八千草薫

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やちぐさ かおる
八千草 薫
本名 谷口 瞳たにぐち ひとみ
旧姓:松田 瞳まつだ ひとみ
生年月日 (1931-01-06) 1931年1月6日(93歳)
出生地 日本の旗 日本大阪府
国籍 日本の旗 日本
職業 女優
ジャンル 舞台、テレビドラマ、映画
活動期間 1947年 -
配偶者 谷口千吉1957年 - 2007年)死別
事務所 柊企画
主な作品
テレビドラマ
うちのホンカン』シリーズ
阿修羅のごとく
岸辺のアルバム
茜さんのお弁当
やんちゃくれ
白夜行
映画
宮本武蔵
ディア・ドクター
 
受賞
日本アカデミー賞
優秀助演女優賞
2004年『阿修羅のごとく』
その他の賞
下記を参照
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八千草 薫(やちぐさ かおる、1931年昭和6年)1月6日 - )は、日本の女優。所属事務所は柊企画大阪府出身。プール女学院出身。愛称はヒトミヒトミちゃん(本名に由来)。公称身長154センチ。

人物・来歴

幼少時に父を亡くし、母一人・子一人で育つ。思春期がちょうど戦時中であり、自宅も空襲で焼け、「色のある」「夢のある世界」に飢えていたことから華やかな世界にあこがれた[1]

プール女学院在学中に宝塚音楽学校に合格し、1947年宝塚歌劇団入団(同期には淀かほる百ちとせらがいる)。宝塚入団時の成績は50人中19位[2]。入団当初は『分福茶釜』のなどコミカルな役を当たり役としたが、1952年源氏物語』の初演で可憐で無垢な若紫紫の上の少女時代)を内・外面とも見事に表現し、絶大な評判と人気を博した。以降は美貌・清純派の娘役として宝塚の一時代を風靡、同年から劇団内に新設された映画専科に所属した。1951年の『虞美人』、1952年の『ジャワの踊り子』にも出演している。

宝塚在団中から東宝映画などの外部出演をこなしており、当時のお嫁さんにしたい有名人の統計で、たびたび首位に輝いた。

1957年5月31日[2]で歌劇団を退団。最終出演公演の演目[2]は花組公演『みにくい家鴨の子/王春讃歌』。

退団後はテレビドラマでのおっとりとした良妻賢母役が好評で、多くの作品に出演。一方、『岸辺のアルバム』での家族に隠れて不倫する主婦役では従来のイメージを覆し、テレビドラマ史に残る名作となった。

私生活では1957年に映画監督谷口千吉と結婚。人気・好感度絶頂の八千草と、親子ほどの年の差があり、しかも三度目の結婚となった谷口の組み合わせは当時多方面で話題・波紋を呼んだ(夫婦に子はなかったが、おしどり夫婦として知られ、結婚50年目となった2007年に死別するまで連れ添った)。

「宝塚時代の経験が、仕事はもちろん、趣味の山歩きでも活きている」と述べており、自然環境保全審議会委員を務めたこともある。

穏やかな外見とは裏腹に、『赤い疑惑』では、主演の山口百恵のスケジュールの都合で細切れ断片的な収録を余儀なくされたことに納得できず、自ら途中降板するなど、仕事に妥協しない厳しい一面も持っている。

人物・エピソード

  • 宝塚歌劇団に入団した戦後間もない頃に東京公演で銀座を訪れた際『お寿司が食べたいわぁ〜』と何気ない発言が食料事情の逼迫(ひっぱく)していた当時は周囲から顰蹙を買ったことも。
  • 上記の映画『蝶々夫人』は、有名なオペラとして世界各地で上演されているが、日本文化の描かれ方がめちゃくちゃで、映画を通じて、世界に正しい日本文化やこの作品の情景を伝えようという旨で制作された。そのため、日本家屋のセットはすべて日本から空輸して、現地(チネチッタ)で渡伊した日本人スタッフ(東宝のスタッフ)が組み立てた本格的なもの。衣装なども空輸した。もちろん、八千草もヒロイン像にふさわしい「日本人女性の象徴」としてのキャスティングである。
  • また、八千草と共に助演で出演した東郷晴子伊吹友木子鳳八千代淀かほる梓真弓筑紫まり朝日奈世志子ら当時の宝塚歌劇団生徒17名も渡伊した。1954年8月19日に八千草と共に寿美花代ヴェネツィア国際映画祭に参加するために、羽田空港(東京国際空港)から渡伊した。続いて、同年10月2日、生徒一行も羽田空港からイタリアへ出発。生徒一行がローマ空港に到着した模様や映画撮影中の模様を伝えるニュースフィルム(モノクロ)が現存する。そして、全撮影を終了して、同年11月12日に午後10時羽田空港着のエールフランス機で一行は約40日ぶりに帰国した。その後、同年12月28日に八千草が帰国した。当時はまだ海外渡航自由化の遥か前で、大変貴重なヨーロッパ行きとなった。映画制作費は当時の約2億円。

受賞歴

出演作品

映画

テレビドラマ

舞台

宝塚時代

  • 文福茶釜』- 小ダヌキ 役(代役)(花組)(1951年2月1日 - 2月27日、宝塚大劇場
  • 『文福茶釜』- 小ダヌキ 役(本役)(花組)(1951年3月8日 - 4月27日、帝国劇場
  • 『河童まつり』(花組)(1951年6月1日 - 6月29日、宝塚大劇場)
  • 虞美人』- 桃娘 役(有馬稲子と役変わり)(花組)(1951年10月2日 - 10月30日、宝塚大劇場)
  • 『ジャニンヌ』(花組)(1951年6月1日 - 6月29日、宝塚大劇場)
  • 源氏物語』- 若紫 役『ブロードウェイ』(花組)(1952年1月1日 - 1月30日、宝塚大劇場)
  • ジャワの踊り子 (プナリイ・ムラティ)』- アミナ 役(雪組)(1952年10月1日 - 10月30日、宝塚大劇場)
  • 『人間萬歳』(雪組)(1954年1月1日 - 1月31日、宝塚大劇場)
  • みにくい家鴨の子』『王春讃歌』(花組)(1954年3月3日 - 3月30日、宝塚大劇場)

宝塚退団後

アニメ

バラエティー・教養番組

他多数

CM

著書

  • 『優しい時間』世界文化社 1999
  • 『あなただけの、咲き方で』幻冬舎 2015

関連書籍

  • 「別冊太陽 宝塚タカラジェンヌ一〇〇 宝塚歌劇団八〇周年記念」(監修・解説/宇佐見正。平凡社
  • 「君美わしく 戦後日本映画女優讃」(川本三郎著。文藝春秋。川本による八千草を含む女優達のインタビュー集)

関連項目

  • 池内淳子(八千草と同じく和服が似合う女優で、ドラマ共演する事も多かった)
  • 桑原和男(八千草のファンであることを『よしもと新喜劇』でネタにしている)
  • 栗橋茂(現役時代選手名鑑で理想の女性像として八千草の名を上げていた)
  • 松本零士(作品に登場してきた数々の美女キャラクターは、八千草をモチーフに創作したと語っている)

脚注

  1. ^ エッセイ「優しい時間」より
  2. ^ a b c 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』、阪急コミュニケーションズ2014年4月1日、P43。ISBN 9784484146010
  3. ^ [1]
  4. ^ 原田知世、単発ドラマで“不倫の恋” 脚本は“恋愛の神様”北川悦吏子氏”. ORICON (2015年9月10日). 2015年9月11日閲覧。

外部リンク