さよならジュピター

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さよならジュピター
監督 橋本幸治
小松左京
脚本 小松左京
製作 田中友幸
小松左京
出演者 三浦友和
音楽 羽田健太郎
主題歌 松任谷由実
VOYAGER~日付のない墓標
撮影 原一民
編集 小川信夫
配給 東宝
公開 日本の旗 1984年3月17日
上映時間 129分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
興行収入 17億円
(1984年邦画配給収入3位)
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さよならジュピター』(英題:Bye-bye, Jupiter)は、1984年に公開された東宝と株式会社イオの共同製作による日本のSF映画特撮映画)およびその原案をノベライズしたSF小説

概要[編集]

地球に接近したマイクロブラックホールを、木星の爆発により、軌道変更させようとするプロジェクトを軸に、さまざまな人間模様を描く。人類生存のために木星破壊も辞さない技術者グループと自然保護を訴える反科学の宗教集団との対立劇に、主役とヒロインの『ロミオとジュリエット』的恋愛要素が加わり、光線銃によるアクションなども盛り込まれたが、映画作品としての評価は非常に低く、「いろいろ詰め込み過ぎて破裂した」と、各方面で酷評されている。

制作費が当初予算の1/3程度に抑えられた[1]上に、予定していた映画監督の死去などの不運も重なり、当初の詳細なストーリーやプロットを活かしきる事ができずにヒット作とする事ができなかった。製作を担当した小松左京によると、配給収入は8億円であり、制作費の回収も未達という興行的失敗という結果に終わった。ビデオがある程度売れ、フジテレビに放映権が売れて地上波のゴールデンタイムで放映されたものの、小松はある程度の借金まで抱える事になった。

小松が執筆した小説版は、初期の映画の脚本を基にしたノベライズである。登場人物や地球の未来社会も綿密に描かれており、映画よりもこちらの方が評価され、1983年にSFファンの投票によって決定される星雲賞の日本長編部門賞を受賞している。

また映画内において、ブローチ型自動翻訳機(主演の三浦友和によるアイデア)や薄型ディスプレイ(株式会社SONY中央研究所より貸与)、木星大気圏突入型探査機(NASAガリレオで実現)など、プロット面のテクニカルな要素で多くの小ネタが提示されている。

あらすじ[編集]

西暦2125年太陽系外縁の開発に着手していた太陽系開発機構 (SSDO) は、エネルギー問題の解決と開発のシンボルとして、2140年の実現へ向けて「木星太陽化計画」(JS計画)を進めていた。その前線基地であるミネルヴァ基地で、計画主任・本田英二は長らく音信不通だった恋人マリアと再会を果たす。彼女は過激な環境保護団体「ジュピター教団」の破壊工作グループのメンバーとなっていた。

英二は宇宙言語学者ミリセント・ウィレムに協力し、木星探査艇「JADE-III」で数万年前に太陽系を訪れた宇宙人の母船「ジュピターゴースト」の探査を行う。

一方、英二の友人であるパイロット・キンと天文学者・井上を乗せて彗星源探査に向かっていた宇宙船「スペース・アロー」が謎の遭難を遂げる。計画責任者のマンスールの調査の末、原因はマイクロブラックホールとの接触によるものであり、しかも太陽に衝突するコースをとっている事が判明する。

太陽系を救う方法はただ一つ、木星太陽化のプロセスを応用して木星を爆発させてブラックホールに衝突させ、そのコースを変更する事だった。少年科学者カルロスらと共に木星爆破計画を進める英二。一方マリア達は、爆破阻止のために最終段階を迎えていたミネルヴァ基地に侵入する。

製作の経緯[編集]

1977年アメリカではSF映画『スター・ウォーズ』が公開され、アニメ宇宙戦艦ヤマト』のヒットも手伝って、日本ではSFブームが巻き起きた。『スター・ウォーズ』の日本公開は1978年となり、日本でもヒット間違いなしと言われており、この公開前に日本でも『スター・ウォーズ』に便乗したSF映画が各社で作られた。東宝では『惑星大戦争』、東映では『宇宙からのメッセージ』である。『惑星大戦争』の制作前に、東宝側から小松左京に原作提供の申し入れがあったのが、本作を制作するきっかけとなった。かねてから日本でも『2001年宇宙の旅』に匹敵する本格SF映画を作りたいと念願していた小松は、即席の便乗企画でなく、改めて本格的なSF映画をということで、東宝と合意[2]。東宝は急遽、『惑星大戦争』を制作し、1977年12月に公開した。

以前、1976年にアニメ制作会社東京ムービーに依頼されて、テレビアニメの原作として考えていたストーリーを原案に、小松は1977年暮れから、当時の若手SF作家を中心に集合をかけ16回に及ぶブレーン・ストーミングを行なった[2]。参加したメンバーは、豊田有恒田中光二山田正紀野田昌宏鏡明伊藤典夫井口健二横田順彌高千穂遙といった面々で、当時の日本SF界の中核が動員された。1979年に木星に接近したNASAのボイジャー計画による最新の探索データが取り入れられ、また、ハードSFで知られるSF作家の石原藤夫にも声がかかり、映画に登場する天体の軌道計算という考証面で協力した。軌道計算のシミュレーションは、当時出始めの8ビットCPUのパソコンで行なわれ、映画の宣伝も兼ねてパソコン雑誌でも紹介された。その結果は木星の質量でブラックホールの軌道を変えたとしても、ブラックホールの影響を吸収しきれず、地球の公転軌道が大きく変わってしまうというものであった。いくつかのシミュレーションがあり、条件によってなんとか人類の生存が可能な状況になるものもあった。

1979年半ばにシナリオの初稿は完成[2]。併せてアメリカでの著作権登録も行った。これは、初稿が上映時間3時間を越え、外国人俳優数百人を要するというスケールの大きさから、小松がアメリカとの合作も視野に入れたためである。後に現実にアメリカの映画会社から原作を買い取りたいという申し出があったが、アメリカ人を主役とし、小松を制作には関与させないという契約条件で、合作ではなくアメリカ映画として制作するというものだったため、小松が断ったという逸話がある[3]。あくまで小松は日本人の手で本格SF映画が作りたかったのである。以後、4度目の改稿からは監督を務めることになる東宝の橋本幸治も加わって登場人物とストーリーを刈り込み、6度の改稿の末、撮影用の台本は完成した。

映画化に先駆けて、映画の初稿脚本を原作としたノベライズ1980年から週刊サンケイに連載したが、豊田有恒、田中光二、山田正紀との連名で発表されていた。これは小松が多忙で執筆できない場合に備えたものだったが、結局代筆がされることはなく、単行本化の際には小松単独の名義になった。連載中の1981年、小松は本作制作のために、株式会社イオ(個人事務所)を設立し、本作を東宝とイオの共同制作とする[2]。小松は脚本執筆のみでなく、総監督として現場の指揮も執ることになり、映画化の全般に責任を負う体制を敷いた。

1983年3月に撮影用台本は完成。小松の『日本沈没』映画化作(1973年)を監督した森谷司郎を再び監督に予定していたが、森谷の死去に伴いその助監督だった橋本幸治を監督に起用。特技監督は、新鋭の川北紘一が務め、4月に特撮、5月に本編がクランクイン、7月末にクランクアップ。編集や合成、音響制作作業を経て、完成したのは1983年10月のことである。

特殊撮影[編集]

本作は、特殊撮影において『2001年宇宙の旅』や『スター・ウォーズ』を意識しており、これらの作品で使われた撮影技術を取り入れて、日本映画の技術的な遅れを取り戻すとして、精巧なモデルの製作やモーション・コントロール・カメラなどの新技術導入の経緯がパンフレットなどで紹介された。

本作に登場する宇宙船のプロップの大半は、当時まだ学生だった小川正晴を中心とする小川模型グループ(現:オガワモデリング)が製作。宮武一貴のデザインを再現したプロップ群は東宝川北組の特撮とも相まって現在も高い評価を受けている。ミニチュアモデルは、1985年に開催された国際科学技術博覧会(つくば科学万博)の三菱未来館の未来映像にも使用され、後に、2004年から放送されたテレビ特撮番組『幻星神ジャスティライザー』にも流用された。

また、日本の特撮映画では初めてロボットアームを使用してモーション・コントロール・カメラによる撮影を行った[4]。日本には映画撮影用の専用機はなく、ロボットはアマダ製の工業用(「アボット」の愛称)を流用した。それでも精密機器には変わりなく、スタッフは扱いに非常に気を使ったが、掃除のおばちゃんがパネルの上で雑巾を絞っていても大丈夫で、アマダの技術者は「こいつは意外とたくましいんですよ」と胸を張ったという。その一方で、日本特撮の伝統芸である「吊り」によるミニチュアワークも随所に見られる。この「吊り」もブルーのワイヤーを使うことで、ブルーバック合成すると完全に見えなくなるような新しい試みもされている。

ミニチュアと実写の合成では「ダイレクト・マット・プロセス」という手法も使われた[2]。フィルム撮影した画像の合成は撮影後のポストプロダクション作業の光学合成工程で行われるのが通例だったが、「ダイレクト・マット・プロセス」は撮影後の合成を経ずに撮影時点で一度に合成してしまう技術である。ミニチュア・実写それぞれに独立したレンズを向けてフレーミングを合わせ、双方の映像をハーフミラーに導いて合成し、それを撮影する。ポストプロダクション合成と比べて、撮影条件の制約は大きく、合成の修正も利かないが合成コストを低くできる利点がある。宇宙船(連絡艇、貨物艇、脱出用宇宙船「フラッシュバード」)の船窓からコクピット内の乗員が見える場面の合成にこの方法が用いられた。

当時まださほど精度の高くなかったCGも積極的に使用された。モニタ表示画面の殆どはパソコンで製作したものだが、撮影当時、世界に数台しかない三菱総合研究所所有のスーパーコンピュータCray-1」で製作された物も一部含まれている(小松と親交のあった同研究所の牧野昇の計らいでコンピュータが空いている定時終了後の時間帯に無償で借用できた。CG製作ソフトは同研究所の予算で購入してもらい、所員もボランティアとして手伝っている)。これらはCGだけでなく、コンピュータ自体についても専門家ではない素人同然のイオの若手スタッフが作った物である。アメリカのCG製作者に発注した木星の爆発シーンは、NASA所有のボイジャー探査機の画像デジタルデータを基に、日本映画で初めてCGを実景として使用したものである。またビデオ合成も検討されたが、当時の解像度ではスクリーンにかけると「まるでスダレ」(小松談)だったのでボツとなった。

火星極冠の爆破シーンは、東宝撮影所第9ステージに広大なセットが造られ、12トンの水を流す一発勝負での撮影が行われた[4]

スタッフ[編集]

小説[編集]

  • 原作:小松左京
  • ブレーンストーミング:豊田有恒、田中光二、山田正紀、野田昌宏、 鏡明、伊藤典夫、井口健二、横田順彌、高千穂遥
  • 連載時の連名:豊田有恒、田中光二、山田正紀
  • 最終原稿作成:小松左京
  • イラスト:加藤直之[5]

本編[編集]

特殊技術[編集]

主題歌[編集]

挿入歌[編集]

  • 「青い船で」松任谷由実

劇中歌[編集]

作詞はいずれも小松による。小松は採用された2曲以外にも2曲の歌詞を提供している。

キャスト[編集]

映像ソフト[編集]

本編のビデオが劇場公開と同時の1984年3月17日に発売されており、また先だってメイキングビデオも2月10日に発売されている。

公開後20年が経過した2003年にDVDスペシャル版が発売された。解説ブックレットとTOKYO-III、MUSE-12、スペース・アローのプロップ図面が付属し、特典ディスクには前述のメイキングビデオやテレビ特番、撮影現場やプロップ制作風景のスナップ、デザイン画や小説版連載挿絵などが収録されている。2006年には本編ディスクのみのスタンダード版も発売された。

コンピュータゲーム[編集]

映画のゲーム化を盛んに行っていたポニーキャニオンのポニカレーベルにより、映画とタイアップする形でコンピュータゲーム化が行われている。

ラジオドラマ[編集]

2006年3月に月曜日から金曜日の23時55分から0時まで5分のラジオドラマ番組『小松左京DRAMANCE ~さよならジュピター~』がジャパンエフエムネットワーク系列のラジオ局で放送された。出演は、松尾貴史イッセー尾形

その他[編集]

  • JS計画のシンボルマークは占星術天文学で使われる木星太陽惑星記号を組み合わせたもの。同時に計画目標年とされる西暦2140年を表している(木星の惑星記号はそもそも「4」を象ったもの)。
  • 登場人物が日本語、英語、フランス語、ドイツ語とさまざまな言語で会話している事については、超小型の自動翻訳機を使用している事が序盤で明示されているが、これは主演の三浦友和が不得手な英語を話さずに済むようにと考え出したアイデアである。
  • ミネルヴァ基地のいくつかのシーンには、当時、建設中であり機材搬入前であった高エネルギー物理学研究所(現・高エネルギー加速器研究機構)のTRISTAN(現・KEKB)実験装置が撮影に利用された。
  • カルロスの木星太陽化計画や井上博士の彗星源探査計画のブリーフィングで使われているハンディタイプのディスプレイはソニーが当時開発中であった「プラズマディスプレイ」の試作品である。
  • 謎の宇宙船「ジュピターゴースト」(火星極冠の地上絵を残した宇宙人の母船)が木星の大気圏を漂う場面で流れている音はザトウクジラの「歌」(鳴き声)である。これは、太古に太陽系を訪れた宇宙人が当時の地球でもっとも知性があるとみなし、メッセージを託したのがクジラであり、それゆえザトウクジラの歌は「ジュピターゴースト」の音声メッセージと一致するという裏設定があったからである。同様の設定が『スタートレックIV 故郷への長い道』で使われているが、本作の方が先である。なお、実際の音声データはクジラ研究者として著名なロジャー・ペイン(ザトウクジラが歌うことを発見した)より譲り受けたものである。
  • ジュピター・ビーチで英二とピーターが対話する場面での音楽は、羽田健太郎が本作と同じく音楽監督をつとめたTVアニメ『超時空要塞マクロス』のBGMが流用されている。
  • プラハで行われる現代音楽祭において、音楽家、冨田勲とのコラボレーションで、コンピュータグラフィックスによる映像を活用した経験から、小松は本作の撮影以前からCGへの関心を高めていた。また、京都産業大学での研究環境を見学したこともあるという。当時は、8ビットコンピュータによるCGの黎明期であり、その後、CG専用コンピュータが開発され、NICOGRAPHSIGGRAPHの日本版のような学術会議・展示会)が開催される前夜のことである。
  • 主人公の名前、本田は自動車メーカーのホンダから。小松はスポンサーや車両提供などを密かに期待していたらしい。一方で東宝特撮映画に貢献した本多猪四郎円谷英二両監督へのオマージュとしてつけられたとする俗説もあるが、小松は偶然の一致と否定している。
  • コンピュータのディスプレイとしては主としてCRT(ブラウン管)モニターが使用された。これは毎秒30コマであるのに対し、撮影用の映画フィルムは毎秒24コマである。両者のコマの周期が違うために、このままではモニター画面にちらつきが生じ見辛くなってしまう。これを避けるために、CRTモニターが写る場面では、フィルムを毎秒30コマにして撮影し、映写時に24コマに戻すという方法が取られた(スローモーション撮影と同様の手法)。当然、俳優の動作が実際より遅く見える事になるが、撮影時に俳優に普通より速く動作してもらうことで対応した。
  • 宇宙船の内部機器類は、京王技研(現:コルグ)のシンセサイザー・モジュールを、航空機のパネルに見立てたセットが使われている。このシンセサイザーは、当時、映画会社で効果音の作成などに用いられたもので、その後の東宝の特撮映画でも同じようなセットが用いられている。
  • 作中で使われているコンピューターのキーボード類はスポンサーの廃品を利用した物である。このため、見慣れた人には廃品利用であることが瞭然であるという。
  • 小説で「スペース・アロー」が彗星源探査に飛び立つ直前にパイロット、ホジャ・キンが見ていた映画は『スター・ウォーズ20』だったが、映画では同じ東宝の『三大怪獣 地球最大の決戦』のゴジラモスララドンキングギドラの戦闘シーンが使用され、基地に侵入したジュピター教団メンバーが暴れるシーンとカットバックされている。
  • 英二の部屋にはゾイドビガザウログランチュラの改造キットが動いている。
  • 映画の制作期間中、イオのスタッフはその過酷な労働状況から「イオ・クンタ・キンテ」と呼ばれていた(クンタ・キンテはアレックス・ヘイリーの著書およびTVドラマ『ルーツ』の主人公)。
  • イオではストーリーボードをはじめとした映画製作資源の時系列管理一元化を支援する目的で、1980年代初頭に普及しはじめたパソコンが積極的に活用された。この当時一般的だったパソコンとはCUIスタンドアロンBASIC言語によるソフト開発・HDDは無くストレージカセットテープ記録のみ、というようなものであったためフルスクラッチ開発は素人にはハードルが高く、小松は「俺もさすがにパソコンは使えないか」と落胆したというが、ソード社の簡易開発環境PIPSには高次の機能をまとめた独自コマンドが多数用意されていてプログラマでなくても開発できるということがわかり、結局これを導入することで事務局スタッフでも管理システムを自主開発し運用することが出来た。
  • ボイジャー1号の観測によって木星があることが発見されたため、本作においても輪が描写されている。ピアノのBGMとともに一瞬輪がきらめくシーンは、当時最新の観測成果が反映された印象深いカットになっている。
  • 小松は、主題歌を歌う松任谷由実を撮影所に招いて製作現場を見せたい意向であったが、松任谷も多忙なため果たせず、対面は本編撮影終了後になったという(本作以前に海外で偶然出会ったことがあり、面識がなかったわけではない)。
  • 特撮用の木星の模型などは、NASAのJPL(ジェット推進研究所)でスチール写真に落とす処理を行ったボイジャーの撮影データがそのまま用いられた。NASA担当者の「それじゃ、やってごらん」との配慮による提供であるが、小松は、米国の友人(作家になる以前に原子力の記者などをしていた関係での知り合い)に「日米友好のために」と事前に頼み込んでいた。
  • テレビ朝日系で放映された刑事ドラマ西部警察 PART-III』の最終回「大門死す! 男達よ永遠に…」(1984年10月22日放映)において、レギュラー出演者である御木裕が本作の宣材として制作されたロゴ入りTシャツを着用している。同作では刑事役の三浦友和(シリーズ序盤で降板)、音楽の羽田健太郎など、本作と共通するスタッフ・キャストも多い。
  • フジテレビ系で放映されたテレビアニメラーゼフォン』では、本作の宣伝用ポスターがプロップとして劇中に登場した。東宝とイオの正式なライセンスを受けたものであり、同じく小松左京原作の『首都消失』のポスターも登場している。
  • 本作に登場したミニチュアの多くは、川北紘一が特撮監督を務めた特撮テレビシリーズ『超星神シリーズ』の各作品において流用されている[8]
  • 使用楽曲を収録したオリジナルサウンドトラック盤は当時のスタンダード規格であるLPレコード・カセットテープに加えCDでも発売された。CD規格による音楽ソフトウエア商品発売開始の黎明期でもあり再生機もプレス製造環境も普及が進んでおらず発売枚数もそれほど多くなかったものと思われ、CDパッケージ商品は当時は勿論 後年でもかなり高価な印象を与える3800円という定価が設定されていた。以降、企画もののCD等にメインタイトル等の一部楽曲が収録されることはあったが、オリジナルサウンドトラック盤としてのフルパッケージは2013年9月までの間 再発売が一切無く、中古市場での取引価格はその間ずっと高値を維持し続けていた。

参考文献[編集]

  • 小松左京『小松左京のSFセミナー』集英社文庫、1982年 - 製作準備中の小松の意気込みが記されている。
  • 小松左京『さよならジュピター 上巻』徳間文庫、1983年 - 小松本人が企画の成立経緯を解説。
  • 小松左京『シナリオ版さよならジュピター』徳間文庫、1984年 - 製作経緯が記された「あとがきにかえて」。
  • 小松左京 監修、井口健二 責任編集『THE MAKING OF さよならジュピター』徳間タウンムック、1984年 - 映画公開当時発売されたヴィジュアル・ブック(ムック)。小松左京、橋本幸治、三浦友和、松任谷由実らへのインタビュー、特撮シーンのレポート等。
  • 『映画秘宝 底抜け超大作』洋泉社1996年 - 公開初日で本作を見たSFファン出身の作家山本弘によるレビュー。SF界の反応など。
  • 小松左京『SFへの遺言』光文社1997年
  • 小松左京・イオ『小松左京マガジン 第23巻』角川春樹事務所2006年 - 本作等の映画化された小松作品の海外での公開状況について。

脚注[編集]

  1. ^ 実質製作費は6億円、宣伝費等を含めた総制作費は10億円。
  2. ^ a b c d e 『東宝特撮映画大全集』 ヴィレッジブックス2012年、204 - 207頁。ISBN 9784864910132 
  3. ^ 皮肉な事に、買取りを申し出たのは『スター・ウォーズ』製作にゴーサインを出したといわれる名プロデューサー、アラン・ラッド・Jrであったという。
  4. ^ a b 石井博士ほか 『日本特撮・幻想映画全集』 勁文社、1997年、289頁。ISBN 4766927060
  5. ^ 単行本には収録されず、カバーアートのみ担当。徳間文庫版も同様。
  6. ^ 後にglobeのメンバーとなる、マーク・パンサーである。
  7. ^ 本作が遺作となった。
  8. ^ 監修:川北紘一 『平成ゴジラパーフェクション』 アスキー・メディアワークス〈DENGEKI HOBBY BOOKS〉、2012年、160頁。ISBN 978-4-04-886119-9

外部リンク[編集]