藤井麻輝

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藤井麻輝
生誕 (1965-08-17) 1965年8月17日(52歳)
出身地 日本の旗 日本 長野県
職業 作曲家
編曲家
音楽プロデューサー
キーボーディスト
ギタリスト
担当楽器 キーボード
ギター
共同作業者 SOFT BALLET
SCHAFT
minus(-)
公式サイト schaft2016.com
minus(-) (@minus0502) - Twitter

藤井 麻輝(ふじい まき、1965年8月17日 - )は、日本ミュージシャン長野県飯山市出身。SUILEN(睡蓮)、SCHAFTminus(-)のメンバー。

経歴[編集]

SOFT BALLET以前には、volage(ヴォラージュ)等のインディーズバンドに参加。

その後、ソロユニット・She-Shellや、バンドepidemicなど他アーティストのプロデュースワーク等で活躍。 再結成SOFT BALLET(2002年2003年)を経て、女性ヴォーカリスト芍薬とのユニットSUILENとして活動。

2011年から音楽活動を休止(理由は後述)。

2014年、森岡賢とユニット「minus(-)」(マイナス)を結成し、音楽活動を再開。

2015年、約21年ぶりにSCHAFTを本格再始動、2016年に新譜リリースとツアーを行う。

2016年、6月3日に森岡賢が急逝したことにより、夏以降のminus(-)におけるメインボーカルを自身が担う(詳しくは後述)

2017年、minus(-)と、YOW-LOW(GARI)と藤井のユニットJugendgedenkenの対バンという形で2016年に中止になったツアー先を回る。自身のTwitterでは、夏以降にもツアーがあると述べている。

人物[編集]

  • 自他共に厳しい性格。ライブ会場の控え室でスタッフを蹴ったのをBUCK-TICK今井寿樋口豊に目撃されたことがある[1]
  • 高校時代、冨田勲の『展覧会の絵』に感銘を受け、音楽に目覚める。
  • スロッビング・グリッスルなどのようなインダストリアル・ミュージックノイズ・ミュージックに傾倒しており(SPKのボックスセットの国内盤において、詳細な解説を執筆したこともある)、ソフトバレエにおいてもヘヴィかつノイジーな側面を担った。1990年、本人の趣向から離れたコンポジションに挑戦、3rdシングル『Escape-Rebuild』をストレートなポップソングとしてリリースするも、あまり商業的反響を得ることがなかった。これ以降の作風は、そうしたポップさを抑え、森岡とは対照的な音楽性を志向するようになる。
  • 父親が医師であり、本人も医大を目指し東京の予備校に通っていたが、ソフトバレエの結成に伴い医師への道を断念している。なおソフトバレエ活動時は実家の病院にポスターが貼ってあったと藤井は証言している。[要出典]
  • 高校生の頃は化粧をして学校に登校していた。しかし、授業が始まる前にはちゃんと化粧を落としていたという。[2]
  • 雑誌JUNEのモデル経験がある。
  • 本人曰く「ライヴ嫌い」である。ソフトバレエ時代はステージを縦横無尽に動き回る森岡とは対照的に、ほぼ直立不動の状態だった。「ステージ用の打ち込みを終えた時点で、自分の中でライブは終わる」とのこと。また、かつてはライヴで地方に行くことについても抵抗があったらしく、これもライヴ嫌いを募らせる原因になっていた。
  • ソフトバレエ時代は、生活習慣がルーズな森岡への説教役。あまりの遅刻の多さに激怒し、手が出ることもしばしばあった。
  • ROCKIN'ON JAPANのインタビューで「ゴムを噛む」「歯医者で詰めた綿の匂いを嗅ぐ」などと発言、このインパクトによるパブリックイメージを本人は後に後悔している[要出典]
  • ROCKIN'ON JAPANの投稿欄に「本人だ!」と投稿し採用された。編集部は当時の所属事務所を通し確認をした上で掲載している。
  • 元妻であるタレントの濱田マリとのなれそめは、藤井が彼女の大ファンで、雑誌記者のコネを使って対談を実現させた(ROCKIN'ON JAPAN誌上およびラジオ番組「遠藤遼一 Radio Trancy」)ことから。その後「失恋直後の隙をつかれて」(濱田談)親密な関係となり、藤井の「ストーカー同然」(濱田談)[要出典]の接触も実り、1996年に結婚。1999年には長女をもうけるも2005年離婚。
  • 2000年代に入ってから浮上する様になったソフトバレエ再結成の構想に対して、最後まで抵抗し続けた。藤井の中ではソフトバレエは既に「終わったバンド」でしかなく、今更やる理由が見つからないというのが主な理由だった。結局のところ、「かつてのソフトバレエを徹底的に潰す」という決意の元、同意に至った。その後のインタビューでは「ソフトバレエを潰しきれてない」と後悔する節もあったが、2016年に森岡賢が急逝し、その後のminus(-)での「AFTER IMAGES」(遠藤遼一の新録ボーカルバージョン)披露を経たインタビューでは「(再結成で2曲)棺桶に入れてもいいかなという曲ができた」「(遠藤と新曲を作ると、森岡と)夢で会えなくなるから」といった理由でソフトバレエにはもう未練がないことを仄めかしている。
  • 2011年に起こった東日本大震災を受け「今やるべきなのは音楽ではない。」と考え、その後は建築関係の仕事に就いていた(当初は下働きからのスタートだったか、最終的にはそれなりの地位に出世していたという)。その期間は関係者からの連絡を一切絶っており、死亡説、失踪説も流れた。 2013年に会社を退職。その後音楽と人の編集長である金光裕史の働きかけもあり、森岡賢とユニット「minus(-)」を結成する運びとなる。
  • minus(-)のライヴではメンバーそれぞれの曲については作曲者がボーカルを取る形態をとっていた(Minus(-)項も参照のこと)が、2016年6月の森岡賢の急逝により実質上ソロプロジェクトとなってしまったため、J(LUNA SEA)主催のイベント以降は森岡の曲についてもボーカルを担当している。

バンド・ユニット・名義歴[編集]

  • temple cult
  • volage
  • SOFT BALLET
  • SCHAFT
  • MAKI FUJII ASSEMBLED
  • Torrid
  • she shead
  • She-Shell
  • SUILEN
  • D.N.P.A.
  • Jugendgedenken
  • minus(-)

作品[編集]

SOFT BALLETSCHAFTShe-ShellSUILENminus(-) に関しては、それぞれ該当する欄を参照。

MAKI FUJII ASSEMBLED[編集]

アルバム[編集]

  • DEVIATION FROM SYSTEM (1996年3月27日 ALCA-5060)
  1. LL039 (FUTURE PAST REMIX)
  2. NARCOTIZE (STICK OUT MIX)
  3. DUSK (FLY BLOWN MIX)
  4. DAmm-20 (NU IDOL MIX)
  5. PHAGOCYTOSIS (TAXINE MIX)
  6. MCG-6-30-15 (D131K3 MIX)
  7. RV-PJ (SCHIZOPHRENIC MIX)
  8. CADAVER (MERCI MIX)

参加作品[編集]

プロデュース[編集]

  • epidemic
    • シングル「奇蹟の城」(2000年2月17日、ポニーキャニオン、PCCA-1409)
    • アルバム「Eocytes」(2000年6月21日、ポニーキャニオン、PCCA-80001)
  • Lillies and Remains
    • アルバム「Romanticism」(2014年11月12日、Fifty One Records、FIFO-0030)

脚注[編集]

  1. ^ 音楽と人」1997年3月号 p.52
  2. ^ 市川哲史、2006、『私も「ヴィジュアル系」だった頃。』 p.126-127

外部リンク[編集]