田中幸雄 (内野手)

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田中 幸雄
北海道日本ハムファイターズ コーチ #72
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県都城市
生年月日 (1967-12-14) 1967年12月14日(56歳)
身長
体重
184 cm
91 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手外野手一塁手三塁手
プロ入り 1985年 ドラフト3位
初出場 1986年6月10日
最終出場 2007年10月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

  • 北海道日本ハムファイターズ (2010 - )
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
五輪 2000年

田中 幸雄(たなか ゆきお、1967年12月14日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手内野手外野手)。2012年現在は北海道日本ハムファイターズ一軍打撃コーチを務める。

現役22年間を日本ハムファイターズ一筋で過ごしたため、ミスター・ファイターズと呼ばれる。日本ハムに在籍していた同姓同名投手田中幸雄と区別するため(後述)、コユキという愛称でも親しまれた。

来歴・人物

プロ入り前

都城高等学校では2年生の春夏に連続して甲子園に出場[1]1985年のドラフト3位で日本ハムファイターズに入団。プロ入り同期にPL学園清原和博桑田真澄らがいる。

プロ入り後

1年目の1986年から一軍に出場し、プロ入り2打席目で本塁打を打った。1988年にはファン投票1位でオールスターゲームに出場し、ベストナインゴールデングラブ賞を獲得。以降、1991年まで4年連続全試合出場を達成した。オールスターゲームにも同年まで4年連続でパシフィック・リーグ遊撃手部門ファン投票1位選出された。

1992年シーズン序盤に故障(「上腕骨頭後部軟骨はく離」と診断される)し、6月に手術を受けた。そのため1992年は開幕戦に代走として1試合出場したのみに終わったが、故障から復帰した1993年には外野手右翼手)に転向し、リーグ最多の32二塁打を記録した。翌1994年には自己最多の87打点(リーグ2位)、27本塁打。以降1996年まで全試合出場・140安打・20本塁打・80打点以上の成績を残した。

1995年上田利治が監督に就任すると遊撃手に再び移された。この1995年は主に四番打者を任され、イチローオリックスブルーウェーブ)、初芝清千葉ロッテマリーンズ)と共にパ・リーグ最多打点(80打点)のタイトルを獲得した。また339守備機会連続無失策を樹立し、打率.291は自己最高であった。

チームがリーグ2位に躍進した1996年には、22本塁打、82打点を記録した。同年オフにはシーズン中に痛めた膝を手術した。

1997年8月12日に全打順本塁打を達成(後述)。1998年一塁手に転向。1999年に一塁手を小笠原道大に譲り、再び遊撃手に転向。同年7月8日にパ・リーグ通算35000号本塁打を打った(後述)。

2000年シドニーオリンピック野球日本代表に選出され、チーム最年長選手として活躍。オリンピックでは2本塁打を含む31打数10安打、打率.323を記録した。

2002年三塁手にコンバートされたが、中盤以降は外野手としても起用された。この年を最後にシーズン100試合出場が途絶える。2003年以降は指名打者あるいは一塁手としての出場が大幅に増える。2003年は故障で2度登録抹消され、連続二桁本塁打は10年で止まった。

2004年に球団が北海道に移転した際に、札幌グランドホテルでの選手初のディナーショーに出演し、自慢のノドを披露し、北海道のファン層を広げる努力をした。

2005年8月27日の福岡ソフトバンクホークス戦でサヨナラ安打を打ち、これが通算1000打点となる。

2006年にはプロ生活21年目にして初めてリーグ優勝と日本シリーズ優勝を経験し、ナインから胴上げされた。また、かつての本拠地・東京ドームで行われたアジアシリーズにも先発出場し安打を記録、アジア制覇に貢献した。

2007年4月28日の対東北楽天ゴールデンイーグルス7回戦(フルキャストスタジアム宮城)で2年ぶりの本塁打(6年ぶりの満塁本塁打)を打った(代打満塁本塁打は自身初)。5月5日のオリックス・バファローズ戦(札幌ドーム)で球場別本塁打を33とした。5月17日の楽天戦(東京ドーム)にて史上35人目の通算2000安打を達成。(共に後述)

同年9月8日、球団から戦力外通告を受けた。コーチ転向を打診されたが固辞し、9月19日に東京ドームシーズン最終戦の楽天戦で代打として登場し、田中将大から適時打を打った。試合後、同年限りでの引退を正式に発表。11月25日に札幌ドームで開催されたファンフェスティバルにおいて、引退セレモニーが行われた。11月26日付で任意引退選手として公示された。

現役時代に長くつけていた背番号6は、その功績を称えて球団の永久欠番にする意向もあったが、本人の快諾を得た上で、その年の秋に日本ハムへの入団が決定していた中田翔に継承された。

引退後

2007年11月28日、財界人・友人・知人・現役選手・OBの奈良原浩等が参加し、盛大な「2000本安打達成記念祝賀会」が札幌グランドホテルにて開催された。同年12月27日には宮崎県から県民栄誉賞が贈られた。

2008年5月14日のSTVアタックナイターSTVラジオ)にゲスト解説者として、2009年4月3日の札幌ドーム開幕戦のHBCファイターズナイターHBCラジオ)にもゲスト解説として出演した。

2009年10月13日、日本ハムの二軍打撃コーチに就任[2]2011年からは一軍打撃コーチとなる。

プレースタイル

豪快なスイングから本塁打を量産する大型内野手で、日本ハム一筋の「ミスター・ファイターズ」としてチームの中心的選手だった。1995年には唯一の打撃タイトルである最多打点を獲得している。30本塁打は一度も記録していない。また、通算1416三振は日本プロ野球歴代15位(2011年シーズン終了時点)。

通算2000安打を達成した時点でシーズン打率3割以上を一度も記録したことがなかったが、そのような打者は柴田勲衣笠祥雄に続いて3人目である。ただし衣笠は達成翌年の1984年に生涯唯一の打率3割を記録した。

遊撃手として339守備機会連続無失策のパ・リーグ記録を樹立するなど、5回のゴールデングラブ賞を受賞した守備の名手でもある。堅実な守備に加えて肩も強かった。30代に入ってからは一塁手三塁手へとコンバートされた。その他にも外野手指名打者での出場もある。

球場のスコアボード・新聞紙上の表記について

1年目から4年目(1989年)にかけて、同姓同名の投手・田中幸雄が日本ハムに在籍していたため、球場のスコアボードや新聞紙上では投手の田中幸雄を「田中幸」、内野手の田中幸雄を「田中雄」と表記した。場内アナウンスでは背番号によって区別していた。

1989年オフに投手の田中幸雄が中日ドラゴンズに移籍したことで1990年からは「田中」表記となったが、1992年には、大内実が田中姓に変更したのに伴い「田中幸」と表記されることとなった。その田中実が退団した1994年以降は再び「田中」になり、2000年に田中賢介が入団したことで引退までは「田中幸」表記になった。

  • 身長は184cmで決して小柄ではないが、投手の田中幸雄が190cmあったため、大沢啓二(当時、日本ハム球団の常務)は投手の田中幸雄をオオユキと呼び、内野手の田中幸雄をコユキと呼んだ。投手の田中幸雄が中日に移籍した後も、大沢は田中を「コユキ」と呼び続け、結局このニックネームが定着してしまった。
  • 現役時代同時に日本ハムに所属したことのある田中姓の選手は、投手の田中幸雄のほかに田中富生田中学、田中実、田中賢介、田中聡の5名。
  • なお、同姓同名で漢字表記も同じ選手が同一チームに在籍していた例は、過去に1971年西鉄ライオンズ高橋明投手外野手)と、1982年阪神タイガース佐藤文男(ともに投手。1953年生1963年生)がある。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1986 日本ハム 14 29 27 3 4 1 0 1 8 4 0 0 0 1 0 0 1 4 1 .148 .172 .296 .469
1987 112 351 325 36 66 11 0 9 104 33 1 5 3 2 19 2 2 80 10 .203 .250 .320 .570
1988 130 543 509 68 141 21 2 16 214 57 1 2 3 7 21 2 3 60 13 .277 .306 .420 .726
1989 130 465 429 41 106 16 3 7 149 43 7 8 8 4 21 2 3 50 5 .247 .284 .347 .632
1990 130 495 450 63 129 30 2 18 217 52 4 6 5 2 38 2 0 61 7 .287 .341 .482 .823
1991 130 494 453 46 109 15 6 13 175 62 3 1 7 3 30 1 1 44 12 .241 .287 .386 .674
1992 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1993 128 509 474 63 120 32 1 12 190 63 5 7 2 4 27 2 2 72 17 .253 .294 .401 .695
1994 130 566 518 76 148 29 2 27 262 87 2 1 1 4 40 0 3 88 13 .286 .338 .506 .844
1995 130 555 488 76 142 28 1 25 247 80 1 4 0 5 58 7 4 77 10 .291 .368 .506 .874
1996 130 575 513 73 142 29 3 22 243 82 3 2 0 6 52 2 4 90 12 .277 .344 .474 .818
1997 133 599 539 72 137 29 3 19 229 63 1 1 0 5 51 1 4 96 17 .254 .321 .425 .745
1998 107 482 420 62 115 28 0 24 215 63 2 0 0 3 53 6 6 102 8 .274 .361 .512 .873
1999 131 556 508 73 137 23 2 23 233 74 2 1 0 3 39 0 6 132 14 .270 .327 .459 .786
2000 97 373 328 45 84 16 1 15 147 46 1 1 5 2 30 0 8 85 4 .256 .332 .448 .780
2001 139 556 491 46 125 22 0 20 207 77 2 2 4 2 57 3 2 109 12 .255 .333 .422 .755
2002 132 514 467 57 130 31 4 17 220 53 0 2 5 2 37 3 3 102 13 .278 .334 .471 .805
2003 78 264 240 31 66 11 1 9 106 32 3 0 1 0 20 0 3 50 8 .275 .338 .442 .780
2004 35 91 79 7 20 5 0 0 25 10 0 0 0 0 12 1 0 22 3 .253 .352 .316 .668
2005 98 211 194 17 46 11 2 5 76 22 0 0 1 3 13 0 0 46 5 .237 .281 .392 .673
2006 58 96 86 3 15 2 0 0 17 4 1 0 1 1 8 1 0 18 3 .174 .242 .198 .440
2007 65 141 135 16 30 4 0 5 49 19 0 0 1 0 5 0 0 28 4 .222 .250 .363 .613
通算:22年 2238 8465 7673 974 2012 394 33 287 3333 1026 40 43 47 59 631 35 55 1416 191 .262 .321 .434 .755
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

初記録
節目の記録
その他の記録
  • 339守備機会連続無失策:1995年6月7日から同年9月21日までの間に記録。パ・リーグ遊撃手の最高記録。
  • 全打順本塁打:1997年8月12日、対千葉ロッテマリーンズ17回戦(宮城球場)に五番・遊撃手として先発出場し、2回表に園川一美から本塁打。史上3人目(古屋英夫松永浩美に続いて達成)。[4]
  • 4年連続全試合出場:1988年 - 1991年。史上5人目。
  • パ・リーグ通算35000号本塁打:1999年7月8日、対千葉ロッテマリーンズ14回戦(東京ドーム) - 5回裏に武藤潤一郎から
  • 球場別本塁打33:2007年5月5日、対オリックス・バファローズ8回戦(札幌ドーム)の8回裏に本柳和也から本塁打。歴代2位[5]

背番号

  • 37 (1986年 - 1990年)
  • 6 (1991年 - 2007年)
  • 72 (2010年 - )

脚注

  1. ^ 1984年第56回選抜大会第66回選手権大会
  2. ^ http://www.sponichi.co.jp/baseball/flash/KFullFlash20091013051.html
  3. ^ 達成までに要した打席数8413は史上最多、試合数2205は史上2位の遅いペース(1位は大島康徳の2290)。39歳5か月での達成当時は、41歳4か月の落合博満、40歳2か月の新井宏昌に次ぐ高齢。また、通算2000安打達成者の中で、シーズン打率3割を経験していないのは柴田勲以来2人目。
  4. ^ なお、その園川一人から全打順で本塁打という記録も持っている。
  5. ^ 歴代1位は山内一弘(39球場)。同3位は山本浩二衣笠祥雄門田博光金本知憲阪神タイガース)の4人(32球場)。ただし金本のみ2011年シーズン終了時点。

関連項目