小西隆佐
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| 小西隆佐 | |
|---|---|
| 時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
| 生誕 | 不明 |
| 死没 | 天正20年(1592年)9月 |
| 別名 | 弥十郎、宗寿、寿徳、立佐 |
| 霊名 | ジアチンあるいはジョウチン |
| 官位 | 和泉守 |
| 氏族 | 小西氏 |
| 父母 | 父:小西行正 |
| 妻 | 正室:ワクサ(洗礼名:マグダレーナ) |
| 子 | 小西如清、小西行長、小西行景、小西主殿介 |
小西 隆佐(こにし りゅうさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての堺の豪商。豊臣秀吉の家臣。「立佐」とも言われる。小西行長の父親。
小西弥左衛門(次忠、行正)の子として生まれる。永禄8年(1565年)、ルイス・フロイスの師事を受けてキリシタンとなった。霊名はジョウチン。天正13年(1585年)から秀吉に仕え、河内国・和泉国における豊臣氏の蔵入地の代官に任命された。天正15年(1587年)の九州征伐では兵糧の補給役を命じられている。
これらの功績から、天正18年(1590年)11月4日、法眼に任じられた。天正20年(1592年)、朝鮮出兵が始まると肥前名護屋城に入るが、まもなく発病して堺から京都に戻り、そのまま死去した。