センゴク

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センゴク』は宮下英樹による漫画作品。講談社刊『週刊ヤングマガジン』に2004年から掲載され、現在連載中の作品である。2007年45号をもって第一部が完結し、2008年3号からは第2部『センゴク 天正記』が掲載されている。また2007年2月より『別冊ヤングマガジン』において『センゴク外伝 桶狭間戦記』も連載されている。

目次

[編集] 概要

斎藤龍興豊臣秀吉徳川家康に仕えた武将・仙石権兵衛秀久を主人公に戦国時代を描いた作品である。タイトルは戦国時代と主人公の姓「仙石」を引っかけたもの。

一般的に知名度が低く戸次川の戦いでの大敗などから評価も低い仙石秀久を、戦国史上最も失敗し挽回した男として主人公に据えた異色の作品である。同様に山崎新平斎藤龍興鳥居景近野々村正成といったマイナーな武将が、展開の鍵を握る強大な人物として描かれている点も本作の大きな特徴である。また、同時代の資料や古戦場の現地取材を元に戦国時代の合戦状況にスポットを当て、いわゆる通説を覆して描く「全ての常識を覆す超リアル戦国合戦譚」をキャッチフレーズとしており、この合戦描写は本作の大きな売りの一つであり、作中では「だがこの通説には疑問が残る」という脚注が頻出している。

現代の歴史物創作では珍しく、登場人物名が原則「(苗字)+(仮名or官職名)+()」で表記され、諱よりも仮名や官職名で呼ばれる方が多い(詳しくは#登場人物名の表記法)。

単行本は講談社よりヤングマガジンコミックスとして『センゴク』が全15巻、『センゴク天正記』が5巻まで刊行(2009年5月現在)。また、2007年2月より『別冊ヤングマガジン』において「センゴク外伝 桶狭間戦記」を連載中。こちらは、サブタイトルに桶狭間の戦いこそ冠しているものの、今川義元が今川家を継ぐところから始まっており、ともに若き今川義元と織田信長を軸に物語が進行していく。これもまた本編同様に、一般的に評価の低い今川義元の人物像を再検証する試みが行なわれている。

第32回講談社漫画賞一般部門の候補となるが、落選している(受賞作は『もやしもん』)。


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[編集] 登場人物

[編集] 主人公と仙石家

[編集] 主人公

仙石秀久(せんごく ひでひさ)
通称は権兵衛。本作品の主人公。身長は当時の成人男子の平均身長を頭一つ上回る五(約171cm)の巨漢で、ダンゴ鼻が特徴。額には山崎新平につけられた向こう傷がある。信長からは「ダンゴ」、秀吉からは「センゴク」、その他「ゴンベエ」「ゴン」「ゴン兄ィ」とも呼ばれる。元は美濃の斉藤家に仕えていた若武者であったが、斉藤家を駆逐した織田信長に見出され、織田家臣である木下秀吉に仕えるようになる。その恵まれた体格と剛力を活かし戦場で活躍する。基本的にはいわゆる猪武者だが、年齢を重ねるに連れ少しずつ大局的な物事の見方を身に付けてきている。
第二部からは小谷城攻略戦の活躍で1000石を与えられて一兵卒から武将へと転身し、部下を抱える将へと成長していく。単独で間者働きをすることも。

[編集] 一門と家臣たち

川爺(かわじい)
権兵衛の守役。斉藤家にいた権兵衛のじいや的存在だったが、物語冒頭で稲葉山城陥落の際に流れ矢に当たり、権兵衛の前で戦死した。
川坊(かわぼう)
権兵衛が領主となってからの仙石家を盛り切りする文官的存在。政務を部下に任せっぱなしの権兵衛によく小言を言っているが、権兵衛が政治に不向きな事は承知しており、自身も権兵衛が安心して戦場へ行ける様に計らっている。何かと大人気ない仙石夫妻の手綱を握っている。川爺との関係は不明。
お藤(おふじ)
権兵衛の正室。野々村正成の姪で、野々村幸成の娘。元は小川土佐守の妻で、間に一女がいる。おねの推薦により縁談を取りもたれるも、権兵衛とは最悪の出会いを果たす。一時紆余曲折があったものの最終的に結婚。いわゆる旦那を尻に敷くタイプだが権兵衛には惚れ込んでいる。高所恐怖症。
仙石盛政(せんごく もりまさ)
通称は治左衛門。仙石本家の一門で、権兵衛が領主となってから召抱えられた。長身ながら穏やかな性格。権兵衛とともに各地へ転戦する。長篠の戦いでは、兵として戦おうとする権兵衛の暴走を宥めて安全地帯まで退却させた。しかしその時に負った矢傷が致命傷となり、その場で息絶えた。
堀田正惟(ほった まさただ)
通称は右馬助。権兵衛の母方の堀田家一門で、権兵衛が領主となってから召抱えられた。丸々とした体格で、少々気の荒い性格。伊勢長島殲滅戦では他の四人とともに奮戦するが、戦後間もなく織田軍の所業に恐れをなして姿を消してしまう。長篠の戦いの後、激痩せした姿で盛政の墓前に現れる。
萩原国秀(はぎわら くにひで)
通称は孫太郎。権兵衛の叔父の一門で、権兵衛が領主となってから召抱えられた。少し女々しい顔つきをしている。盛政・正惟・妙算たちとともに将となった権兵衛を支える。
津田妙算(つだ みょうさん)
通称は杉ノ坊粗葉粕太郎(そば かすたろう)の名前で盗みを働いていた右頬にそばかすのある男。共に盗みを働いていた志賀源次郎に裏切られて権兵衛の前に突き出されるが、その鉄砲の腕前を期待されて逆に登用される。鉄砲の腕前は随一で、揺れる船の上で正確に敵に射撃したり、銃身に二つの弾丸を装填して放ったりと妙技が光る。その正体は紀州根来衆津田氏の一族。一族でも白眉の才と言われていたが、その腕前を危険視もされていた。

[編集] 織田家

[編集] 織田一門

織田信長(おだ のぶなが)
通称は上総介、後に弾正忠と改める。「時代を愛し天下を寝取る」と謳い、尾張から戦国に覇を唱えんとする戦国大名。権兵衛が当初仕えていた斉藤家を滅ぼし、足利義昭を擁立して中央で一気に頭角を現す。政略・戦略において他の追随を許さない天才性と、万人が畏怖する苛烈かつ冷酷な狂気を持つ一方で、繊細で不器用な面からくる人間的魅力も併せ持つ。普段は寡黙で一言二言しか話さない事も多く自分の心情を他人には中々話さない。尾張弁で話す事もある。
第二部からはその天性の狂気を増幅させていく。長篠の合戦の最中で月代を剃った。
外伝『桶狭間戦記』における主人公の一人で、その幼少期〜青年期が描かれている。
織田信忠(おだ のぶただ)
通称は勘九郎、幼名は奇妙丸。信長の嫡男であり、留守を任されるなど信長の信任もある。
織田信広(おだ のぶひろ)
通称は大隅守。信長の庶兄で、弟である信長の家臣。伊勢長島包囲戦では一軍を率いて参陣する。しかし信長の謀略に激昂した一向宗軍の標的にされてしまい、防戦空しく戦死した。 外伝『桶狭間戦記』にも登場。
織田信治(おだ のぶはる)
通称は九郎。信長の弟。浅井長政軍の急襲を受け、森可成とともに防戦するも叶わず戦死した。
織田信興
通称は彦七郎。信長の弟。伊勢長島で一向一揆と対陣していたが、一揆軍の攻撃を防ぎきれず自刃に追い込まれた。
織田秀成(おだ ひでなり)
通称は半左衛門尉。信長の弟。伊勢長島の殲滅戦に参加するが、逆襲に転じた一揆軍に襲われ、兄・信広に続いて戦死した。
お艶の方(おつやのかた)
美濃岩村城主・遠山景任の未亡人で、遠山家に養子に入っていた信長の五男・坊丸を擁して城主の座についていた女丈夫。信長の叔母にあたるが信長より年下であり、武田信玄は血縁はないと分析していた。信長に恋焦がれており、岩村城を包囲する秋山信友に抗戦していた。城兵の助命を条件に遂に降伏するが、逆に信友によって懐柔されてしまい、坊丸とともに武田方に寝返ってしまった。

[編集] 羽柴家

羽柴秀吉(はしば ひでよし)
通称は籐吉郎、後に筑前守。当初は木下姓を名乗っていたが、比叡山焼き討ち後に羽柴と改姓した。信長には「ハゲネズミ」と呼ばれる。片手の指が六本ある。極度の好色であり、また煙管中毒でもある。信長の家臣であり、権兵衛の上司に当たる。当初は智略に優れるも槍働きには悉く消却的な人物であったが、権兵衛に感化されて少しずつ戦でもその働きを認められるようになってゆく。人心を掌握する才が飛びぬけており、寄騎として羽柴隊にに加わろうとする武将もいる。金ヶ崎撤退戦などの武働きや、長比城調略などの政略と多くの功を挙げ、重臣に列するようになり、小谷城攻略戦後は小谷城を与えられた。
おね
名は寧々、寧子とも。秀吉の正室。杉原氏の出身。出張の多い秀吉の代わりに岐阜城下の羽柴家を盛り切りしている。明朗快活な性格で、当初士気の低かった秀吉の尻を叩いていた。また秀吉の浮気性にもしきりに警戒している。
羽柴秀長(はしば ひでなが)
通称は小一郎。秀吉の異父弟で、兄と同じく当初は木下姓だった。秀吉の忠実な家臣として行動し、権兵衛にも暖かく接するなど温和な性格の持ち主。後に、思いがけず伊勢長島包囲戦では先陣に抜擢されるなど、将としても活躍するようになり。信長には「細目」と呼ばれる。
他作品ではサル・ハゲネズミと言われる秀吉との対比と病没の史実の為に、華奢な設定が多いが、この作品では体躯はガッチリした漢丈夫である。
竹中重治(たけなか しげはる)
通称は半兵衛。元は斉藤龍興の家臣で、かつてわずか16人の兵で稲葉山城を奪った天才的軍略家。その後は近江の樋口兼房の元で隠棲していた。秀吉とは古い友人で、当初は俗世に出る事を断っていたが、金ヶ崎撤退戦を成し遂げた秀吉に感化されて秀吉の元に参じる。以降は秀吉の軍師として様々な政略・軍略を授ける。また織田家中でもその才は知れ渡っており、信長にも信任されている。余暇は織田家中の将たちに軍略を教えている。
蜂須賀正勝(はちすか まさかつ)
通称は小六。秀吉の友人。大酒飲みの巨漢であり、山賊を髣髴とさせる衣装を纏っている。金ヶ崎撤退戦から帰還した秀吉に感じ入り、以降は秀吉配下の将として転戦する。
杉原家次(すぎはら いえつぐ)
通称は七郎左衛門。秀吉の重臣で、おねの一族に当たる。
浅野長吉(あさの ながよし)
通称は弥兵衛。秀吉の重臣、おねの一族に当たる。
市松(いちまつ)
秀吉の子飼いの少年。後の福島正則。目が細く無口だが、手先が器用。
虎之助(とらのすけ)
秀吉の子飼いの少年。後の加藤清正。元服を前にして、市松とともに特別に英才教育を施される事になる。
横山一斎(よこやま いっさい)
秀吉配下の兵。柴田勝家との模擬戦で活躍する。
鉄田、銀
秀吉配下の兵。一乗谷攻略戦に従軍し、権兵衛と共に朝倉景鏡の軍監となる。
五さ(ごさ)
おねの女中頭。
ちく、こほ、こや、よめ、ちょぼ
おねの女中たち。

[編集] 明智家

明智光秀(あけち みつひで)
通称は十兵衛。後に惟任日向守とも名乗る。信長からは「黄金色の頭脳」という意味で「キンカン」と呼ばれている。 ルイス・フロイスによる評である「残忍で狡猾、裏切りや密会を好み、計略策謀に優れる」という人物像であり、戦場では自らの狂気を高めるために化粧をしている事もある。朝倉家などに仕えた後に、足利義昭を擁して信長に仕えるようになる。織田家中きっての切れ者であり、また信長に近い冷徹な戦略眼から着々と実力を発揮し、譜代家臣を差し置き年々織田家中での発言力を強めてゆく。組織された鉄砲隊による左右交差する弾丸を一斉に発射させる「殺し間」で幾度も織田家の危機を救っており、自身も鉄砲の名手である。
第二部では秀吉に二人で織田家を牛耳らんと持ちかけている。
外見のモデルはヒュー・グラント[1]
明智光春(あけち みつはる)
通称は左馬助。光秀の従兄弟で、光秀の側近を務める。
斎藤利三(さいとう としみつ)
通称は内蔵助。光秀の家臣。
三宅秀丞(みやけ ひですけ)
通称は庫之助。父の代から明智家に仕える譜代の家臣。金ヶ崎撤退戦で「殺し間」の囮役となり、その代償に命を落とした。

[編集] 柴田家

柴田勝家(しばた かついえ)
通称は権六、上洛後は修理亮と改名している。信長からは「アゴ」と呼ばれる。織田軍随一の猛将で重臣。権兵衛からは「閻魔様」と恐れられる巨漢。稲葉山城攻略戦で権兵衛の命を助け、織田軍に入るきっかけを作った人物。当初は大きな金棒を持っていたが、金ヶ崎撤退戦の折に権兵衛に与えられた。
可児吉長(かに よしなが)
通称は才蔵。美濃一の強力無双を誇る武将で、槍の名手。権兵衛以上の巨体と怪力の持ち主で、極度の戦好き。「糞があ!」が口癖。当初は柴田勝家の配下として登場。模擬戦で権兵衛と死闘を繰り広げ、戦後は権兵衛を認める。金ヶ崎撤退戦では進んで殿軍を務める木下隊に合流し、権兵衛とは戦友となる。その後、所属を明智光秀に移す。小谷城攻略戦では再び羽柴軍の加勢に現れ、権兵衛や藤堂高虎と功を競った。生涯を戦場で過ごさんとしており、第一部終了時には新たな戦場を求め権兵衛と別れた。
山本吾作(やまもと ごさく)、細川孝之介(ほそかわ こうのすけ)
勝家配下の兵。共に模擬戦で活躍する。

[編集] 佐久間家

佐久間信盛(さくま のぶもり)
通称は右衛門尉。織田家の重臣の一人。過去のデータの分析から老練な戦術眼を持っており、特に撤退戦が得意な事から「退き佐久間」と称される。比叡山での軍令違反で木下隊を出る事になった権兵衛が一時的に属していた。少々保身的な性格であり、切羽詰ると目下の者に厭味を言ったり、自ら危険を賭して働く事には躊躇する。三方ヶ原の戦いでは当初懐疑的だった権兵衛に信頼を置くようになり、身内には優しい一面も見せた。
佐久間盛政(さくま もりまさ)
通称は玄蕃。信盛の甥。丸っこい体格で普段は穏やかな性格。だが一度激昂すると敵中に猛進する勇敢さも兼ね備える。三方ヶ原の戦いでは権兵衛ともに佐久間隊の中核を担った。

[編集] 坂井家

坂井尚恒(さかい ひさつね)
通称は久蔵。坂井政尚の長男で、信長の小姓。文武に優れ将来を見込まれていたが、戦場を極度に恐れているために自力での武功を上げた事がなかった。金ヶ崎撤退戦では奮って殿軍の木下隊に参加し、その中で権兵衛との親交を深める。以後、権兵衛を「ゴン兄ィ」と呼び慕いくっついていた。姉川の戦いでは浅井軍の急襲を受けた坂井隊中で一人踏み止まって奮戦し、援軍に来た権兵衛とともに山崎俊秀に挑む。瞬く間もなく俊秀の一矢に倒され、次いで権兵衛も重傷を負うが、執念で立ち上がりって再び俊秀に挑むが、俊秀の反撃で首を落とされた。その後、尚恒の小母衣は権兵衛が用い、権兵衛が領主となった際に尚恒の墓前に返された。
坂井政尚(さかい まさひさ)
通称は右近尉。尚恒の父で、織田軍の武将。姉川の戦いでは浅井軍の急襲を受け、山崎俊秀によって翻弄される。その後、浅井軍との戦いで討死した事が語られている。

[編集] 野々村家

野々村正成(ののむら まさしげ)
通称は三十郎。信長の旗本で馬廻り衆。鉄砲の名手であり、左頬にはそばかすがある。権兵衛とは重治の軍略講義で出会い、当初は不快感を示していたが、体を張って間者働きをする権兵衛を見て認識を改めた。長篠の戦いでは鉄砲奉行を務める。その際に権兵衛を見込み、姪のお藤との縁談を進める。
野々村幸成(ののむら ゆきなり)
通称は伊予守。正成の弟で、権兵衛の妻であるお藤の父。

[編集] 信長の側近

堀秀政(ほり ひでまさ)
通称は久太郎。信長の最も寵愛深い小姓。介者剣法の使い手でもある。己の才を表すことのみを望みとしている。権兵衛が最初に信長に謁見した際に、権兵衛の胆力を試すために一騎討ちをして敗れた。以降は信長の馬廻り衆として着実に出世を重ね一部隊を率いる将となる。
佐々成政(さっさ なりまさ)
通称は内蔵助。美濃攻略後に行われた模擬戦で黒母衣衆筆頭に抜擢される。長篠の戦いでは鉄砲奉行を務める。
前田利家(まえだ としいえ)
通称は又左衛門。羽柴家とは友人付き合いをしており、寧々も利家の妻であるおまつと交流がある。美濃攻略後に行われた模擬戦で赤母衣衆筆頭に抜擢される。長篠の戦いでは鉄砲奉行を務める。
福富貞次(ふくとみ さだつぐ)
通称は平左衛門。登場当時は秀勝という名だった。長篠の戦いで鉄砲奉行を務める。
塙直政(ばん なおまさ)
通称は九郎左衛門。長篠の戦いで鉄砲奉行を務める。

[編集] その他の家臣

丹羽長秀(にわ ながひで)
通称は五郎左衛門。織田家の重臣の一人。信長には「巻き毛」と呼ばれる。数多くの合戦に従軍し、軍議では司会を務める事も多い。外見のモデルは、サミュエル・L・ジャクソン[1]
滝川一益(たきがわ かずます)
通称は左近将監。神出鬼没の用兵を操る武将。
森可成(もり よしなり)
通称は三左衛門。織田家の中核を担った武将の一人。浅井軍の急襲を受け、織田信治と共に抗戦するも、叶わず討死した。
蜂屋頼隆(はちや よりたか)
通称は兵庫頭。織田家の中核を担った武将の一人。
中川清秀(なかがわ きよひで)
通称は八郎右衛門、浅井家滅亡の頃には瀬兵衛と改名している[2]。織田家の中核を担った武将の一人。
稲葉良通(いなば よしみち)
通称は一鉄、姉川の戦いでは通朝という名前で記されていた。織田軍の有力武将の一人。
織田忠寛(おだ ただひろ)
通称は掃部助。甲斐武田家との交渉役を務めており、度々甲斐にも下向している。三方ヶ原の戦い後は、信長の指示で信玄の周囲に探りをいれ、信玄の死亡を確認した。
平手汎秀(ひらて ひろひで)
通称は甚左衛門。三方ヶ原の戦いで佐久間信盛や水野信元とともに徳川家康の援軍として参戦する。
細川藤孝(ほそかわ ふじたか)
通称は兵部大輔、姓は長岡とも。明智光秀の調略によって織田家に仕える。
荒木村重(あらき むらしげ)
通称は信濃守。明智光秀の調略で、細川藤孝とともに織田家に仕える。
蒲生氏郷(がもう うじさと)
通称は忠三郎。織田家臣。浅井・朝倉平定後の宴で登場する。
安藤守就(あんどう もりなり)
通称は平左衛門。織田家臣。浅井・朝倉平定後の宴で登場する。
池田恒興(いけだ つねおき)
通称は勝三郎。織田家の武将。姉川の戦いで名前のみが出ており、浅井・朝倉平定後の宴で初登場する。
九鬼嘉隆(くき よしたか)
通称は右馬允。織田家の武将。
山県源内(やまがた げんない)、宇野弥七(うの やしち)
若狭衆の勇猛な武将。六条合戦で奮戦するが、敵軍の猛攻にあって相次いで討ち取られる。
小川土佐守(おがわ とさのかみ)
元佐和山領主。ルックスがよく、深い教養の持ち主で家柄も裕福な茶人。お藤の元夫だったが性格の不一致から離縁している。

[編集] 徳川家

徳川家康(とくがわ いえやす)
通称は次郎三郎、三河守とも呼ばれる。三河国主で織田信長の盟友。賭け事が好きで、例え話としてもよく話題にしたり部下と賭博をする事もある。勇猛果敢で激しやすい熱血漢ながら、冷静に現状を分析する能力を持っており、信玄からは「上杉謙信に匹敵する器」と評されている。織田家とは同盟を結んでいるものの、実質傘下の勢力に近い扱いを受けている。一方で領土を接している武田家とは、幾たびも争ったりあるいは引抜を仕掛けられている。三方ヶ原の戦いで武田軍に大敗を喫してからは、その際の自分の肖像画を書かせて熱しやすい自らへの戒めとしており、信玄の死後は少しずつ忍耐力を身に着けている。
外伝『桶狭間戦記』にも登場。
本多忠勝(ほんだ ただかつ)
通称は平八郎。家康から友と信頼される家臣。自身も家康を「兄貴」と呼んで慕っている。豪快な性格で、戦場でもその勇猛さは健在。
榊原康政(さかきばら やすまさ)
通称は小平太。家康から友と信頼される家臣の一人。性格は冷静沈着で、熱しやすい家康を度々諌めたりしている。
酒井忠次(さかい ただつぐ)
通称は左衛門尉。家中で唯一家康に直言できる重臣で、三河国吉田城主。戦略眼にも優れ、織田信長からも高い評価を得ている。
小栗重常(おぐり しげつね)
通称は大六。家康の旗本奉公人。織田信長への使者として度々織田家を訪れている。
石川数正(いしかわ かずまさ)
通称は伯耆守。家康の家臣。
成瀬正義(なるせ まさよし)
通称は藤蔵。三方ヶ原の戦いでは一隊を率いて出陣する。包囲された徳川軍の退路を確保するために転進するが、その隙を狙った諏訪勝頼の攻撃を受けて討ち取られた。
今橋忠吉(いまはし ただよし)
通称は平五郎。酒井忠次の家臣。高天神城救援を承諾しながら撤退してしまった織田信長に不信感を抱いていた。しかし長篠城救援の際には、信長への評価も改めるなど性格は単純。その性格から権兵衛とも親しくなる。

[編集] 反織田勢力

[編集] 斉藤家

斉藤龍興(さいとう たつおき)
通称は右兵衛大輔。元美濃稲葉山城主。当初は女色に溺れ、当時家臣だった竹中重治に諫言代わりに城を奪われるなど暗愚な武将だった。織田信長に敗北し国を追われるが、以降は信長に復讐し国主の座に返り咲く野望を抱いて、各地を流浪しながら謀才を発揮し、浅井・朝倉・比叡山・本願寺を巻き込んで信長包囲陣を完成させ、信長を窮地に追い込んだ。畿内での戦線で信長に敗れた後は朝倉家に身を寄せ、鳥居景近とともに朝倉家の実権を掌握しようと暗躍する。しかし刀禰坂の戦いで敗北する朝倉家を見限り本願寺へ身を寄せようとするが、追撃する織田軍に討ち取られた。最期は謀略に利用しながら寵愛してきた女衆を見捨てる事が出来ず、その後事を景近に託す。
お蝶(おちょう)
斉藤家の侍女。権兵衛とは幼馴染で、両想いの恋人でもある。初期の権兵衛が戦う理由となるキャラクター。美濃を追われた斉藤龍興に従い、その美貌に目をかけられて、龍興の妹の姫として教育を受けるようになる。比叡山焼き討ちの際に権兵衛と再会するが、同じく比叡山にいた許婚・鳥居景近に攫われて越前に移る。その後、高徳院の女中となり、憔悴する景近の側にいながら心を通わせるようになる。朝倉家滅亡の際に権兵衛と再会するが、武士としての道を歩む権兵衛と共には行かず、朝倉家の姫たちと供に本願寺に逃れた。
富田勢源(とだ せいげん)
斉藤家兵法指南役。龍興の側近。小柄で視力も低い老人だが、非常に身軽な剣術の達人。
お猪(おいの)
斉藤家の侍女頭。権兵衛やお蝶とは昔馴染みで、「姐さん」と親しまれている。美濃を追われた斉藤龍興に従ってともに流浪しながら、龍興の謀略を助ける。龍興が斎藤家に入ってからは高徳院の女中となる。刀禰坂の戦いで龍興が戦死すると、後を追うように自害した。
独活(うど)
龍興に仕える壮年の透波。部下であるお鹿と共に各地へ飛び回って諜報活動に従事していた。
お鹿(おしか)
龍興に仕える女透波。体の部位を基準に物事を記憶する。お蝶とは親友の間柄で、お蝶のために権兵衛と接触しようとするが、逆にその優しさに触れて権兵衛に惚れてしまう。しかし権兵衛とお蝶のために自らは身を引く。比叡山で鳥居景近によって昏倒した権兵衛を救い山麓まで権兵衛を帰還させるが、その際に矢傷を負い、それが致命傷になって命を落とした。

[編集] 浅井家

浅井長政(あさい ながまさ)
通称は備前守、幼名は猿夜叉丸。近江北部を治める戦国大名。織田信長の妹であるお市を娶り、お市を溺愛している。信長にも憧憬を抱いていたが、信長とお市の絆に嫉妬し、越前に侵攻する信長を裏切り窮地に陥れた。当初は大きな体躯に恵まれながら吃音癖のある小心者だったが、信長と戦っていく中で精神的に成長し、利用されるだけだった他勢力からも一目置かれるようになる。自らは信長と戦う事でのみ戦国大名になれる事を悟っている。各地で織田軍と戦い信長を翻弄したが、居城である小谷城を攻略されると、お市を突き放し、自害して果てた。
お市の方(おいちのかた)
織田信長の妹にして浅井長政の妻。絶世の美女として名高く、浅井家が織田家と同盟するにあたって長政に嫁ぐ。信長と共に天下人になった長政を裏で操ろうと画策していたが、信長との絆に嫉妬した長政が信長を裏切ったために不意に終わった。憔悴してしまった長政を奮い立たせるのに一役買うが、以降は赤尾清綱の屋敷に幽閉される。小谷城落城寸前になると浅井市として生きる決意をするが、信長との決戦を生きがいにしていた長政に突き放され、涙ながらに織田家に戻る事になった。
万福丸(まんぷくまる)
長政の子。小谷城落城とともい城を落ち延びるが、後に捕らえられて磔刑となった。
浅井久政(あさい ひさまさ)
通称は下野守。長政の父。家督は長政に譲ってはいるが未だ発言力は強く、優柔不断だった長政に代わって信長を討とうとしていた。長政が当主として威信を持ち始めると、長政に全権を委ねる。羽柴秀吉によって小谷城虎口を突破されると自害した。
赤尾清綱(あかお きよつな)
通称は美作守。浅井家の重臣筆頭であり、長政を幼少時から知る人物。小谷城中に屋敷を構えている。屋敷ではお市を幽閉していたが、浅井市として生きる決心をしたお市を見て笑顔を見せた。羽柴秀吉による調略を撥ね付け、長政の最後を看取る。
山崎俊秀(やまざき としひで)
通称は新平。浅井家臣で磯野員昌隊の先駆け。戦傷として鼻が無く惣面をつけ、馬上での弭槍を得意とする。また軍略にも優れ、姉川の戦いでは撤退したと見せかけて敵を奇襲する「母喰鳥の計」を披露した。若い頃から激情を抑えており、常に冷静になる事を心がけている。姉川の戦いで先陣を務め織田信長の陣を奇しようとするが、権兵衛と坂井尚恒の奮戦によって足止めされ、尚恒を討ち取るが、権兵衛との一騎打ちに敗れて討ち取られた。俊秀の死によって浅井軍の奇襲作戦は失敗し、姉川での敗戦に繋がった。なお、の俊秀は作者の創作。
磯野員昌(いその かずまさ)
通称は丹波守。佐和山城主を務める浅井軍きっての猛将。織田信長と対決姿勢を表明しながら逡巡する長政を支える。姉川の戦いでは先陣部隊を率いた。その後は佐和山城に籠もって織田軍に抵抗するが、支えきれずに降伏した。その後は織田家に仕える。
遠藤直経(えんどう なおつね)
通称は喜右衛門。長政の重臣。浅井家を格下のように扱う織田信長に警戒心を抱いている。姉川の戦いに出陣したがその戦いで戦死した。
堀秀村(ほり ひでむら)
通称は二郎鎌刃城を守備する若き城主。竹中重治によって調略を受け、重治の可能性を信じて織田家に寝返る。以降は羽柴秀吉の配下に納まる。
樋口直房(ひぐち なおふさ)
通称は三郎兵衛。堀秀村の重臣。年若き当主を暖かく補佐する。斉藤家を離れていた竹中重治を寄宿させており、重治の調略で織田家に寝返った秀村に従う。秀村とともに羽柴秀吉の配下に入る。後に織田信長の苛烈な戦略に畏怖を覚えて逐電するが、逆に討ち取られてしまった。
阿閉貞征(あつじ さだゆき)
通称は淡路守、姉川の戦い時には貞秀と名乗っていた。浅井家の守備の要衝山本山城を守備する。戦略眼に長け、織田軍から城を守っていたが、政略は今一つながらプライドが高い。羽柴秀吉と共に調略に来た竹中重治に言いくるめられ、織田家に寝返り浅井家を窮地に追い込む。小谷城攻めでは秀吉の軍に属して浅井家臣たちへの調略を行った。
藤堂高虎(とうどう たかとら)
通称は与右衛門、幼名は与吉。阿閉貞征の与騎。浅井軍の元で数々の軍功を挙げた武将。没落した家名再興を志しており上昇志向が強い。権兵衛以上の巨躯を誇り知恵も回るが、小難しい性格をしており人当たりがよくない。貞征とともに織田家に寝返り、羽柴秀吉の小谷城攻略戦に参加する。当初は同僚となった権兵衛や可児と対立していたが、戦を重ねるにつれて互いに認め合う戦友となる。第一部終了時には己の不足を悟り諸国を巡り見聞を広め才覚を磨かんとする。
大野木茂俊(おおのぎ しげとし)
通称は土佐守。羽柴秀吉の調略によって織田家に寝返る。小谷城虎口近くに屋敷を構えており、秀吉に虎口の情報を伝える。
太田左衛門(おおた さえもん)
大野木茂俊の家臣。羽柴隊の元に小谷城の地図をもたらした。
浅井政澄(あさい まさずみ)
浅井家の武将。姉川の戦いで一陣を構える。
新庄直頼(しんじょう なおより)
浅井家の武将。姉川の戦いで一陣を構える。
浅井井規(あさい いのり)
浅井家臣。小谷城を攻める羽柴秀吉の調略に応じ、織田家に降る。
三田村国定(みたむら むにさだ)
浅井家臣。小谷城を攻める羽柴秀吉の調略に応じ、織田家に降る。
中島九郎二郎(なかじま くろうじろう)、中島新兵衛(なかじま しんべえ)、浅井日向守(あさい ひゅうがのかみ)
浅井家臣。小谷城落城の際、最後まで長政に従った。
お竹(おたけ)
浅井家側女。斉藤龍興の調略を受け、織田信長が浅井家を裏切るという流言を流す。

[編集] 朝倉家

朝倉義景(あさくら よしかげ)
通称は左衛門督、左京太夫とも。越前一乗谷に居を構える戦国大名。英林孝景以来の繁栄を守ってはいるが、幼くして家督を継いだために戦国の倣いになじまず、台頭する織田信長に対して警戒心が薄かったり、信長を討てる絶好の機会を逃すなど暗君としての面が強かった。しかし体勢を立て直した織田家の脅威を前に内憂外患に気付き、当主としての自覚を持ち始める。以後は主戦派の鳥居景近を重用して信長と対決姿勢を表明するが、朝倉景鏡ら対立派閥に足を取られ、結局信長と対決する事はなかった。間もなく織田軍の一乗谷侵攻を受けて敗戦し、景鏡を頼るものの景鏡に裏切られ、最期は景鏡に一乗谷を託して自害した。
高徳院(こうとくいん)
義景の母。女中たちの母親的存在であり、お蝶たちには「姑さま」と呼ばれている。家中でも一定の発言力を持っており、義景も彼女の言葉に義景は逆らうことが出来ない。義景を「ドラ息子」と叱り付ける事が多いが、息子に対する愛情は本物であり、義景の身を案じている。鳥居景近を信任しており、景近を義景に推挙した。一乗谷を落ちた後は義景と共に織田軍から逃れるが、義景の死後になって捕らえらる。その際に同行しようとするお蝶を拒み、本願寺へ逃れさせた。最期は丹羽長秀によって殺される。
朝倉景鏡(あさくら かげあきら)
通称は式部大輔、後に織田信長の偏諱を受けて土橋信鏡と改名する。義景の従兄弟で、朝倉家筆頭家老。家中の派閥争いでは守旧派に属し、自らの矜持も高く、領内の窮状を伝えなかったりと当主義景に反感を持っている。内憂外患が頂点に達した際に家中を調略して朝倉家当主となろうと画策するも、鳥居景近の尽力で叶わなかった。その後も信長の対決を妨害し、遂には義景に見切りをつけて織田家に内応し、景鏡を頼って逃亡してきた義景を自害に追い込んだ。その後は朝倉旧領に配されるも、義景の娘の意を受けた本願寺によって扇動された一向一揆により戦死した。主家を裏切った人物であったが、義景の死に涙を浮かべたり、一乗谷を灰燼に追い込んだ者として景近を責めるなど、一乗谷の繁栄を願う人物であった。
朝倉景健(あさくら かげたけ)
通称は孫三郎。義景の重臣であり、自ら動かない義景の名代として行動する事が多い。義景が戦陣に立ってからも怠惰から抜け出せない義景を度々諌めている。姉川の戦いでは朝倉軍を率いた。家中の派閥争いでは守旧派に属するが、織田信長の台頭には危機感を抱いており、後に革新派の鳥居景近らと共に朝倉家を盛り立てていく。
山崎吉家(やまざき よしいえ)
通称は長門守。武闘派の朝倉家重臣。猛々しい風貌から家中でも一目置かれると共に畏怖されている。金ヶ崎での織田軍追撃戦では先陣を率いるが、木下秀吉隊の活躍によって信長を逃がしてしまった。義景の側近から家老に出世した鳥居景近を良く思っておらず、度々義景を諌めている。しかし自分の進言が叶い、景近らの反対を押し切って織田軍から撤退する事になった際に織田軍の追撃を受け、奮戦するも叶わず討死した。
鳥居景近(とりい かげちか)
通称は兵庫助。義景の側近。家中での革新派の中心を担う人物。爽やかな風貌で、ヨーロッパの騎士道(ろうまんす)を追い求める。斉藤龍興の計らいでお蝶と知り合い心惹かれて行く。お蝶を奪還しに来た権兵衛と比叡山で対決し一旦は敗北するも、執念で起き上がって狂気を帯び、権兵衛を倒してお蝶を奪い取った。その際に顔に火傷を多い、顔の左半分を仮面で覆う事になる。以後も戦利品としてお蝶を囲うが、その中で再び穏やかな心を取り戻してゆく。高徳院に近く、その介添えもあって義景の信任を得、義兄弟となった龍興とともに朝倉家で影響力を持つ。しかし成り上がりのために「仮面奏者」と蔑む朝倉景鏡や山崎吉家らの抵抗に遭い、信長と対決する事は叶わず、義景とともに一乗谷を落ちる。しかし逃れた先の景鏡の裏切りに遭い義景が自害すると、最後に一矢報いるために景鏡軍に突撃する。奮戦叶わず景鏡に捕らえられ、景鏡の拷問を受ける中、権兵衛の放った矢に斃れた。
伊勢景茂(いせ かげもち)
通称は左衛門太郎。義景の家臣。客人的な立場にいながら不遜に振舞う斉藤龍興を快く思っておらず、龍興と結んでいる鳥居景近とも対立する。そのために龍興に危険視され、行軍中に龍興によって毒殺された。
高橋景業(たかはし かげなり)
通称は新助、比叡山焼き討ちの頃は甚三郎と名乗っていた。義景の側近で、鳥居景近の無二の親友。景近とは違って風貌は劣るが、共に騎士道に憧れる。家中では革新派に属している。一乗谷を落ちた義景に従うが、朝倉景鏡の裏切りによって義景が自害すると、その解釈を務め、今際の時まで一乗谷を案じる義景に敬意を表した。その後は義景の後を追うように自害する。
福岡吉清(ふくおか よしきよ)
通称は石見守。義景の娘たちの警護を任される。途中敵軍の攻撃に遭い、吉清は討ち取られるも義景の娘たちを石山本願寺へ逃す事には成功した。
小林彦六左衛門(こばやし ひころくざえもん)、斉藤刑部少輔五郎(さいとう ぎょうぶしょうゆうごろう)、豊原寺西方院(とよはらじ せいほういん)
大嶽山城番三人衆。浅井長政の居城・小谷城に近い大嶽城を守るが、織田軍の急襲を受けて落城する。三人は信長に許されて朝倉本陣へ帰還するが、逆に信長の朝倉軍殲滅作戦に利用される。
朝倉彦四郎(あさくら ひこしろう)、河合安芸守(かわい あきのかみ)、詫美越後守(たくみ えちごのかみ)
朝倉家の武将。刀禰坂の戦いで朝倉景健の軍に属し、追撃する織田軍と戦う。
小少将(こしょうしょう)
義景の側室。義景が一乗谷を追われ、高徳院や義景の娘たちと織田軍から逃れる時に同行した。
桜井(さくらい)、小林(こばやし)、青木(あおき)
義景の家臣。朝倉家当主の座を狙う朝倉景鏡に同調を期待されていたが、鳥居景近の奔走により景近や朝倉景健の意見に賛同する。

[編集] 武田家

武田信玄(たけだ しんげん)
通称は法性院[3]、名は晴信。甲斐に居を構える戦国大名で、「戦の前に勝利を決める」を方針とする名将。僧体ながら不気味な雰囲気を醸し出し、領国を隣接する徳川家康は勿論、傲岸不遜な織田信長にさえ恐れられている。また家臣にもその畏怖は及ぶが、一方でそのカリスマ性から「御屋形(オヤジ)」と尊敬されている。情報を何よりも重視しており、些細な情報からでも対局を見極め、不利も有利に覆す鬼謀の持ち主。当初は信長と結んでいたが、比叡山焼き討ちを大義名分として織田家殲滅を画策する。老獪に織田・徳川家を追い詰め、遂には三方ヶ原の戦いで織田・徳川連合軍を完膚なきまでに撃破するも、その戦陣で大病から昏倒し、やむなく進軍を中止する事になった。その後、奇跡的に意識を取り戻すも、信長への戦意を滾らせたまま大往生した。外見のモデルはマーロン・ブランド[1]
武田勝頼(たけだ かつより)
通称は四郎。信玄の四男で、家督継承以前は諏訪氏を名乗っており、半ば人質として諏訪家に送られていた。信玄の一武将として三方ヶ原の戦いでも戦功を挙げる。しかしその途上で信玄が倒れ、帰らぬ人となると嫡子・信勝を当主とした陣代となる。信玄の遺臣である山県昌景や馬場信春らによって信玄を模した指揮官「シンゲン」として教育を受け、信玄に劣らぬ名将に成長する。自らを「代わりはいくらでもいる信玄の代理」と卑下しており、長篠の戦いでは大将ながら前線に布陣し、大勢が決した後は討ち死にしようとするが馬場らに止められ真の武田の屋形として生き抜くよう諭される。
山県昌景(やまがた まさかげ)
通称は三郎兵衛、若い頃は飯富源四郎と称していた。戦国最強と謳われる先駆け大将で、信玄の信頼厚い重臣。赤備えの部隊を率い、その兵隊を見せただけで敵将を畏怖させる猛将。颯爽とした気持ちのいい性格だが、戦場では天才的な指揮を取り、敵には一切の容赦をしない冷酷さも兼ね備える。その性格は常に完全な戦を目指している。三方ヶ原の戦いでは先駆け隊を率いて徳川軍を窮地に追い込んだ。信玄の死後は陣代となった勝頼を「シンゲン」として教育し、一方で健在な武田軍を織田・徳川家に誇示する活躍を見せる。しかし長篠の戦いで織田軍の強力な鉄砲戦術を目の当たりにして敗戦を悟り、勝頼に撤退を進言しようと一騎勝頼の元へ駆けるが、根来衆の狙撃を受け、武田の屋形たるべき勝頼と合戦の変容を想いながら討死した。外見のモデルはクラーク・ゲーブル[1]
馬場信春(ばば のぶはる)
通称は美濃守、若い頃は民部少輔信房を称していた。山県昌景と双璧を成す武田家の要の重臣。数多くの戦場に出陣しながら傷一つ追わなかったという「不死身の鬼美濃」。煙管を愛飲。好々爺然としているが老練な戦術眼と剛胆さをもち、山県昌景との連携も非常に冴え渡る。信玄の死後は跡を継いだ勝頼の教育の他に、若い家臣たちに世代交代が進むように心がけている。長篠の戦いでは決死の殿軍を務め、勝頼の撤退を見届けた後に討死。外見のモデルはポール・ニューマン[1]
高坂昌信(こうさか まさのぶ)
通称は弾正、若い頃は春日源五郎と称していた。かつては美男子として知られ、信玄に寵愛された武田家の重臣の一人。寡黙で沈着な性格で、口数の多い山県昌景に小言を言う事も多い。三方ヶ原の戦いでは信玄の脇備えに布陣し、信玄の異常に真っ先に気付く事となった。信玄没後は勝頼を「シンゲン」とするために教育を施す。
秋山信友(あきやま のぶとも)
通称は伯耆守、若い頃は膳右衛門と称していた。武田家の重臣の一人。ニヒルな性格で山県昌景には「ムッツリ」と言われるものの、戦場では猛牛のような働きをする事から勝頼からは「牛友」と呼ばれる。対織田戦線では織田信長を引き付けるために、信長の居城・岐阜城の備えである岩村城を長年に渡って包囲。城主だったお艶の方を降伏、籠絡して信長を挑発する。信玄の死後は跡を継いだ勝頼の教育に務める。
武田信綱(たけだ のぶつな)[4]
通称は逍遥軒。武田家の有力武将の一人で、勝頼にも信頼される一門衆。三方ヶ原の戦いや長篠の戦いで主力軍を率いる。
武田信虎(たけだ のぶとら)
通称は左京太夫。武田信玄の父。信玄によって家督を追われ、追放された。
武田義信(たけだ よしのぶ)
通称は太郎。信玄の長男。信玄によって謀殺されている。
小山田信茂(おやまだ のぶしげ)
通称は兵衛尉。「いぶし銀」と称される武田家の有力武将。戦場では輿に乗って行軍したり、ほとんど言葉を発る事のない不気味な人物。三方ヶ原の戦いでは少数の投石部隊を率いて徳川軍を挑発する。長篠の戦いでも一隊を率いる。
内藤昌豊(ないとう まさとよ)
通称は修理亮、名は昌秀とも。武田家の副将。三方ヶ原の戦いでは一隊を率いる。長篠の戦いでも部隊を率い、馬防柵を破った真田隊に続いて織田本陣へ突撃するが、逆に鉄砲隊の一斉射撃を受ける。その後、撤退戦で討死した。
真田信綱(さなだ のぶつな)
通称は源太左衛門。武田家の有力武将で、六道銭の旗を掲げる真田家当主。大太刀「青江貞次」を得物とし、他国衆ながら信玄の信任も厚い。三方ヶ原の戦いでは昌幸とともに一隊を率いる。長篠の戦いでは先鋒として弟の昌輝とともに、馬防柵を守る権兵衛の部隊と衝突。途中、津田妙算による狙撃を受けながらも仙石隊を蹴散らして織田本陣へ突撃するが、織田鉄砲隊の一斉射撃を受ける。その後追撃戦中の仙石隊に、既に事切れた昌輝を背負って再度突撃するも討死した。
真田昌輝(さなだ まさてる)
通称は兵部丞。真田信綱の弟。長篠の戦いでは兄の部隊に属し、どちらかが倒れても残った方が武功を挙げると息巻いていた。織田鉄砲隊の一斉射撃によって戦死する。
真田昌幸(さなだ まさゆき)
通称は安房守
長坂長閑斎(ながさか ちょうかんさい)
勝頼の側近。信玄死後の勝頼を支える武将。
跡部大炊助(あとべ おおいのすけ)
勝頼、若手の側近。長閑斎とともに勝頼の重臣として仕えている。
甘利信忠(あまり のぶただ)
通称は藤左衛門。武田家の武将。三方ヶ原の戦いでは荷駄隊に化けて油断を誘い、酒井忠次隊を奇襲する。
甘利信康(あまり のぶやす)
通称は郷左衛門。武田家の武将、荷駄隊大将。長篠の戦いで一隊を率いるが、織田軍の猛攻を受けて戦死。
土屋昌次(つちや まさつぐ)
通称は右衛門尉。武田家の武将で信玄の護衛侍大将。長篠の戦いで一隊を率いるが、敗戦が濃厚になり撤退の陣触れが出されると、味方隊を逃がすために織田軍の柵に突撃し、討死した。
原昌胤(はら まさたね)
通称は隼人佐。武田家の武将、陣場奉行。長篠の戦いで一隊を率いるが、退却戦で織田軍の追撃を受けて討死した。
小幡信貞(おばた のぶさだ)
通称は上総介。武田家の武将で、西上野先方衆。長篠の戦いで一隊を率いる。撤退の陣触れが出されるとすぐに転進を決断するが、織田軍の追撃により討死した。
一条信竜(いちじょう のぶたつ)
通称は右衛門大夫。長篠の戦いでは馬場信春隊の寄騎を務める。信春とともに殿軍を務め、勝頼の撤退を助けた。
五味与惣兵衛(ごみ よそうべえ)、井伊弥四右衛門(いい やしうえもん)、名和無理介(なわ むりのすけ)
武田家が他国から召抱えている牢人衆。
菅沼(すがぬま)
山県昌景の配下武将。山家三方衆に属し、三方ヶ原の戦いで討死した徳川家康の影武者の首実験をした。
和田(わだ)
一条信竜配下の若い武将。長篠の戦いでは殿軍として信竜や馬場信春とともに奮戦する。
おはら
山県昌景と親しい女性。甲斐にいる際の昌景の側に居る事が多い。

[編集] 本願寺

本願寺光佐(ほんがんじ こうさ)
通称は顕如石山本願寺宗主。頭や背には梵字の刺青が彫られている。膨大な財力と全国各地に広がる一向宗徒を抱える戦国最大勢力の頂点に立つ男。派手な服装を好み関西弁で明るく話す、大衆の心を掴むカリスマであり、彼の話を聞いて涙する民衆も多い。浅井・朝倉・斉藤ら信長包囲陣に参画し、各所で信長を窮地に追い込む。外見のモデルはミック・ジャガー[1]
如春院(にょしゅんいん)
光佐の妻。武田信玄の妻の妹であり、本願寺と武田を繋ぐパイプでもある。夫と同じく関西弁で話す明るい性格で、無邪気な言動から場の空気を暖めるのに一役買う事も多い。また一見単純そうな性格だが、知恵にも長けている。
下間頼廉(しもつま らいれん)
通称は刑部卿法印。顕如の右腕的存在で、本願寺軍総司令官。表情を変化させぬ沈着な性格で、他人には威圧的態度をとる事が多い。坊官ながら戦術に優れ、信長を一時窮地に追い込んだ。
本願寺教如(ほんがんじ きょうにょ)
顕如の子。本願寺の対外政策の一環として同盟する朝倉義景の娘を娶っている。
願証寺証専(がんしょうじ しょうせん)
本願寺の伊勢長島方面軍司令官。妻は武田勝頼の妹。伊勢長島の一向一揆を率いて織田軍に抗戦するが、味方軍の浪費が激しく士気を保つ事が出来ず、遂に信長に降伏する。しかしその条件を履行した後、反転した織田軍による集中砲火を受ける事となった
願証寺証恵(がんしょうじ しょうけい)
証専の父。先代の伊勢長島の一向一揆の司令官だったが、織田軍の猛攻を嘆いて入水自殺した。
下間頼照(しもつま らいしょう)
通称は筑後法橋。本願寺の越前方面司令官。
下間頼俊(しもつま らいしゅん)
通称は和泉守。越前足羽郡司。
杉浦玄任(すぎうら げんにん)
通称は隠岐守。本願寺の越前大野郡司、越中方面司令官。金沢坊中では反上杉。
七里頼周(しちり らいしゅう)
通称は三河守。本願寺の越前府中支配、能登加賀方面司令官。金沢坊中では親上杉。

[編集] その他の勢力

細川昭元(ほそかわ あきもと)
通称は六郎。斉藤龍興の立案した信長包囲陣に参画し、畿内で民衆に信長への檄文を読み上げるなどの活動を展開する。後に龍興とともに挙兵するが、援軍の本願寺も敗れたために降伏する。
比叡山延暦寺座主
斉藤龍興・浅井長政・下間頼蓮・朝倉景健・細川昭元が信長包囲陣の密談を行う際に、場所を提供する。以後も反織田勢力を匿うなどの行いが続いたために、業を煮やした信長によって比叡山を焼き討ちにされる。
三好三人衆
斉藤龍興に呼応して信長と交戦する。後に足利義昭に参画して石成主税守らが反織田活動を続けている。

[編集] その他の武家

[編集] 足利将軍家

足利義昭(あしかが よしあき)
各国を流浪し、後に織田信長を頼って上洛、室町幕府十五代将軍となる。当初は織田家と行動を共にしていたが、金ヶ崎の戦い以降、次第に裏で織田家排斥を目論むようになる。以後も織田家とともに行軍しているが、遂には信長に反旗を翻し、京都を追放された。
和田惟政(わだ これまさ)
通称は伊賀守。義昭の家臣。義昭の使者として織田信長の元へ現れ、信長の上洛を後押しする。

[編集] 上杉家

上杉謙信(うえすぎ けんしん)
通称は不識庵。元は長尾弾正少弼、輝虎と名乗っていた。越後国主で武田信玄と激闘を繰り広げた。ただ思いつくままの自己の思想のみを「義」として掲げ、矛盾極まりない政策をとる不可思議な人物として描かれている。
上杉景勝(うえすぎ かげかつ)
謙信の養子。
上杉景虎(うえすぎ かげとら)
謙信の養子。実家は北条家。
河田長親(かわだ ながちか)
上杉家の家臣。北陸方面司令官。河上富信から武田信玄の死を報告される。
直江景綱(なおえ かげつな)
上杉家の家臣。

[編集] その他の武家

六角義賢(ろっかく よしかた)
通称は承貞。一時期、浅井家を影響下においていた。
河上富信(かわかみ とみのぶ)
飛騨の豪族・江間家の重臣。武田信玄の死を察知し、上杉家臣・河田長親に書状をしたためる。

[編集] その他の人物

国友藤太郎(くにとも とうたろう)
近江国友村の鉄砲鍛冶。自身も鉄砲の使い手であり、以前羽柴秀吉を狙撃した事もあった。最新式の鉄砲を開発した事を秀吉に目をつけられ、かつての怨恨を忘れて頭を下げられたため、秀吉に臣従し、新作の鉄砲を献上した。
津田照算(つだ しょうさん)
通称は杉ノ坊。依頼を受けては傭兵のように鉄砲衆を派遣する根来衆の一人。織田家の依頼を受けて対武田戦に投入される。仙石家臣の津田明算は従弟にあたる。
志賀源次郎(しが げんじろう)
粗葉粕太郎と名乗っていた津田明算とともに盗みを働いていた男。明算を裏切って権兵衛に明算を突き出し、仙石家の家臣に取り立ててもらおうとするが、その内面を権兵衛に見破られ、仕官できなかった。
均助(きんすけ)
羽柴秀吉の領内である近江国中井村の村長。大の戦好事家。 外伝『桶狭間戦記』にも登場。

[編集] 外伝『桶狭間戦記』の登場人物

[編集] 今川家

今川義元(いまがわ よしもと)
外伝『桶狭間戦記』の主人公の一人。幼名は方菊丸、一時出家して梅岳承芳と名乗る。元服後の通称は五郎、後に治部大輔を称する。
正妻の子ながら五男という立場のため、出生前から生涯を僧侶として過ごす事を約束されており、その母の誓いから「唐鏡の申し子」と称される。成人後も跳ね回り木の枝から逆さにぶらさがるなど、童のような行動が抜けず掴み所のない性格だが、人心の掌握や政略の感性などには天才的な才能を持っている。幼い頃に出合った太原雪斎とともに京都建仁寺で修業した後、兄・氏輝に請われて駿河に戻り、兄の没後は玄広恵深との家督争いに勝利して今川家の家督のに就いた。その後武田信玄の娘を娶っている。
雪斎に政務や軍事を任せる事が多かったが、弟分と信頼していた松平広忠を半ば見殺しにする形となると政務を顧み始め、雪斎に氏親以上の明君と賞賛されるまでになった。外見のモデルはジェイ・ケイ[1]
太原雪斎(たいげん せっさい)
かつての名は九英承菊、義元に仕えてからは崇孚と名乗る。今川重臣庵原左衛門の子。三大軍師の一人に数えられる戦国時代最高の軍師。
京都建仁寺に入り、仏道修行に明け暮れていた。性格は非常に真面目で、乱世に馴染まずひたすら理想を追求していたが、それが叶わずと知るや反動で堕落してしまい、半ば京都を追われる形で駿河へ入る。今川氏親の願いで方菊丸の教育役となり、ともに京都で修業した後に再び駿河へ入る。承芳を戦国大名にするために奔走し、花倉の乱で勝利した後に義元を家督に就ける。以後は政務・軍事の中心とり、今川軍の軍師として活躍する。その手腕は冴え渡っており、破竹の勢いだった織田信秀を小豆坂の戦いで破った。
今川氏親(いまがわ うじちか)
通称は修理大夫。駿河国主で義元の父。かつては名将・北条早雲の元で薫陶を受け、独自の分国法「今川仮名目録」を制定するなど明君として称えられている。
大方殿(おおかたどの)
今川氏親の正妻で、義元の生母。義元を生む前に、立派な僧侶となるように唐鏡に手を合わせていた。その逸話から後に義元が「唐鏡の申し子」と称されるようになる。
今川氏輝(いまがわ うじてる)
氏親の嫡男で、義元の兄。父の死後、家督を相続する。他国との争いから武将の一人として梅岳承芳を駿河に召還した。プライドが高く、弟の承芳やその家臣・太原雪斎の進言を取り下げる。しかしその頃には病に犯されており、間もなく急死してしまう。
今川彦五郎(いまがわ ひこごろう)
氏親の二男で、義元の次兄。今川家の家督を継いだ氏輝の側近として、病弱な兄を補佐する。原因は不明ながら、兄と同日に急逝する。
玄広恵深(げんこう えたん)
氏親の三男で、義元の異母兄。側室の子ながら豪胆な性格で、氏輝・彦五郎兄弟が急逝すると、弟・梅岳承芳の器量を疑って家督奪取に乗り出す。しかし太原雪斎の用兵に翻弄され、最後は義元に討ち取られた。
朝比奈泰能(あさひな やすよし)
通称は備中守。今川家の武将。義元の重臣の一人で、奇抜な政策を次々に打ち出す義元や太原雪斎にはやや翻弄されがち。小豆坂の戦いでは功名を挙げて感状を賜った。
三浦義就(みうら よしなり)
通称は左衛門尉。今川家の武将。義元の重臣の一人。
岡部真幸(おかべ まさゆき)
通称は五郎兵衛。今川家の武将。
孕石光尚(はらみいし みつひさ)
外伝『桶狭間戦記』に登場。通称は郷左衛門。今川家の武将。
飯尾長門守(いのう ながとのかみ)
義元の奏者。義元の側近として仕える文官的存在。奔放な義元の行動には少々辟易している。
甘利(あまり)
義元の家臣。義元を頼ってきた松平広忠を出迎える。
牟礼(むれ)
今川家の内者。甘利とともに松平広忠を迎える。
一宮(いちのみや)、斉藤(さいとう)
今川家の奉行。義元を頼ってきた松平広忠の取次を行う。

[編集] 織田家

織田信長(おだ のぶなが)
外伝『桶狭間戦記』における主人公の一人。幼名は吉法師で、元服直後の通称は三郎。織田信秀の三男。父や祖父が目をつけてきた金銭に興味を持ち、少年時代から青年時代にかけて自らを悪郎(わろ)と名乗る。嫡子ながら家臣たちも手を焼く問題児であり、当初は後継者からは外されていた。
吉乃(きつの)
本編にも名前のみは登場している。本名はお類。信長が愛した女性で、後に側室となる。生駒家の息女で、鼓の名手ながら長身だったために婚期を逃していた。強情な性格だが、侍女によると人を見る目は確か。信長に見初められ、吉乃と名付けられる。しかし織田家と斉藤家の間で婚姻が成立し、信長が斉藤道三の娘・帰蝶を娶るに当たり、土田御前の説得もあって身を引いた。
織田信秀(おだ のぶひで)
通称は弾正忠、三河守とも。信長の父で、尾張守護代の家老にあたる家柄。父・信貞が手に入れた津島の財力を背景に尾張で勢力を拡張する。様々な謀略を用いて今川家を翻弄したが、小豆坂の戦いで太原雪斎に敗戦してからはやや落ち目になり、同族の反抗を許すまでになってしまう。織田信清の反乱を鎮めて後、信長に後を託して亡くなった。黒かった髪も最後は白髪になっていた。
土田御前(どだごぜん)
信秀の妻。出自は土田氏で、あまり身分の高い家柄ではない。徐々に衰弱する信秀を気遣っていた。
織田信貞(おだ のぶさだ)
通称は弾正忠、法名は月巌。信秀の父であり、信長からは祖父にあたる。商業で栄える津島に侵攻し、その権益を奪取する事で織田弾正忠家発展の基礎を築いた。
織田信広(おだ のぶひろ)
青年時の通称は三郎五郎。庶子ながら嫡男として扱われ、武勇の誉れも高かった。しかし小豆坂の戦いで太原雪斎率いる今川軍に惨敗し、さらに自らが城主を務めていた三河安祥城を落とされて捕虜となり、当時織田家にいた竹千代との人質交換でようやく織田家に返された。その際には当時の勇名も廃れ、後継者から除外された。
織田秀俊(おだ ひでとし)
通称は安房守。信秀の子で信長の兄弟に当たる(兄か弟かは明記されていない)。小豆坂の戦いで敗戦した父・信秀に反抗し、織田信清とともに挙兵する。
織田信清(おだ のぶきよ)
通称は十郎左衛門犬山城主。小豆坂の戦いで敗戦した信秀に織田秀俊と共に謀反を起こす。後に信秀によって鎮圧されるが、それが信秀の最後の戦となった。
平手政秀(ひらて まさひで)
通称は中務丞。織田信秀の家老。信長の守役でもあり、信秀の素質を最も濃く受け継いでいる信長に期待していた。
服部小平太(はっとり こへいた)
少年時代の信長の取り巻きの一人。
服部小藤太(はっとり ことうた)
少年時代の信長の取り巻きの一人。
河村久五郎(かわむら きゅうごろう)
少年時代の信長の取り巻きの一人。
恒川久蔵(つねかわ きゅうぞう)
少年時代の信長の取り巻きの一人。

[編集] 松平家

松平竹千代(まつだいら たけちよ)
後の徳川家康。松平広忠の嫡男。今川家に従属する父のために今川家の人質となるはずだったが、織田信秀の謀略によって織田家の人質となる。そこで少年時代の信長とも知り合っている。後に太原雪斎によって捕らえられた織田信広と交換される形で今川家に入った。
松平広忠(まつだいら ひろただ)
通称は次郎三郎。三河国主で徳川家康の父。少年時代に父・清康を失い、今川家に身を寄せる。その際に今川義元と面会し、信頼を寄せるようになる。長じると父譲りの才を示し、独立の気運をみせるまでに成長する。しかし相次いで親族の裏切りに遭い、信頼できるのは今川家のみと悟るに至った。しかし嫡子・竹千代を織田家に奪われ、奪還を夢見ながら謎の横死を遂げた。
松平清康(まつだいら きよやす)
松平広忠の父で、徳川家康の祖父。三河岡崎城主。名将と謳われる武将であったが、流言を信じた家臣・阿部正豊によって殺害された。
松平信定(まつだいら のぶさだ)
通称は内膳。桜井松平家当主。松平清康に属していたが、織田信秀の策略により清康の陣に流言を流し、結果的に清康を死に追いやり岡崎城を奪った。しかし間もなく今川家の援軍を得た松平広忠に岡崎城を攻められて敗北する。
松平忠倫(まつだいら ただとも)
松平一門の武将。織田信秀に賄賂を受け、当主である松平広忠に織田家への寝返りを献策する。それが叶わないと知ると信秀の支援を受けて広忠に謀反を起こした。
戸田康光(とだ やすみつ)
通称は弾正少弼。松平清康の頃から松平家に属し、松平広忠にとっては義父にあたる。同族である戸田氏攻めには広忠に従うが、織田信秀の調略を受け、今川家へ向かうはずの竹千代を織田家に引き渡した。
阿部正豊(あべ まさとよ)
松平清康の家臣。織田信秀の支援を受けた松平信定の流した流言を信じ、主君である清康を殺害する。

[編集] 尾張の土豪たち

堀田正貞(ほった まささだ)
通称は右馬太夫。津島の財界で権力を持つ津島十五党の筆頭。活発な金融活動を行い、常に利益の出る方を見極めようとする合理主義者。躍動する織田信秀に協力して多額の金銭を織田家につぎ込んでいたが、信秀の晩年になって敗戦が続くと距離を置くようになる。
堀田正龍(ほった まさたつ)
堀田正貞の子。父と共に津島の館に住んでる。落ち目になる織田信秀が斉藤道三と結ぼうとした際に、両家の間を取り持って信長と帰蝶の婚姻を成功させる。
服部友貞(はっとり ともさだ)
通称は左京進、名は友定とも。僧形で今川家の間諜として尾張の情報を太原雪斎へ報告している。一方で堀田家とも縁があり、その融資を受けている。
生駒家宗(いこま いえむね)
通称は蔵人。吉乃の父にあたる。家は振るわず、悪銭に翻弄されるなど落ち目。織田信長と吉乃の関係を解消させる見返りに、織田信秀の妻である土田御前の一門と縁組を取り付けた。
加藤順盛(かとう よりもり)
熱田大宮司。織田家の人質となった竹千代を自邸で預かっている。

[編集] その他

北条早雲(ほうじょう そううん)
かつての名は伊勢盛時。名前のみ登場。一代で戦国大名として上り詰めた希代の名将。今川氏親の外叔父にあたり戦国大名のあり方を説いた。
北条幻庵(ほうじょう げんあん)
北条早雲の三男。名前のみ登場。北条家の軍師で、三大軍師の一人に数えられる。
山本晴幸(やまもと はるゆき)
通称は勘助。名前のみ登場。武田信玄の軍師で、三大軍師の一人に数えられる。
土岐頼純(とき よりずみ)
通称は次郎。美濃守護織の家柄で、斉藤道三によって国を追われている。小領主ながら大名並の力を持つ織田信秀に美濃機関の助力を仰ぐ。一時は斉藤家の居城・稲葉山城まで迫るも、結局斉藤軍に敗退し、帰国は成らなかった。
常庵龍崇(じょうあん りゅうすう)
臨済宗建仁寺派大本山建仁寺の僧。雪斎の師にあたる。頑固者で融通が利かない承菊を内心疎ましく思っており、今川氏親の招聘を理由に寺から承菊を追い出す。
桧垣左馬允(ひがき さまのじょう)
伊勢神宮の神官。外宮造営のために織田信秀に寄進を願い、黄金十三枚の破格の金子を渡される。
均介(きんすけ)
近江中井村から尾張へやってきた戦好事家の男。同じく小豆坂の戦いの顛末を見に来ていた織田信長に、当時の情勢を自らの推理を交えて解説する。本編にも同一人物と思われる男が登場している。モデルは作者と対談を行ったことのある城郭研究家・中井均氏と思われる。

[編集] 別時代の人物

半兵衛の講義(れぱんとの海戦(レパントの海戦))に登場。

アリ・パシャ
おすまん(オスマン)軍の総大将。北戦線が壊滅、南戦線が本体と離れる中で被弾して戦死。おすまん軍を大混乱に陥れた。
シロッコ
おすまん軍の右翼大将。本隊の北側で敵左翼と衝突し、敵左翼大将を離脱に追い込むが、自らも負傷して捕縛されてしまう。
ウチャリィ
おすまん軍の左翼大将。本隊の南側で敵右翼を奇襲するために南下し本体より離れるが、最中で総大将が戦死したために混乱し、優柔不断な行軍をしたために部隊を壊滅させてしまう。
バルバリーゴ
ゆうろぱ(ヨーロッパ)連合軍の左翼大将。本隊の北側で敵右翼と衝突するが、右眼を射られる重傷を負い戦線を離脱する。
ドーリア
ゆうろぱ連合軍の右翼大将。本隊の南側で敵左翼を奇襲せんと迂回作戦をとる。
ハンニバル・バルカHannibal Barca
古代南蛮の武将。レパント海戦の登場人物ではないが、翼包囲の説明として登場。史上最も美しい戦いと称されるかんなえの戦い(カンネーの戦い)を演出した。

[編集] 登場合戦


以上で物語・作品・登場人物に関する核心部分の記述は終わりです。


[編集] 登場人物名の表記法

この作品では、登場人物名が「(苗字)+(仮名or官職名)+(諱)」で表記され、作中で名が挙がる場合(特に口語で)でも諱より仮名や官職名が用いられる。

現代では歴史上の人物名を表記する場合、一般に「(苗字)+(諱)」で表されるが(例:仙石秀久)、正しくは「(苗字)+(仮名or官職名)+(諱)」(例:仙石権兵衛秀久)であり、特に諱は朝廷の公式文書などで用いられ、もっぱら日常会話などでは苗字か仮名、官職名が用いられるのが一般的であった(センゴクは権兵衛、秀吉は籐吉郎様、織田信長は弾正忠様)。

詳しくは諱#諱と通称との区別の消滅を参照のこと。

[編集] 書誌情報

『センゴク』各巻表紙は主要登場人物のイラストで、付随したオビにセリフや寸評が書かれている。『センゴク天正記』では各巻表紙は前作と同じく主要登場人物のイラストとなっているが、前作ではオビに書かれていた表紙人物のセリフや寸評は、裏表紙に書かれている。

『センゴク』
  1. ISBN 9784063612844
  2. ISBN 9784063612851
  3. ISBN 9784063612981
  4. ISBN 9784063613186
  5. ISBN 9784063613452
  6. ISBN 9784063613735
  7. ISBN 9784063614114
  8. ISBN 9784063614329
  9. ISBN 9784063614404
  10. ISBN 9784063614640
  11. ISBN 9784063614909
  12. ISBN 9784063615227
  13. ISBN 9784063615500
  14. ISBN 9784063615869
  15. ISBN 9784063616309
『センゴク天正記』
  1. ISBN 9784063616651
  2. ISBN 9784063617108
  3. ISBN 9784063617344
  4. ISBN 9784063617665
  5. ISBN 9784063617870
『センゴク外伝 桶狭間戦記』
  1. ISBN 9784063616422
  2. ISBN 9784063756661
『センゴク公式バトル読本』
『センゴクバトル歳時記』

[編集] 脚注

  1. ^ a b c d e f g 「センゴク公式バトル読本」内、作者・宮下英樹インタビューでの発言より。
  2. ^ 中川重政と同一人物として描かれている。
  3. ^ なお本来「法性院」は戒名である。
  4. ^ 実際は「信綱」は法号であり「しんこう」の読みが正しい。

[編集] 関連事項

[編集] 外部リンク