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三浦友和

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みうら ともかず
三浦 友和
本名 三浦 稔(みうら みのる)
生年月日 (1952-01-28) 1952年1月28日(72歳)
出生地 日本の旗 山梨県塩山市
民族 日本人
血液型 AB
職業 俳優
ジャンル テレビドラマ映画
活動期間 1971年 -
活動内容 1971年:『刑事くん』でデビュー
1972年:『シークレット部隊
1974年:『伊豆の踊子
1975年:『赤いシリーズ』、『ひまわりの詩
1982年:『大日本帝国』、『西部警察 PART-II』
1984年:『さよならジュピター
1985年:『台風クラブ
1987年:『独眼竜政宗
1989年:『悲しきヒットマン
1991年:『無能の人
1996年:『はみだし弁護士・巽志郎
2001年:『HERO
2004年:『世界の中心で、愛をさけぶ
2005年:『ALWAYS 三丁目の夕日
2009年:『沈まぬ太陽
2011年:『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ
配偶者 山口百恵1980年-)
著名な家族 三浦祐太朗(長男)
三浦貴大(次男)
公式サイト 所属事務所
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三浦 友和(みうら ともかず、本名:三浦 稔(みうら みのる)、1952年1月28日 - )は、山梨県塩山市(現:甲州市)出身の日本俳優である。血液型AB型。身長178cm。 東京都立日野高等学校卒業。東京都在住。

妻は元歌手女優山口百恵1980年11月19日結婚)、長男はシンガーソングライター、俳優の三浦祐太朗で、次男は俳優の三浦貴大。姉のひろ子もかつて牧陽子、三浦弘子の芸名で歌手・タレントとして活動しており、夫(義兄)はラリードライバー篠塚建次郎

略歴

1960年、小学3年生で父親が警察官を退職し、家族と共に東京都千代田区飯田橋に転居。さらに中学で東京都立川市に転居。忌野清志郎とは東京都立日野高校の同級生で毎朝、多摩動物公園行きのバスで一緒になっていた事がきっかけで初期RCサクセションのメンバーたちとも親しい関係にあった[1]。実姉がタレント活動をしていた関係で、放送局等へ出入りしていたことがきっかけで映画オーディションを受けることになる。

1970年代に二枚目の俳優として10代に大変な人気があった。特に70年代後半、山口百恵と共演した主演映画・ドラマが次々とヒットし、「百恵友和コンビ=ゴールデンコンビ」と呼ばれた。1980年に山口百恵と結婚し、その後は映画・舞台で着実に役柄の幅を広げ、歴代平均視聴率No.1となったNHK大河ドラマ独眼竜政宗』にて、伊達政宗の片腕で武骨な武将・伊達成実を演じたり、アルコール飲料や紳士服店のCMでコミカルな演技を見せるなど、硬軟いずれもこなせる俳優としての位置を確立した。

50代になってからは映画での活躍が顕著であり、日本アカデミー賞ブルーリボン賞等の数々の映画賞の助演男優賞を獲得している。

主な出演作品

テレビドラマ

ドキュメンタリー

  • 三浦友和・松たか子の大河ロマン紀行〜生きていた百年の夢・流氷の科学者岡崎文吉(1999年、札幌テレビ放送、日本テレビ系列)

映画

☆は山口百恵共演作品

CM

ラジオ

  • 三浦友和と仲間たち
  • 三浦友和インザワールド
  • 三浦友和・夢色飛行船(1979年 - 1980年、文化放送
  • 三浦友和のNECサンデーミュージック(ニッポン放送)

著書

  • 被写体(マガジンハウス、1999年
  • 相性(小学館、2011年、本人の語りおろし。本人の利益は全額震災関連に寄付)

音楽

シングル

  • ほほえみの扉/ふりむけば愛(1978年11月1日) オリコン最高位11位
  • ミッドナイト スペシャル(1984年10月5日)

アルバム

  • 赤頭巾ちゃん秘密だよ(1977年4月25日) 名義は三浦友和と仲間たち
  • 二人でコンサート(1978年6月1日)
  • 素描(1979年4月1日)
  • 喜・怒・愛(1980年6月21日)→2011年3月21日にソニーより、復刻版としてCD発売された
  • ラブ・イズ・ジ・オーシャン(1984年)

受賞歴

  • 第18回(1975年度)ブルーリボン賞・新人賞(「伊豆の踊子」ほか)
  • 第10回(1985年度)報知映画賞・助演男優賞(「台風クラブ」)
  • 第46回(1991年度)毎日映画コンクール・男優助演賞(「江戸城大乱」「仔鹿物語」、「無能の人」)
  • 第24回(1999年度)報知映画賞・主演男優賞(「M/OTHER」「あ、春」)
  • 第50回(2008年度)ブルーリボン賞・助演男優賞(「転々」「松ヶ根乱射事件」)
  • 第81回(2008年度)キネマ旬報ベストテン・日本映画助演男優賞(「転々」「松ヶ根乱射事件」)
  • 第22回(2008年度)高崎映画祭・最優秀助演男優賞(「松ヶ根乱射事件」)
  • 第33回(2009年度)日本アカデミー賞・優秀助演男優賞(「沈まぬ太陽」)
  • 第83回(2009年度)キネマ旬報ベストテン・助演男優賞(「沈まぬ太陽」)
  • 第22回(2009年度)日刊スポーツ映画大賞・助演男優賞(「沈まぬ太陽」)

エピソード

  • 父親が勤務していた駐在所周辺は、急な坂道ばかりだったため、幼い頃は「道というものは坂になっているもの」と思い込んでおり、山梨県から東京へ転居してきた際にカルチャーショックを受ける。また、東京の空気汚染により呼吸器の病気を患う。それにより健康優良児から虚弱体質の子供へと変わってしまう。
  • 忌野清志郎との縁で、結成初期のRCサクセションの曲である「金もうけのために生れたんじゃないぜ」でボンゴ担当として当時のLPクレジットタイトルに名前が明記されている。このことは『坂崎幸之助のオールナイトニッポン』に忌野清志郎がゲスト出演した際、実際のクレジットを見た忌野と坂崎が本当であることを証明している。しかし、当時の音源を聴いてみるとボンゴの音が入っておらず、忌野に「あいつ全然叩いてねぇじゃねぇか!」と失笑される。また、RCサクセションのバックミュージシャン時代の一時期に、RCサクセションの破廉ケンチと一緒に住んでいた。
  • ぴったしカンカンのゲストで出演した際のクイズで、『「シークレット部隊」での最初のセリフは何だったのでしょう?』という問題に対して正解は『あっ!キャプテンのヘリだ!』だったが、放送された解答スーパーは『あっ!キャプテンのヘソだ!』と誤ってスーパーされ、当の三浦自身も爆笑していた。
  • 1982年、『西部警察 PART-II』の第一話「大門軍団・激闘再び-沖田刑事登場」にて、ニトロを積んで走り続ける観光バスにトラックから乗り移るという本人によるアクションシーンが収録される。のちに「あのアクションは君が大門軍団の一員としてやっていけるかどうかのテストだった」と石原プロモーション専務・小林正彦に打ち明けられたと語る。
  • 1982年にタバコのコマーシャルに出演していた頃、青少年の教育上問題があるとして本人がアイドルかどうか国会(参議院予算委員会)で議論された。森下元晴厚生大臣(当時)は「アイドルだと思う」、日本専売公社(現・JT)総裁(当時)の泉美之松は「既婚者であるので青少年のアイドルは卒業している」と答えた。それに対し質問者である日本社会党片山甚市議員は「結婚をすればアイドルでないなどというのはそれはこじつけで、若い者はいかす男として、やはり山口百恵の亭主としては大変魅力的であります」と発言したが、結局結論は出ないまま別の議題に話が移っていった。[2]三浦本人はこの件に関し「『アイドルではない』と結論が出た」と受け止めており、「俺は『国会でアイドルではないと決められた男』である」と笑い話にしている。
  • 1980年代半ば、RCサクセションのライブに飛び入り出演した際、タバコの箱を片手に「俺はタバコも吸ってるし、嫁さんは有名な歌手だったんだぜ!」とステージ上で叫び、「ロックンロール・ウィドウ」を忌野と一緒に歌う。結婚後、百恵夫人の持ち歌を公の場で歌ったのはこの時が初めてである。
  • 1988年、RCサクセションが発表し、歌詞が東芝EMIの親会社であり、日本の原子炉サプライヤーでもある東芝からの圧力がかかった(詳細はCOVERS (RCサクセションのアルバム)を参照)ことが原因で発売禁止となったアルバム『COVERS』に参加。問題となった収録曲である「サマータイム・ブルース」の中で「原発という言い方も改めましょう。何でも縮めるのは日本人の悪い癖です。正確に原子力発電所と呼ぼうではありませんか。心配はいりません」というセリフを担当した。「MONEY」では3番のヴォーカル&バックコーラスを唄っている。
  • 飽きっぽい性格であるためパチンコなど趣味を転々とし、現在は陶芸を趣味としている。50歳になってから始めた禁煙には成功。
  • 30代後半、ロケで訪れた釧路にて、共演者であった川谷拓三に誘われたことがきっかけでパチンコにはまる。新台入替の日は、一般人に紛れて早朝から並んだこともあるほどの入れ込みよう。その結果、新宿にあるすべてのパチンコ店・景品交換所の地図が書ける程だったという。この経験はのちに「はみだし弁護士・巽志郎」シリーズでの役柄に生かされることになる。
  • 『西部警察PART-II』で共演した渡哲也に惚れ込み、渡の出演する作品に自らノーギャラで出演要請するなど公私ともに渡を慕っている。百恵夫人が引退コンサートでステージ上に置いたマイクが長年にわたり自宅に保管してあったため渡に相談。その結果、渡の計らいで北海道小樽市ワーナーマイカル小樽内にあった石原プロワールド・西部警察に展示され話題になった(現在は、同じく小樽市にある石原裕次郎記念館に展示されている)。
  • ここ数年『ALWAYS 三丁目の夕日』や『薔薇のない花屋』等、映画やテレビドラマで医師役を演じることが多い。「50代になり、役柄が医師、弁護士、検事、判事、刑事などに偏ってきていることが悩みでもある」とインタビューで答えている。
  • 結婚後の私生活では、全く浮いた噂やゴシップはなく、理想的な夫であり父親を貫いているが、それに反して、テレビや映画ではなぜか「私生活が謎に包まれた独身男」「妻と離婚・死別した過去のある男」「家庭はあるが不倫をしている夫」「子供に恵まれない家庭の夫」「悪事に手を染めて転落していくエリート」といった役柄を演じることが非常に多い。
  • 1990年代半ば頃に出た「仮面ライダー」の特集本によると、仮面ライダー2号/一文字隼人役の候補に、三浦の名前があったという。
  • ドラマの共演が縁で山口百恵と交際・結婚するが交際中はお互いのスケジュールが合わないため撮影中が実はデートだったと述懐している[3]
  • 自書『被写体』の中でマスコミが結婚後の山口百恵や家族を撮影しようして中には盗撮まがいの行為も行われたという。あるとき百恵の結婚後のプライベート映像を某番組が特ダネとして放送した際、他のコメンテーターはプライバシーの問題について「みんなが見たいものだから仕方がない」と放送した番組を擁護する発言を行ったがそのまんま東のみが「これはいくらなんでもやりすぎである」と番組を強く批判していた事に触れ「擁護する発言をした人たちを忘れはしない。またそのまんま東さんの発言も忘れないし(東さんの)発言に感謝している」と発言している。

脚注

  1. ^ 高校生の頃は清志郎とは違うバンド、初期のRCサクセションではバックミュージシャンとして、中期はゲストライブに参加したことはあるが、RCサクセションの初期メンバーという説は誤り。
  2. ^ 参議院会議録情報 第96回国会 予算委員会 第14号
  3. ^ 三浦友和著『被写体』

外部リンク