかった。しかし、ラルクに加入し、自然体のメンバーに大きな影響を受けた後は、ハワイも行き、半袖を着用するようになった。1999年にはリーダーであるtetsuyaに「車の免許も取ったほうが良い」と言われ取得したことを、FMラジオで公言した。
  • 非常にストイックな性格で、ラルクのプロデューサー岡野ハジメはレコーディングでのyukihiroについて完璧主義者と評しており、「自分の思い描いたビートが出るまで何十時間でも叩き続けている[27]」と述べている。また、ともにバンドを組んでいたKYOD'ERLANGER、ex.DIE IN CRIES)も「レコーディングを延々にやってる。完璧主義者[28]」と述べている。
    • しかし、ラルクのアルバム『KISS』でのレコーディングでは、レコーディングに入る前に全曲1度仮で録ったことにより、以前よりドラム録りが早くなった[29]と述べている。
  • 元々非常に細身の体型であり、担当のドラムも体力を使うパートなためか、ツアー中に体脂肪率を計ったところ、低すぎて計測不可能だった[30]
    • 食が細くライブの打ち上げなどで食事に出かけてもあまり食べないため、それを心配したメンバーが一つにまとめたセット(通称:ユッキーセット)を注文し食べさせている[31]。また、ライブ当日は基本的に、水、のど飴、ウイダーinゼリーカロリーメイトぐらいしか口にしない[28]
  • バンド内でギターを担当していたこともある。しかし、パワーコードしか押さえなかったため、弦は4本しか張っていなかったらしい。
  • ラルクでドラムを叩くことに対して、「凄いプレッシャーだよね。あの3人を前にして、俺がコケたら皆コケるわけじゃん?[32]」と発言していた。

脚注[編集]

  1. ^ 『リズム&ドラムマガジン』2004年5月号、リットーミュージック
  2. ^ a b 『リズム&ドラムマガジン』2016年1月号、リットーミュージック
  3. ^ a b c d 音楽と人2006年6月号
  4. ^ a b ROCKIN'ON JAPAN』2004年3月号
  5. ^ INTERVIEW――yukihiro 〈yukihiro best〉”. TowerRecords. 2010年3月10日閲覧。
  6. ^ 【インタビュー】ラルクのyukihiro、時雨の345、モーサムの百々からなるgeek sleep sheep、結成前夜から現在までを語るロングインタビュー「ドラムがやりたかったんですよね」”. BARKS. 2017年8月17日閲覧。
  7. ^ geek sleep sheep、人気バンドの3人が新バンドを始めた理由”. CINEMA.NET. 2017年8月17日閲覧。
  8. ^ acid android”. TOWER RECORDS ONLINE. 2014年8月11日閲覧。
  9. ^ a b acid android × THE NOVEMBERS ×土屋昌巳―なぜデペッシュ・モードをカヴァーするのか? 音楽の扉を開いた恩人への想い”. mikiki. 2016年7月26日閲覧。
  10. ^ acid android、新曲も披露された東名阪ツアー・ファイナル公演レポート”. SPICE. 2016年11月4日閲覧。
  11. ^ a b 19 FOREVER 第107回 ゲスト:yukihiro (GEEK SLEEP SHEEP) interFM897「19 FOREVER」アーカイブ
  12. ^ a b L'Arc〜en〜Ciel バンド結成20年の歴史を振り返るメンバー4人ソロインタビュー ナタリー
  13. ^ a b 音楽と人『yukihiro milk another story』」2014年
  14. ^ a b ラジオ番組『FLYING〜L'Arc〜ATTACK』2002年3月13日放送分
  15. ^ 【対談】 THE NOVEMBERS小林とacid androidのyukihiroが語る、“構築的な美しさ”の源泉 BELONG Media
  16. ^ ラジオ番組『FLYING〜L'Arc〜ATTACK』2001年3月22日放送分
  17. ^ ぴあ社『R&R NewsMaker』1999年6月号
  18. ^ ラジオ番組『FLYING〜L'Arc〜ATTACK』2000年11月16日放送[出典無効]
  19. ^ 1L'Arc〜en〜Ciel 「yukihiroさん」 BHC来訪! バンダイホビーセンター 司令官の宇宙日誌〜Space diary of the captain〜
  20. ^ 弐瓶勉、ラルクyukihiroソロプロジェクトのキャラ執筆”. コミックナタリー. 2014年8月11日閲覧。
  21. ^ ラジオ番組『FLYING〜L'Arc〜ATTACK』1999年11月29日放送分
  22. ^ 日本テレビ音楽番組『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』2005年6月25日放送分
  23. ^ 『サウンド&レコーディング・マガジン』2015年12月号、リットーミュージック
  24. ^ a b barks. “ラルクyukihiro+ドアラ、『ドアラルクカレンダー』発売に「二人の間に距離はない」”. 2016年3月13日閲覧。
  25. ^ スペースシャワーTVV.I.P. ─L'Arc〜en〜Ciel─』2011年12月25日放送[出典無効]
  26. ^ 日本テレビ系音楽番組『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』 2007年11月16日放送分より本人談
  27. ^ 『ark 15th Anniversary Expanded Edition』特典DVD、2006年
  28. ^ a b JAMBORiii STATION番組『acid android / yukihiroの歴史を学ぶ!~KENTと大吾の勉強会~』
  29. ^ 『WORDS II L'Arc〜en〜Ciel』角川書店、2010年
  30. ^ QUADRINITY 〜MEMBER'S BEST SELECTIONS〜』特典DVDの問題より
  31. ^ NHK総合テレビ系音楽番組『MUSIC STATION2007年11月16日
  32. ^ DVD『DOCUMENTARY FILMS 〜Trans ASIA via PARIS〜キューンミュージック2009年

参考文献[編集]

  • 音楽と人』2006年6月号、シンコーミュージック社
  • リズム&ドラム・マガジン』2004年5月号、リットーミュージック刊
  • 『リズム&ドラム・マガジン』2016年1月号、リットーミュージック刊
  • 『yukihiro milk another story』、音楽と人社

関連項目[編集]

外部リンク[編集]