アメリカ科学振興協会

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アメリカ科学振興協会(アメリカかがくしんこうきょうかい、American Association for the Advancement of Science; AAAS)は、科学者間の協力を促進し、科学的自由を守り、科学界からの情報発信を奨励し、全人類の幸福のために科学教育をサポートする組織である。世界的にも最大級の学術団体で、有名な科学雑誌『サイエンス』の出版元としても知られている。

[編集] 歴史

アメリカ科学振興協会は1848年9月20日、ペンシルベニア州で創設された。母体となったのは Association of American Geologists and Naturalists である。初代会長には組織改革に熱心だった William Cox Redfield が選ばれた。9月20日の会議で採択された最初の憲章によれば[1]、協会の目的は、科学的協力体制を築くために科学界の話し合いを促進することであった。そのため、協会は科学研究のリソースを活用して科学の発展を促進することとなった。また、科学界の広報の役目も果たし、科学界のリソースを増強することとなった。

AAAS 設立時、会員はわずか87人だった。会員にはアメリカ海軍の海洋学者マシュー・フォンテーン・モーリー(Matthew Fontaine Maury)も1848年の最初の会議から参加していた。

1848年9月22日(金曜日)の午後の会議で Redfield が司会を務め、マシュー・フォンテーン・モーリー は Winds and Current Charts と題して完全に科学的な報告を行った。モーリーは数百の船舶の航海士がアメリカ海軍天文台に航海の記録を送っていると述べた。「このような協力体制はこれまでになかった」と彼は述べた。しかし彼は他の科学者にもっと同時並行的な観測が必要であると指摘した。

モーリーは言う。「この作業は特定の国家や時代のためのものではない」と。AAAS の議事録は「この問題」の重要性に鑑みて公開されている。「キリスト教界は海軍との協力には首肯しないかもしれないが、少なくとも航海記録はワシントンの海軍天文台のマシュー・F・モーリーに提供されるべきである」

ヴァージニア大学教授で後にマサチューセッツ工科大学を設立した William Barton Rogers は次のような決議案を示した。「マシュー・モーリーの風と海流の図の拡張と完成のため、ヨーロッパや他の海外の航海士の観測結果も利用できるようにするよう海軍長官に覚書を提出する作業を5つの委員会で行う」決議は採択され、Rogers だけでなく以下の会員が委員に任命された。Joseph Henry(ワシントン)、Benjamin Peirce(ケンブリッジ)、James H. Coffin(イーストン)、Stephen Alexander(プリンストン)。モーリーは大きな成果を得てワシントンに帰っていった。

1860年には会員数は2000以上に増大した。しかし歴史の波が AAAS の継続的な成長を妨げることとなった。第一次ブルランの戦いで本格的な戦争が始まったために1861年8月にナッシュビルで予定されていた会合が無期延期され、南北戦争の間 AAAS は冬眠状態となったのである。しかし、AAAS は戦争の被害を受けなかった。1866年、Frederick Barnard の司会でニューヨークでのAAASの戦後初の会合が開催された。

AAAS の組織改正後、再度の成長期が訪れた。しかし、そのころには他の学術団体も設立され、成長は無限ではなかった。科学の様々な分野をひとつの組織の元に統合するという AAAS の目標はまだ目新しかった。当時設立された数々の学術団体は特定の研究分野に特化したものがほとんどであった。例えば1863年に設立されたアメリカ化学会化学専門である。しかし、1863年に設立された全米科学アカデミー(NAS)は AAAS と同様の学際的組織であった。会員を選別する NAS とは異なり、AAAS は科学者であるかどうかに関わらず全ての希望者を受け入れた。ただし、AAASのフェローになるには、学界で尊敬される科学者でなければならない。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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