川﨑宗則
シアトル・マリナーズ #61 | |
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2012年5月25日、セーフコ・フィールドにて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県姶良郡姶良町(現:姶良市) |
生年月日 | 1981年6月3日(42歳) |
身長 体重 |
5' 10" =約177.8 cm 165 lb =約74.8 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 遊撃手、二塁手、三塁手 |
プロ入り | 1999年 ドラフト4位 |
初出場 |
NPB / 2001年10月3日 MLB / 2012年4月7日 |
年俸 | $ 625,000(2012年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
五輪 | 2008年 |
WBC | 2006年、2009年 |
この表について
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川﨑 宗則(かわさき むねのり、1981年6月3日 - )は、シアトル・マリナーズに所属するプロ野球選手(内野手)。愛称は「ムネリン」。
経歴
プロ入り前
鹿児島県姶良市出身。実家は父が開業したという電気工務店「川崎電気工事」で、自身も高校時代に電気工事士の資格を取得している。兄の影響で野球を始め、小学生から高校生まで一貫して遊撃手だった。元々右打ちだったが中学時代にイチローの影響で左打ちに変える。鹿児島県立鹿児島工業高等学校では甲子園出場は無く、全国的には無名だったが、50m走5秒8の俊足で左打ち・安打数の多さから「サツロー(薩摩のイチロー)」と呼ばれた。
1999年のドラフト会議において、福岡ダイエーホークスに4位指名され、入団。背番号は52。
ダイエー・ソフトバンク時代
2000年の新人時代から二軍で遊撃手のレギュラーに定着し、ウエスタン・リーグ5位(チームトップ)の打率.300を記録。2001年はウエスタン・リーグ2位の29盗塁を記録し、同年10月3日に一軍初出場。2002年には規定打席不足ながら打率.367を残し、認定でウエスタン・リーグの首位打者になり、9月には井口資仁の離脱で二塁手として起用された。第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出。
2003年は鳥越裕介の故障によって2番・遊撃手で初の開幕スタメン出場。鳥越の復帰後は小久保裕紀の長期離脱で空いた三塁手にまわり、1番・村松有人・3番・井口とともに盗塁を量産、足でダイハード打線に貢献した。初の規定打席到達で打率.294・2本塁打・51打点・30盗塁の好成績を残し、チームのリーグ優勝・日本一に貢献。
2004年からは遊撃手のレギュラーに定着し、全試合フルイニング出場と打率3割を記録。最多安打(171本、三冠王を達成した松中信彦と同数)・盗塁王(42個)・ベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得。同年から盗塁数と同数の車椅子を寄贈する[1]「走れ!川崎プロジェクト」を立ち上げ、2006年末に吉武真太郎・吉本亮・山崎勝己・井手正太郎をメンバーに、自身がオーナーを務めて軟式野球チーム「宗rin's」を作って小・中学生と交流するなど、積極的にメセナ活動も行っている。
2006年は2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され、遊撃手として優勝に貢献。決勝戦(対キューバ戦)では、1点差に迫られた9回表にイチローの安打で二塁から生還。その際、アリエル・ペスタノのブロックの僅かな隙間から右手をねじ込んで生還し、「神の右手」として話題になったが、このプレーで右肘を負傷。シーズン復帰は4月中旬までずれ込んだ。シーズンでは2年ぶりの打率3割を記録し、2度目となるベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得。同年、鹿児島工業高校が全国高等学校野球選手権大会に初出場した際、紫の刺繍で校名を縫い取ったスポーツバックを贈った(同校はベスト4に進出)。同年春、川崎は自主トレーニングでこの母校の野球部の後輩たちと一緒に練習を行なった(公式HPの日記より)。
2007年は2度の長期離脱を影響を受けて95試合の出場に留まり、規定打席に到達しなかった。しかし、巧みな打撃技術に磨きがかかって打率.329を記録し、チームの得点源になったほか、満塁時には中軸と肩を並べる活躍を見せた。
2008年はセ・パ交流戦で最多安打(37安打)・打率.366を記録。ソフトバンクの交流戦初優勝に貢献し、野手としては初の交流戦MVPに選出された。8月の北京オリンピック野球日本代表に選出されたが、シーズン中から痛めていた左足の怪我を押して出場したため骨膜炎を発症。帰国後、左足第二中足骨の疲労骨折が判明。王貞治の監督最終試合であるシーズン最終戦(対東北楽天ゴールデンイーグルス戦)で復帰した。
2009年は2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され、三塁手として5試合に出場。準決勝(対アメリカ戦)では9番・三塁手で先発出場し、2安打1打点1盗塁と勝利に貢献した。シーズンではリーグ2位で自己最多の44盗塁、犠打は球団記録を塗り替える43個をマークしたが、打率.259(自己ワースト)に終わった。
2010年は選手会長に就任。3月27日の対オリックス・バファローズ戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)で通算1000安打を達成し、3月31日から4月23日まで22試合連続安打を打って自己記録を更新、プロ入り11年目で初の月間MVPを獲得した。9月25日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で1000試合出場を達成。ダルビッシュ有から内野安打放って188安打とし、広瀬叔功が記録したシーズン187安打を抜く球団新記録を達成し、190安打まで記録を伸ばした。このシーズンのダルビッシュとの対戦成績は19打数10安打打率.526と相性が良かった。2004年以来6年ぶりの全試合出場を果たし、チームのリーグ優勝に貢献したが、クライマックスシリーズ第2戦以降は21打席連続無安打と不振に陥り、日本シリーズ進出はならなかった[2]。オフでは11月5日に右肘関節遊離軟骨除去手術を受けた[3]ほか、出身地の姶良市から「あいらふるさと大使」に任命された[4]。同年、家畜伝染病・口蹄疫の被害を受けている宮崎県に義援金として100万円を寄付した。[5]。
2011年8月22日に福岡市内在住の一般女性と婚約したことを発表[6]。シーズンでは本多雄一・松田宣浩と共にフルイニング出場を達成、同一球団から3人がこの記録を達成するのは2リーグ制以後では初の快挙となった[7]。シーズン前半は安打・出塁・盗塁ともに前年までの実績に比べ少なく1番打者として物足りなさも感じさせたが、シーズン後半には出塁・盗塁を増やし巻き返した。2011年レギュラーシーズンにおいてソフトバンクは3番内川聖一が先制打を放った試合は14勝3敗2分け、勝率.824[8]と圧倒的な有利さを示しており、これは内川の勝負強さもさることながら、1番川崎が出塁して2番本多が確実に犠牲バントで送る、あるいは2番本多が出塁して2盗するといったスタイルで、内川の前にランナーとして2塁まで進んでいたことがいかに多かったかも示す。本多がリーグトップの53犠打を記録できたのも、川崎の出塁あってこそであった。クライマックス・シリーズの西武戦では初打席で帆足和幸から2塁打を放つなど12打数5安打打率.417と結果を残しチームのCS突破に貢献した[9]。12月1日には海外FA権を行使し、トニー・アタナシオを代理人としてメジャー挑戦を目指すことを表明[10]。
マリナーズ時代
2012年1月5日、シアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだと明らかにした[11]。日本凱旋試合直前までのスプリングトレーニングには招待選手として参加し打率.387をマーク。3月6日の試合ではイチローと共に先発出場し、試合後には「きょうは僕の記念日。(初めて)イチローさんとバッティング練習から一緒だった。テンション上がります」とコメントした[12]。26日には日本での開幕戦特別規則となるメジャー28人枠に昇格[13]。日本での開幕戦2試合では出場機会がなかったものの、その後のスプリングトレーニングでも好調を維持し、最終的に参加選手中最高となる打率.455、OPS1.012を記録し、本土開幕メジャー入りを果たす[14]。
4月7日のオークランド・アスレチックス戦で9番・遊撃手としてメジャーデビュー。初打席は遊ゴロに終わったものの、2打席目にバートロ・コローンからメジャー初安打初打点を記録。試合後には「今日は絶対忘れられない日になる。(打った直後にベンチにいた)イチローさんから声が聞こえた。はっきり分からなかったが“いいぞ!”だったと思う。それが一番だったかもしれない」とコメントした[15]。30日に正捕手のミゲル・オリボが故障者リスト入りした際には、監督のエリック・ウェッジの「打撃好調なヘスス・モンテロとジョン・ジェイソの2人を常時起用したい」という意向もあり、5月3日には三塁コーチのジェフ・ダッツから緊急時の捕手としての指導を受けた[16]。
選手としての特徴
元気溌剌なプレーでムードメーカーとしてもチームに貢献し、投手が打ち込まれた際などには自らタイムを取って声をかけに行く光景などがよく見られる[17]。
打撃面では典型的な早打ちで、三振が少ない一方で四球も少なく、日本での通算IsoD.051と打率と出塁率の差が小さい。特に2008年は四球数16でIsoDは僅か.029であった。2009年には自己最多に迫る四球数47を記録したが、三振数は自己ワーストの90だった。一方でバットスピードとコンタクト能力はメジャーのスカウトからも高い評価を得ており[18]、2010年には両リーグトップとなる546個のファールを記録した[19]。
走塁では力を抜いて走ることがほとんどなく[20]、一塁到達3.83秒[21]、バント時には3.74秒をマークする脚力を誇る[22]。2006年にはベースボール・アメリカ誌で「最高の走者」に選ばれるなど、走塁面は海外からも高い評価を得ている[23]。
守備では主に遊撃手として起用されるが、二塁手・三塁手としても出場経験がある。遊撃守備では超一流と評されるグラブ捌きを持ち味とし[20]、ホークス時代は本多雄一と共に強力な二遊間を形成していた。一方で、2010年には守備イニング1000以上の遊撃手でワーストとなるRF4.21をマークしたほか[24]、UZRで両リーグワースト4位の-1.4[25]、得点換算でもリーグの遊撃手中ワースト2位をマークするなど守備範囲はやや狭い[26]。
人物
イチローの大ファンとして知られている。背番号52には強いこだわりを持っており、2000年の入団以来、契約更改などで何度も背番号変更を打診されているが断り続け、WBCでも52を付けた。これはイチロー本人から「(川崎は)イチローマニアですね」と言われるほどの大ファンであるためで、「イチロー(51)の一つ後の番号」という思い入れから。
2011年オフに海外FA権を行使してのメジャー挑戦を表明した際にも「イチロー選手と同じチームを希望しています」と語り[28]、マリナーズとの契約後、背番号52は既にジョージ・シェリルが使用していたため61をつけることになったが、「逆から読めばイチロー。素晴らしい番号をいただいた」とコメントした[29]。
プロ野球解説者の槙原寛己とのインタビューにおいて槙原が冗談交じりに「(イチローの家に)一緒に住んでるんじゃないんだ?」と発言した際には「住んでいいっすか?」と返し[30]、2012年のスプリングトレーニングでのフリー打撃において5本の柵越えを放った際には「ずっとイチローさんと一緒だったから、テンション上がりますよね」と語り、「イチローのパワーをもらった」と大声で叫んだり[31]、二塁への飛球処理練習で誰もいない右翼を指さして「イチロー、ゲットアウト、マイウェイ」とイチローがいるかのように叫ぶ一面を見せたことがある[32]。開幕メジャー入りを決めた際の練習後には、川﨑とイチローの2ショット写真入りTシャツを着た姿を報道陣に披露している[33]。また、移動時に使っているショルダーバッグにはイチローの出身高の「愛工大名電」をもじった「愛工大名店」という文字が刺繍されているという[34]。
こうした川﨑のイチローに対する一連の行動に対し、一部のファンからは「尊敬していると言うよりはもはやストーカーに近い」と言う声もあり、マリナーズのエリック・ウェッジ監督は「彼はシアトルや僕とプレーしたいというより、イチローとプレーしたいだけだろう」と語っている[34]。
ただし、イチロー本人は「僕は幸せ者ですね」と語り[35]、こうした川崎の一連の行動を好意的に受け止めている。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001 | ダイエー ソフトバンク |
1 | 5 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .200 | .000 | .200 |
2002 | 36 | 122 | 112 | 13 | 26 | 4 | 5 | 0 | 40 | 8 | 3 | 2 | 6 | 0 | 4 | 0 | 0 | 21 | 1 | .232 | .259 | .357 | .616 | |
2003 | 133 | 568 | 493 | 78 | 145 | 17 | 9 | 2 | 186 | 51 | 30 | 16 | 28 | 2 | 41 | 0 | 4 | 74 | 8 | .294 | .352 | .377 | .729 | |
2004 | 133 | 633 | 564 | 87 | 171 | 19 | 8 | 4 | 218 | 45 | 42 | 14 | 15 | 3 | 48 | 0 | 3 | 63 | 8 | .303 | .359 | .387 | .746 | |
2005 | 102 | 458 | 399 | 53 | 108 | 12 | 3 | 4 | 138 | 36 | 21 | 10 | 22 | 3 | 26 | 0 | 8 | 52 | 4 | .271 | .326 | .346 | .672 | |
2006 | 115 | 513 | 449 | 69 | 140 | 21 | 7 | 3 | 184 | 27 | 24 | 9 | 27 | 0 | 32 | 0 | 5 | 54 | 2 | .312 | .364 | .410 | .774 | |
2007 | 95 | 427 | 383 | 57 | 126 | 12 | 7 | 4 | 164 | 43 | 23 | 8 | 10 | 1 | 29 | 1 | 4 | 46 | 3 | .329 | .381 | .428 | .809 | |
2008 | 99 | 457 | 424 | 55 | 136 | 16 | 6 | 1 | 167 | 34 | 19 | 9 | 6 | 5 | 16 | 3 | 6 | 40 | 5 | .321 | .350 | .394 | .744 | |
2009 | 143 | 640 | 540 | 73 | 140 | 26 | 8 | 4 | 194 | 34 | 44 | 17 | 43 | 3 | 47 | 1 | 7 | 90 | 8 | .259 | .325 | .359 | .684 | |
2010 | 144 | 662 | 602 | 74 | 190 | 27 | 5 | 4 | 239 | 53 | 30 | 11 | 10 | 0 | 43 | 1 | 7 | 86 | 6 | .316 | .350 | .397 | .765 | |
2011 | 144 | 655 | 603 | 71 | 161 | 19 | 7 | 1 | 197 | 37 | 31 | 10 | 9 | 4 | 36 | 0 | 3 | 84 | 5 | .267 | .310 | .327 | .637 | |
通算:11年 | 1145 | 5140 | 4573 | 631 | 1343 | 173 | 65 | 27 | 1727 | 369 | 267 | 106 | 176 | 21 | 323 | 5 | 47 | 610 | 50 | .294 | .345 | .378 | .723 |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
- ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
年度別守備成績
年 度 |
一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | ||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2001 | - | - | - | 1 | 3 | 4 | 0 | 1 | 1.000 | |||||||||||||||
2002 | 1 | 16 | 0 | 0 | 2 | 1.000 | 24 | 45 | 77 | 1 | 10 | .992 | - | 10 | 15 | 17 | 2 | 1 | .941 | |||||
2003 | - | 1 | 1 | 4 | 0 | 0 | 1.000 | 75 | 38 | 114 | 8 | 11 | .950 | 85 | 89 | 182 | 6 | 47 | .978 | |||||
2004 | - | - | 8 | 2 | 6 | 1 | 1 | .889 | 132 | 227 | 376 | 10 | 87 | .984 | ||||||||||
2005 | - | - | - | 102 | 170 | 283 | 6 | 61 | .987 | |||||||||||||||
2006 | - | - | - | 115 | 164 | 356 | 12 | 65 | .977 | |||||||||||||||
2007 | - | - | - | 94 | 121 | 294 | 6 | 40 | .986 | |||||||||||||||
2008 | - | - | - | 99 | 113 | 309 | 11 | 51 | .975 | |||||||||||||||
2009 | - | - | - | 143 | 209 | 442 | 9 | 78 | .986 | |||||||||||||||
2010 | - | - | - | 144 | 193 | 412 | 14 | 72 | .977 | |||||||||||||||
2011 | - | - | - | 144 | 209 | 396 | 12 | 62 | .981 | |||||||||||||||
通算 | 1 | 16 | 0 | 0 | 2 | 1.000 | 25 | 46 | 81 | 1 | 10 | .992 | 83 | 40 | 120 | 9 | 12 | .947 | 1069 | 1513 | 3071 | 88 | 565 | .981 |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
表彰
- ベストナイン:2回 (2004年、2006年)
- ゴールデングラブ賞:2回 (2004年、2006年)
- セ・パ交流戦MVP:1回 (2008年)
- 月間MIP賞:1回 (2008年6月)
- 月間MVP:1回 (2010年3・4月)
記録
- NPB初記録
- 初出場・初先発出場:2001年10月3日、対オリックス・ブルーウェーブ28回戦(グリーンスタジアム神戸)、2番・遊撃手として先発出場
- 初打点:同上、6回表にエド・ヤーナルから遊撃ゴロの間に記録
- 初安打:2002年6月15日、対大阪近鉄バファローズ11回戦(大阪ドーム)、6回表にジェレミー・パウエルから左前適時打
- 初盗塁:2002年6月19日、対西武ライオンズ11回戦(西武ドーム)、5回表に二盗(投手:土肥義弘、捕手:伊東勤)
- 初本塁打:2003年7月28日、対大阪近鉄バファローズ17回戦(福岡ドーム)、3回裏に門倉健から右越2ラン
- NPB節目の記録
- 200盗塁:2009年9月6日、対埼玉西武ライオンズ21回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、1回裏に二盗(投手:野上亮磨、捕手:銀仁朗) ※史上67人目
- 1000本安打:2010年3月27日、対オリックス・バファローズ2回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、7回裏に金子千尋から右翼線へ2点適時二塁打 ※史上255人目
- 1000試合出場:2010年9月25日、対北海道日本ハムファイターズ24回戦(札幌ドーム)、1番・遊撃手として先発出場 ※史上438人目
- 250盗塁:2011年7月9日、対千葉ロッテマリーンズ7回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、4回裏に二盗(投手:大谷智久、捕手:里崎智也) ※史上42人目
- NPBその他の記録
- オールスターゲーム出場:8回(2004年 - 2011年)
- 年間安打:190(2010年) ※球団記録
背番号
- 52 (2000年 - 2011年)
- 61 (2012年 - )
登場曲
- 『夏の思い出』 / ケツメイシ(2005年夏場まで)
- 『Big Mama』 / Soul Camp(2005年夏以降)
- 『バンザイ 〜好きでよかった〜』 / ウルフルズ(2006年開幕~5月頭頃)
- 『Catch The Wave』 / Def Tech(2006年5月のみ)
- 『サンライズ』 / BENNIE K(2006年6月~7月頃)
- 『サルビアのつぼみ』 / HOME MADE 家族(2006年9月以降)
- 『サヨナラ』 / MCU(2007年オープン戦のみ)
- 『止まらないHa~Ha』 / 矢沢永吉(2007年開幕以降、6月下旬より第1打席目に使用)
- 『道』 / GReeeeN(2007年6月下旬より第2打席目以降に使用)
- 『福岡WALKER』 / Natural Radio Station (2008年開幕~)
- 『LIFE STYLE』 / Natural Radio Station(2008年4月~、第2打席のみ使用)
- 『Like That』 / Memphis Bleek(2008年6月3日のみ?)
- 『YOU ARE MY STAR』 / AI (2009年)
- 『To Be with YOU』 / MR.BIG (2010年)
- 『チェスト』 / ORANGE RANGE (2011年)
- 『ULTIMATE WHEELS』 / KAT-TUN (2011年7月20日のみ)
関連情報
出演
- FMラジオ
2004年1月より福岡市のCROSS FMでナビゲーターを務め、『川崎宗則の今日もヨロシコ』を毎年1月から3月の期間限定で放送している。近況報告や裏話、ファンからの質問が中心で人気企画となっている。
- CM
- 現在出演中
- 過去に出演
書籍
- オフィシャルBOOK 52 川崎宗則(徳間書店、橋本清・著) - 2010年3月 ISBN 4198629226
脚注
- ^ “赤星氏の思い継ぎ…川崎車いす44台寄贈”. 日刊スポーツ (2009年12月25日). 2010年7月24日閲覧。
- ^ “第2戦以降は沈黙…川崎ガックリ「申し訳ない」”. スポーツニッポン. (2010年10月20日) 2011年2月9日閲覧。
- ^ “川崎右ひじ手術へ 復帰までは2カ月”. スポーツニッポン. (2010年10月31日) 2011年2月9日閲覧。
- ^ “「良いところアピール」ホークス川崎選手 姶良ふるさと大使に”. 西日本新聞. (2011年1月7日) 2011年2月9日閲覧。
- ^ “ソフトバンク・川崎、口蹄疫で義援金”. サンケイスポーツ (2010年6月11日). 2010年7月24日閲覧。 ホークスは毎年春季キャンプを宮崎県で行っている。
- ^ “川崎宗則選手、自身の婚約についてコメント”. 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト (2011年8月22日). 2011年8月22日閲覧。
- ^ 2リーグ制移行初!本多、川崎、松田がフルイニング出場スポニチ(2011年10月23日)
- ^ 内川ワクワク「早い回から僕が打点を」 スポニチ 2011年11月12日
- ^ “2011年度 福岡ソフトバンクホークス個人打撃成績(クライマックスシリーズ)”. NPB (2011年11月22日). 2011年11月22日閲覧。
- ^ “FA川崎「これは僕の意志」/一問一答”. 日刊スポーツ (2011年12月1日). 2012年1月6日閲覧。
- ^ “川崎選手 マリナーズと仮契約”. NHKニュース (2012年1月5日). 2012年1月6日閲覧。
- ^ 川崎興奮!初めてイチローと2、3番で並ぶ「きょうは僕の記念日」スポニチ、2012年3月7日
- ^ “川崎、開幕メジャー決定!感激の涙”. デイリースポーツオンライン (2012年3月27日). 2012年3月27日閲覧。
- ^ “川崎、米開幕もメジャー「やるだけです」”. SANSPO.COM. 共同通信社 (産経新聞社). (2012年4月5日10:21) 2012年4月6日閲覧。
- ^ 川崎 イチローの声が一番嬉しかった!「今日は絶対忘れられない日」スポニチ、2012年4月8日
- ^ 川崎捕手 正妻オリボDLで3番手 - スポーツニッポン 2012年5月4日
- ^ “声を張る川崎、ベンチで仲間を鼓舞”. SANSPO.COM (2012年4月14日). 2012年5月2日閲覧。出典の記事はあくまで一例であり、実際の試合を見ればこのような姿は枚挙に暇がない。
- ^ 現役スカウト部長が見た日本チーム『月刊スラッガー』2009年6月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-6、52項
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』白夜書房、2011年、24頁頁。ISBN 978-4-86191-710-3。
- ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2009』アスペクトムック、2009年、228-229頁頁。ISBN 978-4-7572-1628-0。
- ^ 『野球小僧』2010年6月号、白夜書房、雑誌18801-6、127頁。
- ^ 川﨑宗則はくし型『野球小僧』2007年2月号、白夜書房、雑誌18801-2、174頁。
- ^ 2006日米野球ガイドブック『月刊スラッガー』2006年12月号付録、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-12、9頁。
- ^ 守備「選手別」遊撃手データSMR Baseball Lab
- ^ 『月刊スラッガー』2011年5月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-5、45頁。
- ^ 守備を得点換算で評価するSMR Baseball Lab、2010年12月6日。
- ^ 川崎、ダルから安打も「今日はやられました」サンケイスポーツ、2012年4月10日。
- ^ 川崎マリナーズ一本「イチローさんと」日刊スポーツ、2011年12月2日。
- ^ 川崎、背番は61「逆から読めばイチロー」SANSPO.COM、2012年2月13日
- ^ “楽しそうな川崎宗則「切羽詰まってないです」”. サーチナ (2012年3月19日). 2012年3月29日閲覧。
- ^ 川崎 2番でサポート「僕の記念日。ずっとイチローさんと一緒」スポニチ、2012年3月8日
- ^ 好印象の川崎 首脳陣笑わせる「イチロー、ゲットアウト、マイウェイ!」スポニチ、 2012年2月16日
- ^ イチローも感動「ムネ、おめでとう」日刊スポーツ、2012年3月27日
- ^ a b マリナーズ監督「川崎はイチローとプレーしたいだけだろう」NEWSポストセブン、2012年2月22日
- ^ イチロー「僕は幸せ者ですね」 川崎の“熱い思い”に大声で笑うスポニチ、2011年12月1日
関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 川崎宗則公式サイト
- twitter※停止中[1]
- 個人年度別成績 【川崎宗則 (福岡ソフトバンクホークス)】 - 日本野球機構オフィシャルサイト