カルロス・ベルトラン

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カルロス・ベルトラン
Carlos Beltrán
ニューヨーク・ヤンキース #36
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 プエルトリコの旗 プエルトリコ自治連邦区マナティ
生年月日 (1977-04-24) 1977年4月24日(47歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手中堅手右翼手
プロ入り 1995年 ドラフト2巡目でカンザスシティ・ロイヤルズから指名
初出場 1998年9月14日 オークランド・アスレチックス
年俸 $15,000,000(2014年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム プエルトリコの旗 プエルトリコ
WBC 2006年2009年2013年

カルロス・イバン・ベルトラン(Carlos Ivan Beltrán, 1977年4月24日 - )は、プエルトリコマナティ出身のプロ野球選手外野手)。右投両打。現在はMLBニューヨーク・ヤンキースに所属している。

2000年代のMLBを代表する5ツールプレイヤーとして知られる。ESPNや『スポーツ・イラストレイテッド』から2000年代10年間の "All-Decade team" 中堅手部門に選出されている[2][3]

経歴

メジャー昇格まで

4人兄妹の次男で、上に兄が、下に2人の妹(双生児)がいる。野球を始めたのは5歳頃[4]。子供の頃は兄と共にアンディ・バンスライクのファンだったが、プエルトリコ出身のバーニー・ウィリアムスウィンターリーグで活躍するのを目の当たりにし、次第に2人ともウィリアムスに憧れを抱くようになっていった[5]。ベルトランはウィリアムスについて「走攻守のすべてを兼ね備えていて、いつでも真摯な態度でゲームに臨む。ベースボールを尊敬していて、そして愛している。そんな彼こそが僕にとっては最大限の尊敬に値する」と話している[6]。当時住んでいた家が「家というよりは小屋と呼んだ方がいいかもしれない。6人家族が住むには小さすぎる家だった」と語るベルトランは、メジャーリーガーになって両親に立派な家をプレゼントするという夢を持つようになった[5]

高校入学後、15歳で遊撃手から中堅手へ転向したベルトランは、スカウトからも注目される選手になっていく[5]。また野球以外にバレーボールでも活躍していたが、17歳のときに父親から「バレーボールもなかなかだが、野球で大金を稼げる才能を授かったな」と言われてからは、野球一本に絞っている[7]。MLBのトライアウトに20回以上参加したベルトランは、複数のスカウトからドラフト1巡目レベルとの高評価を受けた。しかし1995年のドラフト直前、腰の筋肉を痛めたという情報が漏れたため、結局ドラフトではカンザスシティ・ロイヤルズからの2巡目(全体49位)指名となった[8]

6月5日にロイヤルズと契約したベルトランは、マイナーリーグ最下層のルーキー級に配属されることになり、故郷プエルトリコを離れアメリカ合衆国本土のフロリダ州へと向かう。ガルフ・コーストリーグでプロデビューした1年目は、52試合で打率.278を記録。ただ、シャイな性格の持ち主であることや言葉が通じないことなどから、ホームシックにかかった[5]。後に彼の妻となるジェシカによると、プエルトリコにいたときは無口だったベルトランが、本土へ行ってからは彼女に毎日、それも「1日に20回はあったかと思ってしまうくらい」電話をかけるようになったという[9]。シーズン終了後プエルトリコに戻り、ウィンターリーグに参加。そこで憧れのバーニー・ウィリアムスと出会う。ウィリアムスはベルトランに「実力はあるんだから、努力を怠るなよ」とアドバイスした[10]

1996年、右打ちからスイッチヒッターへ転向。「このままではいけないな」と考えてのことだったが、「タイミングを狂わされないようにするというのが難しかった」と振り返るように左打席で苦しんだシーズンとなり、シーズン終了後はプエルトリコでも左打席での打撃を特訓する[4]

1997年、Adv-A級ウィルミントンで11本塁打のうち10本を左打席から放ち、スイッチヒッターとして成長を見せた[5]。また、守備については広い守備範囲と強肩が高く評価されている[8]

1998年にはシーズン途中でAdv-A級ウィルミントンからAA級ウィチタに昇格。2クラス合計で99試合に出場し、打率.313・19本塁打・76打点・18盗塁OPS.948という好成績を残した。マイナーリーグのシーズンが終了した9月にメジャーへ昇格した。

メジャー昇格とロイヤルズ時代

1998年9月14日、本拠地カウフマン・スタジアムでのアスレチックス戦でメジャーデビュー。7回表、ラリー・サットンに代わって中堅守備に就き、その裏のメジャー初打席ではバディ・グルームから初安打となる内野安打を放った[11]。その1週間後の21日の試合では1試合2三塁打を放つなど[12]、この年は14試合に出場した。この年の活躍により評価が上昇した。

1999年シーズン開幕前には、『ベースボール・アメリカ』が発表した若手有望株ランキングで14位に入った[13]。スプリングトレーニング期間中には、監督のトニー・ミューサーがベルトランに1番・中堅の定位置を確約[5]。その通りに開幕戦に先発出場したベルトランは、4月の1か月間で20試合に出場し、打率.307を記録した。その後も勢いは衰えず、前半戦終了時点で打率.302・12本塁打・59打点・13盗塁を記録すると、後半戦からは主に3番を打っていたジョニー・デイモンと打順が入れ替わり、ベルトランが3番打者を任されるようになる[14]。シーズンを通しての成績は、打率.293・22本塁打・108打点・27盗塁。打点とともに得点でも100を超えた(112)が、これは新人としては1975年フレッド・リン以来のことであった[5]。シーズン終了後、ジェシカと結婚。その3日後、ベルトランの元にアメリカンリーグ新人王受賞の知らせが届いた[9]

2000年背番号を過去2年つけていた36から15へ変更してシーズンに臨んだ。これは、妻の誕生日が12月15日であることに由来する[9]。打撃では変化球で外角を突く相手の攻めに対応することができず不振に[5]。更に、8月には膝の打撲故障者リスト入りするも、フロリダ州の球団施設でリハビリするよう求められながらこれを拒否したため、チームから出場停止処分を受けた[15]。成績は98試合の出場で打率.247・OPS.675と低迷。

2001年、ロイヤルズは外野のレギュラーだったデイモンをアスレチックスへトレードで放出したため、ベルトランの責任は大きくなる。この年は怪我もなくシーズンを過ごし155試合に出場。打率.306・24本塁打・101打点・31盗塁と、前年の不調から脱却した。この頃から「手応えを感じるようになった」と本人は言う[4]

2002年は全162試合に出場し、2年連続の20本塁打・100打点・30盗塁超え。このシーズンを終えた後、ベルトランは故郷に一戸建てを買い「両親に家をプレゼントする」という夢を叶える。両親は最初、その住宅はベルトランとジェシカが住むためのものだと思って庭造りや家具選びなどを手伝っていたため、新居のお披露目パーティーでベルトランから「この家は僕からのプレゼントだから、今日から住んでほしい」と打ち明けられ涙を流した[5]。感動的場面の一方で、12月にはロイヤルズが3年2,500万ドルでの契約延長をオファーするもベルトラン側は拒否[16]。チームはここ2年連続で30以上の負け越しという低迷期にあり、ベルトランはあと2年でFAとなる状況から、トレードの可能性が高まっていった。

2003年は、シーズン開幕から14試合を怪我で欠場するも、復帰後は141試合で打率.307・26本塁打・100打点・41盗塁を記録。打率とOPS(.911)、更に盗塁数で自己最多の成績を残し、シーズン終了後のMVP投票では9位に入った。そして2004年1月、チームとの年俸調停を回避して1年900万ドルで同年の契約を結び、FA権取得前最後のシーズンを迎える[17]

アストロズ時代

2004年、ロイヤルズは開幕から低迷し、シーズン終了後FAとなるベルトランは6月24日にヒューストン・アストロズオークランド・アスレチックスとの三角トレードでアストロズへ移籍した[18]。2番打者としてビジオBiggio)、ベルトラン(Beltran)、バークマンBerkman)、バグウェルBagwell)の4人からなる上位打線、通称「キラー・ビーズ」(Killer B's)の一翼を担った。オールスターに初めて選出され、90試合で70得点・23本塁打・28盗塁(失敗はなし)という活躍でアストロズのポストシーズン進出の立役者となった。最終的なシーズン成績は打率.267・38本塁打・104打点・42盗塁で初の30本塁打、30盗塁を達成し、ポストシーズンでもその勢いは衰えず、5試合連続本塁打・合計8本塁打のメジャー新記録を作った[19]

オフの10月24日にFAとなった。ベルトランの代理人スコット・ボラスはアストロズが提示した7年総額1億ドルを拒否し、12月21日にニューヨーク・ヤンキースとの交渉で7年総額1億1,900万ドルを提示したため、ヤンキースは獲得に消極的となった[5]

メッツ時代

2005年1月13日にニューヨーク・メッツと7年総額1億1,900万ドルの契約を結んだ[20]

2005年は8月に守備でマイク・キャメロンと衝突し左頬骨を骨折するなどで打率.266・16本塁打・78打点・17盗塁と不振に陥った。

2006年開幕前の3月には、第1回WBCプエルトリコ代表に選出された[21]

レギュラーシーズンは前年に比べ、選球眼がよくなり、より速球を打つようになった[22]。7月にはメジャー史上9人目の2試合連続を含む3満塁本塁打を記録した[23]。自己最多となる41本塁打・116打点を記録した。本塁打は球団タイ記録となり[23]デビッド・ライト、同郷のカルロス・デルガドらも100打点を記録し、チームは18年ぶりに地区優勝し、ベルトランは初めてシルバースラッガー賞ゴールドグラブ賞を受賞した。MVPの投票ではライアン・ハワードアルバート・プホルスランス・バークマンに次ぐ4位に入った[24]

2007年、中堅手としてメジャー最多の33本塁打、112打点を記録し、ダリル・ストロベリーマイク・ピアッツァに次ぐ球団史上3人目となる2年連続で30本塁打100打点を達成した[25]。その一方でチームはシーズン終盤の失速でプレーオフ進出を逃し、フィラデルフィア・フィリーズが地区優勝となった。

2008年開幕前に「ウチがナ・リーグ東地区で最高のチームだ」と宣言し、注目を集めた[26]。前年に同じような発言をフィリーズのジミー・ロリンズがしているが、ロリンズは地区優勝に導き、MVPに選出された[26]。161試合に出場し、3年連続で110打点以上を記録。2006年以降、本塁打が年々減少してきているが、161試合に出場したこともあって、安打・二塁打・三塁打・盗塁・打率・敬遠など、多くの部門で自己最高の数値を記録した。しかし、チームは2年連続でフィラデルフィア・フィリーズに次いで地区2位に終わり、プレーオフ進出を逃した。

2009年開幕前の3月に、第2回WBCのプエルトリコ代表に選出され[27]2大会連続2度目の選出となった。

シーズンは、6月下旬に膝を故障し、故障者リストに入った[28]。その後、9月上旬に戦列復帰を果たしたが、痛みを抱えた状態でのプレイが続き、年が明けてからの2010年1月に膝の手術を受けた[28]。この手術に関して、メッツのGMであるオマー・ミナヤは手術を許可した覚えはないとし、それに対して代理人のスコット・ボラスが報告する必要性はなかったとした為、チーム側とベルトラン側でいざこざとなった[28]

2010年は、1月に受けた手術の回復状況を見ながらの試合出場となったため、ラインナップに復帰したのは7月15日だった。最終的には64試合の出場にとどまり、打率.255・7本塁打・27打点・3盗塁はいずれもメッツ移籍後で最低の数字であった。

7年契約の最終年となる2011年は、ロースターを空ける必要性が出てきた際は契約解除になりかねず、活躍した場合でも優勝争いをしているチームにトレードされる可能性があるなど、メッツに残留する可能性はゼロとする見方もあった[29]

ジャイアンツ時代

2011年7月28日、ザック・ウィーラーとのトレードでサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍した[30]。シーズン終了後の10月31日にFAとなった。再びヤンキース入りの可能性が報じられたが、この時はニック・スウィッシャーとのオプションが残っていたこと、手術した脚の状態が懸念されたことから、ヤンキースが獲得に必ずしも積極的でなかったとされる[31]

カージナルス時代

2011年12月23日にセントルイス・カージナルスに2年総額2600万ドルの契約で加入した[32]

2012年は打率が落ちたものの、32本塁打と5年ぶりに30本を超えた。また6月15日に300盗塁に到達、スイッチヒッターとしては史上初の300本&300盗塁を達成した。

2013年開幕前の3月に、第3回WBCのプエルトリコ代表に選出され[33]3大会連続3度目の選出を果たした。

シーズンでは、10月31日にFAとなった。11月9日にカージナルスが提示した1年1410万ドルのクオリファイング・オファーを拒否すると[34]、ヤンキースを始めとしてレッドソックス、オリオールズ、古巣ロイヤルズなど多くの球団が興味を示した。

ヤンキース時代

2013年12月6日にニューヨーク・ヤンキースと3年総額4500万ドルで契約に合意し[35][36]、12月19日に球団が発表した[37]。12月20日に、ヤンキー・スタジアムで入団会見を行った[38]

2014年は開幕ロースター入りしたが、5月13日に右肘を故障し、5月15日に15日間の故障者リスト入りした[39]。結局、故障の影響もあって109試合の出場に終わり、打率.233・15本塁打・49打点という低調な成績に終わった。また、打撃だけでなく守備・走塁面でも高齢化による衰えが見え[40]、限界が近いという事がちらついたシーズンだった。

ヤンキース2シーズン目の2015年、前年よりは復調して133試合に出場、2年ぶりに規定打席到達を果たした。打撃面では34二塁打・19本塁打を放って0.800超のOPSを記録し、一定の復活を見せた。しかし盗塁は、メジャー18年目にして初めて0だった。また守備でも、123試合でライトを守ったものの守備率.983 (3失策) ・DRS - 14に終わり、衰えが成績となって顕れた。

選手としての特徴

メジャー2年目の1999年にはアート・スチュワートGM補佐は5ツールプレイヤーとして評価しており、球団内部ではアモス・オーティスの再来と期待された[8]。その後メジャー有数の5ツールプレイヤーと言われるようになり、走攻守全てで高い能力を持っている[22]。特に走塁面では投手の動作を読む能力がすぐれており、一歩目の加速が素早い[22]。盗塁成功率は86.7%(2012年終了時点・200盗塁以上では最高)と驚異的な成績を残している。その結果、スイッチヒッターとしては史上初の300-300クラブ入りを果たした。 脚力を生かした中堅守備でも広い守備範囲を誇り、加えてメジャー最高クラスの強肩も持ち合わせていて送球も非常に正確である[22]。2006年には初のゴールドグラブ賞を受賞した。打撃面ではバットスピードが非常に速くスイッチヒッターとしては珍しく、両打席で高めの球にうまく対処できる[22]

故郷のプエルトリコのマナティに高等学校を建設した。野球選手を育成するのが目的で、学業と共に野球にも重点を置いた教育方針である。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1998 KC 14 63 58 12 16 5 3 0 27 7 3 0 0 1 3 0 1 12 2 .276 .317 .466 .783
1999 156 723 663 112 194 27 7 22 301 108 27 8 0 10 46 2 4 123 17 .293 .337 .454 .791
2000 98 413 372 49 92 15 4 7 136 44 13 0 2 4 35 2 0 69 12 .247 .309 .366 .675
2001 155 680 617 106 189 32 12 24 317 101 31 1 1 5 52 2 5 120 7 .306 .362 .514 .876
2002 162 722 637 114 174 44 7 29 319 105 35 7 3 7 71 1 4 135 12 .273 .346 .501 .847
2003 141 602 521 102 160 14 10 26 272 100 41 4 0 7 72 4 2 81 8 .307 .389 .522 .911
2004 69 309 266 51 74 19 2 15 142 51 14 3 1 3 37 7 2 44 4 .278 .367 .534 .901
HOU 90 399 333 70 86 17 7 23 186 53 28 0 2 4 55 3 5 57 4 .258 .368 .559 .927
'04計 159 708 599 121 160 36 9 38 328 104 42 3 3 7 92 10 7 101 8 .267 .367 .548 .915
2005 NYM 151 650 582 83 155 34 2 16 241 78 17 6 4 6 56 5 2 96 9 .266 .330 .414 .744
2006 140 617 510 127 140 38 1 41 303 116 18 3 1 7 95 6 4 99 6 .275 .388 .594 .982
2007 144 636 554 93 153 33 3 33 291 112 23 2 1 10 69 10 2 111 8 .276 .353 .525 .878
2008 161 706 606 116 172 40 5 27 303 112 25 3 1 6 92 13 1 96 11 .284 .376 .500 .876
2009 81 357 308 50 100 22 1 10 154 48 11 1 0 1 47 1 9 43 9 .325 .415 .500 .915
2010 64 255 220 21 56 11 3 7 94 27 3 1 0 4 30 5 1 39 4 .255 .341 .427 .768
2011 98 419 353 61 102 30 2 15 181 66 3 0 0 4 60 6 2 61 9 .289 .391 .513 .904
SF 44 179 167 17 54 9 4 7 92 18 1 2 0 0 11 1 1 27 9 .323 .369 .551 .920
'11計 142 598 520 78 156 39 6 22 273 84 4 2 0 4 71 7 3 88 18 .300 .385 .525 .910
2012 STL 151 619 547 83 147 26 1 32 271 97 13 6 1 4 65 15 2 124 9 .269 .346 .495 .842
2013 145 600 554 79 164 30 3 24 272 84 2 1 1 6 38 1 1 90 12 .296 .339 .491 .830
2014 NYY 109 449 403 46 94 23 0 15 162 49 3 1 0 5 37 2 4 80 11 .233 .301 .402 .703
2015 133 531 478 57 132 34 1 19 225 67 0 0 0 6 45 2 2 85 12 .276 .337 .471 .808
通算:18年 2306 9929 8749 1449 2454 503 78 392 4289 1443 311 49 18 100 1016 97 46 1592 175 .280 .355 .490 .845
  • 2015年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰

背番号

  • 36 (1998年 - 1999年, 2014年 - )
  • 15 (2000年 - 2011年)
  • 3 (2012年 - 2013年)

代表歴

脚注

  1. ^ Carlos Beltran Stats, News, Pictures, Bio, Videos” (英語). ESPN.com. 2012年12月6日閲覧。
  2. ^ Tim Kurkjian, "Selecting the All-Decade team," ESPN.com, December 18, 2009. 2010年10月2日閲覧。
  3. ^ Joe Posnanski, SI.com, "All-Decade Team: MLB," SI.com, December 9, 2009. 2010年10月3日閲覧。
  4. ^ a b c 谷口輝世子 「独占インタビュー/ボンズを超える才能 カルロス・ベルトラン[ロイヤルズ]」 『月刊スラッガー』2004年8月号、日本スポーツ企画出版社、2004年、雑誌15509-8、26-28頁。
  5. ^ a b c d e f g h i j 梅田香子 「スーパースター列伝/C・ベルトラン[メッツ]」 『月刊メジャー・リーグ』2006年10月号、ベースボール・マガジン社、2006年、雑誌08625-10、47-51頁。
  6. ^ 杉浦大介 「インタビュー/カルロス・ベルトラン[メッツ] リベンジに燃える若き5ツール」 『月刊スラッガー』2006年6月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-6、40-41頁。
  7. ^ Jeff Pearlman and Stephen Cannellam, "Baseball," SI Vault, May 31, 1999. 2010年10月2日閲覧。
  8. ^ a b c 福島良一 「明日のスーパースターを目指すニューウェーブたち」 『月刊メジャー・リーグ』1999年6月号、ベースボール・マガジン社、1999年、雑誌08625-6、48頁。
  9. ^ a b c Anthony McCarron, Daily News Sports Writer, "HAPPY HOME. Beltran has found his place in big city," NY Daily News, September 3, 2006. 2010年10月3日閲覧。
  10. ^ Anthony McCarron, Daily News Sports Writer, "BELTRAN A CHIP OFF THE CLIPPER," NY Daily News, August 18 1999. 2010年10月2日閲覧。
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  37. ^ Yankees sign outfielder Carlos Beltran to three-year contract extending through the 2016 season; Will be introducted at Yankee Stadium on Friday at 11:00 a.m. MLB/com
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  39. ^ Bryan Hoch (2014年5月15日). “Beltran heads to DL with bone spur in elbow”. MLB.com. 2014年5月16日閲覧。
  40. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2015』廣済堂出版、2015年、57頁頁。ISBN 978-4-331-51921-9 

関連項目

外部リンク