ダイハード打線

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ダイハード打線(ダイハードだせん)は、2001年オフから使用された、福岡ダイエーホークスの強力打線を指す愛称である。

目次

[編集] 概要

1999年福岡移転後最初のパ・リーグ優勝・日本一、2000年に福岡移転後初のパ・リーグV2を達成したダイエー打線の愛称として、当時球団社長であった高塚猛が付けた名前である。ダイハードには「不死身」という意味があることから「何点取られても決して諦めない」という意味が込められ、また英語でダイハードの綴り(Die Hard)とダイエーホークスの綴り(Daiei Hawks)が似ていることから、「ダイハード打線」と命名した。この「ダイハード打線」の愛称は地元福岡のマスメディアを中心に使われたが、地元ですら浸透度が高くはない。2003年優勝時には、親会社とかけた「スーパー打線」や「一の市打線」という名称も用いられていた。

2003年シーズン直前、長年4番を務めていた小久保裕紀が右靭帯を断裂し、全治1年の大怪我で離脱をしたことが思わぬ効果を呼ぶ。5番を打っていた松中信彦が4番となり、走力を備えた井口資仁がその前を打ち、城島健司が5番、2番を打っていた中距離打者ペドロ・バルデスが6番に下がる事で理想的なジグザグ打線が完成する。村松有人川﨑宗則が1、2番に固定され、3番井口と共にいずれも30盗塁(村松が32盗塁、川崎が30盗塁、井口が42盗塁)を達成しパ・リーグの上位を独占するなど、理想的な上位打線が出来上がる。その結果3~6番の井口、松中、城島、バルデスは揃って100打点以上を記録し、プロ野球史上初の100打点カルテットを形成。この4人に加えて村松と柴原洋打率3割を超えたことで、プロ野球史上初めて一チームから6人の3割打者を出した。

この背景には、打撃コーチ(後にヘッドコーチ兼任)の新井宏昌の指導、また当時球団スコアラーだった金森栄治が主力選手に熱心にアドバイスを送るなど、コーチ陣の内助の功もあった。

一時は史上初のチーム打率3割の達成も期待され、最終的にはプロ野球新記録のチーム打率.297など多くのプロ野球記録を更新。この強力打線を武器にチームは日本一に輝いた。

しかしながら、そのオフには村松がFAオリックス・ブルーウェーブへ移籍し、小久保も読売ジャイアンツへの無償トレードというファンには納得しがたい形で放出される。2004年はテスト入団の宮地克彦や来日2年目のフリオ・ズレータが二人の穴を埋め、松中は三冠王に輝く活躍でシーズンを1位で通過したが、この年パ・リーグに導入されたプレーオフ西武ライオンズに敗退した。オフには井口が自由契約になりメジャーリーグへ移籍し、打率3割を切ったバルデスも解雇された。またこの年オフ、ソフトバンクが球団を買収した。

2005年以降、この愛称は使用されていない。理由は地元マスコミ含め一般的に浸透しなかったことと、チーム名が「ダイエーホークス」で「ダイハード」に似ているから用いられた愛称であって、「ソフトバンクホークス」では使えなくなったということが挙げられる。

とはいえ、ソフトバンクになってからも打線は好調をキープしていた。2005年オフに城島がFAでシアトル・マリナーズに移籍し、2006年のオフにズレータが退団していったが、小久保がチームに復帰し、横浜ベイスターズから多村仁が移籍してきたことにより、松中と合わせて「TMK砲」と呼ばれ期待された。しかし、2007年は3人とも故障や不調で満足な成績を残すことができず、チームは戦力面において転換期を迎えることとなる。

[編集] 布陣

[編集] 2001年

太字はリーグトップ

打順 守備 選手 打席 打率 本塁打 打点 盗塁 備考
1 柴原洋 .302 7 49 8
2 ペドロ・バルデス .310 21 81 1
3 井口資仁 .261 30 97 44 盗塁王ベストナイン(二)
4 小久保裕紀 .290 44 123 6
5 松中信彦 .334 36 122 2
6 城島健司 .258 31 95 9 ベストナイン(捕)
7 秋山幸二 .286 11 32 1
8 DH トニー・ミッチェル .193 10 20 0
大道典嘉 .325 5 36 0
9 鳥越裕介 .174 2 16 6
この年は小久保、松中、城島、井口の4人が30本塁打以上を放つというパ・リーグ史上初の快挙を達成した。しかし、千葉ロッテマリーンズ西武ライオンズに負け越したこともあり、19勝9敗と大きく勝ち越した大阪近鉄バファローズにリーグ3連覇を阻止された。この年、小久保はダイエー球団としては歴代最多の44本塁打を記録。井口は盗塁王に輝くなど、翌々年の強力打線の土台が出来上がってくる。

[編集] 2002年

打順 守備 選手 打席 打率 本塁打 打点 盗塁
1 柴原洋 .269 4 43 5
2 井口資仁 .259 18 53 21
3 ペドロ・バルデス .303 21 76 2
4 小久保裕紀 .292 32 89 8
5 松中信彦 .260 28 83 1
6 城島健司 .293 25 74 8
7 秋山幸二 .249 5 24 0
8 DH 大道典嘉 .296 6 36 1
9 鳥越裕介 .251 4 25 7
この年は前年とは打って変わって本塁打30本以上を放ったのは小久保のみ、打率3割を残したのがバルデスのみと、警戒されたせいか成績が大きくダウンした。また、この年で秋山が引退した。

[編集] 2003年

打順 守備 選手 打席 打率 本塁打 打点 盗塁 備考
1 村松有人 .324 6 57 32 ゴールデングラブ賞(外)
2 川﨑宗則 .294 2 51 30
3 井口資仁 .340 27 109 42 盗塁王ベストナイン(二)、ゴールデングラブ賞(二)
4 松中信彦 .324 30 123 2 打点王ベストナイン(一)
5 城島健司 .330 34 119 9 シーズンMVPベストナイン(捕)、ゴールデングラブ賞(捕)
6 ペドロ・バルデス .311 26 104 1
7 DH 大道典嘉 .281 4 51 0 主にシーズン前半
フリオ・ズレータ .266 13 43 0 主にシーズン後半
8 柴原洋 .333 4 53 11 ゴールデングラブ賞(外)
9 鳥越裕介 .212 1 25 5
この年は先述のように100打点以上が4人、3割打者が6人、チーム打率は.297と記録的に打ちまくった。更に井口が盗塁王を獲得し、村松が2位、川﨑が3位と上位を独占し、機動力でも他を圧倒した。この打線を武器に、天敵・西武に1981年以来22年ぶりに勝ち越してのリーグ完全優勝を果たし、さらに4年ぶりに日本一を奪回した。

[編集] 参考

[編集] 1999年移転後初優勝時

打順 守備 選手 打席 打率 本塁打 打点 盗塁 備考
1 秋山幸二 .260 10 49 7
2 柴原洋 .263 5 26 22
3 メルビン・ニエベス .257 17 43 0
4 小久保裕紀 .234 24 77 4
5 DH 吉永幸一郎 .275 16 38 0
6 城島健司 .306 17 77 6 ベストナイン(捕)
7 松中信彦 .268 23 71 5
8 井口忠仁 .224 14 47 14
9 浜名千広 .226 2 27 5

[編集] 2000年開幕戦

打順 守備 選手 打席 打率 本塁打 打点 盗塁 備考
1 秋山幸二 .262 5 48 2
2 柴原洋 .310 7 52 10 ベストナイン(外)
3 DH 吉永幸一郎 .256 9 33 0
4 メルビン・ニエベス .216 15 38 1
5 小久保裕紀 .288 31 105 5
6 城島健司 .310 9 50 10 ベストナイン(捕)
7 松中信彦 .312 33 106 0 シーズンMVPベストナイン(一)
8 柳田聖人 .129 0 1 1
9 井口忠仁 .247 7 23 5

[編集] 2004年

打順 守備 選手 打席 打率 本塁打 打点 盗塁 備考
1 柴原洋 .271 7 39 1
2 川崎宗則 .303 4 45 42 盗塁王最多安打ベストナイン(遊)
3 井口資仁 .333 24 89 18 ベストナイン(二)
4 松中信彦 .358 44 120 2 シーズンMVP三冠王ベストナイン(一)
5 城島健司 .338 36 91 6 ベストナイン(捕)
6 ペドロ・バルデス .279 18 74 1
7 フリオ・ズレータ .284 37 100 1
8 宮地克彦 .310 3 24 1
9 本間満 .290 2 24 4
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