アレクサンダー・グラハム・ベル
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アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell, 1847年3月3日 - 1922年8月2日)はスコットランド生まれの学者、発明家。その生涯を通じて科学振興および聾者教育に尽力した。
ベルが会長(在職期間:1896年~1904年)を務めたナショナルジオグラフィック協会の月刊誌である『ナショナル ジオグラフィック』日本版(日経ナショナル ジオグラフィック社)では「アレクサンダー・グラハム・ベル」としているため、本記事ではこれに従うが、表記発音については脚注参照[1]。
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[編集] 略歴
1847年、スコットランドのエディンバラ(Edinburgh)に生まれる。父は大学教授で視話法の考案者であるアレクサンダー・メルヴィル・ベル (Alexander Melville Bell) 。母はイライザ・グレイス(Eliza Grace)。
1863年、高等教育を受けたベルは寄宿学校ウェストンハウス学院(Weston House)で教職を得る。この頃、エディンバラ大学でも音声学を学んでいるが、電気と音声についても興味を持つ。1868年、ロンドン大学に学ぶ。 1870年、ベル一族はカナダのオンタリオ州へ移住、後にアメリカへ移る。猩紅熱(しょうこうねつ)の後遺症で深刻な問題であった聾者教育のために東海岸の複数の学校で視話法を教える。1873年、ボストン大学 (Boston University) で発声生理学を教える。この前後にマサチューセッツで製皮会社を経営するトマス・サンダース (Thomas Sanders, 1839年 - 1911年)、弁護士を開業しているG・G・ハバード (Gardiner Green Hubbard) と友人になる。1874年、20歳の電気工であるT・A・ワトソン (Thomas Augustus Watson) と出会う。ワトソンはベルの電話の発明に協力する。
1876年2月14日、ワシントン特許局に「電信の改良」(Improvment in Telegraphy)の特許を出願。同年の3月3日に認可され3月7日に公告された(特許番号 174,465)。3月10日に電話の実験に成功、最初の言葉は「ワトソン君、用事がある、ちょっと来てくれたまえ」 ("Mr. Watson! Come here; I want you!") 。 1877年、電話機を日本へ輸出する。1877年、ベルはハバードの三女メイベル (Mabel Green Hubbard) と結婚。 1878年、「電気的電信の改良」 (Improvment in Electric Telegraphy) の特許(特許番号 186,787)を得る。
1875年、ハバードとサンダースとベルの3人は特許に関しBell Patent Association の協定を成立させる。これが幾多の変遷を経て「ベル・システム」を完成させたAT&T (American Telephone and Telegraph Company) へつながっていく。[2]
1882年、「サイエンス SCIENTIFIC AMERICAN」を発行するアメリカ科学振興協会 (American Association for the Advancement of Science) を創設する。1882年、アメリカ国籍へ帰化する。1887年、アン・サリヴァンを旧知のヘレン・ケラーの家庭教師として紹介する。1922年8月2日、没す。
[編集] 電話に関するトリビア
- 1876年の電話の実験成功の直後に、東京音楽学校の校長となる伊沢修二と留学生仲間であるのちの司法大臣金子堅太郎は電話を使って会話をしており、日本語が世界で2番目に電話を通して通話された言語になった。
- アメリカ人の発明家であるイライシャ・グレイはスコットランド人であるベルと同時期に電話を発明したが、ワシントン特許局への特許申請がベルより(2時間か3時間程度)遅れたため、特許取得を逃したとする説がある。アメリカは日本のように先願主義ではなく先発明主義でありしかも外国人のベルはこのシステムを利用できなかった。またグレイが申請したのは特許予約の申請であったため、順番で遅れてもリカバリーの手段があったのはグレイや彼の協力者も知っていたはずである。しかし先手を打たれたグレイが不利であった点も間違いはなく、このためグレイとの競争説は誤りとはいえないが、また本当であるともいえない。
[編集] 個人に関するトリビア
- ベルに関しては手紙やノートの類が他の19世紀及び20世紀の著名な発明家と比較しても圧倒的に多く、また、彼を顕彰する法人が丁寧に整理している。これはベルが学者で教育者であった点と、もう1つは特許に関して自分の発明が先行した点を証明する必要があった点が挙げられる。この記録を細かく整理した上で作成された伝記が『孤独の克服―グラハム・ベルの生涯』(ロバート・V・ブルース著)である。
- 正高信男は自著『天才はなぜ生まれるか』(中公新書)で、ブルース著『孤独の克服―グラハム・ベルの生涯』を読んだ上で、ライバルとの競争や後援者からの重圧に耐えかねているベルの様子から人間づきあいが下手であると主張。自閉症であったとし、さらに高機能自閉症(アスペルガー症候群)ではないかと主張している。
[編集] 脚注
- ^ アレグザンダー・グレアム・ベルとも表記発音する。ファーストネームよりもミドルネームのほうが知られており、グラハム・ベル、またはグレアム・ベルと呼ばれることも多い。なお、原音に比較的近い表記はアリグザンダー・グレイアム・ベル(IPA: /ˌælɪgzˈændɚ grˈeɪəm bˈel/)[1][2][3]である。
- ^ 詳細は林紘一郎と田川義博の共著『ユニバーサル・サービス』中公新書(1994年)を参照。
[編集] 関連項目
- アントニオ・メウッチ - イタリア人の電話機の発明者
- ベル (単位) - 通常はデシベルとして用いられる。
[編集] 外部リンク

