世田谷一家殺害事件

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世田谷一家殺害事件
正式名称 上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件
場所 東京都世田谷区上祖師谷3丁目
標的 44歳男性、41歳女性、8歳女性、6歳男性の4名
日付 2000年平成12年)12月30日 - 31日
午後11時ごろ – 未明
概要 未解決殺人事件
捜査特別報奨金制度対象事件
懸賞金 懸賞金最大1000万円(「#懸賞金」も参照)
原因 不明
攻撃手段 包丁(計2本:うち1本は犯人の持ち込み
死亡者 4名(44歳男性、41歳女性、8歳女性、6歳男性)
犯人 不明
謝罪 無し
遺族会 殺人事件被害者遺族の会(宙の会)
管轄 警視庁成城警察署特捜本部サイト

世田谷一家殺害事件(せたがやいっかさつがいじけん)とは、2000年東京都世田谷区の一家4人が惨殺された事件一般的な呼称警視庁による正式名称は「上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件」。被疑者逮捕されておらず、未解決事件となっている。

目次

事件の概要[編集]

21世紀を目前に控えた2000年12月30日午後11時ごろから翌31日の未明にかけて、東京都世田谷区上祖師谷3丁目の会社員宅で、父親(当時44歳)・母親(当時41歳)・長女(当時8歳)・長男(当時6歳)の4人が惨殺された。隣に住む母親の実母が31日の午前10時55分ごろ発見、事件が発覚した。

この事件は、20世紀最後の日に発覚した、大晦日に差し掛かろうとする年の瀬の犯行だったことや、犯人の指紋血痕など個人を特定可能なもの、靴の跡(足跡)の他、数多くの遺留品を残している点、子どももめった刺しにする残忍な犯行、殺害後に翌朝まで10時間以上に渡って現場に留まり、パソコンを触ったりアイスクリームを食べたりするなどの犯人の異常な行動、これらの多くの事柄が明らかになっていながら、犯人の特定に至っていないことでも注目される未解決事件である。また、年の瀬に発生した殺人事件という時期柄もあって、一年を振り返る区切りとなる年末近くになると、警視庁による情報公開が行われ、マスコミが話題に取り上げることが多い事件である。

捜査特別報奨金制度対象の事件に指定されている。

犯人の手がかり[編集]

後節の「#警視庁の情報公開・捜査状況・関連事実」も併せて参照

犯人の特徴[編集]

以下に犯人の特徴を列記する。

  • 犯人は犯行時に手を負傷しており、その時に現場に残された血液から血液型A型ということが判明している(殺害された一家にA型の人間はいない)。
  • 血液からは向精神薬風邪薬覚せい剤などの薬物反応は出ていない。また、たばこも吸わない人物である。
  • 被害者宅の冷蔵庫にあったビールには手が付けられていなかった(一方で、犯人は冷蔵庫の麦茶を飲んでいる)。
  • 被害者の傷跡などから犯人は右利きであることが分かっている。
  • 犯人の指紋は渦状紋である。指紋は被害者宅から十数個発見されている(過去の犯罪者の指紋データと合致しない)。
  • 服装などから犯人は身長175センチ前後、胴回り83センチ前後の可能性がある。
  • 警視庁がまとめた犯人像に1965年から85年生まれ(事件当時15歳から35歳)というものがある。これは、犯人が2階の浴室の窓から侵入する際、公園のフェンスから2階の窓まで上っているなどの身体的理由によるものである。
  • 犯行時の行動などから、性格は大胆で図太いながらトレーナーを畳むなど几帳面な部分も持ち合わせている。

犯人のDNA[編集]

現場に残されていた血液のDNAからルーツを辿る人類学的解析により、父系がアジア系民族、母系には欧州系(地中海)民族が含まれることが判明(産経新聞 2006年10月16日付)。「日本人には少ない型」とする専門家の声もある(朝日新聞 2006年12月31日付)。

2006年当時のDNA型鑑定によって、母系を示すミトコンドリアDNAハプログループアドリア海や地中海の南欧系民族に見られる「アンダーソンH15型」(アジア民族には見られない)、父系を示すY染色体日本人よりもその他のアジア系民族に多い「ハプログループO3a2c1* (O-M134*)」[注 1]であることが判明した。このO3a2c1の分布頻度は日本人の約13人に1人、中国人の約10人に1人、韓国人の約5人に1人である。なお、南欧系の祖先は歴史的に見て遠くない祖先の可能性が高いが、DNA型から犯人との続柄は判別できないため、犯人の母親が南欧系の女性かは不明である(サンケイスポーツ/産経新聞 2009年12月30日付 [1])。

特別捜査本部では犯人が「アジア系含む日本国外の人」または「混血の日本人」である可能性も視野に入れて捜査している。また、国際刑事警察機構(ICPO)を通じ、日本国外の捜査機関に捜査協力を求めている(毎日新聞 2008年5月25日付)。一方で、人種に関するプロファイリングが捜査に適用されるのには前例がなく、ずっと遡った祖先が混血だった可能性も否定できないため、「犯人が純粋な日本人である可能性も否定せずに、国内でも幅広く捜査する」方針(産経新聞 2006年10月16日付)。

犯人の行動[編集]

被害者宅の構造[編集]

玄関を入るとすぐに書斎がある。被害者宅1階部分のほとんどを占めるこの書斎は、父親が仕事部屋兼応接間、子供の学習部屋として使用していたものであり、現金6万円が手付かずであった大きな本棚や犯人がインターネットを閲覧した形跡のあるパソコンも置かれていた。2階への階段脇には浴槽に散乱していた書類の一部が元々あったとみられる納戸もある[2]。さらに、トイレや洗面所、犯人の入出経路とされる浴室、長男が殺害されていた子供部屋、バルコニーがある中2階、台所やダイニングルームとその奥の犯人によって物色されていた居間がある2階、そして母親と長女が寝ていた屋根裏部屋(3階)の4層構造になっている。本記事では中2階と2階を区別なく「2階」と表記している。 なお、屋根裏部屋へは折り畳み式のハシゴを降ろすことにより、中2階の踊り場(洗面所付近)から上ることが可能となる。また、犯人の横歩きの足跡は「1階から中2階間」の階段に付いており、「中2階から2階間」の階段は4段のみである。この他、隣家の親族宅と外観では接続しているようにも見えるが、内部的には繋がっていない。

一方、3種類の粉末蛍光染料が発見された車庫は事件発生時にシャッターが閉まっており、犯人が侵入した形跡はなかった。車庫前には1台分の小型車を停めるスペースがあり、事件直後のニュース映像では一家所有の車がこのスペースに置かれているのが確認できる。

2013年12月には、3Dプリンターで作られた被害者宅の模型を警視庁が公開した。この模型は事件の捜査にも活用される[3][4]

入出経路[編集]

被害者宅の裏側は公園になっている。

犯人の入出経路は、被害者宅の裏(公園側)にある2階浴室のと見られている。あるいは、侵入口(普通に被害者宅を訪れた可能性もある)は後述のように玄関であった可能性も指摘されている。

発見時に玄関の扉のは閉まっていた。当初は犯人が玄関から鍵を閉めて逃走したという見方もあったが、被害者宅の浴室や書斎などから7つ鍵が全て発見されたため、撤回された。また、玄関のドアのノブなどから犯人の痕跡(指紋や血痕など)も発見されなかった。ただし、玄関から犯人が入った可能性について完全には否定報道はされていない。さらに、被害者宅に残っていた血の付いた足跡が階段の途中から上りの一方向のみだったとの情報もあり、「玄関から靴を脱いで侵入し犯行に及び、床が血だらけになったため階段の途中で再び履いた」(2002年12月19日報道)という警察幹部の見解もあった。

玄関の痕跡について、駆けつけた警察救急隊員によって踏み荒らされてしまったという一部報道もある(週刊文春2009年1月1日・8日新年特大号など)。

浴室窓の網戸は外にはずれ落ちていた。また、窓の真下の地面辺りから犯人の足跡が発見されており、同じく窓の真下の公園フェンス付近の木の枝も折れていた。特別捜査本部が検証した結果、若者なら2階の浴室から無理なく侵入可能なことが明らかになっている。

一方で、犯人が着ていたと思われる遺留品のジャンパーに擦った痕がないという報道や浴室の窓などから繊維痕、擦れた跡が発見されていないという報道もある(週刊文春2009年1月1日・8日新年特大号2010年年末テレビ報道)。また、通常は特定の場所にしまってある玄関の扉の鍵が、玄関(中)に無造作に置かれていたという報道もある。

2012年のテレビ報道では、玄関の足跡が被害者一家のものも含めて見つかっておらず、犯人が入念に消した可能性が指摘されている(テレビ朝日報道)。

殺害時[編集]

被害者のの内容物などから、殺害の推定時刻は30日午後11時30分ごろとされている。犯人は2階子供部屋の二段ベッドで寝ていた長男を殺害後に、異変に気づき2階に上ってきた父親を襲い殺害、最後に屋根裏部屋(3階)で寝ていた母親と長女を襲って殺害したと見られている。なお殺害時かは不明だが、犯人が子供部屋の二段ベッド付近や階段の移動時に壁に背中を付けるなどして、軍隊などで習うような横歩きをしていたことが足跡からわかっている。

被害者の状況

父親の遺体は1階の階段下、母親と長女は屋根裏部屋下の2階踊り場付近で発見されている。さらに、屋根裏部屋の布団から母親と長女の血液が発見された。父親、母親、長女は全身負傷していた。長男は手で首を絞められたことによる窒息死と見られており、その時にできた圧迫痕やからの出血以外に外傷らしきものはなかった。

また、父親の頭部に柳刃包丁の破片が残っていたという報道もある。母親と長女は顔や首を中心に上から切りつけられていたが、父親はなども切りつけられていた。女性被害者は何度も刺されていたという情報もあり、被害者の性別によって殺され方が異なっていた可能性もある。死後も執拗に何度も刺していることが明らかになっている。

現場に長女の血のついたティッシュペーパーが落ちていたことから、犯人は母親が負傷した長女の手当てをしているのに気がつき再び襲った可能性がある。

殺害に使用した凶器

犯人が持ってきた柳刃包丁の刃が最初(父親殺害)の犯行時に欠けたため、被害者宅にあった文化包丁も使われていた。血痕から母親と長女は先端の折れた柳刃包丁で傷を負わされた後に文化包丁で殺害されたことが分かっている(週刊朝日談)。凶器はこの2本と見られている。当初は父親の傷跡から別の刃渡りの長い刃物も使われ犯人が持ち去ったという見方もあった。

殺害後[編集]

後述のパソコンの通信記録から、犯人は侵入の翌朝まで10時間以上に渡り被害者宅に潜んでいた可能性がある。また、犯人は被害者宅の電話線を抜いていた。そのため、電話が通じず不審に思った母親の実母が被害者宅を訪問、呼び鈴を鳴らしても反応がないので合鍵で中に入り、事件が発覚した。

なお、2000年正月分の年賀状だけなくなっていたことから犯人が持ち去った可能性がある、と報じられていたが、2010年になってから、捜査員が聞き込み捜査のために持ち出し、そのまま返却していなかったことが公表されている[5]

犯行時に負傷した傷の手当て

犯人は犯行時に右手を負傷している。現場では救急箱が物色されており、犯人の指紋が付着した絆創膏、血痕が付着したタオルなどが2階の台所に散乱していた。絆創膏の一枚は傷口に当てた後で剥がし、居間にあったノートの裏に貼り付けていた。また、生理用品で止血を試みるなど治療した形跡も残されていた。

アイスやお茶などの飲食

4人を殺害した後に、犯人が被害者宅の冷蔵庫からペットボトルお茶メロン、アイスクリーム(少なくとも)4個を取り出して食べた形跡が残されていた。アイスの容器は2階の浴槽と居間の座布団の上からそれぞれ1個ずつ発見され、1階のパソコン脇にあった2個は食後に重ねられていた(この2個は紙袋に入っていたという報道もあり)。2階台所、流し台の炊飯器の上にあったアイスの容器は食べかけで誰が食べたものか特定できなかった(週刊朝日談)。また、犯人が被害者宅の物色中にガムを噛んでいたことも分かっている。

一方で、冷蔵庫にあったビールや冷蔵庫横のコーラ10本は手つかずに残されていた。このため、犯人は飲酒をしない(ビールを飲まない)人物である可能性がある(アルコールによる逃走への影響を考慮し、意図的に飲まなかった可能性もある)。

犯人はアイスのカップを握りつぶして食べていた。また、犯人が直接かぶりついたためアイスに歯型が残っていたという報道もある。

被害者宅の物色と浴槽での作業

2階の居間では、ソファーにカード類、その近辺には手帳や運転免許証など生年月日の分かる書類などが仕分けされていた。また、戸棚や机などのほとんどの引き出しが下から順番に開けられ物色された形跡があり、これは空き巣特有の手口でもある。

2階の浴室では、浴槽の中に父親の仕事関係の書類や母親の塾の書類、前述の止血をしたと見られる生理用品、タオル、アイスのカップなどが散乱していた。このことから犯人が家の中を物色して不必要な物を浴槽に捨てたことが考えられる(浴室の中で仕分けしていた可能性もある)。1階の納戸から浴槽に散乱していた書類が入っていたとみられる引き出し1段を2階のトイレ前まで運んでいた(週刊朝日談)。浴槽に散乱していた書類や広告チラシなどはハサミや手で引きちぎられていた。

トイレの使用

犯人が被害者宅のトイレを使用し、トイレの中で被害者宅にあったバッグを物色した形跡があった。「実話ナックルズ」によると、大便の中からインゲンゴマが検出されたという。 時事通信2010年12月24日報道)によると、トイレに残されていた大便の一部から野菜胡麻和えが検出された。これは、被害者一家の胃の内容物や食事とは異なっている。

パソコンの操作[編集]

犯人が1階の書斎にある被害者のパソコンを操作した可能性がある。通信記録を解析した結果、犯行時刻直前とみられる30日午後10時20分から50分頃まで触れた形跡(午後10時38分から45分頃のパスワード付き電子メールの送受信記録など[1])があり、これは被害者がまだ生存しておりインターネットを閲覧していたものと考えられる。しかし、犯行時刻以降でも二度(31日午前1時18分と午前10時5分頃)に渡り、インターネットに接続されていたことが判明した。二度とも接続時間は5分程度と短かった。一方で、マウスから犯人の指紋が検出されたが、キーボードからは検出されていない。パソコンの電源ケーブルは発見時には抜け落ちていた。

犯人がパソコンを操作していたとすると、犯行時刻の午後11時30分ごろから、母親の実母が一家4人の遺体を発見する数十分前に当たる午前10時過ぎまで、犯人は半日近くもの間、被害者宅に潜んでいたことになる。

接続先は被害者の会社のサイトから、大学の研究室のサイト科学技術庁のサイトなど専門色の強いサイトまで含まれていた。また、犯人は劇団四季(被害者があらかじめインターネットブラウザの"お気に入り"に登録していた)の舞台チケットを予約しようとして失敗した可能性がある。一度目の接続(午前1時18分頃からパソコンを5分18秒起動)では空のフォルダを作成して劇団四季のサイトにアクセスしており、二度目の接続(午前10時5分頃からパソコンを4分16秒起動)では被害者の会社のサイトなどにアクセスし最後に強制終了していた(週刊朝日談)。

当初はこれらの通信記録が犯人によるものではなく、インターネットのサイト情報を自動的に拾ってくる「巡回ソフト」によるものという見方もあった。

逃走後の足取り[編集]

被害者宅のすぐ脇は、仙川の側道が続く。

犯人が被害者宅から逃走したのは31日午前10時過ぎ(パソコンの通信記録による)から、事件が発覚した午前10時55分の間とみられている。逃走後の移動手段、経路については現在のところ不明。

近辺の交通状況

被害者宅から比較的近い鉄道のとして、小田急線成城学園前駅祖師ヶ谷大蔵駅京王線仙川駅千歳烏山駅がある。最寄のバス停は「駒大グランド前」(小田急バス)。行き先は「成城学園前駅西口」、「千歳烏山駅南口」、「千歳船橋駅」、「粕谷一丁目」などがある。

被害者宅の脇には仙川が流れており、川に沿って側道も続いている。側道を北上するとすぐに都道118号にぶつかるが、道路を渡って更に側道を進んでいくと仙川駅付近に到達する。また、側道を南下すると祖師谷公園にぶつかるが、公園内を通って更に側道を進んでいくと成城学園の学校関連施設などの横を通って成城学園前駅付近に到達する。

東武日光駅の目撃情報

逃走から6時間以上を経て、(浅草駅発-)東武日光駅午後5時26分着の快速電車に乗っていた右手に骨が見えるほどの深い怪我を負った30歳ぐらいの男が、駅の事務室で治療を受けている。身長は約175センチ、黒いダウンジャケットを着ていて下はジーンズだった。また、怪我の原因、男の氏名などは不明である。当初は犯人が夜のうちに逃走したと思われていたことから、栃木県日光市に捜査員を派遣したのが2001年10月とだいぶ出遅れてしまうこととなった。週刊朝日の記事(2007年1月5日・12日合併号、後述参照)によると、この男の行方や正体は現在も分からないままである。

上記の被害者宅近辺の駅から東武日光駅へは、新宿駅代々木上原駅を経由して北千住駅から東武伊勢崎線快速電車に乗車する、あるいは新宿駅を経由して栗橋駅から東武日光線に乗り板倉東洋大前駅新栃木駅などで快速電車に乗り換えて向かうことが可能(2000年当時)である。

その他

犯人の私物と思われる現場の遺留品が購入できた場所として、京王線沿線やJR荻窪駅周辺、小田急線本厚木駅周辺などが挙げられており、これらの地域が事件当時の犯人の生活圏だった可能性がある。

現場の遺留品・犯人の所有物[編集]

現場には犯人の私物と思われる遺留品が多数残されていた。以下に現在判明している遺留品の情報を記していく。なお、犯人の服装や遺留品についての詳細は「警視庁特捜本部のサイト」および「資料 (PDF) 」も参照のこと。

概要

現場に残されていた衣類は綺麗に畳まれていた。これらの遺留品が置かれていたのは被害者宅の2階部分である。

被害者宅の最寄り駅も通っている京王線沿線や杉並区のJR荻窪駅前など現場周辺でもトレーナーや柳刃包丁、ヒップバッグ、ハンカチに付着していた香水が購入できた。

柳刃包丁やヒップバッグ、帽子、ハンカチ、手袋などマフラー以外の物が小田急線本厚木駅付近の衣料品店や金物店でも扱われていたことが分かり、トレーナーも神奈川県厚木市内の店舗で3着が販売されていたことが判明した。また、同線の相模大野駅周辺ではトレーナーとマフラー以外の物が購入可能であったことが確認された。被害者宅から約1.8kmである小田急線成城学園前駅から本厚木駅までは直通電車で約35分ほどである。

スーパーマーケットなどで購入できる大量生産品が多く、このことも捜査が難航する要因の一つとなっている。

トレーナー(ラグランシャツ)[編集]

返り血が大量に付着していたが、2階の居間から綺麗に畳まれている状態で発見された。当初は、「裏返しに丸められて放置していた」と報道されていた。

綿製で、サイズはL(身長175センチから185センチ用)。2000年8月製造、9月から11月まで販売(価格:1480円から1900円)。デザインは、胴の部分がグレーで両腕および丸首の部分が紫色。同年TBSで放送されたドラマ「ビューティフルライフ」で、主演の木村拓哉が着ていたタイプとされ、当時、若者の間で流行していたラグランシャツと呼ばれるものである[2]

何度も洗濯した形跡があり、色あせてクリーム色になっていた。

蛍光剤などの付着

赤色系の蛍光剤(粉末蛍光染料)が胸付近に微量付着していた。ただし、ヒップバッグや被害者宅の車庫からは3種類の染料が検出されたが、トレーナーは2種類のみである。またトレーナーの染料には溶けた形跡がなく、付着してからは洗濯が行われていないものとみられることから、染料は事件直前に付着した可能性がある。蛍光剤の他、染料の色むらを無くしたり、演劇の舞台装置を作る際などの発泡スチロールの加工などにも使われるシリコーンオイルという化合物の成分が検出された。

現場近郊における販売状況と情報提供の呼びかけ

このトレーナーと同タイプで同サイズのものは全国で130着、都内では4店舗で計10着しか売られていなかったことも判明した。都内の10着のうち1着の所在が判明したが、特別捜査本部は購入者が判明していない残り9着のトレーナーの行方について情報提供を呼びかけている[3]

都内で売っていた4店舗があるのは、京王線聖蹟桜ヶ丘駅京王八王子駅、JR荻窪駅、京成線青砥駅である[注 2]。また、同タイプのトレーナーは都内近県では神奈川県の他に、埼玉県千葉県山梨県などでも販売されていた。神奈川県厚木市内の店舗では3着が販売されていた。

同タイプのトレーナー(LサイズおよびMサイズ含む)が販売されていたのは14都道府県で41店舗となっており、全130着の販売店舗が2011年12月までに判明している。このうち52着が静岡県、22着が長野県での販売となっている。また、130着のうち同時期までに購入者が判明しているのは12着に留まる(詳細は後述の「警視庁の情報公開(2011年)」を参照)。

ジャンパー[編集]

ユニクロ製「エアテックジャンパー」で、黒色、Lサイズのもの。事件直前の2000年11月販売後、すぐに完売(価格:3900円から5980円)。販売数は8万2000着(都内1万194着)。通販、ネット販売もあり。

ポケットの中の砂・遺留物[編集]

ポケットからは三浦半島横須賀市)の海岸の砂のほか、ヒメザクロ観賞用植物)またはケヤキ花粉、ケヤキとヤナギシダレヤナギ以外)の枯葉、飼育用の飼料を食べていたとみられるスズメより小さいも検出された。

砂は馬堀海岸、北下浦海岸、三浦海岸のいずれかのものと推定される。葉片は当初、ヒメザクロと思われていたが、DNA鑑定の結果、現在はケヤキとヤナギ(シダレヤナギ以外)となっている。「バッコヤナギ」など数種類にまで限定して絞られたヤナギは、街路樹に多い「シダレヤナギ」とは違い主に水辺に生息している特徴がある。なお、被害者一家が事件の2年前に三浦半島の海岸のホテルで宿泊していたという情報もある。

スニーカー(テニスシューズ)[編集]

遺留品ではないが、現場に残されていた足跡から判明。英国ブランド「Slazenger」(スラセンジャー)で、韓国メーカーが1998年10月から2000年11月にかけて4530足製造販売していた。白地に灰色のラインのものと紺色のラインのものがあり、ローカット、ハイカットなども含めると全部で5タイプあり。統一日報2007年1月17日付)によると、靴の出所は中国吉林省延辺朝鮮族自治州である可能性があるという。

犯人の靴のサイズと日本国内での流通

犯人が履いていた靴のサイズは、現場に残されていた足跡から「28センチ」(韓国サイズ)、あるいは靴枠が共通の「27.5センチ」(日本サイズ)である。同サイズのものは400足のみ製造されていたという情報もある。

当初は、犯人の足跡と同サイズの「28センチ」のものは日本国内では流通していなかったとされていたが、靴の外枠が韓国サイズの「28センチ」と同じである「27.5センチ」のものは国内での販売も確認された(当時の価格:4000円前後)。

一方、「韓国サイズ」のものは日本国内の正規ルートでは流通していないが、捜査当局では個人輸入で入手した可能性にまで視野を広げ、関連業者からの情報提供を募っている。また、都内近辺では直輸入品として販売されていたという情報も一部である。

帽子[編集]

クラッシャーハット」と呼ばれるもので、帽子本体が濡れても、頭が濡れないため、雨具としても使われることがある。また、「ブーニーハット」とも呼ばれる。フリーサイズ、灰色でアクリル100%の毛糸織り、黒色のラインが入っている。全国のジーンズショップで販売され、1998年7月から2000年11月までの間で3465個販売(当時の価格:1900円前後)。シールのタグから1999年9月以降に販売されたもの。都内で遺留品のトレーナーが販売されていた4店舗でも販売。

帽子のつばに付着した微量の汗からも犯人のものと思われるDNAを検出。

マフラー[編集]

緑色地で、赤と橙色、濃い緑の格子模様が入っている。アクリル製。小さいタイプのマフラーで、長さ約130センチ(縦30センチ)。製造元などは不明。100円ショップでも売られている可能性のあるもの。

黒い防寒手袋[編集]

「ボア付きグローブ」として販売。黒革で26センチ、中はボア付きで外側は豚革を使用(当時の価格:1980円くらい)。販売数は1998年から2000年に1万755組。犯行時に使用された形跡がなかった。

柳刃包丁[編集]

刃渡り21センチ、全長約34センチ。一般的に刺身包丁に使われる。犯人が残していった柳刃包丁「関孫六 銀寿」は、福井県のメーカーから2000年6月に1500本製造されていたものだった。全国の量販店、ディスカウントストアなどで販売(当時の価格:関東地区46店舗で3500円くらい)。

現場付近では、世田谷区、杉並区内で事件前月の11月中に13本販売、被害者宅から数キロ圏内にある小田急線経堂駅近くのスーパーで事件前日の29日に2本販売、東急田園都市線用賀駅近くのスーパーでも事件前日と当日の30日に1本ずつ販売されていた。また、事件前日に武蔵野市吉祥寺のスーパーでも販売されており、当時購入した「身長170センチ前後、年齢30代、黒っぽいジャンパーの男」の似顔絵が公開されていた。

なお、凶器として使用され刃が最初の犯行時に欠けたため、被害者宅にあった文化包丁も使われていた。また、発見時に柳刃包丁とともに台所の流し台に並べて置かれていたという報道もある。

黒いハンカチ[編集]

2階の踊り場付近と台所で発見された。黒で無地のハンカチ2枚は45センチ四方で無印良品で販売されていたもの。販売数は事件前の約6年間で計6万6500枚(1998年以降は5万9000枚)。1枚300円。ハンカチにはアイロンや洗濯の形跡も残されていた。

ハンカチの特殊な用途

うち1枚については中心部に約3センチの切れ目を開け、ハンカチの一部を押し込んで袋状にするという特殊な方法で包丁の柄を包んでいた形跡(詳細は「警視庁特捜本部のサイト」を参照)があり、犯行時に包丁を固定する際の滑り止めや返り血を避ける目的で使用したと見られている。もう一枚は三角形に折られ両端に絞り込みがあったことなどからマスクやバンダナとして使用したとみられる。

その他、2枚のハンカチには二十数箇所に穴が開いていたことから、柳刃包丁を包んでいたことなども考えられていた。結び目と犯人の血液が付着していたことなどから、止血に使用した可能性も指摘されていた。

また、「黒いハンカチ」が残されていたことについては、犯人にとって宗教的・儀式的な意味合いがあるものではという見方もあった。

香水[編集]

全国の量販店などで販売(当時の価格:30mlで3000円位)。1982年ごろから日本国内でも販売。事件当時、JR荻窪駅の雑貨店でも購入できた。また、香水の種類については「DRAKKAR NOIR」ではなく、20年から30年くらい前に流通していた「DRAKKAR」の可能性もある。

ハンカチやヒップバッグに付着していた香水はGuy Laroche(フランス)の「DRAKKAR NOIR」(ドラッカーノアール)と見られている。これはスケートボーダー(スケートボードをする人)の間ではファンも多い、80年代に活躍したアメリカのプロスケートボーダーが愛用していたものだった。

ヒップバッグ[編集]

深緑色でふたが付いており、ベルトの長さは83センチに調節。韓国製で1995年から1999年にかけ関東地区のディスカウント店などで2850個販売された。遺留品のバッグも日本国内で販売されたものであることが確認されている。

また、バッグの表面からは日本ではほとんど流通していない、特種な洗剤とみられる成分も検出された(日本国外の硬水(米国や韓国など)によく溶ける)。このことから、犯人または周囲に「日本国外の渡航歴がある人物」の存在が論じられている。洗剤が検出された部分と同じ場所から蛍光物質も検出されている。

バッグの外側と内側には2枚のハンカチと同じく、刃物による二十数か所の傷があった。

バッグの中の砂[編集]

バッグの中から検出された砂は石英などを含んでおり、「アメリカ西部ネバダ州ラスベガス付近にある砂漠」と思われていたが、カリフォルニア州の砂の可能性が高いことが分かった。

このカリフォルニア州のものと思われる砂は、約35,000 km²に及ぶモハーヴェ砂漠南西部にあるエドワーズ空軍基地付近のものであることも判明した。同基地東部の砂は特徴的なものであり、バッグ内の砂と酷似しているという。また、ジャンパーのポケットから検出された三浦半島の砂は、バッグの中からも検出されている。

カリフォルニアはスケートボード発祥の地で、三浦半島の「うみかぜ公園」にはスケートボーダーが集まる場所があり、大会も頻繁に行われている。このことから、いずれもスケートボードと縁の深い場所の砂であることが明らかになった。

多量の遺留物[編集]

バッグの中にはその他にも、印刷機のロールに装着するインク汚れ防止用フィルムや道路標識反射材などに使われる微小なガラス球、金属シリコンニッケル、約1億4000年前のものと思われるモナザイト花崗岩に含まれる鉱物)などの細かい粒が大量に見つかっており、その中には日本に流通していない成分や一般の人には入手しにくいものまで含まれていた。

遺留物の詳細とスケートボーダーへの結びつき

ガラス球はチタンバリウムシリカなどで形成され、白いパウダー状、直径約50マイクロメートルのものが5、6粒。このガラス球はアメリカのミズーリ州のガラス加工メーカーが製造し、国内では京都府のメーカーが製造する印刷機の特殊フィルムに使用されていた。当初はチタン酸バリウムと思われていた(朝日新聞2001年12月28日付)。一方で、「チタン酸バリウム(の粉)が含まれていた」という報道(産経新聞夕刊フジ2006年8月2日付)もあり。

捜査の結果、これらの数種類の物質はスケートボードの滑り止めに使われるグリップテープを削ったものである可能性があることが分かった。この作業は通常はスケートボード購入時に店の人がやるが、慣れているベテランだと自分でグリップテープをボードの形にカットし、ドライバーなどで削るようである。

モナザイトについても、ロッキー山脈花崗岩にも含まれていることが分かり、砂と同様にカリフォルニア州に由来する可能性があるという。

これらのことからスケートボーダーが何らかの形で事件に関わっている可能性も浮かぶ。捜査当局では、スケートボードを扱う業者やバッグがスケートボーダーから別の人物に渡った可能性にまで視野を広げ、現在捜査している。カリフォルニア州への渡航歴についても重点的に捜査している。

赤色系の蛍光剤[編集]

トレーナーやヒップバッグの内側に赤色系の蛍光剤(染料)が付着していた。この染料は発見時にシャッターが閉まっており、事件現場に残された犯人の足跡などの形跡が発見されていない被害者宅1階車庫付近からも検出されている(注:犯人が触れた形跡のない被害者宅の棚の中から染料が検出されているという一部報道もあるが、車庫内の棚と別物かは不明)。車庫の染料は暗闇の中でライトを当てることによって光り、発見された。事件前に犯人や犯人と関係ある人物が現場を訪れた可能性、被害者と犯人に交流があった可能性も視野に入れ捜査している。

被害者(父親)は、大学時代には劇団サークルに参加しており、事件当時はCI関係の会社に勤務していた。大道具や取引先の企業へのプレゼンテーションなどで蛍光剤を使用していた可能性があるとみられていたが、後の捜査で被害者自身は仕事などで使用した形跡がないことも判明した。

蛍光剤の詳細

蛍光剤の原料は粉末で日本では製造されておらず、国内では化学薬品会社2社が中国やインドから輸入後、複数のメーカーが印刷用インキ道路標識ペンキ、看板の蛍光塗料などに加工して使用されている。

蛍光剤は3種類の粉末蛍光染料で、「ローダミン」、「バソニール」という商品名で流通、粉末状では赤茶色(緑色という報道もあり)で水に溶かすと赤やピンク系になり、ブラックライト蛍光発色する。主に紙や布、木綿などの繊維の染色のほかに、プラスチック製品、漫画本、包装、広告、顔料やインクの製造、蛍光ペン、油絵の具材、レーザーの研究、工事現場などでも使用される。3種類共に使用するのは一般的でないため、染料・塗料を扱う専門業者や工場、製紙メーカー、研究施設、舞台関連の制作業者、デザイナーなどの可能性が高い。

なお、染料は犯人の遺留品であるトレーナーから2種類、同じく遺留品であるヒップバッグの内側や犯人が犯行時に侵入した形跡のない車庫の奥の横倒しになった棚の引き出し(物置スペースと思われる、引き出しは縦の状態)の底から3種類発見されている。また、車庫の引き出しの染料は底に付着している程度で、事件以前に被害者と犯人が車庫の暗闇の中で蛍光染料を確認しあった際の痕跡の可能性がある[6]

毛髪[編集]

バッグの中から長さ数センチの黒色の毛髪が発見された。毛髪のDNA型は現場に残された犯人のものと一致している。

現場からの消失物[編集]

犯人が持ち去ったものとみられていた2000年正月年賀状は、捜査員によって聞き込み捜査のため持ち出されていたことが判明している。

デサント製のトレーナー[編集]

被害者宅にあったトレーナーがなくなっており、犯人によって持ち出された可能性がある。魚柄で前面に「DIVE」という文字が入っており、背面にはAからZのアルファベット26文字がプリントされている。1991年から1996年頃まで販売されていた。

現金約15万円[編集]

被害者が経営していた学習塾の授業料である現金約15万円(約20万円という報道もあり)がなくなっており、現金が抜き取られたとみられる財布もあったが、銀行預金通帳キャッシュカード貴金属類などは持ち出されていなかった。ただし、上記の通りカード類や書類などを仕分けし物色した形跡は残されていた。また、1階の本棚にあった6万円は手がつけられていなかったという情報もある。

その他[編集]

事件当日の被害者(一家)の行動[編集]

事件当日の30日午後6時ごろ、小田急線成城学園前駅で一家4人が買物をしている姿が目撃されており、午後6時半ごろには一家の車が被害者宅の車庫(※後述のように車庫前の駐車スペースの可能性あり)になかったことを近所の人が確認している。その後、京王線千歳烏山駅付近に寄り帰宅したとみられている。なお、車庫の前には1台分の小型車を停めるスペースがあり、事件発生直後の報道写真などから一家所有の車は車庫の中ではなく、このスペース部分に置かれていた可能性がある。ただし、日常的に車を車庫に入れていなかったかは不明である。

同午後7時ごろ、母親が隣に住む実母と被害者宅の電話で会話している。また、長女が母親の実母の家を訪れている。同午後9時38分ごろ、長女のパソコンでテレビ番組を視聴した形跡が残っている。

事件発生前にあったインターフォンの音と怒鳴り声[編集]

隣家の住人が事件当日の午後8時30分頃、被害者宅のインターフォンの音が鳴るのを聞いている。ただし、証言者の同居家族が音について否定したため、この件に関する捜査は進んでおらず名乗り出た人物もいない。

また、事件当日に被害者の裏手にある公園を散歩していた男性が、午後10時頃に被害者宅方から夫婦喧嘩のような怒鳴り声を聞いている(物が破損するような物音はなかった)。夫婦喧嘩のようなということから、犯人を含む男女が何かを言い争う怒鳴り声ということも推測され、これまで考えられてきた午後11時過ぎという犯行推定時刻についても最大1時間以上遡る可能性がある(2012年テレビ朝日報道)。

犯行時刻前後の「ドスン」という大きな物音[編集]

隣家の親類は午後11時30分ごろに被害者宅から「ドスン」という大きな物音がするのを聞いていた。この他、前節とも関係してくるが「近所の住人が事件発生時刻と思われる午後11時前後に被害者宅から争うような声がしたのを聞いていた」という情報や「事件当日の30日深夜、通行人が被害者宅で男女が口論する声を聞いていた」(2002年7月2日報道)という情報もある。

また「ドスン(ドスン)」という大きな物音は週刊朝日(2007年1月5日・12日合併号)によると、犯人が2階踊り場にあった屋根裏部屋へのハシゴを上げた音とされている。これは実際に実験を行うなど検証によるものである。「ドスン」という大きな音については犯人と対峙した被害者が階段から落ちた音であるとして、これを犯行時刻とする見解もあった。被害者宅の隣に住んでいた母親の実姉(ペンネーム入江杏)は、家族が聞いたこの「ドスン」という音を「カタン(カタン)」であったと記している(法学セミナー2002年10号)。また、この音を「ベニヤ板をひっくり返すような音」とも形容している。実姉は翌午前1時すぎに寝たが、その他には特に変わった物音は聞こえなかったとも記している。

一方2012年のテレビ報道では、ドスンドスンという大きな音を証言した近所の住人が後に自身の証言を否定していることと、警察の検証でも聞こえなかったことが明らかにされており、実際にこの時刻に大きな音がしたのか揺らいでいる(テレビ朝日報道)。ただし、隣家の親族がこの音について否定したという明確な報道はされていない。

事件発覚時の状況[編集]

父親は1階の階段下で外出着姿(片足が裸足)、母親や長女は2階階段踊り場付近、長男は2階の子供部屋でそれぞれジャージなどの寝巻姿で発見されている。また、現場は「血の海」でなかったと前述の母親の実姉が記している。母親の実母が、発見時に母親と長女の遺体に触れていた。

さらに事件発覚時、1階の電気はついていたと一部で報じられている。週刊文春(2001年1月25日号)によると、新聞配達員が31日早朝に新聞の朝刊を配達したときには被害者宅の玄関の電気は消えていたが、殺害された母親の実母が現場を訪れたときには電気がついていたという。

事件後に置かれた地蔵[編集]

事件からちょうど100日目の2001年4月9日東南アジア産出の花崗岩で作られた地蔵が被害者宅から仙川を隔てた遊歩道脇に置かれていた。地蔵の底と台座上部に「六」の文字のようなものが彫られていた。指紋は採取されなかった。特別捜査本部ではこの地蔵の製造・輸入・販売などに関する情報提供を呼びかけている[7]

被害者宅周辺の当時の状況とトラブル・防犯対策[編集]

被害者宅周辺(2010年10月):事件当時は他にも数軒あった。
祖師谷公園の北側入口

被害者宅周辺は祖師谷公園(都立公園)の拡張工事でほとんどの家が転居しており(被害者宅も2001年3月転居予定だった)、事件当時は被害者宅・隣家1軒(被害者の親族宅)・向かい2軒の計4軒の家が残されているのみだった。そのため、夜の人通りは少なく事件の目撃証言も少なかった。一家がこの場所に引っ越してきた1990年6月には、住宅が30軒程あった。

被害者宅近くにはスケートボードができる広場があり、夜に滑るなどルールを守らないスケートボーダーと被害者宅との間では騒音問題トラブルになっていた。事件数日前にも、スケートボーダーと被害者が揉めていたという目撃証言もある。その他には、公園に出入りしている暴走族と被害者宅がトラブルになっていたという話もある。

事件の被害者である母親が、「そんな電話は午後7時以降にして」と声を荒げている様子が事件以前に何度も目撃されている(2012年テレビ朝日報道)。

現場周辺では2000年夏以降、尻尾を切り取られたり皮膚を剥ぎ取られたりするなど野良猫虐待事件が数件起きていた。事件直前の12月中旬にも1件あった。

被害者宅のポストにセンサーがあり、人が通ると防犯用ライトがつく。また、玄関の扉の鍵はMIWA製の特殊なもので、鍵穴がドア上部とノブに2つあり、1つの鍵で両方とも開けられる仕組みとなっている。ドアチェーンもある(週刊文春2001年1月25日号、3月8日号)。

被害者夫婦に関する情報[編集]

父親は大学卒業後、アニメの制作にも携わり編集プロダクションを設立している。また、クイズ番組の制作にも出題などで関わっている。事件当時は英国系のコンサルティング会社(デザイン会社とされる場合もある)で、企業のイメージカラーなどを考案するCIの仕事に同部門のリーダーとして携わっていた。父親は事件前日までその日の行動や出費など事細かに日記を書いていたが、トラブル等に関する記述は見当たらなかった[8]

母親は1990年12月よりフランチャイズ方式の塾を隣の姉夫婦の家(当初は自宅)で開設していた。なお、被害者宅1階にあった塾の書類は上述の通り物色されており、引きちぎられるなどして2階の浴槽に放り込まれていた。「被害者宅の1階を塾の教室にしていた」という報道もあるが、1992年に隣家の姉夫婦一家が海外に引っ越してからは「隣家(姉夫婦の家)」で教えていたようである(その間、隣家には母親の実母が一人で住んでいた)。2000年に姉夫婦一家は帰国しており、事件発生時には家族全員が隣家にいた。なお、母親は姉と共に目蒲線(当時)奥沢駅前でも1989年より学習塾を開設していた。1992年に隣家へ移したのはこの塾という情報もある。

犯人の目撃情報・不審者の情報[編集]

以下に犯人の目撃情報および不審者の情報を列記する。

  • 事件の犠牲者である母親が「家の前の道路に最近ずっと車がとまっている」と事件数日前の25日に話していたことを義父が明らかにしている(asahi.com)。
  • 事件3日前の27日午前、被害者宅の様子をうかがっている40代半ばの不審な男が目撃されている(読売新聞2001年1月3日付)。
  • 事件現場から1.5キロ離れた小田急線成城学園前駅近くで、事件前日の29日午後3時ごろ、現場に残されていたトレーナーやヒップバック、スニーカーとよく似た服装の若い男が目撃されている(2006年11月30日報道)。目撃者の主婦によると「この男が12月の末にしては薄着だった」ため、よく覚えていたという。また週刊朝日(2007年1月5日・12日合併号)によると、この男は事件直前の30日午後9時頃にも被害者宅付近で目撃されているという。
  • 事件当日の30日昼過ぎに、見慣れない男が被害者と言い争っている姿が目撃されている(2001年1月1日報道)。
  • 事件当日の30日午後7時と10時ごろ、被害者宅の近くを流れる川沿いの歩道(側道)を歩く、犯人が現場に残していった帽子とよく似た帽子をかぶる35歳から40歳前後の男が目撃されている。7時の男は被害者宅脇、10時の男は被害者宅と反対側の歩道を歩いていたが、2人の男が同一人物かは不明だという(2002年12月18日報道)。
  • 事件当日の30日午後11時35分から11時40分頃に被害者宅に通じる路地から飛び出してきて、走り去った25歳から35歳の男が目撃されている(2002年12月18日報道)。なお、この路地は被害者宅前の車の通れる道ではなく、被害者宅の裏(犯人の脱出経路とみられる浴室窓の真下)を横切る公園のフェンスとの間の細い路地とのことである(2012年12月20日報道)。
  • 事件発覚当日の31日に東武日光駅午後5時26分着の快速電車に乗っていた、右手にが見えるほどの深い怪我を負った30歳ぐらいの男が目撃されており、駅の事務室で治療を受けている(2001年12月27日報道)。なお、この男については「身長が175センチぐらい、服装は黒いダウンジャケットおよびジーンズ」とされる。

警視庁の情報公開・捜査状況・関連事実[編集]

警視庁がマスコミ等を通じて行った当該事件の情報公開、新たに分かった捜査状況、関連事実を記していく。

警視庁の情報公開[編集]

詳細は「警視庁特捜本部のサイト」も参照のこと。

2004年[編集]

  • 10月15日 - 事件からちょうど100日目の2001年4月9日に被害者宅から仙川を隔てた遊歩道脇に置かれていた、東南アジア産出の花崗岩で作られた地蔵の写真が初めて公開された[4]。地蔵の底と台座上部に「六」の文字のようなものが彫られており、指紋は採取されなかった(毎日新聞より)。
  • 12月9日 - 容疑者らしき男の似顔絵のイラストを公開した。公開されたイラストは、事件発生時刻前後(12月30日午後11時30分すぎ)に被害者宅近くで目撃された「身長175〜180センチ位、年齢25〜35歳位、やせ形、は少し長め、っぽいジャンパー、黒っぽいズボンの男」と、事件前日の29日に犯行で使用された柳刃包丁と同じタイプの包丁を武蔵野市吉祥寺スーパーマーケットで購入していた「身長170センチ前後、年齢30代、黒っぽいジャンパーの男」の2つ[5]

2005年[編集]

  • 7月31日 - 読売新聞によると、特別捜査本部が犯人像を「事件当時、京王線沿線に住んでいた若者(当時15歳以上)」に絞り込んだことを明らかにした。また、韓国警察当局の捜査協力の結果、最近になって「犯人が韓国で育った人間でない」ことを確認し断定。「犯人が現場に残していったものと同タイプで同サイズ(L)のトレーナーが都内では、4店舗(京王線沿線は2店舗)のみで10着しか売られていなかった」ことも判明し、このトレーナーの購入者のうち現在所有していない人間の中に犯人がいるものと見て、購入者が判明していない残り9着のトレーナーの行方について情報提供を呼びかけている。呼びかけに応じた人はトレーナーの提出を求められるが、新品で同様のトレーナーを贈呈されることになっている。[6]
    なお、トレーナーの販売ルートは様々な報道を見ると当初からほぼ特定できていたとみられるが、犯人像とともに今回改めてメディアで公開し情報提供を呼びかけたものと思われる。
  • 11月12日 - 怨恨ではなく金銭目的の犯行という見方を強め、犯人像を「当時一人暮らしで、金に困っていた18歳から35歳の男」と絞り込んだことを明らかにした(ただし、外泊に普段から無関心な家庭で生活していた可能性もある)。当初はトレーナーが何度も洗濯されていたことなどから「家族と一緒に暮らす生活色の強い男」という見方がされており、犯人像がこの5年間で大きく変化している。
  • 11月21日 - 犯人が現場に残したヒップバッグの表面から日本ではほとんど流通していない日本国外の硬水(米国や韓国など)によく溶ける洗剤とみられる成分が検出されたことを明らかにした。犯人または周囲に「日本国外の渡航歴がある人物」がいる可能性が高いと見られている。また、警視庁は同日、事件の概要や犯人像の特徴をまとめたカードを全警察官4万人に配布した。
  • 12月9日 - カードに記載された犯人像約30項目の内容が明らかになった。新たに分かったのは「酒もたばこもやらない人物」「漢字を読み分ける能力のある人物」など。犯人は戸棚の引き出しを下から順番に開けて物色するという空き巣特有の開け方をしており、2階の居間のソファーにカード類、その近辺には手帳運転免許証など生年月日の分かる書類などが仕分けされていた。これはキャッシュカードの暗証番号を推測するために犯人が物色したものと見られている。
  • 12月17日 - 読売新聞によると、洗剤が検出されたヒップバッグ表面の同じ場所から蛍光物質も検出されていたことが分かった。バッグに付着してしまい犯人が洗い落とそうとした可能性がある。蛍光物質は外国製のペンなどに含まれているものとのことである。
  • 12月30日 - 産経新聞によると、2階子供部屋の二段ベッド付近や階段で犯人が横歩きをしたとみられる足跡が複数発見されていたことが分かった。階段では、壁側から手すり側に向かって途中で足跡の向きが入れ替わっていた。このような特殊な歩き方をしていたことから、犯人が「軍隊の経験者である可能性」もあると見て捜査している。
    また、特別捜査本部はこれまで怨恨の線で捜査していたが、一家に関係するトラブルが見つかっていないことや2階浴室の窓から侵入するという手口、戸棚の引き出しの空け方、ソファーに並べられたカード類、現金がなくなっていたことなどから、最近になって「金銭目的の犯行」の線で捜査していることも判明した。だが、犯人が長時間被害者宅に留まるなどの行動から怨恨や人格異常者の犯行の線も捨ててはいないという。

2006年[編集]

  • 8月2日 - 産経新聞によると、特別捜査本部は「スケートボードをしている人物」に捜査の焦点を当てていることが明らかになった。その理由については、以下の通りである。
    • 「ヒップバックから検出された数種類の物質が、スケートボードの滑り止めに使われるグリップテープを削った微粉末の可能性が高い」
    • 「ヒップバックとジャンパーのポケットから検出された砂は、いずれもスケートボードと縁の深い場所の砂である可能性が高い」
    • 「黒いハンカチから検出された香水は、80年代に活躍したアメリカの人気プロスケートボーダーが愛用していた『DRAKKAR NOIR』だった」
    • 「被害者宅近くにはスケートボードができる広場があり、夜に滑るなどルールを守らないスケートボーダーには被害者が以前から注意しており、事件数日前にも揉めていたという目撃証言がある」
    • 「犯人の服装がスケートボーダーの間で流行っているストリートファッションであること」など。
  • 10月16日 - 産経新聞によると、特別捜査本部は犯人像を「アジア系外国人の犯人」または「混血の日本人」と見て捜査を始めたことが明らかになった。血液のDNAから人間のルーツを辿る人類学的解析によるもので、父系がアジア系民族、母系に欧州系民族が含まれることが判明。人種に関するプロファイリングが捜査に適用されるのには前例がなく、ずっと遡った祖先が混血だった可能性も否定できないため、「犯人が純粋な日本人である可能性も否定せずに、幅広く捜査する」方針。
  • 11月30日 - 今年の春ごろになってから警視庁に新たな目撃情報が寄せられていたことが判明した。事件現場から1.5キロ離れた小田急線成城学園前駅近くで、事件前日の29日午後3時ごろ、現場に残されていたトレーナーやヒップバック、スニーカーとよく似た服装の若い男を目撃したというもの。最近の情報などから警視庁は「事件当時、現場付近に住んでいてその後に引っ越した若者や日本国外の人」に捜査の焦点を絞っている。
  • 12月15日 - 特別捜査本部は犯人が現場に残していった黒いハンカチ2枚について新たな情報を公開した。うち1枚については中心部に約3センチの切れ目を開け、ハンカチの一部を押し込んで袋状にしており、犯行時に包丁の柄を差し込んで滑り止めや返り血を避ける目的で使用したものと見られている。犯人が事前に細工などをしていることから計画的犯行の線も見て捜査、このような特殊な方法を使う職業がないか調べている。ハンカチからは被害者の血液のほか犯人の血液も検出された。もう一枚については、三角形に折って両端が絞り込まれていたため、バンダナやマスクとして使用したものとみられる。
    犯人の血液を詳しく調べた結果、向精神薬や風邪薬などの薬物反応がまったくなくたばこも吸わないことが判明。2枚のハンカチには洗濯をしアイロンをかけた形跡もあった。これらのことから特別捜査本部は犯人像を「薬物中毒や投薬治療中でなく健康体」、「事件当時、現場付近の比較的裕福な家庭で、家族と一緒に暮していた15歳から35歳の男」と見ている(朝日新聞より)。
  • 12月30日 - 事件から6年、警視庁成城署特別捜査本部の捜査会議の一部が公開された。これまでに延べ14万人の捜査員が投入され現在も98人態勢で捜査、産経新聞によると、現在は犯人本人より犯人を知る人物や周辺者を中心に捜索しているという。また、引き続き犯人が外国人やスケートボーダーである可能性、被害者宅が物色され現金がなくなっていたことから金銭目的の犯行、また怨恨による犯行の線なども視野に入れ、幅広く捜査している。
  • 12月31日 - 朝日新聞によると、現場から長女の血が付着したティッシュペーパーが見つかっていたことが明らかになった。母親と長女が犯人に襲われたとき1度目は致命傷にならなかったが、負傷しながらも長女の手当てをしていた母親に犯人が気づき、再度致命傷を与えた可能性があるという。
    また、現場に残されていた犯人の血液からDNA型を解析した結果、日本人には少ない型とする専門家の意見があることも判明した。「犯人が外国人や混血の日本人である可能性」も視野に入れて捜査している(朝日新聞より)。

2008年[編集]

  • 5月25日 - 毎日新聞によると、犯人の血痕のDNA鑑定により母方が欧州地中海の民族の特徴を持つ点、さらに事件現場に残された遺留品などから犯人が外国と関係のある人物である可能性が高いことから、ICPOを通じ外国の捜査機関に捜査協力を求めていることが分かった。これまで韓国や中国に指紋照合を依頼し、欧米の国々にも捜査協力を求めているが、要請に応じない国もあるという。
  • 6月22日 - 毎日新聞によると、今年3月中旬に犯人が侵入したと思われる被害者宅裏側の2階浴室窓下の公園フェンス付近に花束が置かれていたことが分かった。家の表側は警察が24時間体制で警備していたが、置かれた時点で気づかなかった。警察は「心当たりのある人は名乗り出て欲しい」としている。
  • 12月30日 - 毎日新聞によると、8月ごろ行った特別捜査本部の検証で犯人が現場に残したトレーナーやヒップバッグに付着していた赤色系の蛍光剤とほぼ同一成分の蛍光剤が1階車庫周辺からも発見されていたことが判明した。車庫は事件当時シャッターが閉まっており、現場に残された犯人の足跡などの形跡が発見されていないことから、「事件前に犯人や犯人と関係ある人物が現場を訪れた可能性、被害者と犯人に交流があった可能性」も視野に入れ、蛍光剤の流通経路や被害者の交友関係を調べている。
  • 12月31日 - 中日新聞によると、犯人が被害者宅に残したヒップバッグから微量の砂(石英を含み、米国西部の砂漠地帯の砂と酷似している物)と1億4000万年以上前の放射性物質モナザイトロッキー山脈の花崗岩にも含まれている物)が検出されたが、鑑定の結果それらの遺留物はカリフォルニア州に由来する可能性があることが分かり、特別捜査本部は70人態勢で被害者の勤務先や出身学校の関係者、事件当時、現場周辺に住んでいた人物らに事情聴取をし、「カリフォルニア州への渡航歴がないか重点的に捜査」している。

2009年[編集]

  • 12月14日
    • 警視庁は事件現場から発見された蛍光剤が3種類の粉末蛍光染料であることを公表した。警視庁ではこの3種類の染料を同時に扱う場所の情報提供を呼びかけている。以下に情報をまとめる(共同通信NHK、毎日新聞、朝日新聞、日経新聞東京新聞より)。詳細は「警視庁公開の資料 (PDF) 」も参照のこと。
      • 染料は主に国内2社が商品化する「ローダミン」(ローダミンB、同6GCP、同6GCP-N)、あるいは「バソニール」(バソニールレッド540、同482、同485)で、粉末状では緑色(赤茶色という報道もあり)で水に溶かすと赤やピンク系になり、ブラックライト蛍光発色する。なお、染料のカラーインデックスネームはそれぞれ「ベーシックバイオレッド10」「ベーシックレッド1」「ベーシックレッド1:1」である。
      • 染料は上述のメーカーが顔料やインキなどに加工して販売するため、一般に出回っていない。主に紙や布、木綿などの繊維のほかに、プラスチック製品、漫画本、包装、広告、顔料やインクの製造、蛍光ペン、油絵の具材、レーザーの研究、工事現場(コンクリートの亀裂チェック)などでも使用される。「3種類共に使用するのは一般的でないため、染料・塗料を扱う専門業者や工場、製紙メーカー、研究施設、舞台関連の制作業者、デザイナーなどの可能性が高い」と見ている。
      • 被害者は大学時代には劇団サークルに参加しており、事件の直前にも企業のイメージカラー作成やイベントプロデュースなどの仕事に関わっていたが染料に関する専門知識がなく、「被害者自身が仕事などで使用していた形跡もない」という。染料は犯人の遺留品であるトレーナーから2種類、ヒップバッグの内側や犯人が犯行時に侵入した形跡のない車庫内の木製の収納具から3種類発見されている(犯人が触れた形跡のない被害者宅の棚の中から染料が検出されているという報道もあり。ただし、この報道が意図する被害者宅の棚が「車庫の収納具=棚(後の報道で棚の引き出しと判明)」と別物かどうかは不明)。このことから、「事前に被害者宅を訪れたことがある人物か被害者と接点があった人物の可能性が高い」と見て捜査している。
      • 犯人が事件前に被害者宅を訪れた理由について、「被害者と染料選定の打ち合わせをしていた可能性」などを視野に入れている(東京新聞より)。
    • 犯人の遺留品であるジャンパー(事件の1ヶ月前から販売されたもの)のポケットから発見された鳥の糞はイネ科以外の植物の種皮や昆虫、土砂などを含んでいないことから飼育されていたスズメより小さい種類の鳥のもの、葉片は(当初)ヒメザクロと思われていたが、DNA鑑定の結果、ケヤキヤナギシダレヤナギ以外)、三浦半島の砂は馬堀北下浦三浦の3箇所いずれかの海岸のものであることも明らかにした。このため、「犯人や犯人の周辺人物が犯行直前に三浦半島を訪れたと見て、同半島周辺に捜査員を派遣」して聞き込みを行っている(毎日新聞、朝日新聞、産経新聞、日本テレビより)。
      被害者一家が事件の2年前に三浦半島の海岸のホテルで宿泊していた(TBSより)。
    • 遺留品のヒップバッグから発見された米国西部カリフォルニア州の砂は、約35,000 km²に及ぶモハーヴェ砂漠南西部にあるエドワーズ空軍基地付近のものであることも判明した。同基地東部の砂は特徴的なものであり、バッグ内の砂と酷似しているという。このことから、「犯人や犯人の周辺人物が同基地付近を訪れた可能性がある」と見て捜査している(東京新聞より)。
  • 12月26日 - 被害者は大学時代には演劇、著名な人形作家の下で人形アニメ製作に参加、その後、知人と映画や漫画を製作する会社を立ち上げ、映画撮影の現場に出入りするなどしていた。事件の直前にも旅客機の模型に塗装する仕事などをしており、塗料との関わりはいくつか浮上しているが、現場に残された染料と被害者、犯人の接点は浮かび上がっていない(毎日新聞より)。
  • 12月30日 - 現場に残された犯人のものと見られる血痕のDNA型鑑定を行った結果、母系がミトコンドリアDNA塩基配列パターンによりアドリア海地中海南欧系民族に見られる「アンダーソンH15型」(アジア民族には見られない)、父親がY染色体鑑定によりアジア民族に多い「O3eスター型」であることが分かった(2006年当時)。「O3eスター型」の割合は日本人の約13人に1人、中国人の約10人に1人、韓国人の約5人に1人に見られる。南欧系の祖先は歴史的に見て遠くない祖先の可能性が高いが、DNA型から犯人との続柄は判別できないため、犯人の母親が南欧系の女性かは不明。また、古い祖先が南欧系の可能性も否定できない(サンケイスポーツ/産経新聞 [1]より)。

2010年[編集]

  • 12月12日 - 現場に残されたトレーナーにシリコーンオイルという化合物の成分が付いていたことが新たに分かった。トレーナーからは粉末状の蛍光染料も検出されている。シリコーンオイルは潤滑油や化粧品の原料などとして幅広く利用されているが、染料の色むらを無くしたり、演劇の舞台装置を作る際などの発泡スチロールの加工にも使われている。被害者が事件当時、企業のシンボルカラーを決める仕事をしており、また学生時代には演劇活動をしていたことからその関連性や、シリコーンオイルや蛍光染料を仕事などで扱う人物が事件に関わっている疑いもあるとみて捜査をしている(NHKより)。
  • 12月18日 - 手掛かりとなる染料の捜査のため、ドイツの化学メーカーに捜査員を派遣していたことが分かった。犯人の遺留品と被害者宅から見つかった3種類の赤色系蛍光染料のうち、2種類は同じ色の旧来品と後発品で、後発品の方が流通量が少ないため、その製造元からたどる捜査が開始され、協力は得られたが流通先が膨大で10年前の販売記録はほとんど残っていなかったため、国内の化学会社や染料の卸業者などでの取り扱いの動向を調べている。被害者宅で染料が検出されたのは、車庫にある工具やカー用品などが入っていたとみられる木製棚の引き出しで、染料が付着していれば蛍光を示すライトで被害者宅や隣の親族宅が調べられたが、木製棚以外からは検出されていない(時事通信より)。
  • 12月19日 - 2階の居間に残されていたヒップバッグの中から、長さ数センチで色は黒い毛髪が見つかっていたことが分かった。毛髪のDNA型を鑑定したところ、現場に残された犯人のものと一致した。他、現場から無くなっていたとされる2000年正月に届いた被害者一家宛ての年賀状は、捜査員が聞き込み捜査のために翌日までに返す約束で持ち出し、そのまま返却されていなかったことが判明した。 犯人が被害者一家との接点を隠すために処分したとみられていたが、初期段階での捜査の混乱が浮き彫りになった(産経新聞より)。
  • 12月24日
    • 2階の居間のソファにクッションが置かれるなど犯人が仮眠を取った形跡が残されていることが分かった。被害者夫婦は几帳面な性格であり、そのまま放置したとは考えられにくいという。また、パソコンが短時間だけ使用された午前10時には向かいの家に宅配のトラックが来て被害者宅方へバックしていたといい、トラックの音で慌ててパソコンの電源を抜いた可能性も指摘されている。道路に面する窓のカーテンには外を見ようとしてめくり上げたとみられる形跡も残されていた。さらに、犯人は被害者宅でトイレを使用しており、残されていた大便からは野菜の胡麻和えが発見された。被害者一家のの内容物や食事とは異なっている(時事通信より)。
    • 現場から見つかった遺留品が事件当時、神奈川県厚木市内の小田急線本厚木駅周辺などで購入可能だったことが判明した。トレーナーは都内で販売が確認された店舗と同じ販売会社である厚木市内の店舗で3着が販売されていたことが判明(購入者は特定できていない)。他、柳刃包丁やヒップバッグ、帽子、ハンカチ、手袋などマフラー以外の物も本厚木駅付近の衣料品店や金物店で扱われていたことが判明した。また、同線の相模大野駅周辺ではトレーナーとマフラー以外の物が購入可能であった事も確認された。被害者宅から約1.8kmである同線の成城学園前駅から本厚木駅までは直通電車で約35分であるため、犯人の生活拠点が事件当時厚木市内であった可能性もあるとみて、本厚木(厚木市)、相模大野(相模原市南区)、登戸(川崎市多摩区)で20万枚のビラを配り情報提供を求めている(時事通信、毎日新聞、産経新聞より)。
  • 12月25日 - 被害者4人の発見時、全員顔に服や布団が掛けられるなどして顔が隠れた状態であり、犯人が見えないように隠した疑いがある事が判明した。顔を隠すのは犯人が顔見知りだった場合に多いことから、被害者の交友関係などを改めて捜査している。
    • 母親(当時41・2階踊り場で発見)の顔にはたんすから物色されたとみられる洋服がかぶせられていた。
    • 長女(当時8・2階踊り場で発見)は母親の脇でうずくまるように顔を下に向けていた。
    • 長男(当時6・2階寝室で発見)はベッド上で頭から布団が掛けられていた。
    • 父親(当時44・1階の階段付近で発見)は机の引き出しが乗せられていた。
他、室内に色彩の専門書があったことも判明した(時事通信より)。
  • 12月30日 - 捜査が難航する中、犯行の2か月前から販売され始めたジャンパーの中にわずか数ミリのヤナギの葉の破片が入っていた事を警視庁は重要視している。「バッコヤナギ」など数種類にまで限定して絞られたヤナギは、街路樹に多い「シダレヤナギ」とは違い主に水辺に生息している特徴があることから、多摩川に近い神奈川県の駅などでも捜査をしている(TBSより)。

2011年[編集]

  • 12月19日 - 犯人が現場に残していったものと同タイプのトレーナー(LサイズおよびMサイズ含む)全130着の販売店舗(14都道府県41店舗)が警察の捜査により2011年12月までに判明、このうち52着が静岡県、22着が長野県での販売となっている。また、130着のうち現在までに購入者が判明しているのは12着のみとなっている。販売数の4割を占める静岡県では、静岡市浜松市などの「M/X」、「マルフル」(共に現在は解散しているマルフル運営の系列店)の12店舗で販売されており、「M/X」では現場の遺留品と同デザインの帽子や手袋も販売、さらに静岡県の量販店などで現場の遺留品と同型の包丁やヒップバッグも販売されていた。このため、犯人が静岡県内で購入した可能性も視野に入れて、都内でトレーナーや帽子などの遺留品が販売されていたJR荻窪駅のほかJR静岡駅で初めてビラを配るなど情報提供を呼びかけている(毎日新聞 [9]、共同通信 [10]より)。
  • 12月29日
    • 汗などの付着物の鑑定により被害者宅のスリッパから犯人のDNA型が検出、現場に残されていた足跡からはスリッパの跡がないため、被害者と面識のある犯人が事件当日ではなく事前に被害者宅を訪れ、スリッパを使用した可能性があると見て捜査している。一方で、犯人は一家殺害後に被害者宅の冷蔵庫の中にあるものを食しながら長時間現場に留まるなど、通常では考えられない異常な行動も見られることから慎重に捜査を進めている(産経新聞[11]より)。
    • 犯人の遺留品であるトレーナーの胸付近に付着していた微量の染料二種類について、捜査関係者の話により新たな事実が判明している。染料は水に溶けるとピンク色に発色し繊維などの染色に使用されるもので、肉眼では付着は視認できず特殊なライトを当てることで確認できるものである。トレーナーには何度も洗濯した形跡があるが一方でこの染料には溶けた形跡がないため、染料が付着した後には洗濯が行われていない可能性が高い。このことから事件直前にトレーナーに染料が付着したものとみて、捜査本部では仕事や趣味などで染料を扱っていた人物に焦点を当てている(時事通信 [12]より)。

2012年[編集]

  • 12月20日 - 以下にはテレビ朝日系「スーパーJチャンネル」で報道された新情報をまとめる。
    • 事件当日に被害者宅の裏手の公園を散歩していた男性(事件後に海外転勤していたため帰国後に警察に証言)が、これまでの犯行推定時刻より1時間以上早い午後10時頃に被害者宅方から聞こえる夫婦喧嘩のような怒鳴り声(何かが破損するような音はなく言い合いのみ)を聞いている。一方、午後11時30分頃の「ドスンドスン」という大きな音については、近所の証言者がその後に自身の証言を否定しており、警察の検証でも聞こえなかったことから、音の発生の可能性が揺らいでいる。また、午後8時30分頃には遺族である隣家の親族が被害者宅のインターフォンの音が鳴ったのを聞いている。ただし、同居する家族が音について否定したため、この件に関する捜査は進んでおらず名乗り出た人物もいない。
    • 事件の被害者である母親が、「そんな電話は午後7時以降にして」と声を荒げている様子が事件以前に何度も目撃されている。
    • 犯人の侵入口については玄関の可能性も当初より指摘されているが、玄関からは被害者一家のものも含め足跡などがまったく発見されなかったことから、犯人が入念に消した可能性がある。
    • この他にも報道では、午後11時30分過ぎに被害者宅付近の路地から飛び出してきた男について、飛び出してきた路地が被害者宅の裏と公園の間にある細い路地であることも明かされている。この路地の先は犯人の脱出経路とみられる浴室窓の真下部分にもあたる。
  • 12月24日 - 犯人が被害者と顔見知りの可能性が指摘される最大の根拠として、犯人の遺留品(トレーナーやヒップバッグ)と犯人が事件当日に入った形跡のない被害者宅の車庫の双方に残されていた同一の蛍光染料が挙げられるが、車庫の染料については木製の収納具に収められていたわけではなく、車庫奥の(箱などが置かれた物置スペースで)横倒しになった棚の引き出しの底に「付着している程度」であったことが報道で明かされている。捜査本部の見解として、事件以前に被害者と犯人が車庫の暗闇で蛍光染料を確認し合った際、地面を汚さないために下敷きとして置かれた引き出しに染料の一部が付着した可能性が指摘されている(NHK「ニュースウオッチ9[6][13]より)。

捜査状況[編集]

報道ステーション(2006年12月25日放送)[編集]

テレビ朝日系「報道ステーション」によると、今年の春頃に番組関係者が警察の聞き込み捜査に協力していたという。その警察とのやり取りで新たに判明した情報は以下の通りである。

これまで警察は犯人が履いていた韓国製スニーカー「Slazenger」などから韓国を重点に捜査してきたが、最近になってもう一度、国内を重点に捜査している。事件発生当初(2001年1月下旬)から韓国に捜査員を派遣したが、指紋が一致する人物の情報はなかった。また、国内では入手不可能とされていた28センチのスニーカーは、個人輸入なら購入できることも分かった。

犯人が止血に殺菌性や吸収性が高い生理ナプキンを使用していたことから、ボーイスカウト経験者である可能性を視野に入れている。この止血方法は自衛隊などで教えられるものだという。

午前1時18分と午前10時の二度に渡り犯人がパソコンを操作しており、被害者宅で何かを探していたものと思われる。二度目にパソコンを操作していた時かその後に、隣に住む母親の実母が訪ねて来たため犯人は慌てて逃走した。犯行は計画的だったが、そのため多数の遺留品や指紋などを残すことになってしまったのではないか。

捜査員は以下の写真を持ち歩き聞き込み捜査をしている。「つり目で鼻は大きめな30歳前後の男」「東南アジア系の20代から30代の女」「どこにでもいそうな50代の女」「眼鏡をかけ小柄で細身の日本人以外のアジア系にも見える30歳前後の男」の4枚で、うち3枚目と4枚目は吉祥寺周辺で入手した。いろいろな情報を元に捜査範囲を杉並区にまで広げており、特に荻窪、吉祥寺周辺を重点に捜査している。

また、捜査を指揮する警視庁の捜査一課管理官は番組のインタビューで「男であれば全ての人物を視野に入れている」としており、「確実に犯人を追い詰めている。犯人からして見れば刑事の足音がたぶん聞こえているだろう」と事件解決に自信を見せている。

その後の詳細がはっきりしない情報[編集]

以下に列記するのは過去に報道されたが、現在の捜査状況が定かでない情報である。

  • 事件発生時刻前後に現場付近から京王線八幡山駅近くまでタクシーに乗車した3人組の男の座席シートに血痕が残っていた(毎日新聞2001年1月2日付)。
    ただし、後の報道で「現場で発見された犯人の血痕とタクシーのシートに付着していた血痕の照合を進める」(毎日新聞同年1月4日付)としており、照合した結果、犯人のものではなかった可能性も高い。また特別捜査本部による鑑定の結果、タクシーの座席に付着していた10円玉大の血痕と思われたものはチョコレートであったとする報道もある[14]
  • 事件発覚当日の31日に浅草駅発、東武日光駅午後5時26分着の快速電車に乗っていた30歳ぐらいの男が右手に骨が見えるほどの深い怪我を負っており、駅の事務室で治療を受けていた(2001年12月27日報道)。
    捜査員を栃木県日光市に派遣したのは事件からだいぶ経過した2001年10月に入ってからのことであり、有力な情報が得られず現在もその後の足取りがつかめていないことは、2006年末の週刊朝日の記事で触れられている(詳細は「週刊誌などの情報 (週刊朝日)」を参照)。
  • 事件から数日経って右手に怪我を負った男が病院で治療を受けていた。
    後に「事件から3日後、右手の親指と人さし指の間を切って都内の総合病院に訪れた22歳の男は捜査の結果、事件とは無関係だった」(2001年12月27日報道)という報道もあり、これは上述の「怪我を負って病院で治療を受けた男」のことを指しているものと思われる。さらに、22歳の男については「過去に被害者宅に出入りしたことがある」とも報道されている(2001年1月10日報道)。ただし、「同日にも警察が事情聴取を行い、犯人の血液型と照合する」とも同時に報じられており、事件と無関係なことが断定されたのはこの結果によるものと思われる。
  • 父親はインターネットのとあるサイトで固定ハンドルを名乗っていた。そこでの他者とのトラブルから事件が起きた可能性も視野に入れて捜査をしている。

その他の関連事実[編集]

  • 2006年5月12日 - 過去に成城署特別捜査本部で当事件の捜査活動をしていた警部補が、捜査報告書に自分や妻の指紋を添付して実際には面識のない住民数十人から指紋を採取したように装うなど虚偽報告をしていたことが明らかになった。
  • 2006年6月19日 - 事件の犯人を突き止めたと称する『世田谷一家殺人事件―侵入者たちの告白』(草思社)について、警視庁の捜査一課長が「内容は全般にわたり根本的に事実と異なる」と批判。侵入から殺害方法、犯人が自ら行った治療行為、パソコン操作、逃走方法、被害者の行動、遺留品、指紋についての記述など10項目が「ことごとく事実と異なり、誤解を生じさせ今後の捜査にも悪影響を与える懸念がある」と異例のコメントを発表した。この本の内容は多くのメディアからも厳しく批判された。本文中に被害者の母親の言葉が出てくるが、母親は著者の取材に応じていない(週刊朝日 2006年7月21日号)。そもそもの出版企画は、元週刊新潮記者の斉藤寅雷韻出版に持ち込んだもので、最初の原稿では「サバイバルナイフを使って玄関から侵入」と記述されており、基本的な事実関係すら間違っていた。雷韻出版社長が「殺害方法にリアリティがない」と指摘すると、後になって詳細を書き加えてきたため、出版を見送った(週刊アサヒ芸能 2006年7月20日号)。
  • 2010年6月24日 - 当該事件やその他の未解決事件の現場に中傷する張り紙や写真を貼り付けた男が軽犯罪法違反(はり札の禁止)の容疑で警視庁書類送検されていたことがわかった。男は当該事件の他にも「全国で15件ぐらいの事件現場に同様の行為をした」と供述している(同日付け朝日新聞)。
  • 2012年9月 - 世帯主の父親が肺炎のため入院先の病院にて84歳で亡くなった。
  • 2014年8月 - これまで保存されてきた事件現場の建物は、老朽化のために取り壊される見通しであることが関係者への取材で判明(TBS「NEWS23」 2014年8月18日放送)。

懸賞金[編集]

警視庁は2007年12月14日より当該事件を捜査特別報奨金制度(公的懸賞金制度)の対象事件に指定した。事件の解決、犯人の逮捕に結びつく有力情報の提供者に最大300万円の懸賞金が支払われる[15]。さらに、2010年12月16日以降は「事件の捜査に協力する会」により私的懸賞金最大700万円も支払われることから、懸賞金は合計最大1000万円となっている。

なお、捜査特別報奨金制度の適用期限は1年単位での更新となっており、2008年12月までの期限以降、毎年延長されている。詳細は「警視庁特捜本部のサイト」を参照。

事件の影響[編集]

通報装置

この事件は在宅中の一家全員を殺害するという残虐な手口から世間の注目を集め、当事件の周辺地域に限らず各家庭の防犯意識を高めた。

また、この事件を機に世田谷区成城署が街の防犯カメラや緊急時に警察へ通報できるスーパー防犯灯(緊急通報装置)の設置を促進した。特に防犯カメラは窃盗事件が減少するなどの効果が得られ、実際に事件の解決にも結びついている。

遺族会の結成と公訴時効廃止議論[編集]

当事件の遺族は別の事件の遺族らと連携して殺人事件に関する公訴時効の停止・廃止を目標に、2009年2月28日、「殺人事件被害者遺族の会、通称宙の会(そらのかい)」[7]を結成した。2010年4月27日には、殺人罪強盗殺人罪など法定上限が死刑に当たる罪の公訴時効廃止などを盛り込んだ改正刑事訴訟法刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律(平成22年法律第26号))が成立・施行し、同団体の主な目的が達成された。当事件を含め、施行時に公訴時効が完成していない過去の事件にも適用される。

改正法施行までの経緯[編集]

宙の会のほかにも、2008年11月、全国犯罪被害者の会(あすの会)も殺人や強盗殺人など重大事件における時効廃止を求める決議を行うなど、事件の遺族による「時効停止・廃止」を訴える声、世論の関心も高まってきていた。

これに対して法務省は、2009年5月には裁判員制度が始まるのを受け、時効制度においても国民の視点で分かりやすく提示する必要があることも理由にして、殺人や強盗殺人など重大事件に限り、公訴時効の期間延長(数十年単位)や廃止、遺族の訴えで時効の進行を停止できる制度の設置なども視野に入れて、勉強会を開き検討していくと2009年1月に表明した。

2010年3月12日、殺人罪や強盗殺人罪など法定上限が死刑に当たる罪の公訴時効廃止などを盛り込んだ刑事訴訟法改正案が政府閣議決定。4月27日には同改正案が可決成立し、即日施行された(施行までの経緯の詳細は「公訴時効#公訴時効停止・廃止議論」も参照)。

宙の会がしていたその他の主張[編集]

公訴時効の停止・廃止のほかに、飛躍的に向上したDNA鑑定技術によりほぼ100%個人を特定できる(他人を犯人と誤る確率は非常に低い)ことから、犯人のDNAが特定されている事件の場合、DNAに人格を与え起訴(DNA起訴)できるように刑事訴訟法などの制度改正も訴えていた。これは、公訴時効が廃止された場合でも、法律改正以前の事件には適用されない可能性があったためである。

公訴時効に関する日本国外の状況[編集]

アメリカでは殺人罪(特に悪意の謀殺である第一級謀殺)の公訴時効は存在しない。また、DNA起訴はジョン・ドウ起訴(JD起訴)と呼ばれ、公訴時効がある性犯罪などに導入されており、起訴された場合は公訴時効が停止する。

イギリスはアメリカと同様に殺人罪における公訴時効は存在しない。フランスでは捜査終了後10年で公訴時効が成立するが、集団虐殺など人道に対する犯罪について、ドイツでは謀殺罪(計画的殺人)についてそれぞれ公訴時効を停止している。

犯人のプロファイリング[編集]

この事件の際には、現場に捜査員がかけつけたときすでに容疑者は逃走をはかったあとだったため、すぐさま科学捜査研究所が動き出すこととなった。プロファイラーの犯人像推定によれば以下のプロファイリング結果が挙げられていた。しかし発生から数年を経た現在も捜査に進展は見られておらず、プロファイリング結果を疑問視する声も上がっている。

  • 被疑者は10代から20代中頃、長髪犯罪嗜好癖あり。
  • 逃亡はおそらく幼稚なもので国際的に逃げたという可能性は低い。
  • いまだ国内に潜伏しているか自己の犯罪達成を完結させるため自殺した可能性あり。
  • 出身は北部近辺で、現場周辺に土地鑑がない男。
  • 残忍かつ冷酷だが目的意識はさほどなく、金銭目的というより犯罪嗜好概念による動機が強い。

週刊誌などの情報[編集]

この事件は重大な未解決事件の一つであるので、週刊誌などではさまざまな情報が錯綜している。ここでは新聞やテレビのニュースなどの大手メディアでは報じられていない週刊誌などの情報を記していく。しかし、これらの情報の信憑性は定かではなく疑問点が多いものも少なくない。

新潮45[編集]

侵入方法についてはシリンダーに細かな傷が付いていたことから、特殊なナイフで解錠して玄関から被害者宅に侵入している。また、犯人がラテックスゴムという軍隊などで使われる特殊な止血剤や、麻酔作用のあるベンゼドリンを使用していた(一橋文哉2002年1月号)。警察の鑑識OBに依頼したところ、ソウル在住の韓国人男性の指紋と、現場に残されていた犯人の指紋が合致した。韓国では全国民に指紋の登録が義務付けられている。日本の警察は韓国人の指紋と照合して誰とも一致しなかったとしているが、実際には日本からの捜査協力が韓国政府に拒否されている(一橋文哉2002年1月号)。なお、この記事が掲載されて以後、警視庁の情報公開により犯人が「韓国で育った人間」ということは否定されている。だが、そのことも最近になって判明したとのことで捜査協力拒否の真偽は定かになっていない。

週刊文春[編集]

被害者宅のポストにセンサーがあり、人が通ると防犯用ライトがつく。また、新聞配達員が31日早朝に新聞の朝刊を配達したときには玄関の電気は消えていた。一方で、被害者母親の実母が現場を訪れたときには電気がついていた(2001年1月25日号)。玄関の扉の鍵はMIWA製の特殊なもので、鍵穴がドア上部とノブに2つあり、1つの鍵で両方とも開けられる仕組みとなっている。ドアチェーンもある(2001年3月8日号)。

事件発生数カ月前の2000年8月と10月の二度に渡り、「アオキノブオ」という名前で埼玉県の調査事務所に被害者一家の身辺調査の依頼があり、依頼主は調査事務所から被害者宅の住所、被害者夫妻の住民票本籍なし)を受け取った。本籍の記載もある住民票の取得依頼もあったが、連絡が途絶えたため調査はされなかった(2002年1月24日号、1月31日号)。

父親の死因は心臓・大動脈損傷による失血死。長女は生前に硬膜下出血と外傷性クモ膜下出血を起こしていた可能性がある(2003年5月1日、1月8日号)。

2009年1月1日・8日新年特大号

以下の新事実と共に、初動捜査終了後の第一期捜査期間の混乱と現在も尾を引く影響、捜査指揮体系の問題、指紋捜査に執着する弊害、女性被害者に対する犯人の残忍な手口を取り上げている。

  • 推定犯行時刻直後(30日午後11時半すぎ)、車を運転していた目撃者が被害者宅付近の路地から飛び出してきた若い男を目撃。それから1年後、偶然に成田空港でこの若い男に似た男とすれ違い、特別捜査本部に連絡したが真面目に取り合ってもらえなかった。
  • 侵入口は2階の浴室とされるが、出入りしたはずの浴室の小窓から繊維痕がまったく検出されていない。また、靴の跡(足跡)も浴室からは発見されておらず、廊下からいきなり始まっている。さらに、現在は否定されているが、初期には侵入口候補の一つと見られていた玄関は、発覚時に駆けつけた警察や救急隊員によって、踏み荒らされてしまっていた。
  • 現場に残された犯人血液DNAから、犯人は「ヨーロッパアドリア海沿岸民族の母系遺伝子を持つ人物」であることが判明しているが、第一線の本部員や多くの捜査員らには知らされておらず、本部の一部にしか情報が行き届いていない。日本国外に犯人がいる場合、国内で行う捜査の意味がなくなってしまうので、「外国人犯行説には強い拒否感」があるためである。ICPOを通じ、日本国外の捜査機関指紋照合などの捜査協力を求めているが事件の進展にはあまり期待は持てず、そのため、韓国人犯行説についても特別捜査本部の幹部らは強い関心を寄せていない。
  • また、バッグから「アメリカの砂」と酷似した砂が発見されており、特別捜査本部の幹部が2007年から2008年にかけて数回極秘に渡米しているが、捜査が終了しているにもかかわらずこちらの結果も第一線の本部員らには通達されていないままである。
  • 軍隊経験者や犯罪グループの犯行という線は現在は完全に否定されている。
  • 長男や父親はすぐに殺害されているが、女性被害者である母親や長女はすぐには致命傷を与えず、包丁で顔面をえぐるなど何度も切り裂いている。その後、犯人は一度その場を離れ台所にあった別の包丁を手に取り、重傷を負いながらも娘の治療を行う母親を目にして再び2人に襲いかかり殺害した。

週刊ポスト[編集]

現場で発見されている砂やテニスシューズなどから犯人は韓国やアメリカと接点がある人物の可能性が高い。被害者夫婦が入会していた自己啓発セミナーのような組織の本部がアメリカにあり、日本と同じような支部が韓国にもある。その組織が事件に関係している可能性がある(2004年10月1日号)。

FLASH[編集]

アメリカでFBI強盗容疑で逮捕された韓国人の供述により、事件を指揮したアメリカアメリカ人の男が判明。男は別の強盗事件で5000ドルの懸賞金が懸けられ、指名手配されている。また、男は事件の実行犯らが事件の翌日には日本を離れたと周囲に話しているが、この男ならその出国先も知っているはずである。日本警察にもこれらの情報はFBIから直接渡っている。被害者との接点について、男は事件前にアメリカに本社があるヘッドハンティング会社の東京支店に勤めており、被害者はその会社に転職希望者として登録をしていた。そこで、被害者宅の情報や経済状態などを知り、犯行に及んだのではないか(2006年8月1日号)。

週刊朝日[編集]

週刊朝日(2007年1月5日・12日合併号)によると、新事実として以下の事柄を挙げている。

  • 近所の住人が犯行時刻前後の午後11時30分ごろに聞いた「ドスンドスン」という大きな音は、犯人が2階踊り場にあったロフト(屋根裏部屋)へのハシゴを上げた音。
  • 犯人が被害者宅のパソコンで閲覧したのは1度目(午前1時18分頃)が劇団四季のサイトなどで、逃走直前の二度目(午前10時頃)が被害者主人の会社のサイトなど。
  • 被害者宅のバンドエイド缶から犯人の指紋や血液が採取されたが、警視庁の指紋自動識別システムで1000万人以上のデータと指紋照合を行ったが該当者は出ず。産経新聞の既報どおり、犯人の血液からDNAの人類学的解析で民族の鑑定は行われたが、現場に残されていた血液状態がよくなかったため失敗に終わった。産経新聞は鑑定作業に昔関わっていた研究者からの仮説情報をそのまま科学的根拠があるかのように報じてしまった。
  • 警察は事件発生時刻直後の30日午後11時35分から11時40分頃に現場付近から走り去った男の情報に囚われるあまり、後にパソコンの通信記録から翌朝逃走したことが判明した犯人の目撃情報などを十分に捜査できず、初動捜査で大きなミスをしてしまった。31日午後5時20分すぎに東武日光駅で、右手に深い怪我を負って駅の事務室で治療を受けていた30代の男についても、捜査員を派遣したのが1年後で有力な情報を得られず、現在も行方はわからないままである。
  • 事件現場から1.5キロ離れた小田急線成城学園前駅近くで、事件前日の29日午後3時ごろ目撃された犯人の服装とよく似た若い男は、実は事件直前の30日午後9時頃にも被害者宅付近で目撃されている。

インターネットの書き込み[編集]

  • 匿名掲示板2ちゃんねるのペット大嫌い板(現生き物苦手板)で、2000年12月27日の午後5時3分頃、当該事件の犯行予告ではないかと思わせるような書き込みがあった[16]
  • また、その他にも犯行前後の2000年12月26日および翌年1月4日において「主犯」と「実行犯」がネットで連絡していたのではないかと騒がれた書き込みもあった(それぞれ「J9」「H」と名乗っていた)[17]

関連書籍[編集]

  • 入江杏『ずっと つながってるよ―こぐまのミシュカのおはなし』 - 長女と長男の遊び友達だったぬいぐるみ「こぐまのミシュカ」を主人公にした作品。(ISBN 4-7743-1159-6
  • 入江杏『この悲しみの意味を知ることができるなら―世田谷事件・喪失と再生の物語』(ISBN 978-4393364949
  • 登道烈山『世田谷一家四人惨殺事件―二〇〇X年一月十八日真犯人遂に逮捕 真相・犯人逮捕へのカギはこれだ!!』(ISBN 978-4434070600
  • 斉藤寅『世田谷一家殺人事件―侵入者たちの告白』 - 独自ルートの取材などにより、事件の真相を解き明かすとされる本。警視庁捜査1課の光真章課長は「内容がことごとく事実と異なっており、捜査に悪影響を及ぼす」などとする異例のコメントを発表した。(ISBN 4-7942-1502-9
  • 山元泰生『世田谷一家殺人事件の真実』(ISBN 978-4861671678
  • 竜崎晃『Kの推理 世田谷一家殺人事件 上智大生殺人放火事件』(ISBN 978-4286075938

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ ISOGG 2014年版の表記に基づく。原文では2002年の表記に基づく「O3e* (O-M134)」(O3eスター型)である。
  2. ^ ただし、警視庁特捜本部のサイトでは、一日も早い事件の解決を願い、このトレーナーを当時販売していた会社の厚意と協力で、該当する4店舗の店名を公表している。

出典[編集]

  1. ^ a b 「世田谷一家殺害事件から丸9年」 犯人は南欧系混血か DNA型鑑定 犯人像と矛盾せず(産経新聞 2009年12月30日付/多摩湖畔日誌 2009年12月30日より)
  2. ^ 週刊朝日 談「世田谷一家殺害事件」
  3. ^ 世田谷一家殺害:現場の住宅3D模型…捜査に活用 警視庁(毎日新聞 2013年12月18日付(2013年12月19日閲覧)/内部の様子ウェブ魚拓によるキャッシュ(2013年12月19日)))
  4. ^ 忘れない:世田谷一家4人殺害事件から13年 宮沢さん宅を3D模型化(毎日新聞 2013年12月18日付(2013年12月23日閲覧、ウェブ魚拓によるキャッシュ(2013年12月23日)))
  5. ^ MSN産経ニュース 2010.12.20【世田谷一家殺害】遺留品から短い毛髪 年賀状は捜査員が保管…混乱ぶり浮き彫り
  6. ^ a b 世田谷一家殺害 新たな犯人像(NHK「ニュースウォッチ9」 特集まるごと(テキスト&画像)/2012年12月24日放送分)
  7. ^ 警視庁成城警察署:上祖師谷4丁目仙川沿いで発見されたお地蔵様に関する製造・輸入・販売情報を求めています! (PDF)
  8. ^ 忘れない:「未解決」を歩く 世田谷一家殺害12年 遺族、今なお「なぜ」毎日新聞 2012年12月30日東京朝刊)
  9. ^ 世田谷一家殺害:遺留品のトレーナー 販売店舗すべて判明(毎日新聞 2011年12月20日)
  10. ^ 遺留トレーナー4割が静岡で販売 東京・世田谷の一家殺害(47NEWS/共同通信 2011年12月19日)
  11. ^ スリッパに犯人DNA型 事件前、被害者と接触か 世田谷一家殺害11年(MSN産経ニュース 2011年12月29日)
  12. ^ トレーナー染料、直前に付着か=付いた後に洗濯の形跡なし-世田谷一家殺害11年(時事通信 2011年12月29日/朝日新聞配信記事
  13. ^ 世田谷一家殺害 新たな犯人像(NHK「ニュースウオッチ9」 ピックアップ)
  14. ^ 世田谷一家惨殺、捜査難航の重大懸念 事件発生から1カ月(2001年1月報道(詳細報道日時・媒体不明)/世田谷事件の各種報道記事ファイル「資料庫」より)
  15. ^ 捜査特別報奨金制度の実施:上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件(警視庁)
  16. ^ 2典Plus「黒ムツ」、書き込み元のスレッド『妄想不可★本物の虐待体験のみを語ろう!』の170番
  17. ^ 世田谷一家惨殺事件 掲示板に不審書き込み(Conspiracy Watch)、 「主犯」と「実行犯」ネットで連絡か 世田谷一家惨殺事件(阿修羅, 東京スポーツ 2001年2月28日付より)、書き込み元のスレッド『純愛陵辱 AVG「夜想文化祭」』の31・33番(事件前の2000年12月26日)および40・41番(事件後の2001年1月4日)にその形跡が残されている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]