リズム・アンド・ブルース

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リズム・アンド・ブルース
様式的起源 ジャズ
ブルース
ゴスペル
文化的起源 1940-1950年代(アメリカ合衆国)
使用楽器 ドラムセットベース・ギターサクソフォーントランペットトロンボーンピアノオルガンエレクトリック・ギター
派生ジャンル ファンクスカソウルロックンロールレゲエロック・ステディヒップホップ
サブジャンル
コンテンポラリー・R&B
融合ジャンル
アーバン・コンテンポラリー
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リズム・アンド・ブルース: rhythm and blues[注 1]は、音楽のジャンルである。略称はR&B(アール・アンド・ビー)、またはRnB

リズムビートに乗りながら、ブルースゴスペルに影響された歌を、叫ぶように歌うのが特徴。ロックンロールなどのジャンルにも影響を与えた[1]第二次世界大戦後、ニューヨークデトロイトシカゴメンフィフィラデルフィアニューオリンズのような都市でジャズブルースゴスペルなどが混ざり合い、誕生した[2]

概要

戦前にすでに存在した黒人音楽と関係の深いジャンルには、ラグタイム、ブルース、ジャズ、スウィング、ジャイブなどがあった。R&Bは戦前には、まだジャンルとしては確立されていなかったが、ビルボード誌上では1943年ごろには、早くも記事の中にリズム&ブルースの記述が見られた。正式に音楽ジャンル名としてビルボードが使用したのは、1947年ビルボード誌ジェリー・ウェクスラー[3]の提案によるものである[4]。ウェクスラーが名付けるまでは、アフリカ系アメリカ人の音楽を「レイス・ミュージック」と呼び、ビルボード誌でも順位をレイス・ミュージック・チャートとして発表していた。しかし1947年に、もうこういう名前で呼ぶ時代ではないだろう、という議論がビルボード誌編集部内でおこなわれた。後日ウェクスラーが「リズム・アンド・ブルースはどうか」と提案した事から、これが採用されている。

ロックンロールは白人のカントリーと黒人のブルースの融合から、1954年か55年ごろに生まれたとされているが、R&Bの影響も大きかった。その後、リズム・アンド・ブルースは、1960年代にはソウルミュージックとも呼ばれるようになる。当時、両ジャンルに明確な区別をつけるのは難しかった。

1960年代のアメリカでは公民権運動による黒人たちの地位向上と共に、彼らのアイデンティティを高揚し、アフリカンアメリカンとしてのルーツを誇示する傾向があらわれた。ソウル/R&Bは彼らの音楽であるだけでなく、もっと幅広い黒人生活全般を示すキーワードにもなった。

詳細

Motownは、1960年にスモーキー・ロビンソン&ミラクルズの "Shop Around"をヒットさせた。また南部では1961年にカーラ・トーマスの "Gee Whiz!がヒットした Staxレコードの次のメジャーヒットであるThe Mar-Keysの "Last Night"(1961年にリリース)によりメンフィスの純粋な南部サウンドをリリースするスタックス・レコードが知名度をあげた[5]。 ジャマイカでは、R&Bがスカの発展に影響を与えた。R&B界には、サム・クックジェームス・ブラウンアレサ・フランクリンオーティス・レディング[注 2]らの大スターが誕生した。1970年代にはストリングスを使用したフィリー・ソウルも登場した。フィリー・ソウルの代表的なミュージシャンには、オージェイズハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツビリー・ポールらがいた。北部・東部のソウルだけでなく、1970年代にはアル・グリーンを擁したハイ・レコード[注 3]のような南部のレーベルも活発に活動していた。

R&Bインスト

歌唱なしのR&Bインストルメンタルの音楽家には、ビル・ドゲットブッカーT&MGsキング・カーティスや、ジュニア・ウォーカー&オール・スターズ[6]らがいた。他にもザ・JBズ、ハイ・リズム、マーキーズフェイム・ギャングマッスルショールズ・リズム・セクションらも活躍した。ジュニア・ウォーカーのヒット曲には一部ヴォーカルも入っているが、フォリナーの曲をカバーした「アージェント」などは、完全にインスト曲になっている。

ホワイトR&B

1960年代にリズム・アンド・ブルースはヨーロッパにも渡り、流行に敏感な若者たちの一部を虜にし、やがて彼らは自らリズム・アンド・ブルースを演奏するようになった。ヴァン・モリソンゼムや、スティーヴ・ウィンウッドスペンサー・デイヴィス・グループアニマルズらはR&Bを演奏し、レコードを発表した。こうして、リズム・アンド・ブルースは米国から世界へと広がっていった。

和製R&B

日本でも1960年代には内田正人キングトーンズ[7]和田アキ子ザ・ボルテージ桜井ユタカが歌唱指導)、安田明とビートフォークらが和製R&Bとして登場した。1970年以降は、大橋純子宮本典子(mimi)シャネルズ/ラッツ&スター鈴木雅之鈴木聖美ジョー山中らが日本人のR&Bを継承していった。またジョー山中は、アフロアメリカンと日本人のハーフの歌手だった。その後、1980年代から1990年代には久保田利伸バブルガム・ブラザーズがヒット曲を発表した。 1991年CHARA「Heaven」、1996年UA情熱 (UAの曲)」、1996年久保田利伸ナオミ・キャンベルLA・LA・LA LOVE SONG」、1998年MISIAつつみ込むように…」、1999年bird「SOULS」等、1990年代に大流行期を迎える。2000年代は平井堅倖田來未等がヒットした。 1999年3月、宇多田ヒカルのアルバム『First Love』を発売、日本で860万枚以上、日本国外を含めると990万枚以上を出荷し、日本のアルバム歴代チャート1位に輝く、この記録は現在まで破られていない。

1980年代以降

やがてリズム・アンド・ブルースはより洗練された方向に発展していき、1980年代以降はブラック・コンテンポラリー(ブラコン)と呼ばれることもあった。代表的な歌手にはフレディ・ジャクソン[注 4]らがいたが、本来のR&Bの名にふさわしいのは、グレン・ジョーンズのような「ゴスペル・ルーツ」の歌手である。1990年代以降は、ソウルがブルース的位置づけで分離され、当時の若手のガイやジョディシィ、メアリー・J. ブライジなどがリズム・アンド・ブルース (R&B) と呼ばれるようになった。呼称は1960年代と同じであるものの、ヴォーカルやサウンドが洗練され、大きく変化してしまっている。 1950〜1970年代の黒人音楽を聴いてきた層にとっては、現在の「リズム・アンド・ブルース (R&B)」と呼ばれる音楽に違和感を覚える者も多い。

サブ・ジャンル

脚注

注釈

  1. ^ 英語の発音に忠実に発音すれば、リズム・アンド・ブルーズとなる[要出典]
  2. ^ 飛行機事故で死亡後に「ドック・オブ・ザ・ベイ」がヒット。
  3. ^ ウィリー・ミッチェルが所有したレーベル。
  4. ^ 1985年に「ロック・ミー・トゥナイト」がポップ、ソウル両チャートでヒット。

出典

  1. ^ 松村明『大辞林』三省堂
  2. ^ [1] - Encyclopedia.com
  3. ^ Weber, Bruce (August 15, 2008). "Jerry Wexler, a Behind-the-Scenes Force in Black Music, Is Dead at 91". The New York Times. Retrieved July 27, 2019. "Jerry Wexler, who as a reporter for Billboard magazine in the late 1940s christened black popular music with the name 'rhythm and blues,' and who as a record producer helped lead the genre to mainstream popularity, propelling the careers of Ray Charles, Wilson Pickett, Aretha Franklin and other performers, died on Friday at his home in Sarasota, Fla. He was 91."
  4. ^ Sacks,Leo(Aug. 29, 1993). "The Soul of Jerry Wexler". New York Times. Retrieved on Jan. 11, 2007.
  5. ^ Mar-Keys – Last Night – Billboard Top 100 – 1961 – Top Billboard – mp3 song hits download full albums in mp3”. Mp3fiesta.com. 2019年12月11日閲覧。
  6. ^ Junior Walker”. AllMusic. 2020年8月8日閲覧。
  7. ^ http://www.billboard-japan.com/goods/detail/567266

関連項目