デビッド・ライト
| ニューヨーク・メッツ #5 | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1982年12月20日(30歳) |
| 身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 210 lb =約95.3 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 三塁手 |
| プロ入り | 2001年 MLBドラフト1巡目(全体38位)でニューヨーク・メッツから指名 |
| 初出場 | 2004年7月21日 エクスポズ戦 |
| 年俸 | $16,000,000(2013年)[1] |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2009年、2013年 |
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この表について
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デビッド・アレン・ライト(David Allen Wright, 1982年12月20日 - )はアメリカ合衆国バージニア州ノーフォーク出身の野球選手。三塁手、右投右打。MLBニューヨーク・メッツに所属している。
メジャー有数の三塁手で、ルックスの良さから女性ファンの人気も高い。
目次 |
経歴 [編集]
プロ入りまで [編集]
1982年12月20日、バージニア州ノーフォークで誕生。彼は長男で、下に弟が3人いる。警察官の父ロンは厳格な人物で、ライトたち兄弟は厳しい規律の下で育てられた。父は彼らに「"スポーツマンシップ" と "相手に対するリスペクト" を持った上で、常に競争すること」を教えたという[2]。少年時代のライトの憧れの野球選手はスコット・ローレンだった[3]。
1992年、地元バージニア州にアマチュア運動連合の少年野球チーム "バージニア・ブラスターズ" と "タイドウォーター・ドリラーズ" が結成されると、ライトはブラスターズに入団。ブラスターズにはライトのほかにもB.J.とジャスティンのアップトン兄弟やマイケル・カダイアーが、ドリラーズにはライアン・ジマーマンがそれぞれ所属していたほか、マーク・レイノルズも所属チームを定めずどちらのチームにも参加するなど、後のメジャーリーガーがこの地域に多く揃っていた[4]。同州チェサピークのヒッコリー高校に進学したライトは、そこで全ての授業が午前中に終わるよう時間割を組み、午後は野球の練習に時間を費やす生活を送る[5]。その後、2001年のドラフト1巡目(全体38位)でニューヨーク・メッツに指名され、契約した。
マイナー時代 [編集]
契約後すぐにマイナーリーグの最下層ルーキーリーグでプロとしてのキャリアをスタートさせると、ライトは順調に昇格していく。2004年には招待選手としてメジャーのスプリングトレーニングに参加。日本プロ野球・西武ライオンズからメッツへ入団した松井稼頭央の練習パートナーも務めている[3]。その後、シーズン開幕をAA級ビンガムトンで迎えたライトは40試合に出場、打率.363・10本塁打・20盗塁・OPS1.086を記録し、6月中旬にはAAA級ノーフォークへ昇格。7月11日に開催されるマイナーリーグのオールスター "フューチャーズゲーム" にも選出された。
この年不振に陥っていたメッツは、フューチャーズゲーム終了後にライトをメジャーへ昇格させた。この昇格についてメッツのジム・デュケットGM(当時)は「ウチのマイナー組織で最高の素材ではあっても、まさか今年メジャーでプレーできるようになるとは思わなかった」とコメントしている[6]。
ニューヨーク・メッツ [編集]
2004年7月21日、エクスポズ(現ナショナルズ)戦でメジャーデビュー。69試合に出場し打率.293・14本塁打・40打点という成績を残すと、翌2005年には正三塁手の座をつかんだ。7月半ばには打順が5番でほぼ固定され、160試合出場で打率.306・27本塁打・102打点を記録。フルシーズン1年目で立派に中軸打者としての責任を果たした。その一方で、守備ではリーグ三塁手最多タイの24失策を記録している[7]。
2006年になると、ファンは開幕からライトに "MVP" コールを送るようになっていた[8]。ライトもその期待に応え、116打点(リーグ7位・チーム最多タイ)・得点圏打率.365・満塁本塁打2本・サヨナラヒット4本など、クラッチヒッター(チャンスに強い打者)として活躍した。オールスターにもファン投票選出で初出場し、試合前日のホームランダービーではライアン・ハワード(フィリーズ)に次いで準優勝、試合では6番・三塁で先発出場しケニー・ロジャース(タイガース)から本塁打を放った[9]。ライトらの活躍でメッツは18年ぶりの地区優勝。カージナルスにリーグ優勝決定戦で敗れワールドシリーズ出場はならず、ライト自身も有力候補に挙がっていたMVP投票で9位に終わったが、メジャーを代表するスター選手として評価を上げた。また8月には、2007年からの6年総額5,500万ドル(7年目は球団のオプションで1,600万ドル)の長期契約をメッツと結んでいる[10]。
2007年のライトはさらに成績を伸ばした。196安打(リーグ4位)・打率.325(同7位)に加え、メジャー史上29人目・49度目の30本塁打・30盗塁を達成。オールスターにも2年連続でファン投票で選出され、シーズン終了後にはシルバースラッガー賞とゴールドグラブ賞をダブル受賞、MVPの投票では4位となった。しかしチーム自体はシーズン終盤の20試合で5連敗を2度喫するなど失速、最終戦でフィリーズに順位を逆転されてポストシーズン進出を逃した。
2008年もチームの中心選手として160試合に出場。自己ベストとなる33本塁打・124打点を記録し、リーグで唯一3割・30本塁打・120打点を達成。守備面ではメジャーデビュー以来で最高の守備率.962を記録した。その一方で、2005年の規定打席到達以降で打率と盗塁数は自己最低の数字にとどまったうえ、得点圏打率.243は前年より6分以上低下したため、メディアやファンから批判されることもあった[11]。
2009年は、多い月でも月間2本塁打にとどまり、最終的にはメジャーデビュー以降自己最小の10本塁打に終わった。また、二塁打は規定打席に到達したシーズンとしては初めて40本を下回ったシーズンとなった。打点も同じく、規定打席到達年としては自身初の100打点以下のシーズンとなった。また、三振140は自己ワーストの数字。一方で、27盗塁は自己2位となる数字であり、打率も.307という数値を記録し、レギュラー定着以降5年連続で.300以上の打率を残した。
2010年は157試合に出場し、打率.283・29本塁打・103打点・19盗塁という成績を記録。6年連続の打率.300こそならなかったものの、本塁打は30本近くまで増加し、打点も2年ぶり5度目の100打点以上の数字となった。2009年に低調だった成績が向上した理由は、メッツの新たな本拠地であるシティ・フィールドでどのようにプレイすれば良いかが分かった事が大きいとされている[12]。2010年、ライトはホームで打率.288・12本塁打・45打点・15二塁打・45四球・出塁率.383・OPS.879であったのに対し、ロードでは打率.278・17本塁打・51打点・21二塁打・24四球・出塁率.326・OPS.834という成績を残した[12]。成績から分かる通り、ホームでの打率・四球・出塁率・OPSはロードでの数字より高く、逆にそれらの数字いずれもが低いロードでは、本塁打と二塁打を合わせて38本放ち(ホームでの合計は27本)、ホームより多い51打点を記録している。これは、本塁打の出にくい本拠地での試合は出塁を重視し、逆にロードでの試合では長打を狙っていた結果、長打・打点の数がホームよりも多くなった、というものである[12]。また、トータルでは打率が低下した事に加え、自己最多且つ出場試合数を超える三振161個を記録した。三振の数が出場試合数を超えたのは、ライトのキャリアで初めての事である。また、走塁面で記録した19盗塁という数字は、2年ぶりに20を下回る数字であったが、盗塁死も11個あった為、盗塁成功率は63%だった。
2011年は怪我などで自己最低の成績に終わった。
2012年は3シーズンぶりの打率3割を達成して復活。ナ・リーグの三塁手ではトップの守備防御点(DRS)+16を記録し、好守でハイレベルな成績を残した。2013年限りでFAとなるため、再建途上のメッツにあって去就が注目されたが、シーズン終了後の11月30日に7年総額1億2200万ドルでメッツとの契約を延長した。2013年の1600万ドルのオプションも含めれば8年総額1億3800万ドルとなり、ヨハン・サンタナの6年1億3750万ドルを上回る球団史上最高額での契約となる[13]。
国際大会 [編集]
2009年3月開催の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に、アメリカ合衆国代表の一員として参加。チームの全8試合に出場し、32打数9安打の打率.281・5打点という成績を残している。
2次ラウンド第5戦のプエルトリコ戦では、2点ビハインドで迎えた9回裏にアメリカ打線が反撃し、ケビン・ユーキリスの押し出し四球で1点差に迫ると、なおも一死満塁の場面でライトがフェルナンド・カブレラから逆転サヨナラの2点適時打を放ち、チームを勝利に導いた[14]。この試合の勝者は準決勝へ進出、敗者はその時点で敗退することになっていたため、ライトの一打はアメリカ代表の2大会連続2次ラウンド敗退を阻止するものとなった。しかし続く第6戦のベネズエラ戦では、左足に自打球を当てて爪を割り、しかもチームに故障者が続出していたため交代もできず、痛みに耐えながらの出場を強いられる羽目に[15]。準決勝の日本戦では4番・三塁として先発出場し、松坂大輔から二塁打を放つも、チームは4-9で敗れて準決勝敗退となった。
年度別打撃成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004 | NYM | 69 | 283 | 263 | 41 | 77 | 17 | 1 | 14 | 138 | 40 | 6 | 0 | 0 | 3 | 14 | 0 | 3 | 40 | 7 | .293 | .332 | .525 | .857 |
| 2005 | 160 | 657 | 575 | 99 | 176 | 42 | 1 | 27 | 301 | 102 | 17 | 7 | 0 | 3 | 72 | 2 | 7 | 113 | 16 | .306 | .388 | .523 | .912 | |
| 2006 | 154 | 661 | 582 | 96 | 181 | 40 | 5 | 26 | 309 | 116 | 20 | 5 | 0 | 8 | 66 | 13 | 5 | 113 | 15 | .311 | .381 | .531 | .912 | |
| 2007 | 160 | 711 | 604 | 113 | 196 | 42 | 1 | 30 | 330 | 107 | 34 | 5 | 0 | 7 | 94 | 6 | 6 | 115 | 14 | .325 | .416 | .546 | .962 | |
| 2008 | 160 | 736 | 626 | 115 | 189 | 42 | 2 | 33 | 334 | 124 | 15 | 5 | 0 | 11 | 94 | 5 | 4 | 118 | 15 | .302 | .390 | .534 | .924 | |
| 2009 | 144 | 618 | 535 | 88 | 164 | 39 | 3 | 10 | 239 | 72 | 27 | 9 | 0 | 6 | 74 | 8 | 3 | 140 | 3 | .307 | .390 | .447 | .837 | |
| 2010 | 157 | 670 | 587 | 87 | 166 | 36 | 3 | 29 | 295 | 103 | 19 | 11 | 0 | 12 | 69 | 9 | 2 | 161 | 12 | .283 | .354 | .503 | .856 | |
| 2011 | 102 | 447 | 389 | 60 | 99 | 23 | 1 | 14 | 166 | 61 | 13 | 2 | 0 | 3 | 52 | 4 | 3 | 97 | 5 | .254 | .345 | .427 | .771 | |
| 2012 | 156 | 670 | 581 | 91 | 178 | 41 | 2 | 21 | 286 | 93 | 15 | 10 | 0 | 5 | 81 | 16 | 3 | 112 | 15 | .306 | .391 | .492 | .883 | |
| 通算:9年 | 1262 | 5453 | 4742 | 790 | 1426 | 322 | 19 | 204 | 2398 | 818 | 166 | 54 | 0 | 58 | 616 | 63 | 36 | 1009 | 115 | .301 | .381 | .506 | .887 | |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
獲得タイトル・表彰 [編集]
- MLB
- ゴールドグラブ賞 2回:2007年、2008年
- シルバースラッガー賞 2回:2007年、2008年
- MLBオールスターゲーム選出 6回:2006年 - 2010年、2012年
- アメリカ代表
脚注 [編集]
- ^ “David Wright Stats, News, Pictures, Bio, Videos” (英語). ESPN.com. 2012年11月25日閲覧。
- ^ 近藤祐司 「メッツ若大将「常に謙虚に、常にハードに」 近藤祐司の "RED HOT GUY"! 第3弾」 『スポーツナビ』、2006年6月23日。2007年3月26日閲覧。
- ^ a b 澤田敏典 「デビッド・ライト[メッツ]無限大の輝き」 『月刊スラッガー』2006年8月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-8、28-31頁。
- ^ Lee Jenkins, "Virginia's Boy Wonders," SI Vault, September 29, 2008. 2009年9月23日閲覧。
- ^ 『月刊メジャー・リーグ11月号増刊 イオン日米野球2006公式プログラム』、ベースボール・マガジン社、2006年、雑誌08626-11、37頁。
- ^ 出村義和 「メッツの未来を背負う三塁手ライトは21歳。」 『Number Web』、2004年。2007年3月26日閲覧。
- ^ "MLB Player Fielding Stats: 2005," ESPN.com. 2008年1月31日閲覧。
- ^ 杉浦大介 「生え抜き三遊間デュオ デビッド・ライト&ホゼ・レイエス[メッツ]未来は今」 『月刊スラッガー』2006年10月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-10、16-19頁。
- ^ "July 11, 2006 All-Star Game at PNC Park Play by Play and Box Score," Baseball-Reference.com. 2008年1月31日閲覧。
- ^ Associated Press, "Mets sign Wright to six-year, $55M extension," ESPN.com, August 8, 2006. 2008年1月31日閲覧。
- ^ 出野哲也 「両リーグ候補者たちのセールス&ウィークポイントを徹底検証! MVPの栄冠を手にするには誰か? FILE:028 デビッド・ライト[#5 3B]」 『月刊スラッガー』2008年12月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-12、19頁。
- ^ a b c 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2011』 廣済堂出版、2011年、304頁。ISBN 978-4-331-51518-1。
- ^ Mets Extend David Wright MLB Trade Rumors 2011年11月30日
- ^ Joe Frisaro / MLB.com, "You can Wright it down, USA is in semis / Americans put up dramatic three-run rally in ninth to beat Puerto Rico," MLB.com, March 18, 2009. 2009年9月23日閲覧。
- ^ Joe Frisaro / MLB.com, "Wright OK after fouling pitch off left foot / X-rays taken after game are negative; third baseman will play in LA," MLB.com, March 19, 2009. 2009年9月23日閲覧。
外部リンク [編集]
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
- David Wright Foundation …多発性硬化症に苦しむ人々を支援するため、2005年にライトが設立した財団。
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